主人公はハクの相棒でヨナの護衛。国内でも有名な美人剣士。
火の部族・水の部族
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水の部族領 豊富な緑と水に囲まれた高華国一美しい地…
観光地としても栄え、そこに住まう人々はたゆたう水の如く穏やかで争いを好まないという…
そんな水の部族領の港町、四泉に私達はやってきていた。
雨の中宿を探しているとどうにか泊まれそうな場所を見つけた。
「お泊りかい?」
「八名一泊で一番安い部屋ね。」
「…ふむ、空いてるよ。一人六百リンだ。」
「ありがとう。」
私達は部屋に入ると外を眺めた。
「緑豊かな水の部族の地…残念。楽しみにしてたのに雨で何も見えないなんて。」
「雨に濡れた水の地もなかなか風流で美しいじゃないか。」
『四泉…ここは水の部族領でも有数の港町ね。』
「うん。市場の後少し話を聞いたんだけど、水の部族領の沿岸部が近頃治安が悪いらしいんだ。」
「水の部族は温和な人柄だと聞いたわ。治安が悪い印象無いけど。」
「港町は余所者の出入りが多いからね。多少の揉め事はよくある事さ。」
「何にしろこの雨だ。しばらく動けないから休養を取ろう。」
『…ところで男共!』
「私とリンも濡れた服替えたいからちょっと出てって。」
『…ジェハもね。』
照れた様子のユンとキジャは慌てて部屋から出てシンアも後に続いた。
ハクはジェハの髪を掴んで連れ出してくれた。
私は溜息を吐きながら上着を脱ぐと近くに乾かして着替える。
ヨナも着替えて私の髪を手拭で拭き始めた。
『ちょっ…姫様!?』
「長くなってきたわね。」
『え、えぇ…姫様も。』
「少し濡れてるから拭いたら結い上げてあげる。」
『…ありがとうございます。』
彼女が私の髪を弄りたがっているようだった為、自由にさせてから私も彼女の髪を拭いた。
外ではハクとジェハが扉に背を預けて話していた。
その声も私に聞こえている事を2人は忘れているのだろうか。
「ハク、着替え手伝ってきたら?」
「冗談でもやったら鉄拳が飛ぶぞ。」
「へぇ、羨ましいな。ヨナちゃん、僕にはそういう事しないから…」
ジェハは自分の言葉に頭を抱えてしまった。
「どした?」
「…いや。」
―僕は子供か…―
「まぁ、お前の場合はリンの鉄拳が飛ぶだろ。」
「…そうだね。あ、ハクどうせこのまま動けないんだしちょっと外に出ない?」
「どこに?」
「花街♡水の部族といえば優雅で洗練された美女がいる事で有名なんだよ。
リンに勝る美女はいないだろうけど、せっかく来たのだから瑞々しい果実を堪能するのも大人のたしなみという…」
「行かね。」
「ハク…君がヨナちゃんに一途な愛を注いでるのはよーく知ってるけどガマンのしすぎは不健康だよ。」
「黙ってろ、その目もっとタレさせっぞ。」
ハクの拳がジェハの顔面にめり込んでいる。
「だいたい何で俺だよ。龍仲間がいるだろ。」
「彼らは何か違う!!分かるだろう!?」
「わかるけど。」
キジャ、シンア、ゼノはどう見ても純潔の塊だ。花街などに誘えるような相手ではない。
「ハクなら一緒に行っても楽しそうなのにな。」
「どこに行くの?」
『どうせしょうもない所でしょ。まぁ、全部聞こえてるんだけど。』
私とヨナが部屋から出るとハクとジェハは後ろを振り返った。
「女の子のいる店。」
『だと思った。』
「てめ…」
「…行ってらっしゃい。」
「行きませんよ。」
「そうなの?」
「じゃ僕は一人で散歩してくるよ。」
『もう…女好きは変わらないんだから。』
「そんな僕は嫌いかな?」
『…帰って来るって知ってるから何も言わないわ。』
「それじゃ行って来るね。」
彼が傘を片手に歩き出した時、私は呼び止めた。何故だか心がざわついたからだ。
『ジェハ!』
「ん?」
『気をつけてね。』
彼は甘く微笑むと雨の降る町へ出た。
―らしくない、何をモヤモヤしてんだか子供相手に…
こんな気持ちは所詮龍の血によるニセモノなのに。
僕にはリンがいる…他には何も求めないよ…―
その時彼は町の様子がおかしい事に気付いた。
―なんだ…?雨と夕闇のせいで気付かなかったけど、この町…何かおかしい…―
彼が気付くのと同時に私も窓際で頬杖をついて何かを感じていた。
『変な感じ…』
「どうした。タレ目が恋しいのか?」
『…それもあるけど。この町…居心地が悪いというか、少しだけ阿波の町が廃れていた頃と同じ気配がするの。』
「…とりあえずアイツを待ってから考えようぜ。」
『うん…』
―何もなければいいんだけど…―
ジェハは橋を渡っていると近くの建物から2人の女性に手招きされた。
「お兄さん、そこ濡れるでしょう。寄っていかない?」
彼は招かれるがまま建物に入り甘い香りの香の焚かれた部屋に入った。
そこで縦笛を華麗に奏で、女性達は惚ける。
「素敵。お兄さん、旅の人?」
「どこから来たの?」
「内緒。…甘い香りの香だね。」
―まるで媚薬のようなリンの香りに似てる…―
「この四泉で流行の香よ。疲れをとる効果があるの。」
「へぇ…」
その時ジェハは女性の指が黒くなっているのを見つけた。
彼は無言でその手を引き寄せるとやすりとクリームで手入れした。
「ああ、この子の爪ボロボロでみっともないでしょう。」
「…いや、彼女の手に触れてみたかっただけだよ。」
そうしていると唐突に誰かの悲鳴のようなものを聞いた。
「うああ…」
「今…何か聞こえたけど。」
「ああ、他の部屋のお客さん。酔って暴れてるのかしら。」
ジェハが席を立ち様子を見に行こうとすると女性に手を掴まれ止まらざるを得なくなった。
「大丈夫、いつものこと…」
―先刻(さっき)から誰かが僕を監視している…いや僕だけじゃない、この娘達も…―
「それよりお兄さん…この豊かな水の地で造られた美酒はいかが?」
ジェハは座らされ持ったお猪口にさっき手を手入れしてやった女性から酒を受け取った。
彼女の手は小さく震えている。彼はそれを見て何かを理解したようだった。
―ギガン船長…ここはひょっとしたら阿波よりも深い闇の中に在るのかもしれないよ…―
彼が酒を煽ろうとすると女性の一人が必死にそれを止めてお猪口を奪った。
「だめ…っ」
「アリン!何するの…!」
だがジェハは震えながら酒を飲もうとする女性からお猪口をそっと取ると微笑んだ。
「大丈夫。」
「あ…」
飲み終えたジェハは何事もなかったかのようにお代を置いて窓から外に出た。
「…ごちそうさま。水の部族の酒は格別だね。ありがとう。」
『…ジェハ?』
「お嬢、どうしたんだ~?」
『ジェハの様子がおかしい!行かないと!!』
「おいっ、リン!!」
ハクが止めるのも待たずに私は上着を羽織ると外套のフードを被りながら窓から外へ飛び出してジェハの気配を追いかけ始めた。
後ろからは仲間達も追いかけて来ているのがわかる。
「…くっ、やっぱ…麻薬の類だったのか…」
ジェハは路地裏に逃げ込むと火照る身体の所為で息を上げていた。
―彼女達も中毒者だ。あの店ああやって客に麻薬をばら蒔いてるんだな…いや、恐らくこの町全てが…―
そこに追っ手が来てジェハは地面を強く蹴った。
―跳んで逃げれば楽勝…!―
ただ跳び上がった瞬間、世界が全て歪んで見えた。
―な…地面が空間が捻じれて身体が頭…が…割れそう、だ…―
「う…あ…あぁああああああ!!」
彼はそのまま地面へと落ちて倒れてしまった。
私は彼の声を聞いてそちらへ駆け出していた。
倒れたジェハの脳裏には懐かしい声が響く。
「ジェハ、まだ里から出ようなんて言ってんのかよ。」
「当たり前だろ、先代様。僕は絶対ここから出てみせるよ。」
「逃げてやる。龍の掟なんて宿命(さだめ)なんて知るものか。」
「なんだいお前は空から降って来て。
何でもするから置いてくれだって?バカな鼻タレだね。」
―え…何コレ、走馬灯?やだな、僕はまだバリバリ生きるつもりだよ…
自分で薬呷って跳び損ねて死ぬとか阿呆すぎ…早く…帰らないと…―
そこで彼ははっと気付いた。
―なんだ、僕はもうすっかりあの場所が“家”なんだな…―
そんな彼の脳裏に涙を流す私の顔が浮かんだ。
―泣かないで、リン…君を独りにするわけにはいかないね…
帰らなきゃ…君の隣へ…会いたいよ、リン…―
『ジェハ!!!』
―幻聴まで…いや、幻覚か…君がいる気がする…―
『ジェハ!!しっかりして!!』
それは幻覚なんかではなく私自身が彼を抱き上げて顔にくっついた前髪を撫でていたからだ。
「リン…っ…」
「ジェハ!」
「大丈夫?リンがジェハの気配(様子)がおかしいって言って飛び出して行ったから…」
『寒いよね…早く帰ろう…?』
私は彼を強く抱き締めた。彼は弱々しく私の服を掴む。
―寒さが…薄れていく…
ああどうしようか…この想いが龍の血による洗脳であっても僕はどうしようもないくらいヨナちゃん…君のそばにいたいんだ…―
キジャがジェハを抱えて宿に戻り部屋に寝かせ、ハクが彼の腹部を殴る事で飲まされた物を吐き出させた。私は涙を流しながらそれを見守った。
「つらかったら部屋から出てろ。」
『ううん。目を逸らしたらダメだと思うから…ジェハをこんなに苦しめるんだもの。』
ジェハは荒い息のまま痛みに耐えている。
―痛い痛い!全身の骨が砕けそうだ!!―
痛みに耐える為に床を叩いては拳が白くなるまで握る。それは見ているこちらが苦しくなるほど。
部屋には私とハク以外誰も入れるつもりはなかった。
「あああああぁあああ!!うあぁあ…ぐっ…」
私を残してハクは心配そうな仲間のもとに顔を出した。
「ハク…ジェハは?大丈夫なの!?」
「暴れてる。おそらく麻薬を飲まされたんだ。」
「俺が診るよ。中に入れて。」
「ハク、私も…」
『来ないで下さい。』
「リン…」
『今のジェハは危険です。』
私は膝を抱えてジェハを見守りながら涙を流して、それでもヨナやユンを危険に巻き込みたくなくて強くきっぱりと室内から外に聞こえるように言った。
ハクはヨナ達に一言残すと部屋に戻って来た。
「俺がいいっつーまで外で待ってろ。こいつもこんな姿誰にも見られたくねェだろうよ。」
「あぁあああ…があ…っ!!ぐぅあああああ!!」
『ジェハ…ごめん…ごめんね…』
「…どうしてお前が謝るんだよ。」
『ちゃんと止めておけば…行かないでって言っておけば麻薬なんて…』
「リンは悪くねェだろ。」
ハクは私の頭に手を乗せて呟いてくれる。私の目からは涙が止めどなく零れていた。
それから暫くして彼の呻き声が治まった。
『ジェ…ハ…?』
「静かになったな。」
私は這うようにしてジェハに近付いた。
『ジェハ?』
「くっ…ぐあぁああああ!!」
『っ!!』
気付いた時にはもう遅く私は暴れる彼に頬を殴り飛ばされて背中を壁にぶつけていた。
「リン!!」
『だ、大丈夫…油断した…』
「頭ぶつけてねぇか?」
『平気…』
「「リン!!」」
『なんでもありません!』
外でハクの声を聞いたヨナとユンが私を呼ぶが私は彼らを制止した。
「リン、お前…」
『今の事、誰にも言わないで…ジェハが自分を責めてしまうから…お願い、ハク。』
「…わーったよ。」
そう言いながらもハクは気づいてしまった、私の頭から首筋に掛けて血が伝っていた事に。
「…俺からは何も言わねぇ。」
それから少し時間を置いてから私はジェハに歩み寄った。
彼はもう落ち着いたらしく静かに寝息をたてていた。
私は彼に近付いて強く抱き締めた。また暴れてしまいそうな彼を私は無理矢理抱き締めていた。
「ぐっ…あぁあああ!!」
『ジェハ…もういいんだよ…帰って来て…っ』
「うっ…リン…」
彼はクタッと疲れたように私にもたれかかって眠った。
ハクはジェハが眠った事を確認すると外に出た。
私はジェハを抱き締めたまま意識を失いその場に倒れてしまう。
ヨナ達が入って来た頃、先に部屋に戻ったハクによって私とジェハは抱き合ったまま布団に寝かされていた。
「大丈夫なの…?」
「もう落ち着きましたよ。」
「よかった…」
「リンの目が赤くなってる…」
「泣いていたのだろう…愛する者が苦しんでいるのに何もできないのは無力だからな。」
「リン…」
ヨナは寂しそうに私の名前を呼びながら私の髪を撫でるとそのまま寄り添うようにして眠ってしまった。
他の皆も壁にもたれて座ったりして眠っている。
ハクは見張りを兼ねて大刀を抱いて壁際に座る。
そうしているうちに夜が明けて太陽の光が射し込んだ。
最初に目を覚ましたのはジェハだった。
彼は自分に抱き着いて眠る私を見て赤くなった目元を撫でながら抱き締め返し、隣にいるヨナをそっと見つめた。
そこに黒い影が歩み寄って来る。
「…そんなに恐い顔しなくてもヨナちゃんを取って食いはしないよ。」
「ばーか、誰もんな心配してねーよ。
てめえにしては軽率だったんじゃねェの?
