主人公はハクの相棒でヨナの護衛。国内でも有名な美人剣士。
金州・斉国
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一晩中降り続いた雨は、明け方赤い髪の姫とその一行と共に姿を消した。
―どうかこの朝日が彼らの行く道を明るく照らしますように…―
リリが朝日を見上げてアユラとテトラと共に立っているとそこに兵が大勢やって来た。
「リリ様、水の金印はお持ちですか?
ジュンギ将軍がお呼びです。速やかに水呼城へお戻り下さい。」
彼女の闘いはまだ始まったばかりだ。それでも彼女はまだやる事があると言い帰る事を拒否した。
「いつまで我儘を言うつもりだ。」
「お父様…」
兵の中からすっと現れたのはジュンギだった。
「驚いた、まさかお父様自ら仙水に足を運ぶなんて。」
「…お前は自分が何をしたのかわかっているのか?」
「…仙水の町を見た?ここは数日前まで…」
「報告は聞いている。お前は水の部族長の象徴である水の金印を持ち出しそれを使って権力を振るった。
本来なら極刑をも免れぬ大罪だ。
だが我が部族はその様な野蛮な刑罰の執行は認めていない。
よって…アン・リリ。お前には水呼城からの追放を命じる。」
リリは息を呑んだが、その場から動かなかった。
アユラとテトラの方が焦った様子でジュンギの前に跪いた。
「お待ち下さい!!この度の事、リリ様は水の部族を救わんが為行動なされたのです。
どうか…どうか寛大なご処置を…」
「全てはリリ様をお止め出来なかった私の咎。罰ならば私こそが…」
「アユラ、テトラ。大丈夫よ、後悔はしていないもの。」
―絶望する必要はない。道はあの子達と共に切り開いた。私は闘うと決めたのだから…―
「覚悟は出来ているわ。」
リリの迷いの無い表情にジュンギは何か強い物を感じたようだった。
「水の金印は権威の象徴。決して軽いものではない…処罰は甘んじて受けます。」
「…見上げた覚悟だ。お前に似合う牢獄を用意しておいた。そこで大人しくしているんだな。」
リリはジュンギに頭を下げると兵に連れられてその場を去った。
残されたジュンギには五部族会議の招集が届いた。
「動き出してしまったものは仕方ないな…
緋龍城へ伝令を頼む。会議には少し遅れると。」
それから数日後、緋龍城に国王スウォン、空の部族ジュド将軍、地の部族グンテ将軍、火の部族キョウガ将軍、風の部族テウ将軍、そして水の部族ジュンギ将軍が揃った。
その日集められたのは地の部族と南戒の国境沿いに関する事を話し合う為だった。
「あの辺りは元々イル陛下の時代に奪われた高華国の領土。
北西部の国境は常に戒帝国の脅威に曝されています。
国土防衛の為には一度北西の防護壁を厚くしなければ。」
「スウォン陛下、それでは…」
「我々は高華国北西部南戒に向けて出陣します。」
いよいよ戦闘が始まる事になり地の部族は即座に参戦を決めた。
「水の部族はまた静観を決め込むつもりか?」
「ジュンギ将軍はこの戦、全くの無関係とお思いでうか?
とある情報によると水の部族沿岸部は南戒の船隊の攻撃を受け、迎え撃ったそうではないですか。
いずれ高華国は報復を受ける事となりましょう。
水の部族は今回の軽率な行動の責任を負うべきではないですか?」
表情を変えなかったジュンギはリリの覚悟を決めた強い表情を思い出して鋭く言い返した。
「言われずともそのつもりだ、ケイシュク参謀。
だが…部族の誇りを守りこの国を守らんが為必死に戦い血を流した我が民に対し軽率であったなどと君に評価して欲しくはない。」
―リリ…危険に自ら飛び込むお前を何度も閉じ込めた…
でもお前はその度に強く飛び立ってゆく…こうしている今もきっと…
私が思うよりずっと遠い先を見つめているのだろう…
出来ることなら戦のない世を娘に渡したかった…―
「陛下、水の部族は本来争いを好まずたゆたう水の如く穏やかな民。
ですが、水は一度堰を切れば全てを飲み込み他を圧する力がございます。走り出したら止める事適いますまい。
今まで抑圧され虐げられてきた民の怒りの分まで、南戒の影響を取り除くべく尽力致します。」
この日、五部族会議…高華国北西部領土返還を求め戒帝国への進軍を決定した。
リリはというと牢獄と言われた場所にアユラやテトラと共に連れて来られていた。
「…ひとつ聞いていいかしら。これのどこが牢獄なの?」
そこは美しい建物で庭には池まであった。
「快適ですわね。」
「快適でどーする。私は追放されたはずでしょ?追放先は仙水だし。
仙水では私やる事がまだたくさんあるのよ。
ナダイ患者やヒヨウの息がかかった商人達を…」
「ナダイ患者の施設や新しく編制された守備隊の手配は完了しております。」
「は?」
「四泉にも同じく下知が下っております。」
近くにいた兵がリリに告げる。
「将軍は五部族会議に向かわれる前に早急に対応されました。」
「どうして…」
「ジュンギ将軍はジュンギ将軍なりに民の為に南戒との衝突を避けておられた。」
「そのジュンギ将軍の御心を動かしたのは…リリ様の強い意志です。」
「そう…なのかしら…」
「結局ジュンギ将軍はリリ様が可愛くて仕方ないんですもの。
今回はようやく少し子離れしたようですけど。」
「え?」
「ここどこにも鍵かかってませんよ。
城では何度もお部屋に閉じ込められましたのに。
私には“お前が決めた道だ。この地で最後までやり通せ”と背中を押してらっしゃるように思えますけど。」
テトラの言葉にリリははっとしながらも顔を赤くした。
「もうっ…わかりにくいのよ、バカ親父!
アユラ!テトラ!」
「はい。」
「はあい。」
「町に行くわよ!ついてらっしゃい。」
こうして彼女も自分の意志で道を進み始めた。
五部族会議にてスウォンが南戒への進軍を決定して数日後、私達は地の部族領国境沿いのとある村を訪れていた。
「へえ…あちこち見て来たけど地の部族領は近頃活気があるね。」
「最近宇土鉱山から貴重な石が採掘されたから商人が増えたらしいよ。」
「あのオッサン一発当てやがったな。」
『ふふっ、確かに。』
「オッサン?」
『グンテ将軍の事でしょ。』
ハクの言葉にジェハが不思議そうに首を傾げる為私は小声で教えてあげた。
「羽振りが良いんで色んな物が入手出来ると思って来たんだ。」
『人が多い方が紛れ易いし。』
「そうそう!」
「なあ、ボウズ。腹へったー肉まん買お、肉まんー」
ゼノが言うとユンはすかさず荷物を漁り始めた。
「ちょっと待った。今日はごはん持って来たんだ。はい、塩おむすび。」
「へへーっ」
『流石だわ、ユン。』
「いただきます。」
ユンから一人ずつ包みを受け取って笑みを交わす。
「これだけの米を確保しただけでもユン君の努力を感じるよ。」
「わあ、ユンのおむす…」
ヨナが目を輝かせた瞬間、彼女の手からおむすびの入った包みが消えた。
誰かが彼女のおむすびを盗んで走って逃げて行ったのだ。
『あ…』
「ユンのおむすび、持っていかれちゃった…」
「なにーっ!?」
『私に任せて。アオ、行くよ。』
私は肩にアオを乗せると音と気配を頼りに駆けだした。私の後ろを仲間達が追いかけて来る。
『いた…アオ、行って。』
「ぷきゅ!ぷきゅぅううううう」
「わあっ」
おむすびを盗んだ相手の顔にアオが跳び付くと彼は驚いて転んでしまった。
リスが突然跳び付いてきたら驚いて当然だろう。
「ててて…」
「ちょっと!おむすび返して…ってあれ?」
『あら…子供じゃないの。』
私とユンが並んで尻餅をついている相手を見るとまだ幼さの残る少年だった。
少年は立ち上がって逃げようとするがそこにはヨナ達が来ていて逃げられなくなった彼はその場にぺたんと座り込んでしまった。
『腰が抜けちゃった?まぁ、この面子を見れば驚くわよね。』
「何気に酷いねぇ、リン。」
すると少年のお腹が大きく鳴った。
『お腹すいてるの?』
「ちょっと待ってね。」
ヨナはすっと空を見上げると弓矢を取り出して迷いもなく引いた。
私とハクは彼女の様子を見守るだけで止めもせずそれどころか彼女の成長に笑みを零す程だ。
大きな鳥を射落としたヨナはその足を掴んで少年に差し出した。
「はい、あげる。あっちの店に持っていけばいくらかで買い取ってもらえるわ。」
「す…すげえ…格好良い女だなぁ~」
少年の言葉に私達は誇らしげに笑っていたが、次の瞬間空気が張り詰めた。
「気に入った、嫁に来いよ!大丈夫、俺の村は川向こうで13歳で結婚出来る。今は婚約って事でいいから。」
「ちょ…ちょっと…」
少年はヨナの手を掴んで笑顔で駆けだそうとするが、ユンとキジャによって全力で止められた。
「何が婚約でいいからだよ、駄目だからヨナは!!」
「そなた…子供とはいえ我が主に何たる非礼…っ」
「好敵手だね、ハク。」
『ふふっ』
「何が。」
「なんだ、こいつら皆お前の男か?」
「違う。」
「俺はどうだ?たくましい女は好きだ。大事にするし!」
「ほら、ハクも何か言わなくていいの?」
「言いたきゃてめーが言えよ、タレ目。」
『それにしても子供は恐ろしい程正直ね…言葉が真っ直ぐ過ぎて痛いわ。』
私はジェハの腕にもたれるように立ったまま少年とヨナの様子を見ていた。
「結婚は無理、ごめんね。」
「意外と容赦ないね。」
「嫌だ!!」
『聞きわけなさい!!』
「ヨナはあげられないの。他を当たってよね。」
「諦めきれない!」
「諦めろ、俺のおむすびあげるから。」
ユンが呆れたように自分のおむすびを差し出すと少年は目を輝かせる。
「優しいな、お前嫁に来い!」
「上玉かもしれないけど、俺男だから。」
「『惚れっぽい子なんだね…』」
「お前と気が合うんじゃね?」
「それは誤解だよ。ちょ…リンまでそんな目で見ないで…」
私がじとっとジェハを見上げると彼は困った様に苦笑していた。
それから少年は本当にお腹が空いていたようでおむすびを食べていた。
ゼノも食べているし、私は自分のおむすびを少しずつ食べながらユンに分けてやっていた。
「リン…」
『自分の分け前をこの子にあげちゃったんでしょ?』
「でもリンの分が…」
『半分ずつしましょ、ユン。』
