first stage ワタリガラスの止まり木


#バズリンアイドル
#ヴァンド

「毒親?」と、言葉を繰り返したのは、中学時代からの腐れ縁、榊雅臣であった。
 鬼頭は鯖の味噌煮定食に添えられた沢庵に箸を伸ばしつつ、首を縦に動かす。
 昼時になり、会社の近所にある定食屋にでも食べに行くかと腰を上げた所で、鬼頭は雅臣に捕まって、こうして二人で食べに来ているのだ。
 直哉の家庭訪問が終わってから、雅臣と初めて顔を合わせる。現在、腐れ縁は通常のレギュラー仕事はもちろん、春に行う豪華炎乱の周年記念ライブに向けてごたごたと忙しく、事務所の方へ顔を出す暇がないのだ。たまに顔を見せに来ても、直ぐに「また会おう!」と言ってさっさと次の現場に向かって行く。
 彼のマネージャーをしている花房も、花房の補佐マネージャーをしている若い後輩マネージャーも、雅臣の忙しさと合わせて毎日忙しなく動いている。
 その反面、新人を任された鬼頭の方は、時間にゆとりが出来ていた。やる事がないわけではないが、ごうえんの方と比べればマシであるといった仕事量である。
 レッスンの方も、専門のスタッフや安定と信頼の【ハル先生】に任せている。元アイドルが直々に教えることはなく、彼らの為にスケジュールを組んだり、仕事を取って来たりとマネジメントに徹するだろうと、家庭訪問前までは思っていたのだが、直哉の自宅へ行ってから雲行きが怪しくなってきた。
 母親の話しを聞く限り、直哉は高校卒業と同時にアイドルを辞めるというより、辞めさせられる可能性がある。
 母親の口ぶりは、本人の意志と意思を無視しているような雰囲気であった。
「お母さんの言うことを聞いていれば、将来に困ることなく明るい未来を歩いて行けます」と、今にも言いそうな表情も印象に残っている。
 そして、目に入った大量のブランド物も気がかりである。あの母親は、子どもにも服なり靴なりを買っているのだろうか。靴箱にあった子ども靴は全て古い物であった。

「うーん、毒親……毒親かあーー。ひとまず、あの子に辞められるのはちょっと困るかなあ。あの三人組は、あの子が中心にいるからバランス良く見えるんだろうしねえ。デビューも、高校卒業してからで調整してるでしょう?」

 そもそも、あの少年三人組をスカウトしたきっかけは、直哉が鬼頭に似ているという雅臣の言葉であった。
 見つけた側としても、デビュー前に辞められてしまっては事務所に申し訳たたないし、なにより育てた時間も本人の素質も勿体無い。
 仕事の合間に覗いたレッスンの様子や、ハル先生からの話を聞く限りでは、あの三人はこの先化ける素質があると感じてる。
 今はまだ歩くのもままならない生まれたての獣だか、レッスンを積み重ねていけばそのうち雄々しい獣になるだろう。
 定食を食べ終えて、会計をしようとレジの前に並ぶ。
 社会人の昼なだけあって、レジには自分達と同じようにスーツな作業着を着た社会人が、早く会社に戻らなければと、そわそわしながら並んでいた。
 店内もだが、テイクアウトもしている店なので、予約していた弁当を取りに来た客で店の前も賑わっている。

「毒親ってのは、マジな話なわけ? その場限りの自慢話とかではなく?」

 雅臣が支払いを済ませつつ、口を開く。
 店員に対して気さくに礼を言いつつ、自分の私語もするのだから、お喋り怪獣と同僚たちから言われている。
 バラエティー番組や音楽番組のトークコーナーでも、雅臣のお喋り癖は遺憾なく発揮されていた。
 そのおかげか【クールな鬼頭】【お茶目な雅臣】と抱き合わせで使われることも多かった。今となっては、懐かしい仕事である。
 この抱き合わせ枠は、今後後輩たちの誰かに委ねられるだろう。
 別ユニットやソロがコラボ企画で手を組むと、物珍しさもあってか反響が大きく、個人個人の活動にも良い刺激を与えるのだ。
 何も始まる前に辞めさせるのは、やはり待ってほしい。
 少なくともあの男の子は、警察官になりたいとは一欠片も思っていない。

