first stage ワタリガラスの止まり木

#ヴァンド

「まさか、こんなに細かく報道されるとはな」

 死んだわけでもないのに。
 鬼頭は、事務所のテレビ画面に流れる繭の逮捕報道に辟易とした様子を見せる。
 逮捕までの経歴を一から十まで見せる内容に、まさか自分の名前まで出るとは思わなかった。
 長く吐き出した息の中に苦いものが混じる。
 それは、先ほど吸った煙によるものかもしれないし、過去に似たような目にあった時の苦味が蘇ったせいもあるかもしれない。
 この手の報道で良い思いをするのは、スクープを手に入れた記者と出版社、スキャンダルに飢えた野次馬気質の人間くらいだろう。
 彼女の歌が、スピーカーから流れ出る。どこまでも響いていく高らかな声音。
 繭は朝田プロデューサー直々に育てた女優の一人だ。芸名もプロデューサーから貰って、活動していた。
 鬼頭が入所する前からこの事務所に居たが、数年前に独立して個人事務所を設けたと、こちらもテレビや週刊誌のネタとなった。
 抜けた理由は鬼頭も詳しく聞いていないが、少なくともプロデューサーと確執があったとか、鬼頭と破局したからとか、金の問題だとかそういう理由ではない。
 野次馬はこれらの理由で盛り上げようとしたが、結局直ぐに違うスキャンダルが出て世間はそちらに注目し、繭の独立話はあっという間に忘れられた。

「彼女、違約金とか大丈夫なんですかねえ」

 和成が言葉をこぼしながら、鬼頭に差し入れの缶コーヒーを渡す。
 若い新人マネージャーは、繭と直接会う機会は少なかったが、担当している豪華炎乱(ベテランアイドル)から色々なあらましを聞いていることだろう。
 テレビから視線をそらし、和成を視界に入れる。
 眉が頼りなく下げられ、彼女の今後を心配するような面持ちをしていた。

「良かったな、独立してて。居たら、会社傾いてるぞ」

 繭はこれから舞台があったはずだ。CMにも数多く出ているし、今回の件で契約解除はもちろん、それに関する違約金の額も相当なものになるだろう。最低でも億単位だ。昔よりも見る目が厳しくなった世界で、一人で払いきれるかどうか怪しいところである。
 少なくとも数年は表舞台に出られない。

「彼女ほどの役者が、なんで違法薬物なんかに手を出してしまったんでしょう」

「さあな」

 鬼頭は、首をかしげる後輩に素っ気なく返した。

「別れた女に構ってやれるほど、俺は暇じゃない」

「今はゆるふわ森ガールの件で忙しいもんね」

 割って入ってきた少年の声に「そうそう」と頷きかけたところで、はたと我に返った。

「なんでいる?」

 視線を声のした方へ向ける。
 口が達者な黒い子どもが、チョコクランチが入った缶を大事そうに抱えて、椅子の側にしゃがんでいた。

「ご飯食べ終わって暇してるので」

 直哉は缶の蓋を開けながら答える。
 中身を二つ取り、一つを和成に手渡し、一つは個包装を破って自分の口に含んだ。

「あ、ありがとう……?」

「どーーういたしまして」

 和成は戸惑った表情を見ながらちらちらと鬼頭を見てくる。
 先輩が貰っていないのに、自分が受け取っていいものかどうか迷っている表情だ。
「気にするな」と視線で伝え、気ままな子どもの頭をわしゃわしゃと掻き撫でる。

「そ、それで、ゆるふわ森ガール? ってなんですか?」

「鬼頭さんの彼女」

「え⁉」と、和成が驚愕する一方で、鬼頭が直哉の後頭部を叩く。

「お馬鹿!」

 一連の話し声が大きかったのか、事務室のあちらこちらから視線が飛ぶ。ひそひとと声を潜めて噂話をする気配も感じ取れた。
 誰かが言った。「マスコミに知らせた方が良いのでしょうか?」と。
 もう一般人だから、何も知らせなくていい。
「事実みたいなものなのにー」と唇を尖らせる子どもを無視して、鬼頭は咳払いする。
 ざわざわとしていた事務室から噂の波が一気に引いた。
 何事も無かったかのように、居住まいを正す。

「繭の奴がな、余計な事をしたものだから、それの尻拭いだ」

 改めて話してみたのはいいものの、和成の頭には疑問符が浮かんでおり、首を傾げている。

「藁人形に樹のお姉ちゃんの写真が使われてたの。ゆるふわ森ガールってのは、その女性(ひと)の事だよ」

 少年が、チョコクランチをガリガリと噛み潰しながら捕捉する。
 捨てられた包装を見る限り、もう五個は開けていた。

「ほら、定食屋さんで鬼頭さんがよく出会うっていう人」

「ああ、たまにマサさんが教えてくれるあの人かな。昴くんに仲良い女性がいるーって」

「マサ(あいつ)、後で蹴っ飛ばす」

 友人の交遊関係を嬉々として語る友人の姿がすんなりと浮かび、つい不穏な言葉が飛び出る。
 視界の隅で、和成が竦み上がったが見なかった事にした。

「それで、尻拭いって言うのはなんです?」

「朝田繭に写真を渡した人が泉さんに悪さしないように、今度はこっちから釘を刺してやろうって、鬼頭さんが意気込んでるんですよ。怖いねえー」

「売られた喧嘩は買うタイプだねえ」と、他人事のように子どもは言う。

「もう少しぼかして言ってくれないか?」

「お礼参りをどうぼかせっていうのさ」

「そもそも、お礼参りじゃねえから。一言二言、注意するだけだから」

 釘を刺してもいい写真はないかと聞かれて、会社の社員証に使われるような写真をすんなりと渡すような真似は見過ごせない。
 首を突っ込んだら火傷する事案ではあるが、繭の言動から彼女の側に居る人物が怪しいのだ。

