second stage 疾風炎嵐

#バズリンアイドル
#ヴァンド

「疲れた……」

 直哉はぼそりと呟き、石造りの階段を登る足を止めた。
 直哉から見て、二歩先を進んでいた樹が、その呟きを拾う。
 樹は足を止め、目線よりも下にある直哉の顔を見下ろす。

「疲れたって、鋸山(のこぎりやま)登りたいって言ったのお前だろう」

「思っていた以上に暑いんだもの、聞いてない」 

 今日は五月晴れ。頭上には青い空が広がり、日差しを遮る雲の量は少ない。まだ午前の早い時間帯なのに、気温も夏日に迫る勢いだ。
「暑い」と言った本人は、日差し避けで被っていたキャップ帽を外し、内輪代わりにしてパタパタと自身を扇ぐ。
 まあ確かに、五月にしては暑い方だなと、樹も頬に垂れてきた汗を服の袖で拭った。山に行くからと薄手の上着を着ているけれど、その下に夏用の半袖を着ている。ズボンはGパン。夏のハイキングスタイルである。鋸山の後は、マザー牧場に行く予定を立てていた。ネモフィラが見頃を迎えているそうだ。
 二人が今居る場所は、鋸山の中で山頂エリアと呼ばれる場所だ。崖から迫り出た岩の上から景色を眺める事ができる鋸山名物、地獄のぞきがある。他にも岩を削って作られた百尺観音がこのエリアの見所となっていた。山頂の展望台から下っていくと、大仏広場がある。鋸山は、山全体が日本寺というお寺の施設なのだ。

「ほら、ぼさーっとしてると姉ちゃんたちに追いつかれるぞ」

 樹が目を半眼にして、視線を階段下に向ける。
 少年二人から少し遅れながら、今日一緒に同行している大人二人が登って来ていた。ヴァンドのマネージャー鬼頭昴と、樹の姉の泉だ。樹は何があったのかは詳しく聞いていないし、聞く気もないが、どうやらあの大人たちは、花明かり当日から恋人という関係に昇格したらしい。
「鋸山とマザー牧場に行きたい」という直哉の要求に、樹一人では答えられなかった。だって、遠すぎる。どちらも、県の最南端に近い。鋸山は電車でも行ける範囲だが、マザー牧場は山の中だ。
 そこで、直哉を保護している鬼頭に協力してもらって、ここに来ている。
 三人だけで良かったのに「どうせ行くなら泉さんも呼んで」と直哉が言い出し、勝手に連絡を入れていた。この男、ストレス溜め込んで拗らせて落ち込んでいても、鬼みたいな行動力は健在だった。そういう奴だから、黙って空港まで行ってしまうのだろうけど。
「どこで誰が見てるかわからないから、あまり離れるな」とは言われているが、子どもは子どもなりに、弟は弟なりに【一応】気を遣って、距離をあけて行動しているのだ。というか、あの甘ったるい大人な空気の中に入りたくない。そんな度胸、樹にはまだない。
 だが、直哉の方は違うらしく、朝から大人に甘え放題である。
「お前は園児か」と、何度か突っ込みを入れたくなったほどだ。
 直哉は、パタパタと団扇にしていたキャップを被り直しつつ、口を開いた。

「パパにおんぶしてもらおうかな」

「お前はマネージャーを殺す気か」

「じゃあ、樹が代わりにおんぶしてよ」

「やだよ。腰がイカれる」

「俺の体重が重いみたいな言い方するー。ひどーい」

「六十も七十(キロ)もあるやつが言う台詞じゃない」

「七十はない」

 直哉は、胸を張って樹の数字を否定する。

「メンバーの体重くらい把握してよね、リーダー」

 止まっていた直哉がよいしょと階段を上がっていき、樹を追い越していく。
 再び動き出した足は、のんびりとしたものだ。慌てて動いた樹も直ぐに追いついた。

「ずっと気になってたこと言っていい?」

「いいよ」

 直哉はふわりと笑みを見せて、了承する。
 できるだけこの男の感情を逆立てないように、言葉を選んで口から吐き出そうとしたが、やはりやめる。
 お互い回りくどいのは性に合わない。

「イベントで何かあったでしょう」

 問いかけるというよりは、断定に近い言い方だった。
 二人の間を夏の暑さを含んだ風が吹き抜けていく。鋸山の頂上はもうすぐそこだ。
 直哉は笑顔を浮かべたまま「どうしてそう思ったの?」と問い返した。

