主人公はハクの相棒でヨナの護衛。国内でも有名な美人剣士。
旅の始まり
主人公の名前設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは私とハクが十五歳の頃のこと…
「ハク!こら、ハク!!」
「ん?」
「小僧め…今日は五部族会議があるから風の部族としてお前も出席しろと言ったろーが。」
『あら、そうだったの!?』
私とハクがのんびりしているとムンドクが走ってきた。
会議にはムンドクのみが出席すると思っていた私は彼の言葉に驚くばかり。
「会議なら風の部族長であり高華国五将軍の一人、ムンドク様のみ出席なされば良かろう。
それにぽよ~んとしたイル陛下の話には付き合ってられ…」
「バカモノ!!ムンドク様ではない!じっちゃんと呼べ!!」
「『そっちかよ!/なの!!?』」
「俺とアンタは血繋がってねーだろがっ」
「血がどーした。そんなもん愛の前には無力!!」
『ふふっ。じいやもハクも元気ね…』
「こらこら…」
するとそこにイル陛下がやってきた。
「ムンドク将軍とその後継者ハクが暴れたら緋龍城が吹き飛んじゃうじゃないか。リンも見てないで止めてよ。」
「これはイル陛下。」
『申し訳ありません、イル陛下。』
―やべ、ぽよ~んとしたとか言っちまった…―
ムンドクと私はイル陛下に頭を下げる。
「ああ、伏礼なんかいーのいーの。久しぶりだね、ハク、リン。
昔みたいに城に遊びに来てくれなくて淋しいよ。」
「や、俺たちみたいな平民が気軽に出入りする訳には…」
「そんなの気にしないで。ヨナも2人がいないと淋しがっている。」
「嘘つけ、このぽよん。」
『あ…』
「ぽよんとは何じゃぁああ!!」
「ギャーーーッ」
ムンドクが怒り鉄拳がハクに飛ぶ。私は見慣れたようにただ溜息を吐いた。
「こんな無礼者、もはやワシの孫ではないっっ」
「だから俺とアンタとは血繋がってねーんだって!」
「暴力はいけないよ、ムンドク。私はハクのそういう裏表のない所がお気に入りなんだ。」
『裏表がなさすぎだとは思いますが。』
ハクはそう呟いた私を小突こうとするが、私はそれを先読みして彼の拳を片手で止めていた。
2人の手がキリキリと震えているのを見ながらイル陛下は優しく言う。
「だからハク、ヨナの護衛としてずっと城にいてくれないかい?」
「陛下、俺は“貴族”ってのが面倒で仕方ないんですよ。
城に入ったり将軍になったりすれば家でのんびり昼寝も出来ない。」
「ハク…」
「陛下は武器はお嫌いなのでしょう?
なら武器も持たずに人を護衛する世にも貴重な人間を探して下さいよ。」
「ハクっ…」
ハクは歩み去ってしまい、私はイル陛下に頭を下げてハクを追った。
―正直王家や貴族とは関わりたくない…腹の探り合いも足の引っぱり合いもくだらねェ
王は王で危機感ねェしな…そしてこの城に来たくないもう一つの理由は…―
「ハク!隠して…」
ハクと私に駆け寄ってきて背後に隠れたのはヨナ。
―昔っからこの姫さんといると俺は調子狂って仕方ない…―
この頃から私はハクが秘かに抱くヨナへの想いに気付いていた。
「ヨナ姫!姫様ーっどこです~~~っ?」
『あれは火の部族長のご子息…』
「ダメですよ、ヨナ姫。イタズラはバレないようにしないと。」
「違うわよ!」
彼女から事情を聞いたところ、なんとあの火の部族長の子息に言い寄られてると言うではないか。
「言い寄られてる!?」
ハクはその言葉に大爆笑。
「本当だってば!あのカン・テジュンとかいう人、度々城に来ては私に贈り物やら遊びに誘ったりするのよ。
華のように愛らしいだの、その瞳の矢に射抜かれただの…ムズムズする台詞ばっかり!」
―王には現在皇太子がいない…ここは姫を懐柔して玉座を手に入れようというわけか…―
「すっごくしつこいのよ。」
「言えば良いではないですか、“私にはスウォンという心に決めた人がいます”って。」
ヨナは顔を赤くし、ハクは少しだけ胸を痛めた。
「だって…片想いだし…それを言ったら本人の耳にも入っちゃう…」
「俺の知った事じゃねー…」
「面倒くさそうに言わないでっ」
「じゃあ、カン・テジュン様とテキトーに仲良くするんですね。
たまには外の話を聞くのも必要ですよ。」
「えっ…ハク冷たい。スウォンなら絶対そんな事言わないわ。」
「だったら!スウォン様に守ってくれと泣きつきゃいいだろうが!」
そう言ってハクは立ち去った。その子供っぽい嫉妬に私は苦笑し、ヨナは寂しそうだった。
『姫様?』
「リン…ハクを怒らせちゃった…」
『そうですね…男は面倒くさい生き物ですから。』
「どうしよう…」
『姫様は…ヨナはどうしたいですか?』
私が彼女を名前で呼ぶときは彼女の相談に乗るという合図。それは私とヨナの暗黙の了解だ。
「ハクに謝ってくる…」
『お伴しましょうか?』
「ハクがいる所だけ教えて…私一人で頑張るんだから!」
『了解しました。頑張って下さいね、ヨナ。』
「うん!!」
私はヨナにハクのいるであろう場所を伝えると私達が泊まっている城の片隅へ帰った。
すると案の定ムンドクと話すハクがいた。彼はムスッとして縁側に横になっていた。
『ただいま戻りました。』
「おぅ。」
「あーっ。早く風の部族の屋敷に戻ろうぜ、ムンドク将軍。」
「お前…何をイラついとるんだ。そしてじっちゃんと呼べ。」
「イラついてなんかいませんよ。」
ムンドクは呆れながら私に小声で訊く。
「どう見てもイラついとるやろ…?」
『えぇ。でもね、じいや。もうすぐ解決すると思うわ。』
「お前がそう言うなら信じようかの。」
彼が立ち去ると私は壁にもたれて座り目を閉じた。
するとコンッと音がしてヨナが塀の向こうに顔を出した。驚いてハクは身を起こす。
彼女は低い塀を上ってハクの隣に座った。
「ヨナ姫、何でここに…」
彼女は服の中に隠し持っていた果物をハクの前に置く。
「昼間はごめんなさい。私がふがいないから怒ったんでしょ。
私は高華国の誇りある姫なんだからうだうだ言ってないで自分で何とかしてみる。じゃね!」
「あっ、おい…」
「それあげる。仲直りの賄賂ね。」
彼女はそのまま駆けて行って、私はその可愛らしい会話に目を閉じたまま小さく笑った。
「…だから姫さんとはあまり関わりたくねェんだよ。」
ハクはそう言いながら林檎を齧る。そして笑っている私に気付くともうひとつの林檎を私に向かって投げた。
私は目を閉じていたものの気配でそれを感じすっと目を開くと片手で受け止めた。
「笑うんじゃねェ…」
『あら、ごめんなさい。』
「ここの場所を教えたのはリンだな?」
『何のことかしら。』
私はハクの隣に移動して夜空の星を眺めながら彼同様林檎を齧った。
翌日、私達が中庭でのんびり過ごしていると廊下を歩く城の者たちの会話が聞こえてきた。
「部族会議での陛下のご様子はどうだ?」
「ああ、また部族長達の言いなりになっているらしい。」
「火の部族は隣国から武器を買い占めているらしいぞ、王の許可もなく。」
「このままでは部族達の力が増し国王の力が衰える一方だ。」
「あのような臆病な王にこの国を任せて良いのか?」
―言われてるわね…―
―無理もないか、あの王じゃな…―
「俺がじっちゃんの後を継いで将軍になったら俺は王家の犬…か。」
『ハク…』
「それでもお前を手放す気はないからな、リン?」
『もちろんよ。こんなに優秀な相棒はどこを探してもいないでしょ?』
「凄い自信だな。でも…まぁ、事実だから否定はしねェ。」
そのとき私たちの頭にイル陛下の言葉が過ぎった、ヨナの護衛になってほしいというあの言葉が。
「やめといた方がいいですよ、陛下。俺は…」
「嫌です!」
『ん?』
そのときヨナの声が聞こえてきた。
「私は貴方と離宮には行きませんっ」
『カン・テジュンに言い寄られてるわね…』
「つれない事おっしゃらずに。離宮には素晴らしい花の庭園があるとか。案内してはくださらぬか?」
カン・テジュンはヨナの手を掴んだ。
「放…してっ」
「うぜェ…」
『同感…』
「スウォンがいればな…」
『いや、あの色恋に関してのほほんな坊ちゃんがいても無意味な気が…』
「確かに…あいつは昔からああだから姫も苦労するな…」
その間もカン・テジュンはヨナに詰め寄っていた。
