主人公はハクの相棒でヨナの護衛。国内でも有名な美人剣士。
旅の始まり
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冷たい風の吹く岩山の上、赤い髪を揺らしてその少女は凛々しく立っていた。
彼女の手には剣があり、背後には7人の人物が立ち並ぶ。
赤い星が昇る…
「ヨナ姫、そろそろ出発しましょう。」
「うん。ここは冷えるね。」
『山沿いですから。』
「凍りそう…あの頃は私…城の外がこんなに寒いって事知らなかった。」
ここは高華王国
そしてかつての彼女の城、緋龍城は当時王の他には世継ぎの皇太子も世継ぎを産む皇后も無く
ただ齢十五の皇女が大切に大切に育てられていた…
「ねぇ、父上。私の髪変じゃない?」
珍しい赤い髪を揺らし、高価な衣服を身につけた少女、ヨナは父であるイル陛下に問うた。
「変じゃないとも。ヨナの美しさはどんな宝石にも敵わんさ。」
「顔はね。私もそこそこ可愛く生まれたと思うわ。
でもね父上、この髪!どうしてこう赤毛でくせっ毛なのかしら。
亡くなられた母上はサラサラの黒髪だったのに。
ちっともまとまらない~~~っ」
「そんな事ないだろう…なぁ、ハク。」
イル陛下は姫である娘の我儘に困り果てハクに救いを求める。
イル陛下の近くに跪いていたのはヨナの専属護衛であるハク、そして彼の隣に同じく跪く彼の相棒である私。
黒髪に黒い瞳を持つ整った顔立ちの青年ハクは今や城の中を歩けば女性たちが振り向くほど。その剣術の腕も兵達が一目置くほどだ。
黒髪に闇のように真っ黒な瞳を持つ私もムンドク自慢の美貌を携え、甘い香りを漂わせて常にハクと共に行動している。
長い髪は結い上げて簪でまとめてある。
私に求婚してくる強者もいたがすべて無視していた。
「えぇ、イル陛下。姫様のお髪が変などと誰が申しましょうか。
あえて申し上げるなら頭(のーみそ)が変ですね。」
「お黙り下僕。父上、こいつ何とかして!従者のくせに態度でかすぎ!!」
ヨナは近くにあった物をハクに向けて投げる。
だがそれはすべて彼に受け止められ、両手が塞がると彼は私に流れるようにそれらを渡してくる。私は呆れつつ受け取った物を机に並べた。
『ふふっ、元気のよろしいことで。ヨナ姫の髪は美しいですよ。』
「私もリンみたいなサラサラな髪がいいの!!」
『私は姫様の可愛らしい赤髪が好きですけどね。』
すると彼女はハクに物を投げるのをやめて私に抱き着いてくる。
私は彼女を抱き止めて髪を撫でてやった。
「父上、私護衛にはリンだけでいいわ!」
『光栄です。』
「まぁまぁ、リンの力量も言うことなしだがハクだってお前の幼馴染だろう。
それにハクは十八にして城でも指折りの将軍で護衛にはうってつけ…」
「そんなの知らない。護衛ならもっと可愛げあるリンみたいな人でいい。」
「可愛いといえばいいんですか?可愛くしとかなくて。」
『先程到着なさったようですよ、スウォン様。』
「それを早く言いなさいっ!」
ヨナはドタバタと走って部屋を出て行った。
「スウォン?だから髪を気にしていたのか?
彼はヨナの髪なんて今更だろうに。イトコなんだから。」
「乙女心ってヤツなんじゃないですか?」
「なにっ!?」
『ヨナったら可愛い。』
「イル陛下、政務が滞ってますよー!」
私とハクが並んでお茶を飲み始めるとイル陛下の側近である文官、ミンスがやってきて彼を連れ出した。
―スウォン…小さい頃からいつも私のそばにいて優しかったスウォン…3つ年上の私のイトコ…
今日は久々に…久々にスウォンに会える…!―
ヨナは廊下を走って曲がり角で誰かにぶつかってしまった。
「おっと…危ないなぁ。相変わらず元気ですね、ヨナ姫。」
彼女を抱き止めたのはスウォンだった。
彼は金茶の髪を軽く結っていて穏やかな顔立ちをしている。
「どうしたんです?慌てて…」
「スウォンが来たっていうから出迎えてやったのよ。」
「わあ、えらいえらい。」
スウォンはヨナの頭を撫でる。
「こっ、今回は?しばらくいられるんでしょ?」
「もちろん。一週間後のヨナの誕生日の為に来たんだから。
誕生日といえばヨナは十六になるんですよね。大きくなったなァ…
イル陛下とハク、それからリンはどこです?」
ヨナのことなんてお構いなしにスウォンは彼女を子ども扱いしてそのまま歩き去った。
私とハクは饅頭片手にその様子を見守っていた。
「今日は朝からとっておきの絹の衣、極上の香を焚き染めて、最高級の美容液と化粧を施したのに。」
「ムダ遣いですね。」
「お前は黙ってて!…スウォンのばか。」
―スウォンにとって私はまだあの頃のまま…―
彼女はふと昔のことを思い出していた。
それは彼女の母親が亡くなって間もないときのこと…
「ヨナ…ヨナ、どうしました?最近食事もしてないって聞きました。」
「あっちへ行って、スウォン。」
「でも…」
「うるさい!」
スウォンは強がるヨナの頭から自分の羽織を被せた。
「な…」
「大丈夫、こうすれば他からは見えません。」
彼はそのままヨナを背後から抱き締めて優しく言った。
「もう泣いてもいいんですよ。」
その言葉に導かれるように彼女は泣き始め、しゃがみこむと心の内を吐露した。
「眠れないの。ずっと母上がそばにいないから。」
「うん…皇后様亡くなられたばかりですからね…
…そうだ!私がヨナの母上になります。」
「!?」
「とりあえず食事はしなきゃ!お師匠様にもらった梨あげます。」
スウォンは持っていた梨を渡し微笑むが、彼のお腹も鳴って共に食べることになった。
夜になると2人は並んで寝床に横になった。
「皇后様がしていたように眠るまで手を握っています。
ヨナの涙がこぼれたら誰かに見られないようにぬぐってあげます。だから明日は笑って?」
―ばかね…心臓の音がうるさくて余計眠れないじゃない…―
そう…スウォンはヨナにとって特別な人なのだ。
スウォンが緋龍城にやってきた翌朝、私とハクの元をスウォンが訪ねて来ていた。
「ハク!リン!!」
「ん?」
『スウォン様?』
「おはようございます。」
「これから弓矢でもしませんか?」
『馬をご所望でしょうか。』
「はい!!」
「お望みとあらばお付き合いします。」
「本当ですか!!?」
スウォンの様子に微笑むと私は馬屋へ向かった。
その間にハクがスウォンと共に外へ出ることをイル陛下に伝えてくれるだろう。
護衛の身としてヨナの近くにいられないことは随時報告しておくべきだから。
私は馬屋で自分の愛馬であるイアンを口笛で呼んだ。
すると美しい黒馬が駆けてきて私を舐める。
『おはよう、イアン。』
私は近くにいた2頭に鞍を装着すると軽く撫でてからイアンに乗った。
『ついてきてちょうだいね。』
すると2頭は嘶き私の言葉に従ってくれる。
城内を駆けハクとスウォンがいるであろう弓道場へ向かう。
的がある屋外の弓道場に到着すると2人が弓矢を持って待っていた。
『お待たせしました。』
「私達の馬も連れてきてくれたんですか!!?」
『これくらいお安い御用です。』
「ほらよ。」
『ありがと。』
ハクから弓矢を受け取り私は軽く身体を動かす。
これから弓を引くのだ。硬い身体では2人に負けてしまう。
久々の対決なのだから正々堂々やりたい。
いつの間にかイル陛下も近くの建物に見物にやってきていた。
その頃ヨナはスウォンの部屋を訪れていた。
「おっ、おはようスウォン!とっておきのお菓子があるのよ!一緒に…って」
がらーんとした部屋にミンスだけがいた。
「あ、姫様。スウォン様ならハク将軍とリン様と外で…」
ヨナが来た頃には既に私たち3人は馬上にいた。
「ハクもリンもずるい!この私をさしおいてスウォンと遊ぶなんて。」
「まあまああの3人も久々に会ったんだし、同い年だから気も合うんだろう。」
彼らの前で私達は馬を走らせ始め的に向けて矢を射った。
スウォンは的の中央の少し横、次に私が中央を射抜き、最後にハクが私の矢の上から中央を射抜いた。
『あ…』
「ふっ…」
『やられた…』
「流石ですね、2人共。」
スウォンの弓を引く真剣な眼差しにヨナは惚けてしまう。
「私もスウォンと弓やる!」
「なっ、なんだと!?ダメだダメだ、武器など持たせられるか。
本当はあの3人にだって持たせたくないくらいなのに。」
「じゃあ父上やってよ。」
「怪我しちゃうじゃないか。」
「まーっ、臆病!」
「ヨナ。」
するとスウォンがヨナを優しく呼んだ。
「いらっしゃい、馬に乗せてあげます。」
「スウォン!」
「大丈夫です、馬に乗るだけですから。」
ヨナはこちらに降りてきてスウォンの馬に乗ることになった。
スウォンが馬上でヨナを引き上げ、ハクが彼女を支え、私は馬が暴れないよう撫でてやっていた。
「高いっ!怖い…っ」
「落ちついて。私とハクで支えてますから。」
「でも~~~」
「姫様の重みで間もなくハクは絶命~」
「張り倒すわよ!!」
『そのくらいで絶命するくらいなら将軍職なんてやめちゃいなさいな。』
「ハハッ。言いくるめられましたね、ハク。」
「…」
「大丈夫ですよ、ヨナ。馬好きでしょう?」
「…好きよ。」
スウォンはヨナの手を掴み引き上げると自分の前に座らせた。そのまま彼女を抱くようにして手綱を握る。
「私に身体を預けていなさい。」
―うわっ、声が息が…っ―
赤い顔をするヨナを見て私はクスッと笑うがハクは複雑な様子。
『ハク…』
「何も言わんでいい。」
『そう。』
私は彼の密かに抱いている気持ちを知っている。彼はヨナに想いを寄せているのだ。
だが姫と従者という関係上それは許されない。
だからこそずっと胸に秘めていて、スウォンとヨナが結ばれ、それをずっと見守れればと願っている。
ヨナはそんな私達の様子なんて気にしていられない。
スウォンの声や息がとても近くから感じられるからだ。
「これは反則じゃない?」
「ん?」
「イヤ、スウォンって女性の扱い慣れてる感じ。スウォンのお屋敷では山程女を連れ込んでたりして。」
―あらあら何を言いだすの、私は…―
ヨナの言葉にスウォンは微笑むだけ。
「まさか…」
「えっ、いや…やだなあっ、誤解ですよ。確かに縁談の話はいくつかあるけど。」
―縁談~~~~っ!?―
「何それ、知らな…っ」
「や、まだ決まってないし。やめましょ、この話は…ヨナにこんな事言っても仕方ないし。」
―また子供扱い!?―
ヨナはスウォンの言葉にむきになった。
「わっ、私にだって縁談くらいあるわ。」
「えっ、誰と?」
「ハクとか!」
その言葉に私はつい吹き出し、ハクは怪訝そうな顔をしながらヨナを見つめ私を拳で殴った。
―ばかっ…よりによって従者の名前挙げるなんてバレバレの見栄をっ
だって仕方ないじゃない!年の近い男なんてこいつしか知らないもの!!
