first stage ワタリガラスの止まり木
#ヴァンド
「泉さん、顔がにこにこしてますよ」
「む…………⁉」
夕陽に指摘され、咄嗟に頬っぺたを隠しつつ「にこにこしてるのはあなたもでしょう!」と言い返す。
「そんな事ないですよー」と、夕陽は唇を尖らせた。
「ライブの時よりも、昴くんとメールしてる今の方が楽しそうですね。あーあー、羨ましいー。こんなのろけを聞かされるくらいなら、舞さんに来てもらえばよかったー」
「舞さんも誘ったの?」
目を丸くして瞼を瞬かせる泉に、夕陽は「そうですよー」と気怠げに返す。
「でも、用事があるからって断られちゃったんです。舞さんにアイドルを、ひいては朝田事務所を布教するチャンスだったのにー!」
泉と夕陽の同僚である舞は、アイドルに明るくない。
が、テレビを見るのは好きなようで、「有名どころなら名前と顔が一致する」と本人は言っていた。朝田事務所のタレントで言うなら、豪華炎乱の榊雅臣か聖春高辺りだろう。鬼頭昴も、引退するまではドラマに出ていたし、お昼の番組にもレギュラーで出ていたのでもちろん知っている。
会社の近くで鬼頭とばったり出会う時は、長年推していた泉よりも舞の方がテンションが高い。彼女の中では、鬼頭はまだタレントの一人という意識があるのだろう。対する泉は、一人の一般人だと思って対応している。その方が、お互いに平穏無事に過ごせる。
向こうもわかっているから、サインを書くとかのファンサービスを申し出たり、行ったりしない。
そもそも、向こうはプライベートに干渉されるのが大嫌いなので、距離を縮めるような真似をすれば、長年のファンであろうと一瞬で嫌われる。現在の距離感が一番丁度良いはずだ。舞はちょいちょい距離を詰めようとしたり、してきたりしているので、今度そのような様子を見せたら、一言二言注意した方が良いかもしれない。
泉が悶々と考えを巡らせている間も、夕陽は布教できなくて悔しい気持ちを吐露している。
「そもそも、うちのアイドルは可愛い仕草とか格好いい姿は二の次で、まずパフォーマンスとショーの魅せ方に力を入れてるじゃないですか。特効とか。舞さん、観劇とか好きって言ってたから、朝田のライブも絶対ハマると思うんですよ!」
「(うちのアイドル……?)」
すっかり保護者目線だなと苦笑を滲ませつつ「そうだね」と返しておく。
触れたら、またややこしい力説が始まりそうだ。
「舞さん、観劇する人だったんだね」
「入社時の新人歓迎会で、舞さんから趣味を聞かれた時に、ライブに行っていることを観劇に行っているって濁して言ったら、私もって返って来たんです」
今でこそぺらぺらと趣味を語る後輩だが、入社して早々に自分の趣味を大っぴらに言う勇気はさすがに無かったのだろう。
泉も入りたての頃は、漫画やアニメを見ていることを読書と言って濁したものだ。
「最近はあまり行ってないみたいなんですけど、朝田繭が出る予定だった舞台は観に行こうと思ってたみたいですよー」
その朝田繭の舞台は、繭が違法な薬に手を出したことが公になり、本人も逮捕されたことで公演延期となっている。
「良い役者さんだったのに」と思う反面、過去に鬼頭と浮き名を流した女でもあるので、二人のことが報道でも触れられてもやもやとした気持ちが胸に広がった。
ぎゅっと胸が締め付けられて、ちくちくとささくれたあの痛みはなんだったのか。
これはまずいと思って、頭を振り払って考えないようにしているが、ふと思い出すとざわざわと気持ち悪い部分が胸に広がっていくので、思い出さないように振る舞う事に苦労している。
今も思い出してしまったので、気にしない気にしないと胸を撫でる。
気にしたら負け。気にしたら負けだ。
「ああ! やっぱり舞さん連れて来たかった! 泉さん、今度は三人で来ましょうよ! 次のライブは誰の番だったかなあ?」
夕陽は鞄に入れていたスマートフォンに手を伸ばし、事務所の公式サイトを開く。
彼女につられるようにして、泉も公式サイトを開いていた。
サイトには、所属タレントのプロフィールの他に、CDやライブDVDの発売情報、出演番組情報、舞台公演の予定など、推しているタレントの必要な情報が全て載せられている。あとは番組の公式サイトのリンクや、タレントのブログがまとめて読めるサイトのリンク、ファンクラブ
