first stage ワタリガラスの止まり木
#バズリンアイドル
#ヴァンド
「……本当に家(うち)来るんですか?」
後部座席から、直哉が鬼頭に向かって言葉を投げる。
運転してきた車は、少年の自宅前にある駐車場に停められており、いつでも降りられる状態だ。
今年から受け持った少年をミラー越しで見れば、表情は固く強張っており、気乗りしないのが見てとれた。
家庭訪問の話題を出した際、この少年だけ表情を曇らせた事を鬼頭は見逃していない。
思い返せば、休憩時間や事務所と駅を送迎する時に親の話題になっても、この少年は自分から進んで家族を話をしない。質問をすれば答えてくれるが、自分から積極的に話そうという素振りを見せることはなかった。
ただの反抗期か、もしくは親と不仲か。あるいは、大人たちが懸念している事象を抱えているのかと警戒しつつ、助手席にある鞄に手を伸ばす。
「契約の話をしたら、すぐ帰る」
「行くぞ」と声をかけてから、車のドアノブに手をかけた。
玄関先で鬼頭を迎えたのは、直哉の母親であった。
髪の長さと骨格以外は、直哉と同じ作りの顔。母親の隣に立つ少年と、母親の表情に注視しつつ、言葉を交わす。
「兵藤さんともお話したけれど、経験者の方が面倒見てくださるなら安心だわあ。ねえ、直哉」
母親は、口許を片手で隠しているものの、【嬉しい】という感情が押さえられないのか、表情筋が緩んでいるのが初対面の鬼頭にも伝わってくる。
対する息子(なおや)の方は、渋い表情をしていた。
「〝私〟の息子。私が言うのもあれですが、顔の作りがとても良いと思うんですよ。そのせいか、上からも下からも女の子たちに慕われてるんです。もちろん、運動神経もとても良いんですよ。空手の大会でも、強いって言われてる子に勝ったことがあるし。運動会や体育祭でも、リレーのメンバーに毎年選ばれていて……」
するするぺらぺらと、母親の口から息子の事が語られる。
長い文章を一度も噛むことなく慣れた様子で吐き出していることから、もう何度も同じ事を言っているのだろうと察した。
直哉の表情からも、またその話かと苦々しく思っている事が嫌でもわかってしまう。
母親の機嫌を損ねないように相槌を打ちながら、玄関にある靴箱を盗み見た。
蝶番でも壊れたのか、別の理由でもあるのか。靴箱の扉は外れていて、中が丸見えだ。
女児用の小さな靴と、少年が履いているスニーカーと通学用で使っていたであろう革靴。父親の靴と思われるスニーカーと礼服用。そして、母親のパンプスと夏用サンダル、冬用のブーツ。そして、スニーカー。
子どもたちの靴は、多くても三足。どれも格安の量販店で買ったことが窺える。それに対して、母親の物はどれも高級ブランドだ。まだ封を開けていない婦人向けブランドの箱も、靴箱にはある。あの中身も、母親のものだろう。自分にはしっかりと人の目を惹く物を与え、子どもや夫に金をかけてる様子はない。
母親の服も、高級ブランド服。ワンピースだけでも、この子どもの一月分の食費は出せそうだ。
元芸能人の鬼頭でも、こんなハイブランドの服は着ない。どんなに高い服を選んで買っても、一着一万いくかいかないか微妙なところだ。スーツを買ってこいというのなら、また話は変わってくるが。
母親の金銭感覚は要注意か。
鬼頭が頭に刻み込んでいると、要注意から警戒に変わる言葉が母親の口から吐き出された。
「直哉も良かったわねえ、仕事を探す手間が省けて。芸能のお仕事なら、その辺のバイトよりも入るでしょう。いっぱい稼いで、お母さんを楽させてね。そして知名度を上げて、警察官になりましょう?」
ぴくりと、直哉の指先が、表情筋が動く。
場の空気がというよりも、母親の周囲にある空気以外が凍りつく。
鬼頭もはっきりと自覚するくらい、息を呑んだ。
息子の方は、顔に陰が降りている。
母親は、息子の反応に気づいていて、気づかない振りをしたまま、言葉を続けた。
「直哉が警察官になったら、お爺ちゃんも喜ぶわよー。小学校の卒業アルバムにパイロットって書かれた時はどうしようかと思ったけど、もうそんな子どもっぽい夢、持ってないでしょう。高校生だものね。現実を見てもらわないと」
母親は、自分の手のひらで口許を隠しながら、下品な笑い声を出す。
鬼頭は、息子の方に視線を向ける。
息子は言い返すこともせず、口を固く閉ざしたままだ。波風立てぬようこの場をやり過ごそうとしているのだろう。
母親からすらすらと流れてくる言葉たちは、昨日今日思い付いて出てきたものではないと、息子の反応で確信した。
幾度幾度も同じ言葉を叩きつけるように、心に刻み付けるように言われているのだ。
母親の機嫌を損ねないよう、静かに佇むだけの少年の姿は、見ていて気分の良いものではなかった。
「いち、に、さん、し……」
少年三人がヨガマットの上でうつ伏せになり、身体を頭の先から足の先までぴんと伸ばして腰を浮かせ、肘と爪先だけで自分の体重を支える。ロープランクと呼ばれる、体幹トレーニングの一つだ。
三十秒間、しっかりはっきりとハル先生が数える。
ロープランクを三セットやったところで、次は片足を上げた状態のワンレッグプランク。左右どちらかの足を上げて、お尻が上に上がりすぎないように気をつけながら、体を真っ直ぐに保つ。
ワンレッグプランクも、三十秒間三セットやったところで、少年三人は同時にマットへ沈み込んだ。
「うん、ちゃんと出来るようになってきたねえ」
まだ二種類しか、トレーニングさせてないけど。
けほけほと笑いながら、ハル先生は言う。
そう事務所に入ってレッスンをするようになってからまだ二種類。
学校で行うような筋トレも行うには行うが、現時点での主なトレーニングは体幹トレーニングの二種類。空いた時間は、倒立や側転等のアクロバティックな器械体操の練習である。
テレビの音楽番組で見るような、キラキラと踊ったり歌ったりといった練習はまだであった。
育てる気あるのかと思われるような鈍足である。
「他のトレーニングはしないのか?」と、前回のレッスンで大が聞くと、ハル先生は「慌てない」と返した。
『君たちはアイドルであって、国体とかオリンピックに出るようなアスリートではないんだよ。もちろん、振り付けを覚えたり、発音良くしたり、体力をつけたり、スタイルよくするのも大事だけど、まずは成長期に合わせた体作りをしていこうね』
ハル先生の言葉に、三人は顔を見合わせた。
確かに、三人とも成長期真っ只中だ。樹と大は中学の後半からぐいぐい身長が伸びてきて、声も変わった。直哉も一番誕生日が遅いのに、いつの間にか二人の身長を追い越して伸び続けている。声変わりは三人の中では遅い方で、今も高い音や大声を出そうとすると声音が掠れた。
無理をすると、痛めなくてよかった場所を痛めるかもしれない。
怪我をしなくていいところで、怪我をしてしまうかもしれない。
ハル先生はそう言って、少年たちを納得させる。
『最初に言ったけど、君たちは黒毛和牛なの。美味しそうって思ってもらえるように、頑張ろうね』
『……俺たち、食べられちゃうんですか? 炭火焼きですか? それとも、ホットプレートですか?』
直哉が発した問いに、ハル先生はふふふと笑うだけで、否定はしてこなかった。
「鉄板焼も美味しいだろうな……」
体幹トレーニングを一通り終えてから、「十五分休憩ね」とハル先生が言い残し、レッスン室を出て行った直後であった。
マットに沈んだ大が、ぜーはーと息を吐き出しながらぽつりとこぼす。
樹は何を言い出すのかと首を傾げたが、レッスン初日にあった会話を思い出して、遠くを見つめた。
黒毛和牛を目指せと言われてたなあ。
体幹トレーニングだけでも汗が噴き出すように出て、肌がべたべたとしている。
樹は、持ってきたタオルで拭きながら、今しがた思い出したような口調で口を開いた。
「家庭訪問どうだった?」
樹と同じく、顔に流れる汗を拭いていた直哉が手を止める。
大は水分補給用の水筒に手を伸ばしてのんびりと喉を潤しているが、会話に耳を傾けている様子が見られた。
ひとつ、ふたつ、みっつと数を数えたところで、直哉は質問に答えた。
「毒親だって、一瞬でバレたかもしれない」