「黒バス」×「俺ガイル」×「BLACK LAGOON」
*黒子が比企谷と再会する前、そこに至るまでのインターバル的なお話です。
そろそろ帰国の準備かな。
異国の夜空を眺めながら、黒子はそんなことを考える。
旅行と呼ぶには長すぎる、楽しい放浪生活。
だけどいつまでもこのままではいられない。
黒子テツヤは高校1年の冬、バスケットボールで全国制覇を果たした。
だけどその後、事故で重傷を負い、転校する。
転校先ではプレイヤーではなく、コーチとしてバスケに打ち込んだ。
卒業後の進路は選び放題だった。
バスケでスカウトしてくれる学校も企業もあった。
そして中学の友人からのヘッドハンティングまで受けた。
中学時代の主将だった赤司は「大学を出た後、俺の下で働かないか」と誘ってくれた。
バスケからタレントに転向しつつあった黄瀬は「マネージャーになって欲しいっす!」と言った。
進学も就職もしません。しばらく旅に出ます。
全ての誘いを断った黒子は、周囲の人間にそう告げた。
するとほぼ全員が同じリアクションをした。
まずは「冗談だろ?」と笑う。
本気だと答えると、大いに驚き「考え直せ」と言った。
だけど黒子の意思は変わらなかった。
なぜならわかってしまったからだ。
交通事故で負ったケガは、日常生活を普通に送れる程度には治った。
でもバスケ選手として、ここが限界だ。
伸びしろが望めない状態で、続けるという選択肢はなかった。
火神はアメリカでまた組むことを期待してくれたようだが、到底無理だ。
赤司の会社とか黄瀬のマネージャーは論外である。
彼らはアクが強すぎる。
友人としては、嫌いではない。
だが仕事で主従関係になるのは、まっぴらごめんだ。
自分からバスケを取ったら、何が残るか。
黒子はそれを見つけるために、旅に出ることにしたのだ。
幸いなことに、交通事故の保険金がかなり残っている。
これを切り詰めれば、2年くらいは放浪できるだろう。
かくして黒子は日本を飛び立った。
行きたいところは山ほどある。
なるべく多くの場所を、安く回れるようにルートを作った。
興味があれば、寄り道もする。
安宿に泊まり、交通機関も安い鉄道やバスを使った。
多くの人と触れ合いもあった。
写真は頻繁に撮って、随時SNSに載せた。
友人たちに近況報告をするのが、面倒だったからだ。
勝手にアップするので、適当にチェックしてくれ。
そんな気持ちで、バチバチと撮影して上げまくった。
節約したおかげで、当初2年の予定だった旅は3年を超えた。
行きたい名所を大方巡った黒子は今、タイにいる。
ここでの目的は古代遺跡や仏像が飾られた華やかな寺院。
これを堪能したら、日本に帰るつもりだった。
そろそろ旅の資金も底をつく。
名残り惜しいが、そろそろエンディングだ。
だからこそ、残り少ない旅を楽しもう。
黒子はそんなことを思いながら、泊まっている安宿を出た。
そろそろ夕刻、どこかで食事をするつもりだ。
近くでナイトマーケットがあるそうなので、そこの屋台にしよう。
後から思えば、これが新たな旅の始まりだった。
帰国どころか、命がけの逃避行になる。
だけどまだ知る由もなく、黒子は呑気に屋台のメニューのことを考えていた。
*****
今にして思えば、自分の力を過信しすぎていた。
黒子はこんな境遇になってしまったきっかけの日のことをそう思い出す。
決して奢っていたつもりはない。
だけどあともう少し用心深くなっていればと考えずにはいられない。
タイに滞在中の黒子は安宿を出た。