遊郭行ってヤバいモン飲まされるなんてよ。」
ハクに大刀の柄でぐりぐりと頬を弄られながらもジェハは寝転がったまま答えた。
「飲まされたんじゃない。飲んだんだ。」
「…理由(ワケ)ありでも駄目だ。」
「…ごめん。」
『馬鹿…』
「リン…起きていたのかい?」
『…心配かけるなんて、この馬鹿者。』
「うん、ごめん…」
私が潤んだ瞳で睨みつけると彼は困ったように笑って私の頬を撫でた。
その時首元にある血の痕と髪を撫でた手についた血を見て目を丸くした。
「これは…」
『あ…』
「リン…この傷は…」
『意識が遠のいたのはこの所為だったのね…』
「もしかして…僕が君の頬を殴って怪我を…?」
『…』
「…大切な子を自分の手で傷つけるなんてね。」
『ジェハは悪くないわ。わざと麻薬を飲んだとしても私に手を上げてしまったのは麻薬の所為だもの。
お願いジェハ、自分を責めないで?』
「僕は僕を許せないよ…」
『愛する人を少しでも早く苦痛から解放してあげたくてむやみに近付いた私の失態よ。でも…あなたが無事でよかった…』
「リン…本当にごめん…」
『…おかえりなさい、ジェハ。』
「うん。」
私は身を起こして一筋だけ涙を流しながら彼の頭を胸に抱いた。
ハクはそんな私達の様子を何も言わずに見守っている。
その時ヨナがふと目を覚ました。
「ジェハ!気がついた!?」
「身体大丈夫!?」
「ああ、平気…」
私が身を離すと彼は笑って身体を起こそうとする。
だが彼の床についた手がカタカタと震えているのを見て私とハクはジェハを布団へと戻した。
ハクはジェハの顔を押し、私は彼に抱き着くようにして押し倒した。
「寝てろ。」
『まだ回復したわけじゃないんだから。』
「そうだ、寝ていろ!」
「寝てなさいっ」
「君らもねー…」
「飲んだもの吐かせようとしたんだけど…」
「ああ、俺がみぞおちに拳をドスッと。」
「道理でさっきから骨が砕けそうに痛いわけだよ…」
『最初はキジャがやろうとしたのよ?』
「さすがに死ぬだろって俺が代わりに。」
「いや、ハクでも死ぬから。ふつうは死ぬから。死因は薬じゃなくて撲殺だから。」
「強い麻薬ならこの後も症状が出るかもしれない。」
「大丈夫、麻薬は馴れてる。」
『馴れてる…?』
「あ、いや…うそうそ。」
ジェハは実際阿波で危険に巻き込まれたり首を突っ込んでいた為、麻薬関連の事柄に馴れているというのは嘘ではないだろう。
「…僕よりリンの手当てをしてあげて。」
「「「え…?」」」
「お嬢、頭から血流してるからー」
「リン、そういう事は早く言いなよね!!」
『ご、ごめん…』
「でもどうしてそんな怪我を…?」
「僕が殴ったんだよ。」
「「「っ!!?」」」
「麻薬で暴れてる時にリンの事を殴ってしまったみたいでね…」
「それで受け身を取れなかったリンは壁にぶつかったんだ。
リンにはタレ目に言うなって言われてたけどよ、怪我してんだからバレるわな。」
『…あの時はそれどころじゃなかったから自分の怪我にもさっき気付いたんだけどね。』
「はぁ…リンの手当てをするのは絶対で…なんか危ないよね、ジェハは…」
「えっ」
「アブナイアブナイ。」
「外に出さぬ方が良いな。」
「えっ…」
「二度と阿呆をしないように躾が必要だな。」
「え…」
『まずはお仕置きじゃない?』
「え♡」
「縛っとく?」
「え…っ♡」
「とにかく今日は寝ておいてもらいましょ。」
「もっかい気絶させるか?」
「麻酔針もあるよ。」
『それがいいかもしれないわね。』
「ちょ、ま…さすがに今の体力でそれは…」
『大人しくしててね、ジェハ♡』
私は彼に覆い被さるように身体を傾けて深いキスを贈り、その間にユンがジェハの腕に麻酔針を刺した。
私の下でジェハの力が抜けていき、私は身体を離すと彼をそっと寝かせた。
「リンはこっちに来て。」
「俺達はこの馬鹿を縄で縛っておく。」
「うん、よろしく。」
私はユンに手当てをされて血を拭われた。
包帯を頭に巻いて夜には外しても問題ないと彼に告げられた。
『ありがとう、ユン。』
「…本当に気をつけてよね。」
『うん。』
「って言ってもリンは無茶するんだろうけど。」
『ごめん、身体が勝手に動いちゃうのよ。どうしても大切な物を失いたくないから。』
するとユンがずいっと顔を私に寄せて言った。
「リンだって俺達にとって大切なんだから!!」
『ユン…』
「…その事忘れないでよね。」
彼は照れたように皆のもとへ戻っていく。私は彼の背中を見て微笑んだ。
『…ありがとう。』
シンアをジェハの見張りとして残し、私達は町に出た。
まずはジェハが昨夜倒れていた場所へ向かった。
『この辺りね…』
そう言った途端、私とヨナは同時に振り返った。
「どうしたの?」
「何か…誰かに見られてるような…」
『えぇ…コソコソしている気配がしますね。』
「えっ…」
『害はないでしょう。』
「娘さん、あっちで何かあったみたい。」
ゼノの言葉に私達は揃って近くの川へと歩き出した。
そこには死体が浮いていたが、人々は慌てる様子もなく死体処理を始めた。
『今の人…爪が変色して歯が抜け落ちてたわ。』
「溺れただけであんな風になるかな…?」
「この町の連中も変だぞ。人が死んでるってのに誰も驚いた様子がねェし、顔色一つ変えねェ。」
「うあぁあああ!!」
すると路地の辺りから叫び声が聞こえて来た。その声は昨夜のジェハの物と重なる。
「どうした!?落ち着け。」
「うあっ!くるなぁあああ!!」
その声を上げている男はキジャを狂ったように拒絶した。
「ビビらせんなよ、白蛇。」
「私のせい!?」
「キジャのせいじゃないよ。この人正気じゃない。」
『…昨日のジェハと同じだわ。』
「この町…どうなっているの…?」
「あんたら…旅の人かい?」
そうしていると商人らしい男性が私達に声を掛けてきた。
「この町には長居しない方がいい。早く出て行くことだ。」
「あの…この町はどうしたの?」
「さっきの奴を見ただろう?」
『あの人…麻薬中毒者ね?』
「薬で壊れた人間も死体もこの町では珍しくないのさ。」
「治安が悪いとは聞いてたけど、まさか麻薬が横行してるなんて。」
「四泉(ここ)はまだマシだ。水の部族の沿岸部ではもっと酷い所もある。」
「えっ、ここよりも?」
「どうして沿岸部ばかり…」
「沿岸部だからさ。戒帝国…正しくは南戒の商人が水の部族の港町に“ナダイ”という麻薬を持ち込んだんだ。」
「南戒が!?」
「ナダイ…聞いた事ない麻薬だ。」
「高華国では流通してない麻薬だ。だから最初はこれの凶暴性に気付かなかった。」
少しずつ私の顔が険しくなり握った拳がギリギリと音を立てながら怒りに震えた。
ハクがすっとその手を大きな手で包み込んでくれる。それだけで少しほっとして拳を握る力を緩めた。
「飲んだすぐは快感を覚え痛覚がマヒするらしいが、徐々に幻覚を見たり全身が砕ける様な痛みにより凶暴化するんだ。」
『対処法は?仲間が巻き込まれたの。』
「何だって!?対処法はすぐに吐かせるか強い禁断症状に耐えるしかない。」
―もうちょっと強く腹殴っとけば良かったかな…―
ハクはひっそりとそんな事を思った。
「一度ナダイに溺れた人間はどんな法外な値段でも手に入れようとするだろう。
南戒の商人はそいつらをカモに次々とナダイを広めていく。
気付けば四泉の人間の幾人かは取り返しのつかない状態になっていたんだ。」
「おじさんは薬を飲んでいないみたいだけど逃げないの?」
「俺ァ生まれた時からここで商売をしている。
どんなになっても故郷だ。そう簡単には捨てられねぇ。
もっとも南戒の奴らが幅を利かせてて商売もボロボロだがな。」
『…気をつけて。』
「ありがとよ。」
男性と話している頃、ジェハも宿で目を覚ましていた。
「本当に眠らされてた。ヨナちゃん達は…!?」
彼が顔を上げると目の前にはちょこんと座ったシンアがいた。
「シ…シンア君、皆は?」
「外…」
「君は何してるの?」
「留守番…と見張り…禁断症状で暴れても見守れって…」
「この狭い部屋で君に見守られてる方が暴れそうだよ。ヨナちゃん達、いつ帰ってくるの?」
「わからない…昨日ジェハが行った店調べるって。」
その瞬間、ジェハは暗器を袖口から取り出して縄を切り立ち上がった。
「あ…」
「シンア君、退くんだ。」
そこから追いかけっこが始まり、ジェハはシンアの隙をついて窓から外に飛び出した。
ただ龍の脚を持たないシンアは窓を出てすぐに転がり落ちてしまう。
「えっ…わーっ、シンア君っ!!」
倒れたシンアにジェハは咄嗟に駆け寄った。
「シンア君、大丈夫!?
