第五話 焼身

 夏の暑い日のことである。エルディは焼身自殺を企てようと、灯油のポリタンクを運んでいた。車のトランクに積み込み、一般人を装う。
 彼は死ぬ前に必ず立ち寄るカフェの駐車場に車を停めた。万が一自殺が成功したら、死ぬ前に胃に入れておきたいコーヒーとフライドチキンがあった。彼は今日も、「今度こそ死ぬ」と決めて、お決まりのカフェにやってきたというわけだ。
 カフェに入店し、カウンターでコーヒーとチキンを受け取ると、トレイを運び、空いている席を探した。しかし、店内は混雑していて、相席を勧められてしまった。店員に案内されて席を共にしたのは、厳つい髭の老人であった。
 「相席失礼します」
 「構わんよ」
 覇気のない老人だった。どこか呆けているようで、虚ろな目でエルディのチキンを見つめている。
 と、急に老人は鼻をひくひくさせ、何かの臭いを確かめだした。
 「どうかしましたか?」
 エルディが訊くと、「灯油の臭いがする」と老人は答えた。
 エルディは内心ドキッとした。灯油を運んでいることがばれてしまう。
 「何の臭いでしょうね?」
 知らないふりをしたが、老人は気になるようだった。
 「この夏場に灯油なんか、なんで臭うんだ?君か?君から臭いがする」
 「そ、そうですか?」
 老人の目が厳しくなった。
 「自殺か?焼身自殺か?それとも放火か?」
 エルディは驚いた拍子にコーヒーを誤嚥してしまった。気管にコーヒーが入り、激しく噎せた。
 「大丈夫かね?」
 「げほげほっ、……んなんで……ごほっ……判ったんですか」
 「どっちだ?」
 「……自殺です」
 老人は目を伏せた。そして、ふうっと静かに長い溜め息を吐いた。
 「運命なのかな。実は儂も死のうと考えていた」
 「どうかなさったんですか?」
 老人は薄く目を開けると、エルディに問うた。
 「君はウィリアム・サッドネス・エネットを知っているか?ドーパミン文筆家と呼ばれた、キチガイの物書きだ」
 エルディは目を輝かせた。聞き覚えがあるなんてものではない。エルディは彼の大ファンで、考察掲示板の住人である。彼は力強くうなずいた。
 「大ファンです。あなたも彼のファンなんですか?」
 「儂が、そのエネット本人だよ」
 エルディは悲鳴をあげそうになり、慌てて口を押さえた。彼は有名人だ。もしかしたらお忍びのカフェかもしれない。爆発した興奮を落ち着かせて、エルディは声を潜めて話しかけた。
 「大ファンです。作品は全部拝読しました。お会いできて光栄です。ああ、死ぬ前に人生の師匠にお会いできるなんて、僕の人生が報われます」
 エルディは右手を差し出した。左手を添えられるように、左手もスタンバイさせておく。エネットは快く握手を受け入れた。
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