「あれがその場限りでやった対応なら、あの母親は相当演技が上手い」

「そんなにヤバい親だった?」

「身内にあんなのが居たら、水をぶっかけてるところだ」

 言葉を返しながら、自動ドアを抜ける。
 木造と橙色の照明で彩られた店内から、春の日差しが強い外へ出ると、眩しさで目が痛くなった。
 目頭を揉み解している最中「こんにちはー」と、馴染みのある女の声が聞こえ、雅臣が対応するやり取りが耳に届く。
 ぱちぱちと二度瞬いてから声の方へ視線を向ければ、作業着姿の女性が二人、雅臣とにこやかに世間話をしていた。
 片方は知らない女だが、片方は知っている女だ。兵藤樹の姉だ、兵藤泉だ。
 事務所から近い定食屋は、彼女が勤務する会社からも近いのだ。

「マサさん、この間の冬ドラ見ましたよー。検察官のやつー。面白かったです」

「見てくれたの? ありがとねえー。専門用語覚えるの頑張った甲斐があったよ」

「ヒロインとのやり取りが軽快で良かったです」

「他の検察官さんも面白い人多くて見やすかったですよー」

 きゃいきゃいと、見知らぬ女と後輩の姉がドラマの感想を述べる。
 この腐れ縁は冬ドラマの主演で検察官を演じてたなと思い出しつつ、彼女と腐れ縁が気軽に会話を交わしている様子を視界に入れて、無性に腹が立ってきた。

「今からお昼なの?」

「そうなんですよー」

「予約してたお弁当を取りに来たんです。人数が多いから、一人では運べなくて。ほら、お弁当って地味に重たいじゃないですか」

 見知らぬ女の言葉に続いて、泉が続ける。
 なんでも、弁当を予約して取りに来る係りも総務部の仕事なんだとか。

「出不精が多くて困っちゃうわー」

「そっかそっかあ」と相づちを打ってから、雅臣は言葉を返した。

「じゃあ、昴くん貸してあげるよー。まだ昼休みだし、子どもたちもまだ来てなくて暇だし、もうただの一般人だからいくらでもこき使っていいよー」

「昴くん?」

 女二人の声が止み、二人分の視線が鬼頭に向けられる。
 今しがた元アイドルの存在に気づいたという様子で、二人とも目を見開いていた。

「鬼頭昴……⁉」

「昴さん……⁉ わあああ気づかなかった! ごめんなさい!」

「気配消しすぎでしょう!」

「マサさんの存在感が強すぎて……!」

 狼狽える女性二人を「いいんですよ」と宥めつつ、気づかれないように息を吐き出す。
 現役の頃から、雅臣と外に出ると彼の方が話しかけられて、鬼頭は後から気づかれるという出来事は多かった。
 プライベートでファンから話しかけられたくない鬼頭にとっては有り難かった。が、この男がわざと目立つ行動をして自分に視線を集め、鬼頭が目立たないようにしていたのも知っている。
 人の心を知って知らずか、こういう風に自然と根回しをするところも腹が立つところだ。

「荷物持ちならいくらでもやりますよ。マサが言うように暇人ですから」

「さっすが、昴くん! 優しい男よー! ねえ⁉」

「いちいち、言葉を投げんでよろしい」

 腹が立って仕方ないのだが、どういうわけか憎いという感情は全くと言っていいほど芽生えないのだ。
「僕はこの後現場に行かないとだからー!」と言って、先に事務所へと戻っていく。
 泉と一緒にいた見知らぬ女も「コンビニに用がある!」と言って、弁当を押し付けて、コンビニに駆け込んだ。
 鬼頭は、テイクアウトした弁当の袋を二つずつ両手に提げ、泉は一つずつ両手に提げる。
 袋に入ってる弁当は多くても五個。出不精が多いとは聞いていたが、三十人分はある量を女二人で勤務の日は運んでいるのだろうか。日によって数は変わってくるだろうが、出前した方が楽なのでは。
 両の腕にさがる弁当の重みに、多少眉根を寄せつつ彼女の歩幅に合わせて歩いていると、彼女が朗らかに口を開いた。

「先日は家庭訪問ありがとうございました。母たちも、ちゃんとした事務所でよかったと要っていましたよ。教育料だって言って、高額な請求されたらどうしようって心配してたみたいで」

 コロコロと笑う彼女につられて、自然と頬が緩む。

「まあ実際……悪徳な手法を使う事務所もありますからね。外からでは見抜けないところですし。親が疑う気持ちもわかりますよ。俺も、入った時はそうでしたし」

「弟たち、ちゃんとレッスン受けてますか? ふざけたりとかしてません? 小さい頃からやんちゃしてる子たちだから」

「今のところ、真面目に受けてますよ。一人だけ、いささか無駄口が多いなとは思いますが」

 脳裏に自分とそっくりな雰囲気の少年を浮かべつつぼやくと、彼女にも伝わったらしく「直哉ですか?」と笑われた。

「あの子どもは、前からあんな調子なんですか?」

「あの子は、小さい頃からあんな調子です。でも、根は良い子ですよ。頭も良いし、運動神経もいいし、妹たちの面倒見もいいし。ちょっと甘えっ子で寂しがり屋なところもありますけどね」