君の能力目だけなんだから、飛び降りちゃ駄目でしょ…
まったく君らは皆揃って世話がやける…」
そのときシンアの目が光り強くジェハの脚を掴んだのだった。
「えっ…ちょ…シンア君、ひきょう…」
そこからも追いかけっこは続き、ジェハは腰にシンアをくっつけたまま私達のもとまでやってきた。
私達は商人の男性を見送って話し合っていた。
「穏やかで美しいはずの水の部族の地がこの様な病に蝕まれていたとは。」
「もう少し調べましょ。」
その時私とヨナの肩に背後から誰かが手を乗せた。
『ジェハ!』
「と、シンア…」
「しんどい鬼ごっこだった…」
「ヨナ、ごめん…」
ジェハの跳躍力とシンアの動体視力の壮絶な戦いが繰り広げられていたようだった。
「ジェハ、動いちゃダメよ。」
「君こそどうしてじっとしてないんだ。」
とりあえずシンアをジェハの腰から離れさせ私とヨナはジェハと向き合った。
「この町の事情に首を突っ込むのはやめるんだ。危険すぎる。」
『ジェハ…』
「四泉(ここ)に巣食う闇は阿波よりも厄介で根深い。
早くこの町を出た方がいい。下手に関わると死ぬぞ。」
彼の言葉を受けても私は真剣な眼差しを彼に向けるだけだし、ヨナも首を静かに横に振った。
するとジェハはぐっと拳を握って大きな声で叫んだのだ。
「言う事を聞け!!」
珍しく彼が声を荒げた事にその場の全員が目を丸くした。
「…今私が危険を回避してもそれはいずれ国の危険となるわ。」
『四泉だけじゃない。高華国沿岸部…ギガン船長達の居る阿波も危険に晒されるかもしれないじゃない。』
「退けないわ。民の苦難と闘うために私は旅をしているのだから。」
『それにね、ジェハ…あなたを苦しめた麻薬(ナダイ)を私は絶対許さない。』
私とヨナの真剣な眼差しにジェハは溜息を吐いた。
「…ずるいじゃないか、そんな言い方。」
『ジェハ…』
「わかったよ。」
―嫌という程知ってるはずだ、彼女が…彼女達が止まらないことは…―
「珍しいじゃねーか、声を荒げるなんて。」
「…不覚だよ。」
ジェハの隣に並んだハクが静かに言った。
―必死になったり誰かの進む道を止めようとしたり…―
「彼女達といるとらしくない事ばかりしてしまうな。ホント困る…」
「ま、俺は昨夜(夕べ)からお前の珍しいとこばっか見たからそれ以上はねーよ。」
「…ハクは意地悪だね。」
私はそっとジェハの手を握った。
『ジェハ…』
「危険に巻き込みたくはないんだよ…それだけは覚えていて。」
『それは私も同じよ。でも…大切な人を苦しめられて黙っていられる程私は大人じゃないから。』
「リン…」
その時私とヨナは同時に後ろを振り返った。
「どうしました、姫様?」
「…何でもない。」
「リン、どうかしたのかい?」
『…ううん。』
私とヨナは顔を見合わせて同じ事を思った。
―やはり…―
―視線を感じるなぁ…―
私達をコソコソと見ていたヨナとあまり歳の変わらない少女は水呼城へ戻っていた。
黒い髪を揺らして颯爽と歩いて見せるのはリリと呼ばれる少女。彼女の向かう先には2人の女性がいた。
「お帰りなさいませ、リリ様。」
「どうでした、四泉は?」
「勿論余裕よ、薬中の町なんて恐くないもの。」
「あら、涙目。」
「可哀想。」
「お黙りっ、これは汗よ!アユラとテトラがいなくてもちゃんと成果を上げてきたわ。」
「さすがリリ様。」
「8人組の怪しい連中を見かけたの。
緑の髪の男は戒帝国の服を着てた。きっと南戒の密売人に違いないわ。」
「あら、ジュンギ将軍に報告しなくては。」
「お父様なんて信用出来ない。あいつらは私が調べ上げてやる。」
こうして私達の知らないところで水の部族の少女…部族長の娘リリも活動を開始していた。
ジェハが麻薬に倒れて数日後、リリは部屋で自分の付き人を呼んだ。
「アユラ!テトラ!いる?」
「お呼びで、リリ様?」
「はぁい。」
「わあっ!?」
すると黒い髪を背中でひとつにまとめたアユラは仕掛けのある壁をくるっと回して姿を現し、色素の薄い髪のテトラは寝台にのんびり横になっていた。
「アユラ!どこから出て来るのよ。また私の部屋に細工したわね!?
そしてテトラ!いつからいたの!?」
「そろそろお呼びがかかると思って。」
「先刻から忍んでおきました。」
「…じゃあ、話は早いわ。ここから出て四泉に行くわよ。」
「リリ様、ジュンギ将軍から止められましたでしょ。」
「そうよ。四泉に妙な連中がいるって言ったら部屋から出るなって閉じ込められたの!大人しくしとけって!」
「まあ正論ですわね。」
「正論!?どこが?我が水の部族の地が戒帝国に脅かされそうになっているのよ?
それを知りつつ何の行動にも移さないお父様の方がどうかしてるわ。
私はお父様とは違う。水の部族は私が救ってみせる。
アユラ、テトラ。分かったら私をここから出して頂戴。」
そうして3人は水呼城から出て四泉の港へやってきた。
「この間はここで8人組の怪しい連中を見かけたの。」
「特徴は?」
「白銀や緑の髪の男や面を被った変人がいたわ。」
「旅芸人なのでは?」
「違うわよ!私見たんだから。こそこそ町の中をうろついて調べてるふうだったわ。見るからに怪し…」
そう言った彼女がふと顔を上げると目の前に私達がいた。
彼女が探していた8人組とは言わずもがな私達の事なのだ。
私の傷は無事塞がり包帯も外してその日も麻薬について情報を集めていた。
「ほ…ほら!ほら見た?あいつらよ。怪しいでしょ!?」
「あらやだ、男前ねぇ。」
「は!?」
「アユラはどれがいい?私どれもおいしく頂けるー」
「ちょっと待って…テトラ。うーん…」
「何バカ言ってんの!?密売人かもしれないのよ。」
「いい男に善も悪もないのです~リリ様はやっぱり興味なし?」
「男は35越えてからよ。若僧なんてお呼びじゃないわ。」
そう言っている彼女自身はまだ17歳なのだが…
「男共も怪しいけど私が気になるのはアレよ。中心にいる2人の女。」
アユラとテトラは外套を被り仲間達に囲まれた私とヨナを見る。
「…普通の子じゃないです?」
「あの女達、先日の尾行中何度も私の視線に気付いたの。ただ者じゃないわ。」
「それは単にリリ様の尾行が下手だったのでは?だってほら、あの子じゃなくても…」
アユラが指さす方ではシンアとアオがじーっと彼女達を見ていた。
「見てますよ?」
「明らかに普通じゃない子が。」
「リスもめっさ見てますよ。」
シンアはヨナを突いて彼女達を指さす。
「ん?」
『あー、この前から私達を見てる可愛いお嬢さん?』
「知ってた…の?」
『気配だけはね。』
「ちょっと声を掛けてみましょうか。」
私達が気配の方へ歩き出すとリリは焦ったように言う。
「あら、こちらに来ます。」
「やだっ、ちょっと逃げ…逃げるわよ、アユラ!テトラ!」
「ヨナ…追う?」
「いいわ、シンア。」
『まぁ、放っておいても害はないと思います。』
するとそこにユンが駆け戻って来た。
彼にはある店に話をつけてもらっていたのだ。
「ヨナ、夜人が集まりそうな店に話つけておいたよ。」
「ありがとう。」
『このまま調べてても埒が明きませんからね…』
「でも…やっぱ危険だよ。ねぇ、ジェハ。」
「僕はもう何も言わないよ。でも命の危険があると判断したら君達が何を言っても抱いて逃げるから。」
「…気をつける。」
『それでは…始めましょう。』
同じ頃、私達から逃げたリリ達は離れた場所で息を整えていた。
「あ…危うく密売人の手に落ちるとこだった…
でも…私の冷静な判断により最悪の事態は免れたわ。
今日はこの辺にして戻った方がいい…かも。」
「…そうですね。リリ様はよく頑張りましたわ。」
「と、当然よ。」
「そうそう~」
「ジュンギ将軍の仰る通りお部屋でゆっくりされるのが一番ですよ。」
「今日は四泉(ここ)で宿をとって明日水呼に帰りましょ。」
夜が更け宿に入るとリリは父親であるジュンギに言われた事を考えていた。
水の部族の地が危険的状況でも彼が手を出さないのは南戒との貿易も重要で、商人が水の部族を支えていると言っても過言ではないからだ。
だがリリはだからといって南戒の商人が水の部族を好きにしていいわけではないと言い切って飛び出して来たのだ。
―私はお父様とは違う…―
ふと彼女が窓の外を見るとそこではジェハとゼノが客引きをしていた。多くの人々を店に招き入れていたのだ。
それを見つけてリリはアユラとテトラのいない間に外に飛び出した。
―あいつらここに入って行ったわね。ここで麻薬の密売が行われてるんじゃ…!?
麻薬密売の経路を突き止めればお父様だって動けるかも…少し覗くだけよ!―
彼女は怯えつつも店の扉を開いた。そこには酒を持った人々がたくさんいた。
―なんだただの酒場じゃない。あいつらはどこへ…?―
その時中央の舞台でヨナが胸元と腰から下を隠した状態で肩から赤い上着を羽織り扇を手に笠を被って華やかに舞い始めた。
―あの娘…!!踊り子!?やっぱり旅芸人だったの?
