刀剣短編
戦の場で油断は禁物、気の緩みは死を招く。そんなことは誰もが弁えていた。
弁えてはいたが、それは知識だ。人の子ならば本能で理解できるところを、俺達は頭で考えて理解しなくてはならなかった。怪我をすれば身体が痛む。敵の殺気を感じ取る。仲間の無事を喜ぶし、生きながらえて安心する。
俺達は人のふりが上手くなって、本当に人になったような気持ちでいたんだろう。
日暮れ前の町は、異常な程静まりかえっていた。俺達は…そして遡行軍は、人の気配ひとつない長屋と長屋の間を縫うように駆けている。
「これ以上は無理だ。一度身を隠そう」
そう提案したのは隊長であり主の初めの刀、歌仙兼定だった。
ある長屋に入り息を殺す。住民は一人も生きていなかった。
「奴ら、町の人間を全て殺したのか?何のために…」
「…逃げおおせた者もいるはずだ」
隊長が自信なさげに呟く。
不気味な程静かな町は、血の匂いで溢れていた。遡行軍が町ひとつを壊滅させたと考えるべきだろう。
壊滅というのは、俺達も似たようなものだった。分類するならば、俺は軽傷、隊長が中傷、他は重傷といったところだろう。
本来ならばここまで被害を受ける前に撤退の命が下る。しかし、何故か本丸との通信が途絶えていた。
こちらの機器の故障ではないし、連絡が取れなくなれば万一の為強制撤退が行われるはずだが、それがない。本丸自体に何かあったと予想せざるを得なかった。
「…主が、僕達を切り捨てただけかもしれないよ?」
兄者が冗談めかして言う。歌仙が呆れたように反論した。
「主に限ってそれはないだろう…ないだろうが、主が無事ならその方がいい」
「ひとまず連絡が取れるまで身を潜めよう。これ以上の被害だけは避けるべきだ」
重傷の彼らを横たえて、隊長が方針を示す。
「こんな無様、主には見せたくないな…」
悔しそうにそう洩らした光忠は、脚の裂傷が激しいにも関わらずかなりの距離を自力で駆け抜けた。休息が取れる今になって、相当の痛みに襲われているだろう。
「そうだな」
首を抑えて弱々しく吐いたのは長谷部だ。掠れた声の発信源は、呼吸のたびに小さくヒュウと鳴る。服は殆ど真赤で、いつ意識を失ってもおかしくない量の血が流れている。
「…僕と膝丸で見張りをする。いいね、膝丸」
歌仙は無理に微笑んだ。状況が良くない時にこそ笑うところは、主に似ている。歌仙が主に似たのか、主が歌仙に似たのか…ずっと後に顕現した俺にはわからない。
まだ空が明るい。俺は夜目が効かないが、暫くは役に立てるだろう。
長屋の心許ない屋根の上、お互い偵察のために逆方向を向く。
弱々しい風が吹いている。歌仙の居る方が風上で、彼の香が流れてきた。主が審神者になって1年の折に、日頃の感謝を込めてと歌仙に贈った香だ。
「膝丸。もし再び襲撃されて、全員生き残ることが難しくなったら…」
急に歌仙が切り出した。最悪の事態について話しておくべきではあるから、黙って隊長の言葉に耳を傾けた。
「君だけでもどうにか主の元へ辿り着いてくれ」
そうするべきだろう、君の傷が最も軽く、生きて…折れずに帰れる可能性が高いんだから…そう歌仙は続ける。努めて冷静な声音を作っているのが逆に痛々しい。
「それはできない」
断言すると、驚いたのか歌仙がこちらを振り向く気配がした。
「主の元へ帰るべきなのは君だ。主の初めての刀。主が最も帰りを待っているのは、君だ」
戸惑っているのか間が空いて、それから怒ったような声をかけられた。
「主をなんだと思っている?そんな贔屓はしない。わかっているだろう」
「…君が帰らなければ、誰が主の世話をするんだ」