ナイトマーケットの屋台で、夕食をとるためだ。
この街に滞在して、数日。
辺りの道にも慣れ、迷うことはない。
タイのごはんも美味しい。
黒子は軽い足取りで目的地を目指しながら、呑気なことを考えていた。
同年代の男性に比べれば、黒子はかなり小食だ。
だけど好き嫌いはなく、何でも食べる。
日本とは違う食文化に触れ、さまざまな料理を食べることをしっかりと楽しんでいた。
こっちが近道だ。
黒子は木が生い茂る細い小道に入った。
大通りを進むより、こちらが近道なのだ。
後々考えれば、この選択が誤りだった。
どんなに空腹だろうと時間が余計に掛かろうと、大通りを行くべきだったのだ。
だけど黒子は近道を選んだ。
危険があるなんて、思わなかったからだ。
確かに木で視界こそ遮られるが、大通りから1本入っただけの場所。
音は充分に聞こえる。
それに黒子は気配には敏感なのだ。
誰かが忍び寄ってくればすぐわかるし、自分の気配を消すこともできる。
デンジャラスなスラム街などならいざ知らず、ここはナイトマーケットにも近い。
だから黒子は「危ないかな?」と考えることすらしなかった。
黒子は軽い足取りで、木々の間の小道を進んだ。
今日の気分は断然米だった。
日本の米も好物だが、タイの長細い米も良い。
もうすぐ食べ納めなのだし、しっかり味わおう。
そんなことを思っていた黒子は、ふと足を止めた。
前方に数名の人影が見えたからだ。
しかも彼らはその場に立ち止まり、なにやら揉めている。
巻き込まれたくない。引き返そう。
黒子はそう思い、身を翻そうとした。
このまま気配を消して、闇にまぎれて離れようと。
だけど一瞬遅かった。
黒子が視線を逸らすより早く、人影の1人が何かを取り出し、別の1人に向けた。
次の瞬間、プシュッと空気が抜けるような音がして、人影の1人がどさりと倒れた。
銃で撃った。
黒子は瞬時に事態を把握した。
おそらく数名のうちの1人が、別の1人を撃ったのだ。
凶器は消音器付きの口径の小さい銃。
だけど距離が近いし、殺害には充分だろう。
まずい。逃げなければ。
黒子は暗闇に紛れて、逃げようとする。
幻の6人目(シックスマン)の本領を発揮するべき場面。
だけど男のうちの1人がライトをつけて、こちらを照らした。
おそらく彼らは闇の仕事に長けている。
逃げようとする黒子の気配を察知したのだろう。
強いライトが薄暗い道を照らす。
その瞬間、黒子は見てしまった。
撃たれて倒れた男がすでに絶命していることを。
そして撃った男の顔を。
男たちの殺意が真っ直ぐにこちらに向かう。
それに気付いた黒子は、道を外れて木々の隙間に飛び込んだ。
視界を塞ぐ木々は味方にも敵にもなる。
大通りを行き交う人々から、犯罪を隠してしまう。
だけど目撃してしまった黒子もまた隠れやすいのだ。
木々の間の闇に身を潜めた黒子は追ってくる男たちの足音に怯えながら、ただ待った。
バスケで培ったスキルを最大限に使いながら。
この状況下なら、自分の気配さえ隠し切れば切り抜けられる。
だが問題はその後だ。
黒子は撃った男の顔をはっきりと見た。
そしてその男を知っていた。
知人の類ではない。
ニュースなどに登場する某国の大物政治家だ。
そんな男が直接手を下して人を殺す場面を目撃してしまったのだ。
彼らは全力で事件そのものを消すだろう。
死体を隠し、黒子の存在も消そうとするはずだ。
黒子が男の顔を見たように、彼らもまた黒子の顔を見たのだ。
身元も早々に突き止められてしまうに違いない。
大使館に駆け込むか?
