first stage ワタリガラスの止まり木
#ヴァンド
直哉は、鬼頭が買ってきたチーズバーガーのセットをもさもさと食べ終えると、ゴロゴロとソファーに転がって、時間を持て余している様子を見せた。
「暇」という一言が、子どもからこぼれ出た。
「暇の前に、お前は制服を着替えろ」
制服のまま昼飯を食べるのは目を瞑ったが、そのまま横になるのは少々お行儀が悪い。
変な癖がついて、衣装のまま楽屋でごろ寝されたらと思うと、ひやりとした汗が流れ落ちる。衣装代もタダではないのだ。
言葉を聞いた子どもは、口をへの字に曲げた。
「着替えなんていい物、持ってきてない」
「俺の着てないやつ貸してやるから、さっさと着替えろ」
持ってないことくらい、見ればわかる。
「面倒です」と顔に出ている子どもを、物置代わりにしている和室へ引きずる。
和室に置いてあるのは昔着ていた服と、先輩や同期、自分のプロデューサーから貰ったCDやDVDに雑誌、そして服。自分で買ったCDとDVD、暇潰しで買った本や出演したドラマや映画の原作本も置いている。
壁に並んだ衣装ケース、積み上がった雑誌と会社の書類で、畳が見える範囲が少ない。
雑然とした景色に、子どもが「わあ」と吐き出す。
「貴重面に見えて……」
「雑で悪かったな」
元々、この部屋は母親が来た時くらいしか整理しないんだよ。
ぶつくさと返しつつ、子どもが着れそうな部屋着を衣装ケースから探し出す。
春物の長袖と、スウェットのズボンを渡しておけば夜まではなんとかなるだろう。
服片手に直哉の方を見ると、少年はCDとDVDを収納しているラックの前で、がさごそと無断で物色していた。
「こら。人の物を勝手に、」
「これ見ていいですか?」
大人の言葉を遮り、片手に持ったドラマのDVDを見せる。
なにかと思えば、鬼頭が主演した指揮者を目指す大学院生のドラマだ。十年は経ってないが、五年以上前の作品であることは間違いない。
母の好きな俳優がわんさかと出ているドラマで、「DVDBOXが欲しい」と請われて買ったのだ。前回、母が訪ねて来た時にてっきり田舎の祖母宅へ持ち帰ったと思ったのだが、置いたままにして行ったらしい。封は開いているので、一応目は通したのだろう。滞在している間に再生して満足したといったところか。
「あのババア……」
「ばばあ?」
「なんでもない、こっちの話だ。見てもいいから、さっさと着替えろ。制服に埃がつくだろ?」
「鬼頭さんがちゃんと掃除してないから、埃まみれになっちゃうんです。泉さんが見たら……幻滅しちゃうぞ」
「サイテーって感じ?」と、子どもが彼女の反応を予想して首を傾けた。
対する大人は、心臓が変な跳ね方をして、心拍の調子が崩れた。
「おま……⁉ 何でその名前をここで出すかな!」
「えぇーえ? だってさあー、バレバレだよー。いい歳した大人が、駅まで送ったり、会社までお弁当持つの手伝ったり…………下心見え見えー」
不潔な物でも見たかのような反応に、大人のこめかみ付近にある血管がぴくぴくと浮き上がった。
そもそも、下心なんか持っていない。
この子どもは、どこでその情報を手に入れたのか。
問い詰めたら「泉(ほんにん)から聞いた」と返ってきた。
「親切な人間(ひと)ねえって言ってました」
「親切な人間?」
言葉を繰り返せば、子どもはうんうんと首を縦に振る。
「このままだと、親切な人間止まりで終わりそうですね。俺が貰っていいですか?」
「駄目」
「なんでよー⁉」
「歳の差考えろ。そもそも、お前は結婚に向いてる性格してねえ」
「その言葉そっくりそのまま返していい?」
人の神経を逆撫でする言葉ばかり返す子どもである。
このままでは、子どものペースに乗せられたまま、いらぬことまで言ってしまいそうだ。
気持ちを落ち着ける為に深い呼吸を何度か繰り返して、子どもに着替えを促す。
「あ、待って。こっちのライブDVDも気になる。誰の?」
「先に着替えなさい」
日が暮れて、窓の外はすっかり暗くなっていた。時刻も七時半を過ぎている。
昼前に押し掛けて来た直哉は、学校から下校する時と似た時刻に帰ると言って、一時間ほど前に家を出た。
「実家まで送るか?」と匿った身として一応聞いたのだが、「母親にバレたら面倒だから」という理由で、乗り換えで使う駅まで送り、その帰りついでに夕飯を買って、今しがた戻って来た。
子どもに貸していた服を洗濯機に投げ込む。
あの少年の高校生活は始まったばかりである。家出の理由が家庭の事情なだけに、この先も逃げて来る気がしてならないのだ。母親と関係を修復するか、または縁を切るかでもしない限り解決しない問題だ。また来てもいいように、何着か直ぐ着れる物を用意しておいて損はない。
服なら、かびるほどある。
雑然とした和室と「幻滅されちゃうぞ」と何故か胸に突き刺さった子どもの言葉を思い出して、ちょっと片付けようと思った。
先輩から貰った服は、後輩に横流ししてもいい気がする。和成辺りに与えてみるか。
「服も買えないほど困ってる後輩、どこかに落ちてないかな」と考えながら和室に入ったところで、ディスク物を収納しているラックに違和感を覚える。
昼見たときよりも、ケースの数が減って見える。
日中、直哉が見ていた物は、本人の手で元あった場所に戻させたはずだ。戻す場所を間違えられたか。
何が無くなったのかと、積み上がったDVDやCDを確認する。
そして、気づいた。