いや、まだわからないわ。正体を暴いてやる…―
彼女が見つけたヨナは麻薬中毒者を呼び寄せる餌だった。
麻薬というものは心の弱い者に取り憑く悪霊のようなもの。
その悪霊は元々人間が抱えている嫉妬や怨嗟を暴発し凶暴化させる。
特に今回のナダイはそういった凶暴性に長けているよう。
ヨナは幸せな踊り子となって暗い夜の街で華やかで幸せそうな人間を演じ、ナダイに取り憑かれた弱い人間の嫉妬や凶暴な感情を抉り出し、ナダイを使っているであろう者や持っている者を探すのである。
夜の酒場はそれに適している、大抵どこかに人間の暗い闇が潜んでいるものだから。
ジェハは笛を吹きヨナが舞い踊る為の旋律を奏で、ゼノはお手玉をしながら周囲に笑顔を振りまく。
ハク、キジャ、シンアは周囲に注意を払い、私は綺麗な衣を纏いお酌をしながら店を歩き回っていた。
―感じる…ここは千州の村で踊った時とは全然違う…負の感情が伝わってくる…―
―誰もが危うく思えてくる…そんな哀しい町だわ…―
その時ヨナは舞いながらリリとある男性を見つけた。
リリは歩いている時に男性にぶつかってしまったようだった。
「はっ、放して!私を誰だと思ってるの?やめてったら。」
「痛え…」
払われた手に痛みを感じた男は叫びながらリリを殴り飛ばした。
倒れたリリは自分の鼻から零れ床を汚す赤い物に目を丸くした。
―え…なにこれ…血…わたし…殴られ…どうして誰もこっちを見ないの?やだ…城に帰りたい…助けて…!!―
「ジェハ、あれ…!」
演奏していたジェハの背後からユンがリリを指さして、それによって演奏が止まった。
仲間達もぞくぞくとそこへ向かい、私も酒を置いて駆け出そうとした。
リリを殴った男はまだまだ拳を振るおうとしていた。
だが、彼の拳がリリに届く前にヨナの強烈な蹴りが飛んできて男を突き飛ばした。すっと着地したヨナはリリを見た。
「そこのあなた、大丈夫?立てる?」
「あ…」
足に力が入らず立ち上がれないリリをヨナは支えて歩き出した。
「手当てしましょ。」
「う…」
するとヨナが蹴り飛ばした男がふらっと立ち上がった。
「起きた…あの男あんた倒したんじゃないの…?」
「やっぱりそんなに効いてないか…」
「力無いのに飛び出して来たの?」
「ええ、あなたが鼻血出してたから。」
「なっ…鼻血なんて出してないわ。」
「あっ、駄目こすっちゃ。」
そうしているとヨナが背後から2人の男に捕まった。両手を掴まれ髪も引っ張られる。
「どうした踊り子、もっと踊れ。」
「もっともっと笑ってみせろ。」
「痛っ…」
ヨナの腕を掴む力は強くリリは怯えて後ずさるだけ。
「な…何…!?」
『皆、逃げろ!!』
「ぎゃああああああ」
麻薬中毒者が続々と現れ人々を襲っていく。それを私は爪を出して抑え込もうとするが、その前に私が捕まってしまった。
『っ…』
「女…まだ酒を飲み足りないぞ!」
「働け!!酒をつげ!!」
『邪魔をするな!離せ!!』
「五月蠅い!!」
羽交い絞めにされて動けずにいると男が私を殴ろうと酒瓶を振り上げた。
中毒者の力は強く身動きが取れなかった私は息を呑み目を硬く閉じることしかできない。
「リン!!」
その時ジェハが跳び出して来て華麗に私の背後の男達を蹴り飛ばしてくれた。
解放された私は支えを失ってその場に膝をつく。
『はぁはぁ…』
「大丈夫かい?」
『助かったわ…ありがとう。』
「間に合ったみたいでよかったよ…行こう。」
『うん!』
私達はヨナのもとへと走り出した。リリを襲おうとする男はゼノが飛びついて動きを止めたが、ヨナを解放するには敵が多すぎる。
―この人達、正気じゃない…やっぱりこの人達も薬に侵されて…!―
「放せ…頭を潰されたくなかったらな。」
「キジャ!」
「放せと言っている。」
「キジャ、落ち着いて。この人達は…」
「斬っていい?」
「駄目シンア!」
ヨナを掴む男達をキジャの大きな手とシンアの剣が襲おうとする。
そこに別の陰が駆けつけてヨナの両側にいる男達を襲った。それはハクの拳とジェハの蹴りだった。
そして2人の肩を両手で押して跳び上がった私はヨナの真後ろにいた男を力の限り蹴り飛ばしたのだ。
「客に飛び蹴りかました人が何言ってんスか。」
「全く。どんな教育受けたお姫様なんだい。」
『見事な蹴りでしたけどね。』
「ジェハの真似してみたの。」
「お前か、悪い見本は。」
「道理で美しい蹴りだ。」
ハクは自分の上着をヨナに着せて立ち上がり周囲を見た。
「ハク!ジェハ!リン!店で暴れてる人を止めて。」
「今の騒ぎで火がついちゃったみたいだね。」
「よーするにヤク切れだろ。」
『これはキリがなさそうね。』
「こいつら不死身か?」
「まさか。ナダイをやってる証拠さ。痛覚が麻痺してるんだ。」
「ナダイに関わってそうな人は捕まえて!話を聞く!」
ユンの指示に従って私、ハク、ジェハは戦闘態勢に入った。
互いに背中を預けるように円になって立つ。
「話が出来る状態ならいいけどな。」
「一般人だからむやみに傷つけないよーに。」
『ユン、あっちの怒りで我を忘れてる人はどうする?』
「キジャ~静まりたまえ~!!」
「傷つけないように…ね。難しい事を言ってくれる。」
『はぁ…』
「リン!私と一緒に来てちょうだい!!」
『…?』
「ここは僕達がどうにかするよ。」
「姫さんが呼んでんだ。行け。」
『わかった。』
私は急いでヨナに駆け寄り共にリリを探し出した。
「さっきの女の子の居場所ってわかる?」
『えぇ、もちろん。』
「連れて行って。」
『はい。』
私は周囲にいる中毒者を殴ったり蹴ったりしながら道を開きヨナと共に膝を抱えているリリに歩み寄った。
「大丈夫?」
「あ…」
『無理はせずにゆっくり息をして。』
「あ…う…」
「騒ぎは収まったわ。暴れてた人達もここにはいないから。」
『もう大丈夫です。』
私はそっと彼女の腕を引き強く抱き締めた。
すると甘い香りが彼女を包み込み安心したように彼女が声をを上げて泣いた。
ヨナはきっと彼女を安心させる為に私を呼んだのだろう。
店内の暴動が収まると仲間達がこちらへやってきた。
リリを託すと私とヨナは服を着替えていつもの服装で外套を羽織ると皆と合流し、河原に移動した。
石に座ってリリがユンから手当てを受けている間にハクはシンアやゼノと共に捕らえた中毒者を縄で縛っていた。
リリの近くには私、ヨナ、ユン、キジャ、ジェハがいる。
「ナダイのせいとはいえ女の子を殴るなんて万死に値するね。」
「…そなたがそれを言うか。」
「…」
『キジャ、それ以上つっこまないの。それにジェハは一々落ち込まないで。もう何てことないんだから。』
「…幸い鼻骨は折れてないし、これなら数日で腫れは引くよ。」
「良かった。」
リリは人前で泣いてしまった事を恥だと思い頭を抱えている。
―この連中…私を助けてくれたし手当ても…密売人ではないのかしら…―
『あなた名前は?』
「あなた私達をずっと見てたわよね?訳を聞かせてくれる?」
ばれていた事にビクッとしながらもリリは強がって言う。
「自分から名乗るのが礼儀ではなくて?
あんた達怪しいのよ!格好も変だし、町の中調べまわってるし。
踊り子やってると思ったら飛び蹴りするし!」
私達は一瞬きょとんとしてしまった。
「ヨナちゃん、君だろ。」
「えーっ、戒帝国の服着てるジェハだって。」
「やはりシンアの面だろうか。
いや、お酌した後普通に戦闘に顔を出したリンも…」
『キジャの手だって十分怪しいでしょ。』
「いや、気付け。全員怪しいんだっつの!」
ユンの言葉に私は肩を竦めた。ヨナは微笑むと自分の名を名乗った。
「私はヨナ、色々あってあちこち旅していてここで麻薬が横行してると聞いて調べていたの。」
「ヨナ…緋龍城の失踪した姫の名前ね。そういえばさっき誰かが姫様とか言ってたけど…」
まさか失踪した姫の事を知っているとは思わなかったヨナとキジャが息を呑む。
「そう!そうなんだ。ヨナ姫と同じ名前なの。」
『皆シャレで姫ってあだ名で呼んでるのよ。』
「ふぅん…そんな事だと思った。大それたあだ名つけるのね。
それにしても麻薬を調べてたって何の為に…」
「おい、暴れてた奴は縄で縛っといたがあれはかなりの中毒者だ。薬を欲しがってまだ暴れてる。」
ハク達が戻って来て合流した。私は悲しい顔をして彼の報告に耳を傾けていた。
「入手経路は?」
「数人は人伝で入手したらしいが残りは…おい、タレ目。」
呼ばれたジェハは岩に腰かけたままハクを見上げた。
「水麗って店…お前が薬飲まされたとこじゃないのか?
さっきの奴らもそこから買ってるんだとよ。」
「やっぱりその店に行くしかないよ、ジェハ。」
『ずっと店の場所教えてくれないんだもの…
危険なのはわかってるけど、行かない事には何も始まらないわ。』
「お前が黙っててもあいつらから聞き出せんだぞ。」
「…わかったよ。ただし踏み込む時は僕の指示に従ってもらう。」
「それでいいよ。じゃあ明日にでも乗り込もう。」
「いや、中にいる女の子達には危害を加えたくない。まずは潜入して様子を探る。」
ジェハらしい言葉に私はクスッと微笑むと彼の横に腰かけて寄り添った。
リリは私達の会話の意味がわからなかったようだ。
「えっ…何?何をするの?麻薬を調べてるって言ってたけど…」
「ナダイって麻薬を客に渡してる店があるの。その元凶を突き止めてやめさせるのよ。」
―やめさせるって…何言ってんのよ。あんな凶暴な人達がいっぱいいるかもしれない所に行くっていうの?
私は嫌…二度と嫌よ。あんな怖い思いをするのは!!―
思い出しただけで恐ろしくなって身体を縮めるリリを私とヨナは心配になって彼女の顔を覗き込んだ。私が離れた事でジェハは少し寂しそうだ。
「どうしたの?」
『傷でも痛む?』
―何よ…よく見たら別に何の変哲もない普通の子じゃない…
旅芸人とかしながら生活してるんならきっと田舎で育った娘ね…―
「あんた…この町の人間じゃないんでしょ。
四泉出身でもないのにどうしてわざわざ危ない事に首を突っ込むの?
強くもないのに飛び蹴りなんかしてよくわからない子ね。
そっちのお姉さんは強いみたいだけど…」
「そうね、強い飛び蹴りの練習をしておくわ。」
「誰もそこに練習量求めてないわよ。…あんた達もその店とやらに行くの?」
「えぇ。」
『もちろん。』
「言っとくけど姫さんとリンは明日の作戦不参加だからな。」
「『え―――っ!?』」
私達は同時に抗議の声を上げた。
「どうして?私も行く。」
『姫様はまだしも私は行ってもいいじゃない!』
「危険なんだよ。」
「ヨナちゃんもリンも今回は僕らに任せてお留守番してて。」
「そんな…皆が戦うのに…」
「大丈夫です、ユンとゼノは置いていきますから。」
「どうしてユンとゼノと私とリンは置いていかれるの?」
「…ヨナ、水麗って何の店かわかってる?」
ユンの問われた彼女は何となくわかっているもののあまり考えたくはないようだった。
『…男装したら騙せると思うんだけど。』
「リン、君って子は…」
「…でも作戦でしょ。遊びに行くわけじゃないんでしょ。」
「ないですけど、(そーゆー店に)姫さんがいるとやりづらいんです。」
「やりづらいって何が?」
「作戦に決まってんだろ。」
ジェハはハクの困ったような返答に大爆笑。
「何笑ってんだ、タレ目。とにかく行くのは俺とこいつとギリギリ白蛇……シンアは…無理か…」
「なぜ私はギリギリなのだ?」
『私も行く…』
「諦めが悪いな…」
「僕もリンがいるとやりにくいかな…」
むすっとする私の頭を抱き寄せて苦笑しながらジェハは言う。
「ヨナちゃん、リン。冗談ヌキで危険なんだ。
とっとと行って調べて来るから待ってて。」
私とヨナはしゅんとしながらも大人しく引き下がった。
そこに2人の女性、アユラとテトラが走ってやってきた。
「リリ様!もうっ、お捜ししたんですよ!?」
「アユラ!テトラ!」
「あら、リリ様ったら噂の殿方達と遊んでらしたの?」
「テトラ。」
「え?」
2人はリリの頬が殴られて腫れている事に気付き即座に戦闘態勢に入った。
「あらあらまあまあどの殿方ですの?
