first stage ワタリガラスの止まり木

#バズリンアイドル
#ヴァンド

 ◇  ◇  ◇

 だいじょーぶ。
 あなたなら、大丈夫よ。

 ◇  ◇  ◇

 その日、小学校から戻った藤直哉(ふじ なおや)はとてもむかむかとして、大好きなホットケーキも喉を通らないほどだった。
 ホットケーキは隣の家に住む親友、兵藤樹(ひょうどう たつき)の姉、兵藤泉(ひょうどう いずみ)が作ったものだ。泉は高校三年生の三学期とあってか自由登校期間に入っている。親が共働きで留守がちな直哉は、二月に入ってから学校から帰ると樹の家に入り浸っていた。そして、当然のように泉におやつを用意してもらって、樹と食べるのだ。
 でも、今日はそのおやつも喉を通らない。目の前にあるホットケーキはまだ出来立てで、ふわふわと湯気を漂わせ、二枚に重ねられたケーキの上にあるマーガリンが今にも溶け崩れそうであった。
 むすっとしたまま、直哉はケーキを見つめることしかできない。
 フォークにも手を伸ばそうとしない直哉に、泉が首を傾げる気配がした。

「直哉、どうしたの?」

「クラスの子とけんかしたんだよ」

 直哉の隣でホットケーキを食べ進めていた樹が姉に教える。
 直哉の眉が、不服そうにきゅっとつり上がった。

「けんかじゃないよ。むこうからふっかけてきたんだ……おれからじゃない」

「あいてしちゃったじゃない。むしすればいいのにさ」

「だって……」

 だって、それは、むししたらにげたみたいで、いやだったから。
 そう言いたかったけど、泉が割って入ってきたので、直哉は口を閉じなければならなくなった。

「相手の子に、何て言われたの?」

「そ、それは……その……えっと……」

 上手く言葉が出せなくて、もごもごと口だけが動く。
 だって、幻滅されちゃったらどうしよう。
 そんなことで喧嘩したのかと、呆れられたらどうしよう。
 男らしくないって笑われたらどうしよう。
 泉は優しいお姉さんだ。そんなことは思わないとわかっていても、どうしても気が引けてしまう。
 直哉が黙ったまま、項垂れていると、またしても樹が口を挟んできた。

「しゃべり方がこわいって言われたんだって」

「たつきぃっ!」

 慌てて樹の口を塞ぎにいくも、もう遅い。
 弟の言葉はしっかりと泉の耳に入って、目を丸くして直哉を見ている。
 居心地が悪くて、直哉は泉から視線をそらし俯いた。

「喋り方?」

「おれや、大ちゃんは、なれてるから、こわくもなんともないけどね。まだ、一年しかいっしょにいないクラスの子たちは、こわいって言うんだってさ」

 ホットケーキを食べ進めながら、樹は話を続ける。
 樹の口からでた「大」という子は、もう一人の幼馴染み、萩原大(はぎわら だい)のことだ。
 樹と直哉は、今小学校三年生だ。昨年の四月に進級と同時にクラス替えがあって、樹と直哉は違うクラスになった。大は直哉と一緒だ。一年、二年と直哉と過ごした子は、口調について何も言って来なくなったが、三年生から一緒になった子からは「こわい」と言われる。最近は、その回数が増えてきた。
 直哉は、よくも悪くも思ったことを正直に言う。
 相手が悪いことをしている時や、間違ったことをしている時は特にそうだ。上級生とか下級生とか関係ない。男だとか、女だとかも関係ない。遠い言い回しにして、言いたいことをぼかすという真似も滅多にしない。
 飾らず誰にも媚びず、堂々と真っ直ぐ生きていく様は、直哉の長所だ。
 でもその態度が怖いのだと、慣れてない同級生たちは口々に言う。

