刀剣短編
サルスベリっていうのは、その名の通りサルも滑っちゃいそうなつるつるの木。晩夏になると花を咲かせる木。漢字で書くと「百日紅」。中国での呼び名で、100日間紅い花を咲かせるからっていうこれまたそのままの意味。確かに紅だけど、血の紅とは違う。どっちかっていうとピンク色。
ボクはこの花が嫌いだった。
ボクが中学1年生の…2学期が始まって少し経ったころだと思う。
ボクは初めて学校を抜け出した。
席替えで友達と離れて、更に苦手な男子が隣の席になっちゃって。それからボクの毎日は憂鬱だった。
ボクは男の子だけど女の子の制服を着てる。ボクが着たいのがたまたま女の子の制服だっただけでそれ以上になんの理由もない。けど大概の人はそれを咎めたり心配したりする。その男子は咎める方の人で、ボクの格好をやたらにバカにしてくる。気にするつもりはないけど、疲れちゃったんだ。
ある日…何曜日だったか忘れちゃったけど、お昼の後に理科の移動教室があって、みんな次々に出発していく。なんとなく出遅れてひとりで教室を出た時に、先週の授業の内容を思い出した。
植物についての話の途中で、先生が窓の外を指した。
「ここからはサルスベリがよく見えますね。面白い名前でしょう。この木はね……」
その時ボクは初めて、あの気味の悪い木はサルスベリって名前だと知ったんだ。
理科室の窓は中庭に向かっていて、中庭にはサルスベリが何本も植えられている。あの普通の木とは違ううねうねした形と、目に痛いくらいのピンクがかった赤が、どうにもボクは好きになれなかった。
あれが見える部屋に向かうんだと思うとげんなりする。本当はそれだけじゃなくて、おいしくない給食でいっぱいになったお腹がだるいのとか、理科室での班にあの男子がいるとか、そういう普段の嫌なことのせいもあるんだろうけど。
ボクの足は自然と理科室……というよりサルスベリから離れていった。
こんなことしたらいち兄(ボクの一番上のお兄ちゃん。年が離れてるから、何かあると親の代わりに呼び出される!)に迷惑かかっちゃうなあ、とは思いながらも、雑草しかない後者の裏から塀を乗り越えた。
平日の昼間って独特の間延びした空気が流れてる。制服を着たボクの場違いな感じが心地よかった。深呼吸してみたら、どこかの家のお昼ご飯の匂いがした。
抜け出したものの特にやることはなくって、どうしようかなあとフラフラ歩く。学校の周りは狭い住宅街で、そこを抜けると公園がある。
日の光から隠れたベンチに座る。うんと伸びをしてから、ボクは悪いことをしてるんだ、と再認識した。大人に見つかったら捕まっちゃうかなあと思ったけど、みんなボクをちらっと見るだけで何も言わなかった。でも、こっそり警察とか呼んでるのかもしれない。ドキドキするし、怒られると思うとうんざりするけど、ボクの頭はモヤがかかったようでちっとも働かなかった。蝉の声も子どものはしゃぎ声も遠い。
本当は、ここは夢の中かもしれない。そしたらボクは大人に怒られないしクラスメイトもからかったりしない。いち兄にも他の兄弟にも迷惑かからない。そうだったらいいのにな。目が覚めたらいち兄の美味しいハムエッグが待ってて、兄弟とおしゃべりしながら登校して、ボクのことを皆が「今日もかわいいね」って褒めてくれる。ボクは嬉しくて照れくさくて「知ってる!」って笑うの。そうだったらいいのになあ。
ボクの「ささやかな理想の日」は、考えれば考えるほど遠く感じる。目がじわっと熱くなって、泣きそうなのに気づいて、「なんでこんなことで」って思って、また涙がじわじわ増えていく。零れちゃったら止まらなくなりそうだから、上を向いたまま腕で目を擦った。涙の引っ張られた跡がひんやりしていて、それさえなんだか悲しくて、また涙が溜まっていく。どうしようもなくて、同じように擦りとる。
「…あの、どうかしたの?」
控えめな声が微かに聞こえた。ボクに向けられてるみたいだから腕をどけて見ると、心配そうな顔をしたお姉さん。
ハンカチを差し出されて、「あ、泣いてるの見られちゃったな」って恥ずかしくなった。
「えっと、どこか痛い、とか?」
お姉さんは腫れ物に触れるみたいに聞く。でもなぜか当然のようにボクの隣に座ってる。なんか変な距離感の人だなあ。いいけど。