「おい…姫様、嫌がってないか?誰かお止めしろ。」
「しかしカン将軍のご子息だぞ。下手な事して将軍に睨まれたら…」
「では陛下をお呼びしろ。」
―貴族様とはまこと面倒な生き物だ。関わるな、放っておけ…
放っておけ…でないと俺はこれからずっと…―
カン・テジュンとヨナの様子が見えないようハクは目を閉じた。
だがそんな彼の瞼の裏に見えたのは昨日わざわざ仲直りをしようと自分のもとを訪れた小さなヨナの背中だった。
「本当に可愛らしいですね、ヨナ姫は。
まるで子猫のような力で抗われるとますます触れたくなってしまいますよ。」
そのときハクがすっと立ち上がった。
私は彼が動くのを薄々予想していたため、小さく微笑んで彼を見送った。
「やっ…いい加減に…」
「いい加減になさいませ、カン・テジュン殿。」
ハクはカン・テジュンの手を掴み止めるとヨナの肩を自分に抱き寄せた。
「ハク…」
「な…何だ、お前は。無礼者。それに姫に気安く触れるなど…」
「貴方こそ誰の許可を得て俺の姫に触れやがってるんですか?」
―俺の?―
―誰の?―
ハクの真剣な眼差しと言葉に私はついクスクス笑ってしまった。
カン・テジュンはハクの生意気な態度に怒りを顕わにする。
「ガっガキが出まかせを…」
「どうして嘘だと申されるんで?俺と姫は幼少時より将来を誓い合った仲ですよ。ね、姫様。」
「は?えっ…」
「どうしました、姫様。そんなにテレなくても。」
「ほほほ、やあね。人前で…っ」
ハクに睨まれヨナは彼に話を合わせた。
その様子さえ面白くて私は肩を震わせてしまう。
するとポンッと肩に手を置かれた。見上げるとイル陛下が笑っていた。
『陛下…』
「もう少し様子を見てみようかな。」
『はい。』
「姫は…そやつがその…お好きなのですか…?」
「う…うん。好き、大好き!」
ヨナはハクの腕にしがみついて断言した。その言葉にハクが嬉しそうに照れた。
「みっ認めん!たとえそうであれ貴様のような者が姫と将来を誓うなど…
私は火の部族長カン将軍が次男カン・テジュンなるぞ。貴様はどこの誰だと言うんだ。」
するとハクは真っ直ぐカン・テジュンを見据えて言った。
「俺は風の部族次期将軍ソン・ハク。陛下直々にヨナ姫様専属護衛を命ぜられた者。異存あるか?」
「く…ならばその実力今ここで見せてみよ。」
カン・テジュンが剣を抜こうとしたときイル陛下がツカツカと歩み寄りその刀身を握った。
「陛下…!?」
「いけませんよ。」
「おっお許しを…」
「うん、いーのいーの。」
カン・テジュンは逃げるように立ち去った。
私とハクはイル陛下が刀身を握ったことで掌から血を流していることに気付いていた。
その手を彼は背後に隠してヨナから見えないようにしている。
そのまま笑顔をヨナとハク、そして遅れて隣に並んだ私に向けているのだ。
「君達がそういう仲だとは知らなかったよ。」
「ち、父上。誤解よ、あれは…」
「ああ言えばもう彼も来ないでしょう。あー、面倒だった。」
『一言多いわよ、ハク。』
「ハク、やっとヨナの護衛をする気になったんだね。君になら任せられると思っていた。」
「…高いですよ、俺は。」
「どうか、ヨナを頼む。」
ハクは床に跪きイル陛下に忠誠を誓った。
「リン、君にも頼みたい。」
『へ、陛下!?』
「ハクは君を傍に置いておきたいだろうし、ヨナだって女性の君が近くにいてくれた方が何かと相談しやすいだろう。」
「リンも一緒がいい!!」
『姫様…』
「私の相談役になってちょうだい?」
「そしてヨナの護衛…ハクの相棒として共にいてやってくれ。」
私はハクの隣に跪いた。
『陛下と姫様のお望みとあらば。』
―全くこの親子はどうも放っておけないわ…―
―それにこの王は臆病などではない…―
ヨナと共に歩いて行くイル陛下の背中を私とハクは顔を上げて見つめた。
彼が歩いて行くと血が床を汚す。私はすっと彼に歩み寄って持っていた布でそっと傷口を塞いだ。
「リン…」
『貴方は臆病などではありません。私もハクも貴方に忠誠を誓います。』
「ありがとう。私から君に渡したいものがあるんだ。」
『…?』
私は彼の言葉の意味もわからないままハクと共にイル陛下とヨナの後ろを追った。
イル陛下の書斎に入ると彼は奥の部屋からある剣を持ってきた。
「これをリンに渡そうと思っていたんだ。」
『え…?』
「ハクには大刀があるけど、君はいつも借り物を使っているだろう?
だからこれはヨナの傍にいてくれる君への私からの贈り物だ。受け取ってくれるね?」
彼が差し出したのは美しい装飾の施された剣。
白銀の鞘に納まった剣で柄も銀色で先端には黒曜石が輝いている。
護拳(握ったとき手が刀身に触れないようにしている出っ張った部分)は金色に輝き真新しい剣は輝いていた。
鞘には龍が5匹描かれ金色に輝いていた。
それぞれの目には色とりどりの小さな宝石が光っていた。緋色、青、白、緑、そして黄色の宝石が。
イル陛下はそれを私に差し出し笑顔を向ける。私ははっとして彼の前に跪いた。
『ありがたくちょうだい致します。』
両手で剣を受け取り私はその剣に忠誠を誓った。
それからというもの私の腰にはいつもその剣があり、これが無いときには戦いに集中できないほどだった。
この剣あっての私…剣のない状態では戦う事なんてできなかった。
―だって剣にすべての忠誠心を納めているんだもの、イル陛下…―
そんなつい先日のような日々を思い出しながら私とハクは夜空の月を見上げた。
私は無意識のうちに腰にある剣を両手で握っていた。
『イル陛下…今もどこかで私たちを見ておいでですか…?』
「あなたの心残りは俺らが守る。そして必ずあなたの城へ戻ります。」
そのときふと私の目から涙が零れた。
「リン…」
『…泣かないつもりだったのにな。』
ハクは何も言わずに私を自分の胸へと抱き寄せた。私は彼の服を握りただ泣いた。
第二の父のような存在だったイル陛下、友のミンス、幼馴染の裏切り…
もう手に入らない穏やかな過去の日々を思って流れてくる涙を堪えようとはしなかった。
「お前が生きててよかった…」
『でも…私は守れなかった…!』
「リン…」
『馬屋に行ったらもうイアンは冷たくなっていた…』
「っ!!?」
『血で赤く染まっていたわ。私達の足止めの為でしょうね…
それを確認してすぐミンスと共に逃げようとしたの。
その途中、たくさんの兵が矢を射ってきて薙ぎ払いようがなかった。』
「ミンスを庇いながら戦うのは簡単ではないだろ。」
『少しくらい矢が刺さっても問題ないと思って逃げる事に専念しようとした瞬間、彼が私を庇って矢をすべて背中に受けたのよ…』
「あのバカ…」
『彼は私に生きてくれと言い残して笑顔で眠ったわ…
遺された私の身にもなってよ…目の前で友を殺されて…守りきれなくて…』
「リン、自分を責めるな。」
ハクは私を一度自分から離すと真っ直ぐ目を見て言った。
「ミンスは元々命を懸けて俺らを逃がすつもりだった。
足手まといになるくらいならお前だけでも生かしたかったんだ。」
『ハク…』
「思う存分暴れて生き抜け、リン。それでミンスを見返しちまえばいい。」
『うん…』
彼は再び私を強く抱き締めてくれる。
兄妹のように共に育った私たちの間には男女の関係はなく、こうやって抱き合うのも家族だから。
「…気が済むまで泣け、俺の分まで。」
『泣くのは今日だけよ…姫様の前で泣いたりしないから…』
「あぁ…」
ハクは私の髪を撫でながらまた月を見上げる。
城を逃れてこれからやるべき事を見出せないまま私は泣き疲れ彼の胸に寄り添って眠り、彼も注意を張り巡らせたまま目を閉じた。
その日私が見た夢は遠い過去の記憶のようで…
仲の良かった私、ヨナ、ハク、スウォンが笑顔ではしゃぎ、並んで街を眺めていた。
だが翌朝私は目を覚まし現実を見る事になる。
『夢…』
―そう、すべては夢に過ぎない…
この世界にはもう優しかった幼馴染も、いつも笑顔だったイル陛下もいないのだから…―
私が身体を動かすとハクが目を覚ました。
私達は今後山を抜けるのに必要となる水を近くの川へ汲みに行くのだった。
私達の隣で眠るヨナはある雪の日の夢を見ていた。
―泣かないで、父上…母上がいなくなってもヨナがいるから父上はひとりじゃないよ…?
