主人公はハクの相棒でヨナの護衛。国内でも有名な美人剣士。
旅の始まり
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風の部族領を出た私達は北山の岩辺にいた。
ヨナは外套を深く被り目立つ赤い髪を隠している。とはいえ、ハクの大刀や私の輝く剣は目立ってしまうのだが。
私とハクは岩辺から遠くを見回し目的の物を探す。
「何か見えた?」
「皆無。」
『もうじいやったら…どこにいるのかわからない人を探せって言われてもね…』
私達は風牙の都を出る前にムンドクから助言を受けていたのだ。
古よりこの高華国の未来を見据えてきた神官様が風の地のどこかにいるらしく、ヨナがこれからどうするべきか迷っているなら神官様のもとへ行き道を示してもらえばよい、と。
「神官ねぇ…」
『昔から神官様は王宮の神殿に住まい、国の政に大きく関わっていたと聞いています。
ユホン様が神官様を弾圧なさってからは城を出て今は人里離れた場所にひっそりと暮らしているそうです。』
―私の行くべき道か…今は生きるだけで精一杯だ…―
「人里離れたってんでここに来てみたんだが…」
「まず人が住めそうにないわね。」
「まー、姫さんが住んだら即崖から転がり落ちるかもしれんが、何とか住めるだろ。」
「だってこんな寒い山で…」
『火の部族の支配する北はもっと痩せた土地ですよ。』
「え…?」
『私は元々火の部族に見放された土地で生まれ、まだ生まれて間もないときにじいやに拾われましたから。』
「…」
『そんな哀しい顔しないでくださいませ、姫様。』
「まぁ、どこの干渉もないこういう場所は案外住み良いかもしれねぇな。」
私の言葉にヨナは自分の無知さを思い知っていた。
―私はこの国の姫を名乗っていたのに知っているのは緋龍城だけ…“知らない”…なんて愚かな響き…―
「ところでお姫サマ。この辺をしらみつぶしに探すとなると野宿になるがどーします?」
「野宿?少しは慣れたわ。」
『城の裏山と違ってここは冷えますよ?』
「その時はハクにくるまって寝るから。」
ハクは驚いて大刀を投げてしまった。私は大爆笑。
「あ、女性だからリンにくるまるべきだったわね。」
『その方が姫様の身の安全も確保されると…痛っ…』
「黙れ。」
『ふふっ…』
「俺が相手でもいーけど、いたずらしますよ?」
「いたずら?」
馬鹿げた話をしている間に私はある音を耳にしていた。
―微かに聞こえてくる…この足音は…っ!―
その間にハクはヨナに詰め寄っていた。
「いたずらってのはこーゆー事とか…」
岩壁にヨナを押し付けハクは彼女の首元に顔を埋めていた。
「ハク…ちょっと…何す…」
「静かに…」
『足音が聞こえます…』
「気付いていたか。」
『微かにだけど…40…いや、50はいるでしょう。』
「追手だ。」
「!!」
私とハクは背筋を伸ばすとヨナを庇うように立った。
「もう追う気がねーのかと思ってたけど、こりゃまた気合いの入った数だな。」
『はぁ…面倒だわ。』
不安そうな顔をするヨナにハクは冗談を噛ます。
それによって彼女の顔色も優れるのだから不思議だ。
「姫様、やっぱくるまって寝るんならもーちょい抱き心地良くないといたずらする気も起きないですよ。」
「何の話だ、何の!!」
「さてと…」
そうしてひょいひょい逃げるハクをヨナが追っている間に私達は完全に敵に囲まれた。
私とハクが背中合わせに立ち、間にヨナを挟む形で庇う。
『準備運動もしたことですし、働きましょうか。』
「離れないで下さいよ、お姫様。…リン、後ろは任せた。」
『御意。』
敵兵が岩山から降りてくるとハクはニッと笑って大刀を一振りした。私は剣を抜き敵兵を薙ぎ払う。
ヨナはそんな私達の様子に目を丸くしていた。
―スウォンがいつか言っていた…
“ハクの技は稲妻みたいなんです。それにリンだって優雅に舞っているように見えるのに攻撃が的確で!
本気で闘えば私はきっとこてんこてんですよ~”
…こんな時にまだ素直にあなたの顔を思い出す…-
それが悔しくともヨナにはどうしようもないのだ。
攻撃が少し止んだ時、兵の間からカン・テジュンが姿を現した。
『やはり貴方達ですか、火の部族…』
「雷獣と舞姫は健在だな、ソン・ハク将軍、リン様。そしてヨナ姫…
火の部族カン・テジュン、この時を待ちわびていましたよ。」
私達は彼の言葉なんて無視して遠くを眺めていた。
「見て下さい、姫様。自然がいっぱいだ。」
『鳥も美しいですね。』
「ハク将軍を…ってええーっ!?なぜっ…私が話しかけてる最中に自然を満喫するのだ…っ」
「おお、何だ。俺に話しかけてたのか。
俺は今将軍でも“ソン”でもないんですみませんね、どうも。」
「いや、そんなわかってもらえれば良いのだ…って何!?将軍ではない!?」
「ですよ。俺はただのさすらいの旅人、ハク。」
『私は彼の旅仲間のリン。』
「つーわけで俺らがこれから何をしても風の部族はなんら関係ございませんので。」
『あしからず、カン将軍の次男殿。』
「そういう事か…でもまあ風の部族はどうでもよい。お前達を殺して…
そこにいるヨナ姫に用があるのでな!!!」
カン・テジュンが剣を上げたことを合図にまた矢が降ってくる。
ハクはヨナを抱き、私は矢に向けて軽く地面を蹴り剣を振るう事で道を作った。
『ハク!』
「あぁ。」
「休む間を与えるな!ヤツらを止めろ!!」
「ダメです!接近戦は…」
「矢を放て。」
ヨナはずっとハクにしがみついている。私はハクと背中合わせのまま彼の動きに合わせて移動しながら矢だけでなく兵も倒していく。
「姫さん、太ったな。」
「一言多い。」
「走るぞ!リン、道を開け!!」
『はい!!』
私はハクの前を走り彼が少しでも楽に進めるよう敵を倒していく。
『どけー!!!』
私の声に兵は怯み皆剣の餌食となる。黒く真剣な目にハクは私の後ろでふっと笑った。
彼はヨナの手を引きながら足を進める。
―怖い…!四方から矢と兵が押し寄せて…いくらハクとリンでもこんなに…―
「あっ…」
そのときヨナが岩に足を取られふらついてしまった。
「姫を狙え!」
『姫様!!』
すると矢がヨナに向かって射られたが、刺さる前にハクが身を挺して彼女を守った。彼の左肩甲骨辺りに矢が深々と刺さった。
「ハク!!大丈夫!!?」
『ハク…』
「…抜け。」
私はすぐに矢を抜きそれを近くの兵に勢いに任せて刺し返した。
「ハク…」
「はっ…心配なんてしないで下さいよ、気持ち悪い。」
「お前は…っ!」
「行くぞ。」
ハクはヨナを抱くと大刀を地面に軽く刺し足場にするとそれを踏んで目の前の大量の兵を跳び越えた。
私はその行動を先読みし、彼の足が離れた瞬間に大刀を共に踏みハクがそれを抜く前に共に跳んだ。2人同時に地面に着地して逃げた。
「すげ…」
「息が合い過ぎている…」
「感心するな、追え!」
私達はヨナを木陰に隠した。
「隠れて。絶対に動かないで下さいよ。」
「ハク…」
ヨナは自分の手が赤く染まっていることに気付いた。
それはハクに抱かれている時に着いたのだろう。
「お前、血が…っ」
「返り血ですよ。」
私とハクは小さく息を吐くと敵陣へと走り出した。走っている途中私は彼に問う。
『その背中の傷…結構深いでしょ。』
「…まぁな。」
『そのうえ毒矢だった…』
「これくらいでやられるかよ。」
『早く片付けるに越したことはないわ。』
「あぁ。」
私とハクは真横が崖になっている岩山の細い道で敵に囲まれた。
「死ぬなよ、リン…」
『ハクこそ…』
私達はそれぞれの武器を構え直すと目の前の敵を倒すことに専念するのだった。
ヨナの近くではカン・テジュンが目前で闘う私達を見ていた。
「ヨナ姫はどこに消えた?」
「ハクとリンがどこかへ逃がしたようですね。」
「必ず見つけ出せ!雷獣と舞姫も人の子よ。だいぶ疲れがあるようだな。」
「先程当てた矢は毒矢です。常人ならばまず動けません。
あの矢を受けて動けたのはリンに次いで2人目…
城から逃げるときあの女は右足に受け、そのまま逃げたと聞きます。恐ろしい者共です。」
「何!?それを姫に向けたのか!?」
「向ければハクかリン…どちらかが身体を張ってでも矢を止めると確信がありましたから。」
「じゃあ次に背中を向けた時を狙え。」
ヨナは木陰でその会話を聞いてはっとした。
―2人が殺される!?―
だがハクの動くなという指示が頭を過ぎりその場に留まろうとする。
―そうだ、じっとしてた方がいい…息を殺して…
私が出て行ってもかえって足を引っぱる、さっきみたいに…
大丈夫よ、ハクもリンもあんなに強いんだもの!矢くらいよけられる…
ここで大人しくして2人が来るのを待とう…2人は死んだりなんか…―
そのとき彼女は気付いた。自分は守られるだけのために風牙の都を出たのか、と。
―ちがう…私はなんのために風牙の都を出たの?
守られながらこそこそ生きるため?それなら風牙の都にいればよかったんだ…
これではハクやリンの足枷になるだけ…もし2人がいなくなったらどうするの?
自分は非力だとあきらめてこのままじっとしているつもり?―
ヨナは神官に話を聞き道を切り拓く前にやるべきことがあると決意した。
―神に問う前に自分に問うことがあるはずよ!!―
ヨナはカン・テジュンと弓矢を構える臣下に背後から駆け寄り、そのままの勢いで臣下を崖下に突き落とした。
私やハクが闘っている崖にその臣下が落ちてきたのだ。
「うわっ!!?」
ヨナは赤い髪を揺らしながらカン・テジュンを振り返る。
その目は今まで見たこともないほど真っ直ぐで鋭かった。
―な…なんだ?城を追われてもっと精気を失ってると思っていたが…―
「ヨ…ヨナ姫…まさかそちらから来られるとは…お話をしたいと思っていたのですよ。」
ヨナは鋭くカン・テジュンを睨みつけたままじりじりと後ずさった。
「そんなに警戒しないで。私は貴女に危害は加えたりしません。私は貴女を迎えに来たのです。」
「迎え…」
「明朝にはスウォン様が新王に即位なさいます。
お可哀想に姫様。陛下を亡くされ城を追われるなど身を切られる思いでしょう。
貴女が私と来てこの件を公表すれば貴女を追い出した憎きスウォンを玉座から引きずり降ろし、陛下の仇を討つ事が出来ます。ですから姫、私と…」
「…そこまで知っていて…火の部族はなぜ風の部族に圧力をかけたの…?」
「えっ…いやあれは…父上の指示で私の意思では…」
「なぜ商団まで襲ったの?