だから思いっきり不審な目でこっちを見るのはやめて、そこの従者!!!!―
「あの…」
「…それはいいんじゃないかな。おめでとうございます。」
スウォンはあっさり彼女の言葉を受け止めたのだった。
枯れと別れてから私、ハク、ヨナ、イル陛下はある一室に入った。
「ひどいっ…あんまりよ、スウォン。あんな嘘を信じるなんて。」
「ひどいのはアンタだ。そして迷惑だ。」
「お前の結婚は嘘にならんかもしれんぞ。」
そこにミンスも人数分のお茶を持って入って来た。
だが彼に構ってられるほど今の私達に余裕はなかった。イル陛下の言葉が衝撃的だったからだ。
「え…?」
「無論相手は然るべき者を選ぶがな。」
「父上?」
「じきお前は十六だ。婚約者がいてもおかしくないだろう。いずれ話そうと思っていた。」
「や…嫌よ、私はスウォンが…」
「スウォンは駄目だ。」
「父上に私の恋愛をどうこう言われたくないわ。」
「ヨナ、私はこれまでお前が望む物は何でも与えてきたよ。
美しい簪に耳飾り、離宮に花の庭園…武器以外の物は何でも。
しかし、お前がどれだけ望んでもスウォンを与える事は出来ない。
お前は高華王国の皇女。お前の夫となる者はこの国の王となる者なのだ。」
「…スウォンは父上の兄ユホン伯父上の息子、王家の血筋でしょ。」
「…そうだな。だが後継者は王である私が選ぶ。」
「どうして…スウォンは立派な人よ。父上は武器を恐れて触れもしない臆病な王様じゃない。」
「…確かに臆病な王だよ、私は。
お前の母親は賊に襲われ殺された。王の一族は皆このような危険がつきまとう。
それを知って私は再び妻を娶る気にはなれなかったよ。
ヨナ、スウォンには幸せになってほしいだろう?」
「わからないわ、父上。」
そう言い残しヨナは部屋から出た。
私とハクはその後ろ姿を見送ることしかできない。
ヨナの言い分もイル陛下の願いも分かるからだ。
部屋の窓から私達は雨が降り始めた空を何も言わずに見上げた。
ヨナは暗くなるまで廊下の片隅で雨空を見上げて考えていた。
―だってそれなら私の夫となる人は不幸になってもいいの?
私は…?私は幸せになってはいけないの?―
「でもそうよね…たとえ父上が許してもスウォンにとって私は子供…ダメじゃない。最初からスウォンと私は…」
彼女がぐすっと顔を俯かせると何かの音を聞き取った。
初めそれは雨音かと思ったが段々はっきりしてくると足音だと気付いた。
「誰…?ハク…?ハクでしょ、そんな…くだらない事して…」
だがその人物は何も言わずに彼女に向けて手を伸ばした。
身の危険を感じたヨナはすぐに立ち上がって逃げる。
雷の光に照らされた人影は彼女のすぐ背後にまで迫っていた。
彼女は咄嗟に近くにあった部屋に駆け込んで扉を閉めた。
その瞬間、彼女は背後から誰かに抱き寄せられた。
「いやあ…やめて、放して…っ」
「ヨナ…?」
「スウォン…!?」
背後にいたのは心配そうに彼女を見つめるスウォンだった。
「すみません、びっくりさせちゃいました?急に入って来るから声かけようと…」
「ス…スウォン…へ…変な人が私を追いかけて…」
スウォンはすくっと立ち上がり真剣な眼差しのまま扉を開けると外を確認する。
「…誰もいませんね。」
―逃げたんだ…城の衛兵なら普通に声をかけるもの…
私を…狙った…私が皇女だから狙われたの?私が王の娘だから…―
「ヨナ?」
「…っ」
「ヨナっ」
「いやああっ」
恐怖のあまり震え泣き出す彼女にスウォンは羽織を被せ目線を合わせるように膝を曲げた。
「ヨナ、大丈夫。私がいます。」
「だめ…私スウォンとはいられない。」
「どうして?」
―私といるとスウォンまで危ない目に…―
「ハクのそばがいいならハクの部屋に送ってあげますよ。」
「えっ…」
「ハクは婚約者なんでしょう?」
「違う…」
「隠さなくても。ハクに怒られちゃいますね。こんな所で2人きりなんて。」
―嫌、スウォン…違うの…
ふりむいてくれなくてもいいから…だから…想ってもいいでしょう…?―
「私…っ…私は…スウォンが…スウォンのことがずっと…」
スウォンは足を止めてゆっくりヨナを振り返った。
「…あれ、雨が少し小降りになったみたいですよ。」
―無視…した…―
スウォンはヨナの言葉を聞かなかったかのように微笑んでいた。
「部屋まで送ってあげます。護衛をつけましょう。」
「ス…スウォン、私…」
ヨナが伸ばした手をスウォンは咄嗟に薙ぎ払ってしまった。
「…すみません。傍に寄らないで下さい。勘違いしそうになる。」
「勘違い…?」
「つまり…ですね。さっきの流れだとまるで…まるでヨナが私を…」
「勘違いじゃなかったら…?勘違いじゃなかったらスウォンは嫌…?」
「…困ります。貴女が急に女性に見えて困ります。」
彼は照れたように髪を掻き上げた。
その頬はほんのりと赤く染まっていた。
「…今までは何だったのよぉ。」
「えっ、いやえーと妹みたいな。」
「知ってたわよ!」
「は、はい。すみません、どうも私はこの手の事に疎くて。」
―スウォン真っ赤だ…―
「嘘ね。縁談は?」
「あれはっ、そういう話もあるって事で今はまだそんな事考えられません。」
「スウォン、私女性に見える?」
ヨナが無邪気に問うとスウォンは罰が悪そうに視線を流した。
「…少なくとも手を握って一緒に寝るなんてもう出来ません。緊張で目が冴えてしまう。」
「今頃?意外と子供ね、スウォン。」
「なっ、何ですかっ!」
「それは私六歳の時に経験済よ!」
「えっ、誰と?」
「あんたに決まってるぐわーっ」
「あっ、そうか。」
「…ま、いいや。スウォンが私の事少しでも気にしてくれたなら今はそれだけでいい。」
彼女はそのまま静かに涙を流し、スウォンは彼女の髪を撫でるのだった。
―父上…私やっぱりスウォンが好き…
国とか王とかまだわからない…でも父上、彼がいるだけで私は最高に幸せなのよ…―
そんなことがあった数日後、私をイル陛下は急遽呼びつけた。
『どうなさいましたか、陛下。』
「突然呼んでしまってごめんね。」
『いえ。』
「どうしてもこの文をある町の長に届けてほしいんだ。」
『今から…ですか?』
「すまない…」
ヨナの誕生日を2日後に控えていたその日、私に与えられた任務はイル陛下の文をある町の長へ届けることだった。
その長は足を悪くしていてヨナの誕生日祝いに来れなくなってしまったという。
それを許し安静にするよう告げる文を急いで届けなければならないのだ。
私は文を受け取り丁寧に着物の胸元に仕舞った。
そこにヨナとハクがやってきた。
「今から出掛けるの!!?」
「あぁ、重要な任なのだ。」
「私の誕生日までに間に合う…?」
『申し訳ありません、姫様。
片道1日は掛かるようで急いでも誕生日の夜に帰還できるかどうかといったところでして…』
「もう父上!そういう用事は早めに片付けておいてよ!!」
「す、すまない…」
『陛下もお忙しいのですから許して差し上げてください。』
「よりによってリンが行かなきゃいけないなんて…」
『私が兵の中で最も速いと判断されたのでしょう。
ハクは姫様の護衛ですし、私は彼の相棒であってそれほど誕生日を祝われる席で重要視はされません。』
「でもリンに祝ってほしかったの!!」
『姫様…』
「リンは私の一番の相談役だもの!!
身分なんて関係なく何でも相談できる友のような…姉のような存在なのに…」
『ヨナ…ありがとうございます。それでは帰ったら一番に姫様の前に参上しお祝いいたしましょう。』
「本当…?」
『えぇ。お約束いたします。』
「早く帰って来てね。」
『はい、行ってまいります。ハク、姫様のことよろしくね。』
「言われなくとも。お前も気をつけろよ。」
『うん、行ってくる。』
イアンに乗って城を出ようとしたところ、私はある人物に呼び止められた。
「リン!!」
『スウォン様?』
「よかった、間に合った…」
『どうしたのです…?』
「これを渡そうと思って。」
彼が渡してくれたのは道中簡単に食べれそうな食料だった。
「出掛けてしまうって聞いたものですから。」
『ありがたくちょうだいいたします。』
「いってらっしゃい。」
『行って来ます。あ、スウォン様!』
「なんですか?」
『姫様のこと、よろしくお願いします。』
「わ、私に頼むんですか!!?」
『ふふっ。頼みましたよ、スウォン様。』
そう言って笑うと私はイアンを走らせたのだった。
その日のうちにどうにか町まで辿り着いて文を届けることができた。
「わざわざ舞姫とも呼ばれるようなリン様に来ていただけるなんて…」
『お気になさらず。私は陛下の命で動いているだけですから。』
それからすぐ帰ろうにも外は真っ暗。流石に山道をこの暗さで突き進むのは危険だろう。
町長の言葉に甘えて町で一泊することになり、私が出発するのはヨナの誕生日当日の朝になったのだった。
私がイアンを走らせている頃、緋龍城では十六になるヨナの誕生祝いの宴が行われた。
「うっうっう…十六かっ…ヨナも立派になったなぁ。」
いつにも増して華やかな衣と髪飾りをしたヨナを見てイル陛下は嬉しさのあまり涙を流す。
ヨナは多くの人たちに祝われているものの髪のことしか考えていないようだ。
「父上、やっぱり髪がハネるのよ。今日は結い上げたかったのにヒドイわ。」
「駄目だ。この娘、髪の事しか頭にない。」
「それよりいつになったらリンは帰って来るの?」
「今晩には戻るだろう。リンは優秀だからね。」
「早く帰って来ないかしら。」
そのときスウォンがヨナを手招きして宴の会場から外へ連れ出した。
「なっ、何か用?」
「手を出して下さい。」
スウォンが彼女に手渡したのは美しい簪だった。
「すみません、こんな所で。ヨナに似合うと思って手渡したかったんです。」
「…私の髪くせっ毛で赤毛でちっともまとまらないのよ。私には似合わないわ。」
「えっ。私は好きですよ、ヨナの髪。キレイな紅…暁の空の色です。」
―なんて単純…一瞬にして自分の髪が愛しくなるなんて…―
そこにハクが現れた。イル陛下に言われてヨナを探しに来たようだ。
「ハク!?」
「陛下が探してましたよ、姫様。」
「も~あの酔っ払いは…」
「…ま、こんな事だろうと思ってました。」
「えっ」
「スウォン様なら陛下を説得できるでしょう。頑張って下さい。」
「誤解だよ、ハク。それに敬語やめない?昔みたいにスウォンって呼んでよ。」
「身分はわきまえてますから。」
「淋しいなぁ、ハク将軍。」
「それより何か感じませんか、スウォン様?