「菊司先輩が勝った時、嬉しそうにしてなかったから」

「その場に居なかったのに、見ていたかのように言うんだね」

「お前が早退した後で、ハルさんたちから聞いたんだよ」

 直哉が霹靂神を推しているのは、樹たちはもちろん大人たちも知っている。
 怪盗騎士に出ていた霹靂神の嵯峨菊司は、直哉と同じ怪盗チームだった。同じチームの推してるアイドルが、勝ち星を得たのだ。本来の直哉なら「おめでとうございます」と伝えて、パチパチと拍手を送っていたことだろう。
 でも、直哉はそれをしなかった。
 結果が出てから舞台を見つめたまま、舞台上にいる二人が袖に引っ込むまで微動だにしなかったと、春高が言っていた。
 氷水でも被ったのかと思うほど、顔色を悪くしていたと、大先輩は語っていた。
 菊司の相手は、カレンデュラの谷萩玲央だった。
 何を話していたのかはしらないが、四月頃からちょくちょく顔を合わせていたようだし、直哉は菊司ではなく玲央に肩入れしてたのだろうと、樹は話を聞いて察したのだ。
 直哉の方から、舌を打つ音が聞こえた。

「二月といい今日といい、察しが良いリーダーを持つと誤魔化すのも一苦労だよ」

「お前程の勘は持ち合わせてないけどね」

 二人同時に、頂上に足を踏み入れる。
 眼下に広がるのは、初夏の日に照らされた東京湾と、青々とした房総の山々だ。
 何度か来たことがある山だけれど、久しぶりに見るとこの県もなかなか雄大だなと思う。都市部は首都に接してる県北西部だけで、北東部と南部は自然に満ちているのがこの県の特徴だ。目立たないけど、チーバーくんはこれでも農業大国なのだ。

「どうする? 地獄のぞきする?」

 樹がゆるりと問う。
 直哉は当たり前でしょうと言わんばかりに、口角をつり上げた。

「来たからにはするでしょう」

 崖からせり出した岩の上は、宙に浮いてる気分を味わえる高所恐怖症泣かせの名物。
 連休とあってか、地獄のぞきには体験待ちの列が少しだけ出来ていた。リゾートのアトラクション待ちの列と比べればなんてことないが、五分くらいは待つだろうなという人数が二人の前に出来ている。

「大ちゃんも連れて来れば良かったなー」

「お兄ちゃんと成田山行くって言ってたからしょうがない。それに、来てもやらないと思うよ。極端に高い場所苦手じゃん? 大ちゃんは」

「俺が引っ張っていくよ」

『ふざけんな、バカ直哉ーーーー!』と叫びながら引きずられて行く大の姿が浮かぶ。脳内再生余裕だ。

「大ちゃん、ライブで【フライングやるよ】ってなったらどうするのかね?」

「二月にディズニー行ったときに聞いたら、『一人で下に居るのも寂しいからやる』って言ってたよ」

「大ちゃんらしいね」

 無理してやる姿が目に浮かんで、二人から笑い声がこぼれた。
 下らない話をしている間にも列は進み、二人が地獄のぞきの先端に立つ時が来た。
 先に、樹が柵越しから地上を覗き見る。

「うおおおお…………」

「なに? 樹も高いところ怖いの?」

「いや、そういう次元じゃないと思うよ、これ」

 小さい頃は、よくわからないままここに立っていたからなんとも思わなかったが、大きくなった今となっては、せり出した岩を支えるものがないという状況が恐ろしい。崩れたら終わりだ。
 多少腰がひけた樹と違って、後から覗いた直哉は「人がゴミのようだー」などとほざいている。

「楽しそうだな、お前」

「俺、高いところ大好き」

「馬鹿と煙は……」

「何か言った?」

「いや、何も」

 樹は、有名な慣用句を言おうとした所で釘を刺された為、口を閉ざす。
 次の組に地獄のぞきの先端を譲り頂上に戻ると、保護者二人が子ども二人の帰りを待っていた。
 パパを視界に入れるなり、一番誕生日が遅い獣が小走りで駆け寄っていく。
「お腹すいたー」と駄々をこねる言葉が、遅れて歩く樹の耳にも届いた。


