番外編1
先日はご丁寧な忠告、ありがとうございました。
彼女は口調だけは丁寧に、だけど冷やかな表情で頭を下げた。
頭を下げられた方の女は、悔しそうに彼女を睨みつけていた。
小牧幹久は、都内某所の書店で働いている。
就職した理由は単純明快、本が好きだからだ。
第一志望の大学を出てから、第一志望の書店へ。
順風満帆な進路である。
友人にも恵まれていた。
同期入社の堂上は仕事の上でも尊敬しあえる、有能な男だった。
やはり本好きで、よく本や作家の話で盛り上がる。
好きな仕事と、腹を割っていろいろ話せる友人。
平凡ではあるが、素晴らしいものを得ていると思う。
そんなある日のこと、職場ではちょっとした騒動が起こった。
堂上がアルバイトの女性と結婚するというのだ。
しかも会ったその瞬間にプロポーズしたという電撃っぷりだ。
堂上はそこそこ女性にモテるし、学生時代には何人かの女性と交際したこともあるらしい。
だが就職してからは一貫して硬派であり、告白の類もすべて跳ねつけていたのだ。
だからそんな形で一気に結婚まで決めたのが、小牧にとっては不思議で仕方なかった。
笠原が堂上さんを誑かしたのよ。
女性社員たちの間では、そんな噂が駆け巡った。
そして件の彼女は、一部の堂上狙いだった女性社員たちから嫌がらせを受けたりもしているらしい。
小牧はそんな状況を冷静に見ていた。
あまりにも早急な婚約発表に、小牧もまた堂上が騙されているのではないかと思ったのだ。
だが当の彼女、晴れて堂上の婚約者となった笠原郁はまったく動じなかった。
仕方ないですよ。あたし全然女らしくないし。
でもあの人の隣は誰にも譲れません。
郁は豪快にカラカラと笑い、嫌がらせをする者を悔しがらせた。
さらに堂上は郁に嫌がらせをする者たちを容赦なく叱責し、その心をへし折った。
2人は見事な連係プレイで邪魔者を排除し、そのラブラブっぷりを見せつけていった。
そんな騒動が一段落した頃だった。
小牧は書店のバックヤードで、1年後輩の女性社員と在庫の確認作業をした。
お疲れ様。じゃあ、戻ろうか。
作業は特に問題もなく終わり、小牧は彼女に声をかける。
すると彼女は、仕事中からプライベートへと表情を変えた。
女としての感情を全面に出した彼女が何を口にするのか、敏い小牧にはすぐわかった。
付き合うのもありかな。
小牧は心の中で、そんなことを考えた。
見栄えもよく中身も優秀な小牧は、堂上以上に女性にモテる。
堂上同様、就職してから特定の恋人は持たなかったことには深い意味はない。
仕事を覚えることが最優先だったし、自分から交際したいと思うような女性がいなかっただけだ。
だがそろそろ良い時期かもしれない。
目の前の女性は美人で仕事もそこそこできる、いわゆる才媛タイプだ。
彼女としては、まぁまぁ申し分もない。
とりあえず食事に行くくらいならなどと思っていたところで、バックヤード入口のドアが開いた。
顔をのぞかせたのは、堂上の婚約者となった郁だった。
失礼しま~す!
郁は雰囲気をぶち壊すような元気の良さを発揮した。
それから小牧に「お疲れ様です」と頭を下げる。
だが彼女に視線を移すと、冷やかな表情になった。
そして「先日はご丁寧な忠告、ありがとうございました」と頭を下げたのだった。
小牧は一瞬にして、事情を悟った。
なるほど。この子は元々堂上に気があったってことか。
でも堂上は婚約しちゃって、相手の子に嫌がらせしても壊れない。
だから俺に乗り換えたってことかな。
だとすれば、安く見られたものだ。
そんなことを考えていると、彼女は「失礼します!」と叫び、バックヤードを飛び出していく。
小牧にことわりのセリフを言われる前に、そして郁に暴露される前に逃げ出したというところだろう。
あ~あ、せっかく彼女ができそうだったのに。
小牧は軽口を叩いた。
別に本気でそう思っていたわけではない。
郁と2人残されたバックヤードの空気が、妙に重かったからだ。
だが郁はニコリともせず「小牧さんって女の趣味、悪いですね」と言い切った。
この子、どういうキャラなんだろう?
