first stage ワタリガラスの止まり木
#ヴァンド
六月に入ってから、ざばざばと雨が降る日が増えた。
「雨やっべえー!」
和成はコンビニの袋を抱えて、エントランスに飛び込む。
レインコートを羽織っていたものの、無防備な頭とズボンは雨水でびしゃびしゃだ。
晴れていればまだ明るい時間帯だが、雨降りの今日は既に薄暗く、車もライトを点けて走っている。
「えらい目にあった」と呟きつつ、雨が当たらないようにと抱えていた袋を覗いた。
中に入っているのは、おにぎりや太巻きにサンドイッチ、惣菜パンと腹に軽く入れるものばかりだ。学校を終えて、夕方からレッスンを受けている少年三人と、ハル先生と鬼頭への差し入れだ。
和成はこの差し入れを渡したら退勤。少年たちのレッスンの関係上、昼から出勤だった鬼頭は退勤までもう少しかかる。
一応多めには買ったが、育ち盛りかつ運動をしている子どもたちに足りるかどうかは謎だ。
早く届けてあげようと一歩踏み出したところで、自動ドアが開く音が耳に入る。
外に出ていた他の社員が戻ってきたのだろう。
「お疲れ様です」と自動ドアを振り返った時、ぎらぎらとした目映い光りに襲われた。
「雨すっげぇな」
花房は、窓を濡らす雨粒を見ながらぼそっと漏らす。
「あーやだやだ。駅まで歩くのだりぃーな、おい。こういう天気の時は車通勤の奴が羨ましいわ」
ちらりと、自分の席でパソコンの画面と向き合う鬼頭を盗み見る。
視線に気づいた鬼頭は、一度花房の顔を見てから、またパソコンに視線を戻した。
「送りませんよ」
「そこをなんとか、駅まででいいから」
「いやです」
「お前……お前なあぁあー。彼女から【送ってくれ】って連絡が来たらどうするんだよー」
「それとこれとは話が違います」
「そもそも、俺に彼女はいません」ときっぱりはっきり返すと、納得がいかない唸り声が事務室に響いた。
「いつも、そこの定食屋で会うっていう女はなんなんだ⁉」
「あれはたまたま……というか、受け持ってる子どもの姉ですよ、姉」
姉以外の何者でもない。それ以上でもそれ以下でもない。
お堅い態度に、花房はやれやれと両手を広げ、肩を上下させる。
「かわいくねえな、お前も。んじゃなにか、あの表にいる輩たちも、後輩らの身内なら特別扱いするんかい?」
現役の頃から、プライベートではファンに慈悲も何も与えなかった男(やつ)が。
烏の眼光が花房を射抜く。
本気で人間を殺す目をしていた。手加減一切無しだ。
「おー怖い、怖い」と竦み上がるふりをしながら、花房は続ける。
「いい加減……退去命令なり、なんなり出して、表の連中退かしてくれよ。毎年のことだが、六月に入ってから数が増えてるぞ」
「……警察に頼んでください」
鬼頭は、今までの鬱憤と今日一日で溜まったストレスを、深い息に混ぜて吐き出す。
「この問題児が」と、花房も息を吐き出したところで、どたどたと廊下を走る音が閉めきった事務室に届いた。
「なんだぁあ? また和成か⁉」
「【また】ってなんですか⁉」
和成がバタンと開いたドアから駆け込むと同時に言葉を放つ。
「やっぱり和成だった」と鬼頭は呆れ、花房は「よく聞こえたな」と感心してみせた。
「顔に書いてあるんですよ! 顔にーーーー!」
今にも膝から床に崩れ落ちそうな、魂が込められた突っ込みである。
鬼頭は、わあわあと暴れそうな後輩を、よしよしと飴を与えて落ち着かせた。
「で、お前慌ててどうした? 差し入れを買いに行ったんだろう?」
「あ、そうでした! これ差し入れです!」
鬼頭に、抱えていたコンビニの袋を押し付けるようにして渡し、わたわたとした口調で言葉を続ける。
二人のやり取りを聞きながら、花房は開け放たれたままの扉にふと視線を向けた。
ゆらりと動く人影が、ゆっくりとした動作で戸を潜る。
人影の顔を確認してから、花房はあんぐりと口を開いた。
横幅は成人女性の平均を大きく越え、身長も成人男性の平均に匹敵する。顔の化粧は厚く、ライトを照らしていないのに真っ白だ。くるくると細かく波打つ髪は紫色で、頭の骨に沿って短く整えている。首にある金色のネックレスと、細い指につけられた石と見間違えそうなごつごつとした太い指輪が目に痛いほど輝いていた。光沢感の強い黒いワンピースを着ているせいか、見た目は完全にどっかのアニメ映画にいる魔女のそれだ。
「相変わらず、むさ苦しい事務所ねえ」
書類やファイルで散らかり放題の机を目に留め「整理整頓も行き届いていない」と、嘲笑する様子を見せた。
入室してきた人物を目にして、鬼頭の口からも蛙が瞑れた時の声が漏れる。
そして、和成に尖った視線を向けた。
「和成……」
「は、はい!」
「お前、なんて人を連れて来てくれたんだ」
「すんませんっ!」
ぎょろりとした目が、鬼頭に向けられる。
「あら」と、形の良い唇がわざとらしく開かれた。
「捜したわよ、昴ちゃん。それで? 私の可愛い獣ちゃんたちはどこにいるのかしら?」
「はあ?」
首を捻る鬼頭に、魔女みたいな人間はどすどすと歩み寄る。
「マサハルから聞いてるわよ。私にプロデュースさせてくれるんでしょう? ちょうど近くを通ったから寄ったわ」