「ありがとう。」
そして歩きながら私は疑問に思っていた事を少年に問う。
『ねぇ、さっき自分の村は川向こうって言ってたわよね?』
「言った。」
『南の方?』
「いや、西。」
『…そっちには戒帝国しかないんだけど。』
「戒帝国だよ。」
彼の素っ気ない衝撃発言に私達は目を丸くして言葉を失った。最初に叫んだのはユンだった。
「戒帝国から来たの!?」
「ん。」
「一人で?家族は?」
ヨナが次々に問いかけていく。
「いるよ、川の向こうに。」
「どうして高華国に?」
「……見て…みたかったんだ、高華国がどんな所か。」
「高華国が?」
「…んで何日も歩きまわってたら腹がへって倒れそうになって米盗んだ。ごめん。」
「もういいけどさ。あんなに美味いもん初めてだった。」
「仕方ないなーじゃあこの粽(ちまき)も持ってけば?」
「あー、うちの保存食…」
ユンは褒められると照れ隠しに保存食として持ち歩いている粽まで少年に渡してしまった。私とジェハはただ呆れながら微笑むばかり。
「とりあえず高華国のメシは美味いし、いい女がいる事はわかった。」
「ハク聞いた?いい女だって。」
「とりあえず鳥を射落として渡す威勢のいい女な。」
「そっちの姉ちゃんもすげぇ綺麗じゃん!」
『…ん?』
「リンは渡さないからね?」
今までヨナの時はハクを弄るだけで口出しをしなかったジェハが私に少年の目が向いた途端に強く背後から私を抱き締めた。
『ジェハ?』
「この子は僕のだから。」
ジェハの笑っているけれど真剣な目に少年は目をぱちくりさせて頷いた。そしてユンに向き直り言う。
「ありがとう、父さん達が心配してるから俺帰るよ。」
「大丈夫かい?国境付近は守備隊もいるし危険だよ?」
ジェハは私から一度離れ肩を抱くと首を傾げて私の髪に擦り寄りながら問う。
「平気平気、来る時はそんなに…」
その時シンアが何かを見たようで私達をどんっと押した。
「「「「「「「『うわぁあああ!!?』」」」」」」」
ジェハは私が潰されないように抱き締めてくれているが、彼の上に他のみんなが少しずつズレて重なり合っている。
ハクとユンはすぐに立ち上がり、少年やキジャはぶつけた場所を擦っている。
『な…何?』
「いてて…」
「青龍が隠れてって。」
「く…口で言おうね、シンア君…」
『ジェハ…大丈夫?』
「う、うん…リンこそ潰されてない?」
『お陰様で。』
順番に身体を起こして立ち上がり私はシンアの隣ですっと目を閉じた。
すると嫌な気配を感じてはっとしてシンアを見上げた。
『これって…』
「うん…」
「どうしたの?」
「川のとこ…」
『この音は兵士ね…たくさん来てます…』
「どのくらい?」
「百人…くらい…」
「百人!?」
「来た時はそんなにいなかったぞ。
俺商船に潜り込んだけど大丈夫だったし。っていうか、見えねぇし!」
「シンアは目がいいの。リンは気配に敏感で、耳がいいから音だってすごく遠くのものまで聞こえるのよ。」
「妙だな…国境付近で何を…」
「採掘の手伝いとかなら平和でいいんだけどねぇ。」
『それは考えにくいわね、残念ながら。
音がざわざわしてて、気配は痛いくらい冷たいわ…』
「どうしよう、俺…帰れない…?」
ヨナは少年の様子を見てジェハを見た。
「ジェハ、どこかに道はない?」
「ふむ。僕がいればなんとかなる道ならある。」
「あなた、名前は?」
「カルガン。」
「カルガン、あなたを村まで送ってあげるわ。」
「えっ…」
「いいかしら?」
「嫁に来てくれんの?」
「「行きません。」」
これにはついにハクも口を開いてユンと声を合わせたのだった。
ジェハに案内された先には滝があり、私達がいる場所とは反対側に崖があった。
「…わぁ。」
『成程ね…ここは普通の人には無理だわ。』
「そ。だから僕がいれば何とかなるでしょ。」
「悪ィな、よろしく。」
「わー、ハク。重いー…その大刀へし折っていい?」
ハクがジェハの背中にしがみつくとジェハはあまりの重さに文句を言っていた。
「何であんたがいると何とかなるんだ?」
「まあ、見てて。」
『カルガンを最初に連れて行ってあげて、ジェハ。』
「了解♡」
ジェハはカルガンをおぶると地面を蹴って軽々と空に舞い上がり川を越えて向こう側に渡った。
「…っ」
「内緒だよ。」
ジェハはカルガンを下すと再びこちらに戻ってきた。
重たい荷物はヨナやユンのように軽い人を運ぶ時に一緒に運んだ。
「次は俺だな。」
「ハク…頼むから大刀は君とは別に運ばせてくれるかい?」
「ん?」
「重いんだよ…」
『それなら私が大刀持っていけばいいんじゃない?』
「リン、持てる?」
『少しの間なら大丈夫。』
そうしてハクやキジャ、シンア、ゼノも川を渡り、最後は疲れた様子のジェハは私の前に下り立った。
「ふぅ…」
『大丈夫?』
「リンを運ぶのなんてどうってことないよ。ほら、行こう。」
『放したりしないでよ、ジェハ…』
「おや、怖いのかい?」
『怖くはないんだけど、ハクの大刀を両手で持たなきゃいけないから…』
「あー、成程。安心して、落としたりなんかしないから。」
私は彼の背中に身を寄せて大刀を抱えた。
「本当にその大刀重いね…」
『平気…?』
「最後の一回だと思えばどうってことないさっ!」
『きゃっ…』
彼は言葉と同時に地面を蹴り私をしっかり抱えると跳び上がった。着地すると彼はニッと笑う。
『もう…突然跳ぶなんて意地悪なんだから。』
全員揃うと開けた場所で野宿をする事にした。
「され、今夜はここで一休みするよ。」
「ジェハ、お疲れ様。」
「ヨナちゃんを運ぶのはいつでも任せて欲しいけど、男共は自分で跳んでくれないかな。特にハクとシンア君が重い。」
「やー、面白かったわ空中散歩。」
ハクは意地悪く笑っていた。ヨナはそんな彼の様子を見つめて嬉しそうに笑みを零す。
するとそんな彼女をじっと見る人物がいた。
「わっ、カルガン!?びっくりした…」
「ヨナはあいつの事が好きなのか?」
「あいつ?」
「あの兄ちゃん。」
カルガンが言っているのはハクだった。私はそれを微かに聞きながらハクとジェハと共に話していた。
「………何を言ってるの?」
「だってずっと見てんだもん。」
指摘されてヨナは漸く自分の行動を思い出し頬を赤くした。
「やっぱり。」
「ち、違うもの。たまたま目がいっただけだもの!」
「そうかなあ。」
「そうよ、ハクは意地悪だし可愛くないし。」
「すいませんね、可愛くなくて。」
いつの間にかハクはヨナの背後にいて彼女の耳元でそう言った。
それから身体を起こして冷めたように言う。
「何俺の悪口に花咲かせてんすか。」
「ヨナがあんたの事ずっと見てたんだよ。」
「!?」
「何か御用でも?」
「何でもないわ。」
「ヨナがあんたの笑った顔見て幸せそーにしてた。それならそうと早く言えばいいのに。」
それだけ言ってカルガンはどこかへ行ってしまう。
それを見送ってヨナは顔を赤くして、ハクは首を傾げる。
―知らなかった、子供って厄介!―
「笑った顔…?」
「あ、あのねハク。」
振り返った彼女にハクは顔を寄せて笑ってみせる。
「なんか面白い?」
「全然。」
「なんだよ、話が違うじゃねーか。」
―そんなに私見ていたかしら…―
ヨナに顔を背けられてハクは不思議そうな表情をするのだった。
私はハクがなかなか回収してくれない大刀を地面に立てて抱えたまま岩に座っているジェハと共にヨナとハクを見守っていた。
「あれ、どう思う?」
『姫様の心にもちょっとは変化が現れたかなって。』
「面白くなってきたね♡」
『お兄さんは口出ししちゃ駄目よ?』
「えー」
『見守ってあげてて。お兄さんらしく優しくね…』
ジェハは大刀にもたれるように立って微笑む私を見て目を丸くした。
―そんなに優しい顔をするんだね、リン…
君にとってヨナちゃんは妹のようで何よりも大切で…ハクだって本当の兄妹みたいなもの。
幸せになってほしいって思ってるのが当然だよね…―
ハクがヨナと分かれて一人になると私は彼を手招いた。
「ん?」
『早くこれ受け取ってくれないかしら?』
「あー、悪ィ。」
『ハクにとってはどうってこと無くても重たいんだから…』
「昔は両手でも抱えられなかったもんな。」
『…昔の話でしょ。』
「今はどうなのかな?強くなったんですかー?」
『ムカつく!』
「手合わせしてみっか?」
『望むところよ。』
「この場所から見てあの月が木に隠れるまででどうだ?」
『時間制限はそれでいいわ。相手の動きを封じたらそこまで、いい?』
「あぁ。」
それから私の剣と彼の大刀がぶつかり合う音が夜空の下軽やかに響き始めた。
いつまで経っても自分のもとに帰って来ない私を案じて音を頼りにやってきたジェハと、夜の散歩をしていたゼノは木の陰から私達の激しい手合わせを見ていた。
「手合わせのはずなのに激しいね…」
「でもどこか楽しいそー♪お嬢も兄ちゃんも笑ってる。」
「うん…僕には向けない表情だよ。」
「緑龍…」
「少しだけ相棒って言われるハクが羨ましいかな。」
そして自分の言葉に自嘲気味に笑った。
「恋人って言われる方が何倍も甘美で羨望の対象であるはずなのに。」
「緑龍はお嬢の事が大好きだからー」
「え?」
「どんなお嬢でも知りたいって思うだけだから~」
「っ…」
「ちゃんと緑龍の前でお嬢はお嬢らしく笑ってるよ。緑龍にしか見せない顔だってある。
ああやって兄ちゃんに見せてる顔だって好きでしょ~?」
「…うん、そうだね。本当にゼノ君は不思議だよ。」
「うん?」
「いや…なんでもない。」
私はハクの攻撃を弾いて距離を取りながら木陰に向けて声を掛けた。
『ジェハ!ゼノ!そこにいるのは解ってるわよ。』
「おや…リンから隠れるのはやっぱり不可能だね。」
「邪魔すんな、タレ目。」
「酷い言われ様だね…リンがいつになっても帰って来ないから心配して来たのに。」
『ごめんなさい、ジェハ。久しぶりにハクと真剣に手合わせがしたくなっちゃって。』
「あと少しで時間だ。もう少しリンを俺に貸してろ。」
『貸すなんて言い方やめてよ…』
「お前は俺の相棒であると同時にこいつの恋人だろ?
