second stage 疾風炎嵐


#バズリンアイドル
#バズリン_ミルフェス
#豪華炎乱
#ヴァンド


「何で…………?」

 直哉がエントランスに向かうと、病院に置いて来たはずの二人が祖父に連れられて休憩スペースで座って待っていた。
 光希は午前中と変わりない様子だが、麻希の方は目も頬も涙に濡れている。祖父は少々やつれた表情をして、直哉を見た。

「光希、麻希、何で来たの?」

 大股で三人に歩み寄りながら、問いかける。

「今日はパパもママも仕事でいないから、じいじと病院で待ってなさいって言ったでしょう?」

「すまないなあ」と、祖父が頭を下げた。
 聞けば、直哉が病院を出たあと、麻希が直哉のところに行くのだと言って、泣きに泣いて、祖父は参ってしまったそうだ。何をしても泣き止まなかったので、祖母の事は病院のスタッフに任せて、光希と一緒に連れて来たと告げる。
 麻希は黙ったまま椅子からおりると、直哉の足にきつく抱きつく。
 思い返せば、直哉が帰った後泣くかもしれないなという片鱗はあった。表情は妙に固いし、留守番している場所も慣れない病院だ。光希が居ても、心細くなってしまったのかもしれない。
 末の妹の目からは、今もぼたぼたと涙が流れている。
 唇をぎゅっと引き結んでいるのは、言いたいことがあるのに我慢してるからだ。
 ぽんぽんと、光希が麻希の頭を叩く。
 直哉は諦めた顔を見せて、息を吐き出した。

「麻希はいつから、トトロのメイちゃんみたいになっちゃったのかな?」

「ずっとがまんしてたんだよ。パパもママもしごといそがしいっていって、どこにもあそびにいってないし。にいちゃんもいえにいないし。ねーまきちゃん」

 姉の言葉に、まだ四歳の誕生日を迎えていない小さな妹がうんと頷く。
 十も下の子どもから出た言葉が、直哉の胸にもずしりと落ちてきた。
 直哉の脳裏を、小学生の時の自分が過ぎ去っていく。
 親が離婚して、実父はもう家に帰って来ないと知った時の直哉だ。
 直哉にも、会いたいのに会えなくて寂しい気持ちを抱いたことある。
 会える手段もあったのに、会える場所も知っていたのに、あと一歩の勇気が出せなくて、会いに行きたいという気持ちを殺していた。
 妹たちには、そういう気持ちにはさせないと頑張って来たけれど、やはりあの母親とは相容れなくて、飛び出すように家を出た。
 親にされた事はしないと気を付けていたのに、結局直哉も同じように寂しい思いをさせてしまった。
 ──サイテイダナ、オレ。
 形の良い末っ子の頭に、ぽんと手を置く。

「事務所の人と話してくるよ。ちょっと待っててね」

 直哉が踵を返そうとしたところで、祖父が口を開いた。
 曰く。「いくら忙しいからと言って、母親が子どもたちを放置し過ぎではないか?」と。「父親も忙しいのに、こんな調子では二人がかわいそうだ」と。「君の方から、もう少し気にかけるように言ってくれ」と。
 淡々とした口調で、祖父は直哉に告げる。
 直哉の胸の内で、どくりと心臓が変な跳ね方をした。どくりどくりと血が駆け巡っているのに、手先から血の気が引いていく。
 ねえ、それ。俺が言わないとだめ?
 俺は、あんたの息子に父親を追い出されて、気を使われるどころか隠していた手紙の内容を母親に告げ口されて、頬を叩かれた後もなんのフォローもなかったんだけど。
 ねえ、それ。

「それ、その子が言う必要ありますか?」

 その言葉を伝えるのは、お孫さんではなくあなたの息子さんの方ではないですか?
 毎日聞いている男の声が、やけに重たい口調で言葉を放っている。
 歩み寄ってくる男は、どう見ても直哉を一時的に保護して養育している鬼頭マネージャーである。
 見た目にはいつもと変わらない、仕事モードの鬼頭昴だ。
 が、毎日に一緒にいる直哉は声を聞いただけで機嫌がわかる。
 今、このマネージャー(パパ)、とても怒っている。
 直哉の傍らに立った鬼頭は、息子の背中を一発叩いてから頭に手を置いた。

