first stage ワタリガラスの止まり木


#ヴァンド

 鬼頭に連れられて来たのは、東京タワーが見える位置に建てられた放送局のスタジオだった。
 建てられてからほどよく月日が流れているのだろう。外壁は雨風にさらされてくすみがあり、デザインも周囲の新しいビルと比べると古めかしい。事務所の方も相当の年月が経っていたが、こちらも負けていないようだ。
 鬼頭に先導される形で正面玄関を通り抜け、警備に身分証を見せてから関係者用の通路へと入る。
 廊下にはバラエティーやドラマの宣伝ポスターが一定の間隔を空けて貼られており、視界が賑やかだ。
 関係者しか入れない通路を、鬼頭は迷うことなく進んでいき、子ども三人は楽屋へと案内された。
 入室前にちらっと見えた名前欄に書かれていたのは【朝田練習生】という字。
 中に入れば、楽屋というよりは大きめの会議室に似た内装が、視界いっぱいに広がる。会議室と違うのは、壁際に鏡台が並べられているところだろうか。メイク道具とドライヤーも何台か用意されている。
 その中を落ち着きなく動き回っているのは、樹たちと同じ年頃かそれよりも年下の少年たちだった。一番幼い子で小学校高学年くらい。
 この部屋には男子しかいないが、違う部屋には女子もいると、鬼頭が入室しながら説明してくれた。

「全員、四月から入った練習生だ」

 この部屋での年長者は高校一年生の自分たちだと聞かされ、急に冷やりとした塊が胃に落ちる。
 そもそも、アイドルを主体としたこの芸能事務所に高校生から入る方が、現在(いま)は珍しいそうだ。

「今時の子は、小学生のうちからオーディションしてるって言うもんなあ」

「ダンススクールにも通ってるしねえ。中学の体育でもダンスやらされるし」

 空いてる椅子に適当に腰をおとしつつ、大と直哉が会話を交わす。
「俺たちも今時の子どもだよ」と、樹の口から出そうになったが飲み込んだ。
 何もしていないのに重たい息が肺にたまる。
 それは、レッスンによる疲労からくるものかもしれないし、これから始まる収録のせいかもしれない。
 ちょっとでも楽になろうと息を吐き出しながら、樹は事前に渡された打ち合わせ用の紙を見る。
 今日の収録は、事務所と国営の衛星放送の方で作られている番組。その中で使われる練習生のコーナーだ。
 番組の司会は、事務所でも中堅に位置するグループの選抜メンバー。
 今日は新人紹介だけだから、自己紹介と司会に問われた事を答えていけばいいと、鬼頭は言っていた。
 本当は夕方から収録が始まるはずだった。が、今日出るはずだったベテランが事故に巻き込まれたらしく入りが遅れる為、そのベテランと新人のコーナーの収録順を入れかえる事になったそうだ。

「……自己紹介のアンケート、二人とも考えてきた?」

 打ち合わせ用の紙と共に配られた番組のアンケートを三人は眺める。
 打ち合わせ終わりに渡すように言われているが、どれも白紙だ。やる気あんのかと偉い大人に怒られそうだ。

「言うて、【事務所に入所しようと思ったきっかけ】って聞かれてもなあ」

 大が眉間にしわを寄せ、むむむと唸る。

「オレたち、スカウトみたいなものだろう?」

「だよねえ」と、樹も頷く。
 樹の所に事務所からメールが届いたから事務所に入ったわけで、何もなければ今ごろ一般人の高校生として過ごしていたはずだ。
 入りたいと思ったきっかけは、これといって思い至らない。
 二人が回答に悩む一方で、直哉だけはすらすらとアンケート用紙にペンを走らせる。

「……お前、よく書けるな」

「まあねえ。一応、理由の一つや二つ持ってますから」

「いいなあ。……一つ寄越せよ」

「あげない。自分で考えて」

 直哉と大の応酬を耳に入れつつ、樹もペンを走らせる。直哉のように一つも二つも持っていないので、素直にスカウトされたからだと書いた。
 そもそも、他人への興味が薄い直哉が、人間関係を基本とする芸能界に興味を持ち、スカウト話にのってきたのが意外だ。真っ先に断りそうなのに、「話を聞くだけでもいいから行ってみよう」と行くのを渋った樹の背中を押してきた。
 大も性格的には直哉ではなく樹寄りだ。本来なら大も渋っていただろうに、直哉が暴走した時に樹一人では大変だろうと言って、ついてきてくれた。三人の中では一番性格が良くて、一番ファンサービスに向いているいい男である。
 樹が、一通りの回答を書き終えてペンを置くと同時に、直哉が口を開いた。
 彼もペンを置いていて、視線は昔を思い出すように遠くに向けられていた。

