刀剣短編
金木犀が香りだすと、幼い日の指切りを思い出す。
その相手は真っ白な男の子で、金木犀と同じ色の瞳をしていた。なぜか肝心の約束の内容は覚えていない。恥ずかしいから、ちいさい指切りの話なんて聞くに聞けない。そもそも、彼は約束自体忘れているかもしれない。
地獄のような蒸し暑さはいつのまにか消えて、気が付いたら秋だった。すんと透った空気が気持ちいい。夏の間私たちを憎んでいた太陽は、一転して優しく微笑んでいる。たまの休日と乾いた風に心が躍って、久々に街を歩き回ってみることにした。
彼を誘おうと思った。けど、片手にすっぽり収まる薄い機械で、彼宛のメッセージなんて考えるのはどうもこそばゆい。調子が狂う。不自然。鳥肌が立つ。虫唾が走る。
結局、偶然会えたりしないだろうかと期待しながらそのまま出発してしまった。そして、そんなとき、私の期待はよく報われる。
もうしばらく行っていなかったなあ、と立ち寄った本屋に、彼はいた。うっすら埃の被った平積みの文庫を、選ぶわけでもなくただつまらなそうに眺めている。
「……ん?おお、君か!」
驚いて立ち尽くしていた私に気付いたらしい。彼の長いまつげがくいっと上がり、金色の瞳が輝く。儚い容姿と裏腹に明朗な気性をもつこの人が、私の幼馴染、鶴丸国永だ。小さな本屋に似合わない大声に、ちょっと恥ずかしくなる。
「久しぶり。偶然だね?」
「どうして疑問形なんだ。…まあ俺は、君に会えやしないかなあと思いながらふらついてたんだが。」
バレてたか?なんて照れくさそうに笑う。私もだなんて絶対に言わない。
一緒に育ってきた私たちは、大学生になってから疎遠になった。違う大学だしお互い一人暮らしだしと会う機会を失ったのだ。今までなんの理由がなくても顔を合わせる距離にいたものだから、わざわざ理由をつけて会うのもなんだかおかしかった。……恋人でもあるまいし。
「せっかくだ。どこか行かないか?」
「いいね」
彼も似たような考えで連絡してこないみたいだけど、幾分か素直なだけましだ。コミュニケーションがうまいとも言う。
「大学、どう?」
「まあ普通だな」
昼下がりの街はどうものんびりしている。私たちもつられてのんびり歩く。行先は特にない。この感じが懐かしくてちょっと泣きそうになる。
「君は?」
「まあ普通。……彼女出来た?」
「作らない」
何故か得意げにそう言うと、ふふんと笑う。
これがちょっと勇気のいる質問だったことに、彼は気付いただろうか。
「モテる男はわからないなあ」
茶化した私が、どうしてか安心したことにも。
秋っていうのは何でも切なくさせる。特にこの真っ白い人は、秋にはいっそう儚くなる。二十年近く一緒にいるけれど、毎年毎年、彼が秋風に吹かれて消えてしまう気がして恐ろしい。幼い日の私は、それがこわくてよく泣いていた気もする。可愛い頃もあったもんだ。
「なあ君、前は秋になるとしょっちゅう泣いていたなあ」
思わずむせる。せっかくおしゃれな喫茶店に入ってみたのに、私の咳と彼の爆笑で台無しだ。
「君、馬鹿だなあ!もしかして同じことを考えていたとか?」
「…鶴丸のそういうとこ気持ち悪い。なんでわかるの……」
「そりゃあ、もうずっと一緒にいるからだろう」
「そんなにわかりやすい?」
彼はすっと微笑むだけで、私がにらみつけてもなにも言わなかった。
「それで、なんで秋には泣き虫になるんだ?」
その話は続けるのか!思考が読めるなら暗黙の了解もしてくれないだろうか。鶴丸が消えてしまいそうで怖かったなんて言えるわけない。
「…それより!秋といえば!私、小さい頃に鶴丸と約束したと思うんだけど!」
話題を変えてみると、彼は驚いたみたいに少し笑った。羽毛のような睫毛がふんわり揺れる。
そして、当然覚えているという風にうなずいた。あ、あれ?