ちゃんと恋人さんの許可くらい得ないとな。
こんな夜に兄妹みてぇに育ったとはいえ別の男と2人ってのは嫌だろうからよ。」
『ハク…』
「そういう所は真面目だよね、ハク。」
「そんな所が兄ちゃんらしいから~」
「…さっさと始めるぞ。」
ハクは照れたように大刀を構え直し、私はクスッと笑ってから剣を構えて体勢を整えた。
そして月が木に隠れるまでずっと金属のぶつかり合う音が響き、ジェハとゼノは私とハクの舞う姿や飛び散る汗をどこか愛おし気に見つめていたのだった。
翌朝、ヨナはハクの事を考えてしまったのかあまり眠れないまま目を覚ます事になった。
そのとき彼女はカルガンが木に凭れて座りつらそうにしているのを見つけた。
「カルガン、どうしたの?」
「あ…ちょっと疲れちゃった。」
「歩きづめだったものね。」
「カルガン君にはキツかったな。僕が背負って行くよ。」
ジェハがカルガンに手を貸そうとすると、それより先にひょいっとキジャがカルガンを背中に背負った。
『キジャ…?』
「カルガンは私に任せよ。そなた昨日の疲労が取れておらんのだろう。」
一瞬きょとんとしたジェハだったがキジャの言葉が嬉しかったのか笑みを浮かべていつものように軽い口調で返した。
「…やだなあ、別になんともありませんよ?」
「シンア、そなたジェハをおぶってやれ。」
「…いや、それは遠慮するよ。」
『キジャの荷物は私が持つね。』
「重いから無理すんな。」
2つの腕が伸びて私の両側からハクとジェハに荷物を取られてしまった。
私は苦笑しながらも言葉に甘えて自分が担当している荷物だけを背負った。
「なんか…ごめんなあ。会ったばっかで迷惑かけて。」
「そなたを運ぶ事など造作もない。気にするな。」
「ちょっとだけだったけど楽しかったよ、高華国。
俺の村は閉鎖的でさ、あまり余所の人と話す機会ないし。」
山の中を歩きながらカルガンは話してくれる。
先頭をヨナ、ユン、ハクが歩き、私とジェハが一番後ろ。
私達の前をカルガンを背負ったキジャが歩いていた。
「父さんも母さんも高華国に行きたいって言っても反対するしさ。
こんないいヤツらに会えるなら早く行けば良かった。」
「そなたにとって高華国が良き思い出になったのなら誇らしい。
だが父上と母上の言葉を無視してはならぬぞ。
いつまでも近くで叱って下さるとは限らぬのだ。
大切な事を教わる時間を大切にするのだぞ。」
キジャの言葉に私達は何も言わなかった。
ヨナやキジャ以外は親という存在もあやふやなのかもしれない。
ヨナにとってはイル陛下を失ったばかりだし、キジャもなかなか父親に会えなかった過去がある。
そんな彼の少しだけ切ない言葉はちゃんとカルガンに届いただろうか…
暫く歩くと小さな丘が見えてきた。
「あっ、あの丘を越えたら俺の村だよ!」
「おーっ、もうすぐかっ」
「良かった。しかし南戒って暖かいなー」
ユンがそう呟いた時、シンアは自分を呼ぶ細いキジャの声に気付いた。
「………シン…ア…すまぬが…カルガンを頼む…」
キジャは自分の背中からシンアの胸へカルガンを押し付けるように渡す。
私とジェハはキジャの突然の行動にきょとんとした。
『キジャ…?』
「なんだ、キジャ君。もうバテたのかい?君は馬鹿力のくせに本当体力ない……」
だがそれに反発しなかったキジャはふらっとすると後ろに倒れていった。
真っ先にそれに気づいた私は彼の身体を抱き留めながら膝を折って地面に座り込んだ。
「キジャ君!?」
『キジャ!!』
膝に頭を預けるように抱き直すとキジャの顔は苦しそうに歪んでいた。
「どうしたの!?」
「わからない、突然倒れて…」
『ひどい熱…』
「早くどこかで休ませないと。」
「それなら俺の家に来いよ。ここからすぐだ。」
「本当?助かるよ。」
「うん、俺もすげえ世話になったしさ。きっと父さん達も歓迎してくれるよ。」
ジェハはキジャを背中に背負い、シンアがカルガンを抱いて早足で村に向けて歩き始めた。
ジェハが持っていた荷物は私が背負って道を急ぐ。
村が見えてくるとカルガンはシンアの腕から出て走り出した。
「カルガン!」
「父さん、母さん。ただいま。」
「お前っ、どこに行ってたんだ!?」
「…ごめん。それよりちょっと客を連れて来たんだ。」
「客…?」
彼が見つめる先には私達が並んでいた。
「…誰だ?」
「高華国で友達になったんだ。」
「高華国!?お前やっぱり高華国に行ってたのか?」
「あんなに駄目だと言ったのに…!」
「う…」
両親に怒られてカルガンは言葉を失うがすぐにキジャの事を思い出した。
「とにかく話はあと!倒れて熱を出してる奴がいるんだ。家で休ませていいだろ?」
「あんな怪しい連中をか?冗談じゃない!」
「待ってよ。俺こいつらに高華国ですげェ世話になったんだ。いい奴らなんだ、頼むよ。」
カルガンの父親はジェハの背中で赤い顔をしてぐったりしているキジャを見てこちらに背中を向けた。
「…わかった。お客人こちらへ。寝床を用意しよう。」
それから私達は案内された建物でキジャを寝かせて分けてもらった食べ物をお粥にして少しだけでも食べさせた。
「白龍、熱下がんないなぁ~」
「ごめんな、父さんと母さんが。」
「ううん、休ませてくれたし食事もくれたわ。」
「他国から来た僕らが気になるようだね。」
『ハク、ここって…』
「あぁ。ここ金州は昔高華国領土だった。」
『それが関係してるんじゃない?』
私とハクが問うとカルガンは俯きながら言う。
「うん…戦で今は戒のものだけど。
父さんと母さん…ここの村の人達は高華国の民だったんだよ。
皆口には出さないけど高華国の地や知り合いを懐かしがってる。
だから俺見てみたかったんだ、父さん達の故郷を。」
「そう…」
「勝手な事を言うな、カルガン。」
「父さん…」
「私達にはもはやここがどこに属していようとどうでも良いんだ。
ここはジュナム王時代高華国だったが、その昔は戒の領土でもあった。
村の位置は変わらないのに国の都合で取り取られ、抵抗するだけ無駄だと悟ったよ。」
「…でも父さん達はいつも見てるじゃないか、川向こうを。」
「…とにかくもう高華国の事は忘れるんだ。あんた達もなるべく早く出て行ってくれ。」
カルガンの父親は静かに部屋を出て行った。
そして外に出ると他の村人と話した、川の方で兵士を見たと。
「私達がどんなに心配していようとも国が一旦決断を下したならば、その大河の奔流に逆らう事は出来ん…」
そう呟いた声はどこか寂しそうだった。
その頃、緋龍城には南戒から金州返還について手紙が返って来ていた。
ナダイに関する暴走は一部の商人によるものであり南戒の国自体が関与することではない、だからこそ突然の高華国からの金州返還の書は遺憾だと。
「これで一応仁義はきった形ですかね。
ジュド将軍、各部族の兵の編成を確認したいのですが。」
「はっ…水の部族は自領土の治安回復を優先の上、南西の防衛。
風の部族は南東の防衛及び火の部族の北東防衛支援に回っております。
火の部族は北東防衛に一部隊を送り、戦力の大半は地・空と共に金州へ侵攻。全て陛下の指示通り粛々と進行しております。」
「しかしキョウガ将軍は大丈夫なのでしょうか?」
心配そうな声にスウォンはふっと笑った。
「彼は根が真面目ですから必死に勉強していたようですよ。
部族統治と国策の違いもきっと理解出来た事でしょう。」
「彼が先鋒で良いのですか?本来ならグンテ将軍が…」
「良いんです。きっと汚名返上の為期待以上の活躍をしてくれると思いますよ。
イル陛下の即位以前、あの一帯は我が父ユホンが統治していました。
誰が何と言おうと我々高華国は貸したものを返して貰うだけです。」
こうして新たな戦争が始まろうとしていた。
時間が経ってもキジャの体調は戻らなかった。
「キジャ、具合はどう?」
「姫様…申し訳ありません。私のせいで足止めを…」
「そんな事気にしなくていいの。」
横になったままのキジャの周りに私達は集まり、ハクは壁に凭れて立っている。
私はジェハの脚の間に座らされていて彼の腕は私のお腹の前で組まれている。
『ユン…』
「うん、ちょっとまだ原因がわからなくてね。
とりあえず熱冷ましの薬を飲ませたけど、単なる風邪じゃないみたいだ。」
その言葉にジェハは何かを感じたようだった。
私もジェハの一瞬はっとした様子に嫌な考えが頭に浮かんだ。
「ヨナちゃん、大丈夫だよ。キジャ君、実はゴキブリ並みの生命力だから。」
「ゴキ!?」
「それより感染らない(うつらない)ようにしないと。」
「ちょっと待て、ジェハ。今私をゴキブリと!」
『ここは私達に任せて姫様は近くを散歩して来てはいかがでしょうか。』
「でも…」
『この村の様子も気になっていらっしゃるでしょう?』
「!」
『ハク…』
私がハクを呼ぶと彼は大刀を手にしてヨナを呼んだ。
「姫さん、行きましょう。」
「じゃあ俺もちょっと水貰って来る。」
そうしてヨナ、ハク、ユンが出掛けて行き私達龍だけが部屋に残されるとジェハがおもむろに口を開いた。
「…さて、キジャ君。龍の手の調子はどうだい?」
「龍の手?」
『力は入る?』
「まあ、いつも通りというわけにはいかんが…」
「白龍の里に新たな龍が生まれた…とかいう訳じゃないよね?」
ジェハの静かな言葉にキジャ、シンア、ゼノ、私は目を見開く。
私が微かに考えていた事がまったく同じで少しだけ胸が痛んだ。
出来る事なら考えたくもない話だったからだ。
「………いや、それはない。そういう…感じではない。」
「…そ、ならいいんだ。」
「……何故急にその様な話を。」
「別に急な話でもないだろ。僕の先代は27で死んだ。もうすぐ僕もその歳に追いつく。
そろそろ新しい龍が生まれて、この能力が枯れ果て死んでもおかしくはないだろ?」
ジェハが儚げに自分の額に手を添えながら言う。
私は少しだけ俯きながら彼のもう一方の手を握った。
「リン…」
『…』
「珍しい…な。そなたがその様な事話題にするとは。」
「そう…かな?」
「良い気分だ、そなたが大事な話をするのは。」
「そういう事を言うから君は面倒臭い。」
キジャはそっと身体を起こして寂しそうに微笑んだ。
私を含めキジャ、シンア、ジェハの4人は心の何処かで短命である龍の運命を知っていていつ終わりが来ても仕方ないと心の準備をしているのかもしれない。
「…確かに四龍は長く生きられぬ。それは黒龍であるリンも同様だ。」
『私はヨナを守る為に黒龍の運命を自ら受け入れたの。短命だって知ったうえでね。
みんなと同じ道を歩く覚悟はもうその時に出来てるわ。』
「だが…私はいつでもあの御方の為に命を捧げる覚悟。寿命など関係ない。」
「君らしいね。」
『でも私は少しでも長く大切なみんなと一緒にいたいな…』
「「リン…」」
ジェハが優しく私を抱く腕に力を込めた時、バシャッと水が零れる音がして私達は揃って入り口の方を見た。
「ユン君…!」
「あ…ちょっと水を…あ…こぼしちゃった…」
彼は私達の話を聞いてしまっていたようだ。そして困惑して貰って来た水を零してしまったのだろう。
「い…今の話…本当…?四龍は寿命が短いって…リンまで…」
『こっちにおいで、ユン。』
私は優しくユンを呼ぶとジェハから離れて自分の隣にユンを座らせた。
『そんなに真面目になる話じゃないわ。』
「誰しもいつ死ぬかわからないものだろう?」
「そう…だけど…」
「ユン、案ずるな。たとえ新たな龍が生まれてもすぐに死にはしない。」
「そうだよ。先代緑龍なんか僕が生まれてから12年も生きてたからね。」
「それはすごいな…それに私の能力は高熱の今も衰える事を知らぬぞ。」
「おふっ」
キジャはユンを励ますべく右手を振るって見せた。
するとその腕が当たったジェハが殴られる形になり倒れてしまう。
