first stage ワタリガラスの止まり木
#ヴァンド
「子役やってた子、いない?」
八谷の問いに、樹は目をこれでもかと大きくさせた。
どくりと、鼓動が大きく脈打ち、身体を冷やす汗がじわじわと出てくる。
暑くて身体が火照っているせいだと思いたい。が、そうではない。
記憶の底深く、心の奥底に閉じ込めて、しっかりと蓋をして封印していたものが、静かに、けれど確かに蓋を一突きした。
樹は、この質問の答えを知っている。もちろん、大と直哉も。
知っている。だけど、十年以上触れずに来た話題。触ってはいけないもの。触ったら、きっと嫌な思いをさせてしまう。思い出してしまう。
答えてやりたいが、答えてあげられない。
八谷は純粋に疑問事を聞いてきただけだ。彼は悪くない。
奥底にしまったものを「触れてはいけないもの」と決めた、自分〝たち〟が悪い。
うろちょろとする視界に、じっと樹を見ながら首を傾げる八谷の姿が入る。
どう返したものか。
言葉を探す為に口を開けたり閉じたりを繰り返して、うんうんと唸って出した結論は話題をそらすだった。
「どうして、そう思ったの?」
疑問には疑問で返す。
閉じた蓋を開けるかどうか決めるのは、他の二人が決めることだ。
樹の疑問に、八谷はちゅーべっと咥え直しつつ、樹の顔から斜め上にある宙へ視線を飛ばす。
自分の中にある記憶の海へ潜っているのだろう。その間も、ちゅうちゅうと、ちゅーべっとの中身は減り続けている。
樹も、自分のちゅーべっとを吸いながら、八谷が口を開くのを待つ。
記憶の海が深いのか、それとものんびり屋さんなだけか、八谷が口を開いたのは樹のちゅーべっとが殆ど無くなってからだった。
「まず、俺、子役出身なのね。そこそこに有名な事務所が子役教室をやっていてさ、そこに通ってたの」
「懐かしいなあ」と、昔の記憶を見つけて、八谷は遠くの宙へ視線を向ける。
樹は「へえ……」と静かに相槌を返しつつも、刻まれる鼓動は細かい。
彼の口から語られる子役は、どういう感じの子だったのか。できれば、樹の知らない子であってほしかった。知らない子であれば「うちのグループにはいない」と素直に返せる。
「その教室でさ、ものすごく大人びた口調で話す生意気な男の子が居たんだよね。君のグループにも居るでしょう? そういう感じの口調で話す子」
「居る」
二人同時に、その人物の方へ顔を向けた。
先ほど見たときと変わらず、チビッ子たちに囲まれながら、直哉が大の身体を弄くり回している。今度は背筋をさせようとしているらしく、大の背中に股がって肩を掴んでいた。
「あの黒い子、その子にそっくり」
八谷が小さい頃に通っていた子役の教室は、小さいながらもそこそこに有名な事務所の傘下で、教室の生徒を募集する広告を新聞によく出していた。八谷が教室に入ったきっかけもその広告だ。両親が「貢が産まれた記念に」と、思い出応募をしたら入所審査で合格してしまったのだ。
教室の生徒は零歳児から中学生までと幅広く在籍していたが、特に多かったのは幼児期の子どもだった。
ここで習った子どもは、将来大物俳優になれるのだと保護者たちから大人気だったらしく、我の子も我の子もと入所させていたと聞く。
なんでそう言われていたかはわからない。
卒業生に、たまたま大物俳優になれた子が多かったからかもしれないし、比較的当たりやすいオーディションを拾ってくるのが得意だったからかもしれない。単純な話、子役の教室が少ないというのもあるかもしれない。
零歳児から在籍していた八谷は、年齢が上がるにつれて少しずつ増えていく同級生に嬉しくなりつつも、オーディションに受かる機会は減っていた。
教室に通うのは好きだった。セリフを覚えるのは大変だったが、演技をするのは楽しい。歌の授業も、誰よりも気合いを入れて参加していた。
ただ一つ、苦手なレッスンがあった。泣きの演技だ。
「俺、今もだけど、危機感っていうものが欠けてるのかなんなのか、昔からぼーっとしてる感じの子でさあ」
「うん。その雰囲気あるね」
樹は、苦笑しながら話す八谷に嘘偽りなく返す。
自己申告されなくても、穏やかでのんびりとした性格なのだろうと短い時間の中で察していた。切磋琢磨して出世していく芸能界とは縁遠い性質に思う。その性格で、零歳児から芸能界に居るのだから大したものだ。子役の多くは、芸能界から遠ざかっていくというのに。
それを伝えると、八谷は「惰性だよー」と照れ臭そうに頬を緩めた。
「経歴だけ見れば立派だけどさあ、子役の仕事は殆ど貰えなかったよー。泣く演技が下手くそだったから」
ぼんやりぽやぽやした子どもだったから「このシーンで泣け」と言われても、なかなか涙が出てこなかった。
歌の授業やコミカルな演技で褒めてくれる先生も、この授業の時ばかりは厳しい言葉を投げて来て。また怒られると思ったら緊張してしまって、涙を流すどころではない。
数分、十数分と粘っても上手くいかず、一粒も涙を流せないまま次の子に交代する日もあった。
生意気な男の子と初めて会ったのも、泣き演技の練習が上手くいかない日だった。