「…どこも痛くないから、気にしないで」
「そっかあ」
恥ずかしくて、ついぶっきらぼうに言っちゃったけど、お姉さんは全然気にしてないみたいだ。
「学校、サボり?」
当てられて、胸がズキリと痛む。学校に連れてかれちゃうかも。警察とか。それか児童保護センターみたいなとこ。どうしよう。
急に、さっきまでぼんやりしてた不安が鋭く突き刺してくる。引っ込んでた涙がまた出てきそう。
でも、お姉さんは懐かしむみたいに、
「私もよくサボってたなあ」
って、ボクの頭をぽんぽんしながら言った。
「えっ!?ほんとに?」
「ほんとだよ」
お姉さんは「意外と悪い子でしょう」と笑う。こんな優しそうなお姉さんが悪い子には見えないから、不思議。
「ボクはね、今日が初めてだよ」
「そうなの?いい子だね」
「…いい子じゃないよ」
そう。ボクはいい子じゃない。いち兄のこと大好きなのに、こんなことしてたら絶対迷惑かかるってわかってるのに。
「大好きな人に迷惑かかるって、思ってるでしょう」
どき。
「どうしてわかったの?」
「それはもちろん…あー、えっと…どうしてだと思う?」
お姉さんは動揺したみたいに眉を下げてずるい返しをする。誤魔化されてるなあって思ったけど、それ以上は聞かなかったし答えなかった。
やっぱりこのお姉さん、ちょっと変だ。悪い人じゃなさそうだけど、人は見かけによらないから気をつけなさいっていち兄も言ってたし…あんまり関わらないようにしよう。
「…お姉さんは、どうして学校サボってたの?」
話題を変えようと思って適当な質問をした。お姉さんが答えを探すように上を見て「うーん、どうしてだったかなあ」と唸る。ボクは、お姉さんの悪い子の理由を待つ。それは、お姉さん自身でも納得がいっていないようにひねり出された。
「…色々なことが嫌だった、からかなあ…」
曖昧な答え!ボクがむっとしたのに気づいたのか、お姉さんは取り繕うようにまくしたてた。
「や、違うんだよ。なんていうか、言い表すと難しいというか恥ずかしいというか。その時の私には、まわりの物事どれもが死活問題だったの。そこに居たくなかった理由なんて山ほどあるの。」
「……例えば?」
ずるい返しの反撃。でもお姉さんはちょっと恥ずかしそうに首を傾げて、ちゃんと答えてくれた。
「…隣の机との距離とか、給食をクチャクチャ音立てて食べる男子とか。あと、花の色…」
「花の色?」
ほとんど無意識に反応して、聞き返しちゃった。予想外のところに反応されたのか、お姉さんはびっくりして、やっぱり照れ臭そうに目をそらした。ちょっとかわいい。
「百日紅が…咲いていて。いちばん…す、好きな花なの」
…あの花の名前!今度はボクが驚いて、なんとなくお姉さんを睨んでしまった。でも気付いてないみたい。髪を耳にかけて、その毛先を見ながらいじくっている。さっきボクに声をかけた時よりもじもじしていて、なんだか隠し事がバレた子供みたいだ。
「百日紅の、綺麗なピンク色を見て…友達に、綺麗だねって言ったの。その時の私にとって一番仲のいい友達だった。けどね、その子は困った顔して「そう?」って。…今思えば、花とかに興味のない子だったし当然なの。でもすごくショックだった。私の美しいと思うもの、否定されたみたいだった…」
照れ臭そうに、ちょっと寂しそうに。お姉さんが傷ついた理由はわかる。ボクだってそういうことあるし、好きな物を認めてもらえなかったらすごくつらい。でも、お姉さんが否定されてこんなに傷つくほど好きなものが、あの気持ち悪い花なんて……なんか、いやだ。
「……お姉さん、サルスベリが好きなの?」
尋ねた声には、考えてたより力が入っちゃった。お姉さんがボクを覗き込むように首をかしげて、困ったように笑う。
後悔した。今、お姉さんが否定されて悲しかったって話をしたのに、これじゃボクもその「友達」と同じだ。弱い風が吹いて、耳にかかったお姉さんの髪がするりと落ちる。
「きらい?」
微笑みながら、あやすように。けど、なんだか、甘えてるみたい。
サルスベリのこと。わかってるけど、なんだか、お姉さん自身のことを聞いてるようにも、思えてくる。
変な人。
「きらい、じゃ、ないけど。……ちょっと苦手。ちょっとだけ」