『あ…』
「キジャ君、君は殺しても死にそうにないね…」
「当然だ。」
「…ならいい…なら…いいんだけどさ。」
ユンは俯いていた顔を上げた。その大きな瞳からは大粒の涙がポロポロと零れていた。
「頼むからしぶとく生きてよね、珍獣共。」
私はそんな彼の様子に微笑むと強く胸に抱きしめた。
『姫様には私達の事黙ってて…』
「…ん。」
ゼノはそんな私達の様子を見て温かく微笑んだのだった。
その夜、私達龍とは別に天幕で眠っていたヨナはキジャの様子が気になってこちらに向かっていた。
私は嫌な鼓動を自分の中に感じながら散歩をしていた。
―この少し苦しい感じは何かしら…
キジャの病気が移った…?そんなまさかね…―
その時黒い雲が空を覆っているのを見て元々胸にあった嫌な感じとは別の何かによって身体が小さく震えた。
―何…?どす黒い雲…どこか遠くから嵐の足音がする…
早く高華国に帰らないといけない気がするのはどうして…―
「リン!」
『ん?ハク…?』
「姫さん見てないか?」
『見てないけど…』
「天幕からいなくなってた。」
私は気配を辿る事に集中してキジャが眠る家の近くに彼女を感じた。
『いた…』
「どこだ。」
『キジャが寝てる所の近く。近付くなってユンに言われてるはずなのに気になったのね。』
「はぁ…」
私は胸の中に靄を感じたままハクと共に駆け出した。
ヨナはというとちょうど外に出て来たジェハと会っていた。
「ジェハ!」
「ヨナ…ちゃん…」
「ジェハ、キジャの様子はどう?熱下がった?」
そう問うたもののすぐに言葉を失い目を見開く事になった。
ジェハが倒れ込むようにヨナを抱き締めてきたからだ。
「ジェハ…?」
そこに私とハクも駆け付けて何事かわからないままヨナとジェハを見つめる。
『ジェハ…?』
「ヨナちゃん…ごめ…」
「ジェハ!?」
『ジェハ!!』
彼はヨナの身体がズルっと滑ると地面に倒れてしまった。私はすぐに彼に駆け寄って抱き起こす。
『ジェハ!どうしたの…』
ハクもこちらに来て大刀の柄でぐりぐりとジェハの頭を弄った。
「タレ目、死んだか?」
「ハク…気のせいか扱いが荒いよ…」
「俺がお前を丁寧に扱った事があるか?」
『熱がある…もしかしてキジャの病気が…?』
「…死ぬのか、タレ目。」
「う~~ん、火照った身体にビシビシくるねェ…」
『それよりジェハを運ぶの手伝って、ハク。』
「はいはい。」
ハクはジェハを抱えると部屋に入ってキジャの横に寝かせた。
私はジェハが横になるのと同時に邪魔にならないように束ねていた髪を解いてやった。
「どうし…たの?」
『ジェハまで熱出しちゃって…』
シンアが心配そうに見上げて来た為私は簡単に説明して、すぐにジェハの看病に取り掛かった。
『…ヨナに抱き着いた所見てたんだからね。』
「リン…妬いてるのかい?」
『…軽い事言ってても当分は許してあげない。』
「これは手厳しいなぁ…」
『でも無理しないでよね。…仕方ないから傍にいてあげる。』
自分の背中を向ける私を見てジェハは重い身体とは反する軽い心に従って柔らかく微笑んだ。
―やっぱり優しい女の子だよ、君は…―
「大好きだよ…リン…」
その声が聞こえた私は振り返ってジェハを見たが、彼は小さく笑みを浮かべたまますぅっと眠っていた。
翌日、キジャの隣にはジェハが苦しそうな表情で横になっていた。
私は夜通し看病していた為彼の横に座って眠ってしまっていた。
「ジェハ…そなた感染ったのか…?」
「………そのようだね。」
「姫様っ…ここから早く出て下さいっこれは感染る病ですっ」
「そうだね、ヨナはここにいない方がいいよ。」
「何か出来る事はない?」
「大丈夫、むしろ病ってわかってちょっと安心した。それなら俺の力で何とかしてみせる。」
「ユン…?」
ユンの言葉に私はうっすらと目を開き、キジャとジェハもそっとユンを見上げた。
ユンはきっと短命の所為で倒れているのかと心の何処かで心配していたのだろう。
「あんた達、高華国から悪い流行り病でも持ち込んだのか!!」
「父さんっ」
「カルガン、近寄るんじゃない。」
私達のもとにやって来たのはカルガンの父だった。
「病が広がったらどうしてくれる!?早くここから出て行ってくれ!!」
「…もっともだね。行こう、キジャ君。」
「う…む…」
私もゆっくり腰を上げてジェハに手を貸してそっと立たせた。
『大丈夫?』
「残念ながら…身体に力が入らないんだ…」
『そう…』
「皆、ごめん。俺…俺…っ」
「カルガン、あなたの父上は悪くないわ。」
『お世話になりました。』
私とヨナはカルガンの父に頭を下げた。
「とにかく天幕に2人を運ぼう。」
「緑龍、ゼノに身体預けて。」
「ありがと…ゼノ君。」
私とは反対側からゼノがジェハに肩を貸した。
アオはひょいっと私の頭に乗って、キジャはシンアに肩を抱かれていた。
「でも君もリンもあまり近寄らない方が良いよ。」
「何てことないない。」
『私も今更よ、一晩中看病してたんだから。』
「リン…」
『それにこんなに苦しそうなジェハを放っておけると思う?』
「…僕の事怒ってるんじゃなかったのかい?」
『…病人に対していつまでも怒ってるほど私の心は狭くありません。』
「そっか…ありがと…」
「シンア…よい、離れよ。」
キジャが自分の肩を抱くシンアにそう言った途端、シンアは何かに気付いたようだ。それは私も同じだった。
「…どうした?」
「お嬢?」
「馬が…兵士がいっぱいいる…」
『この感じだと場所は川の辺り…音からして…戦みたい…』
「うん…」
「豪族同士の小競り合いかな。」
その時村人が一人焦ったように走って来た。
「大変だ!!戦が…」
「えっ」
「戦!?」
「高華が…どうやら高華国が攻めて来たらしい。戒軍との衝突ももうすぐだ。」
「何だって!?」
「高華国がどうして…」
「新王が立って変わったのか?」
ヨナは村人達の言葉に息を呑む。そんな彼女の近くで誰かが地面に倒れるような鈍い音がした。
「シン…ア…っ」
『シンア!!?』
「行ってあげて…」
音がして振り返った私とヨナが見たのはキジャの隣で苦しそうに倒れているシンアだった。
私はジェハに背中を押されてシンアに駆け寄ると容態を見る。
『キジャやジェハと同じ…』
「シンアも天幕に運ぼう。」
「俺が運ぶ。リンは白蛇に肩貸してやれ。」
こうして龍3人が倒れ、私も微かに自分の胸の中に違和感を感じつつ天幕へと移動していったのだった。
その頃、スウォンは兵を従えて敵を見据えていた。
「準備は宜しいですか、諸将の皆さん。」
「お任せを、陛下。この地は奪われた地の領土。我が部族の士気は頂点に高まっております。
ところでそっちの坊ちゃんは大丈夫か?前線で戦うのは初めてだろ?」
グンテが見る先にはキョウガがいた。
「…武将たる者口ではなく剣を以て己を証明致します。
そしてグンテ将軍、いい加減私を坊ちゃんと呼ぶのは…」
「そいつは頼もしいな、坊ちゃん!!」
「キョウガ、この男の言う事を真に受けるな。」
そこに口を挟んだのはジュドだった。
「平静を乱されるぞ。」
「いつも見事に真に受けてカッカしとるのはお前じゃ、阿呆。
余裕がないのは癒してくれる女がおらんからか?紹介しよか?」
「きっさま~~~~~っ」
「まあまあ、ジュド将軍。癒しなら猫を飼われては如何でしょう?」
「だからそういう問題ではないっ」
スウォンを交えて将軍達がバカ騒ぎをする為兵達は冷や汗を流す。
―大丈夫かな、この大将達…―
それからすぐスウォンは真剣な表情で顔を上げた。
「…では、そろそろ行きましょうか。全軍出撃!!」
戦の音をヨナはカルガンの父と並んで聞いていた。
「またか…この村に被害が及ばなければ良いが。
王とか偉い奴らは決して傷ついたりしない。
傷めつけられ踏みにじられるのはいつも我々小さき者だ。」
その言葉にヨナは何を思ったのだろうか…
結局金州を巡る高華国と戒帝国の戦いは高華国軍の圧勝だった。
高華国の大軍勢に対し戒帝国は北方民族などの問題で弱体化していて、高華国国境にまで十分な戦力を割く事が出来なかったのだ。
「戒帝国軍が退いていく…」
「予定より半日早く片がつきましたね。お陰で兵糧も少なくて済みました。
しかしながら壮観なまでの大勢の兵…予想通り一方的な勝利でしたね。」
「高華国は強いと印象づける為の戦いでしたから。」
スウォンはそう呟くと近くにいたキョウガを呼んだ。
「キョウガ将軍、お疲れ様です。火の部族の統率お見事でした。」
「へ…陛下…私を…お信じ下さり心から…感謝致します。」
「いえいえ、これからも宜しくお願いします。」
頭を下げるキョウガに背中を向けてスウォンは次の事を考える。彼に立ち止まる時間はないのだから。
―これで高華国北西部の守りは固めた…
千州との協定も保たれている…戒の圧力に民が怯える事もない。残るは…―
戦が終わると村人達が広場に集まって来た。
私はキジャ達の様子を見ていたがざわつきを聞いて天幕から出て空を眺めていた。
「どうやら戦は終わったようだな。」
「ああ、この近くまで来ていたみたいだが。たった数日で高華国軍が圧勝したそうだ。」
「そうか…今回は巻き込まれずに済んだようだな。」
それを聞きながらヨナはこちらへ早足でやってきた。
「ユン!リン!シンア達はどう?」
「うん…とにかく熱が高くてね。」
「そう…」
「娘さん、大丈夫だから。四龍は爆発的な能力を使う分、身体弱り易いんだ。
白龍達は今ちょっと休養が必要なだけだから。」
『ゼノは大丈夫なの?』
「ゼノは丈夫なだけが取柄の黄龍だから。」
「ああ…」
「看病はゼノがやる。」
「そう…なの?」
そうしているとヨナは静かに自分の天幕に入って行った。
その様子を見ているだけの私とハクだったが、彼女の顔が少し曇っている気がして後を追うように天幕に入るとヨナを囲むように両側に静かに腰を下ろした。
「戦は…高華国が勝利したって。スウォンが戒に進軍したのは水の部族での南戒との争いがあったからかしら。」
私とハクは互いを一瞬見ると少しだけ俯いた。
『…いえ、金州の奪還は元々想定内だったんだと思います。
むしろ水の部族での一件は良い大義名分となったはず。』
「地の領土を返す事によりグンテ将軍との信頼関係もより強固なものとなり、五部族全体の士気も高まる。
この戦は単に領土拡大だけが目的ではないでしょうね。」
「ハクとリンは…スウォンの考えがわかるのね。」
『…わかりませんよ。』
「……わかりたくもない。」
ヨナは私とハクの暗い声に寂しそうな表情をした。
そして自分の前でスウォンに刺され血を流して倒れる父親を思い出したのだ。
―あんな事がなければ…父上が戦を容認していれば…
ハクやリンもスウォンと共に戦場に出ていた未来もあったのだろうか…
そして私はきっと何も考えず城で過ごしていた…―
「もし…高華国に父上の作った綻びがあるのなら私はそれを直したい。」
『姫様…』
私はハクの手を両手でそっと包み込んで顔を伏せた。
「あんたが…それを負う必要はない…
あんたが…そんな罪滅ぼしのような旅を…続ける事はない。」
「…最善を尽くしたいの。
…でも高華国さえ良ければいいの?…ってそうではないんじゃないかって考えてしまうの。
ここの人達にとって“敵”は戦そのもの。
たとえスウォンが…高華国にとっては良い王様だったとしても、私はこの戦い高華国にも戒帝国にも与する気にはなれない。」
私は隣にいるヨナの強い瞳を見てハクと共に小さく息を呑んだ。
そのときだった…私の鼓動が一度大きく鳴ったのだ。
『え…』
―どうかこの朝日が彼らの行く道を明るく照らしますように…―
リリが朝日を見上げてアユラとテトラと共に立っているとそこに兵が大勢やって来た。
「リリ様、水の金印はお持ちですか?