「他にも世話焼きはいる」
「君がいなければ、誰が主に歌を教える」
「歌を詠むのだって他にもいる」
「君がいなければ、誰が、主が初めて刀を顕現したときの表情を知る」
「……」
「目も口もまあるく開いて、声も出せないほど驚いていて、頬は桜色で、しばらくぼうっとしてから「なんて綺麗なひと」と言ったんだろう。何度も聞いた」
「…よく、覚えてる。僕は「こんな子供みたいな女人が主か」と思ったんだ。だけど綺麗と言われてむず痒くて、どうにも落ち着かなかった。今はそれが「嬉しい」だとわかるし、美しくて誇らしい主だと思う」
「それを知る君が主の元に居るべきだ」
それから歌仙の返事はなかった。言葉を選んでいるようではあったが、それを聞く前に敵を見つけてしまった。
「君は逃げろ。追うものは俺が切り伏せる」
遡行軍…太刀が、獣のように雄叫びをあげてこちらへ向かってくる。それを聴きつけてか援軍らしい遡行軍も現れた。俺は刀を構え、歌仙のしどろもどろに抗議する声を聞き流した。
太刀の首を落とせば、背後から短刀が突っ込んでくる。それを防ぐと、階下から現れた槍に脚を掠められる。
長屋の中からも、殆ど動けないはずの仲間が必死に戦う気配がする。誰かが折れれば、歌仙はもうここに残ると言って聞かないだろう。
「行け!」
どうにか彼だけでも戻れるように。俺達の主の助けになるように。俺の愛しい主が1人きりで泣かないように。
隣にいるのが俺では、彼女は立ち直れない。
歌仙は「任せた」と噛み締めるように残すと、街の外へ駆けていった。
それを追わんとする敵を切り倒す。
主を愛しているのは俺だけではないだろう。己が頭を垂れる主として、己の力を乞う人の子としてならば、顕現した全ての刀が彼女を愛している。
ただ、それとは違う意味の…人間のような心であのひとを愛してしまっているのは、俺と歌仙と、もしかしたら、他にも。
誰もそれを主に告げない。純に人の子である主すら、愛する相手に心を告げない。
対峙している打刀に頬を掠められ、はっとする。考え事をしながら戦うなど、俺も焼きが回ったものだ。
腹に突き刺しそのまま横に薙ぐ。瀕死の短刀を巻き込んで、出来るだけ遠くに投げ飛ばすように。振り返りざまに背後の脇差を貫く。
…身体が勝手に動いているようだ。負っているはずの傷も気にならない。きぃんと鳴って欠けるのは確かに俺の刃だが、まだ折れてはいない。折れなければ戦える。考え事をしていようと、階下で仲間が折れようと、愛する人の子を案じていようと、戦える。
ああ、俺は、刀だったな。その身と主さえ居れば戦える。戦うための存在だ。
思えば、歌仙には酷な役目を押し付けてしまった。ここで刀らしく戦って折れるより、彼女を想いながら逃げ隠れるほうが余程辛い。
日が大分傾いて、どうにも動きが読みづらくなってきた。気がつけば階下は静まり返っている。
それとも、俺より長くひとがたでいる彼は、俺より人に近いのだろうか。
何振目かわからない太刀を切り倒す。ほんの少し身体がぐらついて、その隙を突かれる。
そうであればいい。それなら人の子のように彼女を抱きしめてやれるんだろう。失った仲間を、悲しみを抱えながら生きていけるんだろう。俺は…俺達はこんなふうにしか忠義を尽くせない。
ほとんど視覚は頼りにならないが、敵の気配は随分減った。歌仙は逃げきれただろうか。
彼を追わせなければ俺の任務は達成、もう十分だろう。
足元がぐらついて、仲間が待つ長屋へ落ちる。視界の端に映った我が刃は粉々に割れる寸前。それでも返り血にぎらぎらと輝いていた。
主が見ていれば、誉をくれるだろうか。
