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番外編3

まったく理解できないんだが。
手塚は尊敬する先輩並みに、眉間にシワを寄せた。
郁はまったく動じることなく「別に理解はしてくれなくていいから」と答えた。

手塚光の家は、書店を経営している。
そう言われると街の小さな書店を連想する者が多いだろうが、手塚家は違う。
国内のみならず海外まで、合計100以上の店舗を持つ大型書店だ。
サイン会等のイベントも多く行ない、不況と言われる出版業界を懸命に盛り上げている。

そして手塚家の息子たちは2人とも、その書店に就職していた。
8歳年上の兄の慧はあちこちの書店を飛び回り、実績を残している。
だが手塚が入社時には父の側近となり、現場に出ることはなくなっていた。
いずれは会社を継ぎ、次期社長となるのだろう。

お兄さんと後継者争いですか?
手塚は入社時から、時折そんなことを言われた。
だが手塚自身は、そのつもりはまったくなかった。
ゆくゆくは経営の中枢に入って兄を補佐し、会社を盛り立てたいと思うだけだ。
ただでさえ書籍の売り上げは落ちているのに、後継者争いなんて労力の無駄遣いとしか思えない。
だがそんな本心を答えても「またまた~」などと茶化される。
めんどくさくなった手塚は、兄ネタに関しては「いえいえ」「まぁまぁ」と聞き流す作戦に変えた。
すると今度は「もしかしてお兄さんと仲が悪いんですか?」などと言う。
どうやら世間はそっくりな顔の兄弟の、家督争いが見たいらしい。

そんな手塚には、尊敬する書店員がいた。
新宿の本店に勤務する5歳年上の堂上という男だ。
聡明で博学、本に対する知識も豊富。
それも接客にも、誠実さが感じられた。
ともすれば愛想のよさは馴れ馴れしさに転じるのだが、堂上は客と適度な距離を取りつつ暖かい。
いずれこの有能な男も、経営の中枢に上がるのだろうと確信した。

だからこそショックだったのだ。
アルバイトの女性に一目惚れし、一気に猛スピードで結婚したという話を聞いた時には。
しかも職場には、やっかみ混じりの悪意ある噂が飛び交っている。
それを鵜呑みにした手塚は、堂上ともあろう者が性悪な女に引っかかってしまったと思い込んだ。

だから事あるごとに、郁にはつらく当たった。
挨拶されても、無視。
ミスをすればこれ見よがしにため息をつき、嫌味を言う。
こんなことで尊敬する先輩の間違った結婚を正せるとは思わないが、せめて少しでも意趣返しだ。
だが当の郁は、まるで動じなかった。
それどころか「やっぱり手塚は手塚だね~」などと苦笑している。
まったく意味がわからない。

そんなある日のことだった。
社長と側近である兄の慧が、新宿の店舗に視察に来たのだ。
視察自体は問題なく行なわれ、その直後のこと。
たまたまバックヤードに在庫の本を確認に来た手塚は、兄と今は堂上夫人となった郁が相対しているのを見つけた。

あの堂上君が、大事な伴侶に君みたいな女性を選ぶとはね。
これでもかと言わんばかりに嫌味が込められた兄の声が聞こえる。
だが郁は平然と「兄弟揃って顔はいいのに、残念な性格ですね」と答えた。
すると兄が「なかなか失礼な性格だね」と言い返す。
郁はこれまた冷静に「あ、すみません。本音がダダ漏れる性格で」と応酬した。

君はバイトだろう?上司に対する侮辱発言で解雇することもできるよ?
兄はあくまでも不遜で傲慢だ。
だが郁も負けずに「先にセクハラ、パワハラ発言したのは、そちらですよ」と応戦する。
兄も少しも怯まず「そんな証拠はないよ」と薄ら笑いを浮かべたが、郁もニヤリと笑った。

そこで立ち聞きしているあなたの弟さんが証言してくれると思いますけど。
郁は平然とそう言い放った。
気付かれていたことに驚いた手塚は、ビクリと身体をふるわせた。
だが兄はそこでようやく手塚の存在に気付いたらしい。
手塚と郁を交互に見ながら「弟が兄に不利な証言をするとでも?」と挑発する。
郁は笑顔で「彼はヘタレでブラコンだけど、公正だと思いますよ」と答えた。

手塚は少なからず、感嘆していた。
あの兄を相手にまったく引かない郁が、何とも痛快だったのだ。、
しかも自分のことを「公正」だと言った。
確かに兄に頼まれたところで嘘の証言など絶対しないが、そこを評価されたのは案外うれしい。
だがその前に「ヘタレでブラコン」とも言われたので、トータルはマイナス評価な気がするが。

手塚の表情から、兄はようやく敗北を悟ったらしい。
だがあくまでも余裕と嫌味をたっぷり満載した笑顔のまま「今日のところは引くよ」と告げた。
そして「じゃあ」と手塚に手を振り、バックヤードを出て行く。
すると郁は手塚に向き直ると「立ち聞きしてたでしょ」と笑った。
手塚はウンザリしながらも「悪かったよ」と答えた。
本来仕事でバックヤードに入った手塚が、そこで私語を交わしていた郁に責められる筋合いはない。
だが立ち聞きしたことを素直に詫びる辺りは、手塚の育ちの良さだ。

ちょうどいいや。大事な話があるの。閉店後にまたここに来て!
郁は一方的にそう言い放つと、さっさと手塚から離れていく。
女性から色っぽく告げられれば、恋の告白。
だが郁に高らかに宣言されれば、さながら果し合いを宣言されたような気分になる。
手塚は眉間にシワをよせながら「まったく理解できないんだが」と文句を言った。
だが実に素っ気なく「別に理解はしてくれなくていいから」と返されてしまった。

何なんだよ。まったく。
生真面目な手塚は文句を言いながらも、閉店後にはちゃんとバックヤードに向かう。
だがそこで待っていたのは、郁ではなかった。
こちらに背を向けていたが、誰だがすぐにわかる。
入社当初から気になっていた長い黒髪の美女-柴崎麻子だ。
その美貌もさることながら、聡明な頭脳や真面目な仕事ぶりに好感を持っていた。
中身よりまず見た目で判断されてしまうという共通項に、シンパシーを感じていたのかもしれない。

何で、お前が?
声をかけようとした手塚だったが、言葉にならないまま終わった。
物陰から飛び出してきた人物が、柴崎に襲いかかったからだ。
手塚は慌てて柴崎に駆け寄ると、柴崎を背中にかばうように身体を滑らせた。
背後から「何!?」と驚く声が聞こえたので、手塚は「俺にもわからん!」と叫んだ。

襲撃者は思い切り右手を突き出してきた。
何かの刃物を握っているらしく、銀色の光を放っている。
手塚は咄嗟に襲撃者の手首を捕まえると、一気に背後に捩り上げた。
そしてその動きが思いのほかスムーズにできたことに、戸惑う。
格闘なんてしたことはないはずなのに、呼吸をするくらい自然に身体が動いたのだ。

あんた、水島?
柴崎が取り押さえた襲撃者の顔を見て、声を上げた。
手塚が「誰だって?」と聞き返すと、襲撃者は傷ついたような表情になる。
名前さえ憶えられていないことが、ショックだったのだ。
だが手塚はそれに気付くことなく、柴崎に「警察に連絡してくれ」と告げたのだった。
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