小牧は郁の行動が、まったく理解できなかった。
その後も小牧に近づく女性社員を、さり気なく遠ざけているような感じがあるのだ。
さらに時々書店の客としてやってくる小牧の幼なじみの少女と話をしているのを見かけるようになった。
これは小牧に言い寄ろうとする女性がよくやる手だった。
小牧が幼馴染みの少女を可愛がっているのを知って、そこを突破口にしようと考えるらしい。
もちろんそんな小細工をする女などは、眼中にないが。
では郁が自分に気があるのかと言えば、まったく違う。
なぜなら郁は堂上の婚約者であり、実際に堂上を見るまなざしは一途に恋する女性そのものだ
それに堂上と一緒にいるところを見る限り、悪巧みをするような女性でもない。
考えあぐねた小牧は思い切って堂上に「笠原さんって不思議な子だな」と話を振ってみた。
すると堂上は「あいつは毬江ちゃんが好きなんだよ」と言った。
ますますわからない。
なぜ郁が小牧を飛び越えて、幼なじみの少女をそんなに気にかけるのか?
なんとなくすっきりしないまま、運命の日はやって来た。
仕事中の小牧のスマートフォンが鳴ったのだ。
知らない番号からだったが、仕事先かもしれない。
身構えながら電話に出た途端、思わず電話を耳から話すほどの大声が聞こえた。
毬江ちゃんが大変です!すぐに来てください!
電話の向こうで叫んでいるのは、郁だった。
小牧は「え?笠原さん?何で?」と声をあげるが、電話口の郁は「いいから早く!」と叫ぶ。
そして郁はこの書店の近くの病院の名を告げて、唐突に電話を切った。
病院?いったい何が!
小牧は訳がわからないまま、上司に早退を宣言して書店を飛び出した。
あの子にもしものことがあったら。
そう思うだけで血の気が引き、いてもたっても居られない。
そして小牧は10歳年下の子供だと思っていた少女が、自分にとってかけがえのない存在なのだと悟ったのだった。
彼女は口調だけは丁寧に、だけど冷やかな表情で頭を下げた。
頭を下げられた方の女は、悔しそうに彼女を睨みつけていた。
小牧幹久は、都内某所の書店で働いている。
就職した理由は単純明快、本が好きだからだ。
第一志望の大学を出てから、第一志望の書店へ。
順風満帆な進路である。
友人にも恵まれていた。
同期入社の堂上は仕事の上でも尊敬しあえる、有能な男だった。
やはり本好きで、よく本や作家の話で盛り上がる。
好きな仕事と、腹を割っていろいろ話せる友人。
平凡ではあるが、素晴らしいものを得ていると思う。
そんなある日のこと、職場ではちょっとした騒動が起こった。
堂上がアルバイトの女性と結婚するというのだ。
しかも会ったその瞬間にプロポーズしたという電撃っぷりだ。
堂上はそこそこ女性にモテるし、学生時代には何人かの女性と交際したこともあるらしい。
だが就職してからは一貫して硬派であり、告白の類もすべて跳ねつけていたのだ。
だからそんな形で一気に結婚まで決めたのが、小牧にとっては不思議で仕方なかった。
笠原が堂上さんを誑かしたのよ。
女性社員たちの間では、そんな噂が駆け巡った。
そして件の彼女は、一部の堂上狙いだった女性社員たちから嫌がらせを受けたりもしているらしい。
小牧はそんな状況を冷静に見ていた。
あまりにも早急な婚約発表に、小牧もまた堂上が騙されているのではないかと思ったのだ。
だが当の彼女、晴れて堂上の婚約者となった笠原郁はまったく動じなかった。
仕方ないですよ。あたし全然女らしくないし。
でもあの人の隣は誰にも譲れません。
郁は豪快にカラカラと笑い、嫌がらせをする者を悔しがらせた。
さらに堂上は郁に嫌がらせをする者たちを容赦なく叱責し、その心をへし折った。
2人は見事な連係プレイで邪魔者を排除し、そのラブラブっぷりを見せつけていった。
そんな騒動が一段落した頃だった。
小牧は書店のバックヤードで、1年後輩の女性社員と在庫の確認作業をした。
お疲れ様。じゃあ、戻ろうか。
作業は特に問題もなく終わり、小牧は彼女に声をかける。
すると彼女は、仕事中からプライベートへと表情を変えた。
女としての感情を全面に出した彼女が何を口にするのか、敏い小牧にはすぐわかった。
付き合うのもありかな。
小牧は心の中で、そんなことを考えた。
見栄えもよく中身も優秀な小牧は、堂上以上に女性にモテる。
堂上同様、就職してから特定の恋人は持たなかったことには深い意味はない。
仕事を覚えることが最優先だったし、自分から交際したいと思うような女性がいなかっただけだ。
だがそろそろ良い時期かもしれない。
目の前の女性は美人で仕事もそこそこできる、いわゆる才媛タイプだ。
彼女としては、まぁまぁ申し分もない。
とりあえず食事に行くくらいならなどと思っていたところで、バックヤード入口のドアが開いた。
顔をのぞかせたのは、堂上の婚約者となった郁だった。
失礼しま~す!