そしてね、ヨナにはスウォンがついているから…―
ヨナの母上が亡くなってすぐ緋龍城は雪に包まれ白く染まっていた。
私はハクと共に雪の中に身を沈めて仰向けになると空を見上げていた。そこにヨナとスウォンがやってくる。
「ヨナ、ほら見て!雪ですよ~」
「うん…」
スウォンはヨナを元気づけようと雪で様々な物を作る。
「お団子出来ましたっ!何だか奇妙なもの出来ましたっ!」
それでもヨナの顔色はずっと優れないまま。
「…ヨナ。」
「あっ、元気だよ。父上が泣かないようにヨナが元気になるんだもんね。」
「ぐえっ…」
そのとき私の隣でハクがヨナに踏まれて声を上げた。
「重い…」
『ハハハハハッ』
ハクの上にいたヨナはすぐにその場をどけた。
「ハク!?」
「わーい、ハクだ♡あ、リンもいます!!」
「寄るんじゃねーっ姫さん、足元に気ィつけろよ。せっかくいい気分だったのに。」
『ふふっ…』
「リンは笑うんじゃねェ。」
「なんでそんなとこでねてるのよ。」
「俺は俺の生きた証をこの大地に刻んでたんだよ。」
『私は心地いいからかな。』
「降り積もった白い雪があったら大の字になって寝てみたくなるのが人情ってもんだぜ。」
「ハクかっこいー」
そのときボスッと音がしてヨナが投げた雪玉がハクに命中した。
「雪だんごの的にちょうどいいわ。」
「ほーう…」
それからヨナとハクの雪合戦が開幕する。私とスウォンは笑いながらその光景を見ていた。
「さすが、ハク!ヨナが元気になりました。私も混ぜて~」
『仕方ないわね…』
私も久しぶりにはしゃぎたくなって身体を起こすと雪玉を作って適格にハクにぶつけた。
「くっ…」
『ハハハッ』
「リン!!どうして俺ばっかり狙ってんだよ!」
『だって姫様にぶつけるのなんて申し訳ないし、スウォンにぶつけられるような身分じゃないもの。
ハクなら容赦なくぶつけられるし?』
「お前なぁ…」
そう言っている間にハクは彼以外の3人から雪玉攻撃を受けるのだった。
翌日、ヨナは風邪をひいてしまった。前日の雪遊びが仇となったようだ。
寝込んだ彼女の横に私達は並んで座る。
「ヨナの元気がなくなりました…」
「雪ん中での遊びは姫さんにはキツかったか。」
『ごめんね、姫様。』
「お薬を飲んで安静になされたらよくなりますよ。」
「…ねぇ、父上は?」
「陛下は今お忙しくて。まだ登極(とうきょく=即位のこと)されて間もございませんし。ですがじきお見えになりますよ。」
看病に来た医務官はそう言い残し去って行った。
「大丈夫ですよ、ヨナ。」
「あの王様、姫さんが病気つったら飛んで来るぞ。」
「3人とももうかえっていいよ。ヨナに近づかないで。」
『平気よ、私は元気だから。』
「今身体ポカポカで。」
「俺なんか遊びすぎてまだ雪団子の幻が見える。」
『…ん?』
私は彼らの発言に違和感を覚え隣に座るハクとスウォンを見た。どう見ても2人の顔色が悪いのだ。
『だ、大丈夫…?』
私の言葉に答えずにハクもスウォンもぐったりしてしまった。
私はすっと立ち上がって廊下へ出た。
『医務官…すみません、病人2人追加です…』
それから私は医務官を手伝い布団を敷くと3人を寝かせた。
ハクとスウォンは大人しく寝間着に着替えヨナを挟むように横になった。
看病をし終えて医務官が出ると私は壁にもたれて座った。
「どーりで雪団子が俺の周りを飛んでると思った…」
『ハク…軟弱…』
「なっ…お前が雪団子をぶつけるからだろ!」
『ハクも私にぶつけた癖に。』
「っ…」
「リンは大丈夫なの?」
『いつも通り元気よ、姫様。そこで寝込んでるバカハクとは違います。』
「言い返せねェのが悔しいぜ…」
「3人とも…かえらなくていいの?」
『病を流行らせないようにここで治した方が良いみたい。』
「でもヨナとは最近ずっと手をつないで寝てるしいつも通りですね。」
「…そんな事してんのかお前ら…」
ハクはすっと身体を起こした。邪魔者は帰ろうという事らしいが、私は彼に歩み寄り帰ろうとするハクを制止した。
「やっぱ俺帰るわ。」
『大人しくしてなさい、病人なんだから。』
「そうですよ、ハク!4人で手つなぎましょうよ。」
「冗談…」
そのときドタバタと足音がしてムンドクがいきなり入って来た。
「ハクー!リン!!!」
「『わーッ!!?』」
私とハクは咄嗟に背筋を伸ばした。
「じっちゃん!?」
『じいや…』
「小僧、姫様に雪をぶつけて病にかけたらしいな。」
「そこに雪があったら投げるのが礼儀だろ。」
「小童め!尻を出せ。ムチ打ちじゃああ!!」
「将軍っ、お止め下さい。病人ですよ。」
『はぁ…』
私はムンドクの手を引いて部屋を出た。
「リン、お前は病にかからなかったのか。」
『そんなに軟弱じゃないわ。』
「ハハハハッ。ハクは軟弱だと?」
『はしゃぎすぎたのよ。というより、私は姫様やスウォンに雪玉をぶつけるなんて事できなくてずっとハクに向かって投げてたからね…
だからハクの方が被害が大きかったのかも…』
「ふっ…リンの雪玉ごときで倒れるなら軟弱者に変わりなかろう。」
ムンドクは私の髪を撫でて歩み去って行った。
「3人の面倒をちゃんと見てやるのだぞ。」
『はい!』
「…やっぱ俺ここにいる。」
私が部屋に戻るとハクが弱々しくそう言っていた。
「あれは…っ、風の部族長ムンドク将軍ですよね。」
「そうだけど…」
「近くで初めて見ました。五将軍最強といわれるムンドク将軍…私の憧れなんです。
ハクとリンのお祖父様(おじいさま)だったなんて。」
「俺達は孤児だ。じっちゃんとは血繋がってないぞ。」
『そのうえ私とハクも血の繋がりはないわ。』
「そうなんですか…」
「俺達は養子としてじっちゃんの部族に世話になってるだけだ。」
「でも…ムンドクきてくれた。ハクのことすきなんだね。」
「…どうかな。」
ヨナの言葉に私は微笑んだ。
ムンドクは口は悪いし怖い事もあるが、私やハクのことを本当の孫のように可愛がってくれている。それは口に出さないが私達も理解しているのだ。
するとドシドシとまた足音が聞こえてきた。
『また誰か来た…?』
私がその人物を招き入れようと扉を開けると目の前に立っていたのはスウォンの父親であり、イル陛下の兄であるユホンだった。
『ユホン様…』
「邪魔するぞ。」
私は彼に頭を下げて扉を大きく開いた。
彼の姿を見たヨナは首をすくめて身体を小さくしてしまったが、スウォンははっとして身体を起こした。
「ち…父上…どうしてここに…」
「病にかかった息子を見舞ってはおかしいか?」
「病が父上にうつってしまいます。」
「お前の病ごときに俺が負けると…?」
「いっいえっ!でも今はとてもお忙しい時期だと…」
―ユホン伯父上っ…伯父上はつよくて、きびしくて…スウォンとはぜんぜんちがう…―
「ヨンヒが来るといってきかなかったのだが…」
「母上が…っ!?」
「あの身体で病をもらっては危険だ。屋敷に置いて来た。
母親に心配かけるものではない。病など早急にぶち殺せ。」
「はいっ!」
―ぶち殺す…?―
私はユホンの言葉を不思議に思いながらもスウォンの嬉しそうな様子に笑みを零した。
「お前達…後で見舞いの品を届けさせよう。小娘…」
『は、はい!』
「名は?」
『リンと言います。』
「リンか…後程私の所に来い。見舞いの品をここへ運んでくれ。」
『かしこまりました。』
ユホンは立ち去り私は彼に頭を下げた。
「…っっ、さすがな迫力。一気に熱下がった気がする。」
「こわ…っかった…」
「リン、よく怖気づかずに話せたな…」
『緊張したけどユホン様も父親だから優しい顔してたわよ?』
「や、優しい…っ!?」
「今日はなんて幸せな日でしょう。よーしがんばって病をぶち殺します。」
「寝ろ、アホ。」
ヨナはそんな2人の間で寂しそうな顔をしていた。
彼女の父親だけ顔を出してくれていないのだから当然だ。
―父上…父上くるしいよ…どうしてきてくれないの…?ひとりにしないで…―
私はそれから暫くして部屋を出るとユホンのもとを訪ねた。
『失礼致します。』
「リンか。」
『はい。』
「これをスウォン達に届けてくれ。」
『確かにお受け取りしました。』
「お前は病に屈しなかったようだな。」
『はい、幸運な事に。』
「傍にいてやってくれ。」
『はっ!』
彼に頭を下げて見舞いの品として受け取ったたくさんの新鮮な果物を私は部屋の外にいた者に渡した。
『ユホン様からの品です。食事と一緒に出して下さい。』
「わかりました。」
『ありがとうございます。』
夜になると私達の前に食事が運ばれてきた。ちゃんと果物も切って置かれている。
『その果物、ユホン様からよ。』
「本当ですか!!?」
スウォンは嬉しそう。ただヨナは一口も食事に手をつけなかった。
「姫様、どうか一口だけでも…」
「ほしくない…」
「ヨナ、少しは食べないと。」
『食欲がないの…?』
「姫さん、ますます不細工になんぜ?」
ハクの悪口にもヨナは反応を示さない。
そのとき廊下の方から家臣の話し声が聞こえてきた。
「陛下はお見えになってないのか?」
「えぇ。姫様の事はお伝えしたのですが…」
「あの御方の事だ。病を怖れて我が娘にすら近づけないのではないか?」
「黙りなさい!!」
スウォンの一言で家臣は黙り、私とハクも廊下の方に見える人影を睨みつけた。
『王は王だからね。仕事が忙しいのよ。』
「こんな時にちゃんと仕事してんだから、俺はあのおっちゃんの事見直してんぞ。」
「…うん。」
ヨナはやっと笑ってくれた。
―ごめんね…ひとりだと思ってごめんね―
食事を片付けさせると私たちは横になった。
私はヨナに呼ばれて彼女を抱きしめるようにして同じ布団に横になった。
「今日は4人くっついて寝ましょ~」
「来んな。病がうつる。」
『もう病人でしょ…』
夜中にヨナのお腹が鳴った。私はクスクス笑い、スウォンは起き上がって呼び鈴を鳴らした。
「あ、ヨナお腹空きました?何か持って来させますね。」
「でっかいぐぅだな。」
ヨナは怒ってボカッとハクの頭を殴る。
「いて…」
それから少ししてヨナの好きな鶏粥が届けられた。だが一口食べてヨナは硬直してしまった。
「…びっくりするほどまずい。」
「そうか、まずいか…」
扉からそっと顔を出したのはイル陛下だった。
「父上!?」
「それ私が作ったんだよ。」
「どうして父上が…」
「どうしても気になってヨナの様子見に来たんだ。
そしたらヨナが夜食を欲しがってると聞いて、今まで会いに行かなかったおわびにヨナの好きなもの作ろうと思ってね。
料理日誌にあった通りに作ったんだがなぁ…」
ヨナはその言葉を聞いて美味しくないはずの鶏粥をぱくぱく再び食べ始めた。
私、ハク、スウォン、イル陛下は不思議そうに彼女を見る。
「あれ?まずいんじゃないのかい?」
「すっごくまずい。」
そう言ったヨナは涙を流しながら笑っていた。私、ハク、スウォンは互いを見て微笑みを零すのだった。
翌朝、3人の風邪は治り私たちは緋龍城の門近くの高台に並んで座っていた。
「あーあ、治っちゃった。」
「残念そうだな、姫さん。」
「別に。」
『みんな元気になってよかったわ。』
「私は残念です。」
「姫さんの隣で寝られないからか?」
「ヨナの隣はいつでも寝れますけど。」
「えっ?」
「私はずっとずーっとあのまま4人で並んで寝ていたかったです。」
「別に…風邪ひいてなくても簡単だろ、一緒にいることくらい。」
『うん!』
「そうですね。」
「スウォン、ハク、リン…明日も遊びに来てね。」