 彼女は、明るい口調であの子どもの事を話してくれたが、途中で唐突に言葉を打ちきり、口を閉ざす。
 視線を下げて、表情を確認すると僅かに陰が出ている。

「あの子の家庭訪問、大丈夫でしたか……?」

 鬼頭は、投げられた質問に息を詰めるが、あの子どもと彼女の家の配置を思い出して、腑に落ちる。
 近くてずっと見てきたなら、あの母親の性格にも、家庭の内情にも、嫌でも察してしまうだろう。

「あの子のお母さん、ちょっと厳しい事をあの子に強いるから……。頼りすぎというか、期待しすぎというか、」

「それか支配的?」

 彼女の言葉に被せて言えば、彼女は目を丸くした後でゆっくりと肯定した。

「うちの親からもよく出るんですよ。【隣の家は大丈夫なのか?】って。特に、テストが返ってきた翌日とか、家庭訪問とか三者面談があった翌日とか。あの子、すっごく疲れた表情で、通学するんです……!」

 ◆  ◆  ◆

「良かったなあー。三人一緒で」

 大が、昇降口の看板に出されたクラス名簿を見つつ、隣に立つ直哉を見る。
 直哉はむうっと眉間に皺を寄せて、名簿を睨み付けた。

「新しいクラス嫌い」

「まだ初日……というか、教室にも行ってないんだけど」と、樹が苦笑いを見せる。
 今日は高校の入学式だ。昇降口の前は、新入生とその家族がうじゃうじゃと集まり、出席の確認をしてから子どもは校舎へ、親は体育館へと移動していく。三人の親は母親が来ており、三人揃ってすでに体育館へと向かっていた。母たち三人の関係は、表面上は良好だ。小学校中学校一緒だっただけに、取り繕い方もわかっているのだろう。
 新品の制服に身を包んで、これまた新品の学校指定の鞄を片手に、三人は校舎の中に足を踏み入れた。

「ハル先生が言ってたんだけどさあ」

 樹が、最上階にある一年生の教室に向かいながら、やおら口を開く。

「鬼頭さんもこの学校の卒業生なんだって。空手部入ってたらしいよ」

「へぇーー、強ぇーのかな。やっぱ。細身に見えてがっしりしてるもんな」

 樹の話に大が反応を示し、直哉はのんびりと構えながら会話を聞く。
 教室の手前まで来たところで、直哉はようやく口を開いた。

「あのマネージャーって、どんなアイドルだったのかな……?」

 樹と大の視線が、直哉に向けられる。

「どんなって?」

「泉さんが好きなアイドルだったんでしょう、あの人。だから、どんな感じの人だったのかなあ……って」

 むうっと、寂しげな、けれど不満も入った複雑な表情(かお)を少年は浮かべる。
 樹と大は顔を見合わせた後で、ふっと息をもらした。

「なーに? その反応は? 腹立つんですけど?」

「いや、俺たちが言いたいわ。その言葉」

「直ちゃん、もしかして、鬼頭さんにやきもちやいてんのか?」

 直哉の初恋が泉であることは、三人の中で共有されている。
 大が指摘するなり、形の良い指が彼の両頬をつねりに行った。

「イデデデデ…………!」

「違うもん、全然違うもん!」

「違わないって」と、樹が静かに突っ込みを入れつつ、黒板に貼り付けられた座席表を確認して、三人は仲良く縦一列に座った。
 クラス名簿も座席も名字の五十音順なので、三人の中では大が一番、二番目が樹、三番目が直哉だ。
 二人の背中を視界に入れながら、直哉はポケットに入れていたスマートフォンを取り出す。
 検索サイトに【鬼頭昴】と入力して出てきたものは、出演作品の公式サイトや広告、今までに出したCDの情報や、写真集等だ。
 この写真は事務所の事務室にも貼ってあったかなと思いながら、ページをスクロールする。
 作品は複数出てきても、鬼頭の人柄が見えるページは少ない。よくて、インタビュー記事等だ。これはきっと、猫を被って答えているはず。
 ふーむとまた喉を唸らせて、画面を消灯させた。
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