ばつが悪くて、しりすぼみになった。今度はボクが取り繕う番。風が吹いたせいで視界を邪魔する髪を、耳にかける。
お姉さんはふふ、と笑う。見透かされてるみたいで恥ずかしくなって目を逸らした。
「私はすきだよ」
その声がすっごく優しくて、愛おしそうで。
サルスベリのこと。わかってるけど、なんだか、告白されてるみたいで、心臓が跳ねた。
変な、人。
「それに、あなたにすごく似合うと思うけどなあ。目の覚めるようなピンク色の、みんなが視線を注ぎたくなる愛らしさ。流れる様にしなやかな凛々しい幹。ん、すごく似合う」
「…なにそれっ」
きゅ、急に褒められたから、余計にドキドキしちゃった。茶化そうと思って「ボクのこと、口説いてるつもり?」って言ったら「そうかもね」って笑われた。
なんか、ほんとに、
「変な、お姉さん!」
にこっと笑ったお姉さんは、ボクの頭をぽんと撫でて立ち上がった。
「元気出たみたいだし、そろそろ行くね」
「あ…待って!」
すぐにでも去ってしまいそうだったから、思わず服をつかんだ。お姉さんが首をかしげてボクを見下ろす。
「あの、お姉さん、ありがと。あと……また、会ってくれる?」
なんでか、お姉さんは目を開いて固まった。それからはあ、と小さく息を吐いて、片手で口を覆い目を伏せる。呆れたみたいな動き。ちょっと予想外、だ。
「まったくもう、乱ちゃんは、ほんとに…」
え?
「ボク、名前…」
「あーー、えーっと。とにかく!また、会えます!」
また、誤魔化されちゃった。じゃあ!と言って風のようにいなくなっちゃった。やっぱり変。会えるって言ったのに、連絡先も名前も教えてくれなかったし。あ、名前…なんで知ってたんだろう。会話を思い出して、首をかしげる。もしかして、ほんとに怪しい人?
でもなんだかどうでもよくなっちゃった。だってお姉さん、最後、顔が真っ赤でかわいかった。耳までピンクで、まるで……
ベンチから立ち上がってうんと伸びをする。ふわりとまた弱い風が吹いた。今のボクは悪い子だけど、またしばらくはいい子でいられそう。どれくらいの時間が経ったのかな。もう理科終わっちゃったかな。まだ足取りはちょっと重いけど、いつもより早歩きで学校へ向かう。
中学1年生、2学期のはじめまで、ボクは百日紅が嫌いだった。
ボクはこの花が嫌いだった。
ボクが中学1年生の…2学期が始まって少し経ったころだと思う。
ボクは初めて学校を抜け出した。
席替えで友達と離れて、更に苦手な男子が隣の席になっちゃって。それからボクの毎日は憂鬱だった。
ボクは男の子だけど女の子の制服を着てる。ボクが着たいのがたまたま女の子の制服だっただけでそれ以上になんの理由もない。けど大概の人はそれを咎めたり心配したりする。その男子は咎める方の人で、ボクの格好をやたらにバカにしてくる。気にするつもりはないけど、疲れちゃったんだ。
ある日…何曜日だったか忘れちゃったけど、お昼の後に理科の移動教室があって、みんな次々に出発していく。なんとなく出遅れてひとりで教室を出た時に、先週の授業の内容を思い出した。
植物についての話の途中で、先生が窓の外を指した。
「ここからはサルスベリがよく見えますね。面白い名前でしょう。この木はね……」
その時ボクは初めて、あの気味の悪い木はサルスベリって名前だと知ったんだ。
理科室の窓は中庭に向かっていて、中庭にはサルスベリが何本も植えられている。あの普通の木とは違ううねうねした形と、目に痛いくらいのピンクがかった赤が、どうにもボクは好きになれなかった。
あれが見える部屋に向かうんだと思うとげんなりする。本当はそれだけじゃなくて、おいしくない給食でいっぱいになったお腹がだるいのとか、理科室での班にあの男子がいるとか、そういう普段の嫌なことのせいもあるんだろうけど。
ボクの足は自然と理科室……というよりサルスベリから離れていった。
こんなことしたらいち兄(ボクの一番上のお兄ちゃん。年が離れてるから、何かあると親の代わりに呼び出される!)に迷惑かかっちゃうなあ、とは思いながらも、雑草しかない後者の裏から塀を乗り越えた。
平日の昼間って独特の間延びした空気が流れてる。制服を着たボクの場違いな感じが心地よかった。深呼吸してみたら、どこかの家のお昼ご飯の匂いがした。