「教室の掃除してたとき、同じ班の女子のホウキの使い方が悪かったから……こうした方がいいよって教えただけなんだよ…………」

「ありがとう」とお礼を言われるか、「わかった」と納得されるかという場面で、「こわい」と言われるとは思わなかった。
 それにちょっとむかついてしまって、直哉も言い返してしまった。
 相手の子も負けじと言い返す。日頃の憂さ晴らしの為か、男子も寄ってたかって口撃してくる。
 昼休みが終わった後の掃除の時間。
 直哉のクラスはちょっとしたパニックになり、樹のクラスにも騒動が伝わるほどだった。
 手を出すような喧嘩には発展してないので、先生から大きなお咎めはなかったものの、「もう少し言い方を工夫しなさい」と苦言を呈された。
 直哉は疲れた様子で、息を吐き出す。
 直哉本人は、優しく諭すように言ったつもりだ。それでも、言葉の端がトゲトゲするらしく、慣れない子たちは「こわい」を繰り返す。
 クラスの連中が頭を過ぎ去り、また胸がむかむかとしてきた。
 次のクラス替えは五年生に進級するときだ。来年もあの連中と一緒かと思うと、頭が痛い。

「つかれちゃったなあ。話すたびにこわがられるんじゃ、ともだち作る気も失せる」

 樹と大がいれば十分だ。
 樹が心配そうに視線を向けて来たが、見なかったことにして、もそもそとホットケーキを切り分ける。
 先程までふわふわと湯気が出ていたのに、悩んでいた間にすっかり消えてしまっている。もっと熱々な時に食べ始めればよかった。
 話している間にじわりと熱くなった目頭を、ごしごしと手の甲で擦っていると、後ろから不意に抱き上げられた。

「わ…………っ!」

 足が宙ぶらりんになり、何事かとわたわたともがくうちに、優しくてあたたかい腕にすっぽりと包まれる。そして、ぽんぽんと励ますように背中を叩かれた。

「疲れちゃったかー。そっかー。じゃあ充電して、体力回復してあげようね」

 泉に抱き上げられて、そのまま膝の上に乗せられたと気づくのに時間がかかった。ほんの一瞬の出来事だけど、直哉には少しだけ長く感じた一瞬だった。

「い、いず……⁉」

 泉の、ゆるゆると波打つように伸ばされた髪の先が、鼻にかかって少しくすぐったい。それに、向き合う形で抱かれているから、顔が泉の胸に押し付けられて、鼓動がよく聞こえる。
 こんな風に、抱っこをされるのは何歳以来だろうか。少なくとも、この一年はされてなかった気がする。
 親とは違う柔らかさと、あたたかさだ。
 気恥ずかしさと、三年生にもなって抱っこされているという情けなさで、直哉は逃げるように頭を樹の方に顔を向ける。
 助けを求めたつもりだった。
 が、樹は樹で顔を赤くしたまま、唖然とした様子で直哉と自分の姉を見ていた。
 不安定な状態でフォークに刺さっていたホットケーキが、重力に負けてぼとりと落ちる。
 それを合図に、二人同時に顔を背けた。

「お、おれ、元気だから、じゅうでんいらないよ……!」

「だーめっ!」

 ぴしゃりとはね除けられて、腕に力を込められる。
 逃げようにも逃げられない状態だ。
 何度か身体を捩らせてみたが、びくともしない。
 諦めて力を抜き、息を吐き出す。
 泉が満足するまでこのままだ。

「ホットケーキさめちゃうよ……」

「温め直せばいいよ」

 少しだけ顔の位置を変えて、泉の顔を見上げれば、ふわふわとした笑みを浮かべている。
 昔から、弟たちや近所の子どもたちに向けている微笑みだ。
 怒らせると、目を三角の形にして眉もきゅっとつり上げるけど、何もなければ、今みたいににこにこふわふわと笑っている。
 ぽんぽんと背中を叩く手が優しい。
 後頭部に置かれた手があたたかい。
 気を抜くと、このまま微睡んでしまいそうだ。

「だいじょーぶ。あなたなら、大丈夫よ。直哉」

 一年生、二年生と一緒にいた子たちが今は怖がっていないのだ。三年生から一緒になった子達も、これが直哉の喋り方なのだと気づいてくれる。
 この先会う人たちも、きっと気づいてくれる。