弁えてはいたが、それは知識だ。人の子ならば本能で理解できるところを、俺達は頭で考えて理解しなくてはならなかった。怪我をすれば身体が痛む。敵の殺気を感じ取る。仲間の無事を喜ぶし、生きながらえて安心する。
俺達は人のふりが上手くなって、本当に人になったような気持ちでいたんだろう。
日暮れ前の町は、異常な程静まりかえっていた。俺達は…そして遡行軍は、人の気配ひとつない長屋と長屋の間を縫うように駆けている。
「これ以上は無理だ。一度身を隠そう」
そう提案したのは隊長であり主の初めの刀、歌仙兼定だった。
ある長屋に入り息を殺す。住民は一人も生きていなかった。
「奴ら、町の人間を全て殺したのか?何のために…」
「…逃げおおせた者もいるはずだ」
隊長が自信なさげに呟く。
不気味な程静かな町は、血の匂いで溢れていた。遡行軍が町ひとつを壊滅させたと考えるべきだろう。
壊滅というのは、俺達も似たようなものだった。分類するならば、俺は軽傷、隊長が中傷、他は重傷といったところだろう。
本来ならばここまで被害を受ける前に撤退の命が下る。しかし、何故か本丸との通信が途絶えていた。
こちらの機器の故障ではないし、連絡が取れなくなれば万一の為強制撤退が行われるはずだが、それがない。本丸自体に何かあったと予想せざるを得なかった。
「…主が、僕達を切り捨てただけかもしれないよ?」
兄者が冗談めかして言う。歌仙が呆れたように反論した。
「主に限ってそれはないだろう…ないだろうが、主が無事ならその方がいい」
「ひとまず連絡が取れるまで身を潜めよう。これ以上の被害だけは避けるべきだ」
重傷の彼らを横たえて、隊長が方針を示す。
「こんな無様、主には見せたくないな…」
悔しそうにそう洩らした光忠は、脚の裂傷が激しいにも関わらずかなりの距離を自力で駆け抜けた。休息が取れる今になって、相当の痛みに襲われているだろう。
「そうだな」
首を抑えて弱々しく吐いたのは長谷部だ。掠れた声の発信源は、呼吸のたびに小さくヒュウと鳴る。服は殆ど真赤で、いつ意識を失ってもおかしくない量の血が流れている。
「…僕と膝丸で見張りをする。いいね、膝丸」
歌仙は無理に微笑んだ。状況が良くない時にこそ笑うところは、主に似ている。歌仙が主に似たのか、主が歌仙に似たのか…ずっと後に顕現した俺にはわからない。
まだ空が明るい。俺は夜目が効かないが、暫くは役に立てるだろう。
長屋の心許ない屋根の上、お互い偵察のために逆方向を向く。
弱々しい風が吹いている。歌仙の居る方が風上で、彼の香が流れてきた。主が審神者になって1年の折に、日頃の感謝を込めてと歌仙に贈った香だ。
「膝丸。もし再び襲撃されて、全員生き残ることが難しくなったら…」
急に歌仙が切り出した。最悪の事態について話しておくべきではあるから、黙って隊長の言葉に耳を傾けた。
「君だけでもどうにか主の元へ辿り着いてくれ」
そうするべきだろう、君の傷が最も軽く、生きて…折れずに帰れる可能性が高いんだから…そう歌仙は続ける。努めて冷静な声音を作っているのが逆に痛々しい。
「それはできない」
断言すると、驚いたのか歌仙がこちらを振り向く気配がした。
「主の元へ帰るべきなのは君だ。主の初めての刀。主が最も帰りを待っているのは、君だ」
戸惑っているのか間が空いて、それから怒ったような声をかけられた。
「主をなんだと思っている?そんな贔屓はしない。わかっているだろう」
「…君が帰らなければ、誰が主の世話をするんだ」
「他にも世話焼きはいる」
「君がいなければ、誰が主に歌を教える」
「歌を詠むのだって他にもいる」
