first stage ワタリガラスの止まり木

#ヴァンド

 挙げられた自分の腕を見て、瞼を数度瞬かせる。
 間。

「は?」

 樹自身も驚くほど高い声が口から漏れ出た。
 直哉は意に介さず、口を開く。

「樹がやるって」

「はあ⁉」

 ますます、意味がわからない。
 何も決めていないのに何を言っているのか、この幼馴染みは。
 樹はもう一人の幼馴染みの視線を向ける。
 なんとか言って、この直哉(バカ)の発言を撤回してほしいものだが、大は顎に指を添えたまま、うーんと考え込んでいる。
 使いたい時に使えない幼馴染みである。
 何も言えずぐぬぬと唸っている間に春高が口を開いた。

「そうなの?」

 そう問う男の視線は、樹に向けられている。
 樹はぶんぶんと首を振るが、隣の直哉はうんうんと縦に動かしていた。
 聞かれているのは俺だと睨みつけるが、直哉は気にした様子を見せない。
 春高はうんと一つ頷き、大に視線を滑らせた。

「大はどう思う? 樹がリーダーで良いの?」

 今までだんまりを決めていた男は、今度は唸り声を出して首を傾げた。顎に添えた指はそのままだ。
 色々と考えを巡らせているのか、視線がどこか違う世界へ飛んでいる。

「そうだなあ。直ちゃんよりは、たっちゃんの方が良いかもしれん」

「大ちゃんの裏切り者」

 呪うように呟けば、「違うんだって」と首を振られた。

「確かに、直ちゃんは目立つし顔良いし口調は強いし気も強いが、リーダーやらせるには結構自己中心的だし、猪突猛進だし、なにより自分が楽しいことをやりたがるタイプだ。ぶっちゃけると不向きだな」

「誰が猪だ」

 猪呼ばわりがお気に召さなかったのだろう。
 直哉が間髪を入れずに口を挟み、大の頬っぺたをつまみ上げる。
「痛い!」と喚きつつも、自分の意見は曲げたくないようで、「こういうところ! こういうところだよ!」と健気に言い返している。
 直哉は頬をつまむだけじゃ気がすまなくなったのか、頬肉をこれでもかと引っ張り始めた。
 言えば言うほど、つねる力が強まり、大の目が段々と涙目になっていく。
 ついついじっとりとした視線を向けてしまう。

「(大ちゃん、何歳になっても直哉に頭上がらないな……)」

 小学校低学年の頃だったか。それとも、就学前だったか。
 今でこそ、お調子者で、好かれやすい明るい性格で、身体つきも同年代よりはいささか良い大であるが、あの頃は身体も小さく、先生や女子から可愛がられてたせいもあってか、同級生か少し上の世代からやっかみを受ける事が多かった。直哉も口調のせいで多かったけれど、大もそれなりに受けていたように思う。そのやっかみを蹴散らしたのが直哉だ。
 直哉は、大が絡まれている場面と遭遇する度にやっかんでいた奴らに膝かっくんを食らわしていた。遭遇する度に、何度も何度もだ。
 次第に、向こうも大体動きを把握してきて対策してくるのだが、直哉もどこで見つけてくるのか。カエルやらカタツムリやらをやっかむ奴らの眼前に突きつけて、追い払った日もあった。(当時「どこでみつけたの?」と聞いたら「おれ、いきものがかりだから」という、わかるようでわからない返答をされた)
 向こうの中心人物は、カエルやカタツムリみたいなヌメヌメとした生き物が大嫌いだったらしい。威張り散らしていた奴が泣いて逃げてく様は滑稽だった。絡んできたのは向こうなので、可愛そうだとも思わなかった。カエルとカタツムリに関しては、「子ども特有のいざこざに巻き込んですまなかった」とは思う。
 そんな事を何度も繰り返すうちに、大へのやっかみは次第に減り(絡むのに飽きたというのもあるのだろうが)、残ったのは勝ち誇った直哉と、助けられた恩故に、気づいたら頭が上がらなくなった大だけだった。
 樹は、「二人だけでロケに行かせたら、毎回主人と下僕みたいなやり取りが入るんだろうな」と冷静に分析しつつ、そろそろ大の頬っぺたも限界を迎えそうなので、直哉の首根っこを掴み、大から引き剥がした。

「その辺にしてあげなよ、直ちゃん」

「ほら! そういうところ! そういうところよ!」

 びしっと、大の人差し指が樹に向けられる。
「え?」と気の抜けた言葉を発する樹に、大は畳み掛ける。

「お前がリーダーっぽいところ! 直哉を手懐けられるの、お前だけなんだって!」

「理由、それ?」

 器量が良いとか、そういう理由ではなくて?
 一度は丸くなった目が、また半分になる。
 またしても、じっとり湿った視線を大に送っていると、マネージャーの静かな声音が室内の空気を震わせた。

「そうだな。リーダーは直哉よりも、お前の方がいいだろう…………兵藤樹」

 マネージャーの意見を聞き、直哉と大が揃って「ほらね」と頷く。
 樹は、思わぬところから自分を推され、言い返す言葉が上手く出てこず、獣みたいに唸るしかない。
 押し黙ったままの樹に、声の大きな大人が口を開いた。

「ユニットの顔みたいな、目立つという意味では、そこに居る昴くんそっくりな子になるんだろうけど」

 大人から視線を向けられ、直哉は「俺?」と首を傾げる。
 構わず、雅臣は言葉を続けた。

「そこにリーダーもと頼むと、注目のバランスが崩れてしまう。リーダーはね、良い意味で目立たず、かといって存在感が薄いわけではない奴がやるといい。君らの昴くんだって、リーダーやったことないよ」

「部活とか委員会とかも副がつくやつばっかりだし」と、雅臣はからからと笑う。
 それは意外だった。そもそも、一人(ソロ)でやってたのにリーダーとはという話でもあるが。
 雅臣の口から、ちらちらと鬼頭の若い頃の話も飛び出て、本人は渋い表情をしている。

「個人情報って知ってるか?」

 チクリと刺す言葉に、雅臣は手を合わせて謝った。

「ごめんって。そういうわけだから、リーダーは確かに樹(きみ)が妥当だね!」

 逃げ道がどんどん塞がれている気がする。
 最後の頼み、ハル先生こと春高にすがる視線を向けると、ぱくぱくと口を動かして「頑張れ」と伝えてきた。

「リーダーになったからといっても、特別な事はする必要ないよ。君たちの前に来たユニットにも伝えたけど、励むときは三人で励むんだから」

「今回のライブはバックだけど、メインで立つ日はこの先必ず来るから、しっかり感触掴んでおいてね」

 雅臣からは励みの言葉を、春高からは新しい課題を与えられる。
 樹は短く息を吐き出すと、直哉と大に改めて問うた。

「リーダー本当に俺で良いの? 役立たずだって、十年先で後悔しても知らないよ?」

 二人は顔を見合わせた後で、何度も言わせるなとばかりに答えた。

「良いよって、十年くらい前から言ってる」

「オレはそんな前から言った覚えはないが、異議なしだぞ」

 二人の変わらない意見に、樹は小さく肩を上下させた後、「わかったよ」と、ユニット代表の肩書きを受け入れた。
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