彼岸花の咲く場所

 「なるほどね。よくわかった。俺にも覚えがあるよ。気持ちは解る。そうか……辛かったね……」
 そう言うと、店主は空になった薫のグラスに再び牛乳を注いだ。
 「でも、それは乗り越えなくちゃいけないことだ。逃げていたら、いつまでたっても本物の男にはなれないぜ」
 店主は薫の前に一枚の名刺を差し出した。
 「俺はトオル。ここのマスターだ。もしどうしてもここで働きたいっていうなら、20歳の成人式を終えたらまたおいで。未成年は雇えない。酒を出すからね。今何年生かわかんないけど、高校は逃げずに卒業するんだ。生きろ。戦え。それが女に生まれた男の宿命だ」
 薫はゆるゆると顔を上げ、トオルの顔を見上げた。トオルの眼差しは真剣だった。思わず惚れてしまいそうなほど、理想の男の顔をしていた。
 「……トオルさんも戦ったんですか?」
 「もちろん。もっとひでぇ目に遭って、辛いことも苦しいことも乗り越えて、ここにいるんだぜ。この店に来る人はみんなそうだ。君だけじゃない。そして、ここに居場所を見つけても、きっと世間の冷たい目から完全に逃げることはできないんだ。この戦いは、一生続くんだ。一生戦い続けるんだ。戦い続けているのは、君だけじゃない」
 薫の心に、その言葉はスッと染み込み、深く刻まれた。力強いエールを貰ったような気がした。
 「解りました。あの、お店には来ないですが、困ったことがあったらメールしてもいいですか?」
 「うん。いいよ」
 トオルはニカッと八重歯をのぞかせて笑った。
 薫は深々と頭を下げると、礼を言って店を後にした。
 薫は戦おうと決意した。何があっても、この店で働くまでドロップアウトしない。差別や偏見にさらされても、いつか本物の男になるまで、戦い続けようと誓った。

 その後薫は学校に通い、大学受験に没頭した。奈緒の事は一切無視したし、奈緒も薫に関わろうとしなかった。奈緒と薫の仲の良さを知っている共通の友人は、急にお互いを避けるようになった二人の仲を取り持とうと掛け合ってきたが、奈緒も薫も事情を語らず、その誘いを断っていた。
 薫は内心奈緒が誰かに薫のことを暴露したのではないかと危惧していたが、共通の友人たちが不思議そうな顔をして二人の状況を聴こうとするので、おそらく黙っていてくれてるのだろう。
 やがて薫と奈緒は高校を卒業し、薫は地元の大学に、奈緒は県外の大学に進学した。
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