first stage ワタリガラスの止まり木
#ヴァンド
歌、ダンス、舞台、ドラマ、映画、バラエティー…………始まりは違っても、気になったきっかけは彼のパフォーマンスだろう。顔が気になったという人も居るが、その顔が気になったきっかけも、彼の動作や仕草にあったはずだ。雑誌の表紙に使われた写真一枚でも、だ。アイドルは写真という媒体でも、自分の魅力を瞳や身体の向き、視線の強さで表現する。
彼のパフォーマンスが好きだ。好きだった。
なのに、気づけば彼の一挙一動が、言葉の一つ一つが、視線の動かし方が気になるようになり、パフォーマンスよりも彼という人間を見るようになった。
ライブに行けば自分からファンサービスを求め、されなければ勝手に拗ねて、ねちねちちくちくとした思いを抱く。
パフォーマンス中にファンサービスをする瞬間は、多いようで少ない。通路には両側いっぱいにファンが居て、一階だけでなく、二階三階にもファンが居る。DVD撮影の時はカメラに集中するし、自分にばかり視線が向くわけじゃない。ギターをごりごりに使った、洋楽テイストの格好いい曲の時に〝ハートやって〟と書いた扇子を見せてもやってくれるわけがない。
「パフォーマンスなんて、ライブの雰囲気なんて、二の次三の次になってた。それぐらい、彼に溺れて、自惚れてた。お金を払っているんだから、こちらの要望を聞くのも当然でしょうって。アイドルなんだから、夢をみさせてよって」
彼はアイドルだ。それを職業にして、お金を稼いでいた。そしてそのお金は、ファンが自ら稼いだもの、あるいは家族から貰ったもの。
ファンが居るから彼は生きている。
ファンが彼にお金を貢いでいるから、彼の生活は成り立っている。
お仕事を貰えている。
お仕事の結果が数字となって現れる芸能人は、この先もきっと芸能界で残れる。残れば残るほど、会える機会も増える。
少なくとも、舞の周囲ではその考えが強かった。
ファンレターを出して、出ていた番組のHPに直接感想も送って、SNSではハッシュタグをつけて感想語りもやって、出ているグッズや映像作品、雑誌も全て買って、彼を応援した。
応援を続けていれば、彼に自分の希望や要望が届くと信じて。
深い海の色に似たペンライトに染められた世界は、さぞかし嬉しかろう、誇らしかろう。喜びに満ちた表情をその端正な顔に浮かべて〝私〟を見てくれる。
引退の知らせが届くまでは、そう思っていたのだ。
「でも、現実は違った。あの人は私たちから去る選択をしたの」
スポンジの擦れる音が次第に強くなる。
毎日清掃しているボウルは、実はそんなに汚れていない。
汚れ落としの洗剤をかけて、軽く擦るだけで良いのに、彼女の力は緩まる事を知らない。
泉は、がしがしと動く手を見て、静かに目を伏せた。そして、察する。
きっと、汚れではない物を彼女は落とそうとしているのだ。
心にこびりついた、厚くて頑固な、かさぶたに似た汚れだ。
泉にもある。取りたくても取れない。ずっと抱えて、お墓に入っても消えることはない。
「あとになって考えてみればそんな事ないのに、お金を使えば使うほど、時間を使えば使うほどお客様気分になって勘違いして、貢いでるのにって、思い通りにならないことに腹を立てた」
舞や舞の周囲がどんなに声を上げても、お金を払っても、鬼頭昴はファンの要望よりも自分のやりたい事を選んで、表に出した。
デビューした頃は頻繁に出ていたCDも、年を重ねるにつれて数が減り、ライブの公演回数も音楽番組に出る回数も減った。その代わりに増えたのは、演技関係の仕事。
映画やテレビドラマはもちろん、事務所主体で行われる舞台から、劇場とスポンサー主体で行われる舞台。放送や公開は翌年でも、一年通しで演技の仕事が入っていた時もある。その忙しさでも、カウントダウンライブには必ず顔を出していて、後輩たちのライブにも時折顔を見せていた。
俳優としては順調な仕事でも、アイドルとしての面はどんどん縮小されていき、直接会いたいファンは複雑だ。
会いたいのだ。直接その顔を見て、その声を聞いて、そこに居ると感じたい。
なのになぜ、その機会を作ってくれないのだろう。こちらはお金を払っているのに。
直接会える場を作ってほしい、ライブをしてほしい。
一年に一度のツアーでは物足りない。
舞台ではチケットが取れない。ファンサービスを頼めない。
ライブをして、ライブをやって。
やって、やって、やって、やって、やって、やって、やって。
呪いの言葉を並べるように、幾度も幾度も頼んだ。
その結果、ファンの願いは本当に呪いへと変わったのかもしれない。
鬼頭昴は、ファンの前から姿を消した。
「信じられなかった。あんなに応援してたのに、あっさりと居なくなってしまって…………十周年だったのに…………本当に信じられなくて、裏切られたと思った」
十周年を一緒に祝おうねと公に約束したわけではないが、一周年、五周年と祝ったのだから、十周年も祝うのだと当たり前に思っていた。
当たり前ではなかったのだ。
どんなに声を届けても、お金を払っても、アイドルという仕事を続けるか否かを決めるのは彼自身にあり、ファン側には踏み込めない域である。