はっきりとは言えないけど妙な違和感…城内に何か入り込んでるような…」
―もしかしてリンも何かを感じているから敢えて出発前に俺に姫さんを託したのか…?―
「そういえばヨナもそんな事を言っていた。」
「何…っ」
「今日出入りする人間を見張った方が良いかも。」
「了解。スウォン様は姫を頼んます。」
「だから誤解だって!」
ヨナはというと好きだと言われた自分の髪、そしてスウォンの言葉を思い出していた。
いくらイル陛下が駄目だと言っても彼女の中からスウォンは消えなかったのだ。
私はというとイアンを山道の途中で休ませていた。
『無理させてごめんね、イアン。』
撫でてやると彼は甘えるように擦り寄ってきた。
そのとき私は近付いてくる足音を聞き付けた。
『誰だ。コソコソしていないで姿を表せ。』
「何だ、気付いてたのか。」
「なかなかやるね、お嬢ちゃん。」
私を取り囲んでいたのは山賊だった。
「痛い目に遭いたくなかったら俺たちの言う事きいてよ。」
『はぁ…イアン、この先で待っていて。』
するとイアンは山賊の上を跳び越えて走って行った。
「あれ~逃げないのかい?」
「これだけの人数相手に戦うつもりなのか。」
『無駄話は必要ないわ。私急いでるの。』
その言葉に苛立ちを顕わにした山賊は私に飛び掛かってくる。
相手が武器を持っていたため私は仕方なくいつも持ち歩いている剣を抜いた。
殺さない程度に山賊を倒していくと彼らは私の正体に気付いたようだった。
「おっ、お前まさか…っ」
「舞姫…!!?」
『はぁ…わかったならさっさと消えてくれるかしら。』
彼らが立ち去ると私は溜息を吐いてイアンを口笛で呼んだ。
すぐに駆け付けたイアンに飛び乗って道を急ぐ。
『あんな奴らに足止めされてる場合じゃないのよ…
ヨナの誕生日を祝わなきゃいけないんだから…それに…』
―城を出るときから感じてるこの嫌な感覚…何も起きていなければいいけど…―
『イアン、もう少しよ。急いでちょうだい。』
暗い空の下私は緋龍城へと急いだ。
夜になり宴も終わりを迎え城は静まり返った。
そんななかスウォンから貰った簪を髪に飾ったヨナは部屋を出てイル陛下の部屋へ向かった。
―やっぱり父上に話そう…私はスウォンを忘れられない。話せばきっとわかってくれるわ…
宴会の後は静かなものね…皆お酒の飲み過ぎなのよ…
父上もだいぶ酔ってたわ。話通じるかしら…―
イル陛下の部屋の前に着くと何故だか扉が開いていた。
―いくら酔ってるからって仮にも国王が衛兵も置かずに無用心ね…―
そのときヨナははっと気づいた。
―変…どうして衛兵が一人もいないの?
私がここに来るまで一人も会わなかった。いつもは城内に何人も衛兵がいるのに…―
不審に思いながらヨナはイル陛下の部屋に足を踏み入れた。
「父上…」
そのとき目の前の丸窓からの光に2人の人物の影が揺れた。
そして次の瞬間、ヨナの目の前にイル陛下が倒れたのだ。
「ひっ…ち、父上!!?」
恐る恐るヨナはイル陛下に近づくがもう彼が動く気配はない。
ピチョンピチョンと何かが滴る音がする。それはある人物が手に持つ刀の剣先から零れるイル陛下の血だった。
「ああ…まだ起きてたんですか、ヨナ姫…」
その人物とは…スウォンだった。
同じ頃、ハクは愛用している大刀を肩に担ぎ見回りをしていた。
―やけに静かだ…―
「ハク将軍、見回りご苦労様ですっ」
彼に声を掛けたのは差し入れとして酒を持ってきたミンスだった。
「さすが、ミンス。気が利くな。」
「でもいいんですか?ヨナ姫様のお傍にいてさしあげなくて。」
「あー野暮野暮。姫さんにはスウォン様がついてるからな。」
「では姫様のお心がスウォン様に通じたんですか?」
「さあな。でも時間の問題だろ。」
「ハク将軍はお2人の事よくご存知ですものね。」
「見てたからな、昔っから。あの2人には…ま、何つーか幸せになってほしいと思ってる。」
そう言いながら彼は酒を煽った。
いつもならここで私が何も言わず彼に寄り添っているが、それが今晩はいない。ハクはやりきれない想いに溜息を吐いた。
―はぁ…さっさと帰って来いよ、リン…―
そのとき彼は違和感を覚え酒を捨てると立ち上がりヨナの元へと走り出した。
私は急いで緋龍城に戻り違和感を感じていた。
―門番がいない…どうして…―
私は門をくぐりイアンを馬屋に戻した。
『ありがとう、イアン。ちょっと嫌な予感がするから行ってくるわね。』
イアンの頭をそっと抱き寄せ微笑むと私は音を頼りに駈け出したのだった。
私が漸く緋龍城に辿り着き走り出した頃、ヨナは目の前の状況を理解できずにいた。
転がった父親と、頬を血で汚し剣を握る愛しい人…それを少女が受け入れられるだろうか。答えは否だ。
「ス…スウォン…父上…が…早く…医務官…を…」
「イル陛下はもう目を開けません。私が殺しました。」
そう告げるスウォンは今までに見た事もないほど冷たい目をしていた。
「な…にを言って…あ…貴方は…そんな事…出来る人じゃ…」
「…貴女は知らない、私がこの日の為に生きてきた事を。」
「な…なぜ…父上は…貴方を幼い頃からとても可愛がって…」
「そうですね。私もイル陛下が大好きでしたよ。
争いを怖れる臆病者だと囁かれても、それが陛下の優しさなのだと。
でもそうではなかった…そうではなかったんです。
私の父…ユホンを覚えていますか?
父上は幼少時より勇猛果敢で利発。成人して軍を率いれば常に勝利を収める覇者でした。
誰もが父上が次期国王になる事を望み、それを疑わなかった。
そんな中10年前先王が国王に選んだのは父ユホンではなく叔父のイルでした。誰もが理解出来なかった。
ただでさえ王位継承権は長男にあるのに、なぜ軟弱な弟のイル様をお選びになられたのかと。
しかし父上は笑っていました。
“王座など俺にとっては些末事(さまつごと)。俺は弟を守り民を守る為に前線で戦い続けようぞ”そう言って…
私はそんな父上を誇り深く敬愛した。いつか父上と共に戦場に立ち、この命を父上の為に捧げようと思って…いたのに…
王位に就いた後、イル陛下は実兄であるユホンを殺害したのです。」
「そんな伯父上は事故で…!」
「表向きはそうですね。父上はイル陛下に剣で刺され亡くなった…
わかりますか?武器を嫌い争いを避けていたはずのイル陛下が父上を剣で殺したのです。
ヨナ姫…だから私は10年前からこの日の為に生きてきた。
父上の敵を討ち父上の遺志を受け継ぐ者として私はこの高華の王となる。」
ヨナはスウォンの冷たい目を見ていられず俯いた。
―これは…夢…悪い夢だ…―
「こんなの…嘘…」
―だって貴方は…笑って簪を…この簪をくれたじゃない…―
弱い彼女はただ涙を流す事しかできないでいた。
「…貴女がこんな真夜中に起きていたのは誤算でした。
陛下の部屋にもめったに立ち寄らないと聞いていたのに。なぜ来たのです、ヨナ姫。」
「…伝え…たくて…私は…スウォンを忘れる事は出来ないと父上に伝え…たくて…」
その言葉を聞いた一瞬だけスウォンの目がいつもの優しいものに戻った。
だが、それも扉が開く音で闇へと沈む。
「スウォン様!!準備全て整いました。
おお、これは…国王が…では本懐を遂げられたのですね。」
「…ん?スウォン様、この娘…ヨナ姫では…
姫に…まさか見られたのですか?ならば話は早いではないですか。
殺しておしまいなさい、スウォン様。姫の口を封じるのです。
このまま生き長らえても辛い思いをなさるだけでしょう。」
「ス…ウォン…」
臣下の言葉にスウォンは静かに剣を構えた。
身の危険を感じたヨナは兵士の間をさっと通り抜け逃げ出した。
「あっ!!」
「…捕まえて下さい。」
「はっ!」
逃げながらヨナはただ思った、自分の前にいたあの男は誰なのかと。
―誰…あの人は誰?父上を殺し私を殺そうとするあの人はスウォンじゃない…
私の大好きなスウォンじゃない…!!!―
そのとき縄が鞭のように飛んできてヨナの足に絡みついた。足を引かれ彼女は転倒してしまう。
「ああっ!」
「お覚悟を、姫様。これも高華国の為なのです。」
―私は憎まれていたの…?幼い頃からずっとずっとスウォンだけだったのに…
多くを望んだわけじゃない…スウォンの笑顔を見られればそれで良かったのに…―
ひとりの兵が剣を振り上げ、涙を流すヨナへと振り下ろした。
だが兵の剣は彼女に届くことなく逆に強い風と共に現れた男の大刀によってその命を奪われた。
兵を追って駆けつけたスウォンと対峙するようにその男、ハクは立ち上がった。もちろん、背後にヨナを庇うよう立つのも忘れずに。
「…今夜はスウォン様がいらっしゃるから邪魔者は遠慮したつもりだったんですがね。
見張りだったはずの守備隊がここに勢ぞろいしてるし、見知らぬ輩もいやがりますし。
これは一体どういう事ですか?なあ…スウォン様。」
「ハ…ハク…」
弱々しく呼ばれて彼はヨナに向き直ると跪いた。
「お傍を離れて申し訳ありません、ヨナ姫様。」
「ハク…ハクは…私の味方…?」
「…俺は陛下からあんたを守れと言われている。何があろうと俺はそれに絶対服従する。」
ハクは自らにも誓うように強く口にすると大刀を手に立ち上がった。
その声を騒ぎの中に微かに聞き取った私は彼らがいる方へと走っていた。
「リン様!」
『ミンス!!』
私は彼に駆け寄りながら剣を抜く。彼の背後に兵が詰め寄ってきていたからだ。
『よく無事だったわね。』
「リン様、何が起きているのです…?」
『さぁ…今戻ったばかりの私にもわからない。
ただ城の中にいるはずの衛兵もいなければ、門番もいなかった。
それどころかミンスを襲おうとしたり、知らない顔の奴も見掛けたわ。』
「ハク将軍も違和感を感じたようでどこかへ…」
『行き先なら姫様の所しかないでしょう。』
私はミンスを連れて音を頼りに再び走り出す。
そして近くの建物にさっと登ると屋根の上から敵に囲まれたヨナとハクを見つけた。
「控えよ、下郎。今より緋龍城の主となったスウォン陛下の御前なるぞ。」
ある男の言葉に私とミンスは同時に息を呑む。ハクもピクッと眉を引き攣らせた。
「…誰が何の王だって?どうも…嫌な予感がするんですがね、スウォン様。
イル陛下はどこにおられる?」
「私が先程地獄へ送ってさしあげた。」
その言葉にハクは怒りのあまり大刀を地面にめり込ませ、私は拳を強く握った。
「…酒にでも酔っておいでか?戯れ言にしては度が過ぎますよ。」
「…ヨナ姫に聞いてみるといい。その目で王の死を確かめられたのだから。」
ハクは地面を蹴るとそのままスウォンに斬りかかった。スウォンもすかさず剣で応戦する。
「真実を言え…!」
「偽りじゃない。」
「スウォン!!国王を弑逆(しいぎゃく)しただと…!?お前があの優しい王を…!」
スウォンは危険だと感じ一度ハクと距離を取った。
「スウォン様、ここは私が。」
「下がっていなさい。近付けば首が飛びますよ。
目の前にいるのはこの緋龍城の要、五将軍の一人ソン・ハクです。」
「ハク…!?あいつが高華の“雷獣”と噂される…」
「まだ相棒のリンが戻っていないのがせめてもの救いですよ。」
「リン…?まさか“舞姫”とも呼ばれる女性武人ですか!!?」
「…なぜだ?王位の簒奪(さんだつ)か?