ジュンギ将軍がお呼びです。速やかに水呼城へお戻り下さい。」
彼女の闘いはまだ始まったばかりだ。それでも彼女はまだやる事があると言い帰る事を拒否した。
「いつまで我儘を言うつもりだ。」
「お父様…」
兵の中からすっと現れたのはジュンギだった。
「驚いた、まさかお父様自ら仙水に足を運ぶなんて。」
「…お前は自分が何をしたのかわかっているのか?」
「…仙水の町を見た?ここは数日前まで…」
「報告は聞いている。お前は水の部族長の象徴である水の金印を持ち出しそれを使って権力を振るった。
本来なら極刑をも免れぬ大罪だ。
だが我が部族はその様な野蛮な刑罰の執行は認めていない。
よって…アン・リリ。お前には水呼城からの追放を命じる。」
リリは息を呑んだが、その場から動かなかった。
アユラとテトラの方が焦った様子でジュンギの前に跪いた。
「お待ち下さい!!この度の事、リリ様は水の部族を救わんが為行動なされたのです。
どうか…どうか寛大なご処置を…」
「全てはリリ様をお止め出来なかった私の咎。罰ならば私こそが…」
「アユラ、テトラ。大丈夫よ、後悔はしていないもの。」
―絶望する必要はない。道はあの子達と共に切り開いた。私は闘うと決めたのだから…―
「覚悟は出来ているわ。」
リリの迷いの無い表情にジュンギは何か強い物を感じたようだった。
「水の金印は権威の象徴。決して軽いものではない…処罰は甘んじて受けます。」
「…見上げた覚悟だ。お前に似合う牢獄を用意しておいた。そこで大人しくしているんだな。」
リリはジュンギに頭を下げると兵に連れられてその場を去った。
残されたジュンギには五部族会議の招集が届いた。
「動き出してしまったものは仕方ないな…
緋龍城へ伝令を頼む。会議には少し遅れると。」
それから数日後、緋龍城に国王スウォン、空の部族ジュド将軍、地の部族グンテ将軍、火の部族キョウガ将軍、風の部族テウ将軍、そして水の部族ジュンギ将軍が揃った。
その日集められたのは地の部族と南戒の国境沿いに関する事を話し合う為だった。
「あの辺りは元々イル陛下の時代に奪われた高華国の領土。
北西部の国境は常に戒帝国の脅威に曝されています。
国土防衛の為には一度北西の防護壁を厚くしなければ。」
「スウォン陛下、それでは…」
「我々は高華国北西部南戒に向けて出陣します。」
いよいよ戦闘が始まる事になり地の部族は即座に参戦を決めた。
「水の部族はまた静観を決め込むつもりか?」
「ジュンギ将軍はこの戦、全くの無関係とお思いでうか?
とある情報によると水の部族沿岸部は南戒の船隊の攻撃を受け、迎え撃ったそうではないですか。
いずれ高華国は報復を受ける事となりましょう。
水の部族は今回の軽率な行動の責任を負うべきではないですか?」
表情を変えなかったジュンギはリリの覚悟を決めた強い表情を思い出して鋭く言い返した。
「言われずともそのつもりだ、ケイシュク参謀。
だが…部族の誇りを守りこの国を守らんが為必死に戦い血を流した我が民に対し軽率であったなどと君に評価して欲しくはない。」
―リリ…危険に自ら飛び込むお前を何度も閉じ込めた…
でもお前はその度に強く飛び立ってゆく…こうしている今もきっと…
私が思うよりずっと遠い先を見つめているのだろう…
出来ることなら戦のない世を娘に渡したかった…―
「陛下、水の部族は本来争いを好まずたゆたう水の如く穏やかな民。
ですが、水は一度堰を切れば全てを飲み込み他を圧する力がございます。走り出したら止める事適いますまい。
今まで抑圧され虐げられてきた民の怒りの分まで、南戒の影響を取り除くべく尽力致します。」
この日、五部族会議…高華国北西部領土返還を求め戒帝国への進軍を決定した。
リリはというと牢獄と言われた場所にアユラやテトラと共に連れて来られていた。
「…ひとつ聞いていいかしら。これのどこが牢獄なの?」
そこは美しい建物で庭には池まであった。
「快適ですわね。」
「快適でどーする。私は追放されたはずでしょ?追放先は仙水だし。
仙水では私やる事がまだたくさんあるのよ。
ナダイ患者やヒヨウの息がかかった商人達を…」
「ナダイ患者の施設や新しく編制された守備隊の手配は完了しております。」
「は?」
「四泉にも同じく下知が下っております。」
近くにいた兵がリリに告げる。
「将軍は五部族会議に向かわれる前に早急に対応されました。」
「どうして…」
「ジュンギ将軍はジュンギ将軍なりに民の為に南戒との衝突を避けておられた。」
「そのジュンギ将軍の御心を動かしたのは…リリ様の強い意志です。」
「そう…なのかしら…」
「結局ジュンギ将軍はリリ様が可愛くて仕方ないんですもの。
今回はようやく少し子離れしたようですけど。」
「え?」
「ここどこにも鍵かかってませんよ。
城では何度もお部屋に閉じ込められましたのに。
私には“お前が決めた道だ。この地で最後までやり通せ”と背中を押してらっしゃるように思えますけど。」
テトラの言葉にリリははっとしながらも顔を赤くした。
「もうっ…わかりにくいのよ、バカ親父!
アユラ!テトラ!」
「はい。」
「はあい。」
「町に行くわよ!ついてらっしゃい。」
こうして彼女も自分の意志で道を進み始めた。
五部族会議にてスウォンが南戒への進軍を決定して数日後、私達は地の部族領国境沿いのとある村を訪れていた。
「へえ…あちこち見て来たけど地の部族領は近頃活気があるね。」
「最近宇土鉱山から貴重な石が採掘されたから商人が増えたらしいよ。」
「あのオッサン一発当てやがったな。」
『ふふっ、確かに。』
「オッサン?」
『グンテ将軍の事でしょ。』
ハクの言葉にジェハが不思議そうに首を傾げる為私は小声で教えてあげた。
「羽振りが良いんで色んな物が入手出来ると思って来たんだ。」
『人が多い方が紛れ易いし。』
「そうそう!」
「なあ、ボウズ。腹へったー肉まん買お、肉まんー」
ゼノが言うとユンはすかさず荷物を漁り始めた。
「ちょっと待った。今日はごはん持って来たんだ。はい、塩おむすび。」
「へへーっ」
『流石だわ、ユン。』
「いただきます。」
ユンから一人ずつ包みを受け取って笑みを交わす。
「これだけの米を確保しただけでもユン君の努力を感じるよ。」
「わあ、ユンのおむす…」
ヨナが目を輝かせた瞬間、彼女の手からおむすびの入った包みが消えた。
誰かが彼女のおむすびを盗んで走って逃げて行ったのだ。
『あ…』
「ユンのおむすび、持っていかれちゃった…」
「なにーっ!?」
『私に任せて。アオ、行くよ。』
私は肩にアオを乗せると音と気配を頼りに駆けだした。私の後ろを仲間達が追いかけて来る。
『いた…アオ、行って。』
「ぷきゅ!ぷきゅぅううううう」
「わあっ」
おむすびを盗んだ相手の顔にアオが跳び付くと彼は驚いて転んでしまった。
リスが突然跳び付いてきたら驚いて当然だろう。
「ててて…」
「ちょっと!おむすび返して…ってあれ?」
『あら…子供じゃないの。』
私とユンが並んで尻餅をついている相手を見るとまだ幼さの残る少年だった。
少年は立ち上がって逃げようとするがそこにはヨナ達が来ていて逃げられなくなった彼はその場にぺたんと座り込んでしまった。
『腰が抜けちゃった?まぁ、この面子を見れば驚くわよね。』
「何気に酷いねぇ、リン。」
すると少年のお腹が大きく鳴った。
『お腹すいてるの?』
「ちょっと待ってね。」
ヨナはすっと空を見上げると弓矢を取り出して迷いもなく引いた。
私とハクは彼女の様子を見守るだけで止めもせずそれどころか彼女の成長に笑みを零す程だ。
大きな鳥を射落としたヨナはその足を掴んで少年に差し出した。
「はい、あげる。あっちの店に持っていけばいくらかで買い取ってもらえるわ。」
「す…すげえ…格好良い女だなぁ~」
少年の言葉に私達は誇らしげに笑っていたが、次の瞬間空気が張り詰めた。
「気に入った、嫁に来いよ!大丈夫、俺の村は川向こうで13歳で結婚出来る。今は婚約って事でいいから。」
「ちょ…ちょっと…」
少年はヨナの手を掴んで笑顔で駆けだそうとするが、ユンとキジャによって全力で止められた。
「何が婚約でいいからだよ、駄目だからヨナは!!」
「そなた…子供とはいえ我が主に何たる非礼…っ」
「好敵手だね、ハク。」
『ふふっ』
「何が。」
「なんだ、こいつら皆お前の男か?」
「違う。」
「俺はどうだ?たくましい女は好きだ。大事にするし!」
「ほら、ハクも何か言わなくていいの?」
「言いたきゃてめーが言えよ、タレ目。」
『それにしても子供は恐ろしい程正直ね…言葉が真っ直ぐ過ぎて痛いわ。』
私はジェハの腕にもたれるように立ったまま少年とヨナの様子を見ていた。
「結婚は無理、ごめんね。」
「意外と容赦ないね。」
「嫌だ!!」
『聞きわけなさい!!』
「ヨナはあげられないの。他を当たってよね。」
「諦めきれない!」
「諦めろ、俺のおむすびあげるから。」
ユンが呆れたように自分のおむすびを差し出すと少年は目を輝かせる。
「優しいな、お前嫁に来い!」
「上玉かもしれないけど、俺男だから。」
「『惚れっぽい子なんだね…』」
「お前と気が合うんじゃね?」
「それは誤解だよ。ちょ…リンまでそんな目で見ないで…」
私がじとっとジェハを見上げると彼は困った様に苦笑していた。
それから少年は本当にお腹が空いていたようでおむすびを食べていた。
ゼノも食べているし、私は自分のおむすびを少しずつ食べながらユンに分けてやっていた。
「リン…」
『自分の分け前をこの子にあげちゃったんでしょ?』
「でもリンの分が…」
『半分ずつしましょ、ユン。』
「ありがとう。」
そして歩きながら私は疑問に思っていた事を少年に問う。
『ねぇ、さっき自分の村は川向こうって言ってたわよね?』
「言った。」
『南の方?』
「いや、西。」
『…そっちには戒帝国しかないんだけど。』
