「黒子のバスケ」×「俺ガイル」
【黒子テツヤは未来を想い、密やかに微笑する。】
「何で!?」
比企谷が黒子にグイッと顔を近づけて、抗議の声を上げる。
黒子は思わず耳を塞ぎ「声が大きいです」と顔をしかめた。
いよいよ3月。
高校生活もついに残りあと1ヶ月を切った。
大学、就職、専門学校。
3年生はもうほぼ全員、卒業後の進路を決めている。
そんなある日の昼休み。
黒子は特別棟の1階、保健室横のベンチにいた。
授業はもうないが、ギリギリまでバスケ部のコーチは続けるつもりだ。
そしてその間はここで昼食をとろうと決めていた。
この学校に来て約2年、お世話になったランチスペース。
もう少しでお別れと思うと、感慨深いものがある。
「よぉ」
いつものサンドイッチを食べていると、比企谷が現れた。
黒子は「どうも」と答えながら、首を傾げる。
もう授業はない。
部活に顔を出す黒子と違い、比企谷がここで食事をする理由はないだろうに。
だが比企谷は、見慣れた弁当の包みを抱えていた。
「ここで弁当を食うのも、多分俺は最後だ。」
「今日は何か用事があるんですか?」
「奉仕部の追いコンだそうだ。」
「追い出しコンパってやつですか。」
黒子はなるほどと頷いた。
追いコンとは、卒業する先輩たちを後輩たちが送り出すための会のことだ。
大学では飲み会が定番。
だけど奉仕部なら、お茶会という感じだろう。
「奉仕部も順調そうじゃないですか。」
「ああ。新しい部員も入ったしな。」
「3年生も皆さん、希望の大学に合格しましたし。」
「皆さんって、3人だけだけどな。」
黒子はゆっくりとサンドイッチを齧りながら、口元を緩ませていた。
思えば比企谷八幡とは不思議な関係だったと思う。
気を使わず、隣にいても負担にならず、本音も話せる関係。
そういう友人は何人かいるが、バスケと関係ないのは比企谷だけだ。
そんな彼とここでランチタイムを過ごすのは、多分今日が最後だろう。
「大学に行ったら、きっと大変ですね。」
「は?何で?」
「雪ノ下さん、モテるでしょうから。」
「まぁな。黙ってりゃ美人だしな。」
「またそういう憎まれ口を」
黒子は比企谷の言い様に苦笑した。
転校してきた頃、比企谷と雪ノ下雪乃の関係は微妙だった。
2人とも惹かれ合っているのに、今1つ踏み込めない。
何度「さっさとコクってしまえ!」と言いたくなったことか。
そして晴れて結ばれた後も、ジレジレしていた。
由比ヶ浜結衣との距離感が、上手く取れずにいたのだ。
近づいて傷つくより、離れた方が良い。
比企谷も由比ヶ浜もそんな風に考えていた時期もある。
だけど今は折り合いをつけ、良い関係におさまったようだ。
「バスケ部は灰崎さんがメインのコーチになるんだろ?」
「っていうか、監督になるそうです。」
「マジか?っていうかどう違う?」
「正式な位置づけはわかりませんが、責任感が違うみたいです。」
黒子にしては、曖昧な言い回しになった。
なぜならこの気持ちは上手く説明できない。
正直なところ、黒子のしてきたことは監督と変わらない。
部の方向性を決めて、動かしてきたからだ。
敢えてコーチだと自認していたのは、逃げだ。
自分はあくまでも技術的なサポートなのだと、気持ちの上で1歩引いていた。
「でも灰崎さんって大丈夫なのか?」
「何がです?」
「何でいうか、女関係?ちょっとヤバそうな感じがして」
黒子は「大丈夫ですよ」と笑った。
なぜか灰崎は女子の相談によく乗っている。
由比ヶ浜結衣や三浦優美子、海老名姫菜などと話しているのを黒子も見た。
その結果妙に打ち解けている。
さらに彼女たちを気安く「ガハマ」「ユミコ」「ヒナ」などと声をかけている。
挙句の果てには奉仕部を「ヒッキー」「ゆきのん」と呼ばわり。
しかも最近では女子たちが灰崎を「ショーゴ君」と呼んでいた。
「チャラそうに見えますが、あれで結構優しいですよ。」
「優しい、か?」
「ええ。それなりに苦労はしてますし。」
