無性の天使編

 「初めて出会った日、一緒の宿に泊まったよな。あの夜、あんたが舟漕ぎ出して、俺はほとんど絵を描けなかった。でも、寝顔も天使みたいだなって思って、あの瞬間、俺はあんたに惚れたんだ」
 彼女は今までの思い出を語りだしました。
 「あんたの体を初めて見た時、なんて綺麗なんだと思った。この人になら、抱かれてもいいと思った」
 「クロエ……」
 「あんたと一緒に、温泉に入った。あんたと一緒に、歌を歌った。あんたと一緒に、まずい飯食って、なんだかおかしくて、笑い死にそうなほど笑った。あんたと一緒に眠って、目が覚めるといつもあんたがいた。あんたは天使じゃなかった。心臓が動いてて、あったかくて、安心するような匂いがして、俺は、あんたのことが、好きだった……」
 なぜだか大嫌いになったはずのクロエが、急に愛おしくなりました。そうです。大好きだったからこそ、喧嘩して、大嫌いになった。根底にあったのは、今も変わらず、彼女への愛がありました。
 「クロエ!」
 私は振り向いて彼女を抱きしめました。
 「私は貴女の描く絵が大好きでした。あなたの絵は、最初こそ気取った絵でしたが、だんだんあなたの絵の中の私が、優しい顔になっていって、深みのある絵になっていったのを、知っていました。だからあなたの絵はどんどん高くなっていった。あなたは、いい絵を描く力がある。被写体が私じゃなくても、貴女はきっと、これからもいい絵を描いてゆけます」
 いつの間にか私も泣いていました。
 別れたくありませんでした。
 でも、別れなければなりません。
 私は無理矢理体を引きはがすと、駆けだしました。彼女が追ってこれないように、遠くへ行かなくては。
 「レオナルドーーー!!!」
 「クロエ!!私は貴女を愛していた!!お元気で!!」
 こうして私はまた、自由な一羽の鳥になりました。
 愛を捨て、情を捨て、安住の地を捨て、私は一体、どこへ行くのでしょう。
 それでも私は、歌を歌うのをやめはしないでしょう。
 クロエ、いえ、画家、エマノエル。いつかまた、一流画家として成功した姿を見せてください。それまでどうか、お元気で。

Το τέλος.
6/6ページ
スキ