「戒帝国だよ。」
彼の素っ気ない衝撃発言に私達は目を丸くして言葉を失った。最初に叫んだのはユンだった。
「戒帝国から来たの!?」
「ん。」
「一人で?家族は?」
ヨナが次々に問いかけていく。
「いるよ、川の向こうに。」
「どうして高華国に?」
「……見て…みたかったんだ、高華国がどんな所か。」
「高華国が?」
「…んで何日も歩きまわってたら腹がへって倒れそうになって米盗んだ。ごめん。」
「もういいけどさ。あんなに美味いもん初めてだった。」
「仕方ないなーじゃあこの粽(ちまき)も持ってけば?」
「あー、うちの保存食…」
ユンは褒められると照れ隠しに保存食として持ち歩いている粽まで少年に渡してしまった。私とジェハはただ呆れながら微笑むばかり。
「とりあえず高華国のメシは美味いし、いい女がいる事はわかった。」
「ハク聞いた?いい女だって。」
「とりあえず鳥を射落として渡す威勢のいい女な。」
「そっちの姉ちゃんもすげぇ綺麗じゃん!」
『…ん?』
「リンは渡さないからね?」
今までヨナの時はハクを弄るだけで口出しをしなかったジェハが私に少年の目が向いた途端に強く背後から私を抱き締めた。
『ジェハ?』
「この子は僕のだから。」
ジェハの笑っているけれど真剣な目に少年は目をぱちくりさせて頷いた。そしてユンに向き直り言う。
「ありがとう、父さん達が心配してるから俺帰るよ。」
「大丈夫かい?国境付近は守備隊もいるし危険だよ?」
ジェハは私から一度離れ肩を抱くと首を傾げて私の髪に擦り寄りながら問う。
「平気平気、来る時はそんなに…」
その時シンアが何かを見たようで私達をどんっと押した。
「「「「「「「『うわぁあああ!!?』」」」」」」」
ジェハは私が潰されないように抱き締めてくれているが、彼の上に他のみんなが少しずつズレて重なり合っている。
ハクとユンはすぐに立ち上がり、少年やキジャはぶつけた場所を擦っている。
『な…何?』
「いてて…」
「青龍が隠れてって。」
「く…口で言おうね、シンア君…」
『ジェハ…大丈夫?』
「う、うん…リンこそ潰されてない?」
『お陰様で。』
順番に身体を起こして立ち上がり私はシンアの隣ですっと目を閉じた。
すると嫌な気配を感じてはっとしてシンアを見上げた。
『これって…』
「うん…」
「どうしたの?」
「川のとこ…」
『この音は兵士ね…たくさん来てます…』
「どのくらい?」
「百人…くらい…」
「百人!?」
「来た時はそんなにいなかったぞ。
俺商船に潜り込んだけど大丈夫だったし。っていうか、見えねぇし!」
「シンアは目がいいの。リンは気配に敏感で、耳がいいから音だってすごく遠くのものまで聞こえるのよ。」
「妙だな…国境付近で何を…」
「採掘の手伝いとかなら平和でいいんだけどねぇ。」
『それは考えにくいわね、残念ながら。
音がざわざわしてて、気配は痛いくらい冷たいわ…』
「どうしよう、俺…帰れない…?」
ヨナは少年の様子を見てジェハを見た。
「ジェハ、どこかに道はない?」
「ふむ。僕がいればなんとかなる道ならある。」
「あなた、名前は?」
「カルガン。」
「カルガン、あなたを村まで送ってあげるわ。」
「えっ…」
「いいかしら?」
「嫁に来てくれんの?」
「「行きません。」」
これにはついにハクも口を開いてユンと声を合わせたのだった。
ジェハに案内された先には滝があり、私達がいる場所とは反対側に崖があった。
「…わぁ。」
『成程ね…ここは普通の人には無理だわ。』
「そ。だから僕がいれば何とかなるでしょ。」
「悪ィな、よろしく。」
「わー、ハク。重いー…その大刀へし折っていい?」
ハクがジェハの背中にしがみつくとジェハはあまりの重さに文句を言っていた。
「何であんたがいると何とかなるんだ?」
「まあ、見てて。」
『カルガンを最初に連れて行ってあげて、ジェハ。』
「了解♡」
ジェハはカルガンをおぶると地面を蹴って軽々と空に舞い上がり川を越えて向こう側に渡った。
「…っ」
「内緒だよ。」
ジェハはカルガンを下すと再びこちらに戻ってきた。
重たい荷物はヨナやユンのように軽い人を運ぶ時に一緒に運んだ。
「次は俺だな。」
「ハク…頼むから大刀は君とは別に運ばせてくれるかい?」
「ん?」
「重いんだよ…」
『それなら私が大刀持っていけばいいんじゃない?』
「リン、持てる?」
『少しの間なら大丈夫。』
そうしてハクやキジャ、シンア、ゼノも川を渡り、最後は疲れた様子のジェハは私の前に下り立った。
「ふぅ…」
『大丈夫?』
「リンを運ぶのなんてどうってことないよ。ほら、行こう。」
『放したりしないでよ、ジェハ…』
「おや、怖いのかい?」
『怖くはないんだけど、ハクの大刀を両手で持たなきゃいけないから…』
「あー、成程。安心して、落としたりなんかしないから。」
私は彼の背中に身を寄せて大刀を抱えた。
「本当にその大刀重いね…」
『平気…?』
「最後の一回だと思えばどうってことないさっ!」
『きゃっ…』
彼は言葉と同時に地面を蹴り私をしっかり抱えると跳び上がった。着地すると彼はニッと笑う。
『もう…突然跳ぶなんて意地悪なんだから。』
全員揃うと開けた場所で野宿をする事にした。
「され、今夜はここで一休みするよ。」
「ジェハ、お疲れ様。」
「ヨナちゃんを運ぶのはいつでも任せて欲しいけど、男共は自分で跳んでくれないかな。特にハクとシンア君が重い。」
「やー、面白かったわ空中散歩。」
ハクは意地悪く笑っていた。ヨナはそんな彼の様子を見つめて嬉しそうに笑みを零す。
するとそんな彼女をじっと見る人物がいた。
「わっ、カルガン!?びっくりした…」
「ヨナはあいつの事が好きなのか?」
「あいつ?」
「あの兄ちゃん。」
カルガンが言っているのはハクだった。私はそれを微かに聞きながらハクとジェハと共に話していた。
「………何を言ってるの?」
「だってずっと見てんだもん。」
指摘されてヨナは漸く自分の行動を思い出し頬を赤くした。
「やっぱり。」
「ち、違うもの。たまたま目がいっただけだもの!」
「そうかなあ。」
「そうよ、ハクは意地悪だし可愛くないし。」
「すいませんね、可愛くなくて。」
いつの間にかハクはヨナの背後にいて彼女の耳元でそう言った。
それから身体を起こして冷めたように言う。
「何俺の悪口に花咲かせてんすか。」
「ヨナがあんたの事ずっと見てたんだよ。」
「!?」
「何か御用でも?」
「何でもないわ。」
「ヨナがあんたの笑った顔見て幸せそーにしてた。それならそうと早く言えばいいのに。」
それだけ言ってカルガンはどこかへ行ってしまう。
それを見送ってヨナは顔を赤くして、ハクは首を傾げる。
―知らなかった、子供って厄介!―
「笑った顔…?」
「あ、あのねハク。」
振り返った彼女にハクは顔を寄せて笑ってみせる。
「なんか面白い?」
「全然。」
「なんだよ、話が違うじゃねーか。」
―そんなに私見ていたかしら…―
ヨナに顔を背けられてハクは不思議そうな表情をするのだった。
私はハクがなかなか回収してくれない大刀を地面に立てて抱えたまま岩に座っているジェハと共にヨナとハクを見守っていた。
「あれ、どう思う?」
『姫様の心にもちょっとは変化が現れたかなって。』
「面白くなってきたね♡」
『お兄さんは口出ししちゃ駄目よ?』
「えー」
『見守ってあげてて。お兄さんらしく優しくね…』
ジェハは大刀にもたれるように立って微笑む私を見て目を丸くした。
―そんなに優しい顔をするんだね、リン…
君にとってヨナちゃんは妹のようで何よりも大切で…ハクだって本当の兄妹みたいなもの。
幸せになってほしいって思ってるのが当然だよね…―
ハクがヨナと分かれて一人になると私は彼を手招いた。
「ん?」
『早くこれ受け取ってくれないかしら?』
「あー、悪ィ。」
『ハクにとってはどうってこと無くても重たいんだから…』
「昔は両手でも抱えられなかったもんな。」
『…昔の話でしょ。』
「今はどうなのかな?強くなったんですかー?」
『ムカつく!』
「手合わせしてみっか?」
『望むところよ。』
「この場所から見てあの月が木に隠れるまででどうだ?」
『時間制限はそれでいいわ。相手の動きを封じたらそこまで、いい?』
「あぁ。」
それから私の剣と彼の大刀がぶつかり合う音が夜空の下軽やかに響き始めた。
いつまで経っても自分のもとに帰って来ない私を案じて音を頼りにやってきたジェハと、夜の散歩をしていたゼノは木の陰から私達の激しい手合わせを見ていた。
「手合わせのはずなのに激しいね…」
「でもどこか楽しいそー♪お嬢も兄ちゃんも笑ってる。」
「うん…僕には向けない表情だよ。」
「緑龍…」
「少しだけ相棒って言われるハクが羨ましいかな。」
そして自分の言葉に自嘲気味に笑った。
「恋人って言われる方が何倍も甘美で羨望の対象であるはずなのに。」
「緑龍はお嬢の事が大好きだからー」
「え?」
「どんなお嬢でも知りたいって思うだけだから~」
「っ…」
「ちゃんと緑龍の前でお嬢はお嬢らしく笑ってるよ。緑龍にしか見せない顔だってある。
ああやって兄ちゃんに見せてる顔だって好きでしょ~?」
「…うん、そうだね。本当にゼノ君は不思議だよ。」
「うん?」
「いや…なんでもない。」
私はハクの攻撃を弾いて距離を取りながら木陰に向けて声を掛けた。
『ジェハ!ゼノ!そこにいるのは解ってるわよ。』
「おや…リンから隠れるのはやっぱり不可能だね。」
「邪魔すんな、タレ目。」
「酷い言われ様だね…リンがいつになっても帰って来ないから心配して来たのに。」
『ごめんなさい、ジェハ。久しぶりにハクと真剣に手合わせがしたくなっちゃって。』
「あと少しで時間だ。もう少しリンを俺に貸してろ。」
『貸すなんて言い方やめてよ…』
「お前は俺の相棒であると同時にこいつの恋人だろ?