黒子はそう考えたけれど、すぐにその考えを打ち消した。
日本の警察も、日本の国も黒子を守ってはくれない可能性が高い。
なぜならあの男は日本より遥かに格上の大国の大物なのだから。
黒子の言い分を信じて、動いてくれるとは思えない。
外交を考えるなら、黒子1人など平気で見殺しにするだろう。
だとしたら、とにかく今は逃げることだ。
幸いなことに財布とスマホ、パスポートは持っている。
ホテルには申し訳ないが、このままこの街を出る。
誰にも連絡はできない。
下手に知らせれば、巻き込んでしまうかもしれないから。
足音が完全に聞こえなくなったところで、黒子は動き出した。
平和な観光客から、逃亡者へ。
一瞬にして変わってしまった運命を、今はまだ嘆く余裕もない。
*****
ああ。間違えた。
黒子は目の前の光景に愕然とする。
だけど怯えて震えている場合ではないのだ。
銃撃事件を目撃してしまった翌朝。
黒子は未だに事件現場のそばにいた。
自分の姿を変えるのに、時間をかけたせいだ。
事件を目撃した黒子は、その足でナイトマーケットに向かった。
この街から出るためには鉄道か高速バスを使うか、レンタカーか徒歩か。
鉄道やバスはもうその日の運行を終えている。
レンタカーは論外だ。
車を借りるのに免許証の提示が必要で、つまり足取りの痕跡を残すことになる。
残りは徒歩だが、治安が悪い場所を丸腰で歩くのは怖かった。
それならばと、黒子はナイトマーケットに向かったのだ。
黒子は銃撃事件を目撃したが、向こうにも黒子の姿を見られている。
そしてそれを手掛かりにして、黒子の身元を探ろうとするだろう。
それならとにかく姿を変えることだ。
黒子は自分の姿を見下ろして、考えた。
相手には自分がどう見えたか。
放浪生活が長いけれど、この地の住人には見えない。
つまりバックパッカーの青年だと一目で見抜かれただろう。
それならまずそう見えないようにしなければ。
黒子はナイトマーケットで、ここ何日か通った屋台に向かった。
その店はこの国にしては香辛料が少ない優しい味付けで、黒子の舌にあった。
だから通い詰めたのだ。
でもこの夜は食事を注文せず、ある頼みごとをした。
ホテルには戻れず、人目を避けながら何とか夜を明かした。
そして朝、黒子はまだ街中を歩いていた。
昨日のシンプルなシャツと素っ気ないズボン姿ではない。
ヨレヨレ着古しのブラウスとスカート姿。
そう、黒子はナイトマーケットの屋台の売り子に服を所望したのだ。
最初は嫌そうだったけれど、結構な金額の紙幣を渡したら笑顔になった。
そしてナイトマーケットで新しい服を買って、それまで着ていた服を譲ってくれた。
うっすらとメイクもしている。
しっかりしたメイクなどはできそうもないので、ファンデーションと口紅のみだが。
そして不精して結構伸びてしまった髪を束ねて、シュシュをつけた。
おかげでかなり印象は変わった。
完全にこの地の住人に見える。
そしてパッと見はスレンダーな女子に見えるだろう。
男子にしては細身というコンプレックスも今は役に立つ。
ちなみにスカートに隠れた太ももには、ベルトでパスポートと現金を隠していた。
ポケットにはわずかな小銭とメイク道具のみ。
これが今のところ、黒子の全財産だ。
今まで来ていた服は、ナイトマーケットの外れのゴミ箱に放り込んだ。
かくして変装した黒子は、歩きながら考えていた。
昨日は本能のまま、行動してしまった。
銃撃事件の犯人は大国の大物政治家。
あの時はそう思った。
だけど本当にそうだったか?
暗がりだったし、見間違いであった可能性は?