「その雰囲気はあるな」
「はい。だから大丈夫です。・・・多分」
比企谷が「何だ?その間!」とツッコミを入れる。
だけど黒子はそれ以上何も言わなかった。
今の灰崎はもう昔とは違う。
比企谷もそれ以上何も言い返さないのは、納得してくれたのだろう。
「ところで黒子。お前の進路は決まったのか?」
比企谷は不意に改まった口調で、そう聞いてきた。
今まで何度も問われてきたことだ。
だけどその都度「まだわかりません」と答えてきた。
はぐらかしたのではなく、いくつかの選択肢を考えていたからだ。
だけど今はもう決まっている。
黒子はサンドイッチの最後の一口を飲み込んでから、比企谷を見た。
比企谷が箸を止め、身構えたのがわかった。
「ハァァ!?「何で!?」
比企谷が黒子にグイッと顔を近づけて、抗議の声を上げる。
それがついに黒子の進路を聞いた比企谷のリアクションだ。
黒子は思わず耳を塞ぎ「声が大きいです」と顔をしかめる。
ふと見れば比企谷の手から箸が落ちていた。
お弁当の残り、どうやって食べるんだろう。
黒子は地面に落ちた箸を見ながら、そんなことを思う。
比企谷と黒子の最後のランチタイム。
それは実にしまらない形で終わったのだった。
*****
「そりゃまた羨ましい。」
赤司は全員の意見をまとめるように、そう言った。
黒子は「ありがとうございます」と静かに頭を下げたのだった。
卒業式まであと数日という夜。
黒子は都内のレストランにいた。
高校生が気軽に行けるような店ではない。
それどころか大人でも一般庶民なら気後れする。
そんな格式高い雰囲気のフレンチレストランだ。
黒子はそんな店に高校の制服姿で入っていった。
こんなとき制服は楽でいい。
制服を嫌う生徒も少なくないが、黒子は便利なものだと思っていた。
考える必要がないからだ。
しかも誠凛と総武、高校で2種類の制服を着られた。
そういう意味では普通の高校生より少しだけラッキーだったと思う。
「お待たせしました。」
店のギャルソンに案内されたのは、奥の個室だった。
入るなり「遅いっすよ!」と黄色い声がかかる。
黒子は「すみません」と一礼すると、個室の中を見回す。
赤司と緑間、紫原と黄瀬、そして灰崎が着席している。
さらに大きなモニターが置かれており、青峰と桃井が映っている。
アメリカからネット回線を使って、参加しているのだ。
黒子が加わったことで、ようやく出席者が全員揃った。
「引越し作業が手間取ってしまって」
黒子は正直に遅れた理由を打ち明けた。
卒業式を前にして、黒子は2年近く住んだ部屋を引き払った。
その作業が思ったより時間がかかったのだ。
「黒子。ここだ」
赤司が自分の隣の空席を手で示した。
黒子は「どうも」と頷きながら、腰を下ろす。
すると店のギャルソンが飲み物を配り始めた。
大人ならビールかワインで乾杯という場面だろう。
だけど残念ながら全員未成年、ここはノンアルコールだ。
「黒子っち、制服もあとちょっとっすね。」
「それにしても引越し、早くない~?」
「そうだな。まだ卒業式前だろう?」
「まだ学校があるのに、どうするんだ?」」
乾杯が終わるなり、黄色、紫、緑、赤の順で質問が来た。
黒子は「卒業式後にすぐ動きたかったので」と答える。
赤司の言う通り、卒業式前に部屋を引き払ったのは結構面倒だ。
卒業までの数日だけは実家から通うが、時間もかかる。
それでも敢えて強行したのは、卒業を区切りにしたかったからだ。
卒業式が終わったら、黒子はすぐに千葉を去る。
「コーチは完全に灰崎に譲るのか。」
「いえ。灰崎君は監督になるので。ボクはコーチを続けます。」
「大変だろう?」
「そんなことありません。ボクは誠凛と同じくらい総武のバスケ部が好きなので。」
料理が運ばれてくる間に、さらに会話が進む。
黒子は千葉を離れるけれど、コーチは続けるつもりだった。
今までのように顔を出せなくはなるが、ネットなどを駆使して関わり続ける。