いやお前は…王位に執着する奴じゃないだろう?
武器を嫌うか弱き王に刃を向けたのか?てめえの誇りがそれを許したのか!?」
「弱い王など…この国には必要ない。」
再びハクとスウォンの戦いは始まり、ハクの大刀がスウォンの右肩を抉った。
ヨナはスウォンの変わってしまった冷たい表情に涙を流す。
「待て!!そこまでだ。」
7人の兵がハクとヨナを囲み槍を向けた。
刃を首元に突きつけられハクも下手に動けないようだ。
「スウォン様、ご無事ですか?」
臣下がスウォンの身を案じる。そんな彼にハクは静かに問うた。
「スウォン、俺達が見ていたスウォンは幻だったのか?
お前になら姫を任せてもいいと…思っていた…」
「貴方達の知っているスウォンは最初からいなかったんです。
道を阻む者があれば切り捨てます、誰であろうとも。」
私は聞いていられなくなりミンスに問う。
『ミンス…弓矢を持ってるかしら。』
「はい。」
『流石陛下の側近は優秀ね。』
この些細な言葉にもスウォンを陛下として認めたくない私の抵抗が見え隠れする。
私はミンスから弓矢を受け取り矢筒を背負うと弓を構えた。
3本の矢を同時に引きハクとヨナの周りにいる兵に向けて射る。
「くはっ!!」
「「「っ!!?」」」
ヨナ、ハク、スウォンが驚きこちらを見上げる。
『ハク!!』
ミンスはちゃんと私の足元で身を隠している。
私は次の矢を構え別の3人を仕留める。残る1人はハクの大刀の餌食になった。
ハクは私が射った矢によって生まれた隙にヨナを抱きかかえて逃げてくる。
私は1本の矢を構えスウォンに向けて放った。
「っ!!?」
『スウォン…』
その矢は彼の頬を掠めた。
「リン…」
私は一筋の涙を流し他の兵を射始めた、ヨナとハクが逃げやすくなるように。
「スウォン様!!」
「平気です。」
「あの女…スウォン様を狙うとは…」
「しかし彼女は優しいですね…」
「え?」
「今の女性が舞姫と呼ばれるリンですよ。彼女の腕なら私なんて一発で仕留められたはずです。」
私はミンスを連れて屋根を降りながら思った。
―スウォン…そんなにすぐ貴方を敵と認識するなんて…
殺すことなんてできない…だって…私達には思い出があるから…あれが嘘なんて思えないから…―
自分の甘さが悔しくてぐっと歯を噛みしめて私とミンスはヨナとハクと合流した。
「遅かったじゃないか、リン…」
『ごめん…』
「陛下が…」
「はい。」
『さっきの会話を聞いていたわ…』
私たちはとりあえず物陰に身を隠した。
「姫様…陛下は…本当に亡くなられたのですか?」
ヨナは心ここにあらずの状態でコクッと頷いた。
「…そうですか。申し訳ありません、どうしても信じられなくて…
先刻(さっき)まで姫様のお誕生日だと幸せそうに笑っていらしたのに…」
『姫様…』
「リン…」
『戻るのが遅くなってしまい…お傍にいることができず申し訳ありませんでした…』
「リンは…傍にいてくれる…?」
『もちろんです、姫様。私はこの命尽きるその瞬間まで貴女の味方です。』
彼女はポロポロと涙を流した。
近くから兵の声がして私達は咄嗟に身体を小さくする。
「見つかるのも時間の問題だな。」
「私が逃げ道を確保します。皆さんはこの城から脱出してください。」
「それは…」
「緋龍城はスウォン様が率いて来た兵とスウォン様を支持する兵が集まりつつあります。」
「捕まれば間違いなく殺される…か。」
「どこへ…行くの…?
私…宴の時…父上が泣いて喜んでくれたのに一言も言わなかったわ、ありがとう…って。
ここは父上の城よ…父上を置いて…どこへ…どこへ行くというの…?」
ハクはヨナを強く抱き締めた。私は泣き続けるヨナの手を握る。
「どこへでも行きますよ、あんたが生きのびられるなら。」
『それが陛下への想いの返し方です。』
私たちは物陰をずっと進み裏口へ回った。
「私が引きつけます。」
「ミンス!」
『私も一緒に行きましょう。』
「リン、お前何言って…」
『姫が一人で逃げるとは考えにくい。私が一緒にいる方が敵を騙しやすいでしょう。』
「だが…」
『それにイアンがいれば道中も少しは楽でしょう。彼を連れて来ます。』
「リン…」
『そう簡単にやられるような私ではないわ。』
「姫様、どうかご無事で。」
そう呟くとミンスは姫の羽織を頭から被って走り出した。
私もそんな彼を追い剣を振るって矢を薙ぎ払いながら進んだ。
ヨナはハクに連れられて裏山へ逃げた。
私とミンスもどうにか馬屋に着くとそこは血の海だった。
『イアン!!!』
愛しい私の黒馬は既に冷たくなっていたのだ。
私が城に戻ってすぐきっと私たちの足を奪うために兵が殺したのだろう。
「リン様…」
『何て惨い(むごい)ことを…』
哀しみと怒りで震えながらも追ってくる敵は減らない。
ミンスと共に逃げるため走り出すがすぐに見つかってしまった。
「いたぞ!」
「あっちだ!!」
矢が降ってきて薙ぎ払いきれずに数本が私たちに向かってくる。
するとミンスは私を庇うように立ちすべてをその身に受けた。
『ミンス!!』
私は倒れていく彼の身体を受け止め近くの物陰に逃げ込んだ。
『どうして庇ったりしたの…』
「私では逃げ切れませんから…」
『そんなこと…!!』
彼の傷を手で覆って止血しようとするがそれも無意味。すると彼はそっと私の頬を撫でた。
「生きてください、リン様…」
彼は笑みを残して力尽きた。
『ミン…ス…?』
私の頬から彼の手は落ち、虚しく転がった。私は怒りに溺れ叫び声を上げた。
『あぁあああああああ!!!!』
ミンスをその場に横たえると物陰から飛びだして矢の雨を薙ぎ払い、剣を振るって兵を斬りながら突き進んだ。
返り血で自分が赤く染まろうと気に留めない。その姿は舞姫どころか死神のようだった。
門に辿り着いて外に出た瞬間、背後から足に毒矢を射られた。
『うっ…』
それでも足を止めず、私は追って来ようとする兵に向けて持っていたすべての矢を射った。
矢はなくなり、暴れた所為で元々脆かった弓も使い物にならなくなり私はそれらを捨てて逃げたのだった。
無理矢理に身体を動かしてヨナとハクが向かったであろう風の部族の村を目指す。
―こっちに行ったはず…それもまだ遠くない…
ハクの気配と姫様の息遣いがこっちから聞こえる…―
そして私は自嘲気味に笑った。
『動いてないと立ち上がることもできなくなりそうだわ…
ハクに見つかったら何て言われるかしら…』
矢についていた毒が身体に回り始めるのを薄っすらと感じる。
早く彼らと合流しないと私の身がもちそうにない。
そのとき少し先に弱々しい後ろ姿とその手を引いて歩く男性の影が見えた。
『ヨ…ナ…』
「っ!?」
ヨナははっとして身体を震わせた。
「姫様?」
「今…リンが…」
「え?」
『ハク…』
「リン!?姫様はここにいて下さい。」
ハクは大刀を持ったまま後ろを振り返り木に手をついてふらふらと歩く私に気付いた。
「リン!!」
『ハ…ク…』
彼の姿を見た途端、私は力尽きて倒れてしまった。
だが身体が地面にぶつかる前に彼に抱き止められる。
「おいっ!」
「リン…」
「毒矢かっ…!」
彼は私を抱き上げて肩に担ぐとヨナの手を引いて近くの木の根元に座らせた。
私をその隣の木にもたれかけさせ座らせると解毒の準備を始めた。
矢を抜いて傷口に口を当てると毒を吸い出して近くに吐きだす。
―チッ…毒がもう回り始めてやがる…早めに手当てした方がいいか…―
最低限の手当てをして包帯を巻いているとその痛みで私は目を覚ました。
『痛っ…』
「目覚めたか、このバカ。」
『第一声がそれなのはムカつくわね…』
「ミンスは死んじゃったの…?」
そのとき隣の木にもたれて座っていたヨナが呟いた。
私とハクは彼女の近くに移動する。足は少し麻痺していて思い通りに動かなかったが彼女の傍にいることの方が大切だった。
「私も…死ぬのかな…ハクもリンもスウォンに…殺されて…」
「あんなクソッタレにやる命なんて持ち合わせてねェですよ。」
「死なないでね…ハク…傍にいてくれるんでしょ、リン…」
「『っ!』」
「死んだら…許さない…から…」
彼女は疲れ果てて眠ってしまった。私は彼女の髪を撫でた。
ハクは彼女の零れた涙をそっと拭うと私を抱えて再び近くの木に戻った。
2人並んで座ってからそっと空を見上げる。
「…まだ信じられねェな。」
『えぇ…イル陛下が亡くなっただなんて…』
「姫を独りにして…しょーもねー王様だよ。」
『昔っから見てきたんだもの…汚れや痛みなんて知らない大切な姫様…』
私達は昔の幸せだった頃を思い出しながら寄り添っていた。
『ねぇ、イル陛下…私達はどうすればいい…?』
「まだ昨日の事のようですよ…」
彼女の手には剣があり、背後には7人の人物が立ち並ぶ。
赤い星が昇る…
「ヨナ姫、そろそろ出発しましょう。」
「うん。ここは冷えるね。」
『山沿いですから。』
「凍りそう…あの頃は私…城の外がこんなに寒いって事知らなかった。」
ここは高華王国
そしてかつての彼女の城、緋龍城は当時王の他には世継ぎの皇太子も世継ぎを産む皇后も無く
ただ齢十五の皇女が大切に大切に育てられていた…
「ねぇ、父上。私の髪変じゃない?」
珍しい赤い髪を揺らし、高価な衣服を身につけた少女、ヨナは父であるイル陛下に問うた。
「変じゃないとも。ヨナの美しさはどんな宝石にも敵わんさ。」
「顔はね。私もそこそこ可愛く生まれたと思うわ。
でもね父上、この髪!どうしてこう赤毛でくせっ毛なのかしら。
亡くなられた母上はサラサラの黒髪だったのに。
ちっともまとまらない~~~っ」
「そんな事ないだろう…なぁ、ハク。」
イル陛下は姫である娘の我儘に困り果てハクに救いを求める。
イル陛下の近くに跪いていたのはヨナの専属護衛であるハク、そして彼の隣に同じく跪く彼の相棒である私。
黒髪に黒い瞳を持つ整った顔立ちの青年ハクは今や城の中を歩けば女性たちが振り向くほど。その剣術の腕も兵達が一目置くほどだ。
黒髪に闇のように真っ黒な瞳を持つ私もムンドク自慢の美貌を携え、甘い香りを漂わせて常にハクと共に行動している。
長い髪は結い上げて簪でまとめてある。
私に求婚してくる強者もいたがすべて無視していた。
「えぇ、イル陛下。姫様のお髪が変などと誰が申しましょうか。
あえて申し上げるなら頭(のーみそ)が変ですね。」
「お黙り下僕。父上、こいつ何とかして!従者のくせに態度でかすぎ!!」
ヨナは近くにあった物をハクに向けて投げる。
だがそれはすべて彼に受け止められ、両手が塞がると彼は私に流れるようにそれらを渡してくる。私は呆れつつ受け取った物を机に並べた。
『ふふっ、元気のよろしいことで。ヨナ姫の髪は美しいですよ。』
「私もリンみたいなサラサラな髪がいいの!!」
『私は姫様の可愛らしい赤髪が好きですけどね。』
すると彼女はハクに物を投げるのをやめて私に抱き着いてくる。
私は彼女を抱き止めて髪を撫でてやった。
「父上、私護衛にはリンだけでいいわ!」
『光栄です。』
「まぁまぁ、リンの力量も言うことなしだがハクだってお前の幼馴染だろう。
それにハクは十八にして城でも指折りの将軍で護衛にはうってつけ…」
「そんなの知らない。護衛ならもっと可愛げあるリンみたいな人でいい。」
「可愛いといえばいいんですか?可愛くしとかなくて。」
『先程到着なさったようですよ、スウォン様。』
「それを早く言いなさいっ!」
ヨナはドタバタと走って部屋を出て行った。
「スウォン?だから髪を気にしていたのか?