リリ様に怪我させたのは?3倍返しでよろしくて?」
「「「「「えーっ」」」」」
「違うわ、ちょっと騒ぎがあって…助けられたのよ…」
「まあ…」
リリの言葉を聞いて即アユラとテトラは頭を深々と下げた。
「これはとんだご無礼を。」
「リリ様がお世話に。」
「よかった、身内の人が来て。これで無事に帰れるわね。」
「一人でも帰れるわよ。」
『ん?』
「リリ様…?」
私とハクは互いを見て首を傾げていた。“リリ様”という呼び方に何かを感じたからだ。
するとアユラとテトラがこちらへ笑いながらやってきた。
「本当に男前ぞろ…い…」
ただ彼女らと私とハクが互いを見た瞬間、はっとした。
―どっかで…?―
―…どこで?―
「アユラ、テトラ。行くわよ。」
「はぁい。」
私達はそれぞれどこかで会った事があるような気がしつつ各々帰路についた。
ただリリは水呼に戻らず、もう少し四泉に残る事に決めたようだった。
観光地としても栄え、そこに住まう人々はたゆたう水の如く穏やかで争いを好まないという…
そんな水の部族領の港町、四泉に私達はやってきていた。
雨の中宿を探しているとどうにか泊まれそうな場所を見つけた。
「お泊りかい?」
「八名一泊で一番安い部屋ね。」
「…ふむ、空いてるよ。一人六百リンだ。」
「ありがとう。」
私達は部屋に入ると外を眺めた。
「緑豊かな水の部族の地…残念。楽しみにしてたのに雨で何も見えないなんて。」
「雨に濡れた水の地もなかなか風流で美しいじゃないか。」
『四泉…ここは水の部族領でも有数の港町ね。』
「うん。市場の後少し話を聞いたんだけど、水の部族領の沿岸部が近頃治安が悪いらしいんだ。」
「水の部族は温和な人柄だと聞いたわ。治安が悪い印象無いけど。」
「港町は余所者の出入りが多いからね。多少の揉め事はよくある事さ。」
「何にしろこの雨だ。しばらく動けないから休養を取ろう。」
『…ところで男共!』
「私とリンも濡れた服替えたいからちょっと出てって。」
『…ジェハもね。』
照れた様子のユンとキジャは慌てて部屋から出てシンアも後に続いた。
ハクはジェハの髪を掴んで連れ出してくれた。
私は溜息を吐きながら上着を脱ぐと近くに乾かして着替える。
ヨナも着替えて私の髪を手拭で拭き始めた。
『ちょっ…姫様!?』
「長くなってきたわね。」
『え、えぇ…姫様も。』
「少し濡れてるから拭いたら結い上げてあげる。」
『…ありがとうございます。』
彼女が私の髪を弄りたがっているようだった為、自由にさせてから私も彼女の髪を拭いた。
外ではハクとジェハが扉に背を預けて話していた。
その声も私に聞こえている事を2人は忘れているのだろうか。
「ハク、着替え手伝ってきたら?」
「冗談でもやったら鉄拳が飛ぶぞ。」
「へぇ、羨ましいな。ヨナちゃん、僕にはそういう事しないから…」
ジェハは自分の言葉に頭を抱えてしまった。
「どした?」
「…いや。」
―僕は子供か…―
「まぁ、お前の場合はリンの鉄拳が飛ぶだろ。」
「…そうだね。あ、ハクどうせこのまま動けないんだしちょっと外に出ない?」
「どこに?」
「花街♡水の部族といえば優雅で洗練された美女がいる事で有名なんだよ。
リンに勝る美女はいないだろうけど、せっかく来たのだから瑞々しい果実を堪能するのも大人のたしなみという…」
「行かね。」
「ハク…君がヨナちゃんに一途な愛を注いでるのはよーく知ってるけどガマンのしすぎは不健康だよ。」
「黙ってろ、その目もっとタレさせっぞ。」
ハクの拳がジェハの顔面にめり込んでいる。
「だいたい何で俺だよ。龍仲間がいるだろ。」
「彼らは何か違う!!分かるだろう!?」
「わかるけど。」
キジャ、シンア、ゼノはどう見ても純潔の塊だ。花街などに誘えるような相手ではない。
「ハクなら一緒に行っても楽しそうなのにな。」
「どこに行くの?」
『どうせしょうもない所でしょ。まぁ、全部聞こえてるんだけど。』
私とヨナが部屋から出るとハクとジェハは後ろを振り返った。
「女の子のいる店。」
『だと思った。』
「てめ…」
「…行ってらっしゃい。」
「行きませんよ。」
「そうなの?」
「じゃ僕は一人で散歩してくるよ。」
『もう…女好きは変わらないんだから。』
「そんな僕は嫌いかな?」
『…帰って来るって知ってるから何も言わないわ。』
「それじゃ行って来るね。」
彼が傘を片手に歩き出した時、私は呼び止めた。何故だか心がざわついたからだ。
『ジェハ!』
「ん?」
『気をつけてね。』
彼は甘く微笑むと雨の降る町へ出た。
―らしくない、何をモヤモヤしてんだか子供相手に…
こんな気持ちは所詮龍の血によるニセモノなのに。
僕にはリンがいる…他には何も求めないよ…―
その時彼は町の様子がおかしい事に気付いた。
―なんだ…?雨と夕闇のせいで気付かなかったけど、この町…何かおかしい…―
彼が気付くのと同時に私も窓際で頬杖をついて何かを感じていた。
『変な感じ…』
「どうした。タレ目が恋しいのか?」
『…それもあるけど。この町…居心地が悪いというか、少しだけ阿波の町が廃れていた頃と同じ気配がするの。』
「…とりあえずアイツを待ってから考えようぜ。」
『うん…』
―何もなければいいんだけど…―
ジェハは橋を渡っていると近くの建物から2人の女性に手招きされた。
「お兄さん、そこ濡れるでしょう。寄っていかない?」
彼は招かれるがまま建物に入り甘い香りの香の焚かれた部屋に入った。
そこで縦笛を華麗に奏で、女性達は惚ける。
「素敵。お兄さん、旅の人?」
「どこから来たの?」
「内緒。…甘い香りの香だね。」
―まるで媚薬のようなリンの香りに似てる…―
「この四泉で流行の香よ。疲れをとる効果があるの。」
「へぇ…」
その時ジェハは女性の指が黒くなっているのを見つけた。
彼は無言でその手を引き寄せるとやすりとクリームで手入れした。
「ああ、この子の爪ボロボロでみっともないでしょう。」
「…いや、彼女の手に触れてみたかっただけだよ。」
そうしていると唐突に誰かの悲鳴のようなものを聞いた。
「うああ…」
「今…何か聞こえたけど。」
「ああ、他の部屋のお客さん。酔って暴れてるのかしら。」
ジェハが席を立ち様子を見に行こうとすると女性に手を掴まれ止まらざるを得なくなった。
「大丈夫、いつものこと…」
―先刻(さっき)から誰かが僕を監視している…いや僕だけじゃない、この娘達も…―
「それよりお兄さん…この豊かな水の地で造られた美酒はいかが?」
ジェハは座らされ持ったお猪口にさっき手を手入れしてやった女性から酒を受け取った。
彼女の手は小さく震えている。彼はそれを見て何かを理解したようだった。
―ギガン船長…ここはひょっとしたら阿波よりも深い闇の中に在るのかもしれないよ…―
彼が酒を煽ろうとすると女性の一人が必死にそれを止めてお猪口を奪った。
「だめ…っ」
「アリン!何するの…!」
だがジェハは震えながら酒を飲もうとする女性からお猪口をそっと取ると微笑んだ。
「大丈夫。」
「あ…」
飲み終えたジェハは何事もなかったかのようにお代を置いて窓から外に出た。
「…ごちそうさま。水の部族の酒は格別だね。ありがとう。」
『…ジェハ?』
「お嬢、どうしたんだ~?」
『ジェハの様子がおかしい!行かないと!!』
「おいっ、リン!!」
ハクが止めるのも待たずに私は上着を羽織ると外套のフードを被りながら窓から外へ飛び出してジェハの気配を追いかけ始めた。
後ろからは仲間達も追いかけて来ているのがわかる。
「…くっ、やっぱ…麻薬の類だったのか…」
ジェハは路地裏に逃げ込むと火照る身体の所為で息を上げていた。
―彼女達も中毒者だ。あの店ああやって客に麻薬をばら蒔いてるんだな…いや、恐らくこの町全てが…―
そこに追っ手が来てジェハは地面を強く蹴った。
―跳んで逃げれば楽勝…!―
ただ跳び上がった瞬間、世界が全て歪んで見えた。
―な…地面が空間が捻じれて身体が頭…が…割れそう、だ…―
「う…あ…あぁああああああ!!」
彼はそのまま地面へと落ちて倒れてしまった。
私は彼の声を聞いてそちらへ駆け出していた。
倒れたジェハの脳裏には懐かしい声が響く。
「ジェハ、まだ里から出ようなんて言ってんのかよ。」
「当たり前だろ、先代様。僕は絶対ここから出てみせるよ。」
「逃げてやる。龍の掟なんて宿命(さだめ)なんて知るものか。」
「なんだいお前は空から降って来て。
何でもするから置いてくれだって?バカな鼻タレだね。」
―え…何コレ、走馬灯?やだな、僕はまだバリバリ生きるつもりだよ…
自分で薬呷って跳び損ねて死ぬとか阿呆すぎ…早く…帰らないと…―
そこで彼ははっと気付いた。
―なんだ、僕はもうすっかりあの場所が“家”なんだな…―
そんな彼の脳裏に涙を流す私の顔が浮かんだ。
―泣かないで、リン…君を独りにするわけにはいかないね…
帰らなきゃ…君の隣へ…会いたいよ、リン…―
『ジェハ!!!』
―幻聴まで…いや、幻覚か…君がいる気がする…―
『ジェハ!!しっかりして!!』
それは幻覚なんかではなく私自身が彼を抱き上げて顔にくっついた前髪を撫でていたからだ。
「リン…っ…」
「ジェハ!」
「大丈夫?リンがジェハの気配(様子)がおかしいって言って飛び出して行ったから…」
『寒いよね…早く帰ろう…?』
私は彼を強く抱き締めた。彼は弱々しく私の服を掴む。
―寒さが…薄れていく…
ああどうしようか…この想いが龍の血による洗脳であっても僕はどうしようもないくらいヨナちゃん…君のそばにいたいんだ…―
キジャがジェハを抱えて宿に戻り部屋に寝かせ、ハクが彼の腹部を殴る事で飲まされた物を吐き出させた。私は涙を流しながらそれを見守った。
「つらかったら部屋から出てろ。」
『ううん。目を逸らしたらダメだと思うから…ジェハをこんなに苦しめるんだもの。』
ジェハは荒い息のまま痛みに耐えている。
―痛い痛い!全身の骨が砕けそうだ!!―
痛みに耐える為に床を叩いては拳が白くなるまで握る。それは見ているこちらが苦しくなるほど。
部屋には私とハク以外誰も入れるつもりはなかった。
「あああああぁあああ!!うあぁあ…ぐっ…」
私を残してハクは心配そうな仲間のもとに顔を出した。
「ハク…ジェハは?大丈夫なの!?」
「暴れてる。おそらく麻薬を飲まされたんだ。」
「俺が診るよ。中に入れて。」
「ハク、私も…」
『来ないで下さい。』
「リン…」
『今のジェハは危険です。』
私は膝を抱えてジェハを見守りながら涙を流して、それでもヨナやユンを危険に巻き込みたくなくて強くきっぱりと室内から外に聞こえるように言った。
ハクはヨナ達に一言残すと部屋に戻って来た。
「俺がいいっつーまで外で待ってろ。こいつもこんな姿誰にも見られたくねェだろうよ。」
「あぁあああ…があ…っ!!ぐぅあああああ!!」
『ジェハ…ごめん…ごめんね…』
「…どうしてお前が謝るんだよ。」
『ちゃんと止めておけば…行かないでって言っておけば麻薬なんて…』
「リンは悪くねェだろ。」
ハクは私の頭に手を乗せて呟いてくれる。私の目からは涙が止めどなく零れていた。
それから暫くして彼の呻き声が治まった。
『ジェ…ハ…?』
「静かになったな。」
私は這うようにしてジェハに近付いた。
『ジェハ?』
「くっ…ぐあぁああああ!!」
『っ!!』
気付いた時にはもう遅く私は暴れる彼に頬を殴り飛ばされて背中を壁にぶつけていた。
「リン!!」
『だ、大丈夫…油断した…』
「頭ぶつけてねぇか?」
『平気…』
「「リン!!」」
『なんでもありません!』
外でハクの声を聞いたヨナとユンが私を呼ぶが私は彼らを制止した。
「リン、お前…」
『今の事、誰にも言わないで…ジェハが自分を責めてしまうから…お願い、ハク。』
「…わーったよ。」
そう言いながらもハクは気づいてしまった、私の頭から首筋に掛けて血が伝っていた事に。
「…俺からは何も言わねぇ。」
それから少し時間を置いてから私はジェハに歩み寄った。
彼はもう落ち着いたらしく静かに寝息をたてていた。
私は彼に近付いて強く抱き締めた。また暴れてしまいそうな彼を私は無理矢理抱き締めていた。
「ぐっ…あぁあああ!!」
『ジェハ…もういいんだよ…帰って来て…っ』
「うっ…リン…」
彼はクタッと疲れたように私にもたれかかって眠った。
ハクはジェハが眠った事を確認すると外に出た。
私はジェハを抱き締めたまま意識を失いその場に倒れてしまう。
ヨナ達が入って来た頃、先に部屋に戻ったハクによって私とジェハは抱き合ったまま布団に寝かされていた。
「大丈夫なの…?」
「もう落ち着きましたよ。」
「よかった…」
「リンの目が赤くなってる…」
「泣いていたのだろう…愛する者が苦しんでいるのに何もできないのは無力だからな。」
「リン…」
ヨナは寂しそうに私の名前を呼びながら私の髪を撫でるとそのまま寄り添うようにして眠ってしまった。
他の皆も壁にもたれて座ったりして眠っている。
ハクは見張りを兼ねて大刀を抱いて壁際に座る。
そうしているうちに夜が明けて太陽の光が射し込んだ。
最初に目を覚ましたのはジェハだった。
彼は自分に抱き着いて眠る私を見て赤くなった目元を撫でながら抱き締め返し、隣にいるヨナをそっと見つめた。
そこに黒い影が歩み寄って来る。
「…そんなに恐い顔しなくてもヨナちゃんを取って食いはしないよ。」
「ばーか、誰もんな心配してねーよ。
てめえにしては軽率だったんじゃねェの?