ちゃんと恋人さんの許可くらい得ないとな。
こんな夜に兄妹みてぇに育ったとはいえ別の男と2人ってのは嫌だろうからよ。」
『ハク…』
「そういう所は真面目だよね、ハク。」
「そんな所が兄ちゃんらしいから~」
「…さっさと始めるぞ。」
ハクは照れたように大刀を構え直し、私はクスッと笑ってから剣を構えて体勢を整えた。
そして月が木に隠れるまでずっと金属のぶつかり合う音が響き、ジェハとゼノは私とハクの舞う姿や飛び散る汗をどこか愛おし気に見つめていたのだった。
翌朝、ヨナはハクの事を考えてしまったのかあまり眠れないまま目を覚ます事になった。
そのとき彼女はカルガンが木に凭れて座りつらそうにしているのを見つけた。
「カルガン、どうしたの?」
「あ…ちょっと疲れちゃった。」
「歩きづめだったものね。」
「カルガン君にはキツかったな。僕が背負って行くよ。」
ジェハがカルガンに手を貸そうとすると、それより先にひょいっとキジャがカルガンを背中に背負った。
『キジャ…?』
「カルガンは私に任せよ。そなた昨日の疲労が取れておらんのだろう。」
一瞬きょとんとしたジェハだったがキジャの言葉が嬉しかったのか笑みを浮かべていつものように軽い口調で返した。
「…やだなあ、別になんともありませんよ?」
「シンア、そなたジェハをおぶってやれ。」
「…いや、それは遠慮するよ。」
『キジャの荷物は私が持つね。』
「重いから無理すんな。」
2つの腕が伸びて私の両側からハクとジェハに荷物を取られてしまった。
私は苦笑しながらも言葉に甘えて自分が担当している荷物だけを背負った。
「なんか…ごめんなあ。会ったばっかで迷惑かけて。」
「そなたを運ぶ事など造作もない。気にするな。」
「ちょっとだけだったけど楽しかったよ、高華国。
俺の村は閉鎖的でさ、あまり余所の人と話す機会ないし。」
山の中を歩きながらカルガンは話してくれる。
先頭をヨナ、ユン、ハクが歩き、私とジェハが一番後ろ。
私達の前をカルガンを背負ったキジャが歩いていた。
「父さんも母さんも高華国に行きたいって言っても反対するしさ。
こんないいヤツらに会えるなら早く行けば良かった。」
「そなたにとって高華国が良き思い出になったのなら誇らしい。
だが父上と母上の言葉を無視してはならぬぞ。
いつまでも近くで叱って下さるとは限らぬのだ。
大切な事を教わる時間を大切にするのだぞ。」
キジャの言葉に私達は何も言わなかった。
ヨナやキジャ以外は親という存在もあやふやなのかもしれない。
ヨナにとってはイル陛下を失ったばかりだし、キジャもなかなか父親に会えなかった過去がある。
そんな彼の少しだけ切ない言葉はちゃんとカルガンに届いただろうか…
暫く歩くと小さな丘が見えてきた。
「あっ、あの丘を越えたら俺の村だよ!」
「おーっ、もうすぐかっ」
「良かった。しかし南戒って暖かいなー」
ユンがそう呟いた時、シンアは自分を呼ぶ細いキジャの声に気付いた。
「………シン…ア…すまぬが…カルガンを頼む…」
キジャは自分の背中からシンアの胸へカルガンを押し付けるように渡す。
私とジェハはキジャの突然の行動にきょとんとした。
『キジャ…?』
「なんだ、キジャ君。もうバテたのかい?君は馬鹿力のくせに本当体力ない……」
だがそれに反発しなかったキジャはふらっとすると後ろに倒れていった。
真っ先にそれに気づいた私は彼の身体を抱き留めながら膝を折って地面に座り込んだ。
「キジャ君!?」
『キジャ!!』
膝に頭を預けるように抱き直すとキジャの顔は苦しそうに歪んでいた。
「どうしたの!?」
「わからない、突然倒れて…」
『ひどい熱…』
「早くどこかで休ませないと。」
「それなら俺の家に来いよ。ここからすぐだ。」
「本当?助かるよ。」
「うん、俺もすげえ世話になったしさ。きっと父さん達も歓迎してくれるよ。」
ジェハはキジャを背中に背負い、シンアがカルガンを抱いて早足で村に向けて歩き始めた。
ジェハが持っていた荷物は私が背負って道を急ぐ。
村が見えてくるとカルガンはシンアの腕から出て走り出した。
「カルガン!」
「父さん、母さん。ただいま。」
「お前っ、どこに行ってたんだ!?」
「…ごめん。それよりちょっと客を連れて来たんだ。」
「客…?」
彼が見つめる先には私達が並んでいた。
「…誰だ?」
「高華国で友達になったんだ。」
「高華国!?お前やっぱり高華国に行ってたのか?」
「あんなに駄目だと言ったのに…!」
「う…」
両親に怒られてカルガンは言葉を失うがすぐにキジャの事を思い出した。
「とにかく話はあと!倒れて熱を出してる奴がいるんだ。家で休ませていいだろ?」
「あんな怪しい連中をか?冗談じゃない!」
「待ってよ。俺こいつらに高華国ですげェ世話になったんだ。いい奴らなんだ、頼むよ。」
カルガンの父親はジェハの背中で赤い顔をしてぐったりしているキジャを見てこちらに背中を向けた。
「…わかった。お客人こちらへ。寝床を用意しよう。」
それから私達は案内された建物でキジャを寝かせて分けてもらった食べ物をお粥にして少しだけでも食べさせた。
「白龍、熱下がんないなぁ~」
「ごめんな、父さんと母さんが。」
「ううん、休ませてくれたし食事もくれたわ。」
「他国から来た僕らが気になるようだね。」
『ハク、ここって…』
「あぁ。ここ金州は昔高華国領土だった。」
『それが関係してるんじゃない?』
私とハクが問うとカルガンは俯きながら言う。
「うん…戦で今は戒のものだけど。
父さんと母さん…ここの村の人達は高華国の民だったんだよ。
皆口には出さないけど高華国の地や知り合いを懐かしがってる。
だから俺見てみたかったんだ、父さん達の故郷を。」
「そう…」
「勝手な事を言うな、カルガン。」
「父さん…」
「私達にはもはやここがどこに属していようとどうでも良いんだ。
ここはジュナム王時代高華国だったが、その昔は戒の領土でもあった。
村の位置は変わらないのに国の都合で取り取られ、抵抗するだけ無駄だと悟ったよ。」
「…でも父さん達はいつも見てるじゃないか、川向こうを。」
「…とにかくもう高華国の事は忘れるんだ。あんた達もなるべく早く出て行ってくれ。」
カルガンの父親は静かに部屋を出て行った。
そして外に出ると他の村人と話した、川の方で兵士を見たと。
「私達がどんなに心配していようとも国が一旦決断を下したならば、その大河の奔流に逆らう事は出来ん…」
そう呟いた声はどこか寂しそうだった。
その頃、緋龍城には南戒から金州返還について手紙が返って来ていた。
ナダイに関する暴走は一部の商人によるものであり南戒の国自体が関与することではない、だからこそ突然の高華国からの金州返還の書は遺憾だと。
「これで一応仁義はきった形ですかね。
ジュド将軍、各部族の兵の編成を確認したいのですが。」
「はっ…水の部族は自領土の治安回復を優先の上、南西の防衛。
風の部族は南東の防衛及び火の部族の北東防衛支援に回っております。
火の部族は北東防衛に一部隊を送り、戦力の大半は地・空と共に金州へ侵攻。全て陛下の指示通り粛々と進行しております。」
「しかしキョウガ将軍は大丈夫なのでしょうか?」
心配そうな声にスウォンはふっと笑った。
「彼は根が真面目ですから必死に勉強していたようですよ。
部族統治と国策の違いもきっと理解出来た事でしょう。」
「彼が先鋒で良いのですか?本来ならグンテ将軍が…」
「良いんです。きっと汚名返上の為期待以上の活躍をしてくれると思いますよ。
イル陛下の即位以前、あの一帯は我が父ユホンが統治していました。
誰が何と言おうと我々高華国は貸したものを返して貰うだけです。」
こうして新たな戦争が始まろうとしていた。
時間が経ってもキジャの体調は戻らなかった。
「キジャ、具合はどう?」
「姫様…申し訳ありません。私のせいで足止めを…」
「そんな事気にしなくていいの。」
横になったままのキジャの周りに私達は集まり、ハクは壁に凭れて立っている。
私はジェハの脚の間に座らされていて彼の腕は私のお腹の前で組まれている。
『ユン…』
「うん、ちょっとまだ原因がわからなくてね。
とりあえず熱冷ましの薬を飲ませたけど、単なる風邪じゃないみたいだ。」
その言葉にジェハは何かを感じたようだった。
私もジェハの一瞬はっとした様子に嫌な考えが頭に浮かんだ。
「ヨナちゃん、大丈夫だよ。キジャ君、実はゴキブリ並みの生命力だから。」
「ゴキ!?」
「それより感染らない(うつらない)ようにしないと。」
「ちょっと待て、ジェハ。今私をゴキブリと!」
『ここは私達に任せて姫様は近くを散歩して来てはいかがでしょうか。』
「でも…」
『この村の様子も気になっていらっしゃるでしょう?』
「!」
『ハク…』
私がハクを呼ぶと彼は大刀を手にしてヨナを呼んだ。
「姫さん、行きましょう。」
「じゃあ俺もちょっと水貰って来る。」
そうしてヨナ、ハク、ユンが出掛けて行き私達龍だけが部屋に残されるとジェハがおもむろに口を開いた。
「…さて、キジャ君。龍の手の調子はどうだい?」
「龍の手?」
『力は入る?』
「まあ、いつも通りというわけにはいかんが…」
「白龍の里に新たな龍が生まれた…とかいう訳じゃないよね?」
ジェハの静かな言葉にキジャ、シンア、ゼノ、私は目を見開く。
私が微かに考えていた事がまったく同じで少しだけ胸が痛んだ。
出来る事なら考えたくもない話だったからだ。
「………いや、それはない。そういう…感じではない。」
「…そ、ならいいんだ。」
「……何故急にその様な話を。」
「別に急な話でもないだろ。僕の先代は27で死んだ。もうすぐ僕もその歳に追いつく。
そろそろ新しい龍が生まれて、この能力が枯れ果て死んでもおかしくはないだろ?」
ジェハが儚げに自分の額に手を添えながら言う。
私は少しだけ俯きながら彼のもう一方の手を握った。
「リン…」
『…』
「珍しい…な。そなたがその様な事話題にするとは。」
「そう…かな?」
「良い気分だ、そなたが大事な話をするのは。」
「そういう事を言うから君は面倒臭い。」
キジャはそっと身体を起こして寂しそうに微笑んだ。
私を含めキジャ、シンア、ジェハの4人は心の何処かで短命である龍の運命を知っていていつ終わりが来ても仕方ないと心の準備をしているのかもしれない。
「…確かに四龍は長く生きられぬ。それは黒龍であるリンも同様だ。」
『私はヨナを守る為に黒龍の運命を自ら受け入れたの。短命だって知ったうえでね。
みんなと同じ道を歩く覚悟はもうその時に出来てるわ。』
「だが…私はいつでもあの御方の為に命を捧げる覚悟。寿命など関係ない。」
「君らしいね。」
『でも私は少しでも長く大切なみんなと一緒にいたいな…』
「「リン…」」
ジェハが優しく私を抱く腕に力を込めた時、バシャッと水が零れる音がして私達は揃って入り口の方を見た。
「ユン君…!」
「あ…ちょっと水を…あ…こぼしちゃった…」
彼は私達の話を聞いてしまっていたようだ。そして困惑して貰って来た水を零してしまったのだろう。
「い…今の話…本当…?四龍は寿命が短いって…リンまで…」
『こっちにおいで、ユン。』
私は優しくユンを呼ぶとジェハから離れて自分の隣にユンを座らせた。
『そんなに真面目になる話じゃないわ。』
「誰しもいつ死ぬかわからないものだろう?」
「そう…だけど…」
「ユン、案ずるな。たとえ新たな龍が生まれてもすぐに死にはしない。」
「そうだよ。先代緑龍なんか僕が生まれてから12年も生きてたからね。」
「それはすごいな…それに私の能力は高熱の今も衰える事を知らぬぞ。」
「おふっ」
