第一章 やけに月の明るい世界に降り立って

 中高一貫の警察官養成学校「パーレポルム警察学校」。ここに、一人の16歳の少女が通っていた。くりくりと細かくカールするブロンドの巻き毛を肩で切りそろえて、米神に青い大きなヘアクリップを留めた少女だ。空色の大きな垂れ目と対照的にキリリと吊り上がった眉が、優しい印象どころか気の強さを感じさせる。季節は夏。2日前に誕生日を迎えた少女・ミランダは、昼休みに食堂で一人の男子生徒の姿を探していた。
 食堂の中央でこちらに背を向けて何か食している後ろ姿を見つけたミランダは、ぱあっと目を輝かせて駆け寄った。
 「アルビレオ先輩!」
 アルビレオと呼ばれた少年は一学年年上のミランダの部活の先輩である。ミランダとアルビレオは同じボルダリング部だった。
 「やあミランダ」
 「お昼ごはんご一緒してもいいですか?」
 「いいよ。あ、でも、シルマも後から来るけど、それでもいい?」
 「シルマ先輩ですか?いいですよ!ご飯取ってきますね!」
 ミランダは鼻歌交じりにセルフサービスの料理をトレーに載せて、アルビレオの真向かいに陣取った。アルビレオ先輩のご尊顔を拝みながら食事ができるなんて、天にも昇る心地だ。ミランダはアルビレオに片想いを寄せていた。
 アルビレオと同じクラスの少女・シルマ先輩も席にやってきて、三人は夏休み明けのボルダリング大会について話し合った。
 「今度の大会、バレンボール山でやるんですよね?」
 「あ、そうなの?マジか……バレンボール山の崖って掴むところないし、垂直どころか抉れてて危ないんだよな」
 「抉れてるって、どうやって登るの?」
 「もう指しか使えないよ。指鍛えておかなくちゃ」
 大会の話をしていると一時間の昼休みなどあっという間に過ぎてしまう。予鈴が鳴って慌てた三人は、とっくに完食した食器を慌てて返却棚に押し込み、教室に駆けていった。
 「それじゃ先輩、放課後部活で!」

 部活の時間が待ち遠しくてたまらない。ミランダは法律の授業に必死で食らいつきながら、頭の隅でアルビレオ先輩のことを思い浮かべていた。
 「いっぱい勉強して、絶対アルビレオ先輩と同じ大学に入って、同じ警察署に配属されて、いつか結婚……キャー!まだ、そんな、気が早いわよミランダ!ともかく、絶対アルビレオ先輩と一緒のところに行くの!そのためには成績トップになって、ボルダリング大会で優勝するのよ!」
 放課後は体育館でボルダリングに汗を流す。今度の大会では足はほとんど使い物にならないので、指だけで登れる訓練をするのだ。
 「痛たた……指折れそう……」
 そこに顧問の檄が飛ぶ。
 「休んでいる暇はないぞ!指が痛いのは指の使い方が悪いんだ。力のかけ方が大事だ。こうじゃなくて、こう!でないと指を折るぞ!」
 「はい!」
 見ればアルビレオは指だけですいすい壁を登っていく。一番高いポイントに掴まると、勢いよく両脚を振りながら飛び降りた。
 「先輩凄い!」
 「はは、まあ、もう5年もやってるからね」
 ミランダは指をテーピングでぐるぐる巻きにして、保冷剤を握りながら帰宅の途に就いた。
 「指痛い……。もう、これは鍛えるしかないのかな……。はあ、疲れた。それにしても、今日は暑いなあ……。喉乾いた……。なんか気持ち悪い。頭がぼうっとする……」
 風の吹かない、蒸し暑い日だった。気温は夕暮れだというのに37℃あるという。アスファルトは昼間の太陽光に熱せられ、体感温度は42℃ぐらいあるだろう。
 陽炎が見えた。赤く染まった日没直後の夕暮れ。ミランダの意識は、そこで途絶えた。
 焼けつく鉄板のようなアスファルトの上で、一人の少女が倒れていた。
 誰もいない郊外の細道で、少女は誰に看取られることもなく、ひっそりと息を引き取った。
 欠けた白い月だけが、少女の最期を見守っていた。
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