first stage ワタリガラスの止まり木

#ヴァンド

 結局、樹がレッスン室に戻れたのは、試験が始まってから二十五分ほど過ぎてからだった。予定の時刻を大幅に通り越している。
 戻って来るなり床に倒れた込んだ樹を、直哉と大が不思議そうな表情をして見下ろしていた。

「だいじょーぶ?」

 直哉が先に声をかける。
 一つ、二つ、三つ数えたところで、樹は口を開いた。

「何度も録り直された挙げ句…………抜き打ちで踊らされた」

 樹の告白に、大が頬をひきつらせる。
 クビ宣告は回避できてよかったと思うが、録り直しは精神的に辛いものがある。何度もというところに、樹から多大な疲労を感じ取った。
「オツカレ」と、傍らにあったタオルでパタパタと扇いでやる。
 樹は大きく息を吐き出し、むくりと起き上がった。
 じっとりと湿った視線を、大に送る。

「こうなると…………何事も無かった大ちゃんってなんだったんだろうね」

「指摘するほど、特に何も無いって事でしょう」

「殴るぞ、お前ら」

 大が好き勝手言う二人に、目くじらを立てる。

「俺だって、精一杯やってんだわ。つまり優秀だったって事だ」

 彼の言い分に、抜き打ちがあった二人は「はいはい」と聞き流した。

「……………この後、何すんだっけ?」

 直哉がこてりと頭を傾けた。
 そういえば、と、二人も不思議に思う。
 採用試験をするのは聞いていたが、その後の日程は聞いていない。
 今日はこのまま帰りか。それとも、ハル先生が居るからレッスンでもするのか。その考えに思い至ってから、少年たちは口を閉ざした。
 試験頑張ったから帰らせて欲しいなあ。
 少年たちの間で帰りたい空気が部屋に漂い始めた頃、部屋の扉ががちゃりと開いた。大人二人分の会話が僅かに漏れ聞こえる。
 この声は、鬼頭とハル先生のものだ。
 寝転がっていた樹はむくりと身体を持ち上げ、直哉と大も姿勢を正す。武道家気質なハル先生のせいで、大人が来ると背筋をぴんと伸ばす癖がつけられていた。
「姿勢よくしないと、見映えが悪くなるよ」という言葉は、始めの頃のレッスンで言われた。大人がよくない姿勢だと判断されれば、直ぐ指摘が入る。
 三人が口を閉ざして大人しく待っている間に、ハル先生が前に立ち、鬼頭は脇に控えた。

「みんな、試験お疲れ様」

 ハル先生は、いつも通りにこやかに労いの言葉をかける。
「お疲れ様でした」と、少年たちは頭を僅かに下げながらぼそぼそと返した。
 これもまた、いつもの光景だ。違うところがあるとすれば、緊張から解放されて、ややくたびれているところだろうか。
 ハル先生は少年たちの疲労をわかっているらしく、微笑ましげに目を細めている。

「試験が無事に終わったので、これからの予定をざっくりと説明します。細かい点は、あとで昴さんから聞いてね。まずはビッグなお話から」

「ビッグな話」と聞いて、少年たちの目が僅かに開かれる。これがハル先生ではなく、鬼頭の口から出ていたら身を乗り出しているところだ。
 樹は、自分達のことながら、先生の前ではお行儀良くという躾が行き届いているなと思う。
 ハル先生は三人の表情を一つ一つ確認してから、口を開いた。

「君たちのバックダンサーデビューが決まりました。ちょっと急だけど、来月の半ば頃にあるライブの方に出てもらいます」

「本当に急ですね」

 直哉による素直な感想に、ハル先生が「ごめんねえ」と笑う。
 謝罪はしているが、反省の色は見えない。この様子ではこの先も似たような無茶振りが起きるだろうと、少年たちは察した。視線が自然と湿っぽくなる。

「朝田には、事務所総出でやるライブに春のジュニアスプリングライブ、年末にある朝田フェスと翌日のカウントダウンライブがあるんだけど、君たちに出てもらうのはよくあるユニットの単独ライブね」

 現在、アリーナツアーを行っている先輩ユニットが居て、ステージにダンサーが置けるスペースがまだあるからと、呼び出しがかかったそうだ。
 朝田先生直々に決めた事らしく、樹は「ぽっと出の自分達で大丈夫か?」と不安な気持ちが胸に広がる。
 その気持ちが行動に現れ、「早くないですか?」と、口をついて出た。
「早くないよ?」と、ハル先生が首を傾げる。
 ハル先生に続いて、珍しいことではないとばかりに鬼頭が言葉を繋いだ。

