first stage ワタリガラスの止まり木
#バズリンアイドル
#ヴァンド
「このばか直哉っ!」
駅のロータリーに立つなり、樹は言葉と共に拳を一つ直哉の頭に落とす。
「いたい」と、大して痛がっていない言葉が聞こえてきたが、聞こえないふりをして言葉を続けた。
「いきなり、何を言い出すんだ⁉ お前は! こっちは胆が冷えたぞ!」
樹は目を三角の形にし、眉もきゅっとつり上げて、きゃんきゃんと吠える。
直哉はうるさいとばかりに耳を塞いだ。
自分たちの担当をする人との初顔合わせ。それも、アイドルの先輩という立ち位置の男性(ひと)に、直哉は初手から斬り込んでいった。
『戦力外通告でもされたんですか?』
一瞬にして凍りつく、ブースの空気。
樹と大が「ひゅっ」と変な息の吸い方をした中で、花房という人は腹が捩れるほど笑っていたが、鬼頭は渋い表情をしていた。
あの人は絶対こう思ったに違いない。
「なんだ、このクソガキは」と。
担当マネージャーとアイドルという関係をこれから作っていかないといけないのに、一歩踏み出す前から溝が出来たかもしれない。
このクソガキは敵だと認定されて、適当な扱いを受けるかもしれない。
頭を抱える樹と打って変わって、当の直哉は飄々としたものだ。
「大丈夫だってー。あの人は悪い大人じゃなさそうだもん。ねえ、大ちゃん」
「うーんそうだなあー。雰囲気が直ちゃんにそっくりだったよなあー、あの鬼頭さんって人」
先ほどまで行われていた打ち合わせの様子を思い出す。
確かに、表面上はおっかない人であった。
背は自分たちよりも高いし、目つきは悪いし、口調も些か刺々しい。
が、その後は花房から打ち合わせを引き継いで、話をするすると進め、直哉が出した「名字ではなく、名前で呼んでくれ」という希望も叶えてくれている。残っている二人にも、名前の呼び方は名字でいいか確認していたし、帰りも事務所の最寄り駅まで車で送ってくれた。
面倒見の良い男ではないか。
大の意見に、直哉が深く頷いた。
「ほら。俺に似てるから大丈夫だよ、樹」
「お前に似てるから心配なんだよ。同族嫌悪とかするのなしな。一度敵認定すると根に持つからなあ、直ちゃんは」
自然と大きなため息が口から漏れてしまう。
樹が脱力する傍らで、直哉は左腕に着けている時計を確認した。
「打ち合わせ、意外と早く終わったね。どこか寄って帰る?」
時刻は午後の三時頃である。
胃の方も昼に食べた物を消化した頃だろう。
直哉に問われて、大も時計を確認した。
「そうだなあ。春休みだし、明日は予定ないし……ゲーセンでも行くか」
「出たよ、ゲーセン」
直哉が鼻であしらう。
大の顔に、カッと血が集まった。
「なんだよ! 良いだろう! せっかく、都内まで出てきたんだからさ! 家の近くは狩り尽くしたんだよ!」
「たっちゃんはどうする⁉」と、大が話をふる。
半分ほど気力を戻した樹は、ポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。
この辺りでぱっと遊べたり、食べたりするところは何があるだろうか。都内だから何かしらはあるだろうが、店の数が多くて逆に困る。
検索でもするかと画面を点灯させると、姉からメッセージが届いたとメッセージアプリが告げている。
内容は【打ち合わせ終わった? ちゃんと挨拶できた?】という、過保護で心配性な姉の性格がよく表れたものだった。
姉とは九年分歳が離れているので致し方ないが、四月から高校生な弟を、もう少し信用してほしいものである。
「あのさあ」
返信用の文面を作りながら、おもむろに口を開く。
「ん? なんだ?」
大と直哉の視線が、続きを促すように向けられる。
「姉ちゃんの会社がさあ、事務所の近所だったわ。玄関から見える位置」
「近くだよ」とは聞いていたけど、本当に近くて驚いたと、樹は続ける。
事務所の正面玄関から、姉の会社が入っている建物がしっかりと見えたのだ。