遊郭行ってヤバいモン飲まされるなんてよ。」
ハクに大刀の柄でぐりぐりと頬を弄られながらもジェハは寝転がったまま答えた。
「飲まされたんじゃない。飲んだんだ。」
「…理由(ワケ)ありでも駄目だ。」
「…ごめん。」
『馬鹿…』
「リン…起きていたのかい?」
『…心配かけるなんて、この馬鹿者。』
「うん、ごめん…」
私が潤んだ瞳で睨みつけると彼は困ったように笑って私の頬を撫でた。
その時首元にある血の痕と髪を撫でた手についた血を見て目を丸くした。
「これは…」
『あ…』
「リン…この傷は…」
『意識が遠のいたのはこの所為だったのね…』
「もしかして…僕が君の頬を殴って怪我を…?」
『…』
「…大切な子を自分の手で傷つけるなんてね。」
『ジェハは悪くないわ。わざと麻薬を飲んだとしても私に手を上げてしまったのは麻薬の所為だもの。
お願いジェハ、自分を責めないで?』
「僕は僕を許せないよ…」
『愛する人を少しでも早く苦痛から解放してあげたくてむやみに近付いた私の失態よ。でも…あなたが無事でよかった…』
「リン…本当にごめん…」
『…おかえりなさい、ジェハ。』
「うん。」
私は身を起こして一筋だけ涙を流しながら彼の頭を胸に抱いた。
ハクはそんな私達の様子を何も言わずに見守っている。
その時ヨナがふと目を覚ました。
「ジェハ!気がついた!?」
「身体大丈夫!?」
「ああ、平気…」
私が身を離すと彼は笑って身体を起こそうとする。
だが彼の床についた手がカタカタと震えているのを見て私とハクはジェハを布団へと戻した。
ハクはジェハの顔を押し、私は彼に抱き着くようにして押し倒した。
「寝てろ。」
『まだ回復したわけじゃないんだから。』
「そうだ、寝ていろ!」
「寝てなさいっ」
「君らもねー…」
「飲んだもの吐かせようとしたんだけど…」
「ああ、俺がみぞおちに拳をドスッと。」
「道理でさっきから骨が砕けそうに痛いわけだよ…」
『最初はキジャがやろうとしたのよ?』
「さすがに死ぬだろって俺が代わりに。」
「いや、ハクでも死ぬから。ふつうは死ぬから。死因は薬じゃなくて撲殺だから。」
「強い麻薬ならこの後も症状が出るかもしれない。」
「大丈夫、麻薬は馴れてる。」
『馴れてる…?』
「あ、いや…うそうそ。」
ジェハは実際阿波で危険に巻き込まれたり首を突っ込んでいた為、麻薬関連の事柄に馴れているというのは嘘ではないだろう。
「…僕よりリンの手当てをしてあげて。」
「「「え…?」」」
「お嬢、頭から血流してるからー」
「リン、そういう事は早く言いなよね!!」
『ご、ごめん…』
「でもどうしてそんな怪我を…?」
「僕が殴ったんだよ。」
「「「っ!!?」」」
「麻薬で暴れてる時にリンの事を殴ってしまったみたいでね…」
「それで受け身を取れなかったリンは壁にぶつかったんだ。
リンにはタレ目に言うなって言われてたけどよ、怪我してんだからバレるわな。」
『…あの時はそれどころじゃなかったから自分の怪我にもさっき気付いたんだけどね。』
「はぁ…リンの手当てをするのは絶対で…なんか危ないよね、ジェハは…」
「えっ」
「アブナイアブナイ。」
「外に出さぬ方が良いな。」
「えっ…」
「二度と阿呆をしないように躾が必要だな。」
「え…」
『まずはお仕置きじゃない?』
「え♡」
「縛っとく?」
「え…っ♡」
「とにかく今日は寝ておいてもらいましょ。」
「もっかい気絶させるか?」
「麻酔針もあるよ。」
『それがいいかもしれないわね。』
「ちょ、ま…さすがに今の体力でそれは…」
『大人しくしててね、ジェハ♡』
私は彼に覆い被さるように身体を傾けて深いキスを贈り、その間にユンがジェハの腕に麻酔針を刺した。
私の下でジェハの力が抜けていき、私は身体を離すと彼をそっと寝かせた。
「リンはこっちに来て。」
「俺達はこの馬鹿を縄で縛っておく。」
「うん、よろしく。」
私はユンに手当てをされて血を拭われた。
包帯を頭に巻いて夜には外しても問題ないと彼に告げられた。
『ありがとう、ユン。』
「…本当に気をつけてよね。」
『うん。』
「って言ってもリンは無茶するんだろうけど。」
『ごめん、身体が勝手に動いちゃうのよ。どうしても大切な物を失いたくないから。』
するとユンがずいっと顔を私に寄せて言った。
「リンだって俺達にとって大切なんだから!!」
『ユン…』
「…その事忘れないでよね。」
彼は照れたように皆のもとへ戻っていく。私は彼の背中を見て微笑んだ。
『…ありがとう。』
シンアをジェハの見張りとして残し、私達は町に出た。
まずはジェハが昨夜倒れていた場所へ向かった。
『この辺りね…』
そう言った途端、私とヨナは同時に振り返った。
「どうしたの?」
「何か…誰かに見られてるような…」
『えぇ…コソコソしている気配がしますね。』
「えっ…」
『害はないでしょう。』
「娘さん、あっちで何かあったみたい。」
ゼノの言葉に私達は揃って近くの川へと歩き出した。
そこには死体が浮いていたが、人々は慌てる様子もなく死体処理を始めた。
『今の人…爪が変色して歯が抜け落ちてたわ。』
「溺れただけであんな風になるかな…?」
「この町の連中も変だぞ。人が死んでるってのに誰も驚いた様子がねェし、顔色一つ変えねェ。」
「うあぁあああ!!」
すると路地の辺りから叫び声が聞こえて来た。その声は昨夜のジェハの物と重なる。
「どうした!?落ち着け。」
「うあっ!くるなぁあああ!!」
その声を上げている男はキジャを狂ったように拒絶した。
「ビビらせんなよ、白蛇。」
「私のせい!?」
「キジャのせいじゃないよ。この人正気じゃない。」
『…昨日のジェハと同じだわ。』
「この町…どうなっているの…?」
「あんたら…旅の人かい?」
そうしていると商人らしい男性が私達に声を掛けてきた。
「この町には長居しない方がいい。早く出て行くことだ。」
「あの…この町はどうしたの?」
「さっきの奴を見ただろう?」
『あの人…麻薬中毒者ね?』
「薬で壊れた人間も死体もこの町では珍しくないのさ。」
「治安が悪いとは聞いてたけど、まさか麻薬が横行してるなんて。」
「四泉(ここ)はまだマシだ。水の部族の沿岸部ではもっと酷い所もある。」
「えっ、ここよりも?」
「どうして沿岸部ばかり…」
「沿岸部だからさ。戒帝国…正しくは南戒の商人が水の部族の港町に“ナダイ”という麻薬を持ち込んだんだ。」
「南戒が!?」
「ナダイ…聞いた事ない麻薬だ。」
「高華国では流通してない麻薬だ。だから最初はこれの凶暴性に気付かなかった。」
少しずつ私の顔が険しくなり握った拳がギリギリと音を立てながら怒りに震えた。
ハクがすっとその手を大きな手で包み込んでくれる。それだけで少しほっとして拳を握る力を緩めた。
「飲んだすぐは快感を覚え痛覚がマヒするらしいが、徐々に幻覚を見たり全身が砕ける様な痛みにより凶暴化するんだ。」
『対処法は?仲間が巻き込まれたの。』
「何だって!?対処法はすぐに吐かせるか強い禁断症状に耐えるしかない。」
―もうちょっと強く腹殴っとけば良かったかな…―
ハクはひっそりとそんな事を思った。
「一度ナダイに溺れた人間はどんな法外な値段でも手に入れようとするだろう。
南戒の商人はそいつらをカモに次々とナダイを広めていく。
気付けば四泉の人間の幾人かは取り返しのつかない状態になっていたんだ。」
「おじさんは薬を飲んでいないみたいだけど逃げないの?」
「俺ァ生まれた時からここで商売をしている。
どんなになっても故郷だ。そう簡単には捨てられねぇ。
もっとも南戒の奴らが幅を利かせてて商売もボロボロだがな。」
『…気をつけて。』
「ありがとよ。」
男性と話している頃、ジェハも宿で目を覚ましていた。
「本当に眠らされてた。ヨナちゃん達は…!?」
彼が顔を上げると目の前にはちょこんと座ったシンアがいた。
「シ…シンア君、皆は?」
「外…」
「君は何してるの?」
「留守番…と見張り…禁断症状で暴れても見守れって…」
「この狭い部屋で君に見守られてる方が暴れそうだよ。ヨナちゃん達、いつ帰ってくるの?」
「わからない…昨日ジェハが行った店調べるって。」
その瞬間、ジェハは暗器を袖口から取り出して縄を切り立ち上がった。
「あ…」
「シンア君、退くんだ。」
そこから追いかけっこが始まり、ジェハはシンアの隙をついて窓から外に飛び出した。
ただ龍の脚を持たないシンアは窓を出てすぐに転がり落ちてしまう。
「えっ…わーっ、シンア君っ!!」
倒れたシンアにジェハは咄嗟に駆け寄った。
「シンア君、大丈夫!?