そう思った途端、自分の行動がひどく的外れであった気がしてきた。
目撃者が消されるとか、妄想が過ぎたのではないか。
そして自分は先走り過ぎたのではないか。
そう考えると、ロコガールよろしくスカート姿の自分が滑稽に思えた。
そうこうしているうちに、時間は過ぎた。
次第に店が開き、人々が集まって来る。
さてどうしたものか。
迷いながら、街をさまよう黒子は、人垣ができているのを見つけた。
いったい何事かとその中に混ざった黒子は、その光景に驚愕した。
道の真ん中で、青年が倒れていたのだ。
一目見て絶命しているとわかる。
パッと見て目立つ傷などはない。
だけど目を見開き、苦悶の表情で固まっていた。
野次馬の振りをしながら、黒子は衝撃を受けていた。
なぜならその青年が来ていた服は黒子のものだったからだ。
昨晩着ていた、マーケットのゴミ箱に捨てたはずのシャツとズボン。
かなり着古しているが、この街の相場では良い服の部類なのだ。
おそらくゴミ箱から拾って、着てしまったのだろう。
そして今、彼は死体となって転がっている彼を見た。
小柄で痩せ型、背格好も似ている。
同じ服を着てしまえば、遠目に見れば黒子と瓜二つ。
これが偶然であるとは思えない。
ああ。間違えた。
黒子は倒れている青年に心の中で手を合わせた。
焦っていたのだ。
着ていた服を拾われる可能性に、思い至らなかった。
その不注意のせいで、関係のない青年が死んだ。
殺されてしまったのだ。
黒子はそっと人垣から離れた。
許せない。絶対にこのままにはしない。
黒子は秘かに決意した。
だけど今の状況ではどうしようもない。
事件の全容さえ、黒子は理解していないのだから。
そのとき黒子は少し離れたところから人垣を見ている1組の男女を見つけた。
この街の住人ではない。
だけど旅行者でもない。
どこか危険なオーラを放っているのだ。
おそらくごくごく一般的な日本人ではわからない。
気配に敏感な黒子だからこそ気付けた、異質な2人。
やがてパトカーが到着し、警察官がやって来た。
人垣が崩れ、件の男女も離れていく。
黒子はその2人の後を尾行し始めた。
今は他に手がかりも何もない。
ただ今まで培った勘だけが、この2人を逃すなと告げていた。
【続く】
そろそろ帰国の準備かな。
異国の夜空を眺めながら、黒子はそんなことを考える。
旅行と呼ぶには長すぎる、楽しい放浪生活。
だけどいつまでもこのままではいられない。
黒子テツヤは高校1年の冬、バスケットボールで全国制覇を果たした。
だけどその後、事故で重傷を負い、転校する。
転校先ではプレイヤーではなく、コーチとしてバスケに打ち込んだ。
卒業後の進路は選び放題だった。
バスケでスカウトしてくれる学校も企業もあった。
そして中学の友人からのヘッドハンティングまで受けた。
中学時代の主将だった赤司は「大学を出た後、俺の下で働かないか」と誘ってくれた。
バスケからタレントに転向しつつあった黄瀬は「マネージャーになって欲しいっす!」と言った。
進学も就職もしません。しばらく旅に出ます。
全ての誘いを断った黒子は、周囲の人間にそう告げた。
するとほぼ全員が同じリアクションをした。
まずは「冗談だろ?」と笑う。
本気だと答えると、大いに驚き「考え直せ」と言った。
だけど黒子の意思は変わらなかった。
なぜならわかってしまったからだ。
交通事故で負ったケガは、日常生活を普通に送れる程度には治った。
でもバスケ選手として、ここが限界だ。
伸びしろが望めない状態で、続けるという選択肢はなかった。
火神はアメリカでまた組むことを期待してくれたようだが、到底無理だ。
赤司の会社とか黄瀬のマネージャーは論外である。
彼らはアクが強すぎる。
友人としては、嫌いではない。