「…あの、約束したことは覚えてるんだけど、何を約束したのか……覚えて、ます?」
カチャ、とティーカップが鳴る。突然の静寂に恐る恐るそちらを見ると、鶴丸がまあるく口を開けたまま固まっていた。
「君、その、忘れたのか?」
色素の薄い唇からひねり出すように言う。彼はあんまり驚くと声が出なくなるらしい。覚えてません、という代わりに目をそらす。
「なっ、なぜ…いくら君がねじの外れた間抜けだからって、あんな大事なこと忘れるか!?」
…この人、たいへん珍しく狼狽している。急に上がった音量。後ろにわなわなという効果音が見えるようだ。さらっと結構な悪口を言うし。こいつ、そんなこと思ってたのか……イラっとしたけど、忘れたのは私だし反論もできない。
鶴丸は黙っているだけの私を睨みながら、風船の空気が抜ける様に前へ倒れ、ついには顔を覆ってしまった。
「……いくらなんでも、そんなのってないだろう……」
肺いっぱいを使ったようなため息。声の大きい人はため息も大きいのか。
……なんという落ち込みぶり。なんだか情けなくなってきたし、不安にもなってきた。どんな重大な約束してたの、昔の私!
「あのう、なんか、本当ごめん…それで、どんな約束でしたっけ…?」
恐る恐る尋ねる。けれど、彼はなにやらブツブツ言うだけ。普段の彼からは考えられないほど小声で、ほとんど聞き取れない。
もう一度「あの、鶴丸さん?」と声をかけると、何か振り切ったように頷いて、顔を上げてくれた。そして真剣な顔で言う。
「あの約束だが、なかったことにしてくれていい」
大きな窓から朗らかに降り注いでいた日の光は、薄い雲に遮られ弱まっている。いつのまにか店内は静かになっていた。誰もいなくなったわけではない、きっと耳をすませば食器の鳴る音や他のお客さんの声が聞こえるはずだ。ただ私は、目の前の幼馴染が何を考えているのか探ろうとするあまり他のものをシャットアウトしているんだと思う。
「えっ、でも、大事な約束だったんでしょ?忘れてた私が言うのもなんだけど……」
「いいんだ」
彼は寂し気に微笑んで首を振る。彼に私の心が読めて私に彼の心が読めないのは不公平だ。
「いっ、いいわけない。なかったことにしていい約束なら、そんなにへこまない」
「そもそも、真に受けていた俺がおかしいだろう。ほら、この話はやめだ」
こ、こいつ、本当にこのままなかったことにする気だ!忘れ去られていたティーカップを口元へ運んで、窓の外に視線を流している。
なんだか悔しい。あんなにへこんでおいてあっさり許されるのも気持ち悪い。
何より、この約束を今はっきりさせないと、私はずっと負い目を感じて彼と話さなければならない。そうなったらどんどん距離が開いてしまう、気がする。これ以上鶴と離れるのは嫌だ!
「…いいから教えてよ。なかったことにするかどうかは、それから決めればいいでしょ。」
「中身を知ったら、俺を気遣ってなかったことにしたくないと言うだろう」
「…わかんないよ、知らないんだもん。教えてくれるまで粘るからね」
半ばすねたような口調になってしまった。鶴丸はため息をつく。けれど、それは先程よりずっと小さいものだった。
「まったく、君は……妙なところが頑固だな」
ふ、と息が漏れる様に笑って言う。その調子が普段の彼に近くて少し安心した。
「…あの日、俺と君が金木犀の下で交わした約束は」
それでもまだ迷うような、強張った言葉。つられて私も緊張する。彼の白銀の髪が、金属のように鈍く煌めく。
「おおきくなったら結婚しよう、と、いう……つまり婚約、だ!」
…………えぇ?