彼はヨナの髪なんて今更だろうに。イトコなんだから。」
「乙女心ってヤツなんじゃないですか?」
「なにっ!?」
『ヨナったら可愛い。』
「イル陛下、政務が滞ってますよー!」
私とハクが並んでお茶を飲み始めるとイル陛下の側近である文官、ミンスがやってきて彼を連れ出した。
―スウォン…小さい頃からいつも私のそばにいて優しかったスウォン…3つ年上の私のイトコ…
今日は久々に…久々にスウォンに会える…!―
ヨナは廊下を走って曲がり角で誰かにぶつかってしまった。
「おっと…危ないなぁ。相変わらず元気ですね、ヨナ姫。」
彼女を抱き止めたのはスウォンだった。
彼は金茶の髪を軽く結っていて穏やかな顔立ちをしている。
「どうしたんです?慌てて…」
「スウォンが来たっていうから出迎えてやったのよ。」
「わあ、えらいえらい。」
スウォンはヨナの頭を撫でる。
「こっ、今回は?しばらくいられるんでしょ?」
「もちろん。一週間後のヨナの誕生日の為に来たんだから。
誕生日といえばヨナは十六になるんですよね。大きくなったなァ…
イル陛下とハク、それからリンはどこです?」
ヨナのことなんてお構いなしにスウォンは彼女を子ども扱いしてそのまま歩き去った。
私とハクは饅頭片手にその様子を見守っていた。
「今日は朝からとっておきの絹の衣、極上の香を焚き染めて、最高級の美容液と化粧を施したのに。」
「ムダ遣いですね。」
「お前は黙ってて!…スウォンのばか。」
―スウォンにとって私はまだあの頃のまま…―
彼女はふと昔のことを思い出していた。
それは彼女の母親が亡くなって間もないときのこと…
「ヨナ…ヨナ、どうしました?最近食事もしてないって聞きました。」
「あっちへ行って、スウォン。」
「でも…」
「うるさい!」
スウォンは強がるヨナの頭から自分の羽織を被せた。
「な…」
「大丈夫、こうすれば他からは見えません。」
彼はそのままヨナを背後から抱き締めて優しく言った。
「もう泣いてもいいんですよ。」
その言葉に導かれるように彼女は泣き始め、しゃがみこむと心の内を吐露した。
「眠れないの。ずっと母上がそばにいないから。」
「うん…皇后様亡くなられたばかりですからね…
…そうだ!私がヨナの母上になります。」
「!?」
「とりあえず食事はしなきゃ!お師匠様にもらった梨あげます。」
スウォンは持っていた梨を渡し微笑むが、彼のお腹も鳴って共に食べることになった。
夜になると2人は並んで寝床に横になった。
「皇后様がしていたように眠るまで手を握っています。
ヨナの涙がこぼれたら誰かに見られないようにぬぐってあげます。だから明日は笑って?」
―ばかね…心臓の音がうるさくて余計眠れないじゃない…―
そう…スウォンはヨナにとって特別な人なのだ。
スウォンが緋龍城にやってきた翌朝、私とハクの元をスウォンが訪ねて来ていた。
「ハク!リン!!」
「ん?」
『スウォン様?』
「おはようございます。」
「これから弓矢でもしませんか?」
『馬をご所望でしょうか。』
「はい!!」
「お望みとあらばお付き合いします。」
「本当ですか!!?」
スウォンの様子に微笑むと私は馬屋へ向かった。
その間にハクがスウォンと共に外へ出ることをイル陛下に伝えてくれるだろう。
護衛の身としてヨナの近くにいられないことは随時報告しておくべきだから。
私は馬屋で自分の愛馬であるイアンを口笛で呼んだ。
すると美しい黒馬が駆けてきて私を舐める。
『おはよう、イアン。』
私は近くにいた2頭に鞍を装着すると軽く撫でてからイアンに乗った。
『ついてきてちょうだいね。』
すると2頭は嘶き私の言葉に従ってくれる。
城内を駆けハクとスウォンがいるであろう弓道場へ向かう。
的がある屋外の弓道場に到着すると2人が弓矢を持って待っていた。
『お待たせしました。』
「私達の馬も連れてきてくれたんですか!!?」
『これくらいお安い御用です。』
「ほらよ。」
『ありがと。』
ハクから弓矢を受け取り私は軽く身体を動かす。
これから弓を引くのだ。硬い身体では2人に負けてしまう。
久々の対決なのだから正々堂々やりたい。
いつの間にかイル陛下も近くの建物に見物にやってきていた。
その頃ヨナはスウォンの部屋を訪れていた。
「おっ、おはようスウォン!とっておきのお菓子があるのよ!一緒に…って」
がらーんとした部屋にミンスだけがいた。
「あ、姫様。スウォン様ならハク将軍とリン様と外で…」
ヨナが来た頃には既に私たち3人は馬上にいた。
「ハクもリンもずるい!この私をさしおいてスウォンと遊ぶなんて。」
「まあまああの3人も久々に会ったんだし、同い年だから気も合うんだろう。」
彼らの前で私達は馬を走らせ始め的に向けて矢を射った。
スウォンは的の中央の少し横、次に私が中央を射抜き、最後にハクが私の矢の上から中央を射抜いた。
『あ…』
「ふっ…」
『やられた…』
「流石ですね、2人共。」
スウォンの弓を引く真剣な眼差しにヨナは惚けてしまう。
「私もスウォンと弓やる!」
「なっ、なんだと!?ダメだダメだ、武器など持たせられるか。
本当はあの3人にだって持たせたくないくらいなのに。」
「じゃあ父上やってよ。」
「怪我しちゃうじゃないか。」
「まーっ、臆病!」
「ヨナ。」
するとスウォンがヨナを優しく呼んだ。
「いらっしゃい、馬に乗せてあげます。」
「スウォン!」
「大丈夫です、馬に乗るだけですから。」
ヨナはこちらに降りてきてスウォンの馬に乗ることになった。
スウォンが馬上でヨナを引き上げ、ハクが彼女を支え、私は馬が暴れないよう撫でてやっていた。
「高いっ!怖い…っ」
「落ちついて。私とハクで支えてますから。」
「でも~~~」
「姫様の重みで間もなくハクは絶命~」
「張り倒すわよ!!」
『そのくらいで絶命するくらいなら将軍職なんてやめちゃいなさいな。』
「ハハッ。言いくるめられましたね、ハク。」
「…」
「大丈夫ですよ、ヨナ。馬好きでしょう?」
「…好きよ。」
スウォンはヨナの手を掴み引き上げると自分の前に座らせた。そのまま彼女を抱くようにして手綱を握る。
「私に身体を預けていなさい。」
―うわっ、声が息が…っ―
赤い顔をするヨナを見て私はクスッと笑うがハクは複雑な様子。
『ハク…』
「何も言わんでいい。」
『そう。』
私は彼の密かに抱いている気持ちを知っている。彼はヨナに想いを寄せているのだ。
だが姫と従者という関係上それは許されない。
だからこそずっと胸に秘めていて、スウォンとヨナが結ばれ、それをずっと見守れればと願っている。
ヨナはそんな私達の様子なんて気にしていられない。
スウォンの声や息がとても近くから感じられるからだ。
「これは反則じゃない?」
「ん?」
「イヤ、スウォンって女性の扱い慣れてる感じ。スウォンのお屋敷では山程女を連れ込んでたりして。」
―あらあら何を言いだすの、私は…―
ヨナの言葉にスウォンは微笑むだけ。
「まさか…」
「えっ、いや…やだなあっ、誤解ですよ。確かに縁談の話はいくつかあるけど。」
―縁談~~~~っ!?―
「何それ、知らな…っ」
「や、まだ決まってないし。やめましょ、この話は…ヨナにこんな事言っても仕方ないし。」
―また子供扱い!?―
ヨナはスウォンの言葉にむきになった。
「わっ、私にだって縁談くらいあるわ。」
「えっ、誰と?」
「ハクとか!」
その言葉に私はつい吹き出し、ハクは怪訝そうな顔をしながらヨナを見つめ私を拳で殴った。
―ばかっ…よりによって従者の名前挙げるなんてバレバレの見栄をっ
だって仕方ないじゃない!年の近い男なんてこいつしか知らないもの!!