―ずっとずっと遊びに来てね!―
そのとき見上げた空は雲の流れる澄んだ青空だった。
それが突然黒く変わりヨナは目を見開く。
―あれ…?誰もいない…―
イル陛下の陰を見つけ駆け寄ると、彼は腹部を刺されて血を流しながら倒れた。その向こうには剣を持った愛しいスウォンの姿…
恐ろしくなってヨナは目を覚ました。だが彼女は山の中でひとりだった。
私とハクは水を汲みに川に行っていたのだ。
きょろきょろとヨナは周囲を見回して私達を探す。
そこにガサッと音をたてながら私達は戻った。
『姫様…』
「起きてましたか。すみません、飲み水を汲みに行ったんで…」
ヨナは私達を見るとしゃがみこんで声を上げて泣いてしまった。
4人で見上げたあの空はもうどこにもないのだと気付いてしまったから…
私は水をハクに託してそっとヨナに歩み寄って抱き締めた。
彼女は私に縋るようにしがみついて子供のように泣いた。
『一番つらいときに共にいられなかった事、守れなかった事…お許しください、姫様。
貴女の事だけは…何があろうとお守りします…ずっと傍にいますから…』
「リン…っ」
ハクは私達をただ見守っていた。
―私の口から彼女の誕生日を祝う言葉はもう紡がれやしないだろう…
以前約束した誕生日を祝う約束…それだけは守れそうにない。
だって彼女にとって誕生日はすべてを失った日と化したのだから…―
私は悔しさを感じ、そして彼女への誓いを胸に彼女を抱く腕に力を込めた。
その頃スウォンは緋龍城から街を眺めつつ、兵からの報告を受けていた。
「スウォン様!姫様とハク将軍、及びリン様は城内、その周辺にも姿はありません。」
「…そうですか。」
「直ちに追っ手をかけます。」
「いや、放っておきましょう。」
「えっ、生かしておくのですか?彼らは…」
「城を出た彼らには何もできません。それより…我々には早急にやらねばならない事があります。」
そう言って彼もまた昔とは異なった色を見せる空を見上げたのだった。
ヨナが泣き止むと私達はゆっくり足を進め始めた。
彼女の手を私は引き歩き、暗くなると開けた場所を見つけて座る。
「リン、火を起こしておいてくれ。俺は魚でも捕ってくる。」
『了解。』
薪を集め石を擦り合わせ火花を散らす。
ハクが帰って来る頃には火が燃え、彼の捕ってきた魚を焼く事ができるようになっていた。
「食わないんですか、姫様?」
ヨナは生気を失い目にも光がない。まるで人形のようにそこにいて何も食べようとしなかった。
「…魚が嫌なら鳥でも捌きましょうか?」
『姫様、少しでも食べておいた方がいいですよ。
ここから先山道がさらに険しくなって食糧が確保できるかわからない。』
「あぁ、ここは魚があるだけマシだ。」
それでも彼女は何も反応を示さなかった。
―時間が経つにつれどんどん弱ってゆく…―
近くに綺麗な池を見つけ私はヨナを連れて水浴びに行った。彼女の身体が汚れていたからだ。
ハクは見張りとして近くにいるがこちらに背を向けていた。
―体力だけじゃない…時間が経っても現実を直視出来ないんだ…陛下の死とスウォンの裏切りを…―
私は足の傷の所為もあって水浴びをする事はできなかった。
それどころか毒をすべて抜ききれていないため射られた右足は少し紫色になっている。
―これは早く手当てをした方がいいわね…―
ヨナは近くで水浴びをし、上がろうとして小さく声を上げた。
「あ…」
彼女は水から上がり足についた物を見て座り込んでいた。
「何…これ…」
「蛭(ヒル)です。」
『ちょっとハク…』
彼は彼女の声に反応してすぐにこちらに来てしまった、彼女が裸だというのに。私はヨナに近づき足から蛭を取っていく。
『じっとしていてください。』
「こいつは池や沼に住み血を吸うんですよ。」
「血…」
「なに、大事には至らねぇ…」
その瞬間、ハクは自分がしでかした事に気付きくるっとこちらに背を向けた。
「…服ここに置いておきます。」
『はぁ…』
「リン、気付いていたなら言えよ…」
『だってハクも必死だったから…』
「はぁ…」
―…くそ、余計な事考えんな。この先ずっと姫さんを連れて行かなきゃならんのだぞ…―
私はハクの隣に立って俯いた。
『姫様はこの先ずっとあのままなのかしら…』
「リン…」
『食事もせずただ手を引かれて歩くだけ…まるで人形よ…』
「満足か…?」
『ハク…?』
「共に過ごした日々も、大事にしていた姫さんも、全てを壊してお前はそれで満足なのか、スウォン!!」
そのとき私達の足元にスウォンがヨナに渡した簪が落ちた。
「まだこんな物を持って…」
『それは…?』
「そうか、お前は知らねェんだな。これは宴の時スウォンが姫さんに渡したものだ。」
『っ…』
服を着たヨナが私達に歩み寄ってきた。
『姫様、先を急ぎましょう。』
「日が沈む前に距離を稼がなくては。」
それから私達は歩き、食糧も少しなら確保した。
安全な場所を見つけると夜の闇の下、そこで休むことにした。
「ここの虫は害がないから大丈夫ですよ。」
『蛭はさっきの池に落としましたから。』
そのときヨナは何かを失くしていることに気付いた。自分の身体に触れて何かを探す。
「どうしました?何か落し物でも…?」
ヨナは首を横に振った。自分にスウォンから貰った物なんていらないと言い聞かせて。
でもその想いを簡単に捨て去ることなんてできずにふらっと立ち上がりどこかへ行こうとした。
「どこへ?」
そんな彼女の手を咄嗟にハクは掴み引き止める。
「あ…あの…私ちょっと…」
「早く帰って来て下さいよ。」
ハクはヨナがお手洗いにでも行くのだろうと考え、手を離した。
私もそこまでヨナを見張ることはしないためハクと共に待機する事にしたのだ。
ヨナは落としたであろう簪を探しに来た道を戻っていた。だが揺れる木々の葉の音に嫌な記憶が蘇る。
怖くて足を竦めているといつの間にか彼女の後ろには毒蛇がいた。
それとほとんど同じ頃、私とハクは同時に目を開いた。
「リン…」
『えぇ…遅すぎる。』
そして立ち上がると私が先導してヨナを探し始めた。
闇の中でも私の耳は音を頼りに目的の物を探すのに適している。
この特技は便利で音だけでなく気配さえ探知でき、その能力だけはハクよりも優れていた。
「リン、姫さんを見つけられそうか。」
『もちろん。』
すぐにヨナの居場所はわかり、私達は駆け出した。
「いや…あ…!」
彼女に飛び掛かろうとしていた蛇にはハクが投げた大刀が突き刺さった。彼女をハクは抱き寄せ無事を確認する。
「無事か!?」
『姫様!!』
「なかなか戻らないと思ったらどうしてこんな所まで!?」
『この蛇は毒を持ってる。暗闇では足を滑らせて転落するかもしれない。
そんな場所を一人で…!死にたいの!!?』
その間に私達の足元は毒蛇に囲まれていた。
『ハク!』
「くそ…巣窟かよ、ここは…」
ハクはヨナを抱き上げ大刀を抜いた。
「援護しろ!」
『はっ!!』
そのときハクの足に毒蛇が噛み付いた。
「つ…」
『ハク…っ』
「ち…上等だ。黙ってしがみついてな、お姫さん。」
「あ…」
「俺らを道具だと思えばいい。」
私は剣を振るって蛇を蹴散らすとハクが通れるよう道を切り開きながら突き進んだ。
「陛下がいない今、俺達の主はあんただ。
あんたが生きる為に俺達を使え。俺達はその為にここにいる。」
巣窟を抜けて元々いた場所に戻ると私はハクを座らせて傷口に口を付けた。
まだ毒は回り始めていないはずだ。毒を吸い出して解毒すると包帯を巻いた。
「っ…」
口元にハクの血が付いたまま心配そうに見てくるヨナの頭を撫でてやる。
「大丈夫ですよ。」
『毒蛇に咬まれた時に対処法くらい知ってます。』
「リン、お前は早く口をゆすげ。毒が回るぞ。」
そう言いながら彼は私の口元の血を拭った。
妖美に見える血で汚れた私と、それを拭うハク。
私は彼から貰った水で口を清めた。
「姫様のお探しの物はこれか?」
ハクは自分の懐から簪を出してヨナに差し出した。それを恐る恐るヨナは手に取る。
「俺はスウォンを許さない。だがそれ以上に俺達はあんたに生きて欲しい。」
―あんたはこの山に入って初めて自ら動いてそれを探しに行った。
何でもいい、今はあんたを繋ぎとめられるのなら…
たとえそれが未だ捨てきれない想いでも…―
つらそうな顔をするハクを見ていられず私は彼の手をそっと握って膝を抱くように座った。
「リン…」
『…』
彼は何も言わずにその手を握り返した。
翌朝、ヨナが最初に目を覚ましハクの足を心配そうに見た。
「平気ですよ。蛇に咬まれたくらいでどーにかなるハク将軍じゃありません。」
『さて起きたらすぐ行きますか。』
「あ…あの…ハク…」
「はい?」
「どうして…山を行くの…?どこかの里に下りて食べ物とか薬を…」
「人里は危険です。たとえ村人が俺らの顔を知らなくても、城の兵はどこにいるとも知れない。
スウォンが人相書きなんぞ出してるかもしれませんしね。」
「じゃあ…今どこへ向かってるの…?」
『恐らく今私達にとって唯一頼れる場所…風の部族風牙の都…私達の故郷です。』
私とハクはヨナの手を引いて風の部族風牙の都の門へと近づいた。
「姫様、見えてきましたよ。」
『ここが風の部族風牙の都です。』
「ハク!こら、ハク!!」
「ん?」
「小僧め…今日は五部族会議があるから風の部族としてお前も出席しろと言ったろーが。」
『あら、そうだったの!?』
私とハクがのんびりしているとムンドクが走ってきた。
会議にはムンドクのみが出席すると思っていた私は彼の言葉に驚くばかり。
「会議なら風の部族長であり高華国五将軍の一人、ムンドク様のみ出席なされば良かろう。
それにぽよ~んとしたイル陛下の話には付き合ってられ…」
「バカモノ!!ムンドク様ではない!じっちゃんと呼べ!!」
「『そっちかよ!/なの!!?』」
「俺とアンタは血繋がってねーだろがっ」
「血がどーした。そんなもん愛の前には無力!!」
『ふふっ。じいやもハクも元気ね…』
「こらこら…」
するとそこにイル陛下がやってきた。
「ムンドク将軍とその後継者ハクが暴れたら緋龍城が吹き飛んじゃうじゃないか。リンも見てないで止めてよ。」
「これはイル陛下。」
『申し訳ありません、イル陛下。』
―やべ、ぽよ~んとしたとか言っちまった…―
ムンドクと私はイル陛下に頭を下げる。
「ああ、伏礼なんかいーのいーの。久しぶりだね、ハク、リン。
昔みたいに城に遊びに来てくれなくて淋しいよ。」
「や、俺たちみたいな平民が気軽に出入りする訳には…」
「そんなの気にしないで。ヨナも2人がいないと淋しがっている。」
「嘘つけ、このぽよん。」
『あ…』
「ぽよんとは何じゃぁああ!!」
「ギャーーーッ」
ムンドクが怒り鉄拳がハクに飛ぶ。私は見慣れたようにただ溜息を吐いた。
「こんな無礼者、もはやワシの孫ではないっっ」
「だから俺とアンタとは血繋がってねーんだって!」
「暴力はいけないよ、ムンドク。私はハクのそういう裏表のない所がお気に入りなんだ。」
『裏表がなさすぎだとは思いますが。』
ハクはそう呟いた私を小突こうとするが、私はそれを先読みして彼の拳を片手で止めていた。
2人の手がキリキリと震えているのを見ながらイル陛下は優しく言う。
「だからハク、ヨナの護衛としてずっと城にいてくれないかい?」
「陛下、俺は“貴族”ってのが面倒で仕方ないんですよ。
城に入ったり将軍になったりすれば家でのんびり昼寝も出来ない。」
「ハク…」
「陛下は武器はお嫌いなのでしょう?
