second stage 疾風炎嵐


#バズリンアイドル
#ヴァンド

「自分から鬼頭さんの家に来るなんて、珍しいんじゃない? ──樹」

 ソファーとローテーブルの間に座っている親友(なおや)が、ゆっくりと首を巡らせて樹を見上げる。
 樹はじっとりと湿った視線を送りながら、彼の背後にあるソファーにどかりと腰を下ろした。

「元気そうじゃん」

 昨日一日心配して損したと、言外で告げる。
 この男は、昨日あった歌劇型イベント、ファントム×ナイトに出演していたが、エンディング間際になって具合が悪いと言い出し、エンディングには出ず早退したのだ。朝から本調子ではなかったようだが、樹がそれを知ったのは「早退する」と連絡を入れてきた時である。
 威圧する樹を、直哉は「まあね」と薄く笑って流し、視線を正面にあるテレビに戻した。
 大型のテレビには、直哉が推しているアイドルの姿が映っている。
 雷の如く響き渡る特徴的な楽曲は、霹靂神のものだ。画面にも、和風な衣装を身につけた二人の姿があった。
 樹は、いつのライブだろうと首を傾げた。画面に映る二人の顔立ちが現在(いま)と違う気がする。

「また霹靂神見てんの? この間、玲央先輩と見たって言ってなかったっけ?」

 どうしてそういう流れになったのかは知らないが、先月にあった休みの一日を利用して、直哉は一つ年上の先輩アイドルと霹靂神の映像を見直していたはずだ。

「好きなものは何度見ても楽しいから。樹だって、ガルパン何度も見てるでしょう?」

 それを言われると、樹はぐうの音も出ない。
 実際何度も見ている。
 樹はしばらく唸ってから、息を大きく吐き出し、背もたれに背を預けた。

「……鬼頭さんは?」

「駅前のモールにおかず買いに行ってる」

「お前留守番?」

「【動くな】って言われてるからね」

「本当なら、直哉もついて行ってアイスを買ってもらうはずだったのに」と、微熱を出していた少年は唇を尖らせる。
 彼の口ぶりから、普段もおかずを買うのに乗じてアイスやお菓子をこそっとカゴに入れてるのだろうと察した。
 マイペースな子どもを預かって、マネージャーも大変だなと少しだけ同情する。
 視界に入る画面から、霹靂神が流し目で視線を送ってくる。
 会場が割れたような歓声が、スピーカーから響いてきた。避雷針の頭上に雷でも落ちたのかと思うほどの悲鳴に似た歓声だった。
 どこの信者(ファン)も、推しに攻撃されるとノックアウトされるのだなと、しみじみと思う。
 昨日の怪盗騎士でも、会場の至るところから声援と歓声が上がっていた。樹が印象に残っているのは、やはり目の前にいる副官の回だ。滅多に見せない満面の笑みを、副官はここぞという場面で使い、悲鳴を上げさせていた。微熱を出していたくせに、無茶をする奴である。
 昨日今日と彼の様子を見る限り、微熱の原因は風邪ではない。長いこと一緒にいるから、なんとなく察してる。
 今回の微熱は、ストレスから来るものだ。この少年は、見かけと言動からストレスに強いと思われがちだが、実際は逆である。本当は、ヴァンドで一番甘えっ子で、一番繊細なやつなのだ。
 ここ最近、直哉のレッスンはツアーと怪盗騎士の両方を詰め込まれていた。休みはちゃんと与えられていたけれど、それでもストレスを消化出来なかったのだろう。それとも、仕事以外の場所で溜め込んだか。考えられるのは母親に関連することだろうが、昨日会場に応援に来ていた妹の光希(みき)と会った時は、特に変わった様子を見せなかった。妹の方も、久しぶりに直哉に会えてきゃっきゃと喜んでいた。
 家族から来るストレスではないとしたら、あと残っているのは友人関係である。が、この男の交友関係は狭い。学校に【友達】と呼べる赤の他人はおらず、交流頻度が高いアイドルも、片手の指で足りる人数だ。その足りる人数の中に、ストレスを抱えさせるようなアイドルは居ただろうか。
 直哉がよく絡んでいる朱雀先輩は、賑やかだしお喋り人間ではあるけど、ツラい当たりをする人ではないし、最近交流している玲央先輩も穏やかな人で、直哉が毛嫌いするタイプではない。他に交流している顔ぶれも、いたって普通の人たちだ。
 では、不調を与えたストレスはどこから来たのだろうと、思考がふりだしに戻ったところで、玄関の鍵がかちゃりと開く音がした。
 少年二人の顔が玄関のある方角へ向けられる。
 ドアがバタンと閉まる音がしてから、鬼頭(やぬし)が直哉を呼ぶ声がした。

「樹ー、代わりに行ってきてー」

「はあー?」

「今、いいところだから」

「さぼリーダーめ」

「一時停止すればいいだけでは?」と思いつつ、樹は仕方なく重い腰をあげてリビングを出た。
 玄関を見ると、五キロのお米の袋と、マイカゴに詰められた生鮮食品、その他お菓子やパンが入ったエコバックが一つ置かれている。この家は、数日分をまとめて買うタイプみたいだ。
 靴を脱いでいたマネージャーが樹に気づいて目を僅かに大きくする。