先程の鶴丸と同じように、口がまあるく開く。なんて言ったらいいのかわからない。
なんて、大事な……ありふれた子供らしい約束なんだろう!
鶴丸も流石に恥ずかしそうで、白雪姫みたいな肌に薄ら紅がさしている。
「そっ、そうなるだろう!?だから言いたくなかったんだ。覚えているかなんて確認するのも、その、照れくさいだろう!俺が覚えているのだから君も覚えているだろうと慢心して……まあ、冷静に考えてみれば子供の約束で、それもうんと幼かった。忘れるのも当然だ」
思っていたより可愛らしいところのある幼馴染は、誤魔化すみたいにまくしたてて薄く笑う。それはあまりに寂しそうだった。私にとっては今聞いたばかりの他人事のような口約束だけど、彼は、ずっとこの約束を大事に抱えてきたのだ。……ん?
「てっ、てことは、鶴はずっと、その、私と、その…」
「ああもう!やめだ!忘れた方がいい約束だったろう?この話はなかったことに!いいな?」
遅れて私を襲った衝撃の事実。なんということでしょう。でもそれを整理する前に、鶴は無理矢理話題を変えてしまった。私は取り残される。
鶴が私と…結婚するつもりでいた?「彼女は作らない」って笑ったのは、もしかして……?いや、それは結婚の約束があったから。でも、嫌なら忘れたふりをしちゃえばいい。今なかったことにするって言っていたし。本当になかったことになるのかなあ。
もう私の頭のなかはぐちゃぐちゃで、心臓は壊れたみたいに跳ねている。鶴の話は聞こえない。自分が何か言っているのかどうかもわからない。ただ時々、金の瞳が私を射抜く。どこかを突き刺された私は身動きが取れなくなる。傷口は甘ったるく疼く。退屈そうにしていたくせに、私を見つけるなり輝く金。金木犀の甘い香り。私をまっすぐ見据える、金木犀の瞳……。
息ができない。苦しい。顔が熱い。どうして?
鶴が嬉しそうに笑った。それだけいやに鮮明だった。
日はほんの少し傾き、早くも夕方の風が吹いている。結局正気に戻れないままで、気が付いたら喫茶店の外にいた。頭が冷えて、やっと冷静になる。
「まだ時間あるだろう?もう少し歩こう」
…今まで普通に見ていた顔が何故か直視できない。やっぱり全然冷静じゃない。そういえばこの人は、自分より大分小さい私に歩幅を合わせて歩いている。わざわざずっと下にある私の顔を見て話す。
「…なあ、約束の話だが」
どきっとした。もうずっとその話のせいで混乱しているのがバレてる!いや、わかってたけど!