一回目の訪問の時に言えば良かったけど、慣れない場所で緊張していたせいか、確認するのをすっかり忘れていた。
今日は二回目だったので心にゆとりがあり、確認することができた。
直哉の表情が、樹の報を聞いて明るいものになる。
そういえば、この男の初恋はうちの姉ちゃんだったと、樹は思い出した。口に出したら首を絞められそうなので、心に留めておく。
期待に満ちた表情をして、直哉が口を開いた。
「レッスンの日、一緒に帰れるかな?」
「姉ちゃんの定時、五時四十五分だぞ。レッスンは平日は五時半からだって、鬼頭さん言ってたでしょう」
「ちくしょう……」
明るくなった表情が一気にしょぼくれる。
肩を落とす直哉の傍らから、大が一言言い放った。
「レッスンの日は無理でも、今日は大丈夫じゃねえ? 泉ちゃんが終わるまで、遊んでようぜ」
そんで、一緒に帰ればいいのだと、提案する。
直哉の表情に、明るさが復活した。
黒い瞳が、キラキラと輝いている。
「大ちゃん、頭良い。さすが、寺の孫。俺の下僕(いぬ)」
「誰が下僕(いぬ)だ!」
「ちょっと待って! 勝手に決めんな!」
「いいじゃん、いいじゃん。樹、スマホ貸してよ。泉さんに【いっしょに帰ろう】って送るから」
「いやだあ! お前、絶対余計な一言つけるからあ!」
両の手でスマホを隠し、直哉の視界から入らないようにするが、武道経験者に腕っぷしで勝てるわけがなく、あっさりと盗られてしまう。
樹から逃げながら、直哉は慣れた手つきでメッセージアプリを開いた。変なところで器用な奴である。
「【姉ちゃん大好き】って付け足しておくね」
「やめろ、ばかあ! わかった! マックフルーリーおごるから! チョコクランチ買うからあああああああ!」
「お先です」と、残業をする先輩たちや遅番の人たちに一声かけて、鬼頭は事務室を後にした。
肩に下げているのは通勤用のショルダーバッグだけのはずなのに、やけに肩が重い。
週末でもないのに、週末特有の気怠い空気が身を襲っている気がするのは、今日顔を合わせた三人……というより三人のうちの一人のせいだろう。
「誰が戦力外だっつーの……」
自分から降りてやったんだわ。
なのに、元マネージャーの花房は腹が捩れるほど笑っているし、打ち合わせ終わって事務室に戻ったら既に話が広まっていて(犯人は先に戻っていた花房だろう)、同僚たちからクスクスと笑われる始末。
花房へは後日なにかしらの方法でやり返すとして、あの直哉とかいうクソガキはどうしてやろうか。
雅臣も春高もこぞってこの少年と自分が似ていると言っていたが、どこが似ているのだろう。学生時代、喧嘩ふっかけてきた不良(ヤンキー)を蹴り上げたことはあるが、あんなにクソガキだった覚えはない。
「そういうところが似てるんだよー」とほざく、雅臣の憎たらしい表情(かお)が浮かんだが、頭を軽く振って払い消した。
明日も仕事だ。早く帰ろう。早く寝よう。
なのに、こういう日に限って電車通勤なのだ。普段は自家用車で通勤しているのに、車検で愛車は不在。代車で首都高を運転するのは事故に巻き込まれた時が面倒だなと思って、電車を選んだ。車が戻ってくるのは明日の夕方だ。明日も電車通勤である。
電車だと自分のペースで帰れないから苦手なんだよなと思いつつ、会社の正面玄関を抜け、外の通りへ出る。
日中は春独特の暖かな空気であったが、日が沈むと冬の残り香のような冷たさが漂っていた。
冷たさが無くなるまで、もうしばらく辛抱だなあと息を吐き出し、通りを静かに歩み出そうとしたところで、聞き覚えのある声が、後方から耳朶をついた。
「あら?」
踏み出そうとしていた足を止めて、僅かに身体を後方へ向ける。
ゆるりと伸ばされた茶色の毛と、髪と似た色をした瞳が目に入った。
顔を見るのは、冬の入り以来である。
彼女はあの時と変わらない様子で、ぱあっと表情を明るくさせながら言葉を続けた。
「こんばんは、お久しぶりです! お元気でしたか?」