「子役やってた子、いない?」
八谷の問いに、樹は目をこれでもかと大きくさせた。
どくりと、鼓動が大きく脈打ち、身体を冷やす汗がじわじわと出てくる。
暑くて身体が火照っているせいだと思いたい。が、そうではない。
記憶の底深く、心の奥底に閉じ込めて、しっかりと蓋をして封印していたものが、静かに、けれど確かに蓋を一突きした。
樹は、この質問の答えを知っている。もちろん、大と直哉も。
知っている。だけど、十年以上触れずに来た話題。触ってはいけないもの。触ったら、きっと嫌な思いをさせてしまう。思い出してしまう。
答えてやりたいが、答えてあげられない。
八谷は純粋に疑問事を聞いてきただけだ。彼は悪くない。
奥底にしまったものを「触れてはいけないもの」と決めた、自分〝たち〟が悪い。
うろちょろとする視界に、じっと樹を見ながら首を傾げる八谷の姿が入る。
どう返したものか。
言葉を探す為に口を開けたり閉じたりを繰り返して、うんうんと唸って出した結論は話題をそらすだった。
「どうして、そう思ったの?」
疑問には疑問で返す。
閉じた蓋を開けるかどうか決めるのは、他の二人が決めることだ。
樹の疑問に、八谷はちゅーべっと咥え直しつつ、樹の顔から斜め上にある宙へ視線を飛ばす。
自分の中にある記憶の海へ潜っているのだろう。その間も、ちゅうちゅうと、ちゅーべっとの中身は減り続けている。
樹も、自分のちゅーべっとを吸いながら、八谷が口を開くのを待つ。
記憶の海が深いのか、それとものんびり屋さんなだけか、八谷が口を開いたのは樹のちゅーべっとが殆ど無くなってからだった。
「まず、俺、子役出身なのね。そこそこに有名な事務所が子役教室をやっていてさ、そこに通ってたの」
「懐かしいなあ」と、昔の記憶を見つけて、八谷は遠くの宙へ視線を向ける。
樹は「へえ……」と静かに相槌を返しつつも、刻まれる鼓動は細かい。
彼の口から語られる子役は、どういう感じの子だったのか。できれば、樹の知らない子であってほしかった。知らない子であれば「うちのグループにはいない」と素直に返せる。
「その教室でさ、ものすごく大人びた口調で話す生意気な男の子が居たんだよね。君のグループにも居るでしょう? そういう感じの口調で話す子」
「居る」
二人同時に、その人物の方へ顔を向けた。
先ほど見たときと変わらず、チビッ子たちに囲まれながら、直哉が大の身体を弄くり回している。今度は背筋をさせようとしているらしく、大の背中に股がって肩を掴んでいた。
「あの黒い子、その子にそっくり」
八谷が小さい頃に通っていた子役の教室は、小さいながらもそこそこに有名な事務所の傘下で、教室の生徒を募集する広告を新聞によく出していた。八谷が教室に入ったきっかけもその広告だ。両親が「貢が産まれた記念に」と、思い出応募をしたら入所審査で合格してしまったのだ。
教室の生徒は零歳児から中学生までと幅広く在籍していたが、特に多かったのは幼児期の子どもだった。
ここで習った子どもは、将来大物俳優になれるのだと保護者たちから大人気だったらしく、我の子も我の子もと入所させていたと聞く。
なんでそう言われていたかはわからない。
卒業生に、たまたま大物俳優になれた子が多かったからかもしれないし、比較的当たりやすいオーディションを拾ってくるのが得意だったからかもしれない。単純な話、子役の教室が少ないというのもあるかもしれない。
零歳児から在籍していた八谷は、年齢が上がるにつれて少しずつ増えていく同級生に嬉しくなりつつも、オーディションに受かる機会は減っていた。
教室に通うのは好きだった。セリフを覚えるのは大変だったが、演技をするのは楽しい。歌の授業も、誰よりも気合いを入れて参加していた。
ただ一つ、苦手なレッスンがあった。泣きの演技だ。
「俺、今もだけど、危機感っていうものが欠けてるのかなんなのか、昔からぼーっとしてる感じの子でさあ」
「うん。その雰囲気あるね」
樹は、苦笑しながら話す八谷に嘘偽りなく返す。
自己申告されなくても、穏やかでのんびりとした性格なのだろうと短い時間の中で察していた。切磋琢磨して出世していく芸能界とは縁遠い性質に思う。その性格で、零歳児から芸能界に居るのだから大したものだ。子役の多くは、芸能界から遠ざかっていくというのに。
それを伝えると、八谷は「惰性だよー」と照れ臭そうに頬を緩めた。
「経歴だけ見れば立派だけどさあ、子役の仕事は殆ど貰えなかったよー。泣く演技が下手くそだったから」
ぼんやりぽやぽやした子どもだったから「このシーンで泣け」と言われても、なかなか涙が出てこなかった。
歌の授業やコミカルな演技で褒めてくれる先生も、この授業の時ばかりは厳しい言葉を投げて来て。また怒られると思ったら緊張してしまって、涙を流すどころではない。
数分、十数分と粘っても上手くいかず、一粒も涙を流せないまま次の子に交代する日もあった。
生意気な男の子と初めて会ったのも、泣き演技の練習が上手くいかない日だった。