『──会社の近くに、好きな芸能人が所属している事務所がある』

『敵は案外近くに居るってことよ』

 回りくどい言い方ではあるが、どこの誰であるかは見当がついている。
 そもそも、社員証に使うような証明写真を手に入れられるのは、彼女の会社に居る人間かその人間と繋がりがある奴だ。少なくとも写真を持ち出せるのは内部の人間だろう。

「あの会社に、アイドル好きな奴居るか?」

 彼女の会社に日常清掃や特掃を頼んではいるが、日常清掃担当のパートも、特掃で入る本社の人間もここのアイドルが特に好きだという話は聞いていない。
 ふうむと悩む大人の袖を子どもが掴み「ねえねえ」と引っ張る。

「泉さんの会社に探り入れてみようか?」

 好奇心旺盛な子どもの提案に、鬼頭は片眉をつり上げる。
 子どもは子どもで、にやりと口角を上げた。
「危ないよー!」と嗜めたのは、和成だけだ。

「大丈夫、大丈夫。俺、こういうの超大好きだから」

「そこは、超得意と言うところじゃないのか?」

 子どもの手から、チョコクランチ缶を取り上げる。
 開けたばかりなのに、半分ほど減っていた。
 食べる早さが尋常じゃないな。あっという間に無くなって、また買わされそうだ。繭が来た日に「レッスン頑張るから」という訴えを聞いて買い与えたが、少々制限した方が良いかもしれない。
 もうちょっと厳しくいくかと決意したところで、机に置いていたスマートフォンが揺れる。
 通知を見れば、朝田プロデューサーからのメールだった。

「やっと来たぞ!」

 久しぶりに弾んだ声を出した。肩の荷が楽になった気分である。
 見た結果は終わり次第直ぐに教えると言っていたのに、結局昼まで待たされていたのだ。
 内容は見なくてもわかっているが、念のため一応目は通す。
 提案していたユニット名も通っている。

「朝田先生からですか?」

 鬼頭の反応を見て、和成も頬を緩めている。
 予想と変わらぬ内容に一つ頷いて見せてから、腰を上げた。
「何が来た?」という視線を子どもが向けている。

「行くぞ、獣。今日の午後は忙しいぞ」

「えーーーーやだーーーー!」

「やだじゃない」

 子どもの襟首を掴み、強制的に立ち上がらせる。
 駄々をこねる子どもを引きずりながら向かう先は、いつものレッスン室だ。


「朝田先生から、ユニット正式結成の連絡がありました」

 鬼頭が少年三人を前にして宣言する。
 宣言を聞いて、事の顛末を知らない樹と大は目を丸くしていた。直哉は表情を変えずに大人しく座ったままだ。
 三人は、部屋の片隅に置かれていた長机に並んで座り、鬼頭はその前に立っている形だ。背後には珍しくホワイトボードが置かれている。
 久しく出番が無かったボードだ。最後に使われたのはいつだろうかと首を捻るほどである。
 そのボードに今日は珍しく、文字が並んでいる。
 午後の日程と、ユニット結成に伴って変更された七月末の予定。
 撮影が追加され、レッスンの量が減っている。BSで放送されている、若い子らが集まってなんやかんやする番組の出演も追加された。専用SNS開設に向けた動画配信も夏休み中にやるよう言われている。
 ボードに書かれた変更内容の説明と、各番組や配信の大雑把な流れを一通り説明してから、鬼頭は言葉を区切って三人の顔を一つ一つ確認するように視界に入れた。
 説明で残っているのはユニットの名前だ。
 この名前は、もう二度と日に当たることはないと思っていた。
 電話越しで話す男の声が耳に蘇る。

『お前が良いって言うんなら、俺の方から言うことは何も無いよ。昔から、お前の直感はよく当たるんだから』

「それで、ユニット名の方ですが、朝田先生やハル先生と既存のユニット名とのバランスや、君らの性格やイメージ等を取り入れて熟考した結果……」

 ボードの空いたスペースにユニット名を書き出す。
 さらさらと、慣れた手つきで書き出したのはフランス語だ。
 -Vent de Rafale-。
 書き出したフランス語を、こんと一つ指の関節で叩く。

「読み方は、ヴァン・ド・ラファール。今日から使う君たちのユニット名です。正式な表記は半角英字、権利の都合上前後にあるハイフンを忘れないように」

「わかりましたかー?」という問いかけに、少年三人は呆けた表情をしたまま微動だにしない。
 もう一度同じ言葉を投げると、ようやくもたもたとした口調で返事をした。
 ボードに書かれた日付は、二〇二〇年七月十九日。梅雨が過ぎ去り、暑い夏の盛りが続いている時であった。
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