second stage 疾風炎嵐
#バズリンアイドル
#ヴァンド
#豪華炎乱
#バズリン_花明かり
全身から、湯気が出ている気がする。
ヴァンドは、午前中のみっちりレッスンを終えると同時にばたりと床に倒れた。
「みっちりレッスンにも慣れてきた?」と聞かれれば、「慣れてきた」と返せる自信はある。
が、やはり疲れるものは疲れるのだ。
お昼時にはなったが、動き回った後で胃が食べ物を受け付けまいとしている。今無理に食べたら吐く。間違いない。
春高の朗らかな声音が、床に這いつくばって動けずにいたヴァンドのところに届いたのは、まさに体力の底が見えた時であった。
「昴さんの獣(にゃんこ)たちー、新しい衣装届いたよー」
レッスン室の扉を開け、顔を覗かせる。
口調のノリは、某あんパンなヒーローで一回は出るセリフ「新しい顔よー」に近い。
聞きなれない呼び方をされて、突っ込みを入れる余裕が残っていた大が口を開いた。
「にゃんこって何⁉」
「え? 君たちネコ科だろう?」
「何か間違ったこといったかな?」と、春高が首を傾げる。
ネコ科には違いない。
黒豹はネコ目ネコ科ヒョウ属なので、間違ってはいない。
間違ってはいないが、なんか釈然としない。
子猫扱いされてる気がしてならない。
そもそも、豪華炎乱のモチーフとなっているライオンもネコ科ではないか。「にゃんこ」呼ばわりするそちらも「にゃんこ」なのでは。
ヴァンドの三人は、じっとりと湿った視線を中年のライオンに向ける。
向けられた方は大して気にしてないらしく、「まあいいからおいでよ」と、手招きした。
「どうせ食欲ないんだろう? 本当は午後の時間に見せようと思ったけど、ぼーっとしてる時間が勿体無いし、今試着しておいで」
食欲が無いのは誰のせいだ。
喉元まで出掛けた言葉を呑み込み、春高曰く「昴さんの獣(にゃんこ)」たちは、のそのそとした動きで起き上がった。
春高の運転で連れられて来た場所は、豪華炎乱専用の衣装置き場兼作業場であった。
Bsプロの本社から、車で五分ほど離れた場所にあるマンションの一室に設けられ、衣装だけでなく打ち合わせや、ごうえんの大雑把な事務作業もこちらで行われている。経費やスケジュール管理等の細かな事務作業は本社の方でも行われ、この場は出張所みたいなものであると、春高は教えてくれた。
「長いことやってると、事務所の倉庫だけじゃ収納出来なくなってきてね。なんせ作った量が多いから。捨てたくても、資料的な面で残さないといけない物もあるし。うちの分だけで、後輩たちが使う貴重なスペースを埋めるわけにもいかないしね。それに、一ヶ所に纏めて置いてあった方が取り出しやすいし、ツアーに持って行く時も梱包しやすいだろう?」
春高は、衣装部屋の扉を開きつつ、三人に説明する。
確かに、事務所にある倉庫は衣装から事務所が買った機材、事務室で使う備品、災害時用のあれやそれで常にぎゅうぎゅうである。
今いるアイドルも、これから入ってくるアイドルのことも考えると、どうしても物が多い年長者は別の場所に保管した方がいいのだろう。春高が言うように管理もしやすい。
豪華炎乱の個人事務所みたいだなと思いながら、三人は扉を潜る。
玄関に入ってすぐにあるのは、少し長めの廊下だ。扉が右手に二つ、左手に一つ、そして廊下の奥にひとつある。春高が、右手側にあるのが衣装が置いてある部屋で、左手側にあるのはトイレや風呂等の水回りだと説明しながら足を進めた。
奥にある扉の先はリビングで、事務作業兼打ち合わせ場所として使っているそうだ。が、今日用がある部屋は衣装部屋なので、リビングには寄らず、三人は右手側奥にある部屋に案内される。
部屋の大きさは六畳ほどだろうか。服がみっちりと吊り下がっているかと思ったが、意外にも中はすっきりとしており、桐箪笥が一棹と折り畳み式の室内用物干し竿が壁一列に並んでいるのみである。物干しには、春ツアーで使う衣装の上着がかけられており、その対面に姿見鏡が二台置かれていた。
「十八年近くやっているわりには簡素だなあ」という心境を察したのだろう。
春高がにこにこと笑みを浮かべたまま、口を開いた。
「こっちにあるのは直ぐに使うやつとか、常用してるやつだね。もうひとつの方はみっちりだよ」
「見に行っていいですか?」
直哉が淡々とした口調で問うと、春高「その前にこっちが先だよ」と小さく笑った。
「これが、花明かりで君たちが着る衣装」
春高は、桐箪笥の前に置いてあった風呂敷包みを指差す。