主導は灰崎に譲るけれど、黒子にしかできないことを模索するつもりだった。
「で、黒子。お前はこの後どうするんだ?」
赤司が料理が運び込まれ、店のギャルソンが退出するタイミングでそう言った。
すると全員が会話をやめて、黒子を見る。
黒子は卒業後の進路について、灰崎とだけ少し話をした。
だけどあくまで相談レベルの話で、最終的な結論は言っていなかった。
「とりあえず日本を離れます。」
黒子はついに卒業後の話を口にした。
個室内は一瞬静まり返る。
その沈黙を破ったのは、ネットでつながったモニターだった。
「テツ君、こっちに来るの~?」
ハイテンションではしゃいだ声をあげたのは、桃井だった。
回線はもちろんアメリカと繋がっている。
黒子はチラリとモニターを見た。
こちらのテーブルには豪華なフレンチが並んでいる。
だけど青峰と桃井はジャンクフードを食べているようだ。
「やっぱり火神っちのとこに行くんすね!?」
「アメリカのお菓子、送ってね~」
「英語とかはちゃんと勉強したのか?」
桃井の声にかぶせるように、またしても色とりどりの声がする。
黒子は「ええと」と言いよどむ。
みんなが怒涛のように喋るので、口を挟むタイミングがないのだ。
するとここまでずっと黙っていた灰崎が口を開いた。
「テツヤの話、最後まで聞いてやれよ。」
灰崎の言葉に、全員が黙り込む。
黒子は灰崎に「ありがとうございます」と頷いた。
あの傲慢で態度が悪い男が、よくも変わったものだ。
黒子は今さらのように感動しながら、スッと息を吸い込んだ。
「ボクはアメリカには行きませんよ。」
「は?じゃあどこに行くんすか!?」
「まずはペルーに。マチュ・ピチュって見てみたくて。」
「え~?まずはって次は~?」
「エジプトのピラミッドも見たいです。オーストラリアのエアーズロックとか。」
「つまり観光なのか?」
あまりにも現実味がないことを言っているのは、わかっている。
驚かれることも、ドン引きされるのも、承知の上だ。
だけどこれが黒子の結論だった。
進学も就職もせず、日本を離れる。
2年くらいかけて、世界中の名所や珍しいものを見て歩くのだ。
事故の保険金があるので、親に金銭的な負担をかけることもない。
裏を返せば、あの事故があったからこそできた道だった。
「そりゃまた羨ましい。」
全員が驚愕の声を上げる中、赤司がそう言った。
黒子は「ありがとうございます」と静かに頭を下げる。
すると誰と話に拍手が沸き起こった。
ここに集まった全員が、黒子の未来を祝福してくれている。
「なぁテツ。あいつには言ったのか?」
不意にモニターの中から青峰の声がする。
黒子は「これからメールします」と答えた。
またしても集まった一同は黙り込んでしまう。
だけど黒子は何も言わず、豪華な料理を楽しむことにした。
*****
「もしかして修羅場?」
比企谷がボソッと呟く。
黒子はウンザリしながら「そんなんじゃありません」と言った。
ついに迎えた高校最後の日。
卒業式を終え、最後のホームルームも終えた黒子はホッとしていた。
人より長くなってしまったけれど、その分有意義な時間だった。
2つの高校で、2つの夢を見ることができたのだから。
全てのセレモニーが終わった後、黒子は荷物を抱えて教室を出た。
一緒に写真を撮って欲しいなどという誘いは、すべて丁重にお断りした
よく知らない人と写真を撮る趣味などない。
黒子は芸能人でもないし、ましてや今はバスケ選手でさえないのだから。
「黒子」
校舎を出たところで、声をかけられた。
聞き慣れた声、比企谷だ。
黒子は振り返り「どうも」と頭を下げる。
2人は特に言葉を交わすこともなく、並んで歩き出した。
おそらく行き先は奉仕部なのだろう。
黒子が最後に体育館に向かうのと、同じ理由だ。
最後の最後、顔を合わせるのも何かの縁。
こうして一緒に歩くのも、きっとこれが最後になる。
「それにしても思い切ったな。世界を回るって」
「短い人生ですから」