抜け出したものの特にやることはなくって、どうしようかなあとフラフラ歩く。学校の周りは狭い住宅街で、そこを抜けると公園がある。
日の光から隠れたベンチに座る。うんと伸びをしてから、ボクは悪いことをしてるんだ、と再認識した。大人に見つかったら捕まっちゃうかなあと思ったけど、みんなボクをちらっと見るだけで何も言わなかった。でも、こっそり警察とか呼んでるのかもしれない。ドキドキするし、怒られると思うとうんざりするけど、ボクの頭はモヤがかかったようでちっとも働かなかった。蝉の声も子どものはしゃぎ声も遠い。
本当は、ここは夢の中かもしれない。そしたらボクは大人に怒られないしクラスメイトもからかったりしない。いち兄にも他の兄弟にも迷惑かからない。そうだったらいいのにな。目が覚めたらいち兄の美味しいハムエッグが待ってて、兄弟とおしゃべりしながら登校して、ボクのことを皆が「今日もかわいいね」って褒めてくれる。ボクは嬉しくて照れくさくて「知ってる!」って笑うの。そうだったらいいのになあ。
ボクの「ささやかな理想の日」は、考えれば考えるほど遠く感じる。目がじわっと熱くなって、泣きそうなのに気づいて、「なんでこんなことで」って思って、また涙がじわじわ増えていく。零れちゃったら止まらなくなりそうだから、上を向いたまま腕で目を擦った。涙の引っ張られた跡がひんやりしていて、それさえなんだか悲しくて、また涙が溜まっていく。どうしようもなくて、同じように擦りとる。
「…あの、どうかしたの?」
控えめな声が微かに聞こえた。ボクに向けられてるみたいだから腕をどけて見ると、心配そうな顔をしたお姉さん。
ハンカチを差し出されて、「あ、泣いてるの見られちゃったな」って恥ずかしくなった。
「えっと、どこか痛い、とか?」
お姉さんは腫れ物に触れるみたいに聞く。でもなぜか当然のようにボクの隣に座ってる。なんか変な距離感の人だなあ。いいけど。
「…どこも痛くないから、気にしないで」
「そっかあ」
恥ずかしくて、ついぶっきらぼうに言っちゃったけど、お姉さんは全然気にしてないみたいだ。
「学校、サボり?」
当てられて、胸がズキリと痛む。学校に連れてかれちゃうかも。警察とか。それか児童保護センターみたいなとこ。どうしよう。
急に、さっきまでぼんやりしてた不安が鋭く突き刺してくる。引っ込んでた涙がまた出てきそう。
でも、お姉さんは懐かしむみたいに、
「私もよくサボってたなあ」
って、ボクの頭をぽんぽんしながら言った。
「えっ!?ほんとに?」
「ほんとだよ」
お姉さんは「意外と悪い子でしょう」と笑う。こんな優しそうなお姉さんが悪い子には見えないから、不思議。
「ボクはね、今日が初めてだよ」
「そうなの?いい子だね」
「…いい子じゃないよ」
そう。ボクはいい子じゃない。いち兄のこと大好きなのに、こんなことしてたら絶対迷惑かかるってわかってるのに。
「大好きな人に迷惑かかるって、思ってるでしょう」
どき。
「どうしてわかったの?」
「それはもちろん…あー、えっと…どうしてだと思う?」
お姉さんは動揺したみたいに眉を下げてずるい返しをする。誤魔化されてるなあって思ったけど、それ以上は聞かなかったし答えなかった。
やっぱりこのお姉さん、ちょっと変だ。悪い人じゃなさそうだけど、人は見かけによらないから気をつけなさいっていち兄も言ってたし…あんまり関わらないようにしよう。
「…お姉さんは、どうして学校サボってたの?」
話題を変えようと思って適当な質問をした。お姉さんが答えを探すように上を見て「うーん、どうしてだったかなあ」と唸る。ボクは、お姉さんの悪い子の理由を待つ。それは、お姉さん自身でも納得がいっていないようにひねり出された。
「…色々なことが嫌だった、からかなあ…」
曖昧な答え!ボクがむっとしたのに気づいたのか、お姉さんは取り繕うようにまくしたてた。
「や、違うんだよ。なんていうか、言い表すと難しいというか恥ずかしいというか。その時の私には、まわりの物事どれもが死活問題だったの。そこに居たくなかった理由なんて山ほどあるの。」
「……例えば?」
ずるい返しの反撃。でもお姉さんはちょっと恥ずかしそうに首を傾げて、ちゃんと答えてくれた。