「俺のライブとCDが無い……?」
直哉は、鬼頭が買ってきたチーズバーガーのセットをもさもさと食べ終えると、ゴロゴロとソファーに転がって、時間を持て余している様子を見せた。
「暇」という一言が、子どもからこぼれ出た。
「暇の前に、お前は制服を着替えろ」
制服のまま昼飯を食べるのは目を瞑ったが、そのまま横になるのは少々お行儀が悪い。
変な癖がついて、衣装のまま楽屋でごろ寝されたらと思うと、ひやりとした汗が流れ落ちる。衣装代もタダではないのだ。
言葉を聞いた子どもは、口をへの字に曲げた。
「着替えなんていい物、持ってきてない」
「俺の着てないやつ貸してやるから、さっさと着替えろ」
持ってないことくらい、見ればわかる。
「面倒です」と顔に出ている子どもを、物置代わりにしている和室へ引きずる。
和室に置いてあるのは昔着ていた服と、先輩や同期、自分のプロデューサーから貰ったCDやDVDに雑誌、そして服。自分で買ったCDとDVD、暇潰しで買った本や出演したドラマや映画の原作本も置いている。
壁に並んだ衣装ケース、積み上がった雑誌と会社の書類で、畳が見える範囲が少ない。
雑然とした景色に、子どもが「わあ」と吐き出す。
「貴重面に見えて……」
「雑で悪かったな」
元々、この部屋は母親が来た時くらいしか整理しないんだよ。
ぶつくさと返しつつ、子どもが着れそうな部屋着を衣装ケースから探し出す。
春物の長袖と、スウェットのズボンを渡しておけば夜まではなんとかなるだろう。
服片手に直哉の方を見ると、少年はCDとDVDを収納しているラックの前で、がさごそと無断で物色していた。
「こら。人の物を勝手に、」
「これ見ていいですか?」
大人の言葉を遮り、片手に持ったドラマのDVDを見せる。
なにかと思えば、鬼頭が主演した指揮者を目指す大学院生のドラマだ。十年は経ってないが、五年以上前の作品であることは間違いない。
母の好きな俳優がわんさかと出ているドラマで、「DVDBOXが欲しい」と請われて買ったのだ。前回、母が訪ねて来た時にてっきり田舎の祖母宅へ持ち帰ったと思ったのだが、置いたままにして行ったらしい。封は開いているので、一応目は通したのだろう。滞在している間に再生して満足したといったところか。
「あのババア……」
「ばばあ?」
「なんでもない、こっちの話だ。見てもいいから、さっさと着替えろ。制服に埃がつくだろ?」
「鬼頭さんがちゃんと掃除してないから、埃まみれになっちゃうんです。泉さんが見たら……幻滅しちゃうぞ」
「サイテーって感じ?」と、子どもが彼女の反応を予想して首を傾けた。
対する大人は、心臓が変な跳ね方をして、心拍の調子が崩れた。
「おま……⁉ 何でその名前をここで出すかな!」
「えぇーえ? だってさあー、バレバレだよー。いい歳した大人が、駅まで送ったり、会社までお弁当持つの手伝ったり…………下心見え見えー」
不潔な物でも見たかのような反応に、大人のこめかみ付近にある血管がぴくぴくと浮き上がった。
そもそも、下心なんか持っていない。
この子どもは、どこでその情報を手に入れたのか。
問い詰めたら「泉(ほんにん)から聞いた」と返ってきた。
「親切な人間(ひと)ねえって言ってました」
「親切な人間?」
言葉を繰り返せば、子どもはうんうんと首を縦に振る。
「このままだと、親切な人間止まりで終わりそうですね。俺が貰っていいですか?」
「駄目」
「なんでよー⁉」
「歳の差考えろ。そもそも、お前は結婚に向いてる性格してねえ」
「その言葉そっくりそのまま返していい?」
人の神経を逆撫でする言葉ばかり返す子どもである。
このままでは、子どものペースに乗せられたまま、いらぬことまで言ってしまいそうだ。
気持ちを落ち着ける為に深い呼吸を何度か繰り返して、子どもに着替えを促す。
「あ、待って。こっちのライブDVDも気になる。誰の?」
「先に着替えなさい」
日が暮れて、窓の外はすっかり暗くなっていた。時刻も七時半を過ぎている。
昼前に押し掛けて来た直哉は、学校から下校する時と似た時刻に帰ると言って、一時間ほど前に家を出た。
「実家まで送るか?」と匿った身として一応聞いたのだが、「母親にバレたら面倒だから」という理由で、乗り換えで使う駅まで送り、その帰りついでに夕飯を買って、今しがた戻って来た。
子どもに貸していた服を洗濯機に投げ込む。
あの少年の高校生活は始まったばかりである。家出の理由が家庭の事情なだけに、この先も逃げて来る気がしてならないのだ。母親と関係を修復するか、または縁を切るかでもしない限り解決しない問題だ。また来てもいいように、何着か直ぐ着れる物を用意しておいて損はない。
服なら、かびるほどある。
雑然とした和室と「幻滅されちゃうぞ」と何故か胸に突き刺さった子どもの言葉を思い出して、ちょっと片付けようと思った。
先輩から貰った服は、後輩に横流ししてもいい気がする。和成辺りに与えてみるか。
「服も買えないほど困ってる後輩、どこかに落ちてないかな」と考えながら和室に入ったところで、ディスク物を収納しているラックに違和感を覚える。
昼見たときよりも、ケースの数が減って見える。
日中、直哉が見ていた物は、本人の手で元あった場所に戻させたはずだ。戻す場所を間違えられたか。
何が無くなったのかと、積み上がったDVDやCDを確認する。
そして、気づいた。
「俺のライブとCDが無い……?」