金塊短編
名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ちぐはぐな女だった。初めて顔を合わせたのは軍のお偉い方どもの社交の場で、奴はその誰だかの娘らしく見合い話にと引っ張られてきたようだった。顔を合わせた、といってもその時の俺は「合わせた」つもりはなかった。一介の兵士である俺は中尉に仕事で付いているに過ぎず、当然見合い話など運ばれない。ただ至極退屈そうに相槌を打つ姿は奇妙で印象に残っている。
なんでも一人娘で、世継ぎの息子が欲しかった父親が男のように育ててきたらしい。剣術やら体術やら武士道やらを教え込んでおきながら、いざ年頃になるとこれでは嫁の貰い手が無いと嘆かれて腹が立った、とは後に本人から聞かされたことだ。
二度目に会ったのはいつだったか。確か仕事で函館に滞在していたころだ。付き合いで飯を食いに行った帰り、夜も更けていたというのに女に声をかけられた。こんなところに娼館はあったかと見ると、その女であった。
「確か尾形さんとおっしゃいましたね」
正直に言ってその時俺は女の顔を思い出せなかった。知らない女に名前を呼ばれたのだから身構えたが、それこそ娼館で買ったことのある女かもしれないと思いなおし「ああ」と答えた。
「私みょうじの娘のなまえと申します。数か月前になりますが一度お会いしているのです」
そこでやっと俺は思い出して、「お偉い方の娘」に「ああ」などと言ったことを詫びた。なまえは「当然です、直接お話ししたわけでもないのだから覚えていないのが普通です」と笑うと、一転表情を暗くして「ええ、普通です」と繰り返した。
「では、貴女が俺なんかを覚えているのには理由でも」
「……ええ。実は、その、尾形さんを一目見た時から、似たものを感じて」
「それは、光栄です」
吐き気がした。なまえの父親は特別権力を握っているわけではないが、それでも士官学校の出で今以上の出世が約束されていた。そんな人間のたった一人の子供として愛されて育ってきたくせに、どうして「似たもの」など感じられなくてはならないのか。憎悪だか憧憬だかわからないものが喉元まで詰まっていた。そのあとの誘いに乗ってしまったのはそのせいかもしれない。
「お願いがあるのです。私を、抱いてもらえませんか」
なまえは武術を仕込まれて育ったというだけあり普通の女よりは体格が良く筋肉もついていたが、それ以外何も変わらなかった。破瓜の痛みにもがいて、終わった後つらそうに息を吐きながらぼうっと俺の顔を見る。俺が時々気遣いの言葉をかけただけで「優しく扱われた」と思い込んで頬を染めている。俺は先の衝動のままなるべく痛いようにしただけだった。
冷めた頭で考えてみると、この女が今夜のことを口外すれば俺の身分はどうなるかわからない。責任がどうたらとなまえを娶らされても面倒だが、それで済めば上々だろう。
なまえがぽつりぽつりと勝手に思い出話をするので相槌を打つだけで済むのは楽で良かったが、今後を思えば意図くらいは探っておくべきだろう。
「しかしなまえ殿は」
「殿はいりません。普通の女と同じに扱ってください」
「では。なまえはなぜこのような頼みを」
「……ずっと尾形さんのことが忘れられませんでした。父のつてで次から次へとやってくる縁談も、他の誰かを想っていることがすぐにばれてうまくいきません。でも尾形さんは私のことを覚えてもいないだろうから。それは当たっていましたが」
「申し訳ありません」
苦笑するなまえに言葉だけで詫びれば、いえ、それはもうと制される。
「もう一度お会いできたら、尾形さんが絶対に忘れられないことをしようと思いました。そしてその、こういうことをしたら私も諦めがつくだろうと思いました。これは良い思い出として、別の縁談を進められるだろうと」
なまえは熱っぽく俺を見つめる。どうしたものかと見つめ返せば、涙をこぼした。
「尾形さん、私のこと忘れないでいてくれますか」
「ええ、もちろん」
三日三晩くらいは忘れないだろう。愚かな恋情に浮かされて処女を捨ててしまうような、ねじの外れた箱入り娘はそこそこ稀有だ。
「私がもし、死んだら、泣いてくれますか」
寝る前は鈴のような声だったのが掠れて痛々しくなっていた。耳に障る少女の声音よりもこちらのほうがましだ。
可哀そうな娘ぶった金持ちの娘に興味も無ければ流してやる涙など無い。どれだけ感傷的に俺を見つめたところで、投げやりに肌を合わせたところで、結局誰かの「ご子息」と結ばれてこの晩に蓋をするのに違いない。
「縁起でもないことをおっしゃらないでください」
なまえは「ふふ」と笑うとそれきり、魂が抜けたようになって、ただぼうっと俺を見つめた。誰かに目撃されるのはまずいからと言い訳をして先に出ることにした。