真実を知っているのなら風の部族を追いつめる前に罪のないハクを殺す前にお前のすべき事があるはずだ!!」
ヨナは燃えるような瞳でカン・テジュンを見据えた。
「私は何も知らない姫だが道理もわからぬ者の言葉に耳を貸す程落ちぶれてはいない!!」
その言葉に私とハクもつい手を止めてヨナを見上げてしまった。
幼くて弱いはずの姫の紅い髪が私、ハク、そしてカン・テジュンにも己を焼き尽くす炎に見えた。
そのとき私の中で血が沸騰しているかのように暴れ始めた。
『くはっ…』
「リン!!?」
私は胸元を押さえながら膝をついてしまいそうになったが、どうにか耐えて襲ってくる敵を倒す。
ヨナの紅く燃える髪、そして強く輝く瞳を見た瞬間私の中で何かが目覚めたようだった。
耳がピリピリと痛みと共に疼き、両手がカタカタと震えた。
剣を振るいながらもまるで自分の身体が自分のものではないように感じる。
そのとき私の頭に女性の声が響いた。私は身体を動かしながらも心で彼女に問うた。
「目覚めよ、我が子孫よ。」
『っ!?』
「これより貴女は我が分身…」
『だ、誰…』
「我は黒龍…耳に龍の力を宿し、四龍をまとめ癒す存在。」
『四龍…?あの伝説の…?』
「いかにも。」
『…黒龍なんていな…いや、そういえばはっきり述べられていないけど甘い香りで四龍を癒した女性がいたと…』
「それが我を示しているのだ。貴女の主を我も認めよう。
命の限り主を守り愛し決して裏切るでないぞ。」
『待って!黒龍のことなんてわからないわ。ちゃんと教えてよ…』
「いずれわかるだろう。貴女の血がすべてを教えてくれるはずだ…」
彼女はすっと消え私に新しい力が宿ってきた気がした。
疼きや震え、そして血の逆流しそうな感覚も治まり自分の身体としての実感が返ってきた。
「リン、無事か!!?」
『大丈夫…ごめん、困惑した。』
「…無事ならいい。」
私達は再び敵兵に向き直り、大刀や剣を振るった。
ヨナから目を逸らせないカン・テジュン…
―こんな顔をする姫だったか?
城にいた頃は幼く弱いただの少女に見えたのに…今は何も持たぬ姫なのに…―
「馬鹿野郎…っ」
『どうして出て来たの!!?』
そのときハクの背後で斬ったはずの兵が立ち上がった。
『ハク!!』
私は彼を庇い左肩を抉られた。
『うっ…』
「リン!!」
ハクが兵を斬り、そのまま戦いを続ける。動きを止めると敵が来る。
遠くから矢が飛んできてそれを躱せなかった私の額から左眼上が切られた。
『っ…』
私は持っていた小刀を投げて弓矢を構えた兵を襲った。
次にハクが大刀を振るった瞬間、彼はふらついた。
『ハク!?』
「くっ…さっき受けた毒が…」
『ハクッ!!』
そのとき彼が正面から斬り付けられ崖から足を踏み外した。
大刀は下へ落ちていき、彼は片手でどうにか岩端に掴まっている状態だった。
私は兵を倒すべく駆け出すが瞼を矢が掠め視野が狭まっているうえ、左腕が使い物にならず体力が底を突き始めているために5人の兵にも悪戦苦闘してしまう。
『ハクから離れろ!!』
「っ!」
「小賢しい女め!!」
3人を倒したものの、私は目の前の兵の剣を受け止めている間に背後から別の兵に背中を斬り付けられた。
『うあっ…』
そのまま蹴り落とされて私は崖へと落ちてしまう。
「リン!!」
だがハクが私の左手を掴みどうにか落ちることは免れた。
抉られた左肩と背中の傷が痛むが今はそれどころではない。
私は剣を右手に握ったままハクを見上げる。
『放しなさい、ハク…』
「何…言って…」
『その身体で私も支えるなんて無理よ…ハクだけでも生きなさい…』
「馬鹿っ…ぜってぇ死なせねぇ…」
『ハク…』
「勝手に死ぬなんて許さねぇからな…」
私は彼の言葉に小さく笑うと大人しくすることにした。
「よし!下は奈落だ。雷獣を落とせ!そうすれば舞姫も共々葬れる!!」
カン・テジュンの言葉にヨナは目を見開く。
―死んじゃう…このままじゃこのままじゃこのままじゃ…ハクがリンが…―
彼女は私達のもとへと走るためカン・テジュンの前を通り過ぎる。
「姫!お待ち下さいっ!!」
それでも止まらない彼女の髪を彼は掴んだ。
「あっ!う…」
「いけませんよ姫、あのような者達のもとへ行こうなど…あなたは私と共に城へ行くのだ。」
ヨナはカン・テジュンが持つ剣を抜くと自分の髪を迷いもなく斬った。
カン・テジュンは尻餅をついてしまった。
その間にヨナは岩壁を滑り降りて私達に駆け寄った。
―殺させない殺させない殺させない…絶対に!!―
「高華国屈指の武人、ソン・ハク将軍を討ちとれるなど…なんたる名誉。」
「離れて!!」
剣を振り上げた兵に向けてヨナが言った。彼女の手にはカン・テジュンから盗った剣があった。
「ハクとリンから離れなさい!!」
「姫…」
「離れなさい!!」
弱々しく剣を振るって兵をハクから離れさせる。
それを軽々と避けながらも兵はヨナを見て困惑しているようだった。
「姫様は大人しく…」
「よせ!姫を傷つけるな!」
「しかし…」
兵は目の前にいるヨナを見て言葉を失った。
姫と呼ぶにはあまりにも自分を真っ直ぐ恐れもせず見据えていたからだ。
―これが…ヨナ姫…!?―
「…姫さん。」
「ハク、今助けるから!くうっ…」
彼女はハクの手を握って引き上げようとする。
「馬鹿野郎、逃げろ。」
『ヨナには無理よ。ハクだけでなく私までも引き上げないといけないんだから。』
「早く遠くへ…」
「やだ!絶対…ハク!リン!!死んだら許さない…!!」
彼女の涙がハクの頬を濡らす。私達はただ彼女を見上げていることしかできなかった。
「何をしている。ハクから姫を引き離せ!!」
カン・テジュンはヨナを追うように降りてきて兵に指示を出す。
そのときだった。岩が私達の重さに耐えられず崩れたのだ。
ハクの手を握っていたヨナ諸共私達は崖の下…奈落の底へ落ちていった。
カン・テジュンの手はヨナに届かなかったのだ。
「テジュン様…」
「…せ…探せ…今すぐ姫をお助けするのだ!!」
「テジュン様!落ち着いて下さいっ」
「この谷は人の踏み入れぬ場所…この高さから落ちたら助かりません!!」
「姫は…もう…」
カン・テジュンは手に持ったヨナの切られた髪を握ったまま膝をついた。
「ヨナ姫…」
彼は最後に見たヨナの燃えるような姿を忘れられずにいたのだった。
カン・テジュンはすぐに緋龍城に行った。その手にはヨナの残した髪を持って。
「スウォン様。」
「何ですか、ケイシュク参謀?」
「火の部族カン・スジン将軍のご子息、カン・テジュン様がお会いしたいそうです。」
呼ばれたスウォンはカン・テジュンが待っている廊下まで歩いて行った。
「やあ、すみません~お待たせしました、テジュン殿。今日はどうされました?」
スウォンの前にいたのは暗い表情をしたカン・テジュンだった。
「大事な…即位式前日に申し訳ありません。
貴方様に…どうしてもお渡ししたい物があって参上しました。」
紙に包まれていた物をカン・テジュンはスウォンの前で開き見せた。
それは赤い髪…スウォンはすぐに理解した。
「ヨナ姫が亡くなられました。
風と火の土地の境…北山にてハク将軍、リン様、そしてヨナ姫を追いつめ…
あと少しという所で3人は谷底へ…」
「なんとあの絶壁から落ちた…!?」
「スウォン様は3人を発見次第連絡しろとご命令を下された。
あろう事かヨナ姫を追いつめ殺したなどこれは大逆ですよ、カン・テジュン殿。」
「そうだ…私があの方を殺した…どうか罰をお与え下さい…」
「スウォン様…」
ヨナが死んだ報せに言葉を失っていたスウォンだったが、ケイシュクに呼ばれはっとすると口を開いた。
「…今日は城でお休み下さい。明日の即位式には出席して下さいますよう。」
「そんな!私に罰をどうか!!」
「テジュン様っ」
「スウォン様!スウォン様っ!!」
スウォンは赤い髪を握り締め、ヨナ、ハク、私の事を思い出していた。
彼の脳裏に思い浮かぶのはヨナの可愛らしい無邪気な笑顔と、私とハクの意地悪だけれどどこか優しい微笑み。もうそれも失われたのだ。
スウォンは自分が私達を追い出しておきながらもその死を素直に受け止められなかった。
崖から落ちた私達は咄嗟にヨナを抱き締めた。
ハクに引っ張られヨナは私とハクの間に来るように抱き締める形になった。
ヨナが無事なように私とハクは盾となる…そのためにここに存在しているのだから。
私がハクの手を離しヨナを両手で強く抱き締めると、彼は片手で私ごとヨナを胸に抱いた。
崖の底に辿り着く直前ハクが木の枝を掴み速度を落としてくれたが、すぐ枝が折れ私達は地面に叩きつけられた。
「『っ…!!』」
それと同時に私達は意識を失ったのだった。
そんな私達の近くをひとりの少年が林檎をポーンと投げ歌いながら歩いていた。
「むかぁしむかしあかいろのー♪
おおきなたいようたべられてー
せかいがくろにそまるときー…♪」
林檎を齧った瞬間、倒れている私達を見つけたのだ。
「…めんどくさ。人が死んでる。」
薄い衣を着て水浴びをしていたスウォンにケイシュクは静かに声を掛けた。
「スウォン様、風の部族長老ムンドク様が到着されました。風の部族次期将軍もご一緒です。」
「次期…将軍…」
ハクが亡くなったと報告を受けたスウォンは次期将軍と聞いて私達の死を思い出した。
言わずもがなムンドクと共に緋龍城にやってきたのはテウ。
文句を言いながらも次期将軍を務めてくれるはずだ。
「それは楽しみですねぇ。どんな方ですか?」
「ハク将軍やリン様より年若い方ですよ。風の部族は若者が元気ですね。」
「ケイシュクさん、おじいちゃんみたい。」
「あ、夜明けですよ。」
「…ほう。」
2人が見上げた空は昇り始めた朝陽で赤く染まっていた。
