first stage ワタリガラスの止まり木
#ヴァンド
しとしとと、細い筋の雨が町内を濡らす。
空はどんよりとした灰色の雲が広がり、半袖では肌寒く感じた。
まだ梅雨には入っていないが、天気予報を見る限り時間の問題だ。晴れの日もあるが、曇りと傘のマークも目立ってきた。
樹は大と共に、ぴちゃぴちゃと屋根から滴る水音を耳にしながら、お寺の階(きざはし)に腰かける。このお寺は、大の祖父が管理しているお寺で、観光客が来るようなものではなく地域のお葬式やそれに関する行事等で使われている小さいお寺だ。集会場みたいなものだ。
樹は、持ってきたタブレットに視線を落とす。
検索しているのは、現役時代の鬼頭昴の動画だ。結局、泉からは借りられなかったので(再度お願いするのも怖いので)、自分たちでどうにかしようという結論に至った。
「やっぱすくねぇな、現役だった頃のマネージャーの動画」
大が横から覗き見て、肩を落とす。
見つかるのは違法サイトばかりで、公式の物は極端に少なかった。
「まあ、アイドルの画像とか動画自体なかなか載せないよね。よくないファンが拾って無断転載しちゃうだろうし。アプリ使って加工とかして【拾い画でーす】みたいなこととかさ」
「……そんな事するやついるのか」
「いるよ。加工でツーショット画像とかにして恋人みたいなふりしたり、吹き出し使ってアイドルが甘い言葉言ってる風にしたり。二次元のキャラ使ってやってる人もいるし」
「闇深」
「深いし、怖いよー。周囲が見えなくなったファンは特にね」
「だから、俺たちも気をつけないといけないよ」
ぱしゃんという足音と共に、後からやって来た少年の声が響く。
二人が顔を上げると、直哉が傘を片手にひらひらと手を振っていた。
「HELLOー」
「出たな、サボり魔」と、大が顔をしかめる。
樹は「まあまあ」と大を宥めさせてから、直哉に視線を移した。
「雨当たるよ。上がれば?」
「そうする。ところでさ、ご注文の品はこちらですか?」
大を押し退けて階に座るなり、肩から提げていたリュックからDVDを取り出す。
パッケージに載っているのは、自分たちのマネージャーだ。
樹と大は目を丸くして、直哉を見る。
「ゲットシテキタヨー」
三人は大の祖父宅へ移動し、和室を陣取る。
使用許可は、家に上がった時に祖母から貰ってる。
今日は祖父も、同居中の伯父家族を留守らしく、祖母一人で留守を預かっていたらしい。
この面子で遊ぶのはいつもの事なので、祖母は何も不思議に思わず、むしろ大に「茶菓子を持っていけ」「お茶を出せ」とあれこれ指示していたくらいだ。
「ばあばめ、あの様子じゃ当分死なねえな」
と、大は和室のブルーレイレコーダーにDVDを差し込んだ。
「そういうこと言うもんじゃないよ、大ちゃん。元気なのは良いことだよ」
「近い将来枕元に立たれるよ」
直哉の冗談に「それは勘弁」と、寺の孫は真顔で返す。
黒く染まった画面に光が点る。
DVDを製作した会社のロゴ、その後に事務所のロゴが表示され、 一瞬の間の後に、暗い空間がぼんやりと浮かび上がる。
屋内で行われたライブであると、先に映像を観ていた直哉が説明した。
「一番最後にやったやつだって。ワンマンだけど、ゲストもちょいちょい出てくる」
樹は、直哉の話を耳に入れつつ、画面に集中する。
暗い中でちらちらと振られているのは、深い海の色に似た青いペンライト。
主役の登場を、今か今かと待つファンの高揚が、画面からでも伝わってくる。
その気持ちに応えるようにして、最近慣れ始めた男の声が、鼓膜を震わせた。
画面に映るのは、間違いなく自分達のマネージャーだ。眼鏡をかけておらず、髪型も違うけれど、立ち姿から彼だと察せた。
声が届く度に肌が粟立つ。
聞き覚えがある歌と、同じく聞き覚えがある歌声。
遠い昔から、耳にしていた気がする不思議な響き。
画面に映る男は、スーツ姿で事務所を闊歩する姿とまるで違う。
男の歌には力があり、それでいて視線は光の粒一つ一つに丁寧に向けられている。
湧く歓声を自分の物にして、広がる海を前に、堂々と音を、声を届ける。
アイドルはユニットで活動する事が多いのに、男は一人で大きなステージに立ち、歌と言葉を巧みに使って、観客の心を踊らせる。
テレビの音量はいつもよりも低く設定してある。それなのに、観客の歓声が耳に痛いほど響いた。
「すっげぇな、マネージャー。オレたち、あれやらされるのか?」
「耳が痛い」
大と樹が怯んでいると、直哉は「そうだよ」と首を縦に動かす。
「でも、このライブの規模はまだ小さい方。それに……この鬼頭さん、ちょっと苦しそう」
「苦しそう?」
大に聞き返されて、直哉は再度首を動かす。
