風に揺れて【館長さん作】

 一所に留まらないもの。流れる水、空の雲。
 上空は風が強いのだろう。クレマチスが見上げる青空を、白い雲が絶え間なく過ぎっていった。長い尾を引きながら視界から外れていく羊雲は、見れば見るほど、単に風で流されているのではなく、明確に追いかけるべき何かのため青空を奔っているように思えた。
 他人が真に求めるものなど理解できないように、自分自身の本願でさえ本当の意味では知らないのだろう。あの雲に投影したクレマチスの想いは、本人でさえ知りえなかった。
 命とは、生存本能に従って存続を選び取るものである。生きる目的とは言ってしまえば生きる事そのものだ。しかし影に潜み、素顔をも秘した忍びはこれまでで最も胸を焦がした、暗澹たる衝動を思い返した。
 自壊願望。
 彼は殺したかった。彼は死にたかった。
 某かを全身全霊でもってして殺そうとする者はえてして、自らの命をも投げ出している。幾度となく自身の生に幕を下ろそうと試みようと、いつだって彼は残される側だった。親を、恋を、愛を失った時でさえ、この命だけは常に手元へ余り続けた。
 いつしか生きるためではなく、死ぬためだけに生き続けた男である。
 虚ろな胸に新たに差し込んだ光。全てのカードを切り終える前の彼だったら、なにもかもをかなぐり捨てて彼女の手を引き、地の果てを目指しただろうか?
 クレマチスは自問し、金の髪を揺らしながらひとりゆっくりと首を横に振る。
 どれほど肯定を望もうと、彼女はメリアではない。彼女が心底より大切にしている赤ん坊もまた、自分の子ではないのだ。
 その当たり前の事実が、どんな慰めよりもクレマチスを安堵させた。失ったものは戻らない。悲劇は繰り返されない。一番うつくしい時の二人は、自分が覚えている。
 クレマチスはスミレの居室へと足を向けながら、ゆっくりとまばたきをした。
 一所に留まれないもの。流れる水、空の雲、人の生。

 なにより涼やかな風に似た青年はいま、廃墟にしつらえられた墓にて眠る。
 最期にようやく受け取った許しを胸に、今はまだ、来世など要らぬまま。
1/2ページ
スキ