君の能力目だけなんだから、飛び降りちゃ駄目でしょ…
まったく君らは皆揃って世話がやける…」
そのときシンアの目が光り強くジェハの脚を掴んだのだった。
「えっ…ちょ…シンア君、ひきょう…」
そこからも追いかけっこは続き、ジェハは腰にシンアをくっつけたまま私達のもとまでやってきた。
私達は商人の男性を見送って話し合っていた。
「穏やかで美しいはずの水の部族の地がこの様な病に蝕まれていたとは。」
「もう少し調べましょ。」
その時私とヨナの肩に背後から誰かが手を乗せた。
『ジェハ!』
「と、シンア…」
「しんどい鬼ごっこだった…」
「ヨナ、ごめん…」
ジェハの跳躍力とシンアの動体視力の壮絶な戦いが繰り広げられていたようだった。
「ジェハ、動いちゃダメよ。」
「君こそどうしてじっとしてないんだ。」
とりあえずシンアをジェハの腰から離れさせ私とヨナはジェハと向き合った。
「この町の事情に首を突っ込むのはやめるんだ。危険すぎる。」
『ジェハ…』
「四泉(ここ)に巣食う闇は阿波よりも厄介で根深い。
早くこの町を出た方がいい。下手に関わると死ぬぞ。」
彼の言葉を受けても私は真剣な眼差しを彼に向けるだけだし、ヨナも首を静かに横に振った。
するとジェハはぐっと拳を握って大きな声で叫んだのだ。
「言う事を聞け!!」
珍しく彼が声を荒げた事にその場の全員が目を丸くした。
「…今私が危険を回避してもそれはいずれ国の危険となるわ。」
『四泉だけじゃない。高華国沿岸部…ギガン船長達の居る阿波も危険に晒されるかもしれないじゃない。』
「退けないわ。民の苦難と闘うために私は旅をしているのだから。」
『それにね、ジェハ…あなたを苦しめた麻薬(ナダイ)を私は絶対許さない。』
私とヨナの真剣な眼差しにジェハは溜息を吐いた。
「…ずるいじゃないか、そんな言い方。」
『ジェハ…』
「わかったよ。」
―嫌という程知ってるはずだ、彼女が…彼女達が止まらないことは…―
「珍しいじゃねーか、声を荒げるなんて。」
「…不覚だよ。」
ジェハの隣に並んだハクが静かに言った。
―必死になったり誰かの進む道を止めようとしたり…―
「彼女達といるとらしくない事ばかりしてしまうな。ホント困る…」
「ま、俺は昨夜(夕べ)からお前の珍しいとこばっか見たからそれ以上はねーよ。」
「…ハクは意地悪だね。」
私はそっとジェハの手を握った。
『ジェハ…』
「危険に巻き込みたくはないんだよ…それだけは覚えていて。」
『それは私も同じよ。でも…大切な人を苦しめられて黙っていられる程私は大人じゃないから。』
「リン…」
その時私とヨナは同時に後ろを振り返った。
「どうしました、姫様?」
「…何でもない。」
「リン、どうかしたのかい?」
『…ううん。』
私とヨナは顔を見合わせて同じ事を思った。
―やはり…―
―視線を感じるなぁ…―
私達をコソコソと見ていたヨナとあまり歳の変わらない少女は水呼城へ戻っていた。
黒い髪を揺らして颯爽と歩いて見せるのはリリと呼ばれる少女。彼女の向かう先には2人の女性がいた。
「お帰りなさいませ、リリ様。」
「どうでした、四泉は?」
「勿論余裕よ、薬中の町なんて恐くないもの。」
「あら、涙目。」
「可哀想。」
「お黙りっ、これは汗よ!アユラとテトラがいなくてもちゃんと成果を上げてきたわ。」
「さすがリリ様。」
「8人組の怪しい連中を見かけたの。
緑の髪の男は戒帝国の服を着てた。きっと南戒の密売人に違いないわ。」
「あら、ジュンギ将軍に報告しなくては。」
「お父様なんて信用出来ない。あいつらは私が調べ上げてやる。」
こうして私達の知らないところで水の部族の少女…部族長の娘リリも活動を開始していた。
ジェハが麻薬に倒れて数日後、リリは部屋で自分の付き人を呼んだ。
「アユラ!テトラ!いる?」
「お呼びで、リリ様?」
「はぁい。」
「わあっ!?」
すると黒い髪を背中でひとつにまとめたアユラは仕掛けのある壁をくるっと回して姿を現し、色素の薄い髪のテトラは寝台にのんびり横になっていた。
「アユラ!どこから出て来るのよ。また私の部屋に細工したわね!?
そしてテトラ!いつからいたの!?」
「そろそろお呼びがかかると思って。」
「先刻から忍んでおきました。」
「…じゃあ、話は早いわ。ここから出て四泉に行くわよ。」
「リリ様、ジュンギ将軍から止められましたでしょ。」
「そうよ。四泉に妙な連中がいるって言ったら部屋から出るなって閉じ込められたの!大人しくしとけって!」
「まあ正論ですわね。」
「正論!?どこが?我が水の部族の地が戒帝国に脅かされそうになっているのよ?
それを知りつつ何の行動にも移さないお父様の方がどうかしてるわ。
私はお父様とは違う。水の部族は私が救ってみせる。
アユラ、テトラ。分かったら私をここから出して頂戴。」
そうして3人は水呼城から出て四泉の港へやってきた。
「この間はここで8人組の怪しい連中を見かけたの。」
「特徴は?」
「白銀や緑の髪の男や面を被った変人がいたわ。」
「旅芸人なのでは?」
「違うわよ!私見たんだから。こそこそ町の中をうろついて調べてるふうだったわ。見るからに怪し…」
そう言った彼女がふと顔を上げると目の前に私達がいた。
彼女が探していた8人組とは言わずもがな私達の事なのだ。
私の傷は無事塞がり包帯も外してその日も麻薬について情報を集めていた。
「ほ…ほら!ほら見た?あいつらよ。怪しいでしょ!?」
「あらやだ、男前ねぇ。」
「は!?」
「アユラはどれがいい?私どれもおいしく頂けるー」
「ちょっと待って…テトラ。うーん…」
「何バカ言ってんの!?密売人かもしれないのよ。」
「いい男に善も悪もないのです~リリ様はやっぱり興味なし?」
「男は35越えてからよ。若僧なんてお呼びじゃないわ。」
そう言っている彼女自身はまだ17歳なのだが…
「男共も怪しいけど私が気になるのはアレよ。中心にいる2人の女。」
アユラとテトラは外套を被り仲間達に囲まれた私とヨナを見る。
「…普通の子じゃないです?」
「あの女達、先日の尾行中何度も私の視線に気付いたの。ただ者じゃないわ。」
「それは単にリリ様の尾行が下手だったのでは?だってほら、あの子じゃなくても…」
アユラが指さす方ではシンアとアオがじーっと彼女達を見ていた。
「見てますよ?」
「明らかに普通じゃない子が。」
「リスもめっさ見てますよ。」
シンアはヨナを突いて彼女達を指さす。
「ん?」
『あー、この前から私達を見てる可愛いお嬢さん?』
「知ってた…の?」
『気配だけはね。』
「ちょっと声を掛けてみましょうか。」
私達が気配の方へ歩き出すとリリは焦ったように言う。
「あら、こちらに来ます。」
「やだっ、ちょっと逃げ…逃げるわよ、アユラ!テトラ!」
「ヨナ…追う?」
「いいわ、シンア。」
『まぁ、放っておいても害はないと思います。』
するとそこにユンが駆け戻って来た。
彼にはある店に話をつけてもらっていたのだ。
「ヨナ、夜人が集まりそうな店に話つけておいたよ。」
「ありがとう。」
『このまま調べてても埒が明きませんからね…』
「でも…やっぱ危険だよ。ねぇ、ジェハ。」
「僕はもう何も言わないよ。でも命の危険があると判断したら君達が何を言っても抱いて逃げるから。」
「…気をつける。」
『それでは…始めましょう。』
同じ頃、私達から逃げたリリ達は離れた場所で息を整えていた。
「あ…危うく密売人の手に落ちるとこだった…
でも…私の冷静な判断により最悪の事態は免れたわ。
今日はこの辺にして戻った方がいい…かも。」
「…そうですね。リリ様はよく頑張りましたわ。」
「と、当然よ。」
「そうそう~」
「ジュンギ将軍の仰る通りお部屋でゆっくりされるのが一番ですよ。」
「今日は四泉(ここ)で宿をとって明日水呼に帰りましょ。」
夜が更け宿に入るとリリは父親であるジュンギに言われた事を考えていた。
水の部族の地が危険的状況でも彼が手を出さないのは南戒との貿易も重要で、商人が水の部族を支えていると言っても過言ではないからだ。
だがリリはだからといって南戒の商人が水の部族を好きにしていいわけではないと言い切って飛び出して来たのだ。
―私はお父様とは違う…―
ふと彼女が窓の外を見るとそこではジェハとゼノが客引きをしていた。多くの人々を店に招き入れていたのだ。
それを見つけてリリはアユラとテトラのいない間に外に飛び出した。
―あいつらここに入って行ったわね。ここで麻薬の密売が行われてるんじゃ…!?
麻薬密売の経路を突き止めればお父様だって動けるかも…少し覗くだけよ!―
彼女は怯えつつも店の扉を開いた。そこには酒を持った人々がたくさんいた。
―なんだただの酒場じゃない。あいつらはどこへ…?―
その時中央の舞台でヨナが胸元と腰から下を隠した状態で肩から赤い上着を羽織り扇を手に笠を被って華やかに舞い始めた。
―あの娘…!!踊り子!?やっぱり旅芸人だったの?