なら武器も持たずに人を護衛する世にも貴重な人間を探して下さいよ。」
「ハクっ…」
ハクは歩み去ってしまい、私はイル陛下に頭を下げてハクを追った。
―正直王家や貴族とは関わりたくない…腹の探り合いも足の引っぱり合いもくだらねェ
王は王で危機感ねェしな…そしてこの城に来たくないもう一つの理由は…―
「ハク!隠して…」
ハクと私に駆け寄ってきて背後に隠れたのはヨナ。
―昔っからこの姫さんといると俺は調子狂って仕方ない…―
この頃から私はハクが秘かに抱くヨナへの想いに気付いていた。
「ヨナ姫!姫様ーっどこです~~~っ?」
『あれは火の部族長のご子息…』
「ダメですよ、ヨナ姫。イタズラはバレないようにしないと。」
「違うわよ!」
彼女から事情を聞いたところ、なんとあの火の部族長の子息に言い寄られてると言うではないか。
「言い寄られてる!?」
ハクはその言葉に大爆笑。
「本当だってば!あのカン・テジュンとかいう人、度々城に来ては私に贈り物やら遊びに誘ったりするのよ。
華のように愛らしいだの、その瞳の矢に射抜かれただの…ムズムズする台詞ばっかり!」
―王には現在皇太子がいない…ここは姫を懐柔して玉座を手に入れようというわけか…―
「すっごくしつこいのよ。」
「言えば良いではないですか、“私にはスウォンという心に決めた人がいます”って。」
ヨナは顔を赤くし、ハクは少しだけ胸を痛めた。
「だって…片想いだし…それを言ったら本人の耳にも入っちゃう…」
「俺の知った事じゃねー…」
「面倒くさそうに言わないでっ」
「じゃあ、カン・テジュン様とテキトーに仲良くするんですね。
たまには外の話を聞くのも必要ですよ。」
「えっ…ハク冷たい。スウォンなら絶対そんな事言わないわ。」
「だったら!スウォン様に守ってくれと泣きつきゃいいだろうが!」
そう言ってハクは立ち去った。その子供っぽい嫉妬に私は苦笑し、ヨナは寂しそうだった。
『姫様?』
「リン…ハクを怒らせちゃった…」
『そうですね…男は面倒くさい生き物ですから。』
「どうしよう…」
『姫様は…ヨナはどうしたいですか?』
私が彼女を名前で呼ぶときは彼女の相談に乗るという合図。それは私とヨナの暗黙の了解だ。
「ハクに謝ってくる…」
『お伴しましょうか?』
「ハクがいる所だけ教えて…私一人で頑張るんだから!」
『了解しました。頑張って下さいね、ヨナ。』
「うん!!」
私はヨナにハクのいるであろう場所を伝えると私達が泊まっている城の片隅へ帰った。
すると案の定ムンドクと話すハクがいた。彼はムスッとして縁側に横になっていた。
『ただいま戻りました。』
「おぅ。」
「あーっ。早く風の部族の屋敷に戻ろうぜ、ムンドク将軍。」
「お前…何をイラついとるんだ。そしてじっちゃんと呼べ。」
「イラついてなんかいませんよ。」
ムンドクは呆れながら私に小声で訊く。
「どう見てもイラついとるやろ…?」
『えぇ。でもね、じいや。もうすぐ解決すると思うわ。』
「お前がそう言うなら信じようかの。」
彼が立ち去ると私は壁にもたれて座り目を閉じた。
するとコンッと音がしてヨナが塀の向こうに顔を出した。驚いてハクは身を起こす。
彼女は低い塀を上ってハクの隣に座った。
「ヨナ姫、何でここに…」
彼女は服の中に隠し持っていた果物をハクの前に置く。
「昼間はごめんなさい。私がふがいないから怒ったんでしょ。
私は高華国の誇りある姫なんだからうだうだ言ってないで自分で何とかしてみる。じゃね!」
「あっ、おい…」
「それあげる。仲直りの賄賂ね。」
彼女はそのまま駆けて行って、私はその可愛らしい会話に目を閉じたまま小さく笑った。
「…だから姫さんとはあまり関わりたくねェんだよ。」
ハクはそう言いながら林檎を齧る。そして笑っている私に気付くともうひとつの林檎を私に向かって投げた。
私は目を閉じていたものの気配でそれを感じすっと目を開くと片手で受け止めた。
「笑うんじゃねェ…」
『あら、ごめんなさい。』
「ここの場所を教えたのはリンだな?」
『何のことかしら。』
私はハクの隣に移動して夜空の星を眺めながら彼同様林檎を齧った。
翌日、私達が中庭でのんびり過ごしていると廊下を歩く城の者たちの会話が聞こえてきた。
「部族会議での陛下のご様子はどうだ?」
「ああ、また部族長達の言いなりになっているらしい。」
「火の部族は隣国から武器を買い占めているらしいぞ、王の許可もなく。」
「このままでは部族達の力が増し国王の力が衰える一方だ。」
「あのような臆病な王にこの国を任せて良いのか?」
―言われてるわね…―
―無理もないか、あの王じゃな…―
「俺がじっちゃんの後を継いで将軍になったら俺は王家の犬…か。」
『ハク…』
「それでもお前を手放す気はないからな、リン?」
『もちろんよ。こんなに優秀な相棒はどこを探してもいないでしょ?』
「凄い自信だな。でも…まぁ、事実だから否定はしねェ。」
そのとき私たちの頭にイル陛下の言葉が過ぎった、ヨナの護衛になってほしいというあの言葉が。
「やめといた方がいいですよ、陛下。俺は…」
「嫌です!」
『ん?』
そのときヨナの声が聞こえてきた。
「私は貴方と離宮には行きませんっ」
『カン・テジュンに言い寄られてるわね…』
「つれない事おっしゃらずに。離宮には素晴らしい花の庭園があるとか。案内してはくださらぬか?」
カン・テジュンはヨナの手を掴んだ。
「放…してっ」
「うぜェ…」
『同感…』
「スウォンがいればな…」
『いや、あの色恋に関してのほほんな坊ちゃんがいても無意味な気が…』
「確かに…あいつは昔からああだから姫も苦労するな…」
その間もカン・テジュンはヨナに詰め寄っていた。
「おい…姫様、嫌がってないか?誰かお止めしろ。」
「しかしカン将軍のご子息だぞ。下手な事して将軍に睨まれたら…」
「では陛下をお呼びしろ。」
―貴族様とはまこと面倒な生き物だ。関わるな、放っておけ…
放っておけ…でないと俺はこれからずっと…―
カン・テジュンとヨナの様子が見えないようハクは目を閉じた。
だがそんな彼の瞼の裏に見えたのは昨日わざわざ仲直りをしようと自分のもとを訪れた小さなヨナの背中だった。
「本当に可愛らしいですね、ヨナ姫は。
まるで子猫のような力で抗われるとますます触れたくなってしまいますよ。」
そのときハクがすっと立ち上がった。
私は彼が動くのを薄々予想していたため、小さく微笑んで彼を見送った。
「やっ…いい加減に…」
「いい加減になさいませ、カン・テジュン殿。」
ハクはカン・テジュンの手を掴み止めるとヨナの肩を自分に抱き寄せた。
「ハク…」
「な…何だ、お前は。無礼者。それに姫に気安く触れるなど…」
「貴方こそ誰の許可を得て俺の姫に触れやがってるんですか?」
―俺の?―
―誰の?―
ハクの真剣な眼差しと言葉に私はついクスクス笑ってしまった。
カン・テジュンはハクの生意気な態度に怒りを顕わにする。
「ガっガキが出まかせを…」