「バスケはしないのか?」
「続けますよ。世界のあちこちで」
黒子は淡々と答えながら、内心苦笑した。
もう何度進路のことについて、意見を言われたかわからない。
それを今さら、しかも比企谷から言われたことがおかしかった。
みんなが進路を決める中、ずっと沈黙を守ってきた黒子。
だが卒業式の数日前、赤司たちと食事をした翌日に発表した。
進学も就職もせず、世界を見て回ると。
そしてそれは総武高校にちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
それはすごい、素晴らしいという肯定派。
そして何をバカなことをいう否定派だ。
中には黒子に意見を言いに来る者もチラホラ。
だけど知ったこっちゃない。
黒子の人生なのだから、黒子自身に決める権利がある。
「お前、結局火神さんとは」
比企谷がさらにそう聞いてきた。
これは初めて問われたことだ。
結局、火神とはどうするのか。
黒子はあっさりと「賭けですね」と答えた。
「賭け?」
比企谷は首を傾げる。
わからないのは当然だ。
黒子は誰にも言わず、秘かに賭けをしているのだから。
ちょうどそこで道が別れた。
真っ直ぐ進めば体育館、右に曲がれば奉仕部の部室だ。
比企谷が「ついにお別れか」と苦笑する。
黒子は「ですね」と頷くと、右手を差し出した。
比企谷が一瞬、驚いた顔になった。
だがすぐに右手を出し、2人は握手を交わす。
比企谷は「世界中の写真、送ってくれよ」と言った。
黒子は「そちらこそ楽しい大学生活の写真をお願いします」と笑ったのだが。
「黒子ぉ!」
どこからともなくよく通るデカい声が黒子を呼んだ。
黒子と比企谷は握手をしたまま、顔を見合わせる。
比企谷が「この声、まさか」と驚きの表情だ。
黒子は「そのまさかですね」と苦笑した。
「どこだ!黒子~!」
声がさらにデカくなり、その主がついに姿を現した。
黒子は顔をしかめながら「うるさいですよ。火神君」と文句を言った。
「アメリカに来いって言っただろ!何でいきなりペルーなんだよ!?」
開口一番、火神は文句を言った。
久しぶりに会ったというのに、情緒も何もない。
黒子は「ハァァ」とため息をつくと「大きなお世話です」と吐き捨てた。
「ボクがどうするかは、ボクが決めますよ。」
「お前は俺とまた組みたいとは思わないのか?」
「その言葉そっくりお返しします。」
「ハァァ?」
「君が渡米するとき、ボクは何も相談されませんでしたよ?」
「そりゃ自分で決めちまったけど!」
「だからボクの進路にも口を出さないで下さい。」
火神と黒子の掛け合いを聞いた比企谷が「もしかして修羅場?」と呟いた。
黒子はウンザリしながら「そんなんじゃありません」と答える。
だけど内心、愉快だった。
勝手に決断して、置いて行かれる気持ち、少しはわかったか。
「とりあえず体育館に行きますから、そこで話しましょう。」
「ああ?」
「ボクの旅の期限は2年くらいを考えています。その後のことです。」
「・・・おお」
黒子は体育館に向かおうとしたが、すぐに「あ」と声を上げた。
比企谷のことを忘れていたのだ。
その比企谷はというと、最初こそ驚いていたが今はニヤニヤ笑っている。
バツが悪くなった黒子は、コホンと咳払いをした。
「お前は賭けに勝ったのか?」
勘の良い比企谷はそう言った。
黒子は「そうですね」と頷く。
黒子の進路を知った火神の行動こそ、賭けだった。
こうしてアメリカから飛んできたこの事実こそ、その結果なのだ。
「それじゃ比企谷君。お元気で。」
黒子は静かに一礼し、歩き出した。
比企谷が「ああ。じゃあな」と答えて、別れ道を曲がる。
代わりに隣を歩くのは、未だに若干興奮状態の火神だ。
さぁ。また始まりますね。
黒子は心の中でひとりごちながら、唇を緩ませた。
未来のことはまだわからない。
だけどきっと楽しいことが待ち受けているはずだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