だから思いっきり不審な目でこっちを見るのはやめて、そこの従者!!!!―
「あの…」
「…それはいいんじゃないかな。おめでとうございます。」
スウォンはあっさり彼女の言葉を受け止めたのだった。
枯れと別れてから私、ハク、ヨナ、イル陛下はある一室に入った。
「ひどいっ…あんまりよ、スウォン。あんな嘘を信じるなんて。」
「ひどいのはアンタだ。そして迷惑だ。」
「お前の結婚は嘘にならんかもしれんぞ。」
そこにミンスも人数分のお茶を持って入って来た。
だが彼に構ってられるほど今の私達に余裕はなかった。イル陛下の言葉が衝撃的だったからだ。
「え…?」
「無論相手は然るべき者を選ぶがな。」
「父上?」
「じきお前は十六だ。婚約者がいてもおかしくないだろう。いずれ話そうと思っていた。」
「や…嫌よ、私はスウォンが…」
「スウォンは駄目だ。」
「父上に私の恋愛をどうこう言われたくないわ。」
「ヨナ、私はこれまでお前が望む物は何でも与えてきたよ。
美しい簪に耳飾り、離宮に花の庭園…武器以外の物は何でも。
しかし、お前がどれだけ望んでもスウォンを与える事は出来ない。
お前は高華王国の皇女。お前の夫となる者はこの国の王となる者なのだ。」
「…スウォンは父上の兄ユホン伯父上の息子、王家の血筋でしょ。」
「…そうだな。だが後継者は王である私が選ぶ。」
「どうして…スウォンは立派な人よ。父上は武器を恐れて触れもしない臆病な王様じゃない。」
「…確かに臆病な王だよ、私は。
お前の母親は賊に襲われ殺された。王の一族は皆このような危険がつきまとう。
それを知って私は再び妻を娶る気にはなれなかったよ。
ヨナ、スウォンには幸せになってほしいだろう?」
「わからないわ、父上。」
そう言い残しヨナは部屋から出た。
私とハクはその後ろ姿を見送ることしかできない。
ヨナの言い分もイル陛下の願いも分かるからだ。
部屋の窓から私達は雨が降り始めた空を何も言わずに見上げた。
ヨナは暗くなるまで廊下の片隅で雨空を見上げて考えていた。
―だってそれなら私の夫となる人は不幸になってもいいの?
私は…?私は幸せになってはいけないの?―
「でもそうよね…たとえ父上が許してもスウォンにとって私は子供…ダメじゃない。最初からスウォンと私は…」
彼女がぐすっと顔を俯かせると何かの音を聞き取った。
初めそれは雨音かと思ったが段々はっきりしてくると足音だと気付いた。
「誰…?ハク…?ハクでしょ、そんな…くだらない事して…」
だがその人物は何も言わずに彼女に向けて手を伸ばした。
身の危険を感じたヨナはすぐに立ち上がって逃げる。
雷の光に照らされた人影は彼女のすぐ背後にまで迫っていた。
彼女は咄嗟に近くにあった部屋に駆け込んで扉を閉めた。
その瞬間、彼女は背後から誰かに抱き寄せられた。
「いやあ…やめて、放して…っ」
「ヨナ…?」
「スウォン…!?」
背後にいたのは心配そうに彼女を見つめるスウォンだった。
「すみません、びっくりさせちゃいました?急に入って来るから声かけようと…」
「ス…スウォン…へ…変な人が私を追いかけて…」
スウォンはすくっと立ち上がり真剣な眼差しのまま扉を開けると外を確認する。
「…誰もいませんね。」
―逃げたんだ…城の衛兵なら普通に声をかけるもの…
私を…狙った…私が皇女だから狙われたの?私が王の娘だから…―
「ヨナ?」
「…っ」
「ヨナっ」
「いやああっ」
恐怖のあまり震え泣き出す彼女にスウォンは羽織を被せ目線を合わせるように膝を曲げた。
「ヨナ、大丈夫。私がいます。」
「だめ…私スウォンとはいられない。」
「どうして?」
―私といるとスウォンまで危ない目に…―
「ハクのそばがいいならハクの部屋に送ってあげますよ。」
「えっ…」
「ハクは婚約者なんでしょう?」
「違う…」
「隠さなくても。ハクに怒られちゃいますね。こんな所で2人きりなんて。」
―嫌、スウォン…違うの…
ふりむいてくれなくてもいいから…だから…想ってもいいでしょう…?―
「私…っ…私は…スウォンが…スウォンのことがずっと…」
スウォンは足を止めてゆっくりヨナを振り返った。
「…あれ、雨が少し小降りになったみたいですよ。」
―無視…した…―
スウォンはヨナの言葉を聞かなかったかのように微笑んでいた。
「部屋まで送ってあげます。護衛をつけましょう。」
「ス…スウォン、私…」
ヨナが伸ばした手をスウォンは咄嗟に薙ぎ払ってしまった。
「…すみません。傍に寄らないで下さい。勘違いしそうになる。」
「勘違い…?」
「つまり…ですね。さっきの流れだとまるで…まるでヨナが私を…」
「勘違いじゃなかったら…?勘違いじゃなかったらスウォンは嫌…?」
「…困ります。貴女が急に女性に見えて困ります。」
彼は照れたように髪を掻き上げた。
その頬はほんのりと赤く染まっていた。
「…今までは何だったのよぉ。」
「えっ、いやえーと妹みたいな。」
「知ってたわよ!」
「は、はい。すみません、どうも私はこの手の事に疎くて。」
―スウォン真っ赤だ…―
「嘘ね。縁談は?」
「あれはっ、そういう話もあるって事で今はまだそんな事考えられません。」
「スウォン、私女性に見える?」
ヨナが無邪気に問うとスウォンは罰が悪そうに視線を流した。
「…少なくとも手を握って一緒に寝るなんてもう出来ません。緊張で目が冴えてしまう。」
「今頃?意外と子供ね、スウォン。」
「なっ、何ですかっ!」
「それは私六歳の時に経験済よ!」
「えっ、誰と?」
「あんたに決まってるぐわーっ」
「あっ、そうか。」
「…ま、いいや。スウォンが私の事少しでも気にしてくれたなら今はそれだけでいい。」
彼女はそのまま静かに涙を流し、スウォンは彼女の髪を撫でるのだった。
―父上…私やっぱりスウォンが好き…
国とか王とかまだわからない…でも父上、彼がいるだけで私は最高に幸せなのよ…―
そんなことがあった数日後、私をイル陛下は急遽呼びつけた。
『どうなさいましたか、陛下。』
「突然呼んでしまってごめんね。」
『いえ。』
「どうしてもこの文をある町の長に届けてほしいんだ。」
『今から…ですか?』
「すまない…」
ヨナの誕生日を2日後に控えていたその日、私に与えられた任務はイル陛下の文をある町の長へ届けることだった。
その長は足を悪くしていてヨナの誕生日祝いに来れなくなってしまったという。
それを許し安静にするよう告げる文を急いで届けなければならないのだ。
私は文を受け取り丁寧に着物の胸元に仕舞った。
そこにヨナとハクがやってきた。
「今から出掛けるの!!?」
「あぁ、重要な任なのだ。」
「私の誕生日までに間に合う…?」
『申し訳ありません、姫様。
片道1日は掛かるようで急いでも誕生日の夜に帰還できるかどうかといったところでして…』
「もう父上!そういう用事は早めに片付けておいてよ!!」
「す、すまない…」
『陛下もお忙しいのですから許して差し上げてください。』
「よりによってリンが行かなきゃいけないなんて…」
『私が兵の中で最も速いと判断されたのでしょう。
ハクは姫様の護衛ですし、私は彼の相棒であってそれほど誕生日を祝われる席で重要視はされません。』
「でもリンに祝ってほしかったの!!」
『姫様…』
「リンは私の一番の相談役だもの!!
身分なんて関係なく何でも相談できる友のような…姉のような存在なのに…」
『ヨナ…ありがとうございます。それでは帰ったら一番に姫様の前に参上しお祝いいたしましょう。』
「本当…?」
『えぇ。お約束いたします。』
「早く帰って来てね。」
『はい、行ってまいります。ハク、姫様のことよろしくね。』
「言われなくとも。お前も気をつけろよ。」
『うん、行ってくる。』
イアンに乗って城を出ようとしたところ、私はある人物に呼び止められた。
「リン!!」
『スウォン様?』
「よかった、間に合った…」
『どうしたのです…?』
「これを渡そうと思って。」
彼が渡してくれたのは道中簡単に食べれそうな食料だった。
「出掛けてしまうって聞いたものですから。」
『ありがたくちょうだいいたします。』
「いってらっしゃい。」
『行って来ます。あ、スウォン様!』
「なんですか?」
『姫様のこと、よろしくお願いします。』
「わ、私に頼むんですか!!?」
『ふふっ。頼みましたよ、スウォン様。』
そう言って笑うと私はイアンを走らせたのだった。
その日のうちにどうにか町まで辿り着いて文を届けることができた。
「わざわざ舞姫とも呼ばれるようなリン様に来ていただけるなんて…」
『お気になさらず。私は陛下の命で動いているだけですから。』
それからすぐ帰ろうにも外は真っ暗。流石に山道をこの暗さで突き進むのは危険だろう。
町長の言葉に甘えて町で一泊することになり、私が出発するのはヨナの誕生日当日の朝になったのだった。
私がイアンを走らせている頃、緋龍城では十六になるヨナの誕生祝いの宴が行われた。
「うっうっう…十六かっ…ヨナも立派になったなぁ。」
いつにも増して華やかな衣と髪飾りをしたヨナを見てイル陛下は嬉しさのあまり涙を流す。
ヨナは多くの人たちに祝われているものの髪のことしか考えていないようだ。
「父上、やっぱり髪がハネるのよ。今日は結い上げたかったのにヒドイわ。」
「駄目だ。この娘、髪の事しか頭にない。」
「それよりいつになったらリンは帰って来るの?」
「今晩には戻るだろう。リンは優秀だからね。」
「早く帰って来ないかしら。」
そのときスウォンがヨナを手招きして宴の会場から外へ連れ出した。
「なっ、何か用?」
「手を出して下さい。」
スウォンが彼女に手渡したのは美しい簪だった。
「すみません、こんな所で。ヨナに似合うと思って手渡したかったんです。」
「…私の髪くせっ毛で赤毛でちっともまとまらないのよ。私には似合わないわ。」
「えっ。私は好きですよ、ヨナの髪。キレイな紅…暁の空の色です。」
―なんて単純…一瞬にして自分の髪が愛しくなるなんて…―
そこにハクが現れた。イル陛下に言われてヨナを探しに来たようだ。
「ハク!?」
「陛下が探してましたよ、姫様。」
「も~あの酔っ払いは…」
「…ま、こんな事だろうと思ってました。」
「えっ」
「スウォン様なら陛下を説得できるでしょう。頑張って下さい。」
「誤解だよ、ハク。それに敬語やめない?昔みたいにスウォンって呼んでよ。」
「身分はわきまえてますから。」
「淋しいなぁ、ハク将軍。」
「それより何か感じませんか、スウォン様?
