無性の天使編

 宿に泊まったのはいつぶりでしょうか。私は普段路上に雑魚寝で生活していたので、ベッドに眠るのは久しぶりです。まあ、安宿なので硬いベッドですが。
 今日も疲れた、さあ寝よう。と、ベッドに乗ろうとした時、エマノエルが、
 「なあ、ランプの明かりでもなんとかなるだろ?もうちょっと続きを描かせてくれよ」
 と声をかけてきました。
 「どんな絵を描いているのですか?」
 と訊くと、彼女は絵を見せてくれました。
 描きかけだからなのでしょうが、荒々しいタッチでざっくりと形をとらえた、リュートを持つ天使の絵でした。
 「これが私なんですか?」
 「そうだよ。ここからまだまだ細かく描きこむけどね」
 「私は天使じゃありません」
 私が否定すると、彼女は、
 「いや、天使だ。あんたの歌声を聴いて、天使が舞い降りたんだと思った。芸術の神が俺に命じたんだ。『彼女を描け』ってね」
 と、真面目な顔をして言いました。
 もう少し描かせてくれ、と、どうしてもとせがむので、私はベッドに腰を掛け、ポーズを取りました。
 「大体の形が取れたらやめるからさ」
 しかし、彼女がオッケーサインを出す前に私が眠ってしまったようで、朝目が覚めたら、私はいつの間にか布団に入って眠っていました。寝た記憶が無かったので、隣のベッドに寝ていた彼女が目を覚ましてから訊きました。
 「おはよう。昨夜はごめん。あんたが舟を漕ぎ出したから、寝ぼけるあんたを布団に入れて、寝かしたんだ」
 どこまで進んだのか訊いてみると、昨夜見た時からほとんど進んでいないようでした。申し訳ないことをしてしまったのは私のようでした。
 「ごめんなさい」
 「いや、謝らないでくれ。悪いのは俺の方だよ。それに、光源が変わると描けないもんだね。やっぱり陽の光の下であんたを描くことにするよ」

 一週間の興業が終わり、私は明日にもまた旅立たなくてはならなくなりました。そのことを彼女に告げると、
 「お別れなんて嫌だ!一緒に旅をしようぜ!俺の絵、もうすぐ完成するから!」
 と、彼女が旅についてきてしまいました。
 次の町でまた一週間の興業が終わる頃、彼女の絵が完成しました。
 「タイトルは『舞い降りた天使』だ。これを売りに行くぞ」
 次の旅の目的地は、画商のいる大きな町に決まりました。
 エマノエルはその街の画商と古くからの馴染みだったようで、画商はエマノエルの新しい絵を驚きと歓声をもって迎えました。
 「どうしたんだいエマノエル!今回はまたガラッと画風を変えたな!珍しいじゃないか、お前が宗教画を描くなんて!」
 「へへっ!急に俺の前に天使が舞い降りたんだよ!」
 「これは売れるぞ!次もこのモチーフで描いてくれ!」
 画商はその絵に高値を付けてくれました。思いがけない収入に気を良くしたエマノエルは、飛び上がりながら私に駆け寄り、
 「そういうわけだから、また頼むぜ、相棒!」
 と、私に抱きつきました。
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