歌仙兼定×女審神者
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「花なんて別に好きじゃなかったし、気にしなくても大丈夫。それに、せっかく近侍なんて面倒な役目から解放されたのに、お花係なんてお願いしちゃったら歌仙さん怒りそうじゃない」
私の言葉に小夜左文字は「そんなことはないと思うけど」と呟いて、手にしていた一輪挿しの花瓶に視線を落とした。光の角度で淡い紫にも桃色にもえる繊細な硝子製のそれは、先週まで近侍だった歌仙兼定が持ち込んだ物だった。本来は美しいはずの硝子の色は、萎れた花のせいでどことなくくすんで見える。その寂しげな様子に、少し胸の奥が痛んだ。
『この部屋はあまりにも無機質にすぎるだろう。仕事場にこそ、こういった余裕は必要だよ』
歌仙を近侍へ指名するようになってしばらく経った頃に、そう言いながら彼はこの花瓶を手に現れた。そして得意気な顔で私の執務机にそれを置き、庭で摘んできたらしいピンク色のガーベラを生けたのだった。あまりに唐突だったので少し呆気に取られたけれど、華奢な一輪挿しは邪魔という程でもなく、その善意が純粋に嬉しかった私は素直に礼を言うに留めた。
その日の執務中、気まぐれに花弁を指先でつついていると、微かに空気の震える音がして思わず顔を上げる。するとこちらを微笑ましそうに見つめる翡翠の瞳と視線が合った。
『確かにこういうのも、たまにはいいですね』
少し照れくさくなって少し早口でそう告げると、彼はふわりと微笑んで『そうだろう』と頷いてみせる。それは、花が綻ぶように優しい微笑みだった。
──このひと、こういう風に笑うんだ
その頃はようやく審神者として軌道に乗り始めたばかりで、密に接していたのは初期刀の加州清光や初鍛刀の前田藤四郎が主だった。だから、私はこの時初めて彼の心からの笑みを真っすぐに見たのだけれど、それは胸がムズムズするような気恥しくなるほど綺麗な微笑みで、思わず熱を持った頬を隠すように視線を逸らしてしまった。視界の端で、ピンク色の花弁が揺れる。それは、とても愛らしくていじらしい色をしていた。
「主?」
小夜の声に思い出から現実へ引き戻される。小夜の手の中にあるのはあの時と同じ花瓶なのに、花が萎れているというだけでこうも雰囲気が違うのかと不思議で寂しい気持ちになった。あれ以来、花はいつも歌仙が替えてくれていた。だから、こんな風に見えるなんて知らなかった。だけれど自分で選んた花を生ける気にも、ましてや小夜が提案してくれたように近侍から外した彼にわざわざ頼む気にもなれない。勘違いしてしまいそうになる自分が嫌で遠ざけたくせに、まだ彼からの花が欲しいなんて、そんなのはあまりにも我儘だ。
「とにかく、その花はそろそろ片づけなきゃ。すっかり忘れてた。小夜が言ってくれなきゃ気づかなかった」
「いえ、別に」
「その一輪挿しもしばらく使わないだろうし、ここに置いておいても仕方ないよね。やっぱり歌仙さんに返さな」
「それはダメ」
私の言葉を小夜が強い語調で遮る。思わず顔を上げると、ひたり、と青い瞳が真っすぐに私を射抜いていた。
「これはあなたのものだよ。歌仙兼定があなたへ贈った、あなたのものだ。
仕舞い込んだって構わない。たとえ使われなくても、大切に仕舞われていれば僕たちは愛されているって思えるから──だから、簡単に手放すなんて言わないで」
***
僕の言葉に主はきゅ、と唇を噛みしめるような仕草をした。そうしてそのまま引きつったような笑顔を作り、
「ごめんね、そうだよね」
と頷いた。それに僕は胸をなでおろす。せめてこの子くらいは主の傍に置いてあげたいという気持ちと、万が一主から突き返された場合の歌仙兼定の言動を思えば、それも仕方のないことだ。
その後、主はすこし済まなそうに萎れた花の処分と、花瓶の洗浄を僕に頼んだ。今から洗って乾かせば、夕方の業務終了時間には仕舞えるだろうからと。僕はすぐに頷いてその場を辞した。きっと主は一人になりたいのだろうと、そんな気がした。
畑仕事等でちょっとした道具や手を洗う時に使う中庭に面した水場に着くと、僕は花瓶から花を抜き、少し迷ってそれを流し台の端に寄せた。蛇口を捻ると色あせた赤い花弁が水流を受けて不満そうに揺れる。そういえば、これは何の花だろうと首を傾げる。西洋花だろうか。色こそ赤いがイチリンソウに雰囲気がよく似た愛らしい花だった。少なくとも本丸の庭にはなかったような気がする。
もしかして、歌仙はいつもわざわざ買ってきていたのだろうか。主のために。それに思い当って、少しため息がこぼれる。
主がほぼ固定になっていた近侍を見直すと、歌仙を近侍職から解いて一週間が経った。花はすっかり萎れてしまったけれど、それでもよく持った方だと思う。主は鮮やかな赤い色が褪せて萎れていく様を、どんな気持ちで眺めていたのだろう。
──花、枯れてきてるね。替えるように僕から歌仙に言おうか?