「実に戴冠式に相応しい暁の空です。」
その色はヨナを思い起こさせたのだった。
それからスウォンは華やかな衣に着替え、戴冠式へと赴く準備を整えた。
―高華国王の象徴である赤い龍の城…いつかこの城へ還るのだと心に誓っていた…―
彼がゆっくり目を閉じると私達と共に笑い合った日々が蘇る。
「スウォン!スウォン、いらっしゃい!!早く来て。今日はね、梨の甘煮があるのよ。」
上の階からはしゃぎつつスウォンを呼ぶのはヨナ。
「スキあり。」
「いてっ」
『もう、ハク!』
「トロいですよ、スウォン様。」
「ハク…リンも…」
スウォンの近くの柵に乗っていたのは私とハク。
ハクに至ってはスウォンの頭を大刀の柄で突くのだからタチが悪い。
「いいなあ、ヨナは。ハクやリンが従者で…」
『スウォン様にもいるでしょう?』
「私は2人が欲しいんですー」
「じゃ、王になって下さいよ。」
「え…」
『ヨナ姫と婚姻を結んで王になって下さいよ。』
「ええっ!?そんな私がヨナと結婚なんて…」
「俺らが欲しいんでしょう?」
「それは言葉のあやで…」
「ま、どっちにしろ俺らは姫さんと結婚して次期王になるのはスウォン様しか認めねえけど。」
私とハクはスウォンに笑みを向けた。
「その時俺は貴方様の右腕となり、」
『私はハクの相棒として、』
「滅びの時までお二人の傍らにいてさしあげますよ。」
『ちなみに三食昼寝付きだと嬉しいですね。』
「おトクな物件ですぜ、高華の雷獣と舞姫だからな。」
「ああ、それは…幸せな夢ですね。」
その頃からスウォンは気付いていた、彼が王となるとき私達は傍にいないのだと。
寂しくなったスウォンは私とハクをそっと抱き寄せて顔を2人の間に埋めたのだ。
私達は目を丸くするだけで彼の行動の意図がわからなかった。
―きっと…私が王になる時ヨナもハクもリンも私の傍にはいない…―
「スウォン、早くー」
「ハク、リン…ヨナを守って下さいね。」
―あたたかいこんな日は少しだけ迷う…でももう…“右腕”もその“相棒”もいない…―
スウォンの目の前の門が開き五部族や臣下達の視線が彼に注がれる。
―ぬくもりをくれたあの少女も…踏みつけて切り捨ててここまで来た…―
「あれが新王陛下…」
「まだお若いがユホン様の嫡子であられるからな。」
「おお、あのユホン様の…」
「ならばきっと素晴らしい王におなりだろう。」
スウォンは冠を頭に受け取り背筋を伸ばし臣下を見下ろした。その目にはもう迷いはない。
「五部族承認のもとここに高華国空の部族第11代目スウォン新王陛下が即位された。」
「新王陛下、ご即位心よりお慶び申し上げます。
火の部族長カン・スジン、火の部族の民はこれより陛下に絶対の忠誠を誓います。」
彼から順番に火、地、水、風の部族の長・長老がスウォンに頭を下げる。
―火の部族…彼らは協力するふりをしてずっと王都を狙っている…
地の部族は強い主に従う…水の部族は様子を見ている…
そして風の部族…圧力をかけて大人しくなったが、あそこにはまだ屈強な戦士がたくさんいる…
ハクやリンの死を知っていつ牙をむくとも知れない…
北の戒帝国や南の真・斉も高華の新王即位に注目するだろう。
だがまずこのバラバラの部族達をまとめ上げなくては!―
決意を顕わにするスウォンにムンドクは静かに言った。
「陛下、ご存知のようにこの城には今神官様がいらっしゃらない。
ですが天の神は見ておられる、陛下が何の犠牲の上に何を成されるのか。
この老いぼれもそれを見届けてから、先に逝かれたイル陛下のもとへ参る所存です。」
「ムンドク様…!」
「…そうですね。あなたには見届けて頂きたい、ムンドク長老。
しかし見ているだけの天など私にとって何の意味もありません。
欲しいのは神ではなく人の力なのだから。
私はこの高華国を先々代国王の時代のような強国へと再生させる。
立ち塞がるものがあればたとえ天でも私はねじ伏せる。」
「新王陛下万歳―――!!」
スウォンの言葉に歓声が上がったが、ムンドクは寂しく思っていた。
「長老…帰っていい?めんどくさい人がいっぱいだ…」
そんなテウの言葉も無視してムンドクはスウォンを見つめていた。
―いつからあんな瞳をするようになったのか…
あの優しい笑顔にはもう会えないのだろうか…―
その頃、倒れた私達を見つけた美少年はひとりずつ抱えて家へ戻っていた。
「この男は早く治療しないと毒が回って死ぬね…こっちの女も傷だらけだし…
赤い髪…珍しいけど、この子を守るように倒れてたってことは何か意味があるのかな…」
彼は手早くハクの毒を抜き、傷の手当てをすると次に私の身体を拭き手当てをして包帯を巻いた。
最後に一番軽傷のヨナを手当てしてあることに気付く。
「そういえば…部屋に甘い香りが充満してる…」
―あの女を運び入れてからだ…―
包帯を巻いている時に香った甘い香りに彼は目を丸くする。
「香水ってわけでもないし、身体から香ってるのか…面白いね。」
彼はそれから蜜柑を切るとそれぞれの口に向けて搾り果汁を与えた。
そのピチョンピチョンという音を聞きながらヨナは目覚め始める。
―声が聞こえる…大勢の人々の声…そこにいるのは誰…?スウォン…?―
彼女に聞こえているのはスウォンの新王即位の光景のようだった。
彼女が目を開くと少年が蜜柑を搾っているところだった。
「あ、起きた。手疲れちゃったよ。」
彼は彼女の口に蜜柑を突っ込む。
「…ふぁれ(だれ)?」
「俺はユン。ただの通りすがりの美少年だから忘れていいよ。
あんた達こそ誰?山賊には見えないけど。
あの崖から落ちて生きてるなんてしぶといね。」
「崖…そうだ、私…」
彼女は頭に包帯を巻かれたまま身体を起こし、私とハクを探した。
「ハク…!リン…!?2人はどこ!?」
「ハク?リン?あぁ、一緒にいた黒髪の男と女ならあそこに…」
全身包帯だらけで目を覆われたハク、
そしてその隣に同じく包帯だらけで左眼を包帯で覆われている私。
私達を見つけたヨナはこちらに這い寄ってきた。
「ハ…ク…リン…」
「生きてるよ、かろうじてね。
身体に受けた毒は何とか抜いたけど、胸に刀傷と全身打撲。
ろっ骨も何本かイッてるし出血多量であと少し治療が遅かったら死んでたね。
女の方も同じ。特に背中の傷が深くて出血では男といいとこ勝負。よく生きてたと思うよ。
たぶん崖から落ちる時、あんたを庇ったんだ。抱き締めるようにして倒れてたもん。」
ヨナは私達が早く目を覚ますよう両手を握って神に祈った。
―ハク……!リン………!!―
「そいつらあんたにそんなに尽くして…何?男の方はあんたの恋人?」
「ううん、全然違う。」
「ふぅん…」
―なんかかわいそうだね…―
「ここは谷底?ここに住んでるの?」
「まあね。」
「あなたは医術師?私人を探しているのだけど…」
そのとき足音がして誰かがやってきた。
「ユン君っユン君っ!聞いてくれっ、僕の話を聞いてくれっ!」
「ちょっと…もう!何で泥だらけだよ。」
駆け込んで来たのは泥で汚れた服を着て髪もボサボサの男性だった。彼の目は長い髪で隠れていて見えない。
「皆が幸せであるといいなって天に祈りを捧げてたら滑って転んじゃって…」
「めんどくさ!あんた天に見離されたんだよ。」
「ガーンッ」
そのとき男性はヨナに気付き笑顔を彼女に向けた。
「目を覚まされたんですね!!良かった~
どもです、僕イクスと申します。ユン君の保護者みたいなものでして。」
「私は…」
―名乗るのはいけない…かしら…
悪い人達には見えないけど、ここは火の部族の地に近いし…―
ヨナが迷っている間にイクスは涙を流し始めた。
「ほん…とに…つらかったですね…」
「や、私は何も…崖はハクとリンが庇ってくれたので…」
「いえ、よく旅立ちの決心をされた。」
「…ん?」
「ましてやヨナ姫ともあろう方が…」
「…ちょっと、なぜ私の事を知ってるの?」
「それは神様のお告げで…」
「バカじゃないの?そんなに簡単に喋って隠れ住んでる意味ないじゃん。」
イクスとユンの言葉でヨナは理解した。
「まさか…」
「しまった。姫様にはきちんとした姿でお出迎えするつもりだったのに…」
「神官様!?」
偶然が重なり合い見つけ出したこの男性こそ、私達が探していた神官様だったのだ。
「神官様…あなたが?」
ヨナは目の前のイクスを見つめた。どうしてもドロドロの服を着ている彼が神官だとは信じがたかったのだ。
「ユホン伯父上に弾圧されたと聞いたからもっとおじ様かと思ってた…」
「それは先代でして、僕が跡を継いだのです。」
「私がここに来る事も知っていたの?」
「はい。僕は神様の声を皆に伝えるのが仕事。
この世界のあらゆる事を神様に教えてもらうんです。」
「何が仕事だよ。金も稼いでないくせに。毎日祈ってるだけじゃん。」
ユンはイクスから汚れた衣を剥ぎ取り代わりに綺麗な衣を被せた。
「だいたい神の声とかうさんくさい事言ってるから城から追い出されたんでしょ。」
「どうして追い出されたの?」
彼女の問いにイクスとユンは目を丸くする。そしてユンは冷たく言い放った。
「呆れた、城にいたくせに知らないの?」
「…」
ヨナは彼の言葉に何も言い返せなかった。
―私は城の中の事も知らない…―
そのときハクが小さく声を上げた。
「う…」
「ハク!!」
「どいて、熱があるね。」
―ハク…いや、死なないで…―
「手術したからしばらくは熱引かないよ。今晩が峠…ってトコかな。」
「ハクを助けて…!」
「…やってるよ。死なれると面倒だし。でも俺は医術師じゃない。
助けてもらうのが当然だと思わないで。
あんたまだ助けた礼の一言もないじゃない。
こいつらにしても一度でも礼を言った事あるの?