「なあ、兄ちゃんよ。なんで急に成田山?」

 大は、参道から本殿のある境内へと繋がる階段を上りながら、隣を歩く兄の彰(あきら)を見上げる。自分とよく似た顔がそこにある。違うのは髪型と髪の長さ、そして体格だ。小学校から野球を始めた彰は、高校野球引退まで野球小僧だった。高校三年生の時の夏の大会は、あと一個勝てば甲子園という惜しいところまでいっている。高校球児の名残か、彰の身体は今でも筋肉質でしっかりとしていた。
 高校に入ってからそこそこに身長が伸びた大だが、兄の身長にはまだ追い付いていない。なんなら、筋肉量も兄の方が上だ。「この兄貴、大学とバイトで忙しいと言いつつ、隠れて筋トレしてるだろう」と何度か思った。
 見上げる視線を受け止めながら、彰はからからと笑いながら口を開いた。

「特に意味はないなあ。強いて言うなら、願掛けだ。お前もツアーが始まるし、兄ちゃんも単位落としたくないし」

「願掛けなら、じいちゃんでも出来る…………っていうか、兄貴だってもう出来るんじゃねえの? 神道文化学部だろう」

 萩原兄弟の父方の祖父は住職だ。祖父の自宅の敷地には小さいながらも堂があり、仏様も鎮座している。成田山のような大きなお寺ではなく、主に地域である法要やお墓の管理等で暮らしていた。檀家さんからのお裾分けに何度か食費を救われたと語っていた気がする。苦しかったのは昔のことで、今は社会人が多い伯父一家が祖父の家で同居している為、家計的には問題無いらしい。寺を継ぐのも伯父一家だ。
 そのせいなのか、それ以外にも理由があるのか。この兄は、仏教ではなく神道の方へと舵をきっていた。
 まあ、父方の祖母の実家が神社なせいもあるのかもしれない。神社の方は、まだ跡継ぎが決まってなかった。
 萩原家は、神道と仏教のハイブリット家系なのだ。世間に公表することでもないから、アイドル界隈には流していない情報である。知ってる奴が居たら、そいつは間者か何かだ。

「俺、まだ資格持ってねえから」

 笑いながら、兄は言う。
 そういう問題なのだろうかと、大は首を捻った。

「兄ちゃん、文化学部楽しい?」

「楽しいよ。研究することも、覚えることもたくさんあるけど。お前がアイドルの修行やってるのと一緒」

「ふーん」

「なんだよー、もうちょい興味持ってくれよー。兄ちゃん寂しい、寂しいぞ大ちゃん」

「兄貴に【大ちゃん】呼ばれると、なんか腹立つ」

「酷い」

 大は、袖で目元を拭う振りをする兄に冷めた視線を送る。
 どこが酷いのか。

「最近、直哉みたいになってきてないか? 大は」

「あれと一緒にすんなー。オレは心根だけは真っ直ぐな自信があるぞ。菩薩(たつき)や獄卒(なおや)みたいに歪んでねえよ」

 兄に緩く抗議すると、からからと笑われた。

「そっかあ、そうだよなあ。野球一本でやってきた兄ちゃんの弟だもんなあ」

 わしゃわしゃと、頭の形を確かめるようにわしゃわしゃと髪をかき混ぜられる。
「もう高校生だからやめろ」と言っても、兄は手を動かした。
 さすが連休というか、成田山というか、くだらない話しをしていても、まだ本殿前に辿り着かない。萩原兄弟の目前には家族連れから友達連れ、ツアー客等で作られた列が出来上がっており、大きな本殿前は参拝する者と終わった者であふれている。
 連休でこの状態なのだから、一番人が来る正月はもっと酷い状態だろう。噂では、最寄り駅から既に詣でる列が出来ていて、あまりの人の多さにそこで初詣を諦めた人もいるらしい。地元民で正月に突撃する者は信心深い猛者か、人混みでも平気な奴か、怖いもの見たさのどれかだ。
 大は、ぼさぼさになった髪を手櫛で直しつつ、兄を盗み見る。
 自分とよく似た顔の兄は、鼻唄を歌いながら参拝の順番を待っていた。

「ここに来た理由なんだけどさあ」

 唐突に彰が口を開いて、大の肩が跳ね上がった。

「どしたー?」

「いや、なんでもない。で? 理由ってなんだよ」

「やっぱり、連れて来た理由あるじゃねえか」という悪態は喉の奥に押し込み、兄の言葉を待つ。
 彰はニコニコとした表情を見せながら、口を開いた。

「最近、どうも悩んでる様子だったから」

「誰が?」

 そう問うと、兄は大の胸に拳を当てる。

「オレ⁉」

「そうそう、君です」

「なんで⁉」

「何でって、お前気づいてなかったのか? 大くんはなあー、ここのところぼーっとしてる事が増えてたんですよ。上の空ってやつ?」

 家族と揃って食卓を囲んでいるときも、テレビを見ている時も、心ここにあらずな反応だったという。

『前は先輩たちの研究だって言って、食いつくように音楽番組を見ていたのに、この間はぼさーっとした様子で見てたのよ! お母さんが朝ドラの感想伝えてる時も、どっか違う場所を見てる感じなの。ちょっと前まではちゃんと聞いてたのに、どうしちゃったのかしら。おかしいと思わない? お兄ちゃん』