「何で!?」
比企谷が黒子にグイッと顔を近づけて、抗議の声を上げる。
黒子は思わず耳を塞ぎ「声が大きいです」と顔をしかめた。
いよいよ3月。
高校生活もついに残りあと1ヶ月を切った。
大学、就職、専門学校。
3年生はもうほぼ全員、卒業後の進路を決めている。
そんなある日の昼休み。
黒子は特別棟の1階、保健室横のベンチにいた。
授業はもうないが、ギリギリまでバスケ部のコーチは続けるつもりだ。
そしてその間はここで昼食をとろうと決めていた。
この学校に来て約2年、お世話になったランチスペース。
もう少しでお別れと思うと、感慨深いものがある。
「よぉ」
いつものサンドイッチを食べていると、比企谷が現れた。
黒子は「どうも」と答えながら、首を傾げる。
もう授業はない。
部活に顔を出す黒子と違い、比企谷がここで食事をする理由はないだろうに。
だが比企谷は、見慣れた弁当の包みを抱えていた。
「ここで弁当を食うのも、多分俺は最後だ。」
「今日は何か用事があるんですか?」
「奉仕部の追いコンだそうだ。」
「追い出しコンパってやつですか。」
黒子はなるほどと頷いた。
追いコンとは、卒業する先輩たちを後輩たちが送り出すための会のことだ。
大学では飲み会が定番。
だけど奉仕部なら、お茶会という感じだろう。
「奉仕部も順調そうじゃないですか。」
「ああ。新しい部員も入ったしな。」
「3年生も皆さん、希望の大学に合格しましたし。」
「皆さんって、3人だけだけどな。」
黒子はゆっくりとサンドイッチを齧りながら、口元を緩ませていた。
思えば比企谷八幡とは不思議な関係だったと思う。
気を使わず、隣にいても負担にならず、本音も話せる関係。
そういう友人は何人かいるが、バスケと関係ないのは比企谷だけだ。
そんな彼とここでランチタイムを過ごすのは、多分今日が最後だろう。
「大学に行ったら、きっと大変ですね。」
「は?何で?」
「雪ノ下さん、モテるでしょうから。」
「まぁな。黙ってりゃ美人だしな。」
「またそういう憎まれ口を」
黒子は比企谷の言い様に苦笑した。
転校してきた頃、比企谷と雪ノ下雪乃の関係は微妙だった。
2人とも惹かれ合っているのに、今1つ踏み込めない。
何度「さっさとコクってしまえ!」と言いたくなったことか。
そして晴れて結ばれた後も、ジレジレしていた。
由比ヶ浜結衣との距離感が、上手く取れずにいたのだ。
近づいて傷つくより、離れた方が良い。
比企谷も由比ヶ浜もそんな風に考えていた時期もある。
だけど今は折り合いをつけ、良い関係におさまったようだ。
「バスケ部は灰崎さんがメインのコーチになるんだろ?」
「っていうか、監督になるそうです。」
「マジか?っていうかどう違う?」
「正式な位置づけはわかりませんが、責任感が違うみたいです。」
黒子にしては、曖昧な言い回しになった。
なぜならこの気持ちは上手く説明できない。
正直なところ、黒子のしてきたことは監督と変わらない。
部の方向性を決めて、動かしてきたからだ。
敢えてコーチだと自認していたのは、逃げだ。
自分はあくまでも技術的なサポートなのだと、気持ちの上で1歩引いていた。
「でも灰崎さんって大丈夫なのか?」
「何がです?」
「何でいうか、女関係?ちょっとヤバそうな感じがして」
黒子は「大丈夫ですよ」と笑った。
なぜか灰崎は女子の相談によく乗っている。
由比ヶ浜結衣や三浦優美子、海老名姫菜などと話しているのを黒子も見た。
その結果妙に打ち解けている。
さらに彼女たちを気安く「ガハマ」「ユミコ」「ヒナ」などと声をかけている。
挙句の果てには奉仕部を「ヒッキー」「ゆきのん」と呼ばわり。
しかも最近では女子たちが灰崎を「ショーゴ君」と呼んでいた。
「チャラそうに見えますが、あれで結構優しいですよ。」
「優しい、か?」
「ええ。それなりに苦労はしてますし。」
「その雰囲気はあるな」
