first stage ワタリガラスの止まり木


#ヴァンド

「大ちゃんにガセ掴まされたーーーー!」

 直哉が試験を終えて来るなり、大声で叫ぶ。
 レッスン室で待機していた樹と大は、気の抜けた返事をして直哉を見た。
 ちょうど、四つん這いの姿勢で声だしをしていた時である。
 仁義なきジャンケンの結果、一番手で試験を受けたのは大だ。戻ってきた大から、試験の流れを聞き出して直哉は隣の部屋へと赴いたのだが、様子を見る限り聞いた話と違ったようだ。
 樹は声だしを止めて、胡座をかく。大も樹の隣で同じ行動をとろうとしたが、うつ伏せの状態で直哉に馬乗りされ動きを封じられた。
 直哉が恐ろしい顔をして、大の耳元で囁く。

「寺の孫め、俺をよくも騙してくれたな」

「騙してねえわ!」

「騙したのーーーー!」

 樹は、ぎゃんぎゃんと騒ぐ二人を数秒だけ静かに眺めてから、直哉を大の上からおろす。このまま放置しておくと、大の背骨が曲げられかねない。
 暴れる馬を落ち着かせるように、「どうどう」と彼の背中をさすってやりながら「試験どうだった?」と問う。
 直哉はほっぺたをむすりと膨らせたまま、答えてくれた。

「課題が終わったあと、歌だけもう一回やらされたの」

「は?」

「え? オレ、やってねえぞ」

 鬼頭が言っていた試験内容は、鬼頭の代表曲を歌有りで踊ることである。その様子を撮って、後で採点するのだ。
 採用試験とはいうが、正式採用に向けて関心意欲態度を見るだけの形だけのテストだと言っていた。本年度入った新人の意欲態度が低いことから決まったもので、三人は完全に流れ弾だと鬼頭本人が可哀想なものを見る目で言っていたのだ。
 そんな採用試験に、抜き打ちで別の事をやらせるとは何を考えているのだろうか。
 実力が見たかった? それとも、ただの気まぐれ?
 悶々と考えを巡らせている間に、ハル先生が顔を出す。

「こら、直哉ー。お話の途中で逃げ出しちゃ駄目でしょー」

 直哉は、ハル先生の言葉に耳を貸さず、つんとそっぽを向く。
 その様子から、抜き打ちの課題に機嫌を損ねて逃げ出して来たのだと察した。
 ハル先生は、直哉の態度に苦笑を見せつつ「次は樹だよ」と手招きする。
 刹那。樹の胃に冷やりとしたものが落ちて来た。
 直哉が騒いだせいで一瞬忘れかけていた。樹の試験はこれからだ。思い出したら、急に胃がきりきりとしてきた。形だけとはいえ、試験と名のつくものは精神に悪い。
 視界の隅で、大が「いってら」と手を振る。真っ先に試験を終えた者は待つだけの状態だ。さぞかし、心も身体も軽くなっていることだろう。ついつい羨ましいと思ってしまう。
 緊張で顔を白くする樹に、直哉が追い討ちをかけた。

「抜き打ち、あるかもよー」

「やめろよばか!」

「早くおいでー。減点されちゃうぞー」

 減点だけは勘弁である。
 樹は大きく息を吐き出してから、ゆっくりと腰を上げた。


「顔が強張ってるぞ」

「えっ⁉」

 鬼頭から、部屋に入ってカメラの前に立つなり、そう指摘された。
 樹はどっきりと心臓を跳ねさせて、思わず顔に手を伸ばした。
 一目見てわかるほど、かたくなっていただろうか。
 試験前なのに恥ずかしいと、むにむにと解きほぐす。
 それもこれも、直哉が余計なことを言ったせいだ。【抜き打ち】という言葉が今も頭に散らついている。おかげで、課題曲の振り付けの出だしが記憶から吹っ飛んでいた。
 まずい、まずい。あと五秒で思い出せ。いや、曲が流れれば身体が勝手に動くかも。
 一人わたわたと慌てていると、ぶっきらぼうな男の声が耳に届く。
 はたと我に返り、正面でカメラの設定を確認する男を見た。
 驚いたような、呆れたような表情を見せている。

「ちょっと緊張しすぎじゃないか……?」

「だって……」

「直哉が脅してくるんだもの」とは情けなくて言えず、口から出かけた言い訳を喉の奥に戻した。

「リラックスしてみ? 手を前に伸ばして深呼吸」

 樹は、言われた通りに手を伸ばして、空気を深く吸い込み、細く長く吐き出す。鬼頭が行っていたレッスンで必ずやった動作だ。遠くにある雲を動かす気持ちで、長く細くゆっくりと吐き出せと。
 三回繰り返したところで、次は小さく跳ねろと言われる。
 言われるがまま、その場でとんとんと軽く跳ねた後、手首と足首をゆくる回したり、振ったりさせられた。
 身体を軽く動かした事で、少しだけ緊張が解れた気がする。
 かたく凝っていた表情筋も柔らかくなっていた。
 樹の表情を見て、鬼頭は「良し」と短く頷く。

「これから撮影を始めるが、その前に不安な点は? あんだけ練習してればねえか」

「振りつけの前半があやふやです」

「嘘だろ、お前」

「嘘じゃないですよー」と拗ねる樹に、鬼頭が仕方ないなとカメラから離れて、樹の隣に立つ。

「ぼさっとするな。一回しかお手本見せねえぞ」

 相変わらずぶっきらぼうな物言いだが、樹が思い出せるようにと一回共に踊ってくれるようだ。
 優しいの厳しいのか甘いのかわからない人であると思いつつ、あやふやなまま始められるよりはましかと考え直して、しゃんと背筋を伸ばす。

「振りだけ、最初からな。……三……四」

 鬼頭の動きに合わせて、樹も身体を動かし始めた。
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