「…隣の机との距離とか、給食をクチャクチャ音立てて食べる男子とか。あと、花の色…」
「花の色?」
ほとんど無意識に反応して、聞き返しちゃった。予想外のところに反応されたのか、お姉さんはびっくりして、やっぱり照れ臭そうに目をそらした。ちょっとかわいい。
「百日紅が…咲いていて。いちばん…す、好きな花なの」
…あの花の名前!今度はボクが驚いて、なんとなくお姉さんを睨んでしまった。でも気付いてないみたい。髪を耳にかけて、その毛先を見ながらいじくっている。さっきボクに声をかけた時よりもじもじしていて、なんだか隠し事がバレた子供みたいだ。
「百日紅の、綺麗なピンク色を見て…友達に、綺麗だねって言ったの。その時の私にとって一番仲のいい友達だった。けどね、その子は困った顔して「そう?」って。…今思えば、花とかに興味のない子だったし当然なの。でもすごくショックだった。私の美しいと思うもの、否定されたみたいだった…」
照れ臭そうに、ちょっと寂しそうに。お姉さんが傷ついた理由はわかる。ボクだってそういうことあるし、好きな物を認めてもらえなかったらすごくつらい。でも、お姉さんが否定されてこんなに傷つくほど好きなものが、あの気持ち悪い花なんて……なんか、いやだ。
「……お姉さん、サルスベリが好きなの?」
尋ねた声には、考えてたより力が入っちゃった。お姉さんがボクを覗き込むように首をかしげて、困ったように笑う。
後悔した。今、お姉さんが否定されて悲しかったって話をしたのに、これじゃボクもその「友達」と同じだ。弱い風が吹いて、耳にかかったお姉さんの髪がするりと落ちる。
「きらい?」
微笑みながら、あやすように。けど、なんだか、甘えてるみたい。
サルスベリのこと。わかってるけど、なんだか、お姉さん自身のことを聞いてるようにも、思えてくる。
変な人。
「きらい、じゃ、ないけど。……ちょっと苦手。ちょっとだけ」
ばつが悪くて、しりすぼみになった。今度はボクが取り繕う番。風が吹いたせいで視界を邪魔する髪を、耳にかける。
お姉さんはふふ、と笑う。見透かされてるみたいで恥ずかしくなって目を逸らした。
「私はすきだよ」
その声がすっごく優しくて、愛おしそうで。
サルスベリのこと。わかってるけど、なんだか、告白されてるみたいで、心臓が跳ねた。
変な、人。
「それに、あなたにすごく似合うと思うけどなあ。目の覚めるようなピンク色の、みんなが視線を注ぎたくなる愛らしさ。流れる様にしなやかな凛々しい幹。ん、すごく似合う」
「…なにそれっ」
きゅ、急に褒められたから、余計にドキドキしちゃった。茶化そうと思って「ボクのこと、口説いてるつもり?」って言ったら「そうかもね」って笑われた。
なんか、ほんとに、
「変な、お姉さん!」
にこっと笑ったお姉さんは、ボクの頭をぽんと撫でて立ち上がった。
「元気出たみたいだし、そろそろ行くね」
「あ…待って!」
すぐにでも去ってしまいそうだったから、思わず服をつかんだ。お姉さんが首をかしげてボクを見下ろす。
「あの、お姉さん、ありがと。あと……また、会ってくれる?」
なんでか、お姉さんは目を開いて固まった。それからはあ、と小さく息を吐いて、片手で口を覆い目を伏せる。呆れたみたいな動き。ちょっと予想外、だ。
「まったくもう、乱ちゃんは、ほんとに…」
え?
「ボク、名前…」
「あーー、えーっと。とにかく!また、会えます!」
また、誤魔化されちゃった。じゃあ!と言って風のようにいなくなっちゃった。やっぱり変。会えるって言ったのに、連絡先も名前も教えてくれなかったし。あ、名前…なんで知ってたんだろう。会話を思い出して、首をかしげる。もしかして、ほんとに怪しい人?
でもなんだかどうでもよくなっちゃった。だってお姉さん、最後、顔が真っ赤でかわいかった。耳までピンクで、まるで……
ベンチから立ち上がってうんと伸びをする。ふわりとまた弱い風が吹いた。今のボクは悪い子だけど、またしばらくはいい子でいられそう。どれくらいの時間が経ったのかな。もう理科終わっちゃったかな。まだ足取りはちょっと重いけど、いつもより早歩きで学校へ向かう。
中学1年生、2学期のはじめまで、ボクは百日紅が嫌いだった。