「……もうやめなんじゃないの?」
やめにしてほしい。けどちょっとしてほしい。とりあえず今はやめてほしい。でも彼は、くつくつ笑ってからお構いなしに話し始めた。
「俺は、なかったことにしていいと思ってる」
急に、高ぶっていた心臓が落下した。体が冷えた気がする。なぜ?鶴が大事にしていた約束じゃないの?やっぱり邪魔だったの?思わず立ち止まり望みを探すように彼を見上げてしまってから、さっきまで忘れていたくせに約束にすがろうとする自分に気付いてしまった。
鶴丸はやはり、そんな私を見透かしているみたいだ。数歩先にいた彼はくるっと回って私と向き合うと、自信たっぷりに言い放つ。
「約束がなくたって、死ぬまで一緒にいたいと思わせてみせるさ」
秋は好きだ。この幼馴染は、秋の光の下で一層美しく煌めく。彼の瞳と同じ色の花が咲く。消えてしまいそうなほど愛しい彼が、死ぬまで一緒にいてくれるなら、どんなに幸せなことだろう。
その相手は真っ白な男の子で、金木犀と同じ色の瞳をしていた。なぜか肝心の約束の内容は覚えていない。恥ずかしいから、ちいさい指切りの話なんて聞くに聞けない。そもそも、彼は約束自体忘れているかもしれない。
地獄のような蒸し暑さはいつのまにか消えて、気が付いたら秋だった。すんと透った空気が気持ちいい。夏の間私たちを憎んでいた太陽は、一転して優しく微笑んでいる。たまの休日と乾いた風に心が躍って、久々に街を歩き回ってみることにした。
彼を誘おうと思った。けど、片手にすっぽり収まる薄い機械で、彼宛のメッセージなんて考えるのはどうもこそばゆい。調子が狂う。不自然。鳥肌が立つ。虫唾が走る。
結局、偶然会えたりしないだろうかと期待しながらそのまま出発してしまった。そして、そんなとき、私の期待はよく報われる。
もうしばらく行っていなかったなあ、と立ち寄った本屋に、彼はいた。うっすら埃の被った平積みの文庫を、選ぶわけでもなくただつまらなそうに眺めている。
「……ん?おお、君か!」
驚いて立ち尽くしていた私に気付いたらしい。彼の長いまつげがくいっと上がり、金色の瞳が輝く。儚い容姿と裏腹に明朗な気性をもつこの人が、私の幼馴染、鶴丸国永だ。小さな本屋に似合わない大声に、ちょっと恥ずかしくなる。
「久しぶり。偶然だね?」
「どうして疑問形なんだ。…まあ俺は、君に会えやしないかなあと思いながらふらついてたんだが。」
バレてたか?なんて照れくさそうに笑う。私もだなんて絶対に言わない。
一緒に育ってきた私たちは、大学生になってから疎遠になった。違う大学だしお互い一人暮らしだしと会う機会を失ったのだ。今までなんの理由がなくても顔を合わせる距離にいたものだから、わざわざ理由をつけて会うのもなんだかおかしかった。……恋人でもあるまいし。
「せっかくだ。どこか行かないか?」
「いいね」
彼も似たような考えで連絡してこないみたいだけど、幾分か素直なだけましだ。コミュニケーションがうまいとも言う。
「大学、どう?」
「まあ普通だな」
昼下がりの街はどうものんびりしている。私たちもつられてのんびり歩く。行先は特にない。この感じが懐かしくてちょっと泣きそうになる。
「君は?」
「まあ普通。……彼女出来た?」
「作らない」
何故か得意げにそう言うと、ふふんと笑う。
これがちょっと勇気のいる質問だったことに、彼は気付いただろうか。
「モテる男はわからないなあ」
茶化した私が、どうしてか安心したことにも。
秋っていうのは何でも切なくさせる。特にこの真っ白い人は、秋にはいっそう儚くなる。二十年近く一緒にいるけれど、毎年毎年、彼が秋風に吹かれて消えてしまう気がして恐ろしい。幼い日の私は、それがこわくてよく泣いていた気もする。可愛い頃もあったもんだ。
「なあ君、前は秋になるとしょっちゅう泣いていたなあ」
思わずむせる。せっかくおしゃれな喫茶店に入ってみたのに、私の咳と彼の爆笑で台無しだ。
「君、馬鹿だなあ!もしかして同じことを考えていたとか?」
「…鶴丸のそういうとこ気持ち悪い。なんでわかるの……」
「そりゃあ、もうずっと一緒にいるからだろう」
「そんなにわかりやすい?」
彼はすっと微笑むだけで、私がにらみつけてもなにも言わなかった。
「それで、なんで秋には泣き虫になるんだ?」
その話は続けるのか!思考が読めるなら暗黙の了解もしてくれないだろうか。鶴丸が消えてしまいそうで怖かったなんて言えるわけない。
「…それより!秋といえば!私、小さい頃に鶴丸と約束したと思うんだけど!」
話題を変えてみると、彼は驚いたみたいに少し笑った。羽毛のような睫毛がふんわり揺れる。
そして、当然覚えているという風にうなずいた。あ、あれ?