「二人を連れて上に戻りなさい」

「パパは?」

「俺は、タクシーを呼んだら行くから」

 猛暑の中、高齢者を駅まで歩かせて電車で帰らせるのは、いささか心が痛む。

「タクシーが来るまで俺が話し相手になるから、安心していい」

 早く行きなさいと背を押されて、直哉は怒ったままの鬼頭を気にしつつ、エレベーターへ向かって歩き出した。


「光希ちゃん、何描いてるの?」

 樹が、給水休憩に入ると同時に、レッスン室の隅っこでお絵描きをする少女たちに問いかける。
 直哉と大は、給水コーナーでノートを開いて思いついた限りのメッセージをまとめている最中だ。
 麻希の方はエナガマペットを抱いたまま黙ったままだったが、光希はニコニコと笑みを見せながら答えた。

「これはねえ、あかいながぐつをはいたエナガちゃんだよー」

「雨の中を散歩してるんだよー」と、光希は続ける。
 白い画用紙に描かれた大福みたいなエナガは、閉じた傘を片手に赤い長靴を履いて陽気に歩いている。

「雨の中散歩したら羽毛が濡れない?」

「【はっすいこうか】がつよつよなんだよ!」

 このエナガちゃんはねえと、光希が力説する声を聞きながら、麻希がのそりと動き出した。
 マペットを抱いたまま、しずしずとレッスン室を歩いて給水コーナーに近づくと、立ったまま作業をしている直哉のズボンを掴んだ。


「直ちゃん、文めっちゃ書けるのに何で国語の点数低いの?」

「適度にさぼっているから」

「何でサボるんだよ」

「抜き出す問題とか、作者がどうのこうのって問題が苦手でさー。途中で面倒になるんだよねえ」

 やればできるんだけどねえ。
 直哉はボールペンをざらざらと走らせながら答える。
 一周年で伝えたいメッセージは、形になりつつある。樹が提案した部分と、大が提案した部分、そして直哉が思いついた部分。
 一周年を迎えて、さらにその先へと進んでいく自分達の決意と願い。
 七夕をモチーフにしたミルフェスが、千秋楽の近くで良かった。イベントに絡めて答えられる。
 最後の締めにかかったところで、ズボンに重みを感じる。
 下半身に視線を向けると、麻希が片方の手でエナガマペットを抱えながら、あいた手で直哉のズボンを掴んでいた。
 にいちゃんのところに行くのだと言って大泣きした目は、少々赤くなってしまっている。
 直哉はボールペンを一度置くと、麻希の脇の下に手を差し入れて抱き上げた。
 少し前までは十キロの米よりも軽かったのに、今では膝を使って抱き上げないと腰を痛めてしまうほど重くなっている。

「二月に行った光希たちの幼稚園とか、小児科の病棟を見てまわった時もそうだったけど、麻希を見て改めて思ったよ」

「へぇー。どんなこと?」

 ぽんぽんと、妹の背中を叩きながら直哉は言葉を続けた。

「俺は、会いに来てもらう人間じゃなくて、会いに行く人間を目指すよ」

 会いたいのに会えなくて、会いに行く方法を知っているのに行けなくて、もどかしい気持ちを抱えている現世と亡者(ファン)は、きっとどこかにいる。
 直哉もそうだった。
 その気になれば、実の父親にもっと早く会いに行けたのに、行けなかった。

「ナゴヤ公演してる時もさ、何度か会場に行ってるみんなの事思いだしたんだよね」

 今、何してるんだろう。
 グリーティングでは何を話してるんだろう。
 ステージはどんな様子だろう。みんなはどういう衣装を着て、どんなパフォーマンスをしているだろう。
 やってる場所も、移動手段も知っていたのに、仕事(こうえん)を選んだ直哉は行きたかったなという気持ちを殺して、ステージにあがった。
 ナゴヤはナゴヤで楽しかったけど、みんなの顔が見れるときに見れなかったのはちょっと寂しかった。

「会いたいのに会えないっていうもどかしい気持ちは、寂しい気持ちで出来てるんだろうね。ごうえんの【さくらひらひら】も、そういう気持ちで作られたんだと思うよ」

【さくらひらひら】は、震災の復興支援ソングで作ったと聞いてる。収益の一部は義援金になり、豪華炎乱の中でもヒットソングのひとつとなっている。
「あの時は、本当に何をすればいいのか、何をするのが一番なのかわからなかったよ」と、大人たちは言ってた。
 電力の供給も不安定で、自粛の空気が漂う中では、ライブの予定もしばらく組めなかったはずだ。
 ステージに立つ者も、観に行く者も、会いに行きたいのに行けなかった。

「だからさ、うちのユニットはあんまり寂しい思いはさせたくないなって思ったの」

「ねえ、麻希ちゃん」と、背中を叩きながら同意を求める。
 小さな妹は、「わたしのしるところではない」と言わんばかりに、はなを鳴らした。
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