【番外】凍り付いた感情が溶けた日

 テンパランスは涙をぬぐうと、いつもの無表情で顔を上げ、「こんなことも、たまにはありますよ」と、気丈に言って缶コーヒーを開けようとした。
「ララ!!こういう日は、怒っていい!泣いていい!なんで平気そうな顔をするんですか!?」
 アルシャインはテンパランスを抱きしめ、諫めた。
「仕事するうえで、感情を表に出してはいけないの。叱られるわ」
「誰に?!」
「誰に?……誰、かしら……。そうね、考えてみたら、誰かしら……?」
 テンパランスは人形のように美しい無表情で、アルシャインに抱きしめられていた。
「感情を出したら、叱られるのよ。泣いたら叩かれるわ。笑ったら打たれるわ。怒ったら、外に締め出されるのよ」
「だから、誰がそんなことするんですか?!ララ、現実に返ってください。誰も今のあなたをそんな風にする人はいない!!」
「いない……?だって、私はそうして、今まで……」
 アルシャインはテンパランスを引きはがして、彼女の両肩を掴んでまっすぐ目を見つめた。
「ララ、怒ったら怒ればいい、泣きたいときは泣いていい。笑いたければ笑えばいいんだ。それは恥ずかしい事でもないし、誰も貴女を叱ったりなんかしない。貴女は事務所の代表だ。トップだ。貴女を虐げる人なんていないんですよ?」
 怯えた表情で困惑するテンパランスを見て、アルシャインはハッとした。怖がらせてはいけない。テンパランスは怖がっているのだ。アルシャインは顔をほころばせ、
「あなたが感情を抑えられなかったら、僕が全部受け止めます。だから安心して、泣きたいときは泣いていいんです」
 と、優しく語りかけた。
 テンパランスの中で、何かが大きく壊れるような気がして、吐き気が込み上げてきた。頭が痛い。寒気がする。これは一体?これは一体?何かが噴き出してくる。爆発しそうで、何かが出てきそうで、これは……?
「……っ!」
 テンパランスはぐにゃっと顔を歪め、何かに抗おうとしていた。だが、愛しいアルシャインの顔を見ていたら、すべて許されるような気がして、堰を切ったように涙があふれてきた。
「あ……あ……ああ……ああああああああああああ!!!!」
 テンパランスは声をあげて泣き、アルシャインの胸に飛び込んだ。
「悔しい!!悔しい!!悔しい!!ああああああああ!!!」
「悔しかったね。腹が立ったね。いいんだよ。全部ぶちまけていいんだよ」
「私のせいじゃないもの!やったことなんてないんだもの!!女だからって得したことなんか一回もなかったもの!!女だからって何よ!!みんな私のこと馬鹿にして!!ううう~~~~!!!!」
「うん……うん……」
「あんな奴こそ死んでしまえばいいんだわ!!人の死を願う奴がまず先に死ぬべきよ!!助かってよかったじゃない!報いを受けなさいよ!!神の罰を受けなさいよ!!地獄に堕ちろ!クソ狸爺!!売女の息子め!!地獄に堕ちろ!!」
 その後も二時間にわたってテンパランスは今まで封印していた怒りや不満や辛かった思い出を呪い続けた。止めようとしても止まらなかった。アルシャインはただ静かに彼女の感情を受け止めていた。
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