だが仕事で主従関係になるのは、まっぴらごめんだ。
自分からバスケを取ったら、何が残るか。
黒子はそれを見つけるために、旅に出ることにしたのだ。
幸いなことに、交通事故の保険金がかなり残っている。
これを切り詰めれば、2年くらいは放浪できるだろう。
かくして黒子は日本を飛び立った。
行きたいところは山ほどある。
なるべく多くの場所を、安く回れるようにルートを作った。
興味があれば、寄り道もする。
安宿に泊まり、交通機関も安い鉄道やバスを使った。
多くの人と触れ合いもあった。
写真は頻繁に撮って、随時SNSに載せた。
友人たちに近況報告をするのが、面倒だったからだ。
勝手にアップするので、適当にチェックしてくれ。
そんな気持ちで、バチバチと撮影して上げまくった。
節約したおかげで、当初2年の予定だった旅は3年を超えた。
行きたい名所を大方巡った黒子は今、タイにいる。
ここでの目的は古代遺跡や仏像が飾られた華やかな寺院。
これを堪能したら、日本に帰るつもりだった。
そろそろ旅の資金も底をつく。
名残り惜しいが、そろそろエンディングだ。
だからこそ、残り少ない旅を楽しもう。
黒子はそんなことを思いながら、泊まっている安宿を出た。
そろそろ夕刻、どこかで食事をするつもりだ。
近くでナイトマーケットがあるそうなので、そこの屋台にしよう。
後から思えば、これが新たな旅の始まりだった。
帰国どころか、命がけの逃避行になる。
だけどまだ知る由もなく、黒子は呑気に屋台のメニューのことを考えていた。
*****
今にして思えば、自分の力を過信しすぎていた。
黒子はこんな境遇になってしまったきっかけの日のことをそう思い出す。
決して奢っていたつもりはない。
だけどあともう少し用心深くなっていればと考えずにはいられない。
タイに滞在中の黒子は安宿を出た。
ナイトマーケットの屋台で、夕食をとるためだ。
この街に滞在して、数日。
辺りの道にも慣れ、迷うことはない。
タイのごはんも美味しい。
黒子は軽い足取りで目的地を目指しながら、呑気なことを考えていた。
同年代の男性に比べれば、黒子はかなり小食だ。
だけど好き嫌いはなく、何でも食べる。
日本とは違う食文化に触れ、さまざまな料理を食べることをしっかりと楽しんでいた。
こっちが近道だ。
黒子は木が生い茂る細い小道に入った。
大通りを進むより、こちらが近道なのだ。
後々考えれば、この選択が誤りだった。
どんなに空腹だろうと時間が余計に掛かろうと、大通りを行くべきだったのだ。
だけど黒子は近道を選んだ。
危険があるなんて、思わなかったからだ。
確かに木で視界こそ遮られるが、大通りから1本入っただけの場所。
音は充分に聞こえる。
それに黒子は気配には敏感なのだ。
誰かが忍び寄ってくればすぐわかるし、自分の気配を消すこともできる。
デンジャラスなスラム街などならいざ知らず、ここはナイトマーケットにも近い。
だから黒子は「危ないかな?」と考えることすらしなかった。
黒子は軽い足取りで、木々の間の小道を進んだ。
今日の気分は断然米だった。
日本の米も好物だが、タイの長細い米も良い。
もうすぐ食べ納めなのだし、しっかり味わおう。
そんなことを思っていた黒子は、ふと足を止めた。
前方に数名の人影が見えたからだ。
しかも彼らはその場に立ち止まり、なにやら揉めている。
巻き込まれたくない。引き返そう。
黒子はそう思い、身を翻そうとした。
このまま気配を消して、闇にまぎれて離れようと。
だけど一瞬遅かった。
黒子が視線を逸らすより早く、人影の1人が何かを取り出し、別の1人に向けた。
次の瞬間、プシュッと空気が抜けるような音がして、人影の1人がどさりと倒れた。
銃で撃った。