郁は雰囲気をぶち壊すような元気の良さを発揮した。
それから小牧に「お疲れ様です」と頭を下げる。
だが彼女に視線を移すと、冷やかな表情になった。
そして「先日はご丁寧な忠告、ありがとうございました」と頭を下げたのだった。
小牧は一瞬にして、事情を悟った。
なるほど。この子は元々堂上に気があったってことか。
でも堂上は婚約しちゃって、相手の子に嫌がらせしても壊れない。
だから俺に乗り換えたってことかな。
だとすれば、安く見られたものだ。
そんなことを考えていると、彼女は「失礼します!」と叫び、バックヤードを飛び出していく。
小牧にことわりのセリフを言われる前に、そして郁に暴露される前に逃げ出したというところだろう。
あ~あ、せっかく彼女ができそうだったのに。
小牧は軽口を叩いた。
別に本気でそう思っていたわけではない。
郁と2人残されたバックヤードの空気が、妙に重かったからだ。
だが郁はニコリともせず「小牧さんって女の趣味、悪いですね」と言い切った。
この子、どういうキャラなんだろう?
小牧は郁の行動が、まったく理解できなかった。
その後も小牧に近づく女性社員を、さり気なく遠ざけているような感じがあるのだ。
さらに時々書店の客としてやってくる小牧の幼なじみの少女と話をしているのを見かけるようになった。
これは小牧に言い寄ろうとする女性がよくやる手だった。
小牧が幼馴染みの少女を可愛がっているのを知って、そこを突破口にしようと考えるらしい。
もちろんそんな小細工をする女などは、眼中にないが。
では郁が自分に気があるのかと言えば、まったく違う。
なぜなら郁は堂上の婚約者であり、実際に堂上を見るまなざしは一途に恋する女性そのものだ
それに堂上と一緒にいるところを見る限り、悪巧みをするような女性でもない。
考えあぐねた小牧は思い切って堂上に「笠原さんって不思議な子だな」と話を振ってみた。
すると堂上は「あいつは毬江ちゃんが好きなんだよ」と言った。
ますますわからない。
なぜ郁が小牧を飛び越えて、幼なじみの少女をそんなに気にかけるのか?
なんとなくすっきりしないまま、運命の日はやって来た。
仕事中の小牧のスマートフォンが鳴ったのだ。
知らない番号からだったが、仕事先かもしれない。
身構えながら電話に出た途端、思わず電話を耳から話すほどの大声が聞こえた。
毬江ちゃんが大変です!すぐに来てください!
電話の向こうで叫んでいるのは、郁だった。
小牧は「え?笠原さん?何で?」と声をあげるが、電話口の郁は「いいから早く!」と叫ぶ。
そして郁はこの書店の近くの病院の名を告げて、唐突に電話を切った。
病院?いったい何が!
小牧は訳がわからないまま、上司に早退を宣言して書店を飛び出した。
あの子にもしものことがあったら。
そう思うだけで血の気が引き、いてもたっても居られない。
そして小牧は10歳年下の子供だと思っていた少女が、自分にとってかけがえのない存在なのだと悟ったのだった。