「はい。だから大丈夫です。・・・多分」
比企谷が「何だ?その間!」とツッコミを入れる。
だけど黒子はそれ以上何も言わなかった。
今の灰崎はもう昔とは違う。
比企谷もそれ以上何も言い返さないのは、納得してくれたのだろう。
「ところで黒子。お前の進路は決まったのか?」
比企谷は不意に改まった口調で、そう聞いてきた。
今まで何度も問われてきたことだ。
だけどその都度「まだわかりません」と答えてきた。
はぐらかしたのではなく、いくつかの選択肢を考えていたからだ。
だけど今はもう決まっている。
黒子はサンドイッチの最後の一口を飲み込んでから、比企谷を見た。
比企谷が箸を止め、身構えたのがわかった。
「ハァァ!?「何で!?」
比企谷が黒子にグイッと顔を近づけて、抗議の声を上げる。
それがついに黒子の進路を聞いた比企谷のリアクションだ。
黒子は思わず耳を塞ぎ「声が大きいです」と顔をしかめる。
ふと見れば比企谷の手から箸が落ちていた。
お弁当の残り、どうやって食べるんだろう。
黒子は地面に落ちた箸を見ながら、そんなことを思う。
比企谷と黒子の最後のランチタイム。
それは実にしまらない形で終わったのだった。
*****
「そりゃまた羨ましい。」
赤司は全員の意見をまとめるように、そう言った。
黒子は「ありがとうございます」と静かに頭を下げたのだった。
卒業式まであと数日という夜。
黒子は都内のレストランにいた。
高校生が気軽に行けるような店ではない。
それどころか大人でも一般庶民なら気後れする。
そんな格式高い雰囲気のフレンチレストランだ。
黒子はそんな店に高校の制服姿で入っていった。
こんなとき制服は楽でいい。
制服を嫌う生徒も少なくないが、黒子は便利なものだと思っていた。
考える必要がないからだ。
しかも誠凛と総武、高校で2種類の制服を着られた。
そういう意味では普通の高校生より少しだけラッキーだったと思う。
「お待たせしました。」
店のギャルソンに案内されたのは、奥の個室だった。
入るなり「遅いっすよ!」と黄色い声がかかる。
黒子は「すみません」と一礼すると、個室の中を見回す。
赤司と緑間、紫原と黄瀬、そして灰崎が着席している。
さらに大きなモニターが置かれており、青峰と桃井が映っている。
アメリカからネット回線を使って、参加しているのだ。
黒子が加わったことで、ようやく出席者が全員揃った。
「引越し作業が手間取ってしまって」
黒子は正直に遅れた理由を打ち明けた。
卒業式を前にして、黒子は2年近く住んだ部屋を引き払った。
その作業が思ったより時間がかかったのだ。
「黒子。ここだ」
赤司が自分の隣の空席を手で示した。
黒子は「どうも」と頷きながら、腰を下ろす。
すると店のギャルソンが飲み物を配り始めた。
大人ならビールかワインで乾杯という場面だろう。
だけど残念ながら全員未成年、ここはノンアルコールだ。
「黒子っち、制服もあとちょっとっすね。」
「それにしても引越し、早くない~?」
「そうだな。まだ卒業式前だろう?」
「まだ学校があるのに、どうするんだ?」」
乾杯が終わるなり、黄色、紫、緑、赤の順で質問が来た。
黒子は「卒業式後にすぐ動きたかったので」と答える。
赤司の言う通り、卒業式前に部屋を引き払ったのは結構面倒だ。
卒業までの数日だけは実家から通うが、時間もかかる。
それでも敢えて強行したのは、卒業を区切りにしたかったからだ。
卒業式が終わったら、黒子はすぐに千葉を去る。
「コーチは完全に灰崎に譲るのか。」
「いえ。灰崎君は監督になるので。ボクはコーチを続けます。」
「大変だろう?」
「そんなことありません。ボクは誠凛と同じくらい総武のバスケ部が好きなので。」
料理が運ばれてくる間に、さらに会話が進む。
黒子は千葉を離れるけれど、コーチは続けるつもりだった。
今までのように顔を出せなくはなるが、ネットなどを駆使して関わり続ける。
主導は灰崎に譲るけれど、黒子にしかできないことを模索するつもりだった。