死にかけてまであんたを守ってんのに。」
ヨナはユンに言われて自分の無力さや自分勝手さを思い知り涙を流した。
イクスはそっとヨナの肩に手を乗せた。
「大丈夫。彼らにはまだ死神様のお迎えは来てないから。2人は戻ってきます。」
ヨナは家の外に出ると流れる涙を隠しもせず空を見上げた。
彼女が去った部屋の中でイクスはユンに言った。
「ユン君、言葉優しく。」
「だって…キライなんだもん。王とか貴族とか。」
「彼女も彼女なりに闘ってる。」
ユンは意味がわからないとでも言うような顔をしてから私やハクに与える薬の調合を始めた。
「…あの…ありがとう、助けてくれて。」
そんなユンにヨナはそっと声を掛けた。
「教えてほしいの、あなた達神官の事。私は何も知らないけど阿呆のままいたくない。」
するとユンはあぐらをかいて座りヨナに向けて話し始めたのだった。
「訂正するけど俺は神官じゃないよ。
あの生活力のないのほほん神官の面倒見てるだけ。
イクスが城を追い出されたのは、まだあいつが押さない見習い神官だった頃だよ。
神殿は取り壊され何人かは捕まって処刑された。
どうして神官達が追い出されたのかって聞いたよね。
神官は昔は王をしても侵せない権威を持っていたんだよ。」
「王も?」
「そ。神官は神の使いと崇められてたからね。
国の祭事や政に深く関わり、時には戦争をも左右した神官…
神がお怒りだからと王を降ろされた者までいたんだよ。
そこまでくると王にとっては厄介なワケ。
イル陛下の父、ジュナム王の時代高華国は他国にも領土を広げ勢いづいていた。
そこにはユホン皇子の功績が大きかったんだって。
そんなユホンにとって王の力を脅かす神官は邪魔だったんだよ。」
「だから伯父上は城から神官を追い出したのね…こんな何もない所で大変ではない?」
「全然。俺は人里めんどいし、イクスはここの方が落ちつく。
人里は貧しい人間であふれてる。豊かなのは一部の都だけ。
イクスは優しすぎだから全てを助けようとして、できなくて、心が病んだ事がある。
あいつは俺がいないとダメなの。」
「…ありがとう。また教えてね。」
ヨナは膝を抱えて座ると目を閉じた。
―早く元気になって、ハク…リン…―
その頃、眠っている私はある夢を見ていた。
ある人々の人生を走馬灯のように見ていたのだ。
『これは…』
「歴代黒龍の記憶よ。」
声が聞こえ振り返ると美しい衣を身に纏った黒髪の美女が立っていた。
『貴女は…?』
「初代黒龍。緋龍王に仕え四龍をまとめ、癒していた存在。
そして貴女の中には我の血が流れている。」
『どうしてそんなこと…』
「そのような運命だったのだよ。
黒龍は伝説にもあまり登場しない陰の存在。
だからこそ四龍のように里を持たず、初代の我が死んでから高華国のどこかで生まれては死んでいった。
そして歴代黒龍たちは主に出逢うことができなかったがために自らが黒龍の子孫だと気付きもしないまま去って行ったのだ。」
『私が…黒龍…?』
「そう。耳にある鱗の耳飾り、黒い手の爪、そして甘い香りがその証拠じゃろう。」
『黒龍は耳と爪に龍の力を…?』
「主としてはそのとおり。
遠くであろうと聞きたいと願えば貴女の耳に届き、気配にも敏感。
爪は甘い香りに群がる悪い輩を切り裂くために力を宿されたというわけよ。」
『なるほど…』
彼女は私の隣に並ぶと走馬灯を手で柔らかく指し示した。
「見よ。」
彼女に言われて私は歴代黒龍の記憶を見る。
するとある者は病気で死に、
ある者は甘い香りとその美貌を目当てにした男達の餌食となり、
ある者は気味悪がれ耐えきれず自害し、
ある者は人身売買によって売りとばれていた。
もちろん、結婚し幸せな人生を歩む者だって多くいる。
「この能力と体質は諸刃の刃。人間の欲望のもとで黒龍という自覚がない多くの女性は汚されてきた。
だが貴女は違う。武術を身につけ、主にも恵まれた。
貴女には黒龍として主を守り、黒龍の能力を活かして生きるさだめがある。」
『待ってちょうだい。私はどうして黒龍として目覚めたの…?」
「それはあの姫様が自ら剣を取り生きようとしたから。
あの赤く燃えるような目…あれは隠れた強さがある。」
『ヨナ姫様…』
私はヨナが怖いほど強くカン・テジュンに言い放った時の様子を思い出した。
そして決意したのだ、ヨナの隣にいるために。
『姫様を守る為なら黒龍の力でも私は受け入れましょう。
その運命も力も…何だって強く生きるために手にしたい。』
「後戻りは許されぬぞ?」
『後戻り?そんな事するつもりは元々ない。私は姫様の為に生きているの。
私はどうなろうと構わない。だから…力を貸してちょうだい、黒龍よ。』
「リン…」
『これが私の運命なら受け入れるわ。』
私が微笑むと彼女は私の両手を握った。
すると爪が光り、鱗形の耳飾りも熱を持ち、甘い香りが強くなり、私の中には4つの鼓動が感じられるようになった。
「これで貴女は黒龍の力を得た。四龍と同じ運命を背負うことになったのだ。」
『短命ってことかしら。』
「…それも理解したうえで受け入れたのか。」
『もちろん。』
「そして貴女が感じる繋がりは四龍の位置のようなもの。五匹の龍は兄妹のようなものだ。」
『わかったわ。』
「残念だが我の記憶は貴女に与えることはできぬ。
最低限の知識は与えるが、我の記憶は我にとっても大切なものだからな。」
『貴女のことに関与しようとは思わないわ。これからは私が黒龍として歴史を紡ぐんだから。』
彼女は少しだけ寂しそうに微笑むと私を抱き締めた。
「どうか…気を付けるのだぞ。」
『黒龍様…』
「強く生きよ、我が愛しい子孫よ。」
そう言い残し彼女はぬくもりと甘い香りを残して消えた。
私はまだ歴代黒龍の記憶の中に残されたまま。
―目が覚めるまでこのつらい記憶を見ないといけないわけね…―
私は小さく息を吐くと龍の血を感じながら記憶に目を向けた。
―龍の力を手にしたなら過去も受け入れないといけないわよね…―
ユンはそのとき私が魘されていることに気付いた。
「ねぇ、起きなよ。大丈夫?」
『うっ…』
「そういえば…」
―甘い香りが強くなってる…?―
彼は苦しむ私を揺すった。
「魘されるくらいなら起きなって!」
『はっ…!!』
目を開くととても近い位置に美少年がいた。
「やっと起きた。」
『君は…』
声は掠れているし、片目は覆われているため視野も狭い。
ユンは名を告げながら水を持って来てくれた。
それを呑んでから私は隣で眠るハク、そして近くで丸くなっているヨナを見て問うた。
『ユン…私達を助けてくれたの?』
「まぁね。あんた達を運ぶのに3往復しなきゃいけないし、お姫様以外の傷は酷いし大変だったんだから。」
私はその言葉を聞いて身体の痛みなんて忘れて正座をすると深々とユンに頭を下げた。
『助けてくださりありがとうございました。』
「…あんたに貴族としての誇りはないんだね。
俺みたいな奴にそんなにあっさり頭を下げるなんて。」
『私は貴族でも将軍でもない。火の部族の貧しい村で生まれ、死にかけていたところを拾われただけの女。
それに救ってくれた命の恩人に感謝するのは当然のこと…ありがとう、ユン。』
「…変なの。」
『私はリン。姫様の護衛兼相談役を任されてるわ。城では舞姫とも呼ばれてた。』
「舞姫…?」
『こう見えても城では数少ない女性武人だからね。』
「舞姫ね…でも呼びにくいからリンでいい?」
『えぇ。よろしくね、ユン。』
「…それよりその甘い香りは何?」
『あ…それについては後で詳しく話すわ。ハクや姫様にも伝えないといけないから。』
「そう。」
私はそのときある気配を感じ取ってユンから別の方向へ目を移した。そこにはイクスが立っていた。
「あ、目が覚めたのですね。」
『貴方は…神官様…?』
「え?リン、どうして…」
「やはり貴女は…」
『神官様は全てご存知のようですね。』
「はい。」
私とイクスの間には言葉はそれ以上必要なかった。
それから暫くしてイクスもユンも眠ってしまった。
私は部屋から出ると軒先に座って愛用している剣を両手で握った。
『イル陛下…』
「何ぶつぶつ言ってんだ、リン。」
『ハク!!?』
「よぉ。」
『元気そうでよかったわ。』
「お前こそ。よく生きてたな。」
『さっきまで死にそうだった人がよく言うわ。』
「…ちょっと付き合え。」
彼に腕を引かれ立ち上がると2人で山に入って行った。そのとき彼は私を見てある事を呟いた。
「お前…変わったな。」
『え?』
「何ていうか…髪とか目がより黒くなって黒曜石みてぇだ。そのうえ香りも強くなってないか?」
『…そうかもね。』
「…?」
そのとき私はまだ片目の感覚に慣れず時折躓いてしまう。
「おいっ…」
『ごめん…片目の感覚に慣れなくて。』
「情けねぇな。」
そう言いながらも彼は私を支えた手を離さないまま歩き出してくれた。私はその手を握ったまま足を進める。
「俺の大刀はどこ行った…」
『きっと私達が落ちた所の近くに…』
それから少し探すと大刀は見つかり私達は道を戻り始めた。
その頃、ヨナは目を覚まし私達がいないことに気付いて外に飛び出していた。
そして外を走り石に躓いて転んでしまう。
私達の包帯だらけの状態を思い出して彼女は泣きながら叫んだ。
「ハク…リンのバカ…っ」
私とハクはそれを傍から聞いていてそっと彼女に近づいた。
『心外ですね、姫様。』
「暗闇で座りこむなり悪口ですかい。キセキの生還を遂げてだいぶお元気そうで何よりです。」
『どうしました?怖い夢でも見ましたか?』
「そんな事じゃ泣かないわ。」
「ほ~お。」
「どこ行ってたのよ。」
「ちょいと大刀を探しに。」
「だったら私を起こしなさい!」
「…成程。一人じゃ寝れないんですね、添い寝しましょか。」
「たわけ者っ!そんなケガでどこ行ってたの!?
こんなボロボロになって無茶してっ…死んじゃうかと思った…っ
勝手に行かないで…ハクとリンだけは…そばにいなきゃダメ…」
ヨナの泣き顔にハクは申し訳なくなって膝を曲げて視線を彼女と同じにした。
私はそっと2人から顔を背けて近くの木にもたれて立った。
―2人にしてあげた方がいいかな、ハク…―
「…なんか死にてェな。」
「え?」
ハクは頭を抱えてボソッと呟く。
「そのぶっさいくな泣き顔が結構キたんで、いっぺん死んであんたがどんだけ泣くのかすげえ見たい…」
彼は男らしい視線を一瞬だけ見せてヨナに顔を寄せた。私はチラッとそれを見て笑う。
―やっと、かな?―
だが、その瞬間にどんっと大きな音がした。
ヨナとハクの額が勢いよくぶつかったのだ。痛みで2人は頭を抱えて悶える。
私は心配になって彼らに駆け寄った。
『だ、大丈夫…?』
「…嫌ならよけて下さい。」
「…嫌?熱計るのかと思って頭突き出しちゃった。違うの?」
『ぷっ…』
ハクは吹き出した私の頭を殴った。
『痛っ…』
「あ…ああ、そう。そうなんです。熱で頭がおかしくなってて。」
「でもさっきよりは引いてる。」
そのとき私とハクはヨナの短くなった髪に目を向けた。
私たちはそっと彼女の髪を撫でる。
『髪が…』
「申し訳ありません、俺達の落ち度です。」
「平気よ、軽くなったし。それに…この赤毛がずっと嫌い…だったんだから。
悪くないでしょ、こういうのも。」
彼女は私達に向けて無邪気に微笑む。
スウォンに言われたその赤い髪が好きだという言葉を忘れていないことを私達は知っているが、追究なんてしない。
『えぇ、可愛らしくてお似合いです。』
「そうですね…頭は悪いですけど髪はいいんじゃないっすか。」
「その口縫い付けてやる!」
彼女は不貞腐れたように立ち上がるとユンやイクスのもとに戻り始める。その後ろ姿に私とハクも立ち上がった。
『簡単に言ってくれるわね…』
「束ねる髪がなくなってもまだあの簪を捨ててないくせに…」
「リン!ハク!!」
『はい。』
「今行きますよ。」
私達は朝までもう一度眠ると翌朝ヨナとユンから説明を聞いた。
「え?神官の家?ここが?」
「うん。」
「へぇ、すげー偶然。」