「こんばんは。まあぼちぼちと……。今、お帰りですか?」
「はい! 珍しく、定時に仕事が終わりまして」
仕事の方は年度末でどたばたとしているけれど、連日連日残業をするのも癪なので、キリの良いところで切り上げて、退勤したという。
雰囲気はゆるりと咲いた花のようなのに、なかなか潔い性格をしているなと感心した。
見かけによらず、気が強いのかもしれない。いや、強いな。【はがしの女】だったな。そういえば。
サイン会での出来事を思いだし、考えを改める。
自分も似たようなものだと告げて、二人自然と歩き出した。
向かう先は駅だ。成り行きで共に帰ることになってしまったが、どういうわけか、嫌な気持ちが一切沸いてこないので、拒む言葉も出てこなかった。
彼女の方は、この状況をどう思っているのかわからないが、てくてくとついて来る様子を見る限り、嫌ではないのだろう。
ファンサービスの一つだと思って、彼女の歩幅に合わせてゆるゆると道を歩む。
その間に、彼女がにこにこと笑みを見せながら近況を話してくれた。
上の弟が、最近動画作りにはまっていること。
下の弟が高校受験に受かったこと。
自分自身は特に代わり映えのない日常生活を送っていること。
新しいアイドルが次々と出てきて毎日楽しいこと。
「おめでとうございます」「新しい事務所も出てきてますからね」と、当たり障りない相槌を打ちながら、舌打ちするのを我慢する。
引退してからまだ五年しか経ってないのに、気の利いた言葉が出てこない。
握手会やらサイン会やら、ライブのMCやらで喋りは鍛えられたはずなのに、これは少々衰えすぎでは。十年もやってたのに、幻滅である。
あの頃と何が違う。
頭の回転?
場の雰囲気?
スイッチの切り替えが下手くそになった?
むむむと唸りながら原因を探っていると、彼女の声が一段階高くなって、耳に響いた。
「そういえば今日、下の弟がBsプロに行ったんですよ! 打ち合わせで!」
「え?」
吐いた本人でも驚くほど、気の抜けた言葉が出て、足が止まる。
彼女もぴたりと足を止めて、真っ直ぐな視線を鬼頭へ向けた。
「冬にあなたと会った後、弟のところにBsからスカウトのメールが届いて。あ、もしかして会いました?」
彼女がキラキラと輝いて見えるのは、通りを照らす街頭や店舗から漏れる明かりのせいだけではないだろう。
良い返答を期待している目である。
打ち合わせで、彼女の弟が来た。
ぱっと頭に浮かんだのは、本日から受け持った生意気なクソガキがいる三人組である。
下の弟ということは、高校受験が無事に終わった方の弟だろう。
今日、打ち合わせをしに来た高校生(というか、まだ中坊か)は、あの三人組だけだ。
まさか。
いや、ないない。世間はそんなに狭くない。
鬼頭は一度咳払いをしてから、ゆっくりと口を開いた。
「失礼ですが、弟さんのお名前は……?」
「樹です。兵藤樹!」
はっきりとした声で、彼女は告げる。
鬼頭の視界が、少しだけぐらついた。
「なあ、直ちゃん」
「うん?」
遊んでいたゲームセンターから駅へと戻る道すがら。
直哉の隣を歩いていた大が、控えめに話しかける。
直哉は前方に向けていた視線を、大の方へと落とした。
「自分の家族のこと、いつかはあのマネージャーに話すのか?」
大の問いかけに、直哉は直ぐに答えない。
再び、視線を前に向けて、少し考えるように喉を唸らせる。
視界に入るのは、一歩先を歩く樹の後頭部だ。
先ほど、姉の泉から電話がかかってきて、耳にスマートフォンを当てている。
「そのうち…………話すしかないんじゃないの……?」
直哉の家庭環境は、お世辞にも良いとは言えない。
雨風を凌げ、三食分食事が出て、寝床も風呂にも入れる。住居的には問題ない。問題なのは、その家を仕切る直哉の親……特に母親の方だ。
直哉は自分が勝手な質だと自覚しているが、母はそうではない。
母親は、自分勝手を通り越した性格をしているのに、自覚がなのだ。むしろ、「母は良い性格をしている」と言い切っている。
