another 第十三話 病死

 エルディは記者会見を開き、末期の胃癌であること、治療を諦め、ゆっくり余生を過ごすことを発表した。世間は日夜エルディの功績をたたえる番組を放送し、特別番組にゲスト出演したエルディは、医療チームをそばに待機させた状態で今若者たちに伝えたい教訓などを語った。
 視聴率は驚異の34%をたたき出し、多くの人々の目にその最後の姿を焼き付けた。
 テレビ出演の仕事がひと段落つくと、今度は事業の引継ぎである。息子に全てのノウハウを伝え、隠し金庫の在り処や加入保険情報、銀行の暗証番号などすべてを伝え、死んだら二人の子とデライラに相続すると宣言した。息子と娘は静かに父の遺言を聞いた。そしてエルディは遺言の内容を記した遺言状を息子に手渡した。
 さあ、あとは死期が来るのを待つばかりである。死期まで残り一ヵ月になると、胃の痛みが無視できなくなり、癌も全身に転移し始め、いよいよ入院することになった。
 痛みを散らすためにモルヒネが投与され、点滴で生命を繋ぐしかない状態になった。死期が近づいたエルディが最期に願ったのは、「文豪・ウィリアム・エネットの小説に出てくるコーヒーとフライドチキンが食べたい」だった。
 その訴えを聞いた娘は、あのカフェでコーヒーとフライドチキンをテイクアウトし、チキンを食べやすいようにほぐして、病床のエルディに差し出した。
 エルディの横にはカフィンがいた。神妙な面持ちで見つめるカフィンを横目で窺うと、カフィンは小さくこくりと頷いた。エルディは久しぶりのグルメに舌鼓を打った。やはり死ぬ前に食べておきたい味だ。こうして死ぬ前に再び味わえるとは、なんと幸運なのだろう。エルディは涙をぬぐいながらコーヒーとチキンを胃に流し込んだ。
 もう思い残すことは何もない。死期が判っていると、こうも覚悟が据わるものなのか。若いころあんなに死にたくてたまらなかったのが悪い夢のようだ。エルディは朦朧とした意識の中で、自分の命の灯火が消える日を、指折り数えて待った。

 「4月6日午前0時37分13秒。ご臨終です」
 医師は時計を確認し、エルディの死亡を言い渡した。デライラはすうっと気を失いその場に倒れ、隣のベッドに寝かされた。いよいよこの瞬間が来て、緊張の糸が切れたのだろう。娘は驚いてデライラに泣きついた。息子は父の手を握り、涙をこらえて歯を食いしばり、上を向いて涙が流れないように耐えた。
  エルディの告別式は盛大に執り行われた。遺影のエルディは、実に幸せそうに微笑んでいたという。
 ある一人の死にたがりの男は、精一杯魂を育て、懸命に生き、3カ月の闘病の末静かにその人生の幕を閉じた。人一倍死の恐怖を体感し、人一倍命の尊さを実感し、人一倍死神を愛した。この物語は、そんな男の伝説である。
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