いや、まだわからないわ。正体を暴いてやる…―
彼女が見つけたヨナは麻薬中毒者を呼び寄せる餌だった。
麻薬というものは心の弱い者に取り憑く悪霊のようなもの。
その悪霊は元々人間が抱えている嫉妬や怨嗟を暴発し凶暴化させる。
特に今回のナダイはそういった凶暴性に長けているよう。
ヨナは幸せな踊り子となって暗い夜の街で華やかで幸せそうな人間を演じ、ナダイに取り憑かれた弱い人間の嫉妬や凶暴な感情を抉り出し、ナダイを使っているであろう者や持っている者を探すのである。
夜の酒場はそれに適している、大抵どこかに人間の暗い闇が潜んでいるものだから。
ジェハは笛を吹きヨナが舞い踊る為の旋律を奏で、ゼノはお手玉をしながら周囲に笑顔を振りまく。
ハク、キジャ、シンアは周囲に注意を払い、私は綺麗な衣を纏いお酌をしながら店を歩き回っていた。
―感じる…ここは千州の村で踊った時とは全然違う…負の感情が伝わってくる…―
―誰もが危うく思えてくる…そんな哀しい町だわ…―
その時ヨナは舞いながらリリとある男性を見つけた。
リリは歩いている時に男性にぶつかってしまったようだった。
「はっ、放して!私を誰だと思ってるの?やめてったら。」
「痛え…」
払われた手に痛みを感じた男は叫びながらリリを殴り飛ばした。
倒れたリリは自分の鼻から零れ床を汚す赤い物に目を丸くした。
―え…なにこれ…血…わたし…殴られ…どうして誰もこっちを見ないの?やだ…城に帰りたい…助けて…!!―
「ジェハ、あれ…!」
演奏していたジェハの背後からユンがリリを指さして、それによって演奏が止まった。
仲間達もぞくぞくとそこへ向かい、私も酒を置いて駆け出そうとした。
リリを殴った男はまだまだ拳を振るおうとしていた。
だが、彼の拳がリリに届く前にヨナの強烈な蹴りが飛んできて男を突き飛ばした。すっと着地したヨナはリリを見た。
「そこのあなた、大丈夫?立てる?」
「あ…」
足に力が入らず立ち上がれないリリをヨナは支えて歩き出した。
「手当てしましょ。」
「う…」
するとヨナが蹴り飛ばした男がふらっと立ち上がった。
「起きた…あの男あんた倒したんじゃないの…?」
「やっぱりそんなに効いてないか…」
「力無いのに飛び出して来たの?」
「ええ、あなたが鼻血出してたから。」
「なっ…鼻血なんて出してないわ。」
「あっ、駄目こすっちゃ。」
そうしているとヨナが背後から2人の男に捕まった。両手を掴まれ髪も引っ張られる。
「どうした踊り子、もっと踊れ。」
「もっともっと笑ってみせろ。」
「痛っ…」
ヨナの腕を掴む力は強くリリは怯えて後ずさるだけ。
「な…何…!?」
『皆、逃げろ!!』
「ぎゃああああああ」
麻薬中毒者が続々と現れ人々を襲っていく。それを私は爪を出して抑え込もうとするが、その前に私が捕まってしまった。
『っ…』
「女…まだ酒を飲み足りないぞ!」
「働け!!酒をつげ!!」
『邪魔をするな!離せ!!』
「五月蠅い!!」
羽交い絞めにされて動けずにいると男が私を殴ろうと酒瓶を振り上げた。
中毒者の力は強く身動きが取れなかった私は息を呑み目を硬く閉じることしかできない。
「リン!!」
その時ジェハが跳び出して来て華麗に私の背後の男達を蹴り飛ばしてくれた。
解放された私は支えを失ってその場に膝をつく。
『はぁはぁ…』
「大丈夫かい?」
『助かったわ…ありがとう。』
「間に合ったみたいでよかったよ…行こう。」
『うん!』
私達はヨナのもとへと走り出した。リリを襲おうとする男はゼノが飛びついて動きを止めたが、ヨナを解放するには敵が多すぎる。
―この人達、正気じゃない…やっぱりこの人達も薬に侵されて…!―
「放せ…頭を潰されたくなかったらな。」
「キジャ!」
「放せと言っている。」
「キジャ、落ち着いて。この人達は…」
「斬っていい?」
「駄目シンア!」
ヨナを掴む男達をキジャの大きな手とシンアの剣が襲おうとする。
そこに別の陰が駆けつけてヨナの両側にいる男達を襲った。それはハクの拳とジェハの蹴りだった。
そして2人の肩を両手で押して跳び上がった私はヨナの真後ろにいた男を力の限り蹴り飛ばしたのだ。
「客に飛び蹴りかました人が何言ってんスか。」
「全く。どんな教育受けたお姫様なんだい。」
『見事な蹴りでしたけどね。』
「ジェハの真似してみたの。」
「お前か、悪い見本は。」
「道理で美しい蹴りだ。」
ハクは自分の上着をヨナに着せて立ち上がり周囲を見た。
「ハク!ジェハ!リン!店で暴れてる人を止めて。」
「今の騒ぎで火がついちゃったみたいだね。」
「よーするにヤク切れだろ。」
『これはキリがなさそうね。』
「こいつら不死身か?」
「まさか。ナダイをやってる証拠さ。痛覚が麻痺してるんだ。」
「ナダイに関わってそうな人は捕まえて!話を聞く!」
ユンの指示に従って私、ハク、ジェハは戦闘態勢に入った。
互いに背中を預けるように円になって立つ。
「話が出来る状態ならいいけどな。」
「一般人だからむやみに傷つけないよーに。」
『ユン、あっちの怒りで我を忘れてる人はどうする?』
「キジャ~静まりたまえ~!!」
「傷つけないように…ね。難しい事を言ってくれる。」
『はぁ…』
「リン!私と一緒に来てちょうだい!!」
『…?』
「ここは僕達がどうにかするよ。」
「姫さんが呼んでんだ。行け。」
『わかった。』
私は急いでヨナに駆け寄り共にリリを探し出した。
「さっきの女の子の居場所ってわかる?」
『えぇ、もちろん。』
「連れて行って。」
『はい。』
私は周囲にいる中毒者を殴ったり蹴ったりしながら道を開きヨナと共に膝を抱えているリリに歩み寄った。
「大丈夫?」
「あ…」
『無理はせずにゆっくり息をして。』
「あ…う…」
「騒ぎは収まったわ。暴れてた人達もここにはいないから。」
『もう大丈夫です。』
私はそっと彼女の腕を引き強く抱き締めた。
すると甘い香りが彼女を包み込み安心したように彼女が声をを上げて泣いた。
ヨナはきっと彼女を安心させる為に私を呼んだのだろう。
店内の暴動が収まると仲間達がこちらへやってきた。
リリを託すと私とヨナは服を着替えていつもの服装で外套を羽織ると皆と合流し、河原に移動した。
石に座ってリリがユンから手当てを受けている間にハクはシンアやゼノと共に捕らえた中毒者を縄で縛っていた。
リリの近くには私、ヨナ、ユン、キジャ、ジェハがいる。
「ナダイのせいとはいえ女の子を殴るなんて万死に値するね。」
「…そなたがそれを言うか。」
「…」
『キジャ、それ以上つっこまないの。それにジェハは一々落ち込まないで。もう何てことないんだから。』
「…幸い鼻骨は折れてないし、これなら数日で腫れは引くよ。」
「良かった。」
リリは人前で泣いてしまった事を恥だと思い頭を抱えている。
―この連中…私を助けてくれたし手当ても…密売人ではないのかしら…―
『あなた名前は?』
「あなた私達をずっと見てたわよね?訳を聞かせてくれる?」
ばれていた事にビクッとしながらもリリは強がって言う。
「自分から名乗るのが礼儀ではなくて?
あんた達怪しいのよ!格好も変だし、町の中調べまわってるし。
踊り子やってると思ったら飛び蹴りするし!」
私達は一瞬きょとんとしてしまった。
「ヨナちゃん、君だろ。」
「えーっ、戒帝国の服着てるジェハだって。」
「やはりシンアの面だろうか。
いや、お酌した後普通に戦闘に顔を出したリンも…」
『キジャの手だって十分怪しいでしょ。』
「いや、気付け。全員怪しいんだっつの!」
ユンの言葉に私は肩を竦めた。ヨナは微笑むと自分の名を名乗った。
「私はヨナ、色々あってあちこち旅していてここで麻薬が横行してると聞いて調べていたの。」
「ヨナ…緋龍城の失踪した姫の名前ね。そういえばさっき誰かが姫様とか言ってたけど…」
まさか失踪した姫の事を知っているとは思わなかったヨナとキジャが息を呑む。
「そう!そうなんだ。ヨナ姫と同じ名前なの。」
『皆シャレで姫ってあだ名で呼んでるのよ。』
「ふぅん…そんな事だと思った。大それたあだ名つけるのね。
それにしても麻薬を調べてたって何の為に…」
「おい、暴れてた奴は縄で縛っといたがあれはかなりの中毒者だ。薬を欲しがってまだ暴れてる。」
ハク達が戻って来て合流した。私は悲しい顔をして彼の報告に耳を傾けていた。
「入手経路は?」
「数人は人伝で入手したらしいが残りは…おい、タレ目。」
呼ばれたジェハは岩に腰かけたままハクを見上げた。
「水麗って店…お前が薬飲まされたとこじゃないのか?
さっきの奴らもそこから買ってるんだとよ。」
「やっぱりその店に行くしかないよ、ジェハ。」
『ずっと店の場所教えてくれないんだもの…
危険なのはわかってるけど、行かない事には何も始まらないわ。』
「お前が黙っててもあいつらから聞き出せんだぞ。」
「…わかったよ。ただし踏み込む時は僕の指示に従ってもらう。」
「それでいいよ。じゃあ明日にでも乗り込もう。」
「いや、中にいる女の子達には危害を加えたくない。まずは潜入して様子を探る。」
ジェハらしい言葉に私はクスッと微笑むと彼の横に腰かけて寄り添った。
リリは私達の会話の意味がわからなかったようだ。
「えっ…何?何をするの?麻薬を調べてるって言ってたけど…」
「ナダイって麻薬を客に渡してる店があるの。その元凶を突き止めてやめさせるのよ。」
―やめさせるって…何言ってんのよ。あんな凶暴な人達がいっぱいいるかもしれない所に行くっていうの?
私は嫌…二度と嫌よ。あんな怖い思いをするのは!!―
思い出しただけで恐ろしくなって身体を縮めるリリを私とヨナは心配になって彼女の顔を覗き込んだ。私が離れた事でジェハは少し寂しそうだ。
「どうしたの?」
『傷でも痛む?』
―何よ…よく見たら別に何の変哲もない普通の子じゃない…
旅芸人とかしながら生活してるんならきっと田舎で育った娘ね…―
「あんた…この町の人間じゃないんでしょ。
四泉出身でもないのにどうしてわざわざ危ない事に首を突っ込むの?
強くもないのに飛び蹴りなんかしてよくわからない子ね。
そっちのお姉さんは強いみたいだけど…」
「そうね、強い飛び蹴りの練習をしておくわ。」
「誰もそこに練習量求めてないわよ。…あんた達もその店とやらに行くの?」
「えぇ。」
『もちろん。』
「言っとくけど姫さんとリンは明日の作戦不参加だからな。」
「『え―――っ!?』」
私達は同時に抗議の声を上げた。
「どうして?私も行く。」
『姫様はまだしも私は行ってもいいじゃない!』
「危険なんだよ。」
「ヨナちゃんもリンも今回は僕らに任せてお留守番してて。」
「そんな…皆が戦うのに…」
「大丈夫です、ユンとゼノは置いていきますから。」
「どうしてユンとゼノと私とリンは置いていかれるの?」
「…ヨナ、水麗って何の店かわかってる?」
ユンの問われた彼女は何となくわかっているもののあまり考えたくはないようだった。
『…男装したら騙せると思うんだけど。』
「リン、君って子は…」
「…でも作戦でしょ。遊びに行くわけじゃないんでしょ。」
「ないですけど、(そーゆー店に)姫さんがいるとやりづらいんです。」
「やりづらいって何が?」
「作戦に決まってんだろ。」
ジェハはハクの困ったような返答に大爆笑。
「何笑ってんだ、タレ目。とにかく行くのは俺とこいつとギリギリ白蛇……シンアは…無理か…」
「なぜ私はギリギリなのだ?」
『私も行く…』
「諦めが悪いな…」
「僕もリンがいるとやりにくいかな…」
むすっとする私の頭を抱き寄せて苦笑しながらジェハは言う。
「ヨナちゃん、リン。冗談ヌキで危険なんだ。
とっとと行って調べて来るから待ってて。」
私とヨナはしゅんとしながらも大人しく引き下がった。
そこに2人の女性、アユラとテトラが走ってやってきた。
「リリ様!もうっ、お捜ししたんですよ!?」
「アユラ!テトラ!」
「あら、リリ様ったら噂の殿方達と遊んでらしたの?」
「テトラ。」
「え?」
2人はリリの頬が殴られて腫れている事に気付き即座に戦闘態勢に入った。
「あらあらまあまあどの殿方ですの?
リリ様に怪我させたのは?3倍返しでよろしくて?」
「「「「「えーっ」」」」」
「違うわ、ちょっと騒ぎがあって…助けられたのよ…」
「まあ…」
リリの言葉を聞いて即アユラとテトラは頭を深々と下げた。
「これはとんだご無礼を。」
「リリ様がお世話に。」
「よかった、身内の人が来て。これで無事に帰れるわね。」
「一人でも帰れるわよ。」
『ん?』
「リリ様…?」
私とハクは互いを見て首を傾げていた。“リリ様”という呼び方に何かを感じたからだ。
するとアユラとテトラがこちらへ笑いながらやってきた。
「本当に男前ぞろ…い…」
ただ彼女らと私とハクが互いを見た瞬間、はっとした。
―どっかで…?―
―…どこで?―
「アユラ、テトラ。行くわよ。」
「はぁい。」
私達はそれぞれどこかで会った事があるような気がしつつ各々帰路についた。
ただリリは水呼に戻らず、もう少し四泉に残る事に決めたようだった。