そう言いながらハクはユンが頭に乗せている籠から食べ物を次々に食べる。私は呆れながらそれを見るだけ。
「しかし隠れ住んでるとはいえ、神官の家つったらもっと祠的なとこかと思った。」
「ちょっと、勝手に食べないでよね!」
「おお神官様、お恵みを。」
「俺は神官じゃないよっ」
『ふふっ』
「リンも笑い事じゃないからね!?」
「神官様、どこに行ったのかな。」
ヨナはそう呟くと家を出てイクスを探しに行った。
すると彼は滝を眺められる開けた場所にいた。
「神官様。」
すると彼は静かに涙を流していたのだ。
「どうしたの!?」
「あ…あなたの夢を…見ていました。あなたを…この世界の夢を…」
彼は涙を拭って空を見上げた。
私とハクはユンに案内されてそこにやってきた。
「ヨナ姫、神の声を聞きたいですか?」
「…ムンドクに神官様に道を示して頂くよう言われたの。
道とは…誰かに示してもらうものですか?」
そう問うた彼女の目は崖にいたときと同じ強い光を宿していた。
「私は何もしないでじっとしてるべきなのかと思っていた。
でも追われて、リンを傷つけられて、ハクを殺されそうになって、自分も死にかけて…血が熱くて沸騰しそうに熱くて…」
『っ!?』
彼女の言葉に私は自分の中の龍の血が騒いだ気がした。
―そうか…彼女の強い想いが私を目覚めさせたんだ…―
「生きたいと思ったの。私もハクやリンの命も決して奪わせやしない。
私の願いは今はただそれだけ。神様に聞く事なんて…」
「…いいえ、あなたが“生きる”という事は普通に平和に暮らすのとは違う。
あなたが生きるという事はこの高華国の大地を揺るがす嵐を起こすという事。」
「神官様…?」
「あなたがただ真っ直ぐに生きたいのなら、熱き血潮を止められぬのならあなたに神の声を伝えましょう。」
そう言うとイクスは手を合わせ目を閉じ、そっと言葉を紡いだ。
ヨナは外套を深く被り目立つ赤い髪を隠している。とはいえ、ハクの大刀や私の輝く剣は目立ってしまうのだが。
私とハクは岩辺から遠くを見回し目的の物を探す。
「何か見えた?」
「皆無。」
『もうじいやったら…どこにいるのかわからない人を探せって言われてもね…』
私達は風牙の都を出る前にムンドクから助言を受けていたのだ。
古よりこの高華国の未来を見据えてきた神官様が風の地のどこかにいるらしく、ヨナがこれからどうするべきか迷っているなら神官様のもとへ行き道を示してもらえばよい、と。
「神官ねぇ…」
『昔から神官様は王宮の神殿に住まい、国の政に大きく関わっていたと聞いています。
ユホン様が神官様を弾圧なさってからは城を出て今は人里離れた場所にひっそりと暮らしているそうです。』
―私の行くべき道か…今は生きるだけで精一杯だ…―
「人里離れたってんでここに来てみたんだが…」
「まず人が住めそうにないわね。」
「まー、姫さんが住んだら即崖から転がり落ちるかもしれんが、何とか住めるだろ。」
「だってこんな寒い山で…」
『火の部族の支配する北はもっと痩せた土地ですよ。』
「え…?」
『私は元々火の部族に見放された土地で生まれ、まだ生まれて間もないときにじいやに拾われましたから。』
「…」
『そんな哀しい顔しないでくださいませ、姫様。』
「まぁ、どこの干渉もないこういう場所は案外住み良いかもしれねぇな。」
私の言葉にヨナは自分の無知さを思い知っていた。
―私はこの国の姫を名乗っていたのに知っているのは緋龍城だけ…“知らない”…なんて愚かな響き…―
「ところでお姫サマ。この辺をしらみつぶしに探すとなると野宿になるがどーします?」
「野宿?少しは慣れたわ。」
『城の裏山と違ってここは冷えますよ?』
「その時はハクにくるまって寝るから。」
ハクは驚いて大刀を投げてしまった。私は大爆笑。
「あ、女性だからリンにくるまるべきだったわね。」
『その方が姫様の身の安全も確保されると…痛っ…』
「黙れ。」
『ふふっ…』
「俺が相手でもいーけど、いたずらしますよ?」
「いたずら?」
馬鹿げた話をしている間に私はある音を耳にしていた。
―微かに聞こえてくる…この足音は…っ!―
その間にハクはヨナに詰め寄っていた。
「いたずらってのはこーゆー事とか…」
岩壁にヨナを押し付けハクは彼女の首元に顔を埋めていた。
「ハク…ちょっと…何す…」
「静かに…」
『足音が聞こえます…』
「気付いていたか。」
『微かにだけど…40…いや、50はいるでしょう。』
「追手だ。」
「!!」
私とハクは背筋を伸ばすとヨナを庇うように立った。
「もう追う気がねーのかと思ってたけど、こりゃまた気合いの入った数だな。」
『はぁ…面倒だわ。』
不安そうな顔をするヨナにハクは冗談を噛ます。
それによって彼女の顔色も優れるのだから不思議だ。
「姫様、やっぱくるまって寝るんならもーちょい抱き心地良くないといたずらする気も起きないですよ。」
「何の話だ、何の!!」
「さてと…」
そうしてひょいひょい逃げるハクをヨナが追っている間に私達は完全に敵に囲まれた。
私とハクが背中合わせに立ち、間にヨナを挟む形で庇う。
『準備運動もしたことですし、働きましょうか。』
「離れないで下さいよ、お姫様。…リン、後ろは任せた。」
『御意。』
敵兵が岩山から降りてくるとハクはニッと笑って大刀を一振りした。私は剣を抜き敵兵を薙ぎ払う。
ヨナはそんな私達の様子に目を丸くしていた。
―スウォンがいつか言っていた…
“ハクの技は稲妻みたいなんです。それにリンだって優雅に舞っているように見えるのに攻撃が的確で!
本気で闘えば私はきっとこてんこてんですよ~”
…こんな時にまだ素直にあなたの顔を思い出す…-
それが悔しくともヨナにはどうしようもないのだ。
攻撃が少し止んだ時、兵の間からカン・テジュンが姿を現した。
『やはり貴方達ですか、火の部族…』
「雷獣と舞姫は健在だな、ソン・ハク将軍、リン様。そしてヨナ姫…
火の部族カン・テジュン、この時を待ちわびていましたよ。」
私達は彼の言葉なんて無視して遠くを眺めていた。
「見て下さい、姫様。自然がいっぱいだ。」
『鳥も美しいですね。』
「ハク将軍を…ってええーっ!?なぜっ…私が話しかけてる最中に自然を満喫するのだ…っ」
「おお、何だ。俺に話しかけてたのか。
俺は今将軍でも“ソン”でもないんですみませんね、どうも。」
「いや、そんなわかってもらえれば良いのだ…って何!?将軍ではない!?」
「ですよ。俺はただのさすらいの旅人、ハク。」
『私は彼の旅仲間のリン。』
「つーわけで俺らがこれから何をしても風の部族はなんら関係ございませんので。」
『あしからず、カン将軍の次男殿。』
「そういう事か…でもまあ風の部族はどうでもよい。お前達を殺して…
そこにいるヨナ姫に用があるのでな!!!」
カン・テジュンが剣を上げたことを合図にまた矢が降ってくる。
ハクはヨナを抱き、私は矢に向けて軽く地面を蹴り剣を振るう事で道を作った。
『ハク!』
「あぁ。」
「休む間を与えるな!ヤツらを止めろ!!」
「ダメです!接近戦は…」
「矢を放て。」
ヨナはずっとハクにしがみついている。私はハクと背中合わせのまま彼の動きに合わせて移動しながら矢だけでなく兵も倒していく。
「姫さん、太ったな。」
「一言多い。」
「走るぞ!リン、道を開け!!」
『はい!!』
私はハクの前を走り彼が少しでも楽に進めるよう敵を倒していく。
『どけー!!!』
私の声に兵は怯み皆剣の餌食となる。黒く真剣な目にハクは私の後ろでふっと笑った。
彼はヨナの手を引きながら足を進める。
―怖い…!四方から矢と兵が押し寄せて…いくらハクとリンでもこんなに…―
「あっ…」
そのときヨナが岩に足を取られふらついてしまった。
「姫を狙え!」
『姫様!!』
すると矢がヨナに向かって射られたが、刺さる前にハクが身を挺して彼女を守った。彼の左肩甲骨辺りに矢が深々と刺さった。
「ハク!!大丈夫!!?」
『ハク…』
「…抜け。」
私はすぐに矢を抜きそれを近くの兵に勢いに任せて刺し返した。
「ハク…」
「はっ…心配なんてしないで下さいよ、気持ち悪い。」
「お前は…っ!」
「行くぞ。」
ハクはヨナを抱くと大刀を地面に軽く刺し足場にするとそれを踏んで目の前の大量の兵を跳び越えた。
私はその行動を先読みし、彼の足が離れた瞬間に大刀を共に踏みハクがそれを抜く前に共に跳んだ。2人同時に地面に着地して逃げた。
「すげ…」
「息が合い過ぎている…」
「感心するな、追え!」
私達はヨナを木陰に隠した。
「隠れて。絶対に動かないで下さいよ。」
「ハク…」
ヨナは自分の手が赤く染まっていることに気付いた。
それはハクに抱かれている時に着いたのだろう。
「お前、血が…っ」
「返り血ですよ。」
私とハクは小さく息を吐くと敵陣へと走り出した。走っている途中私は彼に問う。
『その背中の傷…結構深いでしょ。』
「…まぁな。」
『そのうえ毒矢だった…』
「これくらいでやられるかよ。」
『早く片付けるに越したことはないわ。』
「あぁ。」
私とハクは真横が崖になっている岩山の細い道で敵に囲まれた。
「死ぬなよ、リン…」
『ハクこそ…』
私達はそれぞれの武器を構え直すと目の前の敵を倒すことに専念するのだった。
ヨナの近くではカン・テジュンが目前で闘う私達を見ていた。
「ヨナ姫はどこに消えた?」
「ハクとリンがどこかへ逃がしたようですね。」
「必ず見つけ出せ!雷獣と舞姫も人の子よ。だいぶ疲れがあるようだな。」
「先程当てた矢は毒矢です。常人ならばまず動けません。
あの矢を受けて動けたのはリンに次いで2人目…
城から逃げるときあの女は右足に受け、そのまま逃げたと聞きます。恐ろしい者共です。」
「何!?それを姫に向けたのか!?」
「向ければハクかリン…どちらかが身体を張ってでも矢を止めると確信がありましたから。」
「じゃあ次に背中を向けた時を狙え。」
ヨナは木陰でその会話を聞いてはっとした。
―2人が殺される!?―
だがハクの動くなという指示が頭を過ぎりその場に留まろうとする。
―そうだ、じっとしてた方がいい…息を殺して…
私が出て行ってもかえって足を引っぱる、さっきみたいに…
大丈夫よ、ハクもリンもあんなに強いんだもの!矢くらいよけられる…
ここで大人しくして2人が来るのを待とう…2人は死んだりなんか…―
そのとき彼女は気付いた。自分は守られるだけのために風牙の都を出たのか、と。
―ちがう…私はなんのために風牙の都を出たの?
守られながらこそこそ生きるため?それなら風牙の都にいればよかったんだ…
これではハクやリンの足枷になるだけ…もし2人がいなくなったらどうするの?
自分は非力だとあきらめてこのままじっとしているつもり?―
ヨナは神官に話を聞き道を切り拓く前にやるべきことがあると決意した。
―神に問う前に自分に問うことがあるはずよ!!―
ヨナはカン・テジュンと弓矢を構える臣下に背後から駆け寄り、そのままの勢いで臣下を崖下に突き落とした。
私やハクが闘っている崖にその臣下が落ちてきたのだ。
「うわっ!!?」
ヨナは赤い髪を揺らしながらカン・テジュンを振り返る。
その目は今まで見たこともないほど真っ直ぐで鋭かった。
―な…なんだ?城を追われてもっと精気を失ってると思っていたが…―
「ヨ…ヨナ姫…まさかそちらから来られるとは…お話をしたいと思っていたのですよ。」
ヨナは鋭くカン・テジュンを睨みつけたままじりじりと後ずさった。
「そんなに警戒しないで。私は貴女に危害は加えたりしません。私は貴女を迎えに来たのです。」
「迎え…」
「明朝にはスウォン様が新王に即位なさいます。
お可哀想に姫様。陛下を亡くされ城を追われるなど身を切られる思いでしょう。
貴女が私と来てこの件を公表すれば貴女を追い出した憎きスウォンを玉座から引きずり降ろし、陛下の仇を討つ事が出来ます。ですから姫、私と…」
「…そこまで知っていて…火の部族はなぜ風の部族に圧力をかけたの…?」
「えっ…いやあれは…父上の指示で私の意思では…」
「なぜ商団まで襲ったの?
