第十一話 練炭

 そのまま二人は駆け落ちした。デライラと二人で始めた新生活は、意外にうまくいっていた。だが、そんな二人をたびたび妨害する影がある。
 デライラを襲うフラッシュバックだ。
 デライラは幼い頃から虐待されたトラウマで、不意に過去の暴力を思い出し発狂してしまう。
 もう誰もデライラを責める人間などいないというのに、デライラは虐待の記憶に虐待され続けていた。
 苦しみもがき、過去の亡霊に抗うように絶叫し泣きわめくデライラに、強い頓服の安定剤を飲ませると、デライラはほどなくして落ち着きを取り戻した。
 「エルディ。あたしもう生きているの辛いよ。生きてるだけで辛い。あたしと死のう?」
 過去に責められ続けるデライラを見守ることしかできない。エルディはデライラに同情し、その苦しみから解放してあげようと考えた。
 「そうだね。何もかもおしまいにしよう。僕も一緒に行くよ」

 エルディは小さなコンロと練炭を用意した。窓を閉め切り、目張りをして、空気が漏れないようにする。そして練炭に火をつけ、デライラと一緒にその時を待った。
 次第に息苦しくなり、意識が朦朧としてくる。このままいけば、眠るように死ねる……。と思った時である。
 デライラが激しく嘔吐した。
 そして「苦しい、助けて!」と、咳き込みながら掠れた声で訴える。すると火災報知器がけたたましく鳴り響いた。
 気が動転したエルディは慌てて目張りを剥がし、窓を全開にした。
 火災報知機の紐を引っ張ると、警報機は鳴り止んだ。
 「デライラ、大丈夫?」
 エルディはデライラの背中をさすり、彼女が落ち着くのを待った。すると、玄関のドアを叩くものが現れた。
 「フィルキィさん?!今の警報機何ですか?火事ですか?!」
 このアパートの大家・ドナルド・ロンドレムである。
 「何でもないです!料理で失敗しただけです!」
 しかし、エルディの自殺未遂に毎回頭を悩ませていたドナルドには、それが嘘だとお見通しである。合鍵でドアを開け、中に入り込んだ時に練炭を燃やした臭いに反応した。
 「今度はこのアパートを火事にするつもりですか?!」
 「違います、これは……!」
 しかし、奥の部屋に倒れている女性を見つけると、「また心中しようとしたんですか!」と、デライラを抱き起こして生死を確認した。幸いまだ生きているようだ。ドナルドは携帯電話で救急車を呼んだ。
 「今度死のうとしたら出て行ってもらいますからね!」
 ほどなくしてデライラと、念のためエルディも救急車で運ばれ、二人は一命をとりとめた。
 「やっぱり自殺は難しいな。どうしても苦しくて生きようとしてしまって、失敗してしまう。確実な死に方を探さなくちゃ……。デライラのためにも……」

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