 大の様子を心配した母親が、一人暮らしをしている彰に捲し立てるようにして連絡を入れてきたのは、連休に入る前だった。
 指摘された大は、ポカンと口を開けたまま、閉じることができない。
 兄に連絡が行くほど、おかしな行動をしていただろうか。

「…………それでオレを連れ出して、聞きだそうとしたってわけ?」

 大は、遠くに行っていた自分を取り戻して、じっとりとした視線を送る。
 弟に睨まれてもなお、兄は飄々としたものだ。

「そういうこと、そういうこと。で、何に悩んでたんだ?」

「別に悩んでたとかじゃねえよ。ただちょっと、気になる事を引きずってるっていうか……」

「それを悩んでるって言うんです。で、気になることってなによ。芸能界の闇でもみちゃったか?」

 列が二組分進む。
 それでも本殿までまだ距離があるが、滞りなく参拝ができるようにと賽銭の準備をする。
 大は財布の中にある小銭を数えながら口を開いた。

「闇っていうか……三月のお披露目イベントの後、スカウトされたんよ」

「誰が?」

「オレ」

「はあ⁉」

 周囲に居た参拝客が、ちらちらと兄弟に視線を向ける。
「声がデカイ」と弟は兄の脇腹を小突き、兄は大声を誤魔化すように咳払いをする。
 兄弟から興味が失せた周囲の視線が外れたところで、声量に注意しながら会話を続けた。

「断ったんだよな?」

「もち。あ、大人たちにはもう報告済みだぜ。スカウトして来た奴の名前言ったら、すっげえ怒ってた」

「大の言う大人たちって、マネージャーさんと豪華炎乱(ボス)だろう。癪に障る名前だったのか?」

「さあ? 『二度と近づくな』ってものすげえ剣幕だったから、詳しく聞けなかった。あの様子じゃ、ボスたちのブラックリストに載ってるんだろうな」

「悪徳業者とかなんじゃない? 気をつけろよー、そういうのしつこそうだからな」

 並んでいた列が、本殿に近づくに連れて少しずつ広げられて行く。
 大勢の参拝客を迎える成田山の賽銭箱は、横長な造りをしているのだ。列はその長さに合わせて形成されていた。
 賽銭箱が見える位置まで来ると、待っていた時間が嘘のようにさくさくと進む。
 兄と話していたせいで、なにを願うか考えるのを忘れていた。

「なにを願えばいいんだっけ?」

「願う前に挨拶をしろー。基本だぞ、基本。あと、感謝の言葉も忘れるなよ」

「成田山の仏様は強いからな」と、彰がからからと笑って釘を刺す。そんなことは、大も承知の上だ。
 ようやく参拝の順番が来て、賽銭箱に十円玉を投げた。
 成田山は寺だ。柏手は打たず、両の手を静かに合わせる。
 ご挨拶と日頃の礼を伝えて、この先も何事もなく無事に過ごせるよう祈願する。また二月にあった失踪未遂は勘弁だ。

「(ツアーも無事に終わりますように)」

 参拝を終えてから、おみくじを引きたいという彰に付き合って、大も引いた。
 紙を開いて、出てきた文字に目を剥く。
【凶】

「げえっ! まじ……っ!」

「おー。ある意味レアだぞー、大ちゃんや」

 彰が、にやついた笑みを見せつつ、大のおみくじを覗き見た。

「大ちゃん言うな! レアなもんかよ……! ツアー前なのに、幸先わりぃよ……!」

 樹はともかく、直哉に言ったら絶対弄られる案件だ。
 とりあえず結ぶかと、おみくじがびっしりと結ばれている紐に結びつけた。
 十六年と五ヶ月生きてきて、凶なんて引いたの初めてである。
 彰が言った通り珍しい体験ではあるが、出来ればお目にかかりたくない体験でもある。
 よりにもよってなんで凶なんだ。でも、受験前とかじゃないだけマシか。ツアー前ではあるけれど、ヴァンドが主役のツアーじゃねえしな。
 大が、運がいいのか悪いのかわからない運に頭を抱えていると、彰が唐突に口を開いた。