真実を知っているのなら風の部族を追いつめる前に罪のないハクを殺す前にお前のすべき事があるはずだ!!」
ヨナは燃えるような瞳でカン・テジュンを見据えた。
「私は何も知らない姫だが道理もわからぬ者の言葉に耳を貸す程落ちぶれてはいない!!」
その言葉に私とハクもつい手を止めてヨナを見上げてしまった。
幼くて弱いはずの姫の紅い髪が私、ハク、そしてカン・テジュンにも己を焼き尽くす炎に見えた。
そのとき私の中で血が沸騰しているかのように暴れ始めた。
『くはっ…』
「リン!!?」
私は胸元を押さえながら膝をついてしまいそうになったが、どうにか耐えて襲ってくる敵を倒す。
ヨナの紅く燃える髪、そして強く輝く瞳を見た瞬間私の中で何かが目覚めたようだった。
耳がピリピリと痛みと共に疼き、両手がカタカタと震えた。
剣を振るいながらもまるで自分の身体が自分のものではないように感じる。
そのとき私の頭に女性の声が響いた。私は身体を動かしながらも心で彼女に問うた。
「目覚めよ、我が子孫よ。」
『っ!?』
「これより貴女は我が分身…」
『だ、誰…』
「我は黒龍…耳に龍の力を宿し、四龍をまとめ癒す存在。」
『四龍…?あの伝説の…?』
「いかにも。」
『…黒龍なんていな…いや、そういえばはっきり述べられていないけど甘い香りで四龍を癒した女性がいたと…』
「それが我を示しているのだ。貴女の主を我も認めよう。
命の限り主を守り愛し決して裏切るでないぞ。」
『待って!黒龍のことなんてわからないわ。ちゃんと教えてよ…』
「いずれわかるだろう。貴女の血がすべてを教えてくれるはずだ…」
彼女はすっと消え私に新しい力が宿ってきた気がした。
疼きや震え、そして血の逆流しそうな感覚も治まり自分の身体としての実感が返ってきた。
「リン、無事か!!?」
『大丈夫…ごめん、困惑した。』
「…無事ならいい。」
私達は再び敵兵に向き直り、大刀や剣を振るった。
ヨナから目を逸らせないカン・テジュン…
―こんな顔をする姫だったか?
城にいた頃は幼く弱いただの少女に見えたのに…今は何も持たぬ姫なのに…―
「馬鹿野郎…っ」
『どうして出て来たの!!?』
そのときハクの背後で斬ったはずの兵が立ち上がった。
『ハク!!』
私は彼を庇い左肩を抉られた。
『うっ…』
「リン!!」
ハクが兵を斬り、そのまま戦いを続ける。動きを止めると敵が来る。
遠くから矢が飛んできてそれを躱せなかった私の額から左眼上が切られた。
『っ…』
私は持っていた小刀を投げて弓矢を構えた兵を襲った。
次にハクが大刀を振るった瞬間、彼はふらついた。
『ハク!?』
「くっ…さっき受けた毒が…」
『ハクッ!!』
そのとき彼が正面から斬り付けられ崖から足を踏み外した。
大刀は下へ落ちていき、彼は片手でどうにか岩端に掴まっている状態だった。
私は兵を倒すべく駆け出すが瞼を矢が掠め視野が狭まっているうえ、左腕が使い物にならず体力が底を突き始めているために5人の兵にも悪戦苦闘してしまう。
『ハクから離れろ!!』
「っ!」
「小賢しい女め!!」
3人を倒したものの、私は目の前の兵の剣を受け止めている間に背後から別の兵に背中を斬り付けられた。
『うあっ…』
そのまま蹴り落とされて私は崖へと落ちてしまう。
「リン!!」
だがハクが私の左手を掴みどうにか落ちることは免れた。
抉られた左肩と背中の傷が痛むが今はそれどころではない。
私は剣を右手に握ったままハクを見上げる。
『放しなさい、ハク…』
「何…言って…」
『その身体で私も支えるなんて無理よ…ハクだけでも生きなさい…』
「馬鹿っ…ぜってぇ死なせねぇ…」
『ハク…』
「勝手に死ぬなんて許さねぇからな…」
私は彼の言葉に小さく笑うと大人しくすることにした。
「よし!下は奈落だ。雷獣を落とせ!そうすれば舞姫も共々葬れる!!」
カン・テジュンの言葉にヨナは目を見開く。
―死んじゃう…このままじゃこのままじゃこのままじゃ…ハクがリンが…―
彼女は私達のもとへと走るためカン・テジュンの前を通り過ぎる。
「姫!お待ち下さいっ!!」
それでも止まらない彼女の髪を彼は掴んだ。
「あっ!う…」
「いけませんよ姫、あのような者達のもとへ行こうなど…あなたは私と共に城へ行くのだ。」
ヨナはカン・テジュンが持つ剣を抜くと自分の髪を迷いもなく斬った。
カン・テジュンは尻餅をついてしまった。
その間にヨナは岩壁を滑り降りて私達に駆け寄った。
―殺させない殺させない殺させない…絶対に!!―
「高華国屈指の武人、ソン・ハク将軍を討ちとれるなど…なんたる名誉。」
「離れて!!」
剣を振り上げた兵に向けてヨナが言った。彼女の手にはカン・テジュンから盗った剣があった。
「ハクとリンから離れなさい!!」
「姫…」
「離れなさい!!」
弱々しく剣を振るって兵をハクから離れさせる。
それを軽々と避けながらも兵はヨナを見て困惑しているようだった。
「姫様は大人しく…」
「よせ!姫を傷つけるな!」
「しかし…」
兵は目の前にいるヨナを見て言葉を失った。
姫と呼ぶにはあまりにも自分を真っ直ぐ恐れもせず見据えていたからだ。
―これが…ヨナ姫…!?―
「…姫さん。」
「ハク、今助けるから!くうっ…」
彼女はハクの手を握って引き上げようとする。
「馬鹿野郎、逃げろ。」
『ヨナには無理よ。ハクだけでなく私までも引き上げないといけないんだから。』
「早く遠くへ…」
「やだ!絶対…ハク!リン!!死んだら許さない…!!」
彼女の涙がハクの頬を濡らす。私達はただ彼女を見上げていることしかできなかった。
「何をしている。ハクから姫を引き離せ!!」
カン・テジュンはヨナを追うように降りてきて兵に指示を出す。
そのときだった。岩が私達の重さに耐えられず崩れたのだ。
ハクの手を握っていたヨナ諸共私達は崖の下…奈落の底へ落ちていった。
カン・テジュンの手はヨナに届かなかったのだ。
「テジュン様…」
「…せ…探せ…今すぐ姫をお助けするのだ!!」
「テジュン様!落ち着いて下さいっ」
「この谷は人の踏み入れぬ場所…この高さから落ちたら助かりません!!」
「姫は…もう…」
カン・テジュンは手に持ったヨナの切られた髪を握ったまま膝をついた。
「ヨナ姫…」
彼は最後に見たヨナの燃えるような姿を忘れられずにいたのだった。
カン・テジュンはすぐに緋龍城に行った。その手にはヨナの残した髪を持って。
「スウォン様。」
「何ですか、ケイシュク参謀?」
「火の部族カン・スジン将軍のご子息、カン・テジュン様がお会いしたいそうです。」
呼ばれたスウォンはカン・テジュンが待っている廊下まで歩いて行った。
「やあ、すみません~お待たせしました、テジュン殿。今日はどうされました?」
スウォンの前にいたのは暗い表情をしたカン・テジュンだった。
「大事な…即位式前日に申し訳ありません。
貴方様に…どうしてもお渡ししたい物があって参上しました。」
紙に包まれていた物をカン・テジュンはスウォンの前で開き見せた。
それは赤い髪…スウォンはすぐに理解した。
「ヨナ姫が亡くなられました。
風と火の土地の境…北山にてハク将軍、リン様、そしてヨナ姫を追いつめ…
あと少しという所で3人は谷底へ…」
「なんとあの絶壁から落ちた…!?」
「スウォン様は3人を発見次第連絡しろとご命令を下された。
あろう事かヨナ姫を追いつめ殺したなどこれは大逆ですよ、カン・テジュン殿。」
「そうだ…私があの方を殺した…どうか罰をお与え下さい…」
「スウォン様…」
ヨナが死んだ報せに言葉を失っていたスウォンだったが、ケイシュクに呼ばれはっとすると口を開いた。
「…今日は城でお休み下さい。明日の即位式には出席して下さいますよう。」
「そんな!私に罰をどうか!!」
「テジュン様っ」
「スウォン様!スウォン様っ!!」
スウォンは赤い髪を握り締め、ヨナ、ハク、私の事を思い出していた。
彼の脳裏に思い浮かぶのはヨナの可愛らしい無邪気な笑顔と、私とハクの意地悪だけれどどこか優しい微笑み。もうそれも失われたのだ。
スウォンは自分が私達を追い出しておきながらもその死を素直に受け止められなかった。
崖から落ちた私達は咄嗟にヨナを抱き締めた。
ハクに引っ張られヨナは私とハクの間に来るように抱き締める形になった。
ヨナが無事なように私とハクは盾となる…そのためにここに存在しているのだから。
私がハクの手を離しヨナを両手で強く抱き締めると、彼は片手で私ごとヨナを胸に抱いた。
崖の底に辿り着く直前ハクが木の枝を掴み速度を落としてくれたが、すぐ枝が折れ私達は地面に叩きつけられた。
「『っ…!!』」
それと同時に私達は意識を失ったのだった。
そんな私達の近くをひとりの少年が林檎をポーンと投げ歌いながら歩いていた。
「むかぁしむかしあかいろのー♪
おおきなたいようたべられてー
せかいがくろにそまるときー…♪」
林檎を齧った瞬間、倒れている私達を見つけたのだ。
「…めんどくさ。人が死んでる。」
薄い衣を着て水浴びをしていたスウォンにケイシュクは静かに声を掛けた。
「スウォン様、風の部族長老ムンドク様が到着されました。風の部族次期将軍もご一緒です。」
「次期…将軍…」
ハクが亡くなったと報告を受けたスウォンは次期将軍と聞いて私達の死を思い出した。
言わずもがなムンドクと共に緋龍城にやってきたのはテウ。
文句を言いながらも次期将軍を務めてくれるはずだ。
「それは楽しみですねぇ。どんな方ですか?」
「ハク将軍やリン様より年若い方ですよ。風の部族は若者が元気ですね。」
「ケイシュクさん、おじいちゃんみたい。」
「あ、夜明けですよ。」
「…ほう。」
2人が見上げた空は昇り始めた朝陽で赤く染まっていた。
