second stage 疾風炎嵐
#バズリンアイドル
#バズリン_ミルフェス
#ヴァンド
#豪華炎乱
「願い事って、案外浮かばないものだねえー」
雅臣が眉間にシワを寄せながら、赤い色の短冊をひらひらと揺らす。
ミルフェスイベントの最中。豪華炎乱は、ヴァンドが開いているエナガとアヌビスのヨーヨー釣りの手伝いをしつつ、その隣で開いている豪華炎乱のアンテナショップイベント版の店番もしていた。
テントを張っているとはいえ、気温は午前中から三十度を越えており、何もしてなくても汗が肌から滲み出て玉粒になる。
何もしなくても汗が出てくるのだから、ヨーヨー釣りでゲストの対応をしていたり、ショップでレジをしていたり、在庫を確認したりと動き回るとさらに汗をかく。この昼を過ぎた時間までに既に一回半袖のシャツを着替えていた。二回目の着替えも時間の問題だ。
それは少年三人も同じで、交代しながらこまめに休憩をとりつつ、汗で濡れた服を着替え、暑い夏の中で粛々と仕事を進めている。雅臣が持っている短冊は、大と樹が揃って昼休憩に入りブースに戻って来る途中、立ち寄った笹の葉エリアで貰って来た短冊だ。
ステージでは「子どもたちと似たような事を願った」と話した雅臣だが、会場用の短冊は書いても、事務所の短冊はまだ書いてなかった。
事務所の笹は、一部を切り取って会場に運び入れ、テントの柱に縛り飾ってある。小学生でも持てる小振りなサイズの笹の葉なので、テントの近くに寄らないと気づけない存在だ。その笹には、ヴァンドが書いた短冊とヴァンドが作った折り紙の飾りがつけられている。
雅臣も春高と笹の葉エリアに行きどんな様子か見てきたかったのだが、「お前らが行くと騒ぎになる」と鬼頭に釘を刺されて行けず仕舞いだ。
その鬼頭も暑さと戦いながら、ショップの運営を手伝っている。
短冊を団扇代わりにしながらぱたぱたと扇いでいると、レジに立つ鬼頭に「マサ」と呼ばれた。
ちょうど、ゲストが途切れたタイミングだ。
「交代の時間だぞ」
「もうそんなじかんーーーー?」
雅臣が唇を尖らせてみせると、汗拭き用のタオルを投げつけられた。柄はツアー中に発売したエナガちゃんである。
「お前がだらけてる間に三十分経ったんだよ!」
鬼頭が「暑いんだから突っ込みさせるな」と、投げたタオルを取りに一歩踏み出したところで、直哉の間延びした声がショップの外から響く。
「パパーー。外ちょーあついー。案内代わってえーーーー」
直哉が外案内が持つ案内ボード片手に、ショップの中を覗き込む。
外案内役はテントの外に立って、呼び込みやゲームの案内をするのが仕事だ。ハンディーファンを首からかけて、保冷剤入りの冷えたタオルを首に巻きつけているとはいえ、直射日光の下ではあっという間に体力と水分を削られてしまう。
直哉の顔にも汗が玉粒になっており、首筋にも伝っていた。
「汗だくじゃねえか。何分外に居たんだ?」
「早く中に入んなさい」と鬼頭は養い子に促し、養い子は「わーい」と喜んで遠慮なくショップの中へと入る。
「マサ、さっきの交代無し。お前外やってこい」
「行ってきて、先輩(ジジイ)。今度は俺がゆっくりだらだらごろごろしてるから」
「ごろごろはしてない!」
「親子揃って失礼だなあ!」と雅臣はぼやきながら直哉から案内が書かれたボードを受け取り、レジ裏から出る。
テントから直射日光の下に出ようとした刹那、雅臣と背丈が変わらない男が行く手を阻んだ。
男の顔を見て、雅臣が息を呑み、鬼頭が目を見開く。
金色の髪が日光を反射して眩しい。
男は今日の気候に合わないスーツを着て、凍てついた視線で雅臣を見抜いた。
「相も変わらず、仲良しごっこが好きなようで」
ゆっくりと、男が口を開く。
「見ていてとても、反吐が出る」
視線同様、冷えた声音が三人の鼓膜を震わせる。
行き交う人の声。遠くから鳴り響く音楽の低音。出店ブースで流れている音楽が、この男の登場と共に遠ざかる。
賑やかなイベント会場なのに、この場だけが見えない膜に覆われてしまったみたいだと、雅臣は胸の内で笑った。
「相も変わらず…………か……」
どろりと濁った瞳を見て、雅臣は口角をつり上げる。
「それは君のなんじゃないの? 淀水流(よどみ ながれ)くん」
雅臣の言葉に、淀水の目元がひくりと動く。
「僕が…………? 冗談はよしてくれよ、榊君」