「おみくじにおいて、一番大事なことはなんだと思う?」

「あ? なんだよいきなり。とんちか?」

「違う違う。で、なんだと思う?」

 質問を投げた兄は、胸の前でひらひらと自分のおみくじを振る。
 彰が引いたおみくじは【吉】だ。
 うーんと首を捻って、弟はぱっと閃いた答えを口に出した。

「吉でも、自信満々でいられる根性……とか?」

「外れ…………ってほどでもないな」

「当たりでもないのかよ」

 答えた時に頭に置かれた兄の手を払い退けつつ、「じゃあ、正解はなんなんだ」と睨んだ。

「正解の前に、まずおみくじのあり方だ。これはお兄ちゃんの持論だが、おみくじは運勢占いじゃない。おみくじは神様……ここではお不動さんか…………お不動さんから参拝した者への返事なんだよ」

「返事?」

「そう、返事。大事なのは運勢じゃなくて、返事の方だ。ここのおみくじは漢文がついてるだろう。ちなみに香取神宮をはじめとした神社のおみくじには、和歌がついてることが多い」

「そうだっけ?」

「そうだよ。神様からの返事は、その部分だ。吉とか凶とかの方じゃなくてな。その返事をどう受け止めるかは、受け取った奴の心持ち次第」

 例え【凶】という運勢が出ていても、神様からの言葉は違うかもしれない。兄はそう言いたいのだろうか。 兄の話は時々難しくて、混乱してしまう。
 大が腕を組んで首を傾げている間に「うなぎでも食べに行くかー」と、彰が動き出した。うなぎは、成田山の名物の一つだ。

「兄ちゃん、うなぎ食う金あんのかよー」

「バイト青年舐めんなよー。二人分ぐらいなら問題ない。それに、お前の仲間は今ごろマー牧でジンギスカンだろう? ツアー前の験担ぎ、負けてらんないっしょー」

「験担ぎって…………ツアーは対戦イベントじゃないぞ。怪盗騎士も終わったし、そもそも出てたの直ちゃん……!」

「おバカ」

 言葉を発してる途中で、強い力でべしんと背中を叩かれた。
 元野球部の筋力は今も健在だ。超痛いと、大は身悶えた。

「せっかく先輩の胸を借りて大きな舞台に立てるんだ。踏み台にして、頂点(てっぺん)狙う気でいかなくてどうする? 良い子か? お前は」

「そ、そうッスね……」

「ヴァンドの中で一番良い子だという自信はある」という言葉は、喉の奥に押し込んでおいた。
 兄の言う通り、ヴァンドの目標は頂きだ。キャッチコピーにも入れている。
【頂きにて、咆哮せよ】
 目指すべき場所を忘れないように心に刻み込めと与えられた言霊。
 見かけは静かに、淑やかに。けれど、内には熱い火を燃やし、虎視眈々と獲物を狙う獣であれ。掴んだ獲物は決して手放さず、頂へと持っていけ。事務所の名に恥じないユニットであれ。そして、越えてみせろ。先を歩く大人たちを。
 そんな言葉を貰ってから、もうすぐ一年を迎える。

「テッペン目指してんだろう? お前たちの歌が春夏の甲子園球場に響くの楽しみにしてるんだからな、俺は」

 笑みを湛えて言い切る彰の視線は、どこまでも真っ直ぐだ。
 俺の弟たちが転ぶはずがないと、信じている目である。
 兄にそこまで言われては、当人の大はノッて行くしかない。
 できないとは言えない流れだ。

「入場行進で流れるやつ?」

「応援でもいいぞ」

「使われるくらい売れるように頑張るわ」

「お兄ちゃんが楽しみにしてるなら、やるしかねえなあ」とおどけて言うと、また背中を叩かれた。


「なんて花だっけ?」

 直哉が、真っ青な花が広がる畑の中から問う。
 今居る場所は、マザー牧場だ。東京ドームが何十個も入る広大な牧場には、飼育されている動物とふれあえるエリアから、ミニ観覧車がある遊園地、飲食ブースや羊のショーが見れるドームがある。
 樹は、ここに来るまでに買ったソフトクリームを食べつつ、口を開いた。