「で、黒子。お前はこの後どうするんだ?」
赤司が料理が運び込まれ、店のギャルソンが退出するタイミングでそう言った。
すると全員が会話をやめて、黒子を見る。
黒子は卒業後の進路について、灰崎とだけ少し話をした。
だけどあくまで相談レベルの話で、最終的な結論は言っていなかった。
「とりあえず日本を離れます。」
黒子はついに卒業後の話を口にした。
個室内は一瞬静まり返る。
その沈黙を破ったのは、ネットでつながったモニターだった。
「テツ君、こっちに来るの~?」
ハイテンションではしゃいだ声をあげたのは、桃井だった。
回線はもちろんアメリカと繋がっている。
黒子はチラリとモニターを見た。
こちらのテーブルには豪華なフレンチが並んでいる。
だけど青峰と桃井はジャンクフードを食べているようだ。
「やっぱり火神っちのとこに行くんすね!?」
「アメリカのお菓子、送ってね~」
「英語とかはちゃんと勉強したのか?」
桃井の声にかぶせるように、またしても色とりどりの声がする。
黒子は「ええと」と言いよどむ。
みんなが怒涛のように喋るので、口を挟むタイミングがないのだ。
するとここまでずっと黙っていた灰崎が口を開いた。
「テツヤの話、最後まで聞いてやれよ。」
灰崎の言葉に、全員が黙り込む。
黒子は灰崎に「ありがとうございます」と頷いた。
あの傲慢で態度が悪い男が、よくも変わったものだ。
黒子は今さらのように感動しながら、スッと息を吸い込んだ。
「ボクはアメリカには行きませんよ。」
「は?じゃあどこに行くんすか!?」
「まずはペルーに。マチュ・ピチュって見てみたくて。」
「え~?まずはって次は~?」
「エジプトのピラミッドも見たいです。オーストラリアのエアーズロックとか。」
「つまり観光なのか?」
あまりにも現実味がないことを言っているのは、わかっている。
驚かれることも、ドン引きされるのも、承知の上だ。
だけどこれが黒子の結論だった。
進学も就職もせず、日本を離れる。
2年くらいかけて、世界中の名所や珍しいものを見て歩くのだ。
事故の保険金があるので、親に金銭的な負担をかけることもない。
裏を返せば、あの事故があったからこそできた道だった。
「そりゃまた羨ましい。」
全員が驚愕の声を上げる中、赤司がそう言った。
黒子は「ありがとうございます」と静かに頭を下げる。
すると誰と話に拍手が沸き起こった。
ここに集まった全員が、黒子の未来を祝福してくれている。
「なぁテツ。あいつには言ったのか?」
不意にモニターの中から青峰の声がする。
黒子は「これからメールします」と答えた。
またしても集まった一同は黙り込んでしまう。
だけど黒子は何も言わず、豪華な料理を楽しむことにした。
*****
「もしかして修羅場?」
比企谷がボソッと呟く。
黒子はウンザリしながら「そんなんじゃありません」と言った。
ついに迎えた高校最後の日。
卒業式を終え、最後のホームルームも終えた黒子はホッとしていた。
人より長くなってしまったけれど、その分有意義な時間だった。
2つの高校で、2つの夢を見ることができたのだから。
全てのセレモニーが終わった後、黒子は荷物を抱えて教室を出た。
一緒に写真を撮って欲しいなどという誘いは、すべて丁重にお断りした
よく知らない人と写真を撮る趣味などない。
黒子は芸能人でもないし、ましてや今はバスケ選手でさえないのだから。
「黒子」
校舎を出たところで、声をかけられた。
聞き慣れた声、比企谷だ。
黒子は振り返り「どうも」と頭を下げる。
2人は特に言葉を交わすこともなく、並んで歩き出した。
おそらく行き先は奉仕部なのだろう。
黒子が最後に体育館に向かうのと、同じ理由だ。
最後の最後、顔を合わせるのも何かの縁。
こうして一緒に歩くのも、きっとこれが最後になる。
「それにしても思い切ったな。世界を回るって」
「短い人生ですから」
「バスケはしないのか?」
