寒中見舞い 2020年


喫茶・金木犀の涙へようこそ

      タイトル提供 星山藍華さん



『困った事があれば、この香りを辿ってごらんなさい』

 ◆  ◆  ◆

 きらびやかなイルミネーションが並木道を照らす下で、スーツを身につけた若い女性が重たい息を吐き出した。
 どういうわけか。クリスマスソングが華やかに流れ、正月の餅やおせちのコマーシャルが流れるようになった頃から、がたがたという物音が押し入れから響くようになった。
 はじめの頃は気のせいだと思っていたそれも、今では物音がする度に気が滅入るくらい迷惑な物になりつつある。原因はなんだと覗いて見ても、押し入れの扉を開けた途端鳴りやんでしまうので、音の正体はわからず。
 仕事で疲れているのに、家に帰るのが億劫だ。
 すっかりむくんでしまった足を引きずるようにして歩いていると、この季節にはない香りがふわりと鼻を掠める。
 ぴたりと足を止めて辺りを見渡してみるが、香りの元となる植物の姿は見当たらない。
 耳だけでなく、鼻までおかしくなったか。
 自嘲まじりに唇を歪めてみると、再びあの香りが鼻を掠める。
 気のせい……ではない……!
 はっと目を見開いて、再び周辺へ首を巡らせる。
 先程までは無かった【もの】が、視界に飛び込んで来た。
 赤い頭巾を羽織り、アルプスにいる少女を思い出させる衣装を身に着けた女の子だ。銀杏の木の下で佇み、じっとこちらを見ている。
 手に持っているのはランプだろうか。イルミネーションの人工的な灯りの下で、優しい色をした橙色の炎が揺れている。
 現代ファッションの大人たちが多く行き交う並木道で、彼女の存在は極めて異質だった。
 女性が女の子をじいっと凝視していると、女の子は表情筋を一切動かさないまま、女性に向かって「おいで」と手招きした。
 普段の女性ならば、おかしな子だと思って無視していただろう。
 だが、不思議な音に悩まされている今は、原因を見つける鍵になるかもしれないという思いに駆られ、導かれるように、引き寄せられるように、足が彼女の方へと動いた。




