first stage ワタリガラスの止まり木


 ◇  ◇  ◇

 何度練習しても涙が出ない八谷を見て、子役教室の先生が首を横に振った。今にもため息を吐きそうな表情から、呆れと諦めの感情を読み取って、八谷は急に恥ずかしくなり、顔を俯かせる。悔しさは、レッスンの間からずっとあって、今さらだった。
 ああ、まただめだった。
 八谷はしょんぼりと肩を落として、教室の隅っこで座って順番を待つ生徒の列に戻る。
 戻ってきた八谷を、同じ教室の仲間たちは心配そうに見るものの、声をかける者はいない。
 次泣けないのは、先生に呆れられるのは、自分かもしれない。
 張りつめた緊張感が、子どもらしくない。子役の集まりなのに。
 膝を抱えて、次の子のレッスンが始まるのを待つ。
 小さな女の子が、緊張した様子で先生の前に立ち、指定された泣き演技を始めた。
 八谷も指定された、両親と永遠のお別れする場面の演技。
 女の子が、喉の奥から出した悲痛な声が胸に痛い。それ以上に、何で出せるんだろうと、羨ましく思う。
 膝を抱えている腕に力が入る。
 八谷だって、涙ぐむまではできるのだ。
 両親が死んだ設定で演技をしろというものだが、実際にそうなった時の事を想像したら、悲しさよりも「どうして」という気持ちが強くなってしまって、どんどん涙が減っていく。そこで先生の注意が入って、どうしたらいいのかもっとわからなくなって、頭が真っ白になる。
 何の感情も見えなくなる。
 大きなため息を吐いたところで、つんと尖った子どもらしいけど、子どもらしくない声音が耳に入った。

「泣けない演技があったって、いいじゃんね」

「…………?」

「涙を出さない泣き方もあると思うんだよ、おれ。涙流して大泣きするだけが泣き方じゃないし」

 ぱちぱちと瞬きをしてから、声がした方に顔を向ける。
 真っ黒な髪と目が印象的な男の子が、足を投げ出すように座って、心底うんざりした様子で、ぶつくさと言葉を吐き出している。
 どこかで見た気もするけど、初めて見る顔の男の子。そして、態度がやや大きい気もする。
 八谷が唖然としたまま男の子を見ていると、男の子の黒い瞳と目があった。ぱちんと音が聞こえそうなほど、しっかりと。
 ふっと、男の子が口の端っこを緩めた。

「そう思わない?」

「え?」

「泣き演技の話だよ」

「おれの声、聞こえてたでしょう?」と、男の子は続ける。
 確かに聞こえていた。
 聞こえていたけど、急に意見を求められても、戸惑うばかりで直ぐには答えられない。
 そもそも、この子はだれ?
 もごもごと口を動かして、ようやく出てきた言葉は「わからない」だった。
 だって考えたことなかった。涙を流さない泣き演技とか。
 泣き演技というからには、泣く姿を表現して、魅せるのだ。演技を観ている人たちを。
 それに、役者が指定された演出に従うのは絶対だ。
 台本に「泣け」と書かれていたら、役者は泣かないといけないのだ。
 八谷の答えに、男の子はじっとりと湿ったものを視線に混ぜ入れる。
 心底つまらない。
 そんな感情が、彼の表情に浮かんでいた。

 ◇  ◇  ◇

 あの男の子以外の泣き演技の練習が終わったところで、先生は男の子の紹介をしてくれた。名前を言っていたと思うけど、当時の八谷は男の子が言っていた「泣かない泣き演技」のことを考えていて、見事に聞き逃した。
 改めて聞いてみようと思っても、その子は教室に来たり来なかったりでなかなか会えず、やっと来たと思っても他の子どもたちもその子と話したがるから、話せる隙が無かった。
 今日は大変そうだから、また今度。
 今日は時間が無かったから、また今度。
 今日は、今日は、と理由を見つけてはまた今度と先送りしているうちに、その男の子は仕事が増えていって、そしてぱったりと姿を消した。
 あっという間だった。片手の指でも余るくらいの年数で、あの男の子は芸能界からいなくなってしまった。
 子どもの八谷から見ても、順調に仕事を貰えていたのに。

「子役の旬は短いとは言うけど、本当に短かったんだよね、その子」

「なんでだろうね」と首を傾げる八谷に、樹も「なんでだろうね」とつられて傾げる。

「……仕事を貰えてたんなら、出演者の一覧見たら名前出てるんじゃないの?」

 樹の問いに、八谷は「そうんだけどさ」と呟きながら、困った様子で頭を掻いた。

「そう思って調べたんだけど、名前はよくあるやつだったんだ。でも、名字が難しくて読めなかったんだよね。あれは本物の名字でいいのかなあ。そもそも、芸名なのか本名なのか……」

 その時点から曖昧な記憶になっているのか、頭の中を整理するように口をもごもごとさせる。
 一人で考える時間に入った八谷を横に置いたまま、樹は直哉と大を改めて見た。
 相変わらず、直哉が大に柔軟に似た何かの技を仕掛けている。
 チビッ子たちに囲まれて、賑やかな笑い声に包まれている二人に、八谷との会話は聞こえていないだろう。
 聞こえていたら、地獄耳を通り越して人間ではない者判定をしてやる構えだ。
 樹は、その子が泣き演技の話をした理由をなんとなく察している。
 男の子は、上手く演技ができなかった八谷を励まそうとしたのだ。
 あの男は、そういう奴だ。素直じゃない。名前とは真逆の性格をしている。
 八谷がその事に気づいているかはわからないが、長年その子の事を忘れず、むしろ気にかけている様子から、樹のように察しているところがあるのだろう。
 それにしても、男の子の方は気づいているのだろうか。
 昔の教室仲間が、同じ事務所に居ることに。
 会場ですれ違った時は、じっとりと湿った視線で見送っただけで、特に反応していなかった。
 やはり、樹から八谷の問いに答えるのは、違う気がする。
「そろそろ休憩時間が終わるなあ」「大ちゃんは息をしているかな」と考えながら腰を上げたところで、ぱちんと直哉と目があった。
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