「どうして嘘だと申されるんで?俺と姫は幼少時より将来を誓い合った仲ですよ。ね、姫様。」
「は?えっ…」
「どうしました、姫様。そんなにテレなくても。」
「ほほほ、やあね。人前で…っ」
ハクに睨まれヨナは彼に話を合わせた。
その様子さえ面白くて私は肩を震わせてしまう。
するとポンッと肩に手を置かれた。見上げるとイル陛下が笑っていた。
『陛下…』
「もう少し様子を見てみようかな。」
『はい。』
「姫は…そやつがその…お好きなのですか…?」
「う…うん。好き、大好き!」
ヨナはハクの腕にしがみついて断言した。その言葉にハクが嬉しそうに照れた。
「みっ認めん!たとえそうであれ貴様のような者が姫と将来を誓うなど…
私は火の部族長カン将軍が次男カン・テジュンなるぞ。貴様はどこの誰だと言うんだ。」
するとハクは真っ直ぐカン・テジュンを見据えて言った。
「俺は風の部族次期将軍ソン・ハク。陛下直々にヨナ姫様専属護衛を命ぜられた者。異存あるか?」
「く…ならばその実力今ここで見せてみよ。」
カン・テジュンが剣を抜こうとしたときイル陛下がツカツカと歩み寄りその刀身を握った。
「陛下…!?」
「いけませんよ。」
「おっお許しを…」
「うん、いーのいーの。」
カン・テジュンは逃げるように立ち去った。
私とハクはイル陛下が刀身を握ったことで掌から血を流していることに気付いていた。
その手を彼は背後に隠してヨナから見えないようにしている。
そのまま笑顔をヨナとハク、そして遅れて隣に並んだ私に向けているのだ。
「君達がそういう仲だとは知らなかったよ。」
「ち、父上。誤解よ、あれは…」
「ああ言えばもう彼も来ないでしょう。あー、面倒だった。」
『一言多いわよ、ハク。』
「ハク、やっとヨナの護衛をする気になったんだね。君になら任せられると思っていた。」
「…高いですよ、俺は。」
「どうか、ヨナを頼む。」
ハクは床に跪きイル陛下に忠誠を誓った。
「リン、君にも頼みたい。」
『へ、陛下!?』
「ハクは君を傍に置いておきたいだろうし、ヨナだって女性の君が近くにいてくれた方が何かと相談しやすいだろう。」
「リンも一緒がいい!!」
『姫様…』
「私の相談役になってちょうだい?」
「そしてヨナの護衛…ハクの相棒として共にいてやってくれ。」
私はハクの隣に跪いた。
『陛下と姫様のお望みとあらば。』
―全くこの親子はどうも放っておけないわ…―
―それにこの王は臆病などではない…―
ヨナと共に歩いて行くイル陛下の背中を私とハクは顔を上げて見つめた。
彼が歩いて行くと血が床を汚す。私はすっと彼に歩み寄って持っていた布でそっと傷口を塞いだ。
「リン…」
『貴方は臆病などではありません。私もハクも貴方に忠誠を誓います。』
「ありがとう。私から君に渡したいものがあるんだ。」
『…?』
私は彼の言葉の意味もわからないままハクと共にイル陛下とヨナの後ろを追った。
イル陛下の書斎に入ると彼は奥の部屋からある剣を持ってきた。
「これをリンに渡そうと思っていたんだ。」
『え…?』
「ハクには大刀があるけど、君はいつも借り物を使っているだろう?
だからこれはヨナの傍にいてくれる君への私からの贈り物だ。受け取ってくれるね?」
彼が差し出したのは美しい装飾の施された剣。
白銀の鞘に納まった剣で柄も銀色で先端には黒曜石が輝いている。
護拳(握ったとき手が刀身に触れないようにしている出っ張った部分)は金色に輝き真新しい剣は輝いていた。
鞘には龍が5匹描かれ金色に輝いていた。
それぞれの目には色とりどりの小さな宝石が光っていた。緋色、青、白、緑、そして黄色の宝石が。
イル陛下はそれを私に差し出し笑顔を向ける。私ははっとして彼の前に跪いた。
『ありがたくちょうだい致します。』
両手で剣を受け取り私はその剣に忠誠を誓った。
それからというもの私の腰にはいつもその剣があり、これが無いときには戦いに集中できないほどだった。
この剣あっての私…剣のない状態では戦う事なんてできなかった。
―だって剣にすべての忠誠心を納めているんだもの、イル陛下…―
そんなつい先日のような日々を思い出しながら私とハクは夜空の月を見上げた。
私は無意識のうちに腰にある剣を両手で握っていた。
『イル陛下…今もどこかで私たちを見ておいでですか…?』
「あなたの心残りは俺らが守る。そして必ずあなたの城へ戻ります。」
そのときふと私の目から涙が零れた。
「リン…」
『…泣かないつもりだったのにな。』
ハクは何も言わずに私を自分の胸へと抱き寄せた。私は彼の服を握りただ泣いた。
第二の父のような存在だったイル陛下、友のミンス、幼馴染の裏切り…
もう手に入らない穏やかな過去の日々を思って流れてくる涙を堪えようとはしなかった。
「お前が生きててよかった…」
『でも…私は守れなかった…!』
「リン…」
『馬屋に行ったらもうイアンは冷たくなっていた…』
「っ!!?」
『血で赤く染まっていたわ。私達の足止めの為でしょうね…
それを確認してすぐミンスと共に逃げようとしたの。
その途中、たくさんの兵が矢を射ってきて薙ぎ払いようがなかった。』
「ミンスを庇いながら戦うのは簡単ではないだろ。」
『少しくらい矢が刺さっても問題ないと思って逃げる事に専念しようとした瞬間、彼が私を庇って矢をすべて背中に受けたのよ…』
「あのバカ…」
『彼は私に生きてくれと言い残して笑顔で眠ったわ…
遺された私の身にもなってよ…目の前で友を殺されて…守りきれなくて…』
「リン、自分を責めるな。」
ハクは私を一度自分から離すと真っ直ぐ目を見て言った。
「ミンスは元々命を懸けて俺らを逃がすつもりだった。
足手まといになるくらいならお前だけでも生かしたかったんだ。」
『ハク…』
「思う存分暴れて生き抜け、リン。それでミンスを見返しちまえばいい。」
『うん…』
彼は再び私を強く抱き締めてくれる。
兄妹のように共に育った私たちの間には男女の関係はなく、こうやって抱き合うのも家族だから。
「…気が済むまで泣け、俺の分まで。」
『泣くのは今日だけよ…姫様の前で泣いたりしないから…』
「あぁ…」
ハクは私の髪を撫でながらまた月を見上げる。
城を逃れてこれからやるべき事を見出せないまま私は泣き疲れ彼の胸に寄り添って眠り、彼も注意を張り巡らせたまま目を閉じた。
その日私が見た夢は遠い過去の記憶のようで…
仲の良かった私、ヨナ、ハク、スウォンが笑顔ではしゃぎ、並んで街を眺めていた。
だが翌朝私は目を覚まし現実を見る事になる。
『夢…』
―そう、すべては夢に過ぎない…
この世界にはもう優しかった幼馴染も、いつも笑顔だったイル陛下もいないのだから…―
私が身体を動かすとハクが目を覚ました。
私達は今後山を抜けるのに必要となる水を近くの川へ汲みに行くのだった。
私達の隣で眠るヨナはある雪の日の夢を見ていた。
―泣かないで、父上…母上がいなくなってもヨナがいるから父上はひとりじゃないよ…?