黒子は瞬時に事態を把握した。
おそらく数名のうちの1人が、別の1人を撃ったのだ。
凶器は消音器付きの口径の小さい銃。
だけど距離が近いし、殺害には充分だろう。
まずい。逃げなければ。
黒子は暗闇に紛れて、逃げようとする。
幻の6人目(シックスマン)の本領を発揮するべき場面。
だけど男のうちの1人がライトをつけて、こちらを照らした。
おそらく彼らは闇の仕事に長けている。
逃げようとする黒子の気配を察知したのだろう。
強いライトが薄暗い道を照らす。
その瞬間、黒子は見てしまった。
撃たれて倒れた男がすでに絶命していることを。
そして撃った男の顔を。
男たちの殺意が真っ直ぐにこちらに向かう。
それに気付いた黒子は、道を外れて木々の隙間に飛び込んだ。
視界を塞ぐ木々は味方にも敵にもなる。
大通りを行き交う人々から、犯罪を隠してしまう。
だけど目撃してしまった黒子もまた隠れやすいのだ。
木々の間の闇に身を潜めた黒子は追ってくる男たちの足音に怯えながら、ただ待った。
バスケで培ったスキルを最大限に使いながら。
この状況下なら、自分の気配さえ隠し切れば切り抜けられる。
だが問題はその後だ。
黒子は撃った男の顔をはっきりと見た。
そしてその男を知っていた。
知人の類ではない。
ニュースなどに登場する某国の大物政治家だ。
そんな男が直接手を下して人を殺す場面を目撃してしまったのだ。
彼らは全力で事件そのものを消すだろう。
死体を隠し、黒子の存在も消そうとするはずだ。
黒子が男の顔を見たように、彼らもまた黒子の顔を見たのだ。
身元も早々に突き止められてしまうに違いない。
大使館に駆け込むか?
黒子はそう考えたけれど、すぐにその考えを打ち消した。
日本の警察も、日本の国も黒子を守ってはくれない可能性が高い。
なぜならあの男は日本より遥かに格上の大国の大物なのだから。
黒子の言い分を信じて、動いてくれるとは思えない。
外交を考えるなら、黒子1人など平気で見殺しにするだろう。
だとしたら、とにかく今は逃げることだ。
幸いなことに財布とスマホ、パスポートは持っている。
ホテルには申し訳ないが、このままこの街を出る。
誰にも連絡はできない。
下手に知らせれば、巻き込んでしまうかもしれないから。
足音が完全に聞こえなくなったところで、黒子は動き出した。
平和な観光客から、逃亡者へ。
一瞬にして変わってしまった運命を、今はまだ嘆く余裕もない。
*****
ああ。間違えた。
黒子は目の前の光景に愕然とする。
だけど怯えて震えている場合ではないのだ。
銃撃事件を目撃してしまった翌朝。
黒子は未だに事件現場のそばにいた。
自分の姿を変えるのに、時間をかけたせいだ。
事件を目撃した黒子は、その足でナイトマーケットに向かった。
この街から出るためには鉄道か高速バスを使うか、レンタカーか徒歩か。
鉄道やバスはもうその日の運行を終えている。
レンタカーは論外だ。
車を借りるのに免許証の提示が必要で、つまり足取りの痕跡を残すことになる。
残りは徒歩だが、治安が悪い場所を丸腰で歩くのは怖かった。
それならばと、黒子はナイトマーケットに向かったのだ。
黒子は銃撃事件を目撃したが、向こうにも黒子の姿を見られている。
そしてそれを手掛かりにして、黒子の身元を探ろうとするだろう。
それならとにかく姿を変えることだ。
黒子は自分の姿を見下ろして、考えた。
相手には自分がどう見えたか。
放浪生活が長いけれど、この地の住人には見えない。
つまりバックパッカーの青年だと一目で見抜かれただろう。
それならまずそう見えないようにしなければ。
黒子はナイトマーケットで、ここ何日か通った屋台に向かった。
その店はこの国にしては香辛料が少ない優しい味付けで、黒子の舌にあった。