未だ夜は深く、どれだけ簡素な行為で済んだのかを実感してあの女を嗤った。暁の頃には俺もなまえもいつも通りの一日を始めるわけだ。
なまえが入水自殺したと聞いたころには、俺は奴の顔を忘れていた。
なんでも一人娘で、世継ぎの息子が欲しかった父親が男のように育ててきたらしい。剣術やら体術やら武士道やらを教え込んでおきながら、いざ年頃になるとこれでは嫁の貰い手が無いと嘆かれて腹が立った、とは後に本人から聞かされたことだ。
二度目に会ったのはいつだったか。確か仕事で函館に滞在していたころだ。付き合いで飯を食いに行った帰り、夜も更けていたというのに女に声をかけられた。こんなところに娼館はあったかと見ると、その女であった。
「確か尾形さんとおっしゃいましたね」
正直に言ってその時俺は女の顔を思い出せなかった。知らない女に名前を呼ばれたのだから身構えたが、それこそ娼館で買ったことのある女かもしれないと思いなおし「ああ」と答えた。
「私みょうじの娘のなまえと申します。数か月前になりますが一度お会いしているのです」
そこでやっと俺は思い出して、「お偉い方の娘」に「ああ」などと言ったことを詫びた。なまえは「当然です、直接お話ししたわけでもないのだから覚えていないのが普通です」と笑うと、一転表情を暗くして「ええ、普通です」と繰り返した。
「では、貴女が俺なんかを覚えているのには理由でも」
「……ええ。実は、その、尾形さんを一目見た時から、似たものを感じて」
「それは、光栄です」
吐き気がした。なまえの父親は特別権力を握っているわけではないが、それでも士官学校の出で今以上の出世が約束されていた。そんな人間のたった一人の子供として愛されて育ってきたくせに、どうして「似たもの」など感じられなくてはならないのか。憎悪だか憧憬だかわからないものが喉元まで詰まっていた。そのあとの誘いに乗ってしまったのはそのせいかもしれない。
「お願いがあるのです。私を、抱いてもらえませんか」
なまえは武術を仕込まれて育ったというだけあり普通の女よりは体格が良く筋肉もついていたが、それ以外何も変わらなかった。破瓜の痛みにもがいて、終わった後つらそうに息を吐きながらぼうっと俺の顔を見る。俺が時々気遣いの言葉をかけただけで「優しく扱われた」と思い込んで頬を染めている。俺は先の衝動のままなるべく痛いようにしただけだった。
冷めた頭で考えてみると、この女が今夜のことを口外すれば俺の身分はどうなるかわからない。責任がどうたらとなまえを娶らされても面倒だが、それで済めば上々だろう。
なまえがぽつりぽつりと勝手に思い出話をするので相槌を打つだけで済むのは楽で良かったが、今後を思えば意図くらいは探っておくべきだろう。
「しかしなまえ殿は」
「殿はいりません。普通の女と同じに扱ってください」
「では。なまえはなぜこのような頼みを」
「……ずっと尾形さんのことが忘れられませんでした。父のつてで次から次へとやってくる縁談も、他の誰かを想っていることがすぐにばれてうまくいきません。でも尾形さんは私のことを覚えてもいないだろうから。それは当たっていましたが」
「申し訳ありません」
苦笑するなまえに言葉だけで詫びれば、いえ、それはもうと制される。
「もう一度お会いできたら、尾形さんが絶対に忘れられないことをしようと思いました。そしてその、こういうことをしたら私も諦めがつくだろうと思いました。これは良い思い出として、別の縁談を進められるだろうと」
なまえは熱っぽく俺を見つめる。どうしたものかと見つめ返せば、涙をこぼした。
「尾形さん、私のこと忘れないでいてくれますか」
「ええ、もちろん」
三日三晩くらいは忘れないだろう。愚かな恋情に浮かされて処女を捨ててしまうような、ねじの外れた箱入り娘はそこそこ稀有だ。
「私がもし、死んだら、泣いてくれますか」
寝る前は鈴のような声だったのが掠れて痛々しくなっていた。耳に障る少女の声音よりもこちらのほうがましだ。
可哀そうな娘ぶった金持ちの娘に興味も無ければ流してやる涙など無い。どれだけ感傷的に俺を見つめたところで、投げやりに肌を合わせたところで、結局誰かの「ご子息」と結ばれてこの晩に蓋をするのに違いない。
「縁起でもないことをおっしゃらないでください」
なまえは「ふふ」と笑うとそれきり、魂が抜けたようになって、ただぼうっと俺を見つめた。誰かに目撃されるのはまずいからと言い訳をして先に出ることにした。
未だ夜は深く、どれだけ簡素な行為で済んだのかを実感してあの女を嗤った。暁の頃には俺もなまえもいつも通りの一日を始めるわけだ。
なまえが入水自殺したと聞いたころには、俺は奴の顔を忘れていた。
1/1ページ