歌、ダンス、舞台、ドラマ、映画、バラエティー…………始まりは違っても、気になったきっかけは彼のパフォーマンスだろう。顔が気になったという人も居るが、その顔が気になったきっかけも、彼の動作や仕草にあったはずだ。雑誌の表紙に使われた写真一枚でも、だ。アイドルは写真という媒体でも、自分の魅力を瞳や身体の向き、視線の強さで表現する。
彼のパフォーマンスが好きだ。好きだった。
なのに、気づけば彼の一挙一動が、言葉の一つ一つが、視線の動かし方が気になるようになり、パフォーマンスよりも彼という人間を見るようになった。
ライブに行けば自分からファンサービスを求め、されなければ勝手に拗ねて、ねちねちちくちくとした思いを抱く。
パフォーマンス中にファンサービスをする瞬間は、多いようで少ない。通路には両側いっぱいにファンが居て、一階だけでなく、二階三階にもファンが居る。DVD撮影の時はカメラに集中するし、自分にばかり視線が向くわけじゃない。ギターをごりごりに使った、洋楽テイストの格好いい曲の時に〝ハートやって〟と書いた扇子を見せてもやってくれるわけがない。
「パフォーマンスなんて、ライブの雰囲気なんて、二の次三の次になってた。それぐらい、彼に溺れて、自惚れてた。お金を払っているんだから、こちらの要望を聞くのも当然でしょうって。アイドルなんだから、夢をみさせてよって」
彼はアイドルだ。それを職業にして、お金を稼いでいた。そしてそのお金は、ファンが自ら稼いだもの、あるいは家族から貰ったもの。
ファンが居るから彼は生きている。
ファンが彼にお金を貢いでいるから、彼の生活は成り立っている。
お仕事を貰えている。
お仕事の結果が数字となって現れる芸能人は、この先もきっと芸能界で残れる。残れば残るほど、会える機会も増える。
少なくとも、舞の周囲ではその考えが強かった。
ファンレターを出して、出ていた番組のHPに直接感想も送って、SNSではハッシュタグをつけて感想語りもやって、出ているグッズや映像作品、雑誌も全て買って、彼を応援した。
応援を続けていれば、彼に自分の希望や要望が届くと信じて。
深い海の色に似たペンライトに染められた世界は、さぞかし嬉しかろう、誇らしかろう。喜びに満ちた表情をその端正な顔に浮かべて〝私〟を見てくれる。
引退の知らせが届くまでは、そう思っていたのだ。
「でも、現実は違った。あの人は私たちから去る選択をしたの」
スポンジの擦れる音が次第に強くなる。
毎日清掃しているボウルは、実はそんなに汚れていない。
汚れ落としの洗剤をかけて、軽く擦るだけで良いのに、彼女の力は緩まる事を知らない。
泉は、がしがしと動く手を見て、静かに目を伏せた。そして、察する。
きっと、汚れではない物を彼女は落とそうとしているのだ。
心にこびりついた、厚くて頑固な、かさぶたに似た汚れだ。
泉にもある。取りたくても取れない。ずっと抱えて、お墓に入っても消えることはない。
「あとになって考えてみればそんな事ないのに、お金を使えば使うほど、時間を使えば使うほどお客様気分になって勘違いして、貢いでるのにって、思い通りにならないことに腹を立てた」
舞や舞の周囲がどんなに声を上げても、お金を払っても、鬼頭昴はファンの要望よりも自分のやりたい事を選んで、表に出した。
デビューした頃は頻繁に出ていたCDも、年を重ねるにつれて数が減り、ライブの公演回数も音楽番組に出る回数も減った。その代わりに増えたのは、演技関係の仕事。
映画やテレビドラマはもちろん、事務所主体で行われる舞台から、劇場とスポンサー主体で行われる舞台。放送や公開は翌年でも、一年通しで演技の仕事が入っていた時もある。その忙しさでも、カウントダウンライブには必ず顔を出していて、後輩たちのライブにも時折顔を見せていた。
俳優としては順調な仕事でも、アイドルとしての面はどんどん縮小されていき、直接会いたいファンは複雑だ。
会いたいのだ。直接その顔を見て、その声を聞いて、そこに居ると感じたい。
なのになぜ、その機会を作ってくれないのだろう。こちらはお金を払っているのに。
直接会える場を作ってほしい、ライブをしてほしい。
一年に一度のツアーでは物足りない。
舞台ではチケットが取れない。ファンサービスを頼めない。
ライブをして、ライブをやって。
やって、やって、やって、やって、やって、やって、やって。
呪いの言葉を並べるように、幾度も幾度も頼んだ。
その結果、ファンの願いは本当に呪いへと変わったのかもしれない。
鬼頭昴は、ファンの前から姿を消した。
「信じられなかった。あんなに応援してたのに、あっさりと居なくなってしまって…………十周年だったのに…………本当に信じられなくて、裏切られたと思った」
十周年を一緒に祝おうねと公に約束したわけではないが、一周年、五周年と祝ったのだから、十周年も祝うのだと当たり前に思っていた。
当たり前ではなかったのだ。
どんなに声を届けても、お金を払っても、アイドルという仕事を続けるか否かを決めるのは彼自身にあり、ファン側には踏み込めない域である。