first stage ワタリガラスの止まり木
#ヴァンド
昼を過ぎる前、来客の予定がないのにインターホンが鳴り響いた。
自宅はオートロック式のマンションだ。来客者は一度エントランスで足止めをされる。部屋の主が鍵を解除しなければ、マンションの居住地に入る事はできない。
宅配が来る予定も無かったので、宗教か新聞の勧誘だろう。輩の可能性もある。
居留守を使うか。その前にどんな奴が来たのか確認してやろうか。
鬼頭はモニター越しから、エントランスに居るであろう来客者の顔を見る。
画面に映っていたのは、鬼頭が抱えている少年の中で、一番生意気な子どもの姿だった。
すました表情で、直哉は鬼頭宅のリビングにあるソファーに腰かける。
平日の真昼。着ている衣服は制服だ。鬼頭は直哉がエントランスから上がってくるまでの間に、何度かカレンダーを確認した。間違いなく今日は平日で、学校も通常通りである。
鬼頭は、訪ねて来た少年の顔を見下ろしながら口を開いた。
「お前、学校はどうしたんだ?」
「サボりました」
表情を変えずに、直哉は答える。
悪びれた様子はない。学校を休んだことを後悔している様子もない。
つんとした表情の少年を前にしたまま、家主は大きく息を吐き出す。
「今からでも行ったらどうだ? 家帰って着替えても、午後の授業には間に合うだろう」
「行く気分じゃない」
ばっさりきっぱりと、大人の提案を切ってきた。
つんとした表情が、僅かに崩れる。
直哉の眉間にぎゅっとシワが寄り、少年は膝を抱え込んだ。
「今日はそういう気分じゃない……」
頑なに「行きたくない」と繰り返し、黙り込んでしまう。
レッスンの時には見ない反応であった。レッスン時の少年は、先生の言うことをよく聞いて、乱れた部分は直ぐさま修正し、他の少年二人とも動きの確認をしたり、アドバイスを出したりと積極的な様子である。
口の強さは相変わらずだが、休憩時間中は笑顔を見せることもあると、ハルが言っていた。
生意気な少年の、ただならぬ様子を眺めつつ、息を吐き出す。
アイドルの卵は何人も見てきたが、仕事が嫌になったとかならまだしも、学校に行きたくないと言いに来た奴は、この子どもが初めてだ。事務所ではなく、わざわざマネージャーの自宅まで訪ねて主張してくるのも珍しい。
そもそも、この餓鬼。どうやって、俺の家を知ったんだろうか。
一度本題から離れて問う。
子どもは素直に「和成さんから教えてもらった」と答えた。
「あいつか……」
脳裏を「ごめんなさい、ごめんなさい!」と平謝りする若い後輩の姿が過ぎ去る。
住所漏洩の件に関しては、明日きっちり話をつけるとして、問題は目前にいる子どもだ。
今日は学校に行く気がないのはわかった。
鬼頭の中では、あと一つ疑問が浮かんでいる。
「お前、何で家で大人しくしてないんだ?」
行きたくないだけなら、家で大人しくしていればいいだけなのに、なぜこの子どもは出歩いているのか。
痛いところを突かれたのか、子どもの肩がびくりと跳ねた。
怯えた色が、瞳に浮かんでいる。
彼女の言葉が、唐突に蘇ったのはその時であった。
『テストが返ってきた翌日とか、家庭訪問とか三者面談があった翌日とか。あの子すっごく疲れた表情で、通学するんです』
「なあ、お前」
膝を折り、直哉と視線を合わせる。
「この前、中間テストあっただろう。出来はどうだったんだ?」
いつかのレッスン前に、中間テストの結果で盛り上がっていた記憶がある。その場には少年三人とハル、和成がいて、鬼頭は他のスタッフとスケジュールの確認をしていた為に詳しくは聞いていない。
子どもが黒い瞳を俺に向ける。
何度か口を開けたり閉ざしたりしたところで、自分の鞄を引き寄せた。
鞄も通学用のものだ。校章がワンポイントで入っている。
直哉は中からクリアファイルを取り出し、押し付けようにして渡す。
中身は、中間テストの答案用紙だ。パラパラと見ていくと、平均よりも高い数字が並び、英語にいたっては満点である。
「よく出来てるじゃないか」
学生の頃の大人よりは確実に点が取れている。少なくとも、鬼頭は英語で百点を取ったことない。
レッスンを受けながらこの点数が取れているなら、学力の方は問題ない。
大人が素で褒め称えていると、子どもは一度目を丸くさせてから、すぐに元のむすりとした表情に戻した。
「でも、あの人は気に入らない数字だったみたい」
眉間のしわが深くなる。
膝を抱く腕に力を込めて、少年は言葉を続けた。
「数学と国語の点数が、樹よりも低かったの。世間話で樹のお母さんがあの人に言ったみたいで、それが気に入らなかったみたい。英語は百点だったけど、英語ができる俺も嫌みたい」
外に出れば「うちの息子は英語が話せるのよ」と言いふらすくせに、家では自主学習をする直哉に「勉強はもういいから、妹の面倒を見ろ!」と強要する。
勉強時間を減らして妹の面倒を見て、いざテストの点数を落とせば「どうして出来ないんだ⁉」と叱りつけてくるのだ。
「もうやだ。超疲れる。家に居たくても、あの人も今日休みだから家に居たくない」
末の妹が熱を出して仕事を休んだと、少年はぐったりとした様子で吐き出す。
本当に疲れているのだろう。顔の色は普段よりも白く見えた。
「これは重症だな」と、胸の内で呟き、鬼頭も息を吐き出した。
「……今日はもう好きにしろ。ただし、夜になったら家に帰るんだぞ」
子どもは、ようやっと肩の力が抜けたらしく、緊張していた頬が緩んだ様子を見せる。
緩んだのは頬だけで無く腹もらしい。
子どもの腹の虫がきゅーっと切なく泣く。
「……お腹減った」