はっきりとは言えないけど妙な違和感…城内に何か入り込んでるような…」
―もしかしてリンも何かを感じているから敢えて出発前に俺に姫さんを託したのか…?―
「そういえばヨナもそんな事を言っていた。」
「何…っ」
「今日出入りする人間を見張った方が良いかも。」
「了解。スウォン様は姫を頼んます。」
「だから誤解だって!」
ヨナはというと好きだと言われた自分の髪、そしてスウォンの言葉を思い出していた。
いくらイル陛下が駄目だと言っても彼女の中からスウォンは消えなかったのだ。
私はというとイアンを山道の途中で休ませていた。
『無理させてごめんね、イアン。』
撫でてやると彼は甘えるように擦り寄ってきた。
そのとき私は近付いてくる足音を聞き付けた。
『誰だ。コソコソしていないで姿を表せ。』
「何だ、気付いてたのか。」
「なかなかやるね、お嬢ちゃん。」
私を取り囲んでいたのは山賊だった。
「痛い目に遭いたくなかったら俺たちの言う事きいてよ。」
『はぁ…イアン、この先で待っていて。』
するとイアンは山賊の上を跳び越えて走って行った。
「あれ~逃げないのかい?」
「これだけの人数相手に戦うつもりなのか。」
『無駄話は必要ないわ。私急いでるの。』
その言葉に苛立ちを顕わにした山賊は私に飛び掛かってくる。
相手が武器を持っていたため私は仕方なくいつも持ち歩いている剣を抜いた。
殺さない程度に山賊を倒していくと彼らは私の正体に気付いたようだった。
「おっ、お前まさか…っ」
「舞姫…!!?」
『はぁ…わかったならさっさと消えてくれるかしら。』
彼らが立ち去ると私は溜息を吐いてイアンを口笛で呼んだ。
すぐに駆け付けたイアンに飛び乗って道を急ぐ。
『あんな奴らに足止めされてる場合じゃないのよ…
ヨナの誕生日を祝わなきゃいけないんだから…それに…』
―城を出るときから感じてるこの嫌な感覚…何も起きていなければいいけど…―
『イアン、もう少しよ。急いでちょうだい。』
暗い空の下私は緋龍城へと急いだ。
夜になり宴も終わりを迎え城は静まり返った。
そんななかスウォンから貰った簪を髪に飾ったヨナは部屋を出てイル陛下の部屋へ向かった。
―やっぱり父上に話そう…私はスウォンを忘れられない。話せばきっとわかってくれるわ…
宴会の後は静かなものね…皆お酒の飲み過ぎなのよ…
父上もだいぶ酔ってたわ。話通じるかしら…―
イル陛下の部屋の前に着くと何故だか扉が開いていた。
―いくら酔ってるからって仮にも国王が衛兵も置かずに無用心ね…―
そのときヨナははっと気づいた。
―変…どうして衛兵が一人もいないの?
私がここに来るまで一人も会わなかった。いつもは城内に何人も衛兵がいるのに…―
不審に思いながらヨナはイル陛下の部屋に足を踏み入れた。
「父上…」
そのとき目の前の丸窓からの光に2人の人物の影が揺れた。
そして次の瞬間、ヨナの目の前にイル陛下が倒れたのだ。
「ひっ…ち、父上!!?」
恐る恐るヨナはイル陛下に近づくがもう彼が動く気配はない。
ピチョンピチョンと何かが滴る音がする。それはある人物が手に持つ刀の剣先から零れるイル陛下の血だった。
「ああ…まだ起きてたんですか、ヨナ姫…」
その人物とは…スウォンだった。
同じ頃、ハクは愛用している大刀を肩に担ぎ見回りをしていた。
―やけに静かだ…―
「ハク将軍、見回りご苦労様ですっ」
彼に声を掛けたのは差し入れとして酒を持ってきたミンスだった。
「さすが、ミンス。気が利くな。」
「でもいいんですか?ヨナ姫様のお傍にいてさしあげなくて。」
「あー野暮野暮。姫さんにはスウォン様がついてるからな。」
「では姫様のお心がスウォン様に通じたんですか?」
「さあな。でも時間の問題だろ。」
「ハク将軍はお2人の事よくご存知ですものね。」
「見てたからな、昔っから。あの2人には…ま、何つーか幸せになってほしいと思ってる。」
そう言いながら彼は酒を煽った。
いつもならここで私が何も言わず彼に寄り添っているが、それが今晩はいない。ハクはやりきれない想いに溜息を吐いた。
―はぁ…さっさと帰って来いよ、リン…―
そのとき彼は違和感を覚え酒を捨てると立ち上がりヨナの元へと走り出した。
私は急いで緋龍城に戻り違和感を感じていた。
―門番がいない…どうして…―
私は門をくぐりイアンを馬屋に戻した。
『ありがとう、イアン。ちょっと嫌な予感がするから行ってくるわね。』
イアンの頭をそっと抱き寄せ微笑むと私は音を頼りに駈け出したのだった。
私が漸く緋龍城に辿り着き走り出した頃、ヨナは目の前の状況を理解できずにいた。
転がった父親と、頬を血で汚し剣を握る愛しい人…それを少女が受け入れられるだろうか。答えは否だ。
「ス…スウォン…父上…が…早く…医務官…を…」
「イル陛下はもう目を開けません。私が殺しました。」
そう告げるスウォンは今までに見た事もないほど冷たい目をしていた。
「な…にを言って…あ…貴方は…そんな事…出来る人じゃ…」
「…貴女は知らない、私がこの日の為に生きてきた事を。」
「な…なぜ…父上は…貴方を幼い頃からとても可愛がって…」
「そうですね。私もイル陛下が大好きでしたよ。
争いを怖れる臆病者だと囁かれても、それが陛下の優しさなのだと。
でもそうではなかった…そうではなかったんです。
私の父…ユホンを覚えていますか?
父上は幼少時より勇猛果敢で利発。成人して軍を率いれば常に勝利を収める覇者でした。
誰もが父上が次期国王になる事を望み、それを疑わなかった。
そんな中10年前先王が国王に選んだのは父ユホンではなく叔父のイルでした。誰もが理解出来なかった。
ただでさえ王位継承権は長男にあるのに、なぜ軟弱な弟のイル様をお選びになられたのかと。
しかし父上は笑っていました。
“王座など俺にとっては些末事(さまつごと)。俺は弟を守り民を守る為に前線で戦い続けようぞ”そう言って…
私はそんな父上を誇り深く敬愛した。いつか父上と共に戦場に立ち、この命を父上の為に捧げようと思って…いたのに…
王位に就いた後、イル陛下は実兄であるユホンを殺害したのです。」
「そんな伯父上は事故で…!」
「表向きはそうですね。父上はイル陛下に剣で刺され亡くなった…
わかりますか?武器を嫌い争いを避けていたはずのイル陛下が父上を剣で殺したのです。
ヨナ姫…だから私は10年前からこの日の為に生きてきた。
父上の敵を討ち父上の遺志を受け継ぐ者として私はこの高華の王となる。」
ヨナはスウォンの冷たい目を見ていられず俯いた。
―これは…夢…悪い夢だ…―
「こんなの…嘘…」
―だって貴方は…笑って簪を…この簪をくれたじゃない…―
弱い彼女はただ涙を流す事しかできないでいた。
「…貴女がこんな真夜中に起きていたのは誤算でした。
陛下の部屋にもめったに立ち寄らないと聞いていたのに。なぜ来たのです、ヨナ姫。」
「…伝え…たくて…私は…スウォンを忘れる事は出来ないと父上に伝え…たくて…」
その言葉を聞いた一瞬だけスウォンの目がいつもの優しいものに戻った。
だが、それも扉が開く音で闇へと沈む。
「スウォン様!!準備全て整いました。
おお、これは…国王が…では本懐を遂げられたのですね。」
「…ん?スウォン様、この娘…ヨナ姫では…
姫に…まさか見られたのですか?ならば話は早いではないですか。
殺しておしまいなさい、スウォン様。姫の口を封じるのです。
このまま生き長らえても辛い思いをなさるだけでしょう。」
「ス…ウォン…」
臣下の言葉にスウォンは静かに剣を構えた。
身の危険を感じたヨナは兵士の間をさっと通り抜け逃げ出した。
「あっ!!」
「…捕まえて下さい。」
「はっ!」
逃げながらヨナはただ思った、自分の前にいたあの男は誰なのかと。
―誰…あの人は誰?父上を殺し私を殺そうとするあの人はスウォンじゃない…
私の大好きなスウォンじゃない…!!!―
そのとき縄が鞭のように飛んできてヨナの足に絡みついた。足を引かれ彼女は転倒してしまう。
「ああっ!」
「お覚悟を、姫様。これも高華国の為なのです。」
―私は憎まれていたの…?幼い頃からずっとずっとスウォンだけだったのに…
多くを望んだわけじゃない…スウォンの笑顔を見られればそれで良かったのに…―
ひとりの兵が剣を振り上げ、涙を流すヨナへと振り下ろした。
だが兵の剣は彼女に届くことなく逆に強い風と共に現れた男の大刀によってその命を奪われた。
兵を追って駆けつけたスウォンと対峙するようにその男、ハクは立ち上がった。もちろん、背後にヨナを庇うよう立つのも忘れずに。
「…今夜はスウォン様がいらっしゃるから邪魔者は遠慮したつもりだったんですがね。
見張りだったはずの守備隊がここに勢ぞろいしてるし、見知らぬ輩もいやがりますし。
これは一体どういう事ですか?なあ…スウォン様。」
「ハ…ハク…」
弱々しく呼ばれて彼はヨナに向き直ると跪いた。
「お傍を離れて申し訳ありません、ヨナ姫様。」
「ハク…ハクは…私の味方…?」
「…俺は陛下からあんたを守れと言われている。何があろうと俺はそれに絶対服従する。」
ハクは自らにも誓うように強く口にすると大刀を手に立ち上がった。
その声を騒ぎの中に微かに聞き取った私は彼らがいる方へと走っていた。
「リン様!」
『ミンス!!』
私は彼に駆け寄りながら剣を抜く。彼の背後に兵が詰め寄ってきていたからだ。
『よく無事だったわね。』
「リン様、何が起きているのです…?」
『さぁ…今戻ったばかりの私にもわからない。
ただ城の中にいるはずの衛兵もいなければ、門番もいなかった。
それどころかミンスを襲おうとしたり、知らない顔の奴も見掛けたわ。』
「ハク将軍も違和感を感じたようでどこかへ…」
『行き先なら姫様の所しかないでしょう。』
私はミンスを連れて音を頼りに再び走り出す。
そして近くの建物にさっと登ると屋根の上から敵に囲まれたヨナとハクを見つけた。
「控えよ、下郎。今より緋龍城の主となったスウォン陛下の御前なるぞ。」
ある男の言葉に私とミンスは同時に息を呑む。ハクもピクッと眉を引き攣らせた。
「…誰が何の王だって?どうも…嫌な予感がするんですがね、スウォン様。
イル陛下はどこにおられる?」
「私が先程地獄へ送ってさしあげた。」
その言葉にハクは怒りのあまり大刀を地面にめり込ませ、私は拳を強く握った。
「…酒にでも酔っておいでか?戯れ言にしては度が過ぎますよ。」
「…ヨナ姫に聞いてみるといい。その目で王の死を確かめられたのだから。」
ハクは地面を蹴るとそのままスウォンに斬りかかった。スウォンもすかさず剣で応戦する。
「真実を言え…!」
「偽りじゃない。」
「スウォン!!国王を弑逆(しいぎゃく)しただと…!?お前があの優しい王を…!」
スウォンは危険だと感じ一度ハクと距離を取った。
「スウォン様、ここは私が。」
「下がっていなさい。近付けば首が飛びますよ。
目の前にいるのはこの緋龍城の要、五将軍の一人ソン・ハクです。」
「ハク…!?あいつが高華の“雷獣”と噂される…」
「まだ相棒のリンが戻っていないのがせめてもの救いですよ。」
「リン…?まさか“舞姫”とも呼ばれる女性武人ですか!!?」
「…なぜだ?王位の簒奪(さんだつ)か?