「…あの、約束したことは覚えてるんだけど、何を約束したのか……覚えて、ます?」
カチャ、とティーカップが鳴る。突然の静寂に恐る恐るそちらを見ると、鶴丸がまあるく口を開けたまま固まっていた。
「君、その、忘れたのか?」
色素の薄い唇からひねり出すように言う。彼はあんまり驚くと声が出なくなるらしい。覚えてません、という代わりに目をそらす。
「なっ、なぜ…いくら君がねじの外れた間抜けだからって、あんな大事なこと忘れるか!?」
…この人、たいへん珍しく狼狽している。急に上がった音量。後ろにわなわなという効果音が見えるようだ。さらっと結構な悪口を言うし。こいつ、そんなこと思ってたのか……イラっとしたけど、忘れたのは私だし反論もできない。
鶴丸は黙っているだけの私を睨みながら、風船の空気が抜ける様に前へ倒れ、ついには顔を覆ってしまった。
「……いくらなんでも、そんなのってないだろう……」
肺いっぱいを使ったようなため息。声の大きい人はため息も大きいのか。
……なんという落ち込みぶり。なんだか情けなくなってきたし、不安にもなってきた。どんな重大な約束してたの、昔の私!
「あのう、なんか、本当ごめん…それで、どんな約束でしたっけ…?」
恐る恐る尋ねる。けれど、彼はなにやらブツブツ言うだけ。普段の彼からは考えられないほど小声で、ほとんど聞き取れない。
もう一度「あの、鶴丸さん?」と声をかけると、何か振り切ったように頷いて、顔を上げてくれた。そして真剣な顔で言う。
「あの約束だが、なかったことにしてくれていい」
大きな窓から朗らかに降り注いでいた日の光は、薄い雲に遮られ弱まっている。いつのまにか店内は静かになっていた。誰もいなくなったわけではない、きっと耳をすませば食器の鳴る音や他のお客さんの声が聞こえるはずだ。ただ私は、目の前の幼馴染が何を考えているのか探ろうとするあまり他のものをシャットアウトしているんだと思う。
「えっ、でも、大事な約束だったんでしょ?忘れてた私が言うのもなんだけど……」
「いいんだ」
彼は寂し気に微笑んで首を振る。彼に私の心が読めて私に彼の心が読めないのは不公平だ。
「いっ、いいわけない。なかったことにしていい約束なら、そんなにへこまない」
「そもそも、真に受けていた俺がおかしいだろう。ほら、この話はやめだ」
こ、こいつ、本当にこのままなかったことにする気だ!忘れ去られていたティーカップを口元へ運んで、窓の外に視線を流している。
なんだか悔しい。あんなにへこんでおいてあっさり許されるのも気持ち悪い。
何より、この約束を今はっきりさせないと、私はずっと負い目を感じて彼と話さなければならない。そうなったらどんどん距離が開いてしまう、気がする。これ以上鶴と離れるのは嫌だ!
「…いいから教えてよ。なかったことにするかどうかは、それから決めればいいでしょ。」
「中身を知ったら、俺を気遣ってなかったことにしたくないと言うだろう」
「…わかんないよ、知らないんだもん。教えてくれるまで粘るからね」
半ばすねたような口調になってしまった。鶴丸はため息をつく。けれど、それは先程よりずっと小さいものだった。
「まったく、君は……妙なところが頑固だな」
ふ、と息が漏れる様に笑って言う。その調子が普段の彼に近くて少し安心した。
「…あの日、俺と君が金木犀の下で交わした約束は」
それでもまだ迷うような、強張った言葉。つられて私も緊張する。彼の白銀の髪が、金属のように鈍く煌めく。
「おおきくなったら結婚しよう、と、いう……つまり婚約、だ!」
…………えぇ?