「実に戴冠式に相応しい暁の空です。」
その色はヨナを思い起こさせたのだった。
それからスウォンは華やかな衣に着替え、戴冠式へと赴く準備を整えた。
―高華国王の象徴である赤い龍の城…いつかこの城へ還るのだと心に誓っていた…―
彼がゆっくり目を閉じると私達と共に笑い合った日々が蘇る。
「スウォン!スウォン、いらっしゃい!!早く来て。今日はね、梨の甘煮があるのよ。」
上の階からはしゃぎつつスウォンを呼ぶのはヨナ。
「スキあり。」
「いてっ」
『もう、ハク!』
「トロいですよ、スウォン様。」
「ハク…リンも…」
スウォンの近くの柵に乗っていたのは私とハク。
ハクに至ってはスウォンの頭を大刀の柄で突くのだからタチが悪い。
「いいなあ、ヨナは。ハクやリンが従者で…」
『スウォン様にもいるでしょう?』
「私は2人が欲しいんですー」
「じゃ、王になって下さいよ。」
「え…」
『ヨナ姫と婚姻を結んで王になって下さいよ。』
「ええっ!?そんな私がヨナと結婚なんて…」
「俺らが欲しいんでしょう?」
「それは言葉のあやで…」
「ま、どっちにしろ俺らは姫さんと結婚して次期王になるのはスウォン様しか認めねえけど。」
私とハクはスウォンに笑みを向けた。
「その時俺は貴方様の右腕となり、」
『私はハクの相棒として、』
「滅びの時までお二人の傍らにいてさしあげますよ。」
『ちなみに三食昼寝付きだと嬉しいですね。』
「おトクな物件ですぜ、高華の雷獣と舞姫だからな。」
「ああ、それは…幸せな夢ですね。」
その頃からスウォンは気付いていた、彼が王となるとき私達は傍にいないのだと。
寂しくなったスウォンは私とハクをそっと抱き寄せて顔を2人の間に埋めたのだ。
私達は目を丸くするだけで彼の行動の意図がわからなかった。
―きっと…私が王になる時ヨナもハクもリンも私の傍にはいない…―
「スウォン、早くー」
「ハク、リン…ヨナを守って下さいね。」
―あたたかいこんな日は少しだけ迷う…でももう…“右腕”もその“相棒”もいない…―
スウォンの目の前の門が開き五部族や臣下達の視線が彼に注がれる。
―ぬくもりをくれたあの少女も…踏みつけて切り捨ててここまで来た…―
「あれが新王陛下…」
「まだお若いがユホン様の嫡子であられるからな。」
「おお、あのユホン様の…」
「ならばきっと素晴らしい王におなりだろう。」
スウォンは冠を頭に受け取り背筋を伸ばし臣下を見下ろした。その目にはもう迷いはない。
「五部族承認のもとここに高華国空の部族第11代目スウォン新王陛下が即位された。」
「新王陛下、ご即位心よりお慶び申し上げます。
火の部族長カン・スジン、火の部族の民はこれより陛下に絶対の忠誠を誓います。」
彼から順番に火、地、水、風の部族の長・長老がスウォンに頭を下げる。
―火の部族…彼らは協力するふりをしてずっと王都を狙っている…
地の部族は強い主に従う…水の部族は様子を見ている…
そして風の部族…圧力をかけて大人しくなったが、あそこにはまだ屈強な戦士がたくさんいる…
ハクやリンの死を知っていつ牙をむくとも知れない…
北の戒帝国や南の真・斉も高華の新王即位に注目するだろう。
だがまずこのバラバラの部族達をまとめ上げなくては!―
決意を顕わにするスウォンにムンドクは静かに言った。
「陛下、ご存知のようにこの城には今神官様がいらっしゃらない。
ですが天の神は見ておられる、陛下が何の犠牲の上に何を成されるのか。
この老いぼれもそれを見届けてから、先に逝かれたイル陛下のもとへ参る所存です。」
「ムンドク様…!」
「…そうですね。あなたには見届けて頂きたい、ムンドク長老。
しかし見ているだけの天など私にとって何の意味もありません。
欲しいのは神ではなく人の力なのだから。
私はこの高華国を先々代国王の時代のような強国へと再生させる。
立ち塞がるものがあればたとえ天でも私はねじ伏せる。」
「新王陛下万歳―――!!」
スウォンの言葉に歓声が上がったが、ムンドクは寂しく思っていた。
「長老…帰っていい?めんどくさい人がいっぱいだ…」
そんなテウの言葉も無視してムンドクはスウォンを見つめていた。
―いつからあんな瞳をするようになったのか…
あの優しい笑顔にはもう会えないのだろうか…―
その頃、倒れた私達を見つけた美少年はひとりずつ抱えて家へ戻っていた。
「この男は早く治療しないと毒が回って死ぬね…こっちの女も傷だらけだし…
赤い髪…珍しいけど、この子を守るように倒れてたってことは何か意味があるのかな…」
彼は手早くハクの毒を抜き、傷の手当てをすると次に私の身体を拭き手当てをして包帯を巻いた。
最後に一番軽傷のヨナを手当てしてあることに気付く。
「そういえば…部屋に甘い香りが充満してる…」
―あの女を運び入れてからだ…―
包帯を巻いている時に香った甘い香りに彼は目を丸くする。
「香水ってわけでもないし、身体から香ってるのか…面白いね。」
彼はそれから蜜柑を切るとそれぞれの口に向けて搾り果汁を与えた。
そのピチョンピチョンという音を聞きながらヨナは目覚め始める。
―声が聞こえる…大勢の人々の声…そこにいるのは誰…?スウォン…?―
彼女に聞こえているのはスウォンの新王即位の光景のようだった。
彼女が目を開くと少年が蜜柑を搾っているところだった。
「あ、起きた。手疲れちゃったよ。」
彼は彼女の口に蜜柑を突っ込む。
「…ふぁれ(だれ)?」
「俺はユン。ただの通りすがりの美少年だから忘れていいよ。
あんた達こそ誰?山賊には見えないけど。
あの崖から落ちて生きてるなんてしぶといね。」
「崖…そうだ、私…」
彼女は頭に包帯を巻かれたまま身体を起こし、私とハクを探した。
「ハク…!リン…!?2人はどこ!?」
「ハク?リン?あぁ、一緒にいた黒髪の男と女ならあそこに…」
全身包帯だらけで目を覆われたハク、
そしてその隣に同じく包帯だらけで左眼を包帯で覆われている私。
私達を見つけたヨナはこちらに這い寄ってきた。
「ハ…ク…リン…」
「生きてるよ、かろうじてね。
身体に受けた毒は何とか抜いたけど、胸に刀傷と全身打撲。
ろっ骨も何本かイッてるし出血多量であと少し治療が遅かったら死んでたね。
女の方も同じ。特に背中の傷が深くて出血では男といいとこ勝負。よく生きてたと思うよ。
たぶん崖から落ちる時、あんたを庇ったんだ。抱き締めるようにして倒れてたもん。」
ヨナは私達が早く目を覚ますよう両手を握って神に祈った。
―ハク……!リン………!!―
「そいつらあんたにそんなに尽くして…何?男の方はあんたの恋人?」
「ううん、全然違う。」
「ふぅん…」
―なんかかわいそうだね…―
「ここは谷底?ここに住んでるの?」
「まあね。」
「あなたは医術師?私人を探しているのだけど…」
そのとき足音がして誰かがやってきた。
「ユン君っユン君っ!聞いてくれっ、僕の話を聞いてくれっ!」
「ちょっと…もう!何で泥だらけだよ。」
駆け込んで来たのは泥で汚れた服を着て髪もボサボサの男性だった。彼の目は長い髪で隠れていて見えない。
「皆が幸せであるといいなって天に祈りを捧げてたら滑って転んじゃって…」
「めんどくさ!あんた天に見離されたんだよ。」
「ガーンッ」
そのとき男性はヨナに気付き笑顔を彼女に向けた。
「目を覚まされたんですね!!良かった~
どもです、僕イクスと申します。ユン君の保護者みたいなものでして。」
「私は…」
―名乗るのはいけない…かしら…
悪い人達には見えないけど、ここは火の部族の地に近いし…―
ヨナが迷っている間にイクスは涙を流し始めた。
「ほん…とに…つらかったですね…」
「や、私は何も…崖はハクとリンが庇ってくれたので…」
「いえ、よく旅立ちの決心をされた。」
「…ん?」
「ましてやヨナ姫ともあろう方が…」
「…ちょっと、なぜ私の事を知ってるの?」
「それは神様のお告げで…」
「バカじゃないの?そんなに簡単に喋って隠れ住んでる意味ないじゃん。」
イクスとユンの言葉でヨナは理解した。
「まさか…」
「しまった。姫様にはきちんとした姿でお出迎えするつもりだったのに…」
「神官様!?」
偶然が重なり合い見つけ出したこの男性こそ、私達が探していた神官様だったのだ。
「神官様…あなたが?」
ヨナは目の前のイクスを見つめた。どうしてもドロドロの服を着ている彼が神官だとは信じがたかったのだ。
「ユホン伯父上に弾圧されたと聞いたからもっとおじ様かと思ってた…」
「それは先代でして、僕が跡を継いだのです。」
「私がここに来る事も知っていたの?」
「はい。僕は神様の声を皆に伝えるのが仕事。
この世界のあらゆる事を神様に教えてもらうんです。」
「何が仕事だよ。金も稼いでないくせに。毎日祈ってるだけじゃん。」
ユンはイクスから汚れた衣を剥ぎ取り代わりに綺麗な衣を被せた。
「だいたい神の声とかうさんくさい事言ってるから城から追い出されたんでしょ。」
「どうして追い出されたの?」
彼女の問いにイクスとユンは目を丸くする。そしてユンは冷たく言い放った。
「呆れた、城にいたくせに知らないの?」
「…」
ヨナは彼の言葉に何も言い返せなかった。
―私は城の中の事も知らない…―
そのときハクが小さく声を上げた。
「う…」
「ハク!!」
「どいて、熱があるね。」
―ハク…いや、死なないで…―
「手術したからしばらくは熱引かないよ。今晩が峠…ってトコかな。」
「ハクを助けて…!」
「…やってるよ。死なれると面倒だし。でも俺は医術師じゃない。
助けてもらうのが当然だと思わないで。
あんたまだ助けた礼の一言もないじゃない。
こいつらにしても一度でも礼を言った事あるの?