「続けますよ。世界のあちこちで」
黒子は淡々と答えながら、内心苦笑した。
もう何度進路のことについて、意見を言われたかわからない。
それを今さら、しかも比企谷から言われたことがおかしかった。
みんなが進路を決める中、ずっと沈黙を守ってきた黒子。
だが卒業式の数日前、赤司たちと食事をした翌日に発表した。
進学も就職もせず、世界を見て回ると。
そしてそれは総武高校にちょっとしたセンセーションを巻き起こした。
それはすごい、素晴らしいという肯定派。
そして何をバカなことをいう否定派だ。
中には黒子に意見を言いに来る者もチラホラ。
だけど知ったこっちゃない。
黒子の人生なのだから、黒子自身に決める権利がある。
「お前、結局火神さんとは」
比企谷がさらにそう聞いてきた。
これは初めて問われたことだ。
結局、火神とはどうするのか。
黒子はあっさりと「賭けですね」と答えた。
「賭け?」
比企谷は首を傾げる。
わからないのは当然だ。
黒子は誰にも言わず、秘かに賭けをしているのだから。
ちょうどそこで道が別れた。
真っ直ぐ進めば体育館、右に曲がれば奉仕部の部室だ。
比企谷が「ついにお別れか」と苦笑する。
黒子は「ですね」と頷くと、右手を差し出した。
比企谷が一瞬、驚いた顔になった。
だがすぐに右手を出し、2人は握手を交わす。
比企谷は「世界中の写真、送ってくれよ」と言った。
黒子は「そちらこそ楽しい大学生活の写真をお願いします」と笑ったのだが。
「黒子ぉ!」
どこからともなくよく通るデカい声が黒子を呼んだ。
黒子と比企谷は握手をしたまま、顔を見合わせる。
比企谷が「この声、まさか」と驚きの表情だ。
黒子は「そのまさかですね」と苦笑した。
「どこだ!黒子~!」
声がさらにデカくなり、その主がついに姿を現した。
黒子は顔をしかめながら「うるさいですよ。火神君」と文句を言った。
「アメリカに来いって言っただろ!何でいきなりペルーなんだよ!?」
開口一番、火神は文句を言った。
久しぶりに会ったというのに、情緒も何もない。
黒子は「ハァァ」とため息をつくと「大きなお世話です」と吐き捨てた。
「ボクがどうするかは、ボクが決めますよ。」
「お前は俺とまた組みたいとは思わないのか?」
「その言葉そっくりお返しします。」
「ハァァ?」
「君が渡米するとき、ボクは何も相談されませんでしたよ?」
「そりゃ自分で決めちまったけど!」
「だからボクの進路にも口を出さないで下さい。」
火神と黒子の掛け合いを聞いた比企谷が「もしかして修羅場?」と呟いた。
黒子はウンザリしながら「そんなんじゃありません」と答える。
だけど内心、愉快だった。
勝手に決断して、置いて行かれる気持ち、少しはわかったか。
「とりあえず体育館に行きますから、そこで話しましょう。」
「ああ?」
「ボクの旅の期限は2年くらいを考えています。その後のことです。」
「・・・おお」
黒子は体育館に向かおうとしたが、すぐに「あ」と声を上げた。
比企谷のことを忘れていたのだ。
その比企谷はというと、最初こそ驚いていたが今はニヤニヤ笑っている。
バツが悪くなった黒子は、コホンと咳払いをした。
「お前は賭けに勝ったのか?」
勘の良い比企谷はそう言った。
黒子は「そうですね」と頷く。
黒子の進路を知った火神の行動こそ、賭けだった。
こうしてアメリカから飛んできたこの事実こそ、その結果なのだ。
「それじゃ比企谷君。お元気で。」
黒子は静かに一礼し、歩き出した。
比企谷が「ああ。じゃあな」と答えて、別れ道を曲がる。
代わりに隣を歩くのは、未だに若干興奮状態の火神だ。
さぁ。また始まりますね。
黒子は心の中でひとりごちながら、唇を緩ませた。
未来のことはまだわからない。
だけどきっと楽しいことが待ち受けているはずだ。
【終】お付き合いいただき、ありがとうございました。
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