いやお前は…王位に執着する奴じゃないだろう?
武器を嫌うか弱き王に刃を向けたのか?てめえの誇りがそれを許したのか!?」
「弱い王など…この国には必要ない。」
再びハクとスウォンの戦いは始まり、ハクの大刀がスウォンの右肩を抉った。
ヨナはスウォンの変わってしまった冷たい表情に涙を流す。
「待て!!そこまでだ。」
7人の兵がハクとヨナを囲み槍を向けた。
刃を首元に突きつけられハクも下手に動けないようだ。
「スウォン様、ご無事ですか?」
臣下がスウォンの身を案じる。そんな彼にハクは静かに問うた。
「スウォン、俺達が見ていたスウォンは幻だったのか?
お前になら姫を任せてもいいと…思っていた…」
「貴方達の知っているスウォンは最初からいなかったんです。
道を阻む者があれば切り捨てます、誰であろうとも。」
私は聞いていられなくなりミンスに問う。
『ミンス…弓矢を持ってるかしら。』
「はい。」
『流石陛下の側近は優秀ね。』
この些細な言葉にもスウォンを陛下として認めたくない私の抵抗が見え隠れする。
私はミンスから弓矢を受け取り矢筒を背負うと弓を構えた。
3本の矢を同時に引きハクとヨナの周りにいる兵に向けて射る。
「くはっ!!」
「「「っ!!?」」」
ヨナ、ハク、スウォンが驚きこちらを見上げる。
『ハク!!』
ミンスはちゃんと私の足元で身を隠している。
私は次の矢を構え別の3人を仕留める。残る1人はハクの大刀の餌食になった。
ハクは私が射った矢によって生まれた隙にヨナを抱きかかえて逃げてくる。
私は1本の矢を構えスウォンに向けて放った。
「っ!!?」
『スウォン…』
その矢は彼の頬を掠めた。
「リン…」
私は一筋の涙を流し他の兵を射始めた、ヨナとハクが逃げやすくなるように。
「スウォン様!!」
「平気です。」
「あの女…スウォン様を狙うとは…」
「しかし彼女は優しいですね…」
「え?」
「今の女性が舞姫と呼ばれるリンですよ。彼女の腕なら私なんて一発で仕留められたはずです。」
私はミンスを連れて屋根を降りながら思った。
―スウォン…そんなにすぐ貴方を敵と認識するなんて…
殺すことなんてできない…だって…私達には思い出があるから…あれが嘘なんて思えないから…―
自分の甘さが悔しくてぐっと歯を噛みしめて私とミンスはヨナとハクと合流した。
「遅かったじゃないか、リン…」
『ごめん…』
「陛下が…」
「はい。」
『さっきの会話を聞いていたわ…』
私たちはとりあえず物陰に身を隠した。
「姫様…陛下は…本当に亡くなられたのですか?」
ヨナは心ここにあらずの状態でコクッと頷いた。
「…そうですか。申し訳ありません、どうしても信じられなくて…
先刻(さっき)まで姫様のお誕生日だと幸せそうに笑っていらしたのに…」
『姫様…』
「リン…」
『戻るのが遅くなってしまい…お傍にいることができず申し訳ありませんでした…』
「リンは…傍にいてくれる…?」
『もちろんです、姫様。私はこの命尽きるその瞬間まで貴女の味方です。』
彼女はポロポロと涙を流した。
近くから兵の声がして私達は咄嗟に身体を小さくする。
「見つかるのも時間の問題だな。」
「私が逃げ道を確保します。皆さんはこの城から脱出してください。」
「それは…」
「緋龍城はスウォン様が率いて来た兵とスウォン様を支持する兵が集まりつつあります。」
「捕まれば間違いなく殺される…か。」
「どこへ…行くの…?
私…宴の時…父上が泣いて喜んでくれたのに一言も言わなかったわ、ありがとう…って。
ここは父上の城よ…父上を置いて…どこへ…どこへ行くというの…?」
ハクはヨナを強く抱き締めた。私は泣き続けるヨナの手を握る。
「どこへでも行きますよ、あんたが生きのびられるなら。」
『それが陛下への想いの返し方です。』
私たちは物陰をずっと進み裏口へ回った。
「私が引きつけます。」
「ミンス!」
『私も一緒に行きましょう。』
「リン、お前何言って…」
『姫が一人で逃げるとは考えにくい。私が一緒にいる方が敵を騙しやすいでしょう。』
「だが…」
『それにイアンがいれば道中も少しは楽でしょう。彼を連れて来ます。』
「リン…」
『そう簡単にやられるような私ではないわ。』
「姫様、どうかご無事で。」
そう呟くとミンスは姫の羽織を頭から被って走り出した。
私もそんな彼を追い剣を振るって矢を薙ぎ払いながら進んだ。
ヨナはハクに連れられて裏山へ逃げた。
私とミンスもどうにか馬屋に着くとそこは血の海だった。
『イアン!!!』
愛しい私の黒馬は既に冷たくなっていたのだ。
私が城に戻ってすぐきっと私たちの足を奪うために兵が殺したのだろう。
「リン様…」
『何て惨い(むごい)ことを…』
哀しみと怒りで震えながらも追ってくる敵は減らない。
ミンスと共に逃げるため走り出すがすぐに見つかってしまった。
「いたぞ!」
「あっちだ!!」
矢が降ってきて薙ぎ払いきれずに数本が私たちに向かってくる。
するとミンスは私を庇うように立ちすべてをその身に受けた。
『ミンス!!』
私は倒れていく彼の身体を受け止め近くの物陰に逃げ込んだ。
『どうして庇ったりしたの…』
「私では逃げ切れませんから…」
『そんなこと…!!』
彼の傷を手で覆って止血しようとするがそれも無意味。すると彼はそっと私の頬を撫でた。
「生きてください、リン様…」
彼は笑みを残して力尽きた。
『ミン…ス…?』
私の頬から彼の手は落ち、虚しく転がった。私は怒りに溺れ叫び声を上げた。
『あぁあああああああ!!!!』
ミンスをその場に横たえると物陰から飛びだして矢の雨を薙ぎ払い、剣を振るって兵を斬りながら突き進んだ。
返り血で自分が赤く染まろうと気に留めない。その姿は舞姫どころか死神のようだった。
門に辿り着いて外に出た瞬間、背後から足に毒矢を射られた。
『うっ…』
それでも足を止めず、私は追って来ようとする兵に向けて持っていたすべての矢を射った。
矢はなくなり、暴れた所為で元々脆かった弓も使い物にならなくなり私はそれらを捨てて逃げたのだった。
無理矢理に身体を動かしてヨナとハクが向かったであろう風の部族の村を目指す。
―こっちに行ったはず…それもまだ遠くない…
ハクの気配と姫様の息遣いがこっちから聞こえる…―
そして私は自嘲気味に笑った。
『動いてないと立ち上がることもできなくなりそうだわ…
ハクに見つかったら何て言われるかしら…』
矢についていた毒が身体に回り始めるのを薄っすらと感じる。
早く彼らと合流しないと私の身がもちそうにない。
そのとき少し先に弱々しい後ろ姿とその手を引いて歩く男性の影が見えた。
『ヨ…ナ…』
「っ!?」
ヨナははっとして身体を震わせた。
「姫様?」
「今…リンが…」
「え?」
『ハク…』
「リン!?姫様はここにいて下さい。」
ハクは大刀を持ったまま後ろを振り返り木に手をついてふらふらと歩く私に気付いた。
「リン!!」
『ハ…ク…』
彼の姿を見た途端、私は力尽きて倒れてしまった。
だが身体が地面にぶつかる前に彼に抱き止められる。
「おいっ!」
「リン…」
「毒矢かっ…!」
彼は私を抱き上げて肩に担ぐとヨナの手を引いて近くの木の根元に座らせた。
私をその隣の木にもたれかけさせ座らせると解毒の準備を始めた。
矢を抜いて傷口に口を当てると毒を吸い出して近くに吐きだす。
―チッ…毒がもう回り始めてやがる…早めに手当てした方がいいか…―
最低限の手当てをして包帯を巻いているとその痛みで私は目を覚ました。
『痛っ…』
「目覚めたか、このバカ。」
『第一声がそれなのはムカつくわね…』
「ミンスは死んじゃったの…?」
そのとき隣の木にもたれて座っていたヨナが呟いた。
私とハクは彼女の近くに移動する。足は少し麻痺していて思い通りに動かなかったが彼女の傍にいることの方が大切だった。
「私も…死ぬのかな…ハクもリンもスウォンに…殺されて…」
「あんなクソッタレにやる命なんて持ち合わせてねェですよ。」
「死なないでね…ハク…傍にいてくれるんでしょ、リン…」
「『っ!』」
「死んだら…許さない…から…」
彼女は疲れ果てて眠ってしまった。私は彼女の髪を撫でた。
ハクは彼女の零れた涙をそっと拭うと私を抱えて再び近くの木に戻った。
2人並んで座ってからそっと空を見上げる。
「…まだ信じられねェな。」
『えぇ…イル陛下が亡くなっただなんて…』
「姫を独りにして…しょーもねー王様だよ。」
『昔っから見てきたんだもの…汚れや痛みなんて知らない大切な姫様…』
私達は昔の幸せだった頃を思い出しながら寄り添っていた。
『ねぇ、イル陛下…私達はどうすればいい…?』
「まだ昨日の事のようですよ…」