鬼頭の名前も、五年前までは豪華炎乱の下に名前があったのだが、今は姿も形も無い。
ブログサイトへ飛んでみても、彼のブログは残っていない。
事務所には居るのに、サイトに姿が無いことで本当に引退してしまったんだなと実感するのが嫌で、しばらくこのサイトにも来ていなかった。
彼がいないサイトを見ていると寂しさが募るが、ブログサイトには練習生が持ち回りで書いているブログがあったはずだ。
弟たちも書き始めただろうか。さすがに気が早いかなと思いつつ、慣れた様子でサイト下部へと画面をスクロールさせる。
久しぶりに訪ねて気づいたことは、改装したんだなということ。
コンテンツの基本的な配置は決まっていないが、リンク色や背景の色、アイコンの大きさ等が変わっている。
そしてもう一つ、変わった場所……と言うより追加された場所があった。
サイトの一番下。興味が無ければ誰も行かないような場所に、スタッフ用の記録ボードのようなブログが開設されていたのだ。
こんなもの、いつの間に作ったのだろう。
泉は、首を傾げながら練習生のブログを見るより先にスタッフ用の方を開く。
中の記事は、不定期ながらも数人のスタッフで持ち回りで更新しているようだ。
人物が特定されないように、名前の欄はアルファベット一文字で表示されている。これは、名字か名前のどちらかだろう。その前に担当している部署や担当の表記がある。
企画、営業、衣装、音楽、プロデューサー、そしてマネージャー。
ブログの記事を書いているマネージャーは、把握できるだけでも三人。その中に、Kのイニシャルがあった。
どくりと、ひときわ大きな鼓動が胸の内側を打つ。
まさか。いや、ありえない。
頭ではあるわけないと否定しつつ、もしかしたらという期待が膨らんでいく。
おそるおそる、マネージャーKの記事を開く。
出てきたのは、会社の玄関前に降り立って羽根を休めるカラスの写真。写真の下に短い言葉で近況が書かれていた。
〝しばらく休んでいましたが、そろそろ働きたいと思います〟
「泉さん、顔がにこにこしてますよ」
「む…………⁉」
夕陽に指摘され、咄嗟に頬っぺたを隠しつつ「にこにこしてるのはあなたもでしょう!」と言い返す。
「そんな事ないですよー」と、夕陽は唇を尖らせた。
「ライブの時よりも、昴くんとメールしてる今の方が楽しそうですね。あーあー、羨ましいー。こんなのろけを聞かされるくらいなら、舞さんに来てもらえばよかったー」
「舞さんも誘ったの?」
目を丸くして瞼を瞬かせる泉に、夕陽は「そうですよー」と気怠げに返す。
「でも、用事があるからって断られちゃったんです。舞さんにアイドルを、ひいては朝田事務所を布教するチャンスだったのにー!」
泉と夕陽の同僚である舞は、アイドルに明るくない。
が、テレビを見るのは好きなようで、「有名どころなら名前と顔が一致する」と本人は言っていた。朝田事務所のタレントで言うなら、豪華炎乱の榊雅臣か聖春高辺りだろう。鬼頭昴も、引退するまではドラマに出ていたし、お昼の番組にもレギュラーで出ていたのでもちろん知っている。
会社の近くで鬼頭とばったり出会う時は、長年推していた泉よりも舞の方がテンションが高い。彼女の中では、鬼頭はまだタレントの一人という意識があるのだろう。対する泉は、一人の一般人だと思って対応している。その方が、お互いに平穏無事に過ごせる。
向こうもわかっているから、サインを書くとかのファンサービスを申し出たり、行ったりしない。
そもそも、向こうはプライベートに干渉されるのが大嫌いなので、距離を縮めるような真似をすれば、長年のファンであろうと一瞬で嫌われる。現在の距離感が一番丁度良いはずだ。舞はちょいちょい距離を詰めようとしたり、してきたりしているので、今度そのような様子を見せたら、一言二言注意した方が良いかもしれない。
泉が悶々と考えを巡らせている間も、夕陽は布教できなくて悔しい気持ちを吐露している。
「そもそも、うちのアイドルは可愛い仕草とか格好いい姿は二の次で、まずパフォーマンスとショーの魅せ方に力を入れてるじゃないですか。特効とか。舞さん、観劇とか好きって言ってたから、朝田のライブも絶対ハマると思うんですよ!」