そしてね、ヨナにはスウォンがついているから…―
ヨナの母上が亡くなってすぐ緋龍城は雪に包まれ白く染まっていた。
私はハクと共に雪の中に身を沈めて仰向けになると空を見上げていた。そこにヨナとスウォンがやってくる。
「ヨナ、ほら見て!雪ですよ~」
「うん…」
スウォンはヨナを元気づけようと雪で様々な物を作る。
「お団子出来ましたっ!何だか奇妙なもの出来ましたっ!」
それでもヨナの顔色はずっと優れないまま。
「…ヨナ。」
「あっ、元気だよ。父上が泣かないようにヨナが元気になるんだもんね。」
「ぐえっ…」
そのとき私の隣でハクがヨナに踏まれて声を上げた。
「重い…」
『ハハハハハッ』
ハクの上にいたヨナはすぐにその場をどけた。
「ハク!?」
「わーい、ハクだ♡あ、リンもいます!!」
「寄るんじゃねーっ姫さん、足元に気ィつけろよ。せっかくいい気分だったのに。」
『ふふっ…』
「リンは笑うんじゃねェ。」
「なんでそんなとこでねてるのよ。」
「俺は俺の生きた証をこの大地に刻んでたんだよ。」
『私は心地いいからかな。』
「降り積もった白い雪があったら大の字になって寝てみたくなるのが人情ってもんだぜ。」
「ハクかっこいー」
そのときボスッと音がしてヨナが投げた雪玉がハクに命中した。
「雪だんごの的にちょうどいいわ。」
「ほーう…」
それからヨナとハクの雪合戦が開幕する。私とスウォンは笑いながらその光景を見ていた。
「さすが、ハク!ヨナが元気になりました。私も混ぜて~」
『仕方ないわね…』
私も久しぶりにはしゃぎたくなって身体を起こすと雪玉を作って適格にハクにぶつけた。
「くっ…」
『ハハハッ』
「リン!!どうして俺ばっかり狙ってんだよ!」
『だって姫様にぶつけるのなんて申し訳ないし、スウォンにぶつけられるような身分じゃないもの。
ハクなら容赦なくぶつけられるし?』
「お前なぁ…」
そう言っている間にハクは彼以外の3人から雪玉攻撃を受けるのだった。
翌日、ヨナは風邪をひいてしまった。前日の雪遊びが仇となったようだ。
寝込んだ彼女の横に私達は並んで座る。
「ヨナの元気がなくなりました…」
「雪ん中での遊びは姫さんにはキツかったか。」
『ごめんね、姫様。』
「お薬を飲んで安静になされたらよくなりますよ。」
「…ねぇ、父上は?」
「陛下は今お忙しくて。まだ登極(とうきょく=即位のこと)されて間もございませんし。ですがじきお見えになりますよ。」
看病に来た医務官はそう言い残し去って行った。
「大丈夫ですよ、ヨナ。」
「あの王様、姫さんが病気つったら飛んで来るぞ。」
「3人とももうかえっていいよ。ヨナに近づかないで。」
『平気よ、私は元気だから。』
「今身体ポカポカで。」
「俺なんか遊びすぎてまだ雪団子の幻が見える。」
『…ん?』
私は彼らの発言に違和感を覚え隣に座るハクとスウォンを見た。どう見ても2人の顔色が悪いのだ。
『だ、大丈夫…?』
私の言葉に答えずにハクもスウォンもぐったりしてしまった。
私はすっと立ち上がって廊下へ出た。
『医務官…すみません、病人2人追加です…』
それから私は医務官を手伝い布団を敷くと3人を寝かせた。
ハクとスウォンは大人しく寝間着に着替えヨナを挟むように横になった。
看病をし終えて医務官が出ると私は壁にもたれて座った。
「どーりで雪団子が俺の周りを飛んでると思った…」
『ハク…軟弱…』
「なっ…お前が雪団子をぶつけるからだろ!」
『ハクも私にぶつけた癖に。』
「っ…」
「リンは大丈夫なの?」
『いつも通り元気よ、姫様。そこで寝込んでるバカハクとは違います。』
「言い返せねェのが悔しいぜ…」
「3人とも…かえらなくていいの?」
『病を流行らせないようにここで治した方が良いみたい。』
「でもヨナとは最近ずっと手をつないで寝てるしいつも通りですね。」
「…そんな事してんのかお前ら…」
ハクはすっと身体を起こした。邪魔者は帰ろうという事らしいが、私は彼に歩み寄り帰ろうとするハクを制止した。
「やっぱ俺帰るわ。」
『大人しくしてなさい、病人なんだから。』
「そうですよ、ハク!4人で手つなぎましょうよ。」
「冗談…」
そのときドタバタと足音がしてムンドクがいきなり入って来た。
「ハクー!リン!!!」
「『わーッ!!?』」
私とハクは咄嗟に背筋を伸ばした。
「じっちゃん!?」
『じいや…』
「小僧、姫様に雪をぶつけて病にかけたらしいな。」
「そこに雪があったら投げるのが礼儀だろ。」
「小童め!尻を出せ。ムチ打ちじゃああ!!」
「将軍っ、お止め下さい。病人ですよ。」
『はぁ…』
私はムンドクの手を引いて部屋を出た。
「リン、お前は病にかからなかったのか。」
『そんなに軟弱じゃないわ。』
「ハハハハッ。ハクは軟弱だと?」
『はしゃぎすぎたのよ。というより、私は姫様やスウォンに雪玉をぶつけるなんて事できなくてずっとハクに向かって投げてたからね…
だからハクの方が被害が大きかったのかも…』
「ふっ…リンの雪玉ごときで倒れるなら軟弱者に変わりなかろう。」
ムンドクは私の髪を撫でて歩み去って行った。
「3人の面倒をちゃんと見てやるのだぞ。」
『はい!』
「…やっぱ俺ここにいる。」
私が部屋に戻るとハクが弱々しくそう言っていた。
「あれは…っ、風の部族長ムンドク将軍ですよね。」
「そうだけど…」
「近くで初めて見ました。五将軍最強といわれるムンドク将軍…私の憧れなんです。
ハクとリンのお祖父様(おじいさま)だったなんて。」
「俺達は孤児だ。じっちゃんとは血繋がってないぞ。」
『そのうえ私とハクも血の繋がりはないわ。』
「そうなんですか…」
「俺達は養子としてじっちゃんの部族に世話になってるだけだ。」
「でも…ムンドクきてくれた。ハクのことすきなんだね。」
「…どうかな。」
ヨナの言葉に私は微笑んだ。
ムンドクは口は悪いし怖い事もあるが、私やハクのことを本当の孫のように可愛がってくれている。それは口に出さないが私達も理解しているのだ。
するとドシドシとまた足音が聞こえてきた。
『また誰か来た…?』
私がその人物を招き入れようと扉を開けると目の前に立っていたのはスウォンの父親であり、イル陛下の兄であるユホンだった。
『ユホン様…』
「邪魔するぞ。」
私は彼に頭を下げて扉を大きく開いた。
彼の姿を見たヨナは首をすくめて身体を小さくしてしまったが、スウォンははっとして身体を起こした。
「ち…父上…どうしてここに…」
「病にかかった息子を見舞ってはおかしいか?」
「病が父上にうつってしまいます。」
「お前の病ごときに俺が負けると…?」
「いっいえっ!でも今はとてもお忙しい時期だと…」
―ユホン伯父上っ…伯父上はつよくて、きびしくて…スウォンとはぜんぜんちがう…―
「ヨンヒが来るといってきかなかったのだが…」
「母上が…っ!?」
「あの身体で病をもらっては危険だ。屋敷に置いて来た。
母親に心配かけるものではない。病など早急にぶち殺せ。」
「はいっ!」
―ぶち殺す…?―
私はユホンの言葉を不思議に思いながらもスウォンの嬉しそうな様子に笑みを零した。
「お前達…後で見舞いの品を届けさせよう。小娘…」
『は、はい!』
「名は?」
『リンと言います。』
「リンか…後程私の所に来い。見舞いの品をここへ運んでくれ。」
『かしこまりました。』
ユホンは立ち去り私は彼に頭を下げた。
「…っっ、さすがな迫力。一気に熱下がった気がする。」
「こわ…っかった…」
「リン、よく怖気づかずに話せたな…」
『緊張したけどユホン様も父親だから優しい顔してたわよ?』
「や、優しい…っ!?」
「今日はなんて幸せな日でしょう。よーしがんばって病をぶち殺します。」
「寝ろ、アホ。」
ヨナはそんな2人の間で寂しそうな顔をしていた。
彼女の父親だけ顔を出してくれていないのだから当然だ。
―父上…父上くるしいよ…どうしてきてくれないの…?ひとりにしないで…―
私はそれから暫くして部屋を出るとユホンのもとを訪ねた。
『失礼致します。』
「リンか。」
『はい。』
「これをスウォン達に届けてくれ。」
『確かにお受け取りしました。』
「お前は病に屈しなかったようだな。」
『はい、幸運な事に。』
「傍にいてやってくれ。」
『はっ!』
彼に頭を下げて見舞いの品として受け取ったたくさんの新鮮な果物を私は部屋の外にいた者に渡した。
『ユホン様からの品です。食事と一緒に出して下さい。』
「わかりました。」
『ありがとうございます。』
夜になると私達の前に食事が運ばれてきた。ちゃんと果物も切って置かれている。
『その果物、ユホン様からよ。』
「本当ですか!!?」
スウォンは嬉しそう。ただヨナは一口も食事に手をつけなかった。
「姫様、どうか一口だけでも…」
「ほしくない…」
「ヨナ、少しは食べないと。」
『食欲がないの…?』
「姫さん、ますます不細工になんぜ?」
ハクの悪口にもヨナは反応を示さない。
そのとき廊下の方から家臣の話し声が聞こえてきた。
「陛下はお見えになってないのか?」
「えぇ。姫様の事はお伝えしたのですが…」
「あの御方の事だ。病を怖れて我が娘にすら近づけないのではないか?」
「黙りなさい!!」
スウォンの一言で家臣は黙り、私とハクも廊下の方に見える人影を睨みつけた。
『王は王だからね。仕事が忙しいのよ。』
「こんな時にちゃんと仕事してんだから、俺はあのおっちゃんの事見直してんぞ。」
「…うん。」
ヨナはやっと笑ってくれた。
―ごめんね…ひとりだと思ってごめんね―
食事を片付けさせると私たちは横になった。
私はヨナに呼ばれて彼女を抱きしめるようにして同じ布団に横になった。
「今日は4人くっついて寝ましょ~」
「来んな。病がうつる。」
『もう病人でしょ…』
夜中にヨナのお腹が鳴った。私はクスクス笑い、スウォンは起き上がって呼び鈴を鳴らした。
「あ、ヨナお腹空きました?何か持って来させますね。」
「でっかいぐぅだな。」
ヨナは怒ってボカッとハクの頭を殴る。
「いて…」
それから少ししてヨナの好きな鶏粥が届けられた。だが一口食べてヨナは硬直してしまった。
「…びっくりするほどまずい。」
「そうか、まずいか…」
扉からそっと顔を出したのはイル陛下だった。
「父上!?」
「それ私が作ったんだよ。」
「どうして父上が…」