キジャはユンを励ますべく右手を振るって見せた。
するとその腕が当たったジェハが殴られる形になり倒れてしまう。
『あ…』
「キジャ君、君は殺しても死にそうにないね…」
「当然だ。」
「…ならいい…なら…いいんだけどさ。」
ユンは俯いていた顔を上げた。その大きな瞳からは大粒の涙がポロポロと零れていた。
「頼むからしぶとく生きてよね、珍獣共。」
私はそんな彼の様子に微笑むと強く胸に抱きしめた。
『姫様には私達の事黙ってて…』
「…ん。」
ゼノはそんな私達の様子を見て温かく微笑んだのだった。
その夜、私達龍とは別に天幕で眠っていたヨナはキジャの様子が気になってこちらに向かっていた。
私は嫌な鼓動を自分の中に感じながら散歩をしていた。
―この少し苦しい感じは何かしら…
キジャの病気が移った…?そんなまさかね…―
その時黒い雲が空を覆っているのを見て元々胸にあった嫌な感じとは別の何かによって身体が小さく震えた。
―何…?どす黒い雲…どこか遠くから嵐の足音がする…
早く高華国に帰らないといけない気がするのはどうして…―
「リン!」
『ん?ハク…?』
「姫さん見てないか?」
『見てないけど…』
「天幕からいなくなってた。」
私は気配を辿る事に集中してキジャが眠る家の近くに彼女を感じた。
『いた…』
「どこだ。」
『キジャが寝てる所の近く。近付くなってユンに言われてるはずなのに気になったのね。』
「はぁ…」
私は胸の中に靄を感じたままハクと共に駆け出した。
ヨナはというとちょうど外に出て来たジェハと会っていた。
「ジェハ!」
「ヨナ…ちゃん…」
「ジェハ、キジャの様子はどう?熱下がった?」
そう問うたもののすぐに言葉を失い目を見開く事になった。
ジェハが倒れ込むようにヨナを抱き締めてきたからだ。
「ジェハ…?」
そこに私とハクも駆け付けて何事かわからないままヨナとジェハを見つめる。
『ジェハ…?』
「ヨナちゃん…ごめ…」
「ジェハ!?」
『ジェハ!!』
彼はヨナの身体がズルっと滑ると地面に倒れてしまった。私はすぐに彼に駆け寄って抱き起こす。
『ジェハ!どうしたの…』
ハクもこちらに来て大刀の柄でぐりぐりとジェハの頭を弄った。
「タレ目、死んだか?」
「ハク…気のせいか扱いが荒いよ…」
「俺がお前を丁寧に扱った事があるか?」
『熱がある…もしかしてキジャの病気が…?』
「…死ぬのか、タレ目。」
「う~~ん、火照った身体にビシビシくるねェ…」
『それよりジェハを運ぶの手伝って、ハク。』
「はいはい。」
ハクはジェハを抱えると部屋に入ってキジャの横に寝かせた。
私はジェハが横になるのと同時に邪魔にならないように束ねていた髪を解いてやった。
「どうし…たの?」
『ジェハまで熱出しちゃって…』
シンアが心配そうに見上げて来た為私は簡単に説明して、すぐにジェハの看病に取り掛かった。
『…ヨナに抱き着いた所見てたんだからね。』
「リン…妬いてるのかい?」
『…軽い事言ってても当分は許してあげない。』
「これは手厳しいなぁ…」
『でも無理しないでよね。…仕方ないから傍にいてあげる。』
自分の背中を向ける私を見てジェハは重い身体とは反する軽い心に従って柔らかく微笑んだ。
―やっぱり優しい女の子だよ、君は…―
「大好きだよ…リン…」
その声が聞こえた私は振り返ってジェハを見たが、彼は小さく笑みを浮かべたまますぅっと眠っていた。
翌日、キジャの隣にはジェハが苦しそうな表情で横になっていた。
私は夜通し看病していた為彼の横に座って眠ってしまっていた。
「ジェハ…そなた感染ったのか…?」
「………そのようだね。」
「姫様っ…ここから早く出て下さいっこれは感染る病ですっ」
「そうだね、ヨナはここにいない方がいいよ。」
「何か出来る事はない?」
「大丈夫、むしろ病ってわかってちょっと安心した。それなら俺の力で何とかしてみせる。」
「ユン…?」
ユンの言葉に私はうっすらと目を開き、キジャとジェハもそっとユンを見上げた。
ユンはきっと短命の所為で倒れているのかと心の何処かで心配していたのだろう。
「あんた達、高華国から悪い流行り病でも持ち込んだのか!!」
「父さんっ」
「カルガン、近寄るんじゃない。」
私達のもとにやって来たのはカルガンの父だった。
「病が広がったらどうしてくれる!?早くここから出て行ってくれ!!」
「…もっともだね。行こう、キジャ君。」
「う…む…」
私もゆっくり腰を上げてジェハに手を貸してそっと立たせた。
『大丈夫?』
「残念ながら…身体に力が入らないんだ…」
『そう…』
「皆、ごめん。俺…俺…っ」
「カルガン、あなたの父上は悪くないわ。」
『お世話になりました。』
私とヨナはカルガンの父に頭を下げた。
「とにかく天幕に2人を運ぼう。」
「緑龍、ゼノに身体預けて。」
「ありがと…ゼノ君。」
私とは反対側からゼノがジェハに肩を貸した。
アオはひょいっと私の頭に乗って、キジャはシンアに肩を抱かれていた。
「でも君もリンもあまり近寄らない方が良いよ。」
「何てことないない。」
『私も今更よ、一晩中看病してたんだから。』
「リン…」
『それにこんなに苦しそうなジェハを放っておけると思う?』
「…僕の事怒ってるんじゃなかったのかい?」
『…病人に対していつまでも怒ってるほど私の心は狭くありません。』
「そっか…ありがと…」
「シンア…よい、離れよ。」
キジャが自分の肩を抱くシンアにそう言った途端、シンアは何かに気付いたようだ。それは私も同じだった。
「…どうした?」
「お嬢?」
「馬が…兵士がいっぱいいる…」
『この感じだと場所は川の辺り…音からして…戦みたい…』
「うん…」
「豪族同士の小競り合いかな。」
その時村人が一人焦ったように走って来た。
「大変だ!!戦が…」
「えっ」
「戦!?」
「高華が…どうやら高華国が攻めて来たらしい。戒軍との衝突ももうすぐだ。」
「何だって!?」
「高華国がどうして…」
「新王が立って変わったのか?」
ヨナは村人達の言葉に息を呑む。そんな彼女の近くで誰かが地面に倒れるような鈍い音がした。
「シン…ア…っ」
『シンア!!?』
「行ってあげて…」
音がして振り返った私とヨナが見たのはキジャの隣で苦しそうに倒れているシンアだった。
私はジェハに背中を押されてシンアに駆け寄ると容態を見る。
『キジャやジェハと同じ…』
「シンアも天幕に運ぼう。」
「俺が運ぶ。リンは白蛇に肩貸してやれ。」
こうして龍3人が倒れ、私も微かに自分の胸の中に違和感を感じつつ天幕へと移動していったのだった。
その頃、スウォンは兵を従えて敵を見据えていた。
「準備は宜しいですか、諸将の皆さん。」
「お任せを、陛下。この地は奪われた地の領土。我が部族の士気は頂点に高まっております。
ところでそっちの坊ちゃんは大丈夫か?前線で戦うのは初めてだろ?」
グンテが見る先にはキョウガがいた。
「…武将たる者口ではなく剣を以て己を証明致します。
そしてグンテ将軍、いい加減私を坊ちゃんと呼ぶのは…」
「そいつは頼もしいな、坊ちゃん!!」
「キョウガ、この男の言う事を真に受けるな。」
そこに口を挟んだのはジュドだった。
「平静を乱されるぞ。」
「いつも見事に真に受けてカッカしとるのはお前じゃ、阿呆。
余裕がないのは癒してくれる女がおらんからか?紹介しよか?」
「きっさま~~~~~っ」
「まあまあ、ジュド将軍。癒しなら猫を飼われては如何でしょう?」
「だからそういう問題ではないっ」
スウォンを交えて将軍達がバカ騒ぎをする為兵達は冷や汗を流す。
―大丈夫かな、この大将達…―
それからすぐスウォンは真剣な表情で顔を上げた。
「…では、そろそろ行きましょうか。全軍出撃!!」
戦の音をヨナはカルガンの父と並んで聞いていた。
「またか…この村に被害が及ばなければ良いが。
王とか偉い奴らは決して傷ついたりしない。
傷めつけられ踏みにじられるのはいつも我々小さき者だ。」
その言葉にヨナは何を思ったのだろうか…
結局金州を巡る高華国と戒帝国の戦いは高華国軍の圧勝だった。
高華国の大軍勢に対し戒帝国は北方民族などの問題で弱体化していて、高華国国境にまで十分な戦力を割く事が出来なかったのだ。
「戒帝国軍が退いていく…」
「予定より半日早く片がつきましたね。お陰で兵糧も少なくて済みました。
しかしながら壮観なまでの大勢の兵…予想通り一方的な勝利でしたね。」
「高華国は強いと印象づける為の戦いでしたから。」
スウォンはそう呟くと近くにいたキョウガを呼んだ。
「キョウガ将軍、お疲れ様です。火の部族の統率お見事でした。」
「へ…陛下…私を…お信じ下さり心から…感謝致します。」
「いえいえ、これからも宜しくお願いします。」
頭を下げるキョウガに背中を向けてスウォンは次の事を考える。彼に立ち止まる時間はないのだから。
―これで高華国北西部の守りは固めた…
千州との協定も保たれている…戒の圧力に民が怯える事もない。残るは…―
戦が終わると村人達が広場に集まって来た。
私はキジャ達の様子を見ていたがざわつきを聞いて天幕から出て空を眺めていた。
「どうやら戦は終わったようだな。」
「ああ、この近くまで来ていたみたいだが。たった数日で高華国軍が圧勝したそうだ。」
「そうか…今回は巻き込まれずに済んだようだな。」
それを聞きながらヨナはこちらへ早足でやってきた。
「ユン!リン!シンア達はどう?」
「うん…とにかく熱が高くてね。」
「そう…」
「娘さん、大丈夫だから。四龍は爆発的な能力を使う分、身体弱り易いんだ。
白龍達は今ちょっと休養が必要なだけだから。」
『ゼノは大丈夫なの?』
「ゼノは丈夫なだけが取柄の黄龍だから。」
「ああ…」
「看病はゼノがやる。」
「そう…なの?」
そうしているとヨナは静かに自分の天幕に入って行った。
その様子を見ているだけの私とハクだったが、彼女の顔が少し曇っている気がして後を追うように天幕に入るとヨナを囲むように両側に静かに腰を下ろした。
「戦は…高華国が勝利したって。スウォンが戒に進軍したのは水の部族での南戒との争いがあったからかしら。」
私とハクは互いを一瞬見ると少しだけ俯いた。
『…いえ、金州の奪還は元々想定内だったんだと思います。
むしろ水の部族での一件は良い大義名分となったはず。』
「地の領土を返す事によりグンテ将軍との信頼関係もより強固なものとなり、五部族全体の士気も高まる。
この戦は単に領土拡大だけが目的ではないでしょうね。」
「ハクとリンは…スウォンの考えがわかるのね。」
『…わかりませんよ。』
「……わかりたくもない。」
ヨナは私とハクの暗い声に寂しそうな表情をした。
そして自分の前でスウォンに刺され血を流して倒れる父親を思い出したのだ。
―あんな事がなければ…父上が戦を容認していれば…
ハクやリンもスウォンと共に戦場に出ていた未来もあったのだろうか…
そして私はきっと何も考えず城で過ごしていた…―
「もし…高華国に父上の作った綻びがあるのなら私はそれを直したい。」
『姫様…』
私はハクの手を両手でそっと包み込んで顔を伏せた。
「あんたが…それを負う必要はない…
あんたが…そんな罪滅ぼしのような旅を…続ける事はない。」
「…最善を尽くしたいの。
…でも高華国さえ良ければいいの?…ってそうではないんじゃないかって考えてしまうの。
ここの人達にとって“敵”は戦そのもの。
たとえスウォンが…高華国にとっては良い王様だったとしても、私はこの戦い高華国にも戒帝国にも与する気にはなれない。」
私は隣にいるヨナの強い瞳を見てハクと共に小さく息を呑んだ。
そのときだった…私の鼓動が一度大きく鳴ったのだ。
『え…』