だから通い詰めたのだ。
でもこの夜は食事を注文せず、ある頼みごとをした。
ホテルには戻れず、人目を避けながら何とか夜を明かした。
そして朝、黒子はまだ街中を歩いていた。
昨日のシンプルなシャツと素っ気ないズボン姿ではない。
ヨレヨレ着古しのブラウスとスカート姿。
そう、黒子はナイトマーケットの屋台の売り子に服を所望したのだ。
最初は嫌そうだったけれど、結構な金額の紙幣を渡したら笑顔になった。
そしてナイトマーケットで新しい服を買って、それまで着ていた服を譲ってくれた。
うっすらとメイクもしている。
しっかりしたメイクなどはできそうもないので、ファンデーションと口紅のみだが。
そして不精して結構伸びてしまった髪を束ねて、シュシュをつけた。
おかげでかなり印象は変わった。
完全にこの地の住人に見える。
そしてパッと見はスレンダーな女子に見えるだろう。
男子にしては細身というコンプレックスも今は役に立つ。
ちなみにスカートに隠れた太ももには、ベルトでパスポートと現金を隠していた。
ポケットにはわずかな小銭とメイク道具のみ。
これが今のところ、黒子の全財産だ。
今まで来ていた服は、ナイトマーケットの外れのゴミ箱に放り込んだ。
かくして変装した黒子は、歩きながら考えていた。
昨日は本能のまま、行動してしまった。
銃撃事件の犯人は大国の大物政治家。
あの時はそう思った。
だけど本当にそうだったか?
暗がりだったし、見間違いであった可能性は?
そう思った途端、自分の行動がひどく的外れであった気がしてきた。
目撃者が消されるとか、妄想が過ぎたのではないか。
そして自分は先走り過ぎたのではないか。
そう考えると、ロコガールよろしくスカート姿の自分が滑稽に思えた。
そうこうしているうちに、時間は過ぎた。
次第に店が開き、人々が集まって来る。
さてどうしたものか。
迷いながら、街をさまよう黒子は、人垣ができているのを見つけた。
いったい何事かとその中に混ざった黒子は、その光景に驚愕した。
道の真ん中で、青年が倒れていたのだ。
一目見て絶命しているとわかる。
パッと見て目立つ傷などはない。
だけど目を見開き、苦悶の表情で固まっていた。
野次馬の振りをしながら、黒子は衝撃を受けていた。
なぜならその青年が来ていた服は黒子のものだったからだ。
昨晩着ていた、マーケットのゴミ箱に捨てたはずのシャツとズボン。
かなり着古しているが、この街の相場では良い服の部類なのだ。
おそらくゴミ箱から拾って、着てしまったのだろう。
そして今、彼は死体となって転がっている彼を見た。
小柄で痩せ型、背格好も似ている。
同じ服を着てしまえば、遠目に見れば黒子と瓜二つ。
これが偶然であるとは思えない。
ああ。間違えた。
黒子は倒れている青年に心の中で手を合わせた。
焦っていたのだ。
着ていた服を拾われる可能性に、思い至らなかった。
その不注意のせいで、関係のない青年が死んだ。
殺されてしまったのだ。
黒子はそっと人垣から離れた。
許せない。絶対にこのままにはしない。
黒子は秘かに決意した。
だけど今の状況ではどうしようもない。
事件の全容さえ、黒子は理解していないのだから。
そのとき黒子は少し離れたところから人垣を見ている1組の男女を見つけた。
この街の住人ではない。
だけど旅行者でもない。
どこか危険なオーラを放っているのだ。
おそらくごくごく一般的な日本人ではわからない。
気配に敏感な黒子だからこそ気付けた、異質な2人。
やがてパトカーが到着し、警察官がやって来た。
人垣が崩れ、件の男女も離れていく。
黒子はその2人の後を尾行し始めた。
今は他に手がかりも何もない。
ただ今まで培った勘だけが、この2人を逃すなと告げていた。
【続く】