「ネモフィラだよ。イバラキにも有名な場所があるじゃん?」

「あーー…………日立のとこね」

 あちらのネモフィラも、大賑わいらしい。毎年お祭りも開かれていて、出店にある肉が美味しいそうだ。
 樹の二歩先を、直哉は歩いていく。
 ここのネモフィラは、丘の斜面に植えられている。樹たちは頂上エリアから入園したので、丘を下りるようにしてネモフィラの畑を楽しんでいた。大人二人は、戻ってくるのが大変だから上にいると言って、坂を下りてない。
 下り坂に身を任せていると、足がずんすんと進んでいく。
 地獄の獄卒が、青い花に囲まれている。後ろ姿をこっそりと撮影して、あとでTwitterに載せておこう。公式のTwitterは宣伝ばかり流しているから、この旅はオフショットを撮る良い機会だ。
 樹が直哉の背中にスマホを向けると、くるりと身体の向きを変えられる。
 眠そうな視線が、樹を射抜く。

「さっきの話の続きなんだけどさあ」

「えーーっと、どの話?」

「鋸山で聞いてきたじゃん? 『イベントで何かあった?』って」

 そよそよと吹く風が、二人の頬を撫でていく。
 広がる青が目に眩しい。

「あの話、詳細は言えないけど、例え話ならできるよ」

「ふーん。じゃあ、話してもらおうかな。例え話」

「怒らない?」

「怒らないよ」

 樹が笑って答えてから、直哉はゆっくりと口を開いた。

「俺が、ヴァンド抜けるって言ったら、樹はどうする?」

 下から走ってきた小さな子どもたちが、二人の脇をすり抜けて、頂上を目指す。
 俺たちにもあんな頃があったなと頭の片隅で思い出しながら、樹は口を開いた。

「連れ戻す。お前も、同じことを聞いたら、こう言うだろう?」

 わかりきったことを聞くもんだ。
 ヴァンドは、三人揃ってヴァンドなのだ。誰かが欠けるなんてあり得ない。そもそも、そんな真似はさせない。
 もしも引き抜くような奴が現れたら、手中にあるコネを使ってそいつを潰す。

「さすがリーダー。大正解」

「クリフェスの時も言ったじゃん。俺、嫉妬深いって。お前が他のユニットで踊ってる姿見たら、狂うと思う」

「俺、永遠にシャッフル企画出れないやつ」

「メルバレみたいな企画が来たらまた俺が出るから、ゆっくりしてていいよ」

 直哉は樹と距離を詰めると、カメラにしたままのスマホを取り上げた。

「勝手に写真撮ってるー。撮影料取るよー」

「ごめんごめん。ソフトクリームのコーンあげるから許して」

 スマホと交換する形で、コーンを直哉に押しつける。
 直哉は「しょうがないなあ」と素直に受け取って、あっという間に食べてしまった。
 着いて早々にジンギスカンを腹一杯食べていたのに、どこにコーンを収納したのかと呆れる早さだ。
 口のまわりについたクリームを指で拭いながら直哉は「じゃあさ」と、言葉を続けた。

「俺が『パイロットになりたいから辞める』って言ったらどうする?」

「それも簡単。ちゃんと送り出すよ。そっちの夢の方が、先に生まれてるだろう? でも、きっと泣いちゃうな……」

 ずっと一緒に居たのに、ついに別々の道に行くんだと。直哉の夢がついに叶うんだと思うと、きっと泣いちゃう。
 死に別れるわけではないのに、寂しくて寂しくて泣いちゃう姿が、ありありと浮かび上がった。
 樹の返答を聞いた直哉が、ふわりと微笑んだ。

「じゃあ、もしもその時が来たらリメンバー・ミー全力で歌ってあげる」

「ギターも弾いてくれる?」

「いいよ、弾いてあげる」

「練習しないとだね」

「クラシックギターなら鬼頭さんが持ってるから、練習し放題だよ」

 直哉の視線が山頂に向けられた。樹もつられて、そちらに視線を移す。
 鬼の保護者が、静かに佇んでいた。
 そして、そろそろ戻っておいでと言わんばかりに手招きをする。
 樹を置いて、直哉が駆け出した。

「遅れて来た人バンジーね!」

「はあ⁉ 先に駆け出した奴が言うな!」

 さすがの俺も、地獄のぞきは平気だけど、バンジーは無理だって。
 文句を吐きつつ、樹も遅れて駆け出す。
 振り返った直哉は、子どもの頃から変わらない笑顔を見せている。
 先ほど、脇をすり抜けていった子どものようだ。
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