first stage ワタリガラスの止まり木

#ヴァンド

〈大ちゃんとーーーー!〉

〈陣くんのーーーー!〉

 開いたままのタブレットから、愉快な仲間の声がする。
 樹がスマートフォンから顔を上げると、萩原大と習野陣(ならしの じん)が海を背景に二人仲良く並んで、両手を上げていた。

〈パンフなし旅ーーーーーー!〉

〈パンフなし旅ーーーーーー!〉

 どうやら、先日自分が出ている動画の確認を終えて放置している間に、次の動画が始まったらしい。自分で動画確認用の再生リストを作っていたのだが、二人の動画が紛れ込んでしまっていたようだ。
 大と習野陣で行っているこの動画は、ロケ番組風に作ったもので、【パンフ無しで有名な観光地をどこまで旅できるか】というものである。己の記憶力と知識を試される旅だ。今回は大洗に行って来たようだ。画面の中で、頭の中にある大洗の知識を絞り出している。

〈ずばり大ちゃん! 大洗といえば⁉〉

〈あーーーーーー戦車?〉

〈戦車ぁ?〉

〈戦車有名だろう⁉〉

 この回まだ見てなかったし、そのまま流しておくか。レッスンと仕事の合間で、時間をもて余していたところだ。
 二人の元気な声に頬を緩めつつ、再びスマートフォンに視線を落とす。
 見ているのは、所属タレントのブログが集まるホームページだ。その日あったことや、イベントがあればそれについて綴られる事が多い。サイト下部にはスタッフ日記もある。
 有料かつ所属タレント全員が参加しているわけではないが、タレントの普段は見れない、もしくは見えない一面が見れるということで、多くのファンが訪れているサイトだ。
 二学期に入ってからしばらくして、ヴァンドも「そろそろブログを持たせるか」という話が出たと鬼頭から聞いた。ブログデザインやら、他の練習生との更新間隔の調整やらで今直ぐ作るわけではないが、「いつ企画が立ってもいいように準備しておけ」とも。

「準備って言ってもなあ……」

 デザインは企画会議の時に決めるだろうし、内容もまだ決める段階ではないだろう。他に思い付いたのは…………ブログを読んだ人からねちねちと叩かれる心構えだろうか。
 いや、それはないか。見に来るのはファンであって、野次馬ではない。余程の発言をしない限り、大手のSNSで見かける炎上はないはず。
 自分で浮かべた考えに首を振り、サイトの下部を目指す。
 今日のスタッフ日記は、鬼頭の担当だ。
 うちのマネージャーはどんな日記を更新しているのかと確認してみれば、レッスン風景の写真が一枚と「頑張りました」という一言コメント。
 準備しろと言ったわりには、自身は随分と簡素なものを書くんだな。
 これを樹の姉は見ているのか。この夏にスタッフ日記の存在を知った泉は、慌てた様子でマネージャーに電話をかけて来た。
 あの電話がなかったら、姉と同僚の間にあった揉め事に気づかないままだっただろう。
「それにしても」と、樹は湿った視線を画面に送る。
 今朝方、姉は鬼頭昴の更新を楽しみにしているようだったが、この一行コメントのどこが良いのか。

「謎……」

 ファンの心理ってよくわからんな。
 眉間にしわを寄せて唸っていると、背後から男の低い声が聞こえた。

「やけに変な表情してるなあー」

 振り返って顔を確認する。
 目に飛び込んで来たのは、稽古着のジャージと耳から吊り下がった三角型の大ぶりなピアス。寝癖をそのままにしてきたぼさぼさとした黒い髪。そして、目尻が下がり、白目の部分が多く見れる目。
 Hi!enerjinks!(ハイ!エナージンクス!)、通称ハイエナの最年長メンバー、丙剛毅(ひのえ ごうき)だ。樹たちよりも二ヶ月早く朝田事務所に所属し、同じ頃に入った習野陣、八谷貢(はちや みつぐ)とグループを組んで活動している。デビューはまだしていないが、経歴も練習生としてみても先輩だ。歳も二十歳と、練習生の中でも上の方である。
 ハイエナのリーダーと年上という立場もあってか、樹を見かけるとちょくちょく話しかけてくれる良い人だ。樹の兄と(大の兄とも)歳が同じなので、砕けた空気で話せる唯一の男でもある。
「おはようございます」と樹が挨拶すると、「おーう」と気の抜けた声音で返され、そのまま樹の向かいにある椅子に腰かけた。
 今居る場所は、事務所の三階にある休憩スペースだ。カップ飲料の自販機とアイスの自販機が置かれ、椅子とテーブルも幾つか置かれている。三階は主に動画撮影で使われる部屋と機材が揃って用意されているので、動画出演の機会が多い練習生がよく通う階でもあった。

「ハイエナも今日は動画撮影?」

「まあな。で、何してたんだ?」

「暇潰し」

「動画の確認をしていた」と続けると、「偉いねえ」と言いながらも、丙も椅子の位置をタブレットが見える位置へと変える。
 息のあったやり取りを続ける大と陣の様子に、丙の頬が緩んだ。

「このシリーズの再生数すげえのよな」

「出したその日に五十万再生いったやつもあるんだって。お茶の間受けする構成と反応だから、地上波からオファーが来そうだっていう話があるみたい」

「そうなのよ」

「俺も行くことになりそうなんだわ」と朗らかに続けた丙だが、一つ間をあけてから顔を両手で覆い肩を震わせる。
 くうっと絞り出す声が、指の間から漏れ聞こえた。

「ど、どうした?」

「そのロケの行き先の目玉……物凄い高さと速さのジップラインなんだ…………!」

 丙が言わんとしている事を察して、樹の視線が遠くへ移る。

「ああ、なるほど…………」

 生け贄か。
 大も陣も、高い場所は苦手で強めのNGを出していた。
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