にたりと、魔女の口角がつり上がった。
六月に入ってから、ざばざばと雨が降る日が増えた。
「雨やっべえー!」
和成はコンビニの袋を抱えて、エントランスに飛び込む。
レインコートを羽織っていたものの、無防備な頭とズボンは雨水でびしゃびしゃだ。
晴れていればまだ明るい時間帯だが、雨降りの今日は既に薄暗く、車もライトを点けて走っている。
「えらい目にあった」と呟きつつ、雨が当たらないようにと抱えていた袋を覗いた。
中に入っているのは、おにぎりや太巻きにサンドイッチ、惣菜パンと腹に軽く入れるものばかりだ。学校を終えて、夕方からレッスンを受けている少年三人と、ハル先生と鬼頭への差し入れだ。
和成はこの差し入れを渡したら退勤。少年たちのレッスンの関係上、昼から出勤だった鬼頭は退勤までもう少しかかる。
一応多めには買ったが、育ち盛りかつ運動をしている子どもたちに足りるかどうかは謎だ。
早く届けてあげようと一歩踏み出したところで、自動ドアが開く音が耳に入る。
外に出ていた他の社員が戻ってきたのだろう。
「お疲れ様です」と自動ドアを振り返った時、ぎらぎらとした目映い光りに襲われた。
「雨すっげぇな」
花房は、窓を濡らす雨粒を見ながらぼそっと漏らす。
「あーやだやだ。駅まで歩くのだりぃーな、おい。こういう天気の時は車通勤の奴が羨ましいわ」
ちらりと、自分の席でパソコンの画面と向き合う鬼頭を盗み見る。
視線に気づいた鬼頭は、一度花房の顔を見てから、またパソコンに視線を戻した。
「送りませんよ」
「そこをなんとか、駅まででいいから」
「いやです」
「お前……お前なあぁあー。彼女から【送ってくれ】って連絡が来たらどうするんだよー」
「それとこれとは話が違います」
「そもそも、俺に彼女はいません」ときっぱりはっきり返すと、納得がいかない唸り声が事務室に響いた。
「いつも、そこの定食屋で会うっていう女はなんなんだ⁉」
「あれはたまたま……というか、受け持ってる子どもの姉ですよ、姉」
姉以外の何者でもない。それ以上でもそれ以下でもない。
お堅い態度に、花房はやれやれと両手を広げ、肩を上下させる。
「かわいくねえな、お前も。んじゃなにか、あの表にいる輩たちも、後輩らの身内なら特別扱いするんかい?」
現役の頃から、プライベートではファンに慈悲も何も与えなかった男(やつ)が。
烏の眼光が花房を射抜く。
本気で人間を殺す目をしていた。手加減一切無しだ。
「おー怖い、怖い」と竦み上がるふりをしながら、花房は続ける。
「いい加減……退去命令なり、なんなり出して、表の連中退かしてくれよ。毎年のことだが、六月に入ってから数が増えてるぞ」
「……警察に頼んでください」
鬼頭は、今までの鬱憤と今日一日で溜まったストレスを、深い息に混ぜて吐き出す。
「この問題児が」と、花房も息を吐き出したところで、どたどたと廊下を走る音が閉めきった事務室に届いた。
「なんだぁあ? また和成か⁉」
「【また】ってなんですか⁉」
和成がバタンと開いたドアから駆け込むと同時に言葉を放つ。
「やっぱり和成だった」と鬼頭は呆れ、花房は「よく聞こえたな」と感心してみせた。
「顔に書いてあるんですよ! 顔にーーーー!」
今にも膝から床に崩れ落ちそうな、魂が込められた突っ込みである。
鬼頭は、わあわあと暴れそうな後輩を、よしよしと飴を与えて落ち着かせた。
「で、お前慌ててどうした? 差し入れを買いに行ったんだろう?」
「あ、そうでした! これ差し入れです!」
鬼頭に、抱えていたコンビニの袋を押し付けるようにして渡し、わたわたとした口調で言葉を続ける。
二人のやり取りを聞きながら、花房は開け放たれたままの扉にふと視線を向けた。
ゆらりと動く人影が、ゆっくりとした動作で戸を潜る。
人影の顔を確認してから、花房はあんぐりと口を開いた。
横幅は成人女性の平均を大きく越え、身長も成人男性の平均に匹敵する。顔の化粧は厚く、ライトを照らしていないのに真っ白だ。くるくると細かく波打つ髪は紫色で、頭の骨に沿って短く整えている。首にある金色のネックレスと、細い指につけられた石と見間違えそうなごつごつとした太い指輪が目に痛いほど輝いていた。光沢感の強い黒いワンピースを着ているせいか、見た目は完全にどっかのアニメ映画にいる魔女のそれだ。
「相変わらず、むさ苦しい事務所ねえ」
書類やファイルで散らかり放題の机を目に留め「整理整頓も行き届いていない」と、嘲笑する様子を見せた。
入室してきた人物を目にして、鬼頭の口からも蛙が瞑れた時の声が漏れる。
そして、和成に尖った視線を向けた。
「和成……」
「は、はい!」
「お前、なんて人を連れて来てくれたんだ」
「すんませんっ!」
ぎょろりとした目が、鬼頭に向けられる。
「あら」と、形の良い唇がわざとらしく開かれた。
「捜したわよ、昴ちゃん。それで? 私の可愛い獣ちゃんたちはどこにいるのかしら?」
「はあ?」
首を捻る鬼頭に、魔女みたいな人間はどすどすと歩み寄る。
「マサハルから聞いてるわよ。私にプロデュースさせてくれるんでしょう? ちょうど近くを通ったから寄ったわ」
にたりと、魔女の口角がつり上がった。