first stage ワタリガラスの止まり木

#ヴァンド

「プロデューサー?」

 樹と大は目を丸くして、パチパチと瞼を瞬かせる。
 頬っぺたをさんざん弄ばれた直哉は、鬼頭の背中に隠れて威嚇していた。
 プロデューサーを名乗る魔女は、レッスン室にあったパイプ椅子に腰掛け「そ!」と肯定する。

「朝田麦(あさだ むぎ)って言うの。よろしくね、ボクチャンたち」

「あさだ……」

「むぎ……?」

「声は米良寄りなのに?」

 直哉が横槍を入れると、朝田の片眉がつり上がり、鬼頭がすかさず直哉の額をペチりと叩いた。

「口の減らない坊っちゃんねえ。見た目だけじゃなく、中身も昔の誰かさんにそっくりだこと」

 ぎょろりとした目が直哉と鬼頭を捉える。

「はて。なんのことだか……」

「とぼけてんじゃないわよ。いい? この歳の子どもはスポンジみたいに頭やわやわなんだから、大人がしっかり手本を見せて良い面を吸収させなって前々から……」

 アイドルではなく、子どもの教育方針について一人語り始める麦を尻目に、ハル先生がこそりと樹と大に忍び寄った。

「朝田先生はね、昴さんや俺たちがずぶの素人だった頃からお世話になっている人だよ。ちょーっとだけ、ゆーめーじん!」

 ハル先生は、茶目っ気たっぷりで言葉を紡ぐ。
 大人たちが【朝田】と呼ぶ巨体な魔女は、現役だった頃の鬼頭昴とハル先生のプロデュースを一手に引き受け、芸能界の荒波を泳ぐ術を伝授した人でもあるそうだ。
 有名な音大の声楽科出身で、朝田本人の実力も高いものだが、自分でやるよりも他人にやらせる方が性格に合っていると気づいて、現在(いま)は若手芸能人を売り出す方に専念している。

「朝田麦が売り出した芸能人は、本人が悪い気さえ起こさなければ、最低でも二十年は活躍できると噂される。だから、新人を彼女に売り込みに来る事務所が多いんだけど、彼女にも仕事を選ぶ権利はある」

 ハル先生は言葉を区切ってから、二人に微笑んだ。

「おめでとう。君たちは先生に選ばれたみたいだよ」

「本当⁉」

「マジで⁉」

 少年二人は、丸くなっていた目をさらに丸くさせて、きらきらと顔を輝かせる。
 この世界に来たばかりで、レッスンも基礎の動きが多い。振り付けつきの歌唱も、採用試験でやるからという理由で習い始めた。まだまだヒヨコどころか、卵の殻も割りきれていないひよひよな子どもに、そんなに凄いプロデューサーが就くとは思わなかった。
 大人たちは想定していた展開なのだろう。けれど、子どもたちにとっては当たり前の展開も想定外の展開も、全てが初めての体験だ。
 素直な反応に、ハル先生の唇がより一層深い弧を描く。
 今にも小躍りしそうな二人に釘を刺すようにして、口を開いた。

「そのかわり、とっても厳しくなるから」

 ハル先生は、何をとは言わなかったが、察した二人はひえっと情けない声を発した。

「ああ、大丈夫大丈夫。なんとかなるよー。俺たちもついてるし、昴さんもいるし。身体痛めたら元も子もないし、オーバーワークにならないように注意して鍛えるから」

「つまり……、オーバーワークしない程度の厳しさでやると」

「ぶっちゃけ、今はどのくらいの厳しさなんだ? 他の人たちはもっと厳しく教わってるのか?」

「さあ? どうだろうねえ」

 ハル先生は言うだけ言って、レッスンの具体的な内容はほけほけとはぐらかす。

「せっかく先生が来ていることだし、レッスン見てもらう? 先生は事務所の人ではなく外部の人だから、ここへは滅多に来ないし」

「いい機会だと思うよ?」と、先生は朝田の方へ視線を送る。
 樹と大も、先生の動きに倣う。
 パチリと、朝田と視線が合う。
 女の厚ぼったい瞼が、片方だけばちんと落とされて、二人の背筋がぞわりと粟立った。


「まーったく。見た目は大人でも、中身はまだまだ子どもね」

 鬼頭が、雨風が舞う夜の街から、朝田を迎えに来た車へ向ける。
 言葉の主は、言葉では呆れた様子を見せているが、表情は思う存分遊んだ子どものそれだ。彼女の脳裏には、レッスンで体力を奪われ、床にベッタリと倒れた三人の姿が浮かんでいることだろう。
 楽しそうな表情のまま、正面玄関に横付けされた車に大きな身体を押し込む。広い後部座席が、彼女一人乗っただけでぎゅうぎゅう詰めだ。
 鬼頭がドアを閉じてやろうとした寸前。
 先生が、唇を三日月の形にしたまま、見送りに出向いた鬼頭を見上げる。

「あんたも復帰してくれていいのよ。今年、十五周年でしょ。レコード会社からも、カバーでもベストでもなんでもいいから、アルバムくらい出したらどうだっていう話し来てるのよ?」

「引退した身です」

「引退した芸能人が復帰するなんて、よくある事じゃない」

 十年目できらびやかな衣装を脱ぎ、スーツを頻繁に着るようになってからもう五年。辞めなければ、今も第一線で後輩を牽引していたことだろう。鬼頭も自覚している箇所だ。
 変化がなければ、まだ続けていた。
 変化があったから、辞めたのだ。
 最後に見たステージからの景色と、喉元までせり上がってきた衝動を、辞めた今もよく覚えている。
 一人になる前に聞いた慟哭も、耳にこびりついたままだ。

『すまない………すまない、鬼頭──』

「あと十年は稼がせてもらえたのにな」と嘆息する気配がする。
 朝田に意識を戻すと同時に、彼女は言葉を続けた。

「まっ! 今はあんたよりもおチビさんたちの方ね。昔のあんたたちよりは素直で、教える方もやりがいがあるってもんよ!」

 鬼頭は、指導者の言葉に首を捻った。

「俺たちも…………素直だったと思うんですけど」

「素直なやつは、十周年を投げ出したりしないのよ。じゃ、あの子達よろしく頼むわね。来週からは、ハルもツアーでいないんだし。私も、夏の特番の準備で忙しいし……くれぐれもトラの時みたいな事は起こさないように」

「わかってます」

「それから、ここに居るハイエナなんだけど、私の方で預かるわ。あれは鍛え直せば伸びるわよ」

 鬼頭は、先生の口から出た提案に、眉を寄せた。
 ハイエナの件は初耳である。

「上の了解取ってるんですか?」

「なんとかするわよ」

 自信満々に言いきった言葉を最後にして、ドアを閉めるよう促される。
 弱くなった雨の中、魔女みたいな女を乗せた車が滑るように動き出した。
 テールランプが視界から完全に消えるのを待ってから、雨に濡れた街を眺める。
 雨のせいか、水が光を反射していつもよりも眩しい。
 最後に見た景色も、青いペンライトがきらきらと輝くものだったなと思いながら、中へと戻った。
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