先程の鶴丸と同じように、口がまあるく開く。なんて言ったらいいのかわからない。
なんて、大事な……ありふれた子供らしい約束なんだろう!
鶴丸も流石に恥ずかしそうで、白雪姫みたいな肌に薄ら紅がさしている。
「そっ、そうなるだろう!?だから言いたくなかったんだ。覚えているかなんて確認するのも、その、照れくさいだろう!俺が覚えているのだから君も覚えているだろうと慢心して……まあ、冷静に考えてみれば子供の約束で、それもうんと幼かった。忘れるのも当然だ」
思っていたより可愛らしいところのある幼馴染は、誤魔化すみたいにまくしたてて薄く笑う。それはあまりに寂しそうだった。私にとっては今聞いたばかりの他人事のような口約束だけど、彼は、ずっとこの約束を大事に抱えてきたのだ。……ん?
「てっ、てことは、鶴はずっと、その、私と、その…」
「ああもう!やめだ!忘れた方がいい約束だったろう?この話はなかったことに!いいな?」
遅れて私を襲った衝撃の事実。なんということでしょう。でもそれを整理する前に、鶴は無理矢理話題を変えてしまった。私は取り残される。
鶴が私と…結婚するつもりでいた?「彼女は作らない」って笑ったのは、もしかして……?いや、それは結婚の約束があったから。でも、嫌なら忘れたふりをしちゃえばいい。今なかったことにするって言っていたし。本当になかったことになるのかなあ。
もう私の頭のなかはぐちゃぐちゃで、心臓は壊れたみたいに跳ねている。鶴の話は聞こえない。自分が何か言っているのかどうかもわからない。ただ時々、金の瞳が私を射抜く。どこかを突き刺された私は身動きが取れなくなる。傷口は甘ったるく疼く。退屈そうにしていたくせに、私を見つけるなり輝く金。金木犀の甘い香り。私をまっすぐ見据える、金木犀の瞳……。
息ができない。苦しい。顔が熱い。どうして?
鶴が嬉しそうに笑った。それだけいやに鮮明だった。
日はほんの少し傾き、早くも夕方の風が吹いている。結局正気に戻れないままで、気が付いたら喫茶店の外にいた。頭が冷えて、やっと冷静になる。
「まだ時間あるだろう?もう少し歩こう」
…今まで普通に見ていた顔が何故か直視できない。やっぱり全然冷静じゃない。そういえばこの人は、自分より大分小さい私に歩幅を合わせて歩いている。わざわざずっと下にある私の顔を見て話す。
「…なあ、約束の話だが」
どきっとした。もうずっとその話のせいで混乱しているのがバレてる!いや、わかってたけど!
「……もうやめなんじゃないの?」
やめにしてほしい。けどちょっとしてほしい。とりあえず今はやめてほしい。でも彼は、くつくつ笑ってからお構いなしに話し始めた。
「俺は、なかったことにしていいと思ってる」
急に、高ぶっていた心臓が落下した。体が冷えた気がする。なぜ?鶴が大事にしていた約束じゃないの?やっぱり邪魔だったの?思わず立ち止まり望みを探すように彼を見上げてしまってから、さっきまで忘れていたくせに約束にすがろうとする自分に気付いてしまった。
鶴丸はやはり、そんな私を見透かしているみたいだ。数歩先にいた彼はくるっと回って私と向き合うと、自信たっぷりに言い放つ。
「約束がなくたって、死ぬまで一緒にいたいと思わせてみせるさ」
秋は好きだ。この幼馴染は、秋の光の下で一層美しく煌めく。彼の瞳と同じ色の花が咲く。消えてしまいそうなほど愛しい彼が、死ぬまで一緒にいてくれるなら、どんなに幸せなことだろう。
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