平たい長方形の包みが三人分、これまた平べったい段ボール箱の中にそれぞれ収納されている。中身は春高が先に見ているらしく、段ボール箱の蓋は外されたままになっていた。風呂敷包みの上に、誰のものかわかるようにメモ書きも置いてある。
この形の風呂敷包みを見るのは、BtHの衣装を見た時以来だ。
ということは、中身は着物か羽織りであると、少年三人は察した。
花明かりの衣装は、豪華炎乱のライブツアーでも転用できる作りにしたと、春高が言う。BtHと花明かりの衣装デザインは同時期に作られ、どちらのイベントにどちらの衣装を着せるか悩んだそうだ。
豪華炎乱の衣装は、主に春高が面倒をみている。雅臣が口を挟むこともあるが、殆どは春高だ。BtHで着た地獄絵巻柄の羽織りも、ツアーライブで使える作りにしていた。
「羽織りだけでも、一着十数万円するんだよ」と、BtH前に春高が言っていた。「まだ始めてから一年にも満たない獣に、金かけすぎでは?」という心境が強く残っている。
果たして、今回の衣装はどうだろうか。
獣は自分の包みを抱え、それぞれ好きな場所に移動し、結び目を解く。
中から出てきたのは、さらりとした手触りの白い着物だ。よく見ると、銀色の糸で刺繍が施されている。刺繍は、小ぶりな桜の花が集まって形成された毬模様だ。社会科の資料集に載っていた平安時代の貴族の装束で、桜の花ではないけれど、これに似た柄をよく目にした。
一番先に、着物に慣れていた直哉が着てみると、あるはずの袂がないことに気づいた。袖は筒型で、手首に向かうにつれて口が広がっている。襟は着物のそれだが、樹がメルシーバレンタインで着ていた中華服についていた装飾と似たような装飾が、襟と襟を結ぶ形でついている。着るときは、片側を外す仕様だ。身ごろの脇は、太ももの半ばで縫うのを止められ、そこから下の部分は前身ごろと後ろ身ごろが別れていた。スリットみたいである。着物の下はBtH同様、細身の指貫だ。色も身ごろと同じである。
「なんか…………着物というより、中華服っぽいな……」
大が、自分の着物を持ち上げながら呟いた。
「あ。着物の縫い糸の色が、個人カラーだ! 細か!」
「みるからに生地が高そう……」
各々感想をぼそぼそと呟きつつ、大と樹も袖を通す。その間に、直哉がBtHでも使った帯を結び、着付けを終える。扇子を収納するホルダーは、花明かりでは太ももに着けるようだ。
花明かりの衣装は、三人お揃いの作りだった。違うのは使われている糸の色である。糸の違いは、言われないとわからないだろう。
三人が着付け終わったところで、春高が満足そうにうなずいた。
「うんうん。丈も問題なさそうだね。腕は大丈夫? 肩とかちゃんとあがる? 苦しくない?」
「大丈夫」
「問題なーし!」
「平気です」
春高の問いに、直哉が答え、続いて大、樹と答えていく。
肩回りが締め付けられていることもなく、袖も肘を曲げても窮屈ではない。指貫は少々裾を引き摺るが、裾にある紐を足首の辺りで搾って括ればいいので問題なしだ。
「よろしい」
「これ…………ぶっちゃけ幾らしたの?」
直哉が率直に問う。
触り心地といい、刺繍といい、BtHで着た羽織りと差がある。
直哉の問いに、春高は笑みを崩さず、けろりと答えた。
「一反、三桁万円はするかな?」
「さん……」
「けた……?」
思ってもいなかった単位が飛び出し、樹と大は絶句する。
質問した本人は、興味が失せたのか呆れたのか、「へー」と短く返した。
三桁万円…………つまり最低でも百万円はするということだろうか。
成人向けの着物は、一反で一人分仕立てるという。ここに三着あるということは、少なくとも三百万円はかかっているはずだ。
絶句する二人は自分の姿を見下ろしながら、丁重に扱わねばという使命感に襲われると同時に、冷たい汗が背筋を伝う。
着ていた物が、急に重たくなった気がする。
この重みはなんだろう。良い仕立ての着物を着る責任というものか、それともお金の重みか。
この衣装を、暴れること前提なBtHで着せるかどうか悩んだというから、恐ろしい先輩(コーチ)である。
「もう脱いでいい?」
大がぼそりと呟く。
長い時間、諭吉百人は必要とする着物を着ていたくない。
少年たちの胸の内を察したのだろう。
春高は快く許可を出すのと同時に、玄関の方から鬼頭が獣を呼ぶ声がした。
「あ、鬼頭(パパ)だ」
直哉が衣装を着たまま、出迎える為に玄関へと走り出していく。
今まさに脱ごうとしていた二人は、ひゅっと気道が絞まった。
「あのバカ、なんで平然としてられるんだ……!」
「せめて、着物だけ脱いで行け! お前絶対汚すから!」