籠の鳥編

それから私は屋敷のピアノをお借りして、毎日いろんな歌を歌いました。
讃美歌、オペラの一節、童謡…。もちろん詩吟も致しました。
ピアノを弾くのは何年ぶりでしょう。あまり得意ではないので下手くそなピアノでしたが、それでもフィリップ坊ちゃんは喜んでくださりました。
一緒に歌を歌うようになったので、私は音楽の教育をすることになりました。
音楽の知識、発声の仕方、楽器のレッスン…。
坊ちゃんはすっかり私に懐いて、私はいつも坊ちゃんと一緒にいました。

そんな毎日が一年も続いたある日のことです。
旦那様はとある商談が失敗したらしく、酒を飲んでずいぶん荒れておいででした。
食堂の床に座り込んで居眠りをしていたので、風邪を召してはいけないと、私は旦那様を起こしました。
「旦那様、こんなところで寝てはお風邪を召します。ベッドでお休みください」
はっと気が付かれた旦那様は、眠たい目をこすり、私を見上げてこういいました。
「お前はいつ見てもきれいだなあ。まるで聖母だ」
「何を馬鹿なことをおっしゃるんですか。さあ、起きて、私におつかまりください」
旦那様は私に掴まり、立ち上がろうとしましたが、がくりと膝からくずおれた拍子に、私を下に組み敷いて倒れ込んでしまいました。
「綺麗だ……ああ、本当に女神だ」
「旦那様、目を覚ましてください旦那様!」
私は力いっぱい旦那様を上からどかすと、旦那様は横になったまま、夢見心地から冷めぬまま、衝撃的なことを口走りました。
「お前を初めて見たときから、私はお前に惚れていたんだ。その美しい声、美しい、優しい顔。お願いだ、私の妻になってくれ。息子もお前を気に入ってくれている」
「旦那様、お忘れですか?私は男です。声は高いですが男ですよ」
「いや、お前は男じゃない。玉がないならお前は女だ。私の妻になってくれ」
ああ……何ということでしょう。確かに、私は男とは呼べませんが…。私に男性を愛す趣味はありません。
「旦那様、私はお気持ちに添いかねます」
すると旦那様は顔を紅潮させ、私のほほを叩き、怒鳴りました。
「お前は私のものだ!私が養っているのだ!私の意に添えないだと?いつからそんなに偉くなったんだ!」
ついに旦那様の本性を見た気がいたしました。私は旦那様に飼われている身。籠の鳥です。旦那様は、初めからご自身が私を手に入れようと、坊ちゃんをだしに使っていたにすぎないのです。旦那様の態度は豹変しました。そして、
「今夜、私の伽の相手をしろ。命令だ」
と仰って、よろよろと自室に向かわれました。
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