そう僕が言った時に一瞬だけ見せた表情は、まるで何かに懺悔しているようにも見えて。「忘れていた」「気づかなかった」というのは嘘だと思わせるのに十分だった。
主が近侍見直しを朝の会議で口にしたとき、一番驚いていたのは歌仙だった。だからきっと、決定的な何かがあったわけではないのだろう。けれども何かはあるのだ。時間をかけて、降り積もってしまった何かが。
考えても考えてもわからない。この花の名前と同じだ。知らないものは、わかりようもない。
流し台の下の棚には、木桶と剪定用の園芸バサミが無造作に置かれていた。きっと歌仙はここで花の手入れをしていたのだ。歌仙が近侍職を解かれたあの日の夕暮れ、昼食時にも姿を見せなかった彼をようやく見つけたのもこの場所だった。
『歌仙、何があったんですか』
『ああ、お小夜か。いや、何も。……ここから夕暮れの庭を眺めるのが好きでね』
『そうじゃなくて、主と』
『……何も。ただ、特に理由もなく同じ刀ばかりを近侍に据えるのは、余計な憶測や誤解を招きかねないから、ということらしい』
『主に聞いたんですか。それで納得を?』
『まさか。本当にひどい話だよ。「それを言うなら、君が就任以来ずっと使っているその雅さの欠片もない湯呑はどうなんだい?」と聞いたら、それとこれとは話は別だそうだ』
『……でしょうね』
『何も変わりはしないだろう。人というのは、つい手に馴染んだものを使いたくなるものなのだから。僕が馴染むというのなら、僕を使うべきだ』
僕を使うべきなのに、なぜだろうね。僕にはわからない。
歌仙は自問自答するようにそう言い、もう一度、小さくわからない、と口の中で繰り返した。そうしてそれっきり口を噤み、夕陽が沈み切り辺りが暗くなるまでその場に佇んで闇に沈んでいく中庭を見つめていた。
──そうだね、僕にもわからないよ。ひとの心なんて、わからないことだらけだ。
蛇口を捻って水を止め、花瓶を軽く振って水気を切る。花をどこに捨てるか少し迷い、畑横の雑草捨て場に向かおうとしたところで、粟田口の兄弟たちと遭遇する。これから他の兄弟たちを手伝いに畑へ行くという、彼らの好意に甘えて萎れた花を預けた。楽しそうな後ろ姿が、ほんの少しだけ羨ましいと思った。
執務室の窓辺に新聞紙を引いて、その上に花瓶を乗せる。春も終わるこの季節。穏やかすぎる陽気ではあるけれど、確かに夕暮れまでにはきちんと乾くだろう。
主は花瓶を乾かす僕へチラリと視線を向けたが、それきりだった。そうして、後はそれにはまるで興味がないという風で執務に集中している。いつも通りの主だ。少なくとも、表面上は。
本当は聞きたいことは沢山ある。考えたところでわからないのなら、わかるまで教えてもらう方が早いのだから。だけど、それをきっと主は望まないのだ。それならあの人の身内である以前に、主の刀として僕は主の望みを優先する。
だから僕はその日もその次の日も、そうして何事も無かったかのように振舞うことにしたのだった。
***
「花なんか別に好きじゃなかった」で始まり「そうして何事も無かったかのように振舞った」で終わります。
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