「どうしても気になってヨナの様子見に来たんだ。
そしたらヨナが夜食を欲しがってると聞いて、今まで会いに行かなかったおわびにヨナの好きなもの作ろうと思ってね。
料理日誌にあった通りに作ったんだがなぁ…」
ヨナはその言葉を聞いて美味しくないはずの鶏粥をぱくぱく再び食べ始めた。
私、ハク、スウォン、イル陛下は不思議そうに彼女を見る。
「あれ?まずいんじゃないのかい?」
「すっごくまずい。」
そう言ったヨナは涙を流しながら笑っていた。私、ハク、スウォンは互いを見て微笑みを零すのだった。
翌朝、3人の風邪は治り私たちは緋龍城の門近くの高台に並んで座っていた。
「あーあ、治っちゃった。」
「残念そうだな、姫さん。」
「別に。」
『みんな元気になってよかったわ。』
「私は残念です。」
「姫さんの隣で寝られないからか?」
「ヨナの隣はいつでも寝れますけど。」
「えっ?」
「私はずっとずーっとあのまま4人で並んで寝ていたかったです。」
「別に…風邪ひいてなくても簡単だろ、一緒にいることくらい。」
『うん!』
「そうですね。」
「スウォン、ハク、リン…明日も遊びに来てね。」
―ずっとずっと遊びに来てね!―
そのとき見上げた空は雲の流れる澄んだ青空だった。
それが突然黒く変わりヨナは目を見開く。
―あれ…?誰もいない…―
イル陛下の陰を見つけ駆け寄ると、彼は腹部を刺されて血を流しながら倒れた。その向こうには剣を持った愛しいスウォンの姿…
恐ろしくなってヨナは目を覚ました。だが彼女は山の中でひとりだった。
私とハクは水を汲みに川に行っていたのだ。
きょろきょろとヨナは周囲を見回して私達を探す。
そこにガサッと音をたてながら私達は戻った。
『姫様…』
「起きてましたか。すみません、飲み水を汲みに行ったんで…」
ヨナは私達を見るとしゃがみこんで声を上げて泣いてしまった。
4人で見上げたあの空はもうどこにもないのだと気付いてしまったから…
私は水をハクに託してそっとヨナに歩み寄って抱き締めた。
彼女は私に縋るようにしがみついて子供のように泣いた。
『一番つらいときに共にいられなかった事、守れなかった事…お許しください、姫様。
貴女の事だけは…何があろうとお守りします…ずっと傍にいますから…』
「リン…っ」
ハクは私達をただ見守っていた。
―私の口から彼女の誕生日を祝う言葉はもう紡がれやしないだろう…
以前約束した誕生日を祝う約束…それだけは守れそうにない。
だって彼女にとって誕生日はすべてを失った日と化したのだから…―
私は悔しさを感じ、そして彼女への誓いを胸に彼女を抱く腕に力を込めた。
その頃スウォンは緋龍城から街を眺めつつ、兵からの報告を受けていた。
「スウォン様!姫様とハク将軍、及びリン様は城内、その周辺にも姿はありません。」
「…そうですか。」
「直ちに追っ手をかけます。」
「いや、放っておきましょう。」
「えっ、生かしておくのですか?彼らは…」
「城を出た彼らには何もできません。それより…我々には早急にやらねばならない事があります。」
そう言って彼もまた昔とは異なった色を見せる空を見上げたのだった。
ヨナが泣き止むと私達はゆっくり足を進め始めた。
彼女の手を私は引き歩き、暗くなると開けた場所を見つけて座る。
「リン、火を起こしておいてくれ。俺は魚でも捕ってくる。」
『了解。』
薪を集め石を擦り合わせ火花を散らす。
ハクが帰って来る頃には火が燃え、彼の捕ってきた魚を焼く事ができるようになっていた。
「食わないんですか、姫様?」
ヨナは生気を失い目にも光がない。まるで人形のようにそこにいて何も食べようとしなかった。
「…魚が嫌なら鳥でも捌きましょうか?」
『姫様、少しでも食べておいた方がいいですよ。
ここから先山道がさらに険しくなって食糧が確保できるかわからない。』
「あぁ、ここは魚があるだけマシだ。」
それでも彼女は何も反応を示さなかった。
―時間が経つにつれどんどん弱ってゆく…―
近くに綺麗な池を見つけ私はヨナを連れて水浴びに行った。彼女の身体が汚れていたからだ。
ハクは見張りとして近くにいるがこちらに背を向けていた。
―体力だけじゃない…時間が経っても現実を直視出来ないんだ…陛下の死とスウォンの裏切りを…―
私は足の傷の所為もあって水浴びをする事はできなかった。
それどころか毒をすべて抜ききれていないため射られた右足は少し紫色になっている。
―これは早く手当てをした方がいいわね…―
ヨナは近くで水浴びをし、上がろうとして小さく声を上げた。
「あ…」
彼女は水から上がり足についた物を見て座り込んでいた。
「何…これ…」
「蛭(ヒル)です。」
『ちょっとハク…』
彼は彼女の声に反応してすぐにこちらに来てしまった、彼女が裸だというのに。私はヨナに近づき足から蛭を取っていく。
『じっとしていてください。』
「こいつは池や沼に住み血を吸うんですよ。」
「血…」
「なに、大事には至らねぇ…」
その瞬間、ハクは自分がしでかした事に気付きくるっとこちらに背を向けた。
「…服ここに置いておきます。」
『はぁ…』
「リン、気付いていたなら言えよ…」
『だってハクも必死だったから…』
「はぁ…」
―…くそ、余計な事考えんな。この先ずっと姫さんを連れて行かなきゃならんのだぞ…―
私はハクの隣に立って俯いた。
『姫様はこの先ずっとあのままなのかしら…』
「リン…」
『食事もせずただ手を引かれて歩くだけ…まるで人形よ…』
「満足か…?」
『ハク…?』
「共に過ごした日々も、大事にしていた姫さんも、全てを壊してお前はそれで満足なのか、スウォン!!」
そのとき私達の足元にスウォンがヨナに渡した簪が落ちた。
「まだこんな物を持って…」
『それは…?』
「そうか、お前は知らねェんだな。これは宴の時スウォンが姫さんに渡したものだ。」
『っ…』
服を着たヨナが私達に歩み寄ってきた。
『姫様、先を急ぎましょう。』
「日が沈む前に距離を稼がなくては。」
それから私達は歩き、食糧も少しなら確保した。
安全な場所を見つけると夜の闇の下、そこで休むことにした。
「ここの虫は害がないから大丈夫ですよ。」
『蛭はさっきの池に落としましたから。』
そのときヨナは何かを失くしていることに気付いた。自分の身体に触れて何かを探す。
「どうしました?何か落し物でも…?」
ヨナは首を横に振った。自分にスウォンから貰った物なんていらないと言い聞かせて。
でもその想いを簡単に捨て去ることなんてできずにふらっと立ち上がりどこかへ行こうとした。
「どこへ?」
そんな彼女の手を咄嗟にハクは掴み引き止める。
「あ…あの…私ちょっと…」
「早く帰って来て下さいよ。」
ハクはヨナがお手洗いにでも行くのだろうと考え、手を離した。
私もそこまでヨナを見張ることはしないためハクと共に待機する事にしたのだ。
ヨナは落としたであろう簪を探しに来た道を戻っていた。だが揺れる木々の葉の音に嫌な記憶が蘇る。
怖くて足を竦めているといつの間にか彼女の後ろには毒蛇がいた。
それとほとんど同じ頃、私とハクは同時に目を開いた。
「リン…」
『えぇ…遅すぎる。』
そして立ち上がると私が先導してヨナを探し始めた。
闇の中でも私の耳は音を頼りに目的の物を探すのに適している。
この特技は便利で音だけでなく気配さえ探知でき、その能力だけはハクよりも優れていた。
「リン、姫さんを見つけられそうか。」
『もちろん。』
すぐにヨナの居場所はわかり、私達は駆け出した。
「いや…あ…!」
彼女に飛び掛かろうとしていた蛇にはハクが投げた大刀が突き刺さった。彼女をハクは抱き寄せ無事を確認する。
「無事か!?」
『姫様!!』
「なかなか戻らないと思ったらどうしてこんな所まで!?」
『この蛇は毒を持ってる。暗闇では足を滑らせて転落するかもしれない。
そんな場所を一人で…!死にたいの!!?』
その間に私達の足元は毒蛇に囲まれていた。
『ハク!』
「くそ…巣窟かよ、ここは…」
ハクはヨナを抱き上げ大刀を抜いた。
「援護しろ!」
『はっ!!』
そのときハクの足に毒蛇が噛み付いた。
「つ…」
『ハク…っ』
「ち…上等だ。黙ってしがみついてな、お姫さん。」
「あ…」
「俺らを道具だと思えばいい。」
私は剣を振るって蛇を蹴散らすとハクが通れるよう道を切り開きながら突き進んだ。
「陛下がいない今、俺達の主はあんただ。
あんたが生きる為に俺達を使え。俺達はその為にここにいる。」
巣窟を抜けて元々いた場所に戻ると私はハクを座らせて傷口に口を付けた。
まだ毒は回り始めていないはずだ。毒を吸い出して解毒すると包帯を巻いた。
「っ…」
口元にハクの血が付いたまま心配そうに見てくるヨナの頭を撫でてやる。
「大丈夫ですよ。」
『毒蛇に咬まれた時に対処法くらい知ってます。』
「リン、お前は早く口をゆすげ。毒が回るぞ。」
そう言いながら彼は私の口元の血を拭った。
妖美に見える血で汚れた私と、それを拭うハク。
私は彼から貰った水で口を清めた。
「姫様のお探しの物はこれか?」
ハクは自分の懐から簪を出してヨナに差し出した。それを恐る恐るヨナは手に取る。
「俺はスウォンを許さない。だがそれ以上に俺達はあんたに生きて欲しい。」
―あんたはこの山に入って初めて自ら動いてそれを探しに行った。
何でもいい、今はあんたを繋ぎとめられるのなら…
たとえそれが未だ捨てきれない想いでも…―
つらそうな顔をするハクを見ていられず私は彼の手をそっと握って膝を抱くように座った。
「リン…」
『…』
彼は何も言わずにその手を握り返した。
翌朝、ヨナが最初に目を覚ましハクの足を心配そうに見た。
「平気ですよ。蛇に咬まれたくらいでどーにかなるハク将軍じゃありません。」
『さて起きたらすぐ行きますか。』
「あ…あの…ハク…」
「はい?」
「どうして…山を行くの…?どこかの里に下りて食べ物とか薬を…」
「人里は危険です。たとえ村人が俺らの顔を知らなくても、城の兵はどこにいるとも知れない。
スウォンが人相書きなんぞ出してるかもしれませんしね。」
「じゃあ…今どこへ向かってるの…?」
『恐らく今私達にとって唯一頼れる場所…風の部族風牙の都…私達の故郷です。』
私とハクはヨナの手を引いて風の部族風牙の都の門へと近づいた。
「姫様、見えてきましたよ。」
『ここが風の部族風牙の都です。』