「それでも何か言われたなら、私が蹴っ飛ばしに行ってあげるからね」

「……ほんとう?」

 もぞりと頭を動かして、泉の顔を見る。

「本当だよ」

 樹と同じ色をした瞳が、直哉の顔を真っ直ぐ見下ろす。

「……うん……うん、じゃあ…………もう少し、あのクラスにいてみる。だめだったら、けっとばしに来てね」

「りょーかい」

 ぽふぽふと、後頭部を撫でられる。
 優しい腕の中で、直哉はやっと頬の緊張を緩める事ができた。

 ◆  ◆  ◆

 遠い場所で、スマートフォンが震える音がする。
 それと同時に鳴り響くのは、ピッピッピッという機械的な音だ。
 自分で設定した、起きる時刻を知らせる音。
 深い水の底から浮上するように、夢の中にあった意識が切り離されて、浮上していく。
 もぞりと身体を動かし、布団の中から手を伸ばして枕元を探った。
 何もしてなくてもひんやりとしているのに、冷たい空気に触れてさらに冷たくなったスマートフォンが指先に触れる。
 見つけた。

「うるせえ……」

 寝起きなせいか。それとも、愛想をかなぐり捨てているせいか。自分でも驚くほど低い声が出る。
 画面を確認し、慣れた手つきでアラームを切る。
 瞼はまだ重いが、もう起きる時間だ。
 掛け布団を退けて、上半身を起こしつつ、手にある携帯(スマホ)の通知を確認する。
 キャリアからのメール、天気アプリの通知、ニュースアプリからの通知。
 それから、メッセージアプリの通知。
 確認の優先順位はメッセージアプリだ。
 アプリを開いてメッセージを確認すると、写真と一緒にメッセージが届いている。
 写真はどれも、雪が積もっている様子だった。

【直ちゃん、おっはよー! そっちは雪積もったー? こっちは積もったよー!】

 朝から興奮気味のメッセージを寄越してきたのは、連城直輝(れんじょう なおき)だ。まだ事務所には所属していないが、直哉同様にアイドルをしており、空手経験者とチビ達がいるという共通点もあって、なにかと連絡を取り合うことが多い。先日も草野球をした仲で、バレンタインの菓子も渡しあった。
 写真を見れば、手のひらサイズの雪だるまが写っている。
 庭先か玄関に積もった雪で作られたのだろうと、推測した。
 次も雪の写真だ。
 届け主を見ると、天満晃大(てんま こうだい)からである。

【絶好の雪合戦日和だな! ついでにラーメン食いに行こうぜ!】

「話の展開急すぎ……」

 おまけに、これはグループメッセージの方に届いている。
 直哉よりも先に通知を確認したであろう萩原大が、了解と書かれたスタンプを送っていた。
 あの大(アヌビス)は何を考えているんだ。
 頭を抱えつつ、次のメッセージを確認する。

【どやぁ! リアルエナガやで!】

 たった一言。それでも、誰から届いたのかは一目瞭然である。
 くるくるとした赤髪に眼鏡をかけた男が、胸をはって見せびらかす姿が目に浮かんだ。
 添付されてる写真には、雪で出来た大福っぽい体に羽毛を何枚か貼られたエナガが写っている。
 そういえば、クリフェスの景品で渡したあの羽毛、結局どうなったのだろう。
 衣装に使うとか使わないとか言っていた気がするが、まだ衣装にしたと自慢する写真が届いていないので、羽毛のままだろうか。

「まあ……捨ててないようだから、いっか……」

 スマホの画面を一度消し、布団から出て窓を覆うカーテンを開ける。
 普段はカラフルな屋根と、灰色の道路と電柱ばかりの住宅街が、白い雪で覆われている。
 見るからに寒そうな世界である。
 が、今日見た夢はあたたかい夢だった。

『だいじょーぶ。あなたなら、大丈夫よ。直哉』

「だいじょーぶ……だいじょーぶ……」

 ぎゅっと胸元を握って、言葉を繰り返す。
 ずっと前にかけてもらったおまじないは、今も直哉を支えている。
 ふっと息を一つ吐いてから、直哉は再び携帯の画面を点灯させた。
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