プライドが高く、世間体を気にし、そのわりには突飛な行動をして、直哉を困らせる。品よく見せたいとブランド物の衣服や装飾品を買い漁り、息子の話を膨張して語り、「やめてくれ」と言えば「あなたの評判がよくなる為にやっているのだ」と、ヒステリックになって怒り出す。それなのに、良い母親をしていると胸を張って言う。
母親本人は、「私はちゃんと子育てをしている」「良き親をしている」という姿を世間に見せたいのだろうが、直哉からしてみれば滑稽以外のなにものでもなかった。
そもそも、評判ってなんだ。直哉は世間から良い評価を得ようと思ったことはないし、母の鼻を高くする為の道具になった覚えもない。
その母親が、一番最悪な行動を起こしたのが、直哉が小学校三年生の時だった。
母は、直哉が大切にしていたものを奪った。
その頃から、直哉は母親に対して距離をおいている。今では、業務連絡みたいな会話しかしていない。母親の夫……父親との会話も、そんなものだ。
年を重ねるにつれて深く関わらないようにしようと思っていたが、顔を出す仕事をするなら、そうもいかない。
週刊誌は、下世話なネタが好きだ。どこそこの芸能人が不倫をしただとか、当て逃げをしただとか、薬をやっていただとかはもちろん、家族にもネタがあるとわかると、容赦なく踏み込んでくる。
いつだったかは、女性アイドルの母親が未成年の男を家に連れ込んでいただとか、有名な芸能人の家族が新興宗教に依存して絶縁状態だという話も掘られていた。
週刊誌が好むネタを見る限り、直哉と母の関係も嗅ぎ付けられたら掘られる可能性が高い。
記事になってからでは遅いので、事前に家庭の事情を会社の大人たちに伝え、このふざけた母親をどう黙らせるべきか、干渉させないようにすべきか、お伺いをする必要はあると思ってはいる。
「まあ、直ぐデビューするわけじゃないし。こんなひよっ子をメディアがいきなり取り上げるわけないし、この大人は信頼できそうだなって思ったら話すよ。とりあえず、今は奪われたもの全部取り返して、稼ぐ方が大事」
ささっと稼いで、一人暮らしできるくらい貯金して、高校を卒業したら家を出ていく。
樹のところに事務所からメールが届くまでは、家を出る必要がある地方の航空大か、航空専門学校にいこうと考えていたほど、家から出たくて仕方ない。
幼い妹二人を、あの母親のところに置いていくのが怖いが、アイドルの仕事が順調で、三人で暮らせるくらい稼げるようになっていたら、妹を連れて出ていくのもありかもしれない。メールが届いてからそう思い始めた。
直哉の決意が、駅前に広がる繁華街の空気に溶けていく。
正面を見据える瞳は、樹の後ろ姿よりも、目的地である駅よりも遠くを見ているようであった。
大は、繁華街の明かりに照らされる直哉の横顔を盗み見て、開こうとしていた口を閉ざす。
直哉は、三人の中で一番大人びている。
顔のせいかもしれないし、本人が出す空気のせいもあるかもしれないし、口が達者せいもあるかもしれない。
小学生の頃はその口の達者さが災いして、友人を作るのに苦労していた。
大は「直哉の喋り方が怖い」と言っているクラスメートの姿を、何度か目撃しているし、「それは違う」と反論したこともある。
ちょっとは肩の力を抜いて、心も柔らかくすればいいのに。
そうすれば、誰にも反発されず、すんなりと打ち解けられるはずなのに。
直哉の家庭環境が、それを許さない。
大は直哉に気づかれないように、息を吐き出す。
一歩先を歩く樹が振り返ったのはその時であった。
「姉ちゃん、もう直ぐ駅着くって」
「まじー? 早いねえ」
「定時であがったんだってさ」
のほほんとした様子で返す直哉に、樹が答える。
「じゃあ、さっさと駅行こう。お出迎えしよう」
「泉さんを待たせるのは無しである」と、直哉が歩調を早める。
小走りを通り越して、がっつりと走り出した直哉を、樹と大は一瞬遅れて追いかけた。