大きな幕間
ホテルを出た途端「寒い」と言って、子どもが肩をすくめた。
十一月。秋までにあった夏の名残はとっくの昔に消えて、冬の空気が北から入り始めている。特に、今居る場所は海沿い。ひんやりとした海風が吹き抜けて、室内で温めた身体から一気に熱を持っていかれた。
この子どもは寒がりだ。なるべく風を通さない服を着させたつもりだが、まだ寒いようである。
上から下まで子どもの姿を観察して、どうやら首の回りが冷えるようだと認識した。タートルネックは首が絞まる感じがして嫌だというから、ゆったりとしたトレーナーを着せているのである。そこから隙間風が入って寒く感じるのだろう。
ぴいぴいと喚く子どもに「我慢しろ」と言おうとした矢先、一緒に来ていた俺の彼女の方が先に動いた。
自身が使うはずだったマフラーを、子どもの首にいそいそと巻いて、首の後ろで結んでやる。
ドラマの撮影の合わせて伸ばしていた黒髪が、マフラーからピョコピョコとはみ出てくすぐったそうだ。
「ママが風邪ひいちゃうよ?」
「私はストール持ってるから大丈夫よ」
マフラーを巻かれた子どもは、助けを求めるような視線を向けてきた。
彼氏(おれ)がいる手前、自分が巻かれていいものかどうか困っているのか、戸惑っているのか。見た目はいつものすまし顔だが、頭の中は情報が渋滞してパニックになっているのが手に取るようにわかる。
寒いならそのまま巻かれてろと、彼女の後ろで小さく頷く。
子どもはまだ混乱しているようだが、大人しく巻かれたままを選んだ。
「この髪の毛鬱陶しそうねえ。まだ切れないの?」
彼女は、子どもの顔にかかる前髪をよけてやりながら、俺に向けて口を開く。
俺の方はというと、ぴしりと子どもが身を固くしたのを見逃さなかった。
子どもの白い頬が赤く染まっているのは、空気が冷たいからだけではないだろう。
「珍しく照れてるな」とほくそ笑みつつ、「編集が完全に終わるまでは切れない」と答えた。
「追加で撮影があったりするからな」
「共演者が薬で捕まったりとか?」
少年の、形の良い頭に手を伸ばす。この子どもは、また身長が伸びてる。一体どこまで伸びる気なのだろう。昨年作った衣装が小さくなるほど伸びないでほしい。
子どもの無駄口を、頭をわしゃわしゃとかき混ぜることで黙らせる。
ホテルの目前にある駅に、白い車体のモノレールが滑り込んで来たのはその時であった。
子どもとは駅でお別れだ。今日は一日、子どもは幼馴染み二人と仕事の先輩三人と一緒に冒険とイマジネーションの海で遊ぶことになってる。その間、大人二人はホテルの前にある夢と魔法の王国で束の間の休日を過ごすのだ。二人だけで過ごすには賑やかな場所ではあるが、子どもの気配を感じながら過ごすには丁度良い。何か問題が発生すれば、直ぐに駆けつけられる距離だ。
駅のホームに上がる階段の下まで子どもを送り、何もしでかさないように念を押す。
「大ちゃんをいじめすぎないようにね。何かあったら、直ぐ連絡するのよ」
「先輩たちにも迷惑かけるなよ。後輩に頭下げる真似したくないぞ、俺」
「大丈夫! パパが頭下げに来たときは【ああ、お子様がついにやらかしたんだな】くらいにしか思われないから」
「特に向こうの副所長辺りとか」と、胸を張って告げる。
やらかす自信があるなら、大人しくしててくれ。
先程滑り込んで来た車体は見送ってしまったが、次のモノレールがまた直ぐにやってくる。
白い車体が、リゾートの玄関とも言える駅から滑り出る気配を察して、子どもは足取り軽く階段を上っていく。
リゾートの必需品を詰めたリュックを背負い、小さい頃父親に買って貰ったというダッフィーを抱いて。
子どもの顔を見れるのは夜になってからだ。十二時間以上先である。
大人たちの所に戻ってくる時、どんな表情をしてどんな土産を持って帰って来るのか楽しみにしながら、大人二人は王国の方へ足を踏み出した。