「楽しいよりも、義務でやってる感がある」
仕事だから、義務でやってる部分があるのは致し方ない事だとは思うけれど、その義務感を隠して、訪れている観客に夢を見させるのが芸能の仕事だ。と、直哉は持論を展開させる。
緊張感が伝わるのもそれはそれでまた良いのだろうけど、見ていて気疲れするステージは頂けない。
樹は直哉の言葉を聞いて、頭の先からざっと血の気が引く。
まだステージに立つどころか、正式採用の試験も終えていないのに、手の先足の先からどんどん冷えてきて、身体が震える。
ステージに立った自分の姿と、目前に広がる光の粒を想像して、頭が真っ白になった。
「どうしよう……」
「どうした、たっちゃん?」
「俺、無理かも……隠せる自信ない……」
義務感どころか、緊張感も隠せない。
青い顔をして告げると、直哉がもっちりと樹の両頬を摘まむ。
「落ち着いて、樹。樹のメンタルがひよひよのヒヨコちゃんなのは、俺たちがよ──────────くわかってるから」
「…………ヒヨコちゃん?」
首を傾げる樹に、直哉が力強く二回頷く。
「まあ確かに…………。たっちゃん保育園の頃からいざってところでずっこけてるもんなあ。体操教室の発表会で着地ミスったりとかー、音楽集会の司会で噛んだりとかー、……運動会はなんかあったっけ?」
「俺と二人三脚したら、急に揃わなくなってびっくりした。五年生の時だっけ? 転ぶかと思ったぁ、ずっこける前にブレーキかけて正解」
「あの時は本当にお騒がせしました」
揃わなくなった瞬間、直ちに足を止めさせた直哉の機転に、樹は頭を下げるしかない。
「でも、六年生の時の鼓笛パレードはちゃんと出来てただろう? 大フラッグ。中学の合唱祭も問題なく歌えてたし」
「鼓笛はほら、出てる人数が多いから。合唱祭もクラス単位だし……」
大人数なら、見てる側の視線がばらばらになるので、樹一人に集中することはない。が、一人で立つ発表会や音楽集会の司会はどうしても見られてる事がわかってしまうので緊張する。そして、頭が真っ白になって、自分が何をしてるのかわからなくなってしまうのだ。高校受験の面接の時も、何を聞かれて何と答えたか覚えてない。
こんな調子で、採用試験大丈夫だろうか。
直接見るのはマネージャーだけとはいえ、本人の前で本人の曲を披露する度胸を樹はきっと持ち合わせていない。
空手の試合で入賞した直哉や、合唱祭で伴奏を任された大と比べると精神面の弱さが際立つ。
マネージャーは知っているのだろうか。知っているのだとしたら鬼である。あ、名字に鬼って入ってたわ。鬼の頭だ。
鬼はもう一人いるけれど。
樹は、もちもちと頬を摘まんだままの少年に視線を向ける。
「直ちゃんみたいになりたかったな……」
同じように育ったのに、この差はなんなんだろうか。
樹が肩を落とそうとした刹那、頬を摘まむ指に力が入った。
「イデデデデ…………!」
「樹のお馬鹿! 俺みたいにならなくていいのっ!」
「そうだぞー、性格悪くなるぞー」
大が、祖母に持たされたサラダ煎餅片手に続ける。
間。
空手経験者の手刀が、大の脳天に入った。
「いいですか、兵藤樹くん。君の魅力は、ヒヨコメンタルに隠された肉食力だよ」
「肉食力?」
樹が聞き返すと、直哉の目が据わった。
「俺が知らないとでも思ってるの? 中学の時、女子食いまくってたでしょ。来るもの拒まず去るもの追わずな、菩薩みたいに優しいと評判だった樹くん」
「ああ、その事か」と、樹は頬をひきつらせた。
「……一応、同級生は食わないっていう線引きはしてたよ」
「それは初めて知った」
直哉は一息吐いて、視線をテレビに移す。
マネージャーのライブはまだ終わっていない。
アイドルが放つキラキラとした空気に包まれて、音楽を届けている。
「樹は、俺みたいにならなくていいよ。あそこに居る鬼頭さんみたいになるのは、俺の役だろうから」
「たぶん」と小さく付け加えて、直哉は真っ直ぐな視線を樹の顔に突き刺す。
「樹は中身肉食だけど、見た目は草食なロールキャベツなんだからさあ、そのギャップをいかそうよ。ヒヨコメンタル無くすのモッタイナイ」
「……ヒヨコメンタル弄りたいだけでは?」
「キャラ付けは大事って話しだよ。ほら、見た目可愛くて中身がアレな鳥が北海道に居たじゃない?」
自分のリュックをがさごそと弄り、中から英文で書かれた絵はがきを取り出す。はがきには、白くもふっとした尾羽の長い小鳥が描かれていた。
北の国を代表する鳥の一種、シマエナガだ。
「もしかして……シマエナガのこと?」
「そうそう。見た目ふわふわで大人気の鳥さんだけど、脂身が大好物なの。ね? 誰かさんみたいでしょ?」
今度は樹の目が据わる番である。
この男、やはり弄りたいだけではないか?