「(うちのアイドル……?)」
すっかり保護者目線だなと苦笑を滲ませつつ「そうだね」と返しておく。
触れたら、またややこしい力説が始まりそうだ。
「舞さん、観劇する人だったんだね」
「入社時の新人歓迎会で、舞さんから趣味を聞かれた時に、ライブに行っていることを観劇に行っているって濁して言ったら、私もって返って来たんです」
今でこそぺらぺらと趣味を語る後輩だが、入社して早々に自分の趣味を大っぴらに言う勇気はさすがに無かったのだろう。
泉も入りたての頃は、漫画やアニメを見ていることを読書と言って濁したものだ。
「最近はあまり行ってないみたいなんですけど、朝田繭が出る予定だった舞台は観に行こうと思ってたみたいですよー」
その朝田繭の舞台は、繭が違法な薬に手を出したことが公になり、本人も逮捕されたことで公演延期となっている。
「良い役者さんだったのに」と思う反面、過去に鬼頭と浮き名を流した女でもあるので、二人のことが報道でも触れられてもやもやとした気持ちが胸に広がった。
ぎゅっと胸が締め付けられて、ちくちくとささくれたあの痛みはなんだったのか。
これはまずいと思って、頭を振り払って考えないようにしているが、ふと思い出すとざわざわと気持ち悪い部分が胸に広がっていくので、思い出さないように振る舞う事に苦労している。
今も思い出してしまったので、気にしない気にしないと胸を撫でる。
気にしたら負け。気にしたら負けだ。
「ああ! やっぱり舞さん連れて来たかった! 泉さん、今度は三人で来ましょうよ! 次のライブは誰の番だったかなあ?」
夕陽は鞄に入れていたスマートフォンに手を伸ばし、事務所の公式サイトを開く。
彼女につられるようにして、泉も公式サイトを開いていた。
サイトには、所属タレントのプロフィールの他に、CDやライブDVDの発売情報、出演番組情報、舞台公演の予定など、推しているタレントの必要な情報が全て載せられている。あとは番組の公式サイトのリンクや、タレントのブログがまとめて読めるサイトのリンク、ファンクラブ
鬼頭の名前も、五年前までは豪華炎乱の下に名前があったのだが、今は姿も形も無い。
ブログサイトへ飛んでみても、彼のブログは残っていない。
事務所には居るのに、サイトに姿が無いことで本当に引退してしまったんだなと実感するのが嫌で、しばらくこのサイトにも来ていなかった。
彼がいないサイトを見ていると寂しさが募るが、ブログサイトには練習生が持ち回りで書いているブログがあったはずだ。
弟たちも書き始めただろうか。さすがに気が早いかなと思いつつ、慣れた様子でサイト下部へと画面をスクロールさせる。
久しぶりに訪ねて気づいたことは、改装したんだなということ。
コンテンツの基本的な配置は決まっていないが、リンク色や背景の色、アイコンの大きさ等が変わっている。
そしてもう一つ、変わった場所……と言うより追加された場所があった。
サイトの一番下。興味が無ければ誰も行かないような場所に、スタッフ用の記録ボードのようなブログが開設されていたのだ。
こんなもの、いつの間に作ったのだろう。
泉は、首を傾げながら練習生のブログを見るより先にスタッフ用の方を開く。
中の記事は、不定期ながらも数人のスタッフで持ち回りで更新しているようだ。
人物が特定されないように、名前の欄はアルファベット一文字で表示されている。これは、名字か名前のどちらかだろう。その前に担当している部署や担当の表記がある。
企画、営業、衣装、音楽、プロデューサー、そしてマネージャー。
ブログの記事を書いているマネージャーは、把握できるだけでも三人。その中に、Kのイニシャルがあった。
どくりと、ひときわ大きな鼓動が胸の内側を打つ。
まさか。いや、ありえない。
頭ではあるわけないと否定しつつ、もしかしたらという期待が膨らんでいく。
おそるおそる、マネージャーKの記事を開く。
出てきたのは、会社の玄関前に降り立って羽根を休めるカラスの写真。写真の下に短い言葉で近況が書かれていた。
〝しばらく休んでいましたが、そろそろ働きたいと思います〟