 たどり着いた先は、赤い三角屋根の古民家であった。
 ビルとビルの間に無理矢理押し込んだ形で建てられていて、見るからに窮屈そうである。
 このビルの前を毎日通っているのに全く気づかなかった。そもそも、この古民家はここにあっただろうか。
 首を捻りながらも頭すれすれの玄関口を通り抜ける。
 建物の中は、見た目通りこじんまりとしていた。
 狭い部屋の中は、中央に応接用のセットが一つ。周辺に小さなティーテーブルが乱雑に並べられ、植木鉢や欠けたティーカップ、表紙が破れた和綴じの本が置かれている。
 壁に目を向ければ、びっしりと本棚が並べられ、題材も順序もばらばらに図鑑や地図が詰め込まれていた。中段には、小瓶が並べられている。中身は、あえて見ないことにした。これだけ乱雑に物があると、中身がちゃんとしたものか不安になる。
 角に置かれている小さな赤い鳥居に気を取られつつ、テーブルを避けながら奥へと進んでいくと、カウンターらしき物が鎮座していた。
 こちらも物が乱雑に置かれていて、一枚板の表面が見えない。
 ここの家主は片付けが苦手なのかと頬をひきつらせていると、若い男の声が耳の鼓膜を震わせた。
「これ、梓。また拾ってきたのかい?」
 呆れと苦い笑いがまざっていたが、丁寧な物言いであった。
 カウンターの奥にあった引き戸を開けて出てきた男は、はっと息を呑んでしまうほどに美丈夫であった。
 すらりと伸びた背丈に、きりりとした目鼻立ち。髪は短く、清潔さを感じられ艶もある。俳優、モデルにいるタイプではない。どちらかと言うと、弁護士や刑事にいそうな雰囲気の男だ。
 男の顔を物珍しげに眺めていると、男の黒い瞳が不意を突いて女性に向けられた。
 美しい男に正面から見据えられ、びくりと体が震える。
 男は口の端をつり上げ、興味深そうに女性を眺めた。
「おやおや。随分とまあ……。ああ、これは……なつかれているんですね」
 一歩二歩と大股で近づき、一人で人を観察して納得する男を、女性は訝しげた。
「はい……?」
「大丈夫です、心配することはありません。家に帰ったら押し入れの奥から出してあげてください」
「……なんの話ですか?」
 彼の言っている事についていけず、眉間に皺が寄るのを感じる。目付きも不審者を見た時のものに変わっているだろう。
 女性の指摘に男はきょとんと目を丸くさせ、幾度か瞬きをする。
 何だろう。この人、気づいてなのかと言わんばかりの雰囲気は。
 バカにされた気がして、ますます眉間の皺が深くなり、眉もつり上がる。
 むすっと頬を膨らませていると、男がこほんと一度咳払いをして口を開いた。
「失礼。心当たりがあったから、梓について来たのかと。ほら、ここってそういう人が集まるというか、導かれるというか」
「ついて来たというか……手招きをされて来ました」
「なるほど……。自覚なし、か」
 あ。今のは完全にバカにした言い方だった。
 その証拠に彼の口角がつり上がり、面白いものを見つけた時の視線を向けている。
 視線にむかつきを覚えながら、女性は男に詰め寄る。
「どういうことか詳しく! わかりやすく! 教えてもらっても良いでしょうか!」
 言葉の端々で語気を強め、お願いする。
 男は仕方ないなと言わんばかりに、下げていた腕を組み、女性を見据える。
 話す体勢に入った。
 彼の放つぴんと張った雰囲気に、女性の背筋が自然と伸びる。
 ひとつふたつ、みっつ数えたところで、男は朗々と語り出した。
「まず単刀直入に言うと、君の家に九十九神がいる」
「……はい?」
 想定していなかった言葉に、気の抜けた言葉が口から漏れでる。
 それに構わず、男は言葉を続けた。
「君の家の中……これは押し入れの中かな……そこに九十九神がいる。家に帰ったら覗いてみなさい。君の悩みは、九十九神を押し入れから出してあげるだけで解決するはずだよ。この季節をずっと待っていたようだからね」
 女性に向けられていた視線が、ふと窓の外に投げられる。
 外にあるのは、イルミネーションで飾られたオフィス街。白い息を吐き出して、寒さで体を縮ませながら家路を急ぐ人と、冬の灯りを見に来た人で行き交っている。通りに出て耳を澄ませれば、この冬独特の音楽も聴こえてくるだろう。
 男に倣って飛ばしていた視線を彼に戻す。
 男が教えてくれたことはにわかには信じがたいことだ。
 そもそも、押し入れの事を一度も口にしていないのにどうしてわかったのだろう。まるで、全て見ていた、もしくは見ているような口ぶりであった。
 覗き見をされたみたいで、背筋がぞくりとする。
 男の人に部屋を盗み見られるなんて、普通であれば気持ち悪いはずなのに、男の持つ空気がそれをさせない。
 外を眺める横顔は、正面から見たときよりも艶っぽく、独特の麗しさがある。
 彼から目がはなせない。見えない磁石で縫い留められたみたい。
 女性がなにも言えずに立ち尽くしていると、ぐいっとコートの裾を引っ張られた。
 下に視線を向ければ、あの女の子が樅(もみ)の枝葉を束ねた物を片手に見上げている。
「これを、キラキラしたのといっしょにかざって」
 樅の枝葉を押し付けて、女の子はカウンターの奥へと引っ込んでいく。
 押し入れにしまってあるものに心当たりがない女性は、樅の枝葉を受け取っても困惑するだけだ。
「なんなの……?」
「それは家に帰ったらわかりますよ。……表まで送ります」
 長い足を軽やかに動かして、外に通じる扉の前に移動する。
 女性が足を動かしている間に男は扉を開け、外に誘う用に片手を開く。
 ふわりと吹き抜けた冬の風に、季節を越えて金木犀の香りが運ばれてくる。
 鼻をくすぐる秋の香り。それが、冬の空気と踊っている。
 不思議に思いつつ、過ぎた季節が急に恋しくもなる。
 それを感じ取られたのかどうかはわからないが、男がにこりと音が聞こえる笑みを見せた。
「困った事があれば、この香りを辿ってごらんなさい。きっと頼れる所へ連れて行ってくれるでしょう」




 仕事が連休になったのを狙って、いつか行った古民家があった場所へと女性は足を運んだ。
 ビルとビルの間に無理矢理建っていたあの小さなお店。
 行けばすぐわかると思っていたが、ビルとビルの間には狭い通路があるだけで、赤い三角屋根の姿は無かった。
 一瞬、位置を間違えたのだと思った。
 が、どこの通路を見ても、ビルとビルの間を探しても、あのお店の姿は見つからない。
 あれはなんだったのだろう。もしかして、夢を見ていたのか。
 あの日のことをゆっくりと思い出す。
 あの日は、夢心地のままきらきらと光る空気の中を歩いて帰り、自宅へと足を踏み入れた。
 あのがらくたに囲まれた古民家で言われた事を思い出しながら、押し入れの中にあるものを探した。
 見つけたのは、スノードームだ。サンタとトナカイが、トナカイ小屋の前でプレゼントを準備している様子を表現したもの。トナカイの首には鈴付きの首輪が巻かれ、小屋の隣にはクリスマスツリーが置いてあり、白い粉を被っている。
 透けたガラスの中で揺れる水と白い粒に目を奪われつつ、押し入れから出してやる。
 キラキラしたものと一緒に飾れと言われた樅の枝葉をスノードームの隣に置いて、様子を見た。
 いつもなら、帰ってきてすぐ音がしたのに取り出してからは響いていない。
 あの男の言うことは正しかった。
 でもなぜわかったのか。
 聞き出したくてもあの店が見つからない。
 金木犀の香りは、いつの間にか冬の空気から消えている。
 困った事がない限り、あの古民家へと続く道は閉ざされたのだ。
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