「来てたのか」

「まあ……。最近、調子が悪いみたいだったから、その様子見です」

 誰の調子とは、鬼頭なら言わなくてもわかるだろう。
 三月からずっと一緒に暮らしているし、昨日連れて帰ったのもこの男だ。今では、親よりも頼りになる男である。
 鬼頭は息を一つ吐き出すと「リーダーも大変だな」とぼやいた。

「お互い様でしょう。直ちゃんが、ストレス溜め込んで拗らせるのは年中行事みたいなものだと、わかってはいるんですけどね」

 それでも、心配なものは心配なのだ。また音信不通で無断外出されたらたまったもんじゃない。
 樹は、よいしょと米の袋を持ち上げて笑ってみせる。
 今、直哉の世話をしているのは鬼頭だが、樹だってあの男とは幼少期からの付き合いだ。直哉のストレスを発散させる方法は、幾つか頭に入っている。
 一番手っ取り早いのは舞浜で遊ぶ方法だが、今は連休中で混んでいる。直哉が持ってる年パスも、混雑が想定される日や運営側で事前に決められた日は使えないとなっていたはずだ。だから、舞浜は今回論外。

「適当にぶらっと連れ出して、ストレス消化させますよ。熱もたいしたことなかったみたいだし、いいですよね?」

 たまには高校生に戻って、がっつり遊んでも。
 ヴァンドのリーダーは、微笑みを湛えながらマネージャーに問う。
 断られても、問答無用で外に出す。そんな雰囲気もついでに纏わせた。
 マネージャーは呼吸二つ分間を空けた後で、深いところから息を吐き出す。

「誰かさんに似て、気が強いよな。お前は」

「なんのことだろうー? 誰のせいだろうー?」

「誰のせいだろうな、本当」

「お米持っていきますねー」

 くるりと踵を返して、廊下を進む。
 一年前は、樹よりも直哉の方が積極性も指揮系統能力も上で、リーダーも直哉に打診した程だったが、今では同程度か樹の方が上回っている。リーダーという立場上、他のユニットリーダーと関わる機会も多かった。一年前、直哉が「樹の方がいいよ」と提案したのは、「俺がやったらヴァンドの空気が厳しいものになるから」という理由だが、樹のリーダーとしての能力を見抜いていたのかもしれない。
 直哉は直哉で、副官みたいな立場を楽しんでいるようだし、大は大で、指揮官と副官の間に入りながら自由にやっている。
 まだ結成してから一年とは思えない後ろ楯もあるし、強めのコネと七光りもある。
 ヴァンドはきっと、色々なものに恵まれたユニットだ。


「遠出?」

 樹は、直哉が霹靂神のライブを見終えたところを見計らって、「明日どこかへ行こう」と誘った。
 定位置座したままの直哉は、ソファーに座る樹を訝る。

「うん。最近どこにも出掛けてないし、たまには遊びに行こうよ」

「樹がどーしてもって言うんなら行ってあげる」

 通常運転の上から目線だなと、樹の顔に苦笑が浮かんだ。
 が、ここで樹が苛立って直哉の機嫌を損ねたくない。損ねた時の代償(チョコクランチ代)が大きい。
 ふうと息を整えてから、樹は少しだけ頭を下げた。

「どーしてもです」

「じゃあ、行ってあげる。で、どこ行くの?」

 ぶっきらぼうな口調ではあるが、言葉の端々から直哉の気分が上がっているのを感じとる。
 舞浜やら水族館やらに頻繁に行くだけあって、出掛けることは苦ではないのだろう。それは樹も同じだ。好きなアニメの舞台となったオオアライの町によく足を運んでいる。
 今回の遠出は、直哉のストレス解消が目的だ。
 彼から振られた問いに樹は「直哉の好きなところでいいよ」と答えた。

「八景島にでも行く?」

「うーん……」

 直哉は、ローテーブルに肘を置いて頬杖を突く。

「連休前にお金下ろすの忘れちゃったからなあ」

 ぼやきながら、リモコンでチャンネルを回していく。
 この時間は、三十分放送の報道番組と、午前中から午後にかけて放送される生番組のワイドショーが多い。
「つまらない」と呟いた副官は、ソラジロウで有名なテレビ局で止めた。
 ここの局も報道の時間で、キャスターが淡々と午前中に入ってきたニュースを読み上げていく。
 中学生が行方不明だというニュースが終わると、天気予報と切り替える為か、CMが挟まれた。
 お昼から始まる情報番組の宣伝が流れる。今日は、ミナミボウソウを特集したロケ旅を放映するみたいだ。
 樹も行ったことがある牧場や、地獄覗きで有名な山(正式な区分では丘らしい)がテレビに映っている。
「県の南の方なんて、用でもない限り滅多に行かないなあ」と思いながら直哉の方を見ると、なんと食い入るように見ているではないか。
 現在、テレビ画面には美味しそうに焼かれているジンギスカンが映っている。そのあとに映った、ブルーベリー味のソフトクリーム。もふもふとした羊たち。
「美味しそう」という言葉が、直哉から聞こえる。
 舞浜に居る時みたいに、目がキラキラとしていた。
 ちょっと待て、マジか。
 助けを求めるように、昼食の準備でキッチンに立つマネージャーを見ると、俺は知らんとばかりに目をそらされた。
10/26ページ