「事務所に入って一ヶ月経たないうちにステージに立たされた奴もいるからな」

「せっかちなばばあだよ」と肩をすくめる鬼頭に、ハル先生が立てた人差し指の先を向けた。

「それ、この人だよ」

「バラすな」 

「そのライブまでに振り付けの練習とか色々あるけど、まあ頑張ってね。試験の結果は前から言っていたように合格で間違いないんだけどぉー」

 ハル先生は両の手のひらを合わせ、間延びした口調で言葉を放ってから首を傾ける。
 意味がありそうな間の置き方だ。
 少年たちは、沸き上がる好奇心と僅かに芽生えた恐ろしさに、ごくりと唾を飲む。

「先生に撮った映像を送ったんだよねぇー。送ったというか? 見せたというか?」

 可愛らしく言い放たれたが、三人にとっては聞き捨てならない言葉である。
 直哉からは「は?」という凍てついた単語が飛び出し、大は眉をひそめ、樹は一瞬ぽかんとしつつも徐々に言葉の意味を理解し、視線が冷ややかなものとなる。
 そんな子どもたちの冷えた反応をものともせず、ハル先生と鬼頭は確認するかのように言葉を続けた。

「今流行りのリモート? ってやつでね、見せたんだよね」

「ただ、あの先生、機械音痴なんだか電波が悪いところにいたのか、ちょいちょい接続が切れてな。よそ見もして見てなかったとか言い出すし」

「樹の試験中が特に酷かった」と、鬼頭は呆れた様子で息を吐き出す。
 明かされた試験中の出来事に、既に冷えていた少年の視線がさらに冷えた。

「つまり、なに……?」

 樹が何度もやり直しされたのは、あの魔女みたいな先生が見れなかったところを見せる為か。
 直哉のやり直しもそうなのだろうか。大が何も言われなかったのは、一番最初で問題なく見れていたから。
 子どもたちの問いかける視線に気づいた大人二人は「察しがよろしい」と三人を褒め称える。

「こんな事で褒められても……」

「見せるなら見せるで最初から言えよ、オレだけ何も無くて寂しかったぞ」

「じゃあ、もう一回やってくれば?」と、大の嘆きに直哉がちゃちゃを入れる。
「やだよ!」と、大は間髪入れずに返した。

「はいはい、お話の続きするから聞いてー」

 ハル先生は柏手を二つ叩いて、子どもたちはお喋りをやめる。

「先生の気が変わらなければ、問題無くこの三人でユニット組めると思うんだあー。先生的にもうちのボス的にも最初からその方針だったし」

「なんだあー」

「良かったねー」

 三人で組むと聞いて、三人揃って息を吐き出す。
 急に知らない誰かを加入させるとか、三人別々のユニットに振り分けという事態は回避されたようだ。

「それで、三人で組んだ時に備えてリーダーとか決めておいてほしいわけ。まあ、明確に決めなくても良いんだけど、出演番組によっては紹介欄の大きさの都合で代表者の名前しか載せられないこともあるからさ」

「紅白の出演者のプロフィールとか見たことない?」と問われ、三人は納得した様子を見せた。
 言われてみれば、あの欄は代表者の名前が載る。
 一人しか名前を載せられない時に備えて、今のうちに代表を決めておけとハル先生は言っているのだ。
「そういう事は大人たちが決めてもいいのでは?」と樹は首を傾げる。
 子どもたちの様子や業界の空気を見てきた大人の方が、誰が適しているかわかりそうなものだが。
 樹の疑問に気づいたのか、ハル先生が眉を下げた。

「直哉の試験が終わった後に打診したんだけど、【嫌だ】の一点張りで逃げられちゃったからさあ」

「ああ、だからダッシュで逃げてきたのか」

「ダッシュじゃないもん、早歩きだもん」

 似たようなものである。

「それって、今決めないとダメですか?」と、大が問うた。

「今日中ではなくてもいいが、少なくとも正式に結成する日までには決めたいところだな」

「会社や出版社に提出する書類があるんだよ」と、鬼頭が疲れが見える表情で返す。
 表情の変化に気づいたのは、直哉だった。

「鬼頭さん、お疲れ?」

「え?」

 鬼頭が答えに窮している間に、直哉が大と樹に耳打ちした。

「元カノが薬で逮捕されたばっかりだから?」

「え? あの女優、本当にマネージャーの元カノなん?」

「やっぱり元カノなの? 姉ちゃんニュース見てから落ち込んでたぞ」

 報道の中で、朝田繭の人生が一から十までしっかりと取り上げられ、過去の熱愛情報も余すこと無く出ていた。
 晒し上げとはこの事だ。
 ひそひそと、違う方向へ話を進め出した子どもたちに、鬼頭の雷が落とされるまで五秒かかった。
 
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