「君がいなければ、誰が、主が初めて刀を顕現したときの表情を知る」
「……」
「目も口もまあるく開いて、声も出せないほど驚いていて、頬は桜色で、しばらくぼうっとしてから「なんて綺麗なひと」と言ったんだろう。何度も聞いた」
「…よく、覚えてる。僕は「こんな子供みたいな女人が主か」と思ったんだ。だけど綺麗と言われてむず痒くて、どうにも落ち着かなかった。今はそれが「嬉しい」だとわかるし、美しくて誇らしい主だと思う」
「それを知る君が主の元に居るべきだ」
それから歌仙の返事はなかった。言葉を選んでいるようではあったが、それを聞く前に敵を見つけてしまった。
「君は逃げろ。追うものは俺が切り伏せる」
遡行軍…太刀が、獣のように雄叫びをあげてこちらへ向かってくる。それを聴きつけてか援軍らしい遡行軍も現れた。俺は刀を構え、歌仙のしどろもどろに抗議する声を聞き流した。
太刀の首を落とせば、背後から短刀が突っ込んでくる。それを防ぐと、階下から現れた槍に脚を掠められる。
長屋の中からも、殆ど動けないはずの仲間が必死に戦う気配がする。誰かが折れれば、歌仙はもうここに残ると言って聞かないだろう。
「行け!」
どうにか彼だけでも戻れるように。俺達の主の助けになるように。俺の愛しい主が1人きりで泣かないように。
隣にいるのが俺では、彼女は立ち直れない。
歌仙は「任せた」と噛み締めるように残すと、街の外へ駆けていった。
それを追わんとする敵を切り倒す。
主を愛しているのは俺だけではないだろう。己が頭を垂れる主として、己の力を乞う人の子としてならば、顕現した全ての刀が彼女を愛している。
ただ、それとは違う意味の…人間のような心であのひとを愛してしまっているのは、俺と歌仙と、もしかしたら、他にも。
誰もそれを主に告げない。純に人の子である主すら、愛する相手に心を告げない。
対峙している打刀に頬を掠められ、はっとする。考え事をしながら戦うなど、俺も焼きが回ったものだ。
腹に突き刺しそのまま横に薙ぐ。瀕死の短刀を巻き込んで、出来るだけ遠くに投げ飛ばすように。振り返りざまに背後の脇差を貫く。
…身体が勝手に動いているようだ。負っているはずの傷も気にならない。きぃんと鳴って欠けるのは確かに俺の刃だが、まだ折れてはいない。折れなければ戦える。考え事をしていようと、階下で仲間が折れようと、愛する人の子を案じていようと、戦える。
ああ、俺は、刀だったな。その身と主さえ居れば戦える。戦うための存在だ。
思えば、歌仙には酷な役目を押し付けてしまった。ここで刀らしく戦って折れるより、彼女を想いながら逃げ隠れるほうが余程辛い。
日が大分傾いて、どうにも動きが読みづらくなってきた。気がつけば階下は静まり返っている。
それとも、俺より長くひとがたでいる彼は、俺より人に近いのだろうか。
何振目かわからない太刀を切り倒す。ほんの少し身体がぐらついて、その隙を突かれる。
そうであればいい。それなら人の子のように彼女を抱きしめてやれるんだろう。失った仲間を、悲しみを抱えながら生きていけるんだろう。俺は…俺達はこんなふうにしか忠義を尽くせない。
ほとんど視覚は頼りにならないが、敵の気配は随分減った。歌仙は逃げきれただろうか。
彼を追わせなければ俺の任務は達成、もう十分だろう。
足元がぐらついて、仲間が待つ長屋へ落ちる。視界の端に映った我が刃は粉々に割れる寸前。それでも返り血にぎらぎらと輝いていた。
主が見ていれば、誉をくれるだろうか。
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