死にかけてまであんたを守ってんのに。」
ヨナはユンに言われて自分の無力さや自分勝手さを思い知り涙を流した。
イクスはそっとヨナの肩に手を乗せた。
「大丈夫。彼らにはまだ死神様のお迎えは来てないから。2人は戻ってきます。」
ヨナは家の外に出ると流れる涙を隠しもせず空を見上げた。
彼女が去った部屋の中でイクスはユンに言った。
「ユン君、言葉優しく。」
「だって…キライなんだもん。王とか貴族とか。」
「彼女も彼女なりに闘ってる。」
ユンは意味がわからないとでも言うような顔をしてから私やハクに与える薬の調合を始めた。
「…あの…ありがとう、助けてくれて。」
そんなユンにヨナはそっと声を掛けた。
「教えてほしいの、あなた達神官の事。私は何も知らないけど阿呆のままいたくない。」
するとユンはあぐらをかいて座りヨナに向けて話し始めたのだった。
「訂正するけど俺は神官じゃないよ。
あの生活力のないのほほん神官の面倒見てるだけ。
イクスが城を追い出されたのは、まだあいつが押さない見習い神官だった頃だよ。
神殿は取り壊され何人かは捕まって処刑された。
どうして神官達が追い出されたのかって聞いたよね。
神官は昔は王をしても侵せない権威を持っていたんだよ。」
「王も?」
「そ。神官は神の使いと崇められてたからね。
国の祭事や政に深く関わり、時には戦争をも左右した神官…
神がお怒りだからと王を降ろされた者までいたんだよ。
そこまでくると王にとっては厄介なワケ。
イル陛下の父、ジュナム王の時代高華国は他国にも領土を広げ勢いづいていた。
そこにはユホン皇子の功績が大きかったんだって。
そんなユホンにとって王の力を脅かす神官は邪魔だったんだよ。」
「だから伯父上は城から神官を追い出したのね…こんな何もない所で大変ではない?」
「全然。俺は人里めんどいし、イクスはここの方が落ちつく。
人里は貧しい人間であふれてる。豊かなのは一部の都だけ。
イクスは優しすぎだから全てを助けようとして、できなくて、心が病んだ事がある。
あいつは俺がいないとダメなの。」
「…ありがとう。また教えてね。」
ヨナは膝を抱えて座ると目を閉じた。
―早く元気になって、ハク…リン…―
その頃、眠っている私はある夢を見ていた。
ある人々の人生を走馬灯のように見ていたのだ。
『これは…』
「歴代黒龍の記憶よ。」
声が聞こえ振り返ると美しい衣を身に纏った黒髪の美女が立っていた。
『貴女は…?』
「初代黒龍。緋龍王に仕え四龍をまとめ、癒していた存在。
そして貴女の中には我の血が流れている。」
『どうしてそんなこと…』
「そのような運命だったのだよ。
黒龍は伝説にもあまり登場しない陰の存在。
だからこそ四龍のように里を持たず、初代の我が死んでから高華国のどこかで生まれては死んでいった。
そして歴代黒龍たちは主に出逢うことができなかったがために自らが黒龍の子孫だと気付きもしないまま去って行ったのだ。」
『私が…黒龍…?』
「そう。耳にある鱗の耳飾り、黒い手の爪、そして甘い香りがその証拠じゃろう。」
『黒龍は耳と爪に龍の力を…?』
「主としてはそのとおり。
遠くであろうと聞きたいと願えば貴女の耳に届き、気配にも敏感。
爪は甘い香りに群がる悪い輩を切り裂くために力を宿されたというわけよ。」
『なるほど…』
彼女は私の隣に並ぶと走馬灯を手で柔らかく指し示した。
「見よ。」
彼女に言われて私は歴代黒龍の記憶を見る。
するとある者は病気で死に、
ある者は甘い香りとその美貌を目当てにした男達の餌食となり、
ある者は気味悪がれ耐えきれず自害し、
ある者は人身売買によって売りとばれていた。
もちろん、結婚し幸せな人生を歩む者だって多くいる。
「この能力と体質は諸刃の刃。人間の欲望のもとで黒龍という自覚がない多くの女性は汚されてきた。
だが貴女は違う。武術を身につけ、主にも恵まれた。
貴女には黒龍として主を守り、黒龍の能力を活かして生きるさだめがある。」
『待ってちょうだい。私はどうして黒龍として目覚めたの…?」
「それはあの姫様が自ら剣を取り生きようとしたから。
あの赤く燃えるような目…あれは隠れた強さがある。」
『ヨナ姫様…』
私はヨナが怖いほど強くカン・テジュンに言い放った時の様子を思い出した。
そして決意したのだ、ヨナの隣にいるために。
『姫様を守る為なら黒龍の力でも私は受け入れましょう。
その運命も力も…何だって強く生きるために手にしたい。』
「後戻りは許されぬぞ?」
『後戻り?そんな事するつもりは元々ない。私は姫様の為に生きているの。
私はどうなろうと構わない。だから…力を貸してちょうだい、黒龍よ。』
「リン…」
『これが私の運命なら受け入れるわ。』
私が微笑むと彼女は私の両手を握った。
すると爪が光り、鱗形の耳飾りも熱を持ち、甘い香りが強くなり、私の中には4つの鼓動が感じられるようになった。
「これで貴女は黒龍の力を得た。四龍と同じ運命を背負うことになったのだ。」
『短命ってことかしら。』
「…それも理解したうえで受け入れたのか。」
『もちろん。』
「そして貴女が感じる繋がりは四龍の位置のようなもの。五匹の龍は兄妹のようなものだ。」
『わかったわ。』
「残念だが我の記憶は貴女に与えることはできぬ。
最低限の知識は与えるが、我の記憶は我にとっても大切なものだからな。」
『貴女のことに関与しようとは思わないわ。これからは私が黒龍として歴史を紡ぐんだから。』
彼女は少しだけ寂しそうに微笑むと私を抱き締めた。
「どうか…気を付けるのだぞ。」
『黒龍様…』
「強く生きよ、我が愛しい子孫よ。」
そう言い残し彼女はぬくもりと甘い香りを残して消えた。
私はまだ歴代黒龍の記憶の中に残されたまま。
―目が覚めるまでこのつらい記憶を見ないといけないわけね…―
私は小さく息を吐くと龍の血を感じながら記憶に目を向けた。
―龍の力を手にしたなら過去も受け入れないといけないわよね…―
ユンはそのとき私が魘されていることに気付いた。
「ねぇ、起きなよ。大丈夫?」
『うっ…』
「そういえば…」
―甘い香りが強くなってる…?―
彼は苦しむ私を揺すった。
「魘されるくらいなら起きなって!」
『はっ…!!』
目を開くととても近い位置に美少年がいた。
「やっと起きた。」
『君は…』
声は掠れているし、片目は覆われているため視野も狭い。
ユンは名を告げながら水を持って来てくれた。
それを呑んでから私は隣で眠るハク、そして近くで丸くなっているヨナを見て問うた。
『ユン…私達を助けてくれたの?』
「まぁね。あんた達を運ぶのに3往復しなきゃいけないし、お姫様以外の傷は酷いし大変だったんだから。」
私はその言葉を聞いて身体の痛みなんて忘れて正座をすると深々とユンに頭を下げた。
『助けてくださりありがとうございました。』
「…あんたに貴族としての誇りはないんだね。
俺みたいな奴にそんなにあっさり頭を下げるなんて。」
『私は貴族でも将軍でもない。火の部族の貧しい村で生まれ、死にかけていたところを拾われただけの女。
それに救ってくれた命の恩人に感謝するのは当然のこと…ありがとう、ユン。』
「…変なの。」
『私はリン。姫様の護衛兼相談役を任されてるわ。城では舞姫とも呼ばれてた。』
「舞姫…?」
『こう見えても城では数少ない女性武人だからね。』
「舞姫ね…でも呼びにくいからリンでいい?」
『えぇ。よろしくね、ユン。』
「…それよりその甘い香りは何?」
『あ…それについては後で詳しく話すわ。ハクや姫様にも伝えないといけないから。』
「そう。」
私はそのときある気配を感じ取ってユンから別の方向へ目を移した。そこにはイクスが立っていた。
「あ、目が覚めたのですね。」
『貴方は…神官様…?』
「え?リン、どうして…」
「やはり貴女は…」
『神官様は全てご存知のようですね。』
「はい。」
私とイクスの間には言葉はそれ以上必要なかった。
それから暫くしてイクスもユンも眠ってしまった。
私は部屋から出ると軒先に座って愛用している剣を両手で握った。
『イル陛下…』
「何ぶつぶつ言ってんだ、リン。」
『ハク!!?』
「よぉ。」
『元気そうでよかったわ。』
「お前こそ。よく生きてたな。」
『さっきまで死にそうだった人がよく言うわ。』
「…ちょっと付き合え。」
彼に腕を引かれ立ち上がると2人で山に入って行った。そのとき彼は私を見てある事を呟いた。
「お前…変わったな。」
『え?』
「何ていうか…髪とか目がより黒くなって黒曜石みてぇだ。そのうえ香りも強くなってないか?」
『…そうかもね。』
「…?」
そのとき私はまだ片目の感覚に慣れず時折躓いてしまう。
「おいっ…」
『ごめん…片目の感覚に慣れなくて。』
「情けねぇな。」
そう言いながらも彼は私を支えた手を離さないまま歩き出してくれた。私はその手を握ったまま足を進める。
「俺の大刀はどこ行った…」
『きっと私達が落ちた所の近くに…』
それから少し探すと大刀は見つかり私達は道を戻り始めた。
その頃、ヨナは目を覚まし私達がいないことに気付いて外に飛び出していた。
そして外を走り石に躓いて転んでしまう。
私達の包帯だらけの状態を思い出して彼女は泣きながら叫んだ。
「ハク…リンのバカ…っ」
私とハクはそれを傍から聞いていてそっと彼女に近づいた。
『心外ですね、姫様。』
「暗闇で座りこむなり悪口ですかい。キセキの生還を遂げてだいぶお元気そうで何よりです。」
『どうしました?怖い夢でも見ましたか?』
「そんな事じゃ泣かないわ。」
「ほ~お。」
「どこ行ってたのよ。」
「ちょいと大刀を探しに。」
「だったら私を起こしなさい!」
「…成程。一人じゃ寝れないんですね、添い寝しましょか。」
「たわけ者っ!そんなケガでどこ行ってたの!?
こんなボロボロになって無茶してっ…死んじゃうかと思った…っ
勝手に行かないで…ハクとリンだけは…そばにいなきゃダメ…」
ヨナの泣き顔にハクは申し訳なくなって膝を曲げて視線を彼女と同じにした。
私はそっと2人から顔を背けて近くの木にもたれて立った。
―2人にしてあげた方がいいかな、ハク…―
「…なんか死にてェな。」
「え?」
ハクは頭を抱えてボソッと呟く。
「そのぶっさいくな泣き顔が結構キたんで、いっぺん死んであんたがどんだけ泣くのかすげえ見たい…」
彼は男らしい視線を一瞬だけ見せてヨナに顔を寄せた。私はチラッとそれを見て笑う。
―やっと、かな?―
だが、その瞬間にどんっと大きな音がした。
ヨナとハクの額が勢いよくぶつかったのだ。痛みで2人は頭を抱えて悶える。
私は心配になって彼らに駆け寄った。
『だ、大丈夫…?』
「…嫌ならよけて下さい。」
「…嫌?熱計るのかと思って頭突き出しちゃった。違うの?」
『ぷっ…』
ハクは吹き出した私の頭を殴った。
『痛っ…』
「あ…ああ、そう。そうなんです。熱で頭がおかしくなってて。」
「でもさっきよりは引いてる。」
そのとき私とハクはヨナの短くなった髪に目を向けた。
私たちはそっと彼女の髪を撫でる。
『髪が…』
「申し訳ありません、俺達の落ち度です。」
「平気よ、軽くなったし。それに…この赤毛がずっと嫌い…だったんだから。
悪くないでしょ、こういうのも。」
彼女は私達に向けて無邪気に微笑む。
スウォンに言われたその赤い髪が好きだという言葉を忘れていないことを私達は知っているが、追究なんてしない。
『えぇ、可愛らしくてお似合いです。』
「そうですね…頭は悪いですけど髪はいいんじゃないっすか。」
「その口縫い付けてやる!」
彼女は不貞腐れたように立ち上がるとユンやイクスのもとに戻り始める。その後ろ姿に私とハクも立ち上がった。
『簡単に言ってくれるわね…』
「束ねる髪がなくなってもまだあの簪を捨ててないくせに…」
「リン!ハク!!」
『はい。』
「今行きますよ。」
私達は朝までもう一度眠ると翌朝ヨナとユンから説明を聞いた。
「え?神官の家?ここが?」
「うん。」
「へぇ、すげー偶然。」
そう言いながらハクはユンが頭に乗せている籠から食べ物を次々に食べる。私は呆れながらそれを見るだけ。
「しかし隠れ住んでるとはいえ、神官の家つったらもっと祠的なとこかと思った。」
「ちょっと、勝手に食べないでよね!」
「おお神官様、お恵みを。」
「俺は神官じゃないよっ」
『ふふっ』
「リンも笑い事じゃないからね!?」
「神官様、どこに行ったのかな。」
ヨナはそう呟くと家を出てイクスを探しに行った。
すると彼は滝を眺められる開けた場所にいた。
「神官様。」
すると彼は静かに涙を流していたのだ。
「どうしたの!?」
「あ…あなたの夢を…見ていました。あなたを…この世界の夢を…」
彼は涙を拭って空を見上げた。
私とハクはユンに案内されてそこにやってきた。
「ヨナ姫、神の声を聞きたいですか?」
「…ムンドクに神官様に道を示して頂くよう言われたの。
道とは…誰かに示してもらうものですか?」
そう問うた彼女の目は崖にいたときと同じ強い光を宿していた。
「私は何もしないでじっとしてるべきなのかと思っていた。
でも追われて、リンを傷つけられて、ハクを殺されそうになって、自分も死にかけて…血が熱くて沸騰しそうに熱くて…」
『っ!?』
彼女の言葉に私は自分の中の龍の血が騒いだ気がした。
―そうか…彼女の強い想いが私を目覚めさせたんだ…―
「生きたいと思ったの。私もハクやリンの命も決して奪わせやしない。
私の願いは今はただそれだけ。神様に聞く事なんて…」
「…いいえ、あなたが“生きる”という事は普通に平和に暮らすのとは違う。
あなたが生きるという事はこの高華国の大地を揺るがす嵐を起こすという事。」
「神官様…?」
「あなたがただ真っ直ぐに生きたいのなら、熱き血潮を止められぬのならあなたに神の声を伝えましょう。」
そう言うとイクスは手を合わせ目を閉じ、そっと言葉を紡いだ。