「俺さあ、四年生になる前に、プチ家出した事あるんだよね」

 一度言葉を区切ってから「この話、した事あったっけ?」と、幼馴染みに視線を寄越す。
 大は首を横に振ったが、樹はうんと頷く。
 朧気ながらも、なんとなく覚えている話だ。小学校三年生の三学期だと思う。電話越しで、姉(いずみ)が焦った様子を見せつつ、直哉に怒っていたのが印象に残っている。親に電話をかけない所に、当時から不信感を抱いていたようだ。
 隣に住む幼馴染みは、舞浜に行くんだと言って家を出たのはいいけど、片道分の切符代しか持たないまま出たので、帰るに帰れなくなったのだ。そんな事あるのかと思ったけど、帰ってきた直哉から、「お金は母親に預けていたお年玉をこっそりと持ち出した」と聞いた。そのポチ袋の中身が一部空だったと、着いてから気づいた、と。
 昔から、しっかりしているようで、少しつめが甘いのが直哉である。

「あの時は、たまたま親切にしてくれた人がいたおかげで、家に帰れたんだよねえ。帰りの切符代を出してくれたんだよ」

 切符代だけでなく、直哉が迷子にならないように最寄りの駅まで送ってくれたという親切ぶりだ。
 粗方、話を聞き終えた大が「んで?」と口を開く。

「金返したのか?」

「その人、返そうと思った時にはもう居なかったの」

 直哉を迎えに行った泉が、その人にお金を返そうとしたが、どこにも姿が見当たらなかった。樹も一緒に迎えに行ったから、その時の様子もなんとなく覚えている。
「改札を出た所までは一緒だった」と、直哉が言うので、三人で駅の中や近くのコンビニや店舗を覗いてみたが、その人らしい人は見つからず、「直哉が泉を見つけて駆け寄っている間に、ホームに戻って帰ってしまったのだろう」と諦めて、お金は返せず仕舞いだ。

「どんな人だったか覚えてねえの?」

「ぼんやりと」

「連絡先は?」

「貰ってるけど、教えない。誰にも教えちゃダメって言われてるから」

 直哉の返答に大はため息を吐き、呆れた様子を見せた。

「その気になりゃあ、返しに行けるじゃねえか」

「今もその連絡先使ってるとは限らないでしょう。本当に無理ってなった時に使いなさいって言ってたし。だから、向こうから来るように仕向けようと思った。俺が有名になれば、嫌でも顔を見て気づく日が来るだろうし」

 身長は勿論だが、顔立ちもあの頃よりは少し変わっている。が、強い口調の喋り方と大きな態度は変わっていないはずだ。
 ふふんと鼻を鳴らして、かつての家出少年は言い切る。
 ちゃらんぽらんとしているが、彼なりに考えているのだなと微笑ましく思いながら、幼馴染み二人は顔を見合わせた。

「その人が目の前に現れたらまずどうする?」

 樹が直哉に問いかける。
 直哉は「うーん」と首を捻りながら、天井を見上げる。

「とりあえず────」


「お金返したいよね」

 直哉がカメラの前で朗らかに笑って語る。
 多少省いた箇所はあるものの、番組の中で行われた練習生の自己紹介の中で、小学生の時に迷子になって見ず知らずの人に助けられた事を語った。
 番組が用意したアンケートの回答から、大幅に外れずに行われた自己紹介のコーナーは滞りなく進み、カメラも無事に回り終える。
「お疲れ様でした」「ありがとうござました」と挨拶交わす若い出演者とスタッフの様子を見ながら、鬼頭は難しい表情をして首を傾げていた。
 スタジオを見つめたまま、動きのない鬼頭に長年この番組を担当しているスタッフが声をかける。鬼頭も、この番組にはゲストとして、そして司会者として出ていたのでよく知る人物だ。

「気になる箇所でもありました?」

「いえ……」

 首を緩く横に振って、なんでもないという意思を見せる。
「なんでもないならよかった」と、スタッフが胸を撫で下ろしかけたところで、言葉を続けた。

「ただ……似たような話はどこにでもあるんだなと思っただけです」

 挨拶を終えた子どもたちが、とことこと鬼頭の所へ戻ってくるのが視界に入る。
 本番はやはり緊張したのか、多少どもってしまった箇所があったものの、概ねリハーサル通りに出来ていた。元々、気遣いと喋りが過ぎる子らだから、トークの面では心配していない。放送禁止用語さえ言わなければ問題ない。
 鬼頭は一度事務所へ戻るが、三人はこのまま直帰だ。子どもを引き取って近くの駅まで送ろうと動き始めたところで、先程のスタッフが再び口を開く。
 告げられたのは「女優が見に来ていた」という事。名を聞けば、随分前に鬼頭と写真を撮られた女だった。
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