金髪の男は、やれやれと大袈裟に両手を広げて、肩をすくめる。
雅臣は笑ったままだ。
「そうだよ。とっくの昔に演者を辞めた側の君が、今もこの世界に入り込んで、僕らに粘着してる」
「人をストーカーか何かだと思っているのか? それは些か、否、かなり自意識過剰だな。そういうところも昔から変わらない」
「そうかな? 豪華炎乱(うち)が新しいアイドルを育てる度に様子を見に来ていたのに? ステージから見えてないと思ったら大間違いだよ、流くん。今日のステージからも、君の姿が見えていたよ」
「僕の姿をステージに立つ度に探しているとは、君の方が粘着質なんじゃないか? 僕が見ているのは君たち大人ではない」
男の視線が、鬼頭の背後から事の行方を見学していた直哉に向けられる。
気づいた鬼頭が、直哉を隠すように背中から飛び出てた子どもの頭を押し込むが、子どもは好奇心からか少しだけ顔を出した。
淀水が言葉を続ける。
「鬼直哉君。今日のステージもとても良かったですよ。どうです? 僕のところで働いてみません?」
「保護者の目の前で引き抜き活動かい? 良い度胸してるね」
「君には話しかけてないんだよ、榊君。一秒でも早く、その口を縫ってくれないか?」
「一秒でも早く、この場から消えてもらいたい奴が言う事じゃないね」
「君と、一時でもユニットを組んでいたのかと思うと、本当に胃から物を吐き出しそうだ。僕の人生最大の汚点だ。君の方こそ、消えておくれよ。さあ、直哉君どうだい? 一人だと心細いなら、大君も連れて来て良いよ?」
人の好い笑みを見せて、再度直哉に問う。
上から下まで、ねっとりと絡み付くような視線に、直哉は顔を引っ込めた。
この男(ひと)、直哉の嫌いな欲を持っている。
自分が良ければ、他はどうなってもいいという自分勝手な欲望だ。キモチワルイ。
「この人嫌い」
鬼頭にだけ聞こえるようにぼそりと呟いて、鬼頭の背中にしがみつき、息を殺し気配も殺す。
「正解」とばかりに、後ろ手に回された鬼頭の手が、直哉の脇腹を一度叩いた。
答える様子を見せない子どもに、淀水は肩を小さく上下させた。
「君は、損得勘定が瞬時に出来る利口な子だと思っていたけど違うのかな? 君の前にこの男にこき使われてた子たちは、二つ返事で私のところに来たよ?」
鬼頭と雅臣が、同時に息を呑む。
構わず、淀水は続けた。
「逃げた大人といつまでも引き際がわからない大人。こんな大人たちに囲まれて、この先大舞台に立てる演者になれると思うかい?」
「おい…………」
「今、何て言った…………」
鬼頭と雅臣の、一段低くなった声音が空気を震わせる。
この場が公共の場で無かったら、二人とも淀水に掴みかかっていただろう。二人の空気は喧嘩を売られた不良そのものだ。
ばちばちと、見えない火花が大人たちの間で散る。
何がきっかけで、殴り合いに発展するかわからない物々しい雰囲気の中に、涼やかな声音が響いたのは、淀水が再び口を開く寸前であった。
「そもそも、損得勘定以前に知らない人間について行ったらだめでしょう。歳を取って、親から教えてもらった基本的な事も忘れてしまいましたか? 流さん」
とんと、淀水の肩に手が置かれる。
手の主の顔を辿って見れば、笑みを湛えた春高が淀水の背後に静かに立っていた。
「おまけに、聞き捨てならない事まで言ってくれましたね。昴さんは逃げたんじゃないし、俺たちも引き際は心得ている」
淀水の肩に置かれている手に力がこもる。
男の着ているスーツにシワが寄った。
「撤回してもらっていいですか?」
「バカたちに感化されて、随分と獣臭くなりましたね、聖君。高貴で有名なプリローダ高専出身なのに勿体無い」
ぴくりと、春高の片眉が跳ね上がる。
「高専出身でBsプロに入ったのは、俺だけではない。あなたもだ。入って直ぐ事務所を辞めても、獣臭さは残るようですね?」
春高の声音は静かなものだが、僅かに怒気が含まれている。
「気に障ったかい? 後輩」
「あなたは俺の先輩リストからとっくに消してます」
「酷いなあ」と、淀水は喉の奥をくつくつと鳴らして笑う。
肩に置かれたままの手を払いのけ、春高から一歩二歩と身体を離す。
「まあ、今日のところは引き上げてあげますよ。強引に風を吹かせても、旅人は服を脱いでくれませんからね」
最後にもう一度、鬼